「赤色狂詩曲」 名も知れぬ火山の麓に、その町はあった。 取り立てた特徴もなく、特産品といえば香辛料程度。 火山を見に訪れる物好きなどを相手に細々と成り立っていた。 しかし、とある日を境にそこには続々と冒険者が訪れることになった。 朱猿ヴァヂヂ、真紅の体躯を持つ炎の魔獣。 その存在をある者は鼻で笑い飛ばし、ある者は一生を懸けて追い続ける伝説の存在。 それが、現実となってその火山に現れ出でた。 ことの起こりは数ヶ月前。 山の神として君臨していた老火竜に、供物を捧げるために住民数人は山頂付近に赴いた。 しかし、そこで彼らが目にしたのは峻厳な竜の姿ではなく、その消し炭だった。 そして、その上には炎よりもなお燃え上がる巨大な異形が、彼らを睥睨していた。 その咆哮と共に火山が震えるや、彼らは弾かれたように逃げ出した。 彼らの頭の中はたくさんの困惑で錯綜していたことだろう。 しかし、ただ一つ彼らは分かっていた。 アレは伝説の具現化だということを。 そして、間もなくその事件は津々浦々へと飛び回り、数多の物好きを呼び寄せることとなった。 だが、未だ以ってその山を制覇したものはいない。 登った者の過半数は満身創痍で這い帰り、残りは焼け死んだ。 炎に炙り出されたように、夥しい数の魔物が湧き出してきたからだ。 山は昼も夜ものさばる炎の魔物達のせいで、かがり火を焚いたように不気味に明滅しつづけている。 火炎地獄と化した山は、それでも誘蛾灯のように人を引き寄せ続ける。 冒険者と魔物の織り成す乾いた活気と恐怖に晒されながら、町は燻っていた。 そこに、二人の変わり者が訪れる。 一人は、真っ赤な猫。 もう一人は、色の無い剣士。 × ぎしり、と古びた悲鳴を上げて酒場の扉が開く。 時刻は昼時、昼食を求める客で酒場は活気に満ちていた。 食器の重なる音や談笑の賑やかさの中では、その音はあまりに寡黙だっただろう。 気に留める者は店員も含めて極僅かだった。 しかし、そこに向けられた視線は、一瞬でくぎ付けにされる。 彼女は、満ち満ちた活気よりも遥かに大きな熱気を纏っていた。 炎。 彼女を形容するのなら、その一文字が最も的確だろう。 爆裂したように四方八方に伸びる髪。 眼差しだけで業火を起こせそうな爛々とした金の瞳。 波打つ火のような紋様の紅蓮の刺青。 そして、乾いた剣呑さを滲ませる不可思議な武器。 クリム・レゾンド。 その熱さを知る者は敬意を込めて「赤猫」と その烈しさを知る者は皮肉を込めて「赤猿」と呼ぶ。 尋常ならざる気に酒場にどよめきが起こり始める。 ある程度の都市の酒場なら、このような手練や異端者が訪れることもざらにある。 互いを知らない者が集まるのが自然なので、必要以上の恐れを抱くこともない。 しかし、此処は最果てに輪を掛けたような辺境の町。 冒険者が多くなったとはいえ、その烈火のような気配は明らかに他とは一線を画していた。 当然ながら、好奇と警戒の視線が一挙に彼女に押し寄せる。 「引っ込め、鬱陶しい」 その一言で、注目は瞬く間に霧散した。 誰もが慌てたように視線を逸らし、それでもなお、ちらちらと彼女を窺おうとする。 彼女の粗暴な言葉に怖気づいたのではない。 一瞬で膨れ上がった焼けるような怒気が、言外の威嚇となって彼らに叩き付けれたのだ。 彼女は魔導師だが、下手な戦士よりも腕っ節が立つだろうことは、そのしなやかな体格から明らかだった。 それも人目が散った理由の一つだろう。 筋肉に頭がついたような土木労働者と思しき男達でさえ、遠巻きに彼女を覗き見ている。 そんな客を尻目に、彼女はズカズカとカウンターに歩み寄る。 苛立たしげな気配に店主はびくりと体を強張らせるが、悪魔でも客は客。 何とか平静を装い、決まり文句を口にした。 「ご、ご用件は?」 その言葉に、ギトリと金の眼が向けられる。 周囲が固唾を呑む中で、彼女はゆっくりと口を開いた。 「朱―「朱猿ヴァヂヂってのは、あの山にいるのかな?」 最初、クリムは自分の声が変わったのかと思った。 しかし次の瞬間、やはり自分はまだその言葉を言っていないことに気付く。 ――なら、今の声は!? 振り向けば、「そいつ」はすぐ近くにいた。 肩がぶつかるほどの近さでカウンターにもたれかかっているのに、彼女はまったく気付けなかった。 彼女どころか、誰もがその出現に気付かなかった。 まるで染み出たような静けさと違和感を伴って、そいつはそこに現れた。 そいつは、どこまでも不透明だった。 老いてはいない、むしろ童顔に属する顔立ちだろう。 しかし、若いと表するには纏う空気が重過ぎる。 声から察するに男性なのだろうが、ハスキーなボーイソプラノと 中性的な容姿のせいで、ひどく曖昧な印象を与えている。 しかし、クリムが違和感を覚えたのはそこではなかった。 ――こいつ、色がない? そう、そいつには色の温度と呼べるもの、つまり色彩が欠片も存在していなかった。 双眸は銀板のように光を反射するだけで、肌は死人よりも冷たく暗い。 始めはそれを酒場の薄暗さのせいかと思っていたが、そうではなかった。 薄闇を纏っているのが、そいつ自身だったのだ。 「お前、何者だ?」 言い終えるよりも早く、クリムの拳はそいつに向けて矢のように放たれた。 その暴挙は彼女の生来の喧嘩早さによるものでもあった。 自分の話に割り込まれた上に、言わんとしたことを横取りされたのだ。 朱猿の伝説を信じてその存在を追い求めるものは少なくない。 現に彼女はその一人であり、この町のことはようやく突き止めたアテなのだ。 至極当然に彼女は怒る。 だが、彼女を駆り立てた決定打は勘だった。 眼前の灰色が放つ沈んだ気配に、彼女は逆撫でられた動物のように不愉快なものを感じていた。 ――とりあえず、一発ぶち込みゃ分かるだろう! 錯綜する思考を一瞬で焼却し、クリムは己が魔力を滾らせた。 烈火の魔力がその拳に燈り、火の玉となって風を裂く。 突然の暴動に周囲は唖然となりながらも、誰もがクリーンヒットの快音を予期していた。 だが、その炎が突如として揺らぎだす。 「!?」 その異変とそれが意味することを悟り、クリムはビタリと拳を制止させる。 魔力の炎が揺らぎ弱まるということは、彼女の魔力が阻害されたということを示す。 つまり―― ――レジスト!?魔法を使う素振りもなしに…アイテムか何かか!? 直感的に相手のやばさを察すると、警戒のレベルは一気に跳ね上がる。 一度抑えた拳を再度大きく引き込み、拳には先刻より遥かに巨大な熱量が収束していく。 それは、発射寸前の大砲を思わせる完全な臨戦体勢。 膨張する熱気に圧されて、転げ落ちるようにギャラリーは椅子から飛び退き 手近のコップに入った水すら恐れ戦いたかのようにボコボコと沸騰を始めた。 あわや炎上せんばかりに乾ききった空気を破ったのは、やはり灰色のそいつだった。 「落ち着きなよ。少なくとも、俺に戦う意志はない」 抑揚のない硬質めいた声でそう言うと、おどけた仕草で両手を挙げる。 道化のようなその姿は板に付いているようで、まるで不似合いにも見えるおかしなものだった。 「そして、質問に答えよう。俺はクロ・ホワイトクラウド、ただの色なしだよ」 けたりと、「彼」は薄く笑った。 × その後、少しのやり取りを交わすと、両者は一旦その牙を収めた。 ここで戦り合うのは得策ではないというクロの提案は一理あり クリムは不審と不満を滲ませながらも、一応は客として席に着きパスタの出来を待っている。 そして、仕切りなおすべくクロは用件を今一度店主に伝えた。 朱猿ヴァヂヂ、火山より生まれ出でたという伝説の魔獣。 灼熱の体毛を持ち、炎を巻き上げながら大地を駆け巡る。 そして、優れた火の使い手には尋常ならざる力を授けるのだという。 その言い伝えから、一部の火属性の魔導師の信仰を集めており 魔法関連の書物には時々その名が載ることもあるが、詳細は不明なところが多い。 一般的には大精霊だとされている存在である。 もっとも、その程度のことはここを訪れる者は皆知っている。 その力に魅せられ、それを得んとしようとする者が大半なのだから。 「何人か同じような目的の人達は目にしたけど、聞くなら人集まるところの方がいいだろうしね。 最近、何か変わり映えはあったかな?」 隠し味にスパイスが加えられたリキュールを呷り、クロは穏やかに問い掛ける。 隣でタバスコを大量に垂らしたパスタにがっついているクリムも言いたいことは同じのようで 不機嫌そうな表情のままギラギラとした視線だけを周りに向けている。 突拍子もない出来事の連続に騒然としていた酒場もようやく落ち着きを取り戻したようで 談笑がてらにもその内容はちょうど良かったのだろう。 酔っ払い達は喧喧囂囂と最近のことについて話し始めた。 「最近か、来る奴は増えたけど、山の主はまったく動きを見せねえんだよな」 「戻って来れる連中は精々中腹までしか行けないらしいし、帰ってこない奴は朱猿に焼かれたのかもなぁ」 「戻ってくる奴は会えないし、会った奴は戻ってこれないし、結局分かりゃしないんだよなぁ」 「ただ、ほら、あの赤い塊の話は皆よくするよな」 「ああ、俺も見たぞ。火じゃない変なのが山を漂ってるんだろ」 「あれは毒ガスじゃないのか?」 「さてねぇ」 がやがやとざわめく活気の中で、クロはある単語に眉を顰める。 「赤い塊……当たり、かな」 誰にも聞こえないような声で独りごちると、残ったリキュールを一息に飲み干す。 一杯とはいえ酒を飲んだにも拘わらず、その頬はまるで赤みを帯びていない。 控えめな微笑を湛える端正な顔は、相変わらず病人のように白んでいる。 ただその瞳にだけは、焦がれるような感情がちらついていた。 と、そこでガシャリとフォークが乱暴に皿の上に投げ出される。 「まぁ、俺にとっちゃ子細は大したことじゃねえ。あそこには朱猿がいる、それは確かなんだよな…なぁ?」 ソースとタバスコに塗れた口元を荒々しく拭いながら、クリムがドスを効かせて言い放つ。 ノーと言える者などいるはずがない。 それは確認の面をした脅迫なのだから。 赤ら顔を一気に青くさせた男達は、一斉にガクガクと首肯した。 それは鳩の群のような中々に滑稽な光景だったが、生憎そのとき笑える状態の者は一人もいなかった。 「よし!」 バシリと手を打ち鳴らし、クリムは勇ましく立ち上がった。 伝説が確かか否かはともかく、ここまで来たなら登る以外の道はない。 代金をカウンターに叩きつけると、猛々しい笑みを浮かべて意気揚揚と歩き出す。 「行くとするか」 「ああ、そうだな」 後ろには、極自然にクロが立っていた。 ――…猫みてえだな。 自分の異名を棚に上げて、クリムはそんな感想を抱いた。 最初に現れたときも気配一つ感じさせなかったし、言動も今ひとつ掴み所がない。 そして、何食わぬ顔で自分についてこようとするふてぶてしさ。 自分よりもよっぽど野良猫根性に満ちていると思わざるを得ない。 曲がりなりにも彼女は戦闘職側の魔導師だ。 曖昧な振る舞いでぼかしていても、勘と経験からクロという男が 曲者であることは察しているし、まだ何か隠していることも分かっている。 だから、なるべくなら距離をおいた方がいい相手なのだろう。 だが、理性で以ってもやはり性分というのは抑えがたい。 「何のつもりだ」 「狙いが同じみたいだからね。ちょっと、利用した上で横取りさせてもらおうかと」 ――ああ、やっぱりこいつは猫だ。泥棒猫だ。 自分の評価を再確認しながら、赤猫は灰色の野良に再び殴りかかった。 × その火山は、住民にとってはまったく無用の長物だった。 鉱物資源は乏しく、植物も碌に生えてこない不毛の地だったので、とうの昔に見放されていた。 竜が宿っていた頃は、儀式なり供物なりを捧げるささやかな場所でもあったが、今となってはそれすらも忘却の彼方。 愛着を持って住みつづけているのは、タフなモンスターくらいのものだった。 そんな荒れ果てた山腹で、二人は対峙していた。 その様子は、先刻とは明らかに違う緊迫したものだった。 この剣呑さに比べれば、あの時のはただのじゃれ合いに思えてくるだろう。 「さて、そろそろマジで燃やすぞ?」 初めにクリムが口を開く。 その声音は先刻よりも遥かに冷たく、怒気に満ちていた。 重い金属音を立てて、筒のような奇妙な形状の武器が躊躇なくクロを捉える。 魔道式火炎放射器というその武器は、内蔵された火の魔石により 伝導する使い手の魔力を増幅して放出するという、クリムが独力で作り上げた代物である。 ゆえに彼女の魔力とは完璧に合致しており、全力で放てば湖畔一つを蒸発させるだけの熱量を放つことができる。 彼女の名を轟かせる要素の一つである、過剰なまでの火力。 今、それは不愉快極まりない灰色の男を飲み込まんとしていた。 「お前の嘗めた態度はさっきの一発でチャラにしてやらぁ。 だがな、俺を出し抜く気か何か知らねえが…力を隠したままの野郎をむざむざ近くに置いとく気はねえ」 ぞんざいな口調だが、彼女の言うことは当然といえば当然だった。 あからさまに自分を利用すると宣言したことについては、単にその不遜に腹が立つだけで大した問題ではない。 利用されるつもりは毛頭ないし、出し抜こうとしたときは即刻消し炭に変えるだけの話で、現に彼女にはそれだけの自信があった。 裏切りや抜け駆けが日常茶飯事である戦場の世界を生きる彼女にとっては その手の警戒と準備は無意識的に行っていることで、むしろ明言してくるだけ分かり易くて助かるとも思ったほどだった。 だから、それについては一発殴るだけでケリがついた。 戦闘職の人間にとっての問題は、相手の素性や素行などではない。 ただ単純に、その強さである。 うやむやになった、いや、本人が敢えてそうしたのだろうが、クロに異能があることは明らかだった。 あの時、確かにクリムの炎は彼の前で揺らいだ。 何らかのレジストであることは間違いない。 しかし、奇妙なことに火に相反する水の魔力も、半減させる火の魔力も彼は纏っていなかった。 彼が帯びていたのは、まるで塗りつぶせない染みや斑のような、不自然な力だった。 「お前の力を明かしやがれ。それが仮初でも協力することの条件だ」 そう言うと、焼き尽くさんばかりの眼光がクロに向けられる。 実際、完全な一対一のこの状況下で下手なことをすれば特上のウェルダンにされることは確かだろう。 クロはしばし目を閉じ、やがて力なく息をついた。 「俺の力は、さっき言った通りだよ」 言いながら、スッとマントに手を伸ばす。 咄嗟に身構えるクリムだったが、そこから現れたものに驚愕の表情を浮かべる。 黒い、どこまでも黒い「何か」だった。 それは剣の形をしているが、剣どころか物質と表することができるかすら疑わしい。 影を切り取ったように全てが黒一色に染まっており、光沢が一切存在しない。 その刃と思しき部分が、ゆっくりとクロの指先を舐めた。 「色がね、ないんだよ」 そこから流れ出た血の色は、生命の象徴である赤色などではなく。 その炎に焼かれた燃え殻のような、淀んだ灰色を湛えていた。 × 時同じくして、町を吹き抜ける風が微かに血の匂いを孕み始める。 更なる酔狂が一人、赤茶けた火山を眺めてほくそ笑んでいた。 立て続けに現れる来訪者を、町はさぞ不審に思っていることだろう。 ただ、その者は最初の二人とは少し、そして明らかに異なっていた。 最初から、誰もが眼を向けることを恐れていた。 骨、骨、骨。 異形の頭骨を愛しそうにに弄くりながら、白骨の兜の下で彼女は微笑んでいた。 担いだ鎌の先から転々と零れ落ちる赤い雫が、じわりと地面に跡を残していく。 「伝説の首、切り落とせたら…楽しいだろうなぁ……切り落としたいなぁ」 真っ赤に真っ赤に塗れながら、チロ・キルリルは楽しそうに体を震わす。 ゆらゆらと、からからと。 〈続〉 登場キャラクター クリム・レゾンド http://www23.atwiki.jp/rpgworld/pages/1009.html クロ・ホワイトクラウド http://www23.atwiki.jp/rpgworld/pages/1107.html チロ・キルリル http://www23.atwiki.jp/rpgworld/pages/1011.html