■   ライオンハート・ハートレス   ■      前編/皇歴2247年  ――どうにも退屈だな、こういうのは。  ヒゲの生えた大男ががなりたてるのを右から左へと受け流しながら、青年は気付かれないよ うに溜め息を吐いた。青年、と呼びきってしまうには、どこか幼さを残した顔立ち。けれどそ れは、決して甘さではない。居並ぶ屈強な傭兵たちの中にあって尚、青年はひるむことなく ――どころか、平然とあくびを漏らしたのだ。  事実、退屈だった。  彼と大男の間には、十数名の傭兵が集まっている。統一感はない。思い思いの格好で、思い 思いの武器を持っている。ぱっと見では判らないが、魔術師らしき男や、何なのかわからない モノまでいた。年の頃はほとんどが30をこえていて――青年は、やはり浮いて見えた。  それを自覚しているからこそ、青年は最後尾にいるのかもしれない。  流れの傭兵たちである。  特定の国に所属せず、特定の団体に依存せず、その日の食い扶持を稼ぐために荒事を繰り返 すものたち。ならずものが大半であり、そうでなければ、それ以下の脛に傷をかかえているも のたちだ。それがわかりきっているため、誰も彼もが互いを詮索しようとしない。  それでも――黄金の髪と、長い大剣クレイモアは眼をひくのか、時折振り返っては青年の様 子を窺うものがいた。もっとも、青年はその視線など気にすることなく、二度目のあくびをし た。  青年は――後者だった。  ならずものではないが、わけありではなる。そしてその日の食い扶持を稼ぐために、この仕 事に単身で参加したのだった。  視線の先では、大男が何度目かわからない仕事の説明を繰り返している。  ――二度も三度も同じことを。さっさと始めりゃあいいのに、これは話しているあいつが悪 いのか、それとも俺たちが理解できないと思ってるのか?  両方だろうな、と思いながら青年は視線を大男からその向こうへと向けた。  切り立った山が、そこにはある。  山そのものはそう大きくはない。山脈、といえるほどのものでもない。ただし、その代わり に標高が高く、見た目以上に『険しい』山だった。場所によっては崖といってもいいだろう。  この辺りでは炎の精霊が少ないのか、山の頂上辺りには所々に雪が残っている。平地と荒野 で育った青年にとって、その光景は物珍しいものだった。  青年が山に見蕩れている間にも、大男は手を振り回しながら話を繰り返す。  山に悪質な魔物が住み着き、近くの村を襲っていること。ここはグリナテッレ帝国と武装国 家ウィザークの国境であり、さる軍はその性質上動かせないこと。ゆえに貴様ら傭兵の出番と なった、二人組を三つで一グループとし、三箇所から六名ずつ山狩りを行う―― 「……二人組?」  青年が奇しくも意識を戻すのと同時に、大男の話は終わっていた。あらかじめ打ち合わせていたのか、数少ない知り合い同士でつるんだのか、はたまた大男が適当にふりわけたのか。既に即席チームはできあがっていて――ぽつんと。 「…………」 「…………」  浮いていた青年と――その隣に立つ、青年と同じくらいに浮いている男だけが、取り残され ていた。 「えっと……どうするよ、おっさん?」  青年は、初めて男へと話を向けた。  いることに気付いていなかったのではない。意識して、見ないようにしていたのだ。男は、 青年以上にこの場で浮いている。ただしその理由は青年とは反対であり――こんな辺境にいて いいような存在ではないからこそ、無視されていたのだ。  関わらないほうがいい相手、とは、かならず存在する。  男はその類だった。顔に大きく『危険』の二文字が書かれているような男だった。ケモノの ように大柄な体躯。傭兵には不釣合いな全身鎧に、巨大な盾。とどめとばかりに、握られた戦 斧は青年よりも巨大だった。  傷だらけの顔には――いかなる表情も浮かんではいない。斧戦士にありがちな鈍重さは微塵も感じられない。今にも食らいついてきそうな――ケモノの気配。  獅子のような男だと、青年は思った。  わけありどころか、それ以上のものがありそうだが――この場で最も強そうなのは、明らか にその男だった。  ――今の俺と、どっちが強いかな。  心の奥底で、戦いたがり舌なめずりをする自分がいることを自覚しながら――そして、その すべてを押さえ込みながら――青年はほがらかに笑う。 「余りもの同志、組むか」  もっともと言えば、もっともな青年の提案を。 「……不必要だ……」  短く、男はぼそぼそとした小さな声で断った。そうして立ち上がり、振り返りもせずに集団 に続く。手のつけようのない、完全な拒絶。  男は、闘うために、そこにいた。  闘うためだけの――存在だった。それ以外にはどうでもいいのだと、男は全身で主張してい た。  それが、青年の琴線に触れた。 「俺も一人の方が楽だが――仕事である以上、必要なくとも組ませてもらうさ」  動き出した男の背を追って、青年もまた歩みだした。地面にたてかえておいたクレイモア ――両手剣を片手でつかみ、運動代わりに振り回した。その様を、男は少しだけ眺めて、 「……足手まといも……助太刀も……不要だ……」 「心配無用、やばくなったら俺は勝手に逃げるし――」 「……?」 「――おっさんが闘う前に、俺一人で仕留めるさ」  澱みのない――自信に満ちた言葉。  それを放つ青年を、恐れを知らない若き獅子のような青年を、男はまぶしそうに見つめて。  視線を眼前の山へと向けてから、男は名乗った。 「……ライオネル……ライオネル・クランベルク、だ……」 「んー?」 「それが……己の、名……だ」 「あぁ――自己紹介もまだだったな」  青年は、ライオネルと名乗った男の左隣に足を進めた。左手にクレイモアを持ちかえる。右 利きであるライオネルの邪魔にならない位置。そして、同じように山を見上げながら、青年は こういった。 「俺の名は――マスクマン・Jだ」  それが、『獣王』ライオネル・クランベルクと、若き東国騎士団団長にして東国最強の―― そして大陸放浪中である――ジュバ=リマインダスの出会いだった。    †   †   †  二人組が三つずつでの六人行動――とはいっても、鍛え抜かれた騎士ならばともかく、流れ の傭兵同士で、器用な連携行動などできるはずがない。そもそも、『協力する』という概念か らして存在しないのだ。  今回もその類に漏れず、『だいたい六人ずつ』で行動しているだけだった。ジュバのいるグ ループも、他の四人は既に散り散りに先行している。気配で大体の位置は把握できているし、 そう遠くないこともわかっていて放っているのだが、結果ライオネルと二人きりになっていた。  寡黙もここに極まれり。山に登り始めてから、ライオネルはひと言も口をきいていない。 「真っ当に行動すりゃあ小人数単位での策戦は、時と場合を選べば大軍よりも役に立つ……ん だが。荒野で大決戦ってのも、いつまでも続くもんじゃないだろ」  暇を持て余すようにジュバはいうが、やはりライオネルは何も答えない。ずっとこの調子な ので、ジュバが独り言を言っているようなものだった。 「二人……三人か? 三組ずつに連絡役を……魔道師が使えるならそっちのほうがいいか……」  ぶつぶつと呟くのは、この戦いのことではない。ジュバにとっては、この仕事はただの通過 点にすぎない。大陸漫遊を終え、自国に戻ってからが――彼にとっての、本当の戦の始まりな のだ。  それまでに多くの経験をつみ、その間にもこれからのことを考えなければならない。  ――何も考えないで剣振ってる方が性分にあってるんだがな。  算術権謀や内政外政は、彼にとって木の実ではない。そういうのが得意なのは、彼の兄のほ うだ。彼がぬきんでているのは体力であり、筋力であり、何よりもその強さだった。  命なき戦場を力だけで生き抜いてきたジュはにとって、戦いは信仰よりも重いものだ。勝者 こそが正義、などという生易しい話ではない。まず生き残らなければ話にすらならないという、 それだけのことだ。  そんなジュバにとって、こういった『戦うまでの暇』はあまり好きではなかった。さっさと 闘いが始まって欲しいとすら思う。  そのために、こんなところをうろついているのだから。 「杜撰な策戦だよな、『縄張りをうろついていれば向こうから襲ってくる』とは……ウィザー クらしいっちゃらしいが……」  六人三組で縄張りへと踏み込み、どこか一方に襲ってきたところを迎撃、残る二班が挟撃に うつる。それが、大男の指示した作戦だった。悪くもないが、よくもない――少なくとも 『策』などと大層な呼び方をしていいものでないことは確かだろう。確実を期すならば、近く の里にきたところを囲めばいい。そうしないということは、よほどせっぱつまっているのか、 好戦的なウィザークらしいととらえるべきか――あるいは。 「国境問題は微妙だからな。向こうはもう魔王の土地だ」  振り返ってみると、山の向こうには別の土地があった。北の果てににある、人外による人間 の楽園。魔王の支配する平和な国――グリナテッレ。  そこはまだ、いったことがない。いつかはいってみることにしよう――そんなことを思いな がら視線を戻し、  その足が、止まった。  ジュバだけではない。横を歩いていたライオネルもまた、足を止めていた。無言で、斧を持 ち直す。その様子を伺いながら、ジュバは少しだけライオネルと距離をとった。斧を振っても、 踏み込まない限りは当たらない位置へと。 「……おっさん、気づいたか?」 「……あぁ……」  そう話している間にも――またひとつ。  気配が、消えた。  気配を消すなどという技術を、流れの傭兵が会得しているとは考えられない。これで、二つ 目。前をいっていた四人のうち、二つまでもが気配が消えた。単純に、こう考えるべきなのだ。  彼らは、殺られたのだ。  気配を感じさせずに近づいてくる相手に、気づくこともできずに。戦闘の音も聞こえず、殺戮の音も聞こえない。ただ、無音で気配だけが消えていく。  こうしている間にも、その何かの気配は感じられない。戦意もなく、殺意もなく、何もない のに―― 「三つ目……おいおいおい、いきなり大当たりかよ」  ジュバはさらに間合いをとり、右手にクレイモアを持ち帰る。思い切り振ってもライオネル には当たらない位置。こちらから襲撃する気にはなれなかった。気配がない以上、目視しなけ れば話にならない。それに、わざわざ向かわずとも、向こうからきてくれることは明白だった。  四人目を今殺し終えた相手が、残る二人を見逃すとは思えない。 「……四つ、目……」 「あと二人――か。完全に殺る気だな」  ジュバは笑う。笑いながら、頭の中ではまったく別のことを考えていた。  ――ウィザークは知っていたのか? この山にいるのがそういうモノだってことを。戦闘に なれた傭兵四人を痕跡もなく駆逐するなど――並大抵ではない。  それを知っていてぶつけたのか、知らずに戦わせたのかでは、大きく意味がことのあってく る。場合によっては、はじめからすべてが仕組まれていた可能性だってあるのだ。  が、それを確かめるのは、後でいい。  今はただ―― 「……すべては、東国のために」  ジュバにすら聞こえない小声で唱え、両足を大きく広げて剣を前に構える。ライオネルは無 言で、フェイスガードをおろした。  そして――がきん、と。  前振りもなく、気配もなく。  金属音と衝撃が、二人を襲った。     †   †   †  そこから幾ばくかも離れていない森の中に、一人の迷子がいた。  迷子にしか見えない少年だった。  男でもなく、青年でもない、少年。若く見える少年は、神官のような黒一色の服に身を包み 、森の中をうろついていた。うろついていた、というのは正しくないのかもしれない。少年に は、はっきりとした目的地があった。  にもかかわらず迷っていたのは、もともと土地勘がないせいだ。加えて、旅に慣れているわ けでもない。武器も防具も杖も持たない――皇国の首都からそのままふらりと迷い込んできた ような姿だった。 「まいったな……無理にでもヌルに送ってもらえばよかったかな……?」  緊迫感のまったくない、のんきな声。少年にはきちんと気配があるが――ジュバやライオネ ルに比べて、ひどく弱い。逆に気配を感じ取ることもできないのか、急遽として生まれた四つ の死体にも気づいていない様子だった。  この山を舞台に戦闘が始まったことに気づいたのは――金属音が響いてからだった。 「…………」  少年は悩む。  戦いの場にいくべきか、今すぐにでも逃げるべきか。しかし逃げたところで、迷っているこ とには変わらない。余計に悪化するかもしれない。それよりは、彼らの戦いが終わるのを待っ て道を聞いたほうが……しかし、万が一にも彼らがまけたら大変なことになる。 「…………」  どうしようか、と考えていると、もう一度金属音。それは連続しながら、だんだんと少年の いる森の方へと近づいてきて――      †   †   †  最初に反応したのは、ジュバ=リマインダスでもライオネル=クランベルクでもなく。  彼の持つ、魔盾だった。  盾は「魔」の名にふさわしく主の手を離れてふわりと浮き上がって前方へと飛ぶ。そうして、 がちり、と。何もない空中で目に見えない何かと衝突して、金属音を奏でたのだ。 「……!」 「……」  驚愕と同時に理解する。気配もなく、四人の傭兵たちは殺された。気配がない――どころで はなかったのだ。気配もなく、殺意もなく、戦意もなく――姿すらない。  何もない魔物。  魔盾だけは何かを感じ取ったのか魔へととび、見えない魔物と衝突した。  否、ぶつかり続けては、押しつおされつ――押されつつある。  その現状を正しく認識し、ジュバは。 「――ヒーローキッィィィクッ!」  迷わずに跳んだ。敵の姿は見えない。ならばこそ、力ずくで無理やりに――見えている盾の 裏側を思い切り蹴りつけた。  衝撃が盾を貫き――同時に、目に見えない何かが、加わった衝撃で吹き飛ばされる感触があ った。足には軽い痺れ。そのすべてを感じながら、ジュバは叫んだ。 「森だ!」  けった瞬間に気づいた。気配はなく、殺意もなく、姿もなくとも。動いた痕跡だけは、どう したって残る。槌の上ではわかりづらいが、人のものをそのまま大きくしたような足跡が残っ ていた。森の中ならば、葉や木によって音ともに動きが読めやすい。そう考えての発言だった が―― 「ガ、ア――グガアアアアアアアアァァァァァァァッッ――!!」  その光景に、ジュバは言葉を失った。ライオネル=クランベルクが、両の手で戦斧を構えて 雄たけびをあげながら突撃したのだ。魔盾が旋回しながらそれに続く。特攻にしか見えない獣 のような突撃。獣のような咆哮。  なんだなんだ、ジュバが驚く暇もなく、ライオネルは突撃した勢いのままに斧を振り上げ ――振り下ろす。  空気が、震えた。  見えないはずのその何かに、振り下ろされた斧は直撃した。耳障りな金属音と共に、視界が 白くなるほどの火花が散る。  受け止められたのか。  空中で、斧が止まっていた。鎧越しにもわかるほどにライオネルの筋肉が盛り上がり、その 斧がじりじりと下に沈まりつつある。  如何なる手段を使ったのか――未だジュバに捉えられない敵を、ライオネルは捕捉し、一撃 を加えたのだ。理由も理屈もわからないが、 「おっさん、そのまま抑えてろ!」  好機と判断し、ジュバはクレイモアを前へと突き出したまま一気に駆ける。敵の姿は見えな い。見えないが、ライオネルが押さえつけている以上はそこにいるはずなのだ。いそうな辺り をまとめて薙ぎ払えばいい。  そう考えての、突撃だった。  剣先を斧が止まっている辺りに突きつけたまま、ジュバは間合いに入った瞬間最後の踏みこ みを、 「――うおおおッ!?」  しようとした瞬間、その足で――跳んだ。真上に向かってとび、けれど慣性で体は前へ放り 出され、  その真下を、振り返した斧が横なぎに通り過ぎた。  見えない敵を押さえつけていた斧が、ジュバが間合いに入った瞬間に、逆に切りかかってき たのだ。ぎりぎりでそれを飛び越えるようにして避ける。足のすぐ下を、風を巻きながら斧が 通り過ぎていく。見えない敵がその場から動いたのを、空気の流れと足跡で知る。  着地と同時に振り返り、 「なにやってんだお――」  っさん、と言おうとした声は。 「ァァァァァアアアアアアッ!」  叫びながらさらにもう一周し、遠心力を加えた速度で襲い掛かってくる斧を見た瞬間、途切 れた。  意志の感じられない、魔獣のような一撃。 「…………ッ!」  その様を見て、ジュバはようやく悟る。ライオネル=クランベルクという傭兵が、いったい どのような戦い方をするのかを。  意識もなく、  理性もない、  人が変わったような――獣のような、戦法。  それを、ジュバは知っていた。戦の狂気の中で鬼となる者のことを。  ――バーサーカー。あるいは、ベルセルク。  足手まといも助太刀も無用だとライオネルは言ったが、それはジュバが考えていたのとはま ったく別の意味だった。強さ弱さに関係なく、そもそもこの男にとって、敵も味方も一切合切 関係がない――! 「狂戦士なら……ッ、初めっからそう言っとけってんだよ――」  毒づきながら、先よりも速く、先よりも重い斧の一撃を。 「――敵として扱うからよ」  真っ向から、クレイモアで受け止めたのだった。                                    (中編へ続く)