■   ライオンハート・ハートレス   ■      中編/  ジュバ=リマインダスとライオネル=クランベルクでは、体格が一回り近く離れている。手 に持つ武器も、ジュバが両手持ちのクレイモアであるのに対して、ライオネルのそれは質量そ れ自体が強大な破壊を生む戦斧である。真っ向勝負ならば、弾き飛ばされるのが道理。  敵は理性なき狂戦士なのだ。いかに強力な攻撃といえど、かわし、いなし、すりぬけて横か らきりつければいい。真っ向から受け止める必要などどこにもない。獣のような相手なのだ、 そうするのは当然であり、まず間違いなく有効な手でもある。  そうしなかったのは――ジュバ=リマインダス、彼もまた。  理性ある獣だからに、他ならない。 「――――――」  獣の方向が途絶える。触れ合った武器の向こうから、狂戦士の戸惑いが伝わってくる。なぜ こいつは、斧を受け止めることができる? ――フルフェイスの向こうから、そう問いかけら れた気がした。  ライオネルでなくとも、この場を見たものがいたのならば驚愕したことだろう。あのような 青年のどこに斧を受け止め、さらには押し返す力があるのかと。  が、その当事者であるジュバは。 「……チッ」  酷く、不機嫌そうな顔で――舌打ちをした。 「俺に両手を使わせるたぁ……ネコじゃなくてライオンらしいな」  そう。  斧を受け止めるジュバは、両手でクレイモアを構えていた。ジュバの戦い方とは、両手剣ク レイモアを片手で振り回す嵐のような戦である。それが、斧を受け止める瞬間――両手を使わ されていたのだ。  自分の意志ですらない、ある種の本能によるものだ。  それに、屈辱を感じた。 「みっともねえな――俺は!」  声と共に肺の中の息を吐き出し、ジュバは流れるように動いた。クレイモアを斜めに傾けて 斧を横に逃し、開いた胸へと前蹴りを繰り出し――それがライオネルの胸板に届くよりも早く、 右から滑り込んできた魔盾がそれを受け止める。靴の裏が盾の表面をたたき、  初めからそれを予測していたジュバは、反動で大きく後ろへと跳んだ。  直後――先までいた位置を、見えない何かの一撃が通り過ぎた。  見えない敵の見えない攻撃。本来の敵であるソレのことを、もちろんジュバは意識の端で捉 えていた。それなのに、咄嗟に反撃ができなかったのは。 「やりにくいな――ッ!」  それにつきた。何せ、殺気どころか気配もなく、姿も見えないのだ。空間の微かな違和感か らだいたいの位置をつかむしかない。そもそも、魔物がどのような姿形をしているかすら、彼 にはわからないのだ。  その上、狂戦士は敵とも味方ともつかず、やりにくいことこの上ない。  だがしかし―― 「……面白い」  ジュバは、笑った。  笑い声もあげず、自分が笑っていることにすら気づいていなかったが――ジュバ=リマイン ダスの顔には、確かな笑みが浮かんでいた。二人の強敵を前にして――彼は、祭りの前の少年 の如き笑顔で、その赤い瞳で、敵たちを見据えて。 「東国亜流――」  両手で構えたままだったクレイモアを握り直し。 「――乱れ孤月!」  引き絞った弦を解き放つように――そのバで、クレイモアを振り切った。  彼の部下であるクレセントーララバイが月光を斬撃として飛ばす長距離戦の使い手ならば、 ジュバのはそれを真似た剣先に気合を乗せて解き放つ中距離剣技である。『月斬』とは威力も 射程も比べ物にならないが、牽制としては充分な役割を果たす。何よりも、今この時には、そ れ以上に。 「ガァァアアアッ!」  叫ぶ狂戦士めがけて、黄金に輝く三日月状の刃が幾重にも幾十にも飛翔する。咆哮にこたえ るようにしてライオネルの魔盾が前に出てそれを受け止め、表面にいくつもの小さな三日月が 突き刺さっては砕け散る。  空間中にばらまかれた三日月。  それ同様にそのうちの幾つかが、何もないところで砕け散った――それを視認した時には、 ジュバは既に間合いの中にいた。ライオネルは盾に動きを阻害され、一拍分行動が遅れる。  そして、姿は見えずとも――ジュバは既に、敵を捉えている。 「逆三日月――」  飛び上がりながら、片手を下へと伸ばしきり、地面を剣先でえぐりながら斬撃を放つ。すく いあげるような一撃は、ライオネルの横をすりぬけ、  硬い何かに防がれる感触。  同時に、金属音――その反響を聞きながら、ジュバは止まらなかった。 「――上三日月!」  弾かれた瞬間に手首を返し、落下する体と入れ替えるように剣を振り上げ、最後に体重を乗 せて振り下ろす。防がれることを念頭においた逆三日月・上弦。本命の一撃は、狙い違わず敵 を上から襲い、  ――再び、金属音。 「防が、」 れた、と言い切るより早く。  ジュバの体が――飛んだ。  何をされたのか、その瞬間には悟っていた――斧を振うことのできなかったライオネルが、 盾ごと体当たりをしかけてきたのだ。力を入れることすらでいない、空中での攻撃だった。十 メートル近く森の方へと吹き飛ばされ、かろうじて受身をとって立ち上がる。  骨も折れていないし、斬られてもいないが――目を離したせいで、『敵』を見失った。  ライオネルが一人で立っているようにしか見えない。 「…………」  手にはまだ軽い痺れが残っている。斬りつけたときの感触と、鋼の打ち合った音。てっきり 姿を消す魔獣だと思っていたが、どうにも違うらしい。  納得のいかないものがあった。  これではまるで、ライオネルのような―― 「シィヤァァァッ!」  それ以上考えることはできなかった。考えがまとまるよりも先に、鋭い呼気と共にライオネ ルが再び襲い掛かってくる。見えない敵を彼もまた見失ったのか、ジュバのことも明確な敵だ と認識したのか。斧を横に構え、重戦士とは思えない速度で突撃してくる。  彼我の距離はまたたく魔に埋まり、 「――ハッ!」  先手を打ったのは、ジュバのほうだった。牽制の素早い斬撃。盾で防がれることを念頭にお いた、二撃目を決め手とする――はずの攻撃を。  狂戦士は、防がなかった。  避けることすらしなかった。盾は動かず、ライオネルは突進の速度を緩めぬままに、ジュバ の一撃をその身に受けた。胸当てに剣の跡がつき、防ぎきれなかった箇所に傷が生まれ血が流 れる。  その光景を見て、ジュバは驚愕と共に失策を悟った。牽制で撫で斬られた程度では、狂戦士 が止まるはずもなく――盾に邪魔されることもなく、ライオネルは自由に斧を振うことができ る。 「チィ……ッ!!」  もはや遅すぎることをジュバは悟り――  ――今度こそ、戦斧をその身に受けた。      †   †   †  その戦の音を、山の入り口で聞いている者がいた。ジュバたちに策戦を指示した、ウィザー クの大男である。髭面を指で撫でまわしながら、戦が始まったであろう場所を見上げていた。 「始まったか……」  一人呟く、その声に。 「――はい」  答えるものがあった。男とは正反対の、鋭く磨き上げたナイフのような女が、彼の後ろに立 っていた。まだ若く――けれど若さに似つかわしくない目を、メガネの奥に隠した女。長大な 両刃剣を背に携え、なぜかメイドの衣装で身を包んでいた。  その女を見ることなく、男は言う。 「マリアか。策戦は順調だぞ――アレのテストは上手くいっている」 「御意に」  女は頷き、男の視線の先を追う。遠く離れたそこが見えているかのように。女はじっと目を 細め―― 「戦っているのは、斧戦士と、」 「ふうむ――一番の有力株とあたったか。良い良い、あれくらいでなければのテストにはなら んなあ」  女の報告を聞き、大男は快活に笑う。  テスト。  すべては、最初から仕組まれたものであるのだ。 『道楽』の手を借りて武装国家ウィザークが創り上げた、人工魔獣の実践テストである。  戦意が感じられないのではない――戦意を持たないのだ。  殺意を感じられないのではない――殺意を持たないのだ。  外殻を魔力がかかった錬鉄で創り上げた獣。その試作品の、『力試し』だった。  グリナテッレは自国の外に一切関わってこないことはわかっている。だからこそ、戦地をこ こに選んだのだ。流れの傭兵ならば、いくら切り殺されても問題が起こるはずがない。  初めから、彼らは殺されるためだけに集められたのだ。  もしも万が一――万が一があるとは思えないが――アレが敗北したとしても、そのときはた だの魔獣として扱い死骸を回収すればいい。必要なのは戦闘データであり、実用に適うような らば量産して皇国との戦線に導入する。  そのための実験だった。  戦は順調に進みつつあった。進んでいるように、見えた。  ――彼らが気づいていない、知りすらしない、一つの致命的な穴があるのを覗けば。 「戦っている、もう一人は――」  女はさらに目を細め、険しい顔つきで。 「! あれは――東国の、」 「……東国の?」  その言葉に男の表情が変わる。直接関わってはいないが――決して友好的ではない国だ。む しろ、急速に領土を拡大しつつあるあの国は、ウィザークにとっても今や無視できない国とな っている。  だから、次に女が吐いた言葉を、無視することはできなかった。 「騎士団長――ジュバ……ジュバ=リマインダス」 「は」  男は。  それを聞いて――髭面を破顔させて、可笑しそうに笑った。豪快な笑い声をあげ、髭を撫で て遠くを見遣る。 「はっ! そうかそうか! 大陸を渡り歩いていると聞いたが――あれがそうか!」  言いながら。  その目は――少しも笑うことなく、ほそまっていった。女だけが、表情を変えることなく同 じように遠くを見る。  戦い続ける、ジュバとライオネルの方を。  見遣ったままに、男はいう。 「ならば――こちらから出る必要が、あるかもしれんなぁ」      †  目を覚ました瞬間にジュバ=リマインダスが考えたことは、ここが天国なのか地獄なのかと いうことだった。そのどちらでもなく、まして失神していたのが瞬きにも満たない時間だと把 握しても、衝撃が抜けきらない身体を動かすことができなかった。  何をする術もなく、中を飛び、森との境目に生えた樹にぶつかってようやく止まる。太い幹 が衝撃で凹み――へこませただけの衝撃が、ジュバの身体を襲う。  激痛――しかしかろうじて、剣を手放さずに済んだ。腹と背、両方を襲う痛い身に堪えるよ うにして歯を食いしばる。  ――身体がつながってるだけマシか。  あの瞬間――よけることも防ぐこともできないと悟ったジュバは、とっさに身を前へと投げ 出したのだ。剣を振った勢いで、左前へと――襲い来る斧の方へと、自ら飛び出した。  利点は二つ。斧が直接的な斬撃を生むのは尖端部だけであり、間合いのうちに入ってしまえ ば棒でしかないこと。おそして、ライオネルが斧を振り切る前、威力が最大の効果を発揮する まえに当たってしまえば、威力を殺すことができる。  目論見は成功し、ジュバは両断されることなく、柄に吹き飛ばされて間合いから逃れたのだ。  しかし―― 「…………」  成功して、この威力だ。わかっていたことではあるが、あの狂戦士の力は尋常ならざるらし い。加えて、戦えば戦うほど狂気は加速していく。最初に打ち合ったときよりも今の一撃は早 かった。次の一撃はさらに重いに違いない。 「………………」  ジュバは、動かない。手足のしびれはすでに回復している。腹には鈍痛が残っているが、動 けないほどではない。今すぐにでも起き上がって戦うことはできるだろう。  だというのに――立ち上がらない。  樹に背を預けたまま、ただ、見ている。  金属音。  視界の先では、ライオネル=クランベルクが斧を振っている。何もないところを斧がたたき 、見えない何かを盾が防ぐ。そのたびに、こすれあうような金属音が響く。  時折防ぎきれずに傷が増えるが、狂戦士は僅かとも止まることなく斧を振り続ける。  理性を失くした獣は、楽しそうに戦っている。  戦を、悦しんでいる。 「――――俺は、」  その光景を見ながら、ジュバは思う。  俺は――何をしていたのだ?  ジュバは気づく。獣のように斧を振うライオネルの姿。それは、自分自身でもあるというこ とに。  ――剣を振うとき、俺は笑っていただろうか?  ――愉悦とともに殺そうとしていなかったか?  頭の中を渦巻く思いが、身体を動かすことなく縛り付ける。  ジュバ。ジュバ=リマインダス。東国騎士団の団長にして――東国最強。  ジュバは、戦いを恐れている。闘争の中に生きる男だからこそ――戦いの中で微笑むことを、 彼は子供のように怖がってすらいる。  彼にとって戦いは全てだった。ひとたび戦が始まれば思考は過熱し情動は加速し、気づけば 戦は終わり彼の前には肉塊が転がっている。東国最強、というあだ名は、伊達ではないのだ。  伊達ではないからこそ、重すぎる。  そこはもう、人のいるべき領域ではない。  かつて兄が言ったことを思い出す。お前はその強さゆえに死ぬことになるだろうと。  かつて魔女が付け加えたことを思い出す。そうでなければ、人をやめることになるだろうと 。笑いながら人を切り、死ぬことなくすべてを斬る、戦だけに生きる魔の領域へ。  笑いながら剣を振うのはいい。  戦いを楽しむのも、いい。  けれど――  殺すことを笑うのは――駄目だ。  それを笑い続けては、駄目だ。そうなってしまえはもはや止まらない。獣のように。狂戦士 のように。戦うことしかなくなり、斬ることしかなくなり、敵も味方も関係なく、  最後には。    ハートレス  心をなくした魔人に―― 「――――くだらねえ」  言い切った。  切って、捨てた。  背で幹を叩くようにしてジュバは立ち上がる。緩く握っていたクレイモアを手の中で回し、 逆手に持ち直す。両脚で軽く足元の地面を蹴って具合を確める。  ――何も問題はない。  気分は最悪で、身体はあちこちが痛く、思い切り吐き出してしまいたかったが、何一つとし て問題はなかった。  膝を曲げる。低く深く、大地に這うほどに沈んで構える。赤い瞳だけが揺らぐことなくライ オネルたちを見据えている。ジュバの存在を忘れたように戦うライオネルと魔獣。このまま放 っておけば、どちらかが死ぬまでか戦い続けるか、相打ちになって終わるだろう。  ――それは、俺の趣味じゃないんだよな。  兄の言葉を思い出す。魔女の言葉を思い出す。そして――東国騎士団の面々と、その中の一 部の乳と尻を思い返して。  にやけたように――ジュバは、笑った。 「今の俺は、正体不明の正義の味方! マスクマンJだ!」  マスク、してないやないか――そんな突っ込みはさておいて。  気合と共に振った剣が金の光を放ち、その技の名を、ジュバは、高らかに――――      †   †   † 「――月斬・全!」  その言葉と共に金の光が剣から放たれるのを少年は森の陰から見ていた。声をかければ届く ほどに近い。気配が薄く、戦意もないせいで、今だ補足されていないのだ。それ以上にジュバ =リマインダスが、眼前の戦に集中しているということでもあるが。  光が見えた瞬間、少年は思わず伏せたが――どうやら光は指向性を持っていたらしく、少年 の立つほうには変化は起こらなかった。  代わりに、剣を振った先――大柄の斧戦士がいる方向へは破壊が巻き起こった。光があたっ た範囲が剣で斬られたように幾つも抉れていたのだ。  ただし―― 「……弱い?」  そう。  数も少なく、抉れ方も生易しい。見た目の派手さに比べて、破壊は微々たるものといえた。 もちろん少年の知りえないことだが、その技は彼の部下のものであり、当人が使えば竜さえも 堕とすものなのだが――今この瞬間においては、その威力は必要がなかった。  派手ささえあればよかった。  それこそが目的なのだから。  光の後ろ側にいた少年は、それを見ていた。光の中を、追いかけるようにして跳ぶ、男の後 ろ姿を――      † 「――ジャスティス・キック!」  とび蹴りだった。  正確に言えば飛び後ろ回し蹴りである。剣を大きく振り、見えない何かをたたききりながら 、その正反対へと脚を繰り出したのだ。剣の先はあっさりとはじかれたが――本命だったらし いケリのほうはライオネルの顎先に吸い込まれるように直撃した。  大きな身体がぐらりと揺れ―― 「ジャスティスパンチ! ジャンスティスパンチ! パンチパンチ! 起きろこの馬鹿!」  着地と同時に連続で殴りつける。そのすべてが盾に防がれるが、構うことなくジュバは殴り 続ける。がん、がん、がん、と鈍い音が続き、  唐突にくるりと後ろを向いて、手を拳から手刀へと切り替えて―― 「チョッパー・チョップ!」  そんなことを叫びながら、手刀を振った。  一閃――肌が裂け、血が零れる。  ジュバの手が。 「素手じゃ無茶か……!」  左手に持ち替えたクレイモアを追撃で振うが、魔獣は素早い動きで退いたらしく、剣は大き く空振りして――弧を描くようにして、後ろに迫った盾を弾き飛ばす。  その向こうには、尻もちをついたライオネル=クランベルクの姿。 「目ェ醒めたか!? ライオネル=クランベルク!」  絶叫するようにジュバは問う。  正直なところ、自信はなかった。起きているか、狂戦士のままか、半々だと思っていた。  ジュバの声に、ライオネルは。 「……ああ」  獣の叫びではなく、人の言葉でこたえたのだった。 「…………」  頭を振りかぶり、斧を拾って立ち上がる。ゆっくりとした、人間らしい動きだった。魔盾が 主を守るようにふわりとその左半身へと戻る。  ライオネルは辺りを一度見回して、 「……戦は、……終わって、いない……ぞ?」 「だから撤退すんだよ。戦略的一時撤退! 行くぞおっさん!」  そういって、ジュバはライオネルの腕をひっつかんで走り出す。向かう先は、先までいた森。  突然の行動にライオネルは脚を動かし長いラも、 「……何故だ……?」 「説明はあとでする! あんたと斬り合うのは御免だってことだよ!」  声は、焦っていた。  ジュバは確かに感じていた――距離をおいて見えない敵が追いかけてくるのを。  もし脚を止めてしまえば、ライオネルは再び狂戦士に舞い戻るだろう。そうなれば負けるこ とはないにしても――最悪、ジュばはライオネルを切り殺してしまうかもしれない。逆もまた しかり、だ。  たとえ一時的なものだとしても、パートナーとなった相手を出来ることならばきりたくなか った。  それが躊躇いなく出来る人間になってしまえば――いつか、東国騎士団の面々を、切り殺さ ないとも限らないから。  だから、ジュバは叫ぶ。 「いいから走れ!」  何を思ったか。  何か感ずるところがあったのか。 「…………」  ライオネルは沈黙し――ジュバの手を振り払い、自分の意志で走り出した。ジュバの横に並 び、フルフェイスの顔あてを上げて、傷だらけの顔でジュバを見下ろす。 「……森、か……?」 「そうだ!」  答え、ジュバは武器を振るうことなく森へ飛び込み、 「うわぁぉ!?」  そこで、隠れて見ていた少年と――衝突しかけた。 「――――!」  咄嗟の判断だった――判断を下したときにはもう動き終えていた。剣を持つ手ではなく、何 も持たない左手で少年の胴をすくいあげる。タックルをするような形になり、少年の口から嗚 咽まじりの息が漏れるが体調を心配している余裕はなかった。  軽い身体を抱き上げて肩に担ぎ、ジュバはさらに脚を速めながら、 「誰だお前!?」 「通行人です!」 「そんなものがいるか!」 「ですよね!」  余裕があるようなないようなやり取りだった。言葉を交わすにも足は止まらない。深く考え ている暇がない。隣からはライオネルの鎧ががちゃがちゃと音を立て、足元に堕ちた枝葉を踏 む感触と音。そして――後ろから追ってくる敵が枝葉を踏む音。  やっぱりかと――とジュバは密かに得心する。気配や姿を消すことはできても、動いた結果 までは消すことはできないらしい。いまだ気配はなく、振り返っても姿を見ることはできない が、動くたびに足元で枝葉が音をかなで、身体と触れた樹が左右に揺れている。熟練の暗殺者 ならばそれすらも消すことができるのだろうが――この魔物にはそこまでは無理らしい。  もはや姿はなくとも、見えている。  そして、見えるのならば。 「ここでよし、だ――」  ジュバの顔に、微かな安堵が浮かぶ。わけもわからず少年を抱え上げて走る羽目になったが 、そう足かせになるようなことでもない。むしろこの少年をライオネルに任せて退かせ、自身 が一人で即座に敵を倒せば同士討ちすることもないとすら思った。  ここでなら、自分ひとりで充分だ。 「おい、おっさん――」  ジュバは勝利を確信しつつ、ライオネルを見て、 「前! 前!!」  振り向いた横に、ライオネル=クランベルクの姿はなく。 「ん、」  少年の慌てる声で、前を見て――そのときにはもう、足許に地面はなかった。  嘘のように、何もなかった。  枝葉に遮られて見えていなかっただけで、そこにはもう地面はなかった。森は真後ろで途切 れていて――そこから先は、切り立った崖になっていた。遠くまで続く青空が正面に見える。 山の向こうに広がる、グリナテッレの景観が見え、足許には遠く遠くに地面がかすんで見えた。  それ以外には、何もない。 「…………え?」  呆けたような、夢を見るような声と共に――重力に退かれて、ジュバと少年の身体は落下を 始めたのだった。                                    (終編へ続く)