RPGSS『豚の掟』 * * * 「愛される軍隊」を目指す幻豚(げんとん)騎士団では、市民からの意見や要望を積極的に聞きいれていた。  ボレリア王都ブイトーニュの郊外に居を構える騎士団本部。  その門前に置かれた、匿名での投書を受けつける陶器製の豚を、人は「豚の目安箱」と呼んだ――。 * * * 『どうして幻豚騎士団には格好いい男の人がいないんですか?  正直、大陸の騎士団の中でもいちばん平均点が低いんじゃないかと思います。  もうちょっと見栄えを良くしてもらわないと応援する気もおきません。  そこのところ、一度考えてみてください。  ブイトーニュ在住 / 22歳・女(無職)』 * * * 「働け!」  キャロルは叫んだ。 「素晴らしい要望だわ!」  ローレンスは我が意を得たりとばかりに頷いた。 * * *  うららかな日ざしが降りそそぐ騎士団本部の中庭。  芝生の上で車座になっている十数人の男女は、大陸有数の精兵、幻豚騎士団の幹部たちだった。  有名な「豚頭の兜」も鎧も身につけていない平服姿で、リラックスした様子だったが、これでもれっきとした 勤務中。不定期で行われる幹部会議の最中である。  その議題の一つとして、目安箱の投書が読みあげられていたのだが……。 「参りましたねぇ。平均点低いそうですよ」  進行役で投書を読みあげていたエイビス・フォーリーフが苦笑いするのに、 「なに他人事みたいな顔しとんねん」と、キャロルが突っ込んだ。  幻豚騎士団の突撃隊長、キャロル・ランドレース。  丸フレームの眼鏡と、なまりのある口調が特徴的な、一見して幼いとさえ形容できそうなあどけない少女だったが、 「平均点下げとる張本人のクセに!」  顔に似合わず言うことはキツかった。 「えっ、僕下げてますか? おかしいなぁ……。巷(ちまた)じゃ男前とか言われることもあるんですけど」 「そらどこの巷や。修羅の巷かい」 「大丈夫よエイビスちゃ〜ん」  妙な具合に言葉を伸ばして割って入ったのは、ローレンス・バークシャー。  クネクネとしたオーバーアクションに派手な服装。濃いひげに濃い目鼻立ち。無駄なハイテンションでオネェ言葉を使いこなす、 いろいろな意味で危険かつ不審な人物だったが、彼こそ他でもない。幻豚騎士団の騎士団長なのである。 「エイビスちゃんは味のあるいい顔してるわよン。アタシは大好き!」 「は、はぁ」  ぜんぜん嬉しくなかった。 「そ、それでですね、この投書についてなんですが――」  話がおかしな方向へ行かないうちにと、エイビスが話題を引き戻す。 「あら、そうだったわね」 「アホらしい、語るに足らんわ。次行こ、次」 「なに言ってるのよキャロルちゃん! これはぜひ採用すべきよ。近年まれに見る素晴らしい意見だわ」 「投書のレベル低っ! いや実際ロクな投書ないけど!」  と、軽くノリツッコミをかましてから、 「大将、いくらなんでも悪ふざけが過ぎまっせ」  ローレンスとにらみ合った。火花が散る。 「イケメンが増えたら、キャロルちゃんだって嬉しいでしょ?」 「顔が良くても、兵士として役立たんかったら意味ないですがな」 「だったら強くて格好いい子を入れればいいのよ。ジュバさまみたいな」  ローレンスは、東国騎士団長ジュバ=リマインダスのファンである。 「なにムチャ言うてますねん」 「ジュバさままでは行かなくても、もうちょっと潤いというか、華やかさというか……ねぇ?」 「『ねぇ』って、そもそもウチに男前がおらんのは、新しく入ってきても、大将がちょっかい出すせいですぐ辞めてって しまうからですがな」 「ヤぁねぇ、濡れ衣よぅ。あんなの軽いスキンシップじゃない。アタシは無理強いはしない主義なんだから」 「あれが軽いスキンシップやったら、法律を書き換えんとあきませんで!」 「キャロルちゃん、今日はずいぶん絡んでくるわねぇ」  ローレンスはわざとらしくため息をついた。 「機嫌悪いの?」 「生理です」 「ヤだもう! キャロルちゃん、それセクハラよぅ!」  なぜか嬉しそうに、ローレンスは頬に手をあててイヤンイヤンと身をくねらせた。とても気持ち悪かった。  慣れている者ならではの反応速度で、全員が素早く目を逸らした。 「だ、大丈夫なんですかキャロルさん? 身体の調子が悪いのでしたら休んでいただいても――」 「冗談に決まってるやろ、アホ。真に受けるな!」  エイビスに本気で心配されて、キャロルが軽く赤面する。  防衛隊長、エイビス・フォーリーフ。いつも笑っているような細い目をした、見るからに好青年といった風情の若者である。  無駄にノリが良い幻豚騎士団の中では珍しく生真面目な性格をしており、その分、少し冗談が通じにくいところがあった。  ――と、騒いでいる面々の頭上から、遠雷のような声が響き渡る。 「か、かかか、かかかかかか――」ハッと全員が注目する中、「かか顔は、せ、戦争に、関係、ないんだな」  三メートルの高みからそう言ったのは、副団長のグスタボ・デュロックだった。  大きい。とにかく大きい。  立てば身長四メートルにはなるだろう。上背ばかりでなく幅も厚みも規格外の、人間離れした巨漢である。  むろん巨体は見かけ倒しではなく、大陸中に「黄金の巨豚」の異名をとどろかせる騎士団随一の猛者だ。  皆が平服でいる中、一人よろい兜で身をかためているのは、モンスターと間違われないよう常にその姿で過ごしているからだった。 「豚頭の兜」をかぶっていることで、早とちりされる前に「黄金の巨豚」の名を思い出してもらえ、街でいきなり冒険者に教われることも なくなったという。  もっとも、さすがに今は、あだ名の元になった黄金のよろいとは別の、より軽装で地味なものを身につけていたが。 「ええこと言うた! いま副長がええこと言うたで!!」  グスタボの腹を平手でバンバンと打ちながら、キャロルが叫んだ。  キャロルとて、二本のメイスを軽々と振るえるほどの膂力の持ち主である。普通の人間なら吹き飛んでいるところだが、 さすがグスタボは小揺るぎもしない。 「聞きましたか大将? 副長かて、騎士はツラより腕やて言うてますで!」  口が重く、普段ほとんど喋らない分、グスタボの発言は皆から尊重されている。  ローレンスは不満そうに「むー」と唇をとがらせるがまったく可愛くない。 「一緒に戦場へ行くんやから、やっぱり安心して背中を任せられるヤツやないとアカン。ここにいる皆かてそうや。 男前やないけど、頼れるヤツらばっかりやないですか! なぁ!?」  と、周囲に同意を求めたが、間接的に「おまえら全員ブサイク」と言われた男連中は複雑な表情だった。  すごい良いことを言ったつもりのキャロルは、思いがけない微妙な反応に「あら?」と一瞬戸惑いを見せるが、 「そういうことです。はい次の議題!」  なにごともなかったかのように強引に締めた。 「今日のキャロルちゃんは、本当いつにも増してキツいわねぇ」  ため息をついたローレンスは、ふとなにかを思いついたように人の悪い笑みを浮かべると、指をスカっと鳴らした。 「そうか、わかったわよ! ……キャロルちゃん、また太ったでしょう?」 「なっ、ななな、なに言うとるんですか大将!」 「図星? ふーん、それで八つ当たりしてたんだ。イヤねぇ」 「ち、違います! だいたい今は、ウチがそんな、ど、どうしたとか、関係ないやないですか!」  思いきり動揺するキャロルを無視して、ローレンスは続けた。 「もぅ、バカ喰いするから悪いのよ? 美しさを保つためには普段から努力しないと。そう――」と、言葉を切るなり上着の前をはだけ、 「このアタシのように!」  ポーズを決めた。すごく気持ち悪かった。  うっかり直視してしまわないよう、キャロルを除く全員が慎重に目を逸らした。 「い、いくら大将でも聞き捨てなりませんで! しかも『また』とはなんです『また』とは。うちは常にベスト体重をキープしてますっ」  なにもそこまでというぐらいの勢いで抗弁する。 「じゃあ二の腕さわらせてみなさいよ」 「にのっ!?」 「そうよぅ。太ったのか太ってないのか、二の腕揉んでたしかめてあげるわん」  指をわきわきと動かしながらキャロルに迫るローレンス。 「きっとぷにぷによぉ」 「ちょっ、大将セクハラですよ!」  じゃれあう二人の姿に、周囲から明るい笑い声があがる。  実にのどかな光景だった。 「にのうでぷーにぷに、にのうでぷーにぷに」 「な、なんなんですかその歌はっ!?」  女の尊厳がかかった一名をのぞいては。 * * *  軍人のような人種にはよくあることだが、彼らもまた、引き締めるべきときには厳しく引き締める分、緩むときには とことん緩む性質を持っていた。  幻豚騎士団の仕事は、なかなかに過酷である。  実際、この場に集まっているのは騎士団幹部の半数ほど。残る半数は今この瞬間もさまざまな任務についている。  普通、騎士団といえば戦場の花形。有事に備えて、平時はどっしり構えているものだ。  しかし幻豚騎士団は違う。  平時から何でもやる。というか何でもやらされる。  給金が良いことで知られる騎士団なだけに、「高い金払って雇っている兵隊を遊ばせておいてはもったいない」という、 いかにもボレリア人らしい意識も働いているのだろう。  災害救助や祭の警備はまだしも、街を歩けば夫婦喧嘩の仲裁に呼ばれ、迷子を押し付けられ、行方不明のペット探しを手伝わせられる。 何でも屋扱いだった。  さすがにそれは極端な例としても、たとえば幻豚騎士団の主要な任務に街道の警備がある。  たいていの国では専門の街道警備隊を組織して任にあてており、本来ならば最精鋭の騎士団がやるような仕事ではない。  もっとも、商業で栄えるボレリアでは、物流の動脈たる街道の安全確保は決して疎かにできない大事であり、これに関しては、 暇つぶしにどうでもいいような仕事をさせられているたわけでもなかったのだが。  そんな騎士たちの働きと、国土が狭い分端々まで目が行き届きやすいせいもあって、ボレリアは治安がすこぶる良かった。  隊商を襲う山賊などはまずあらわれず、街道や宿場もよく整備されていたため、旅の者はボレリアの領内に入ると「これで一安心」と 安堵の息をもらすという。  ごく稀にあらわれる山賊や盗賊団には、すぐさま幻豚騎士団が差し向けられる。  他国にも精強さを知られる騎士団が、手加減も出し惜しみもなくあたるのだから、山賊程度に太刀打ちできるはずがない。見せしめを 兼ねて、たちまち皆殺しにされるのが常だった。  また、幻豚騎士団は国外へ出ることも多かい。  大陸の東方では、どの国も領有権を主張しない貧しい荒れ地を、代々そこに根付いた小豪族が治めているという例が少なくない。  それら豪族同士の争いを調停したり、あるいは、小豪族では手に負えない盗賊団やモンスターの群れの討伐に協力するため、幻豚騎士団が 派遣されるのだ。  利に聡いボレリアだけに、そのときの「貸し」は、いずれ何らかの形で取り立てることになるのだが、助けられた側は当然感謝する。  大陸一般では「がめつい」「ケチ」「なれなれしい」「下品」とあまり良いイメージでは語られないボレリアだったが、東方ではそれなりの 信望を得ていた。  幻豚騎士団の強さ、特に名高い組織力は、こうした頻繁な出撃を繰り返すことで培われているのだった。 * * * 「ぷーにぷに! ぷーにぷに!」  調子に乗った何人かから沸き起こるぷにぷにコール。 「往生際が悪いわよ。太ってないんだったら揉ませてくれてもいいじゃない」 「こ、この! ええ加減にせんと本気で怒りますよっ」  ぐるぐると追いかけっこをする二人。  それを指差して笑っていた周囲の者たちだったが、やがて一人、二人と中庭の出入り口の方を見ながら真顔になってゆく。 「……ん?」  笑い声もぷにぷにコールも消えたことに気づいたローレンスとキャロルが、皆の視線をたどると、そこには奇妙な光景があった。  よろい兜で身を固めた、通常勤務中であろう幻豚騎士たちが五人、横一列になってローレンスたちのいる場所へ近づいてきているのである。  それだけならばおかしくはないのだが、どういうわけか、全員がへっぴり腰の後ろ歩きで、幹部たちに背を向けていた。 「……お待ち……どうか……」 「せめて……取り次ぎ……」  騎士たちの狼狽した声が途切れ途切れに聞こえてくる。  どうやら、壁をつくって何者かの前進を止めようとしているものの、止めきれず押されるままになっているらしい。  完全武装の騎士五人を怯ませるとは、いったい何事か?  くつろいでいた幹部たちは、腰を浮かせ、緊張した面持ちで様子を伺った。  と、よろいの壁を割るようにして、隠れていた人物が姿を見せる。  その瞬間、幹部たちは一斉に居住まいを正した。  あらわれたのは小さな人影、子豚を抱いた少女の姿。そう、ボレリアに住む者であれば見間違えるわけがない。  少女はボレリアの王女。そしてその胸に抱かれた王冠をかぶった子豚こそ、ボレリア国王、ピーギュスト=ブイトーニ=ボレリアだったのである。  百戦錬磨の騎士団幹部たちの間に、おさえきれない動揺が走る。  常に飄々とした態度を崩さないローレンスまでもが、表情を強張らせた。 * * *  思いがけぬ場所、思いがけぬタイミングで主君を迎えたとき、臣下たちが戸惑い緊張するのは当たり前だ。  だが、幻豚騎士団の面々が見せた反応には、それだけでは説明できない奇妙なぎこちなさがあった。  それが何であるかを知るには、まずボレリアという国の、そしてボレリア王家の成り立ちを説明しなければならないだろう。 * * *  通商と金融で繁栄するボレリアは、およそ百年ほど前にできた、比較的歴史の浅い国である。  一般には知られていないことだが、その建国には、「国際経済研究会」と呼ばれる組織が大きく尽力していた。  この組織、名前だけを聞くとお堅い学術団体のようだが、実態はまったく違う。  それは、各々が小国の国家予算をもしのぐほどの財力を持った一握りの大商人たちによって構成される、秘密の協定会議だった。  会員制の超高級な商人ギルドとでも言えばわかりやすいだろうか。物や金の流れをコントロールすることで、大陸の経済にある程度の安定を もたらしているという正の側面もあったが、あくまでも行動原理の第一は利益追求。  決して社会の表舞台に立つことはないが、莫大な富をさらに増やすため、有形無形の影響力を行使し、ときには紛争や国家間の戦争さえ 誘発することもあるという。  事情通のあいだでは、大陸で何かの事変が起こったとき、皇国や魔同盟の次ぐらいに「黒幕候補」として名前を挙げられる存在だった。  そんな彼らが当事、次第に拓けてきて「旨み」が出てきた大陸東方での活動拠点とすべく、たまたま目をつけた一帯を治めてた小豪族を 王に担いで作りあげたのが、ボレリアという国なのである。  一世紀にわたって君臨してきた王家は国民から慕われ、敬われてはいたが、実権は何も持たない傀儡で、昔も今も、ボレリアの真の支配者は 「国際経済研究会」だった。  そのような裏事情があったので、幻豚騎士団もまた、単純に「国家と国王に忠誠を誓う騎士団」ではあり得なかった。  まずボレリアでは、軍人の社会的地位があまり高くない。  騎士団が議会や貴族と並ぶ権力の一角を占める東国は特殊な例として、たいていの国では、上級騎士は貴族に準じる扱いを受け、騎士団長とも なれば政府の重鎮として国家運営に関わることさえあったが、ボレリアでは軍人はあくまで軍人であり、政治に関わることは許されていない。  騎士団長からして、現職のローレンスがそうであるように、武官ではなく文官が務めるのが慣例という特殊な体制をとっている。  団長の権限も、騎士団の実務的運営に限定されており、それ以前の段階での基本方針は宮廷――実際には、その裏にいる「国際経済研究会」が 決定していた。 (ただしローレンス・バークシャーは、性格や嗜好に問題はあれど、騎士団長という「閑職」に就く者としてはかつてないほどの政治巧者であり、 独自の人脈を通して騎士団の基本方針の決定にもある程度は介入可能であるという点は特に記しておく)  団における武官の最上位は副団長だが、現職のグスタボ・デュロックは、武勇の点では文句はないものの、指揮能力等を考えあわせれば 器ではなく、やはりこれもお飾りのようなもの。  幻豚騎士団の強さを支えるのは、キャロルやエイビスのような大隊長と、古参の叩き上げである優秀な下士官たち、そして入れ替わりは 激しいが即戦力となる傭兵たちだった。  しかし、宮廷内での序列で言えば、団長、副団長はまだしも、大隊長などは任務でもなければ貴族と直接口をきくことも許されないような ランクである。  キャロルが仲間内でよくいう「ヨソの国の方が扱いええよな」といった軽口にも、いくぶんかは本気の怨み節が混じっていたことだろう。  実際、幻豚騎士団の大隊長といえば、どこの国でも一目置かれる存在だ。  外交官のお供で他国の宮廷に出向いたときにも、それなりに名の知れた騎士卿や貴族が、外交官ではなくキャロルやエイビスと話すために わざわざ時間を割いたりする。  特にキャロルは、幻豚騎士団では数少ない女性幹部ということもあってか、ウィザークのシャルティ王女や、ロンドニアのゼノビア王女から 話しかけれたことさえあった。  自国の貴族とは直に会話もできないのに、国外に出れば、歴史でも格式でもボレリア王家とは段違いの大国の王女が親しく声をかけてくれるのだ。 キャロルでなくともぼやきたくなるだろう。  そもそも「商人の国」ボレリアで、わざわざ軍隊に入ろうなどというのは、読み書き算盤ができないほどの馬鹿か、絶望的に商才がないか、 さもなければよほどの変わり者だというのが一般的な認識であり、出世したところで大隊長になれれば良い方だというのだから、軍に志願する ボレリア人が少ないのも当然である。  キャロルのような生粋のボレリア人に、グスタボのような、もとは外国人だったのが永年の軍隊勤めと功績が評価され市民権を得たものを 加えても、騎士団内におけるボレリア人が占める割合は五割に満たなかった。  残る半数強は傭兵で、腕は確かでも愛国心などははなから期待できない連中だったが、「国際経済研究会」にすれば、給金分だけしっかり 働いてくれれば、愛国心など別になくてもかまわない、むしろない方が都合がよかったのである。  ボレリア王家と幻豚騎士団は、近いようで非常に遠い関係――さらに言えば「近づいてはいけない関係」だった。  騎士団の真の主は、王でも国でもなく「国際経済研究会」なのだ。  一般の騎士や傭兵は「国際経済研究会」の名前すら知らないのが普通だったが、幹部クラスともなれば、裏の事情にもある程度は通じるように なってくる。  彼らにとってもボレリア王家にとっても、大商人に影から国を牛耳られているのは、決して面白いことではない。  しかし、一定の権威をもつ王家と、実際的な武力である騎士団が結びつくことは、「国際経済研究会」がもっとも警戒することである。  騎士団の幹部たちにとって、王家に近づきすぎたり、過剰に同情的な姿勢を見せれば、よくて更迭、悪ければ命に関わるというのは、いくつかの 実例を目の当たりにしてきた上での暗黙の常識だった。  王家とて「国際経済研究会」に逆らえないのは同じだ。  なにしろ、現国王のピーギュスト=ブイトーニ=ボレリアが子豚なのである。  もちろん豚を即位させたわけではない。元は普通の人間――それも、代々凡人が多いボレリア王家では珍しい、気骨をもった、英明と言えるほどの 人物だったのだ。  それだけに、傀儡でありつづけることに我慢が出来なかっただろう。近臣に「大商人たちの支配を脱し、ボレリアを王家によって統治される正しい 国へとつくりかえるべきだ」ともらすことも多かったという。  そんな国王が、ある日いきなり「呪い」によって子豚の姿に変えられたのだ。  事情を知らない市民たちは面白がって喜んでいたが、宮廷や騎士団の上層部には戦慄が走った。国王の言動を危険視した「国際経済研究会」が 刺客を放ったのだろうと噂され、それを裏付けるように、呪いを解くための努力はほとんどなされなかった。  誰だって、殺されたり子豚に変えられたりはしたくない。  かくしてボレリア王家と幻豚騎士団は、お互いの安全のため、公の場以外では慎重に距離を置いてきたのだが……。 * * * 「どうかそのままで。楽にしてください」  帽子の広いつばがつくる陰の中から、王女は優しく言った。  もちろん楽になどできるはずはなかった。  幹部たちは片膝をつき頭を垂れ、唯一、爵位をもつ廷臣でもある団長のローレンスだけが立礼で王女を迎える。  国王と王女が、公式行事でもなく、また事前に先触れを出すことさえせずに騎士団本部を訪れるなど前代未聞だ。  他の国とはわけが違う。大商人たちの疑念を招かないため軽率な行動は慎む、という不文律を、一方的に破る行動である。 「陛下、殿下。このたびは玉体をお運びいただき、騎士団を代表しまして――」  それでも、臣下として礼を尽くさぬわけにはいかなかった。オネェ言葉を控えたローレンスが挨拶を述べようとするが、 「堅苦しい挨拶は不要です、バークシャー卿」 「はっ、しかしながら……」  挨拶を遮られ戸惑うローレンスに構わず、王女は言葉をつづけた。 「まずは陛下よりお言葉があります」 「ははっ!」  その毅然とした態度に、ローレンスは深々と頭を下げた。  全員が、微動だにせず国王の言葉を待つ。 「…………」 「…………」  国王の言葉はなかなかはじまらなかった。  王女は腕の中の国王――子豚へと視線を落とした。  思いっきり眠りこけていた。  あわてて揺すってみる。ビクッとなって目を覚ましかけたが、すぐまた寝てしまった。  王女は周囲に目をやった。  正面にはローレンス以下の幹部たち。背後には王女を押し留めようとしていた五人の騎士たち。  国王が何も言わないことを不審に思っているだろうが、あえて顔をあげるような無作法ものはいなかった。  それを確認すると、王女は自身の豊満な胸に子豚の顔を埋め、その尻を力いっぱいつねりあげた。 「――!?」  あまりの激痛に一瞬で目を覚ます国王。あげた悲鳴は、王女の胸で完全におさえられる。  寝起きでなにが起こったのか理解できず、半ばパニック状態で視線をさまよわせた国王は、己を冷たく見下ろす 王女と目が合った瞬間、ツヤのあるピンク色の身体から血の気を引かせた。 「ぶ、ぶぃぶぃ! ぶぃぶぃ〜、ぶぃ、ぶぃぶぃぶぃ〜!!」  何かに追い立てられるように叫び声をあげる。  それを受け、王女は軽く頷いてから口を開いた。 「我が忠勇なる騎士たちよ、出迎え大儀である。  突然の訪問、さぞ驚かせたであろうが、なに、視察というほど大層なものではない。  陽気に誘われ娘ともども散歩に出たついでに、ふと思い立って様子を見に来ただけのことよ。  邪魔をするつもりはないゆえ、我にかまわずいつも通り仕事を続けてくれい。  ――と、陛下は言っておられます」 (本当かよ)  皆が内心でそう思ったが、さすがに王女の「通訳」に実際の突っ込みをいれられる者はいなかった。 「そのようなわけですから、どうかこちらには構わずに」  王女はにこやかに言ったが、「二の腕ぷにぷに」や「騎士団に男前を入れるか否か」などという話を国王の前で再開するのも はばかられる。  どうしようかと幹部たちが目を見交わす中、「それでは……」と立ち上がったのはエイビス・フォーリーフだった。 「ちょうど途中でしたし、もう一度読み返しますね。『どうして幻豚騎士団には格好いい男の人が――』」 「アホかっ!」  体当たりの突っ込みでエイビスを吹き飛ばすキャロル。  真面目な性格のエイビスは、王女の言葉を素直に受け取り、進行役を務める責任もあってバカ正直に会議を再開しようとしたのだが、 空気を読めないにも程があった。  いぶかしげな表情の王女に「おほほほ」と愛想笑いを向け、キャロルはエイビスから奪った投書の束を慌しく捲る。 「えーと……『南の国境付近に住む親戚から聞いた話なのですが、最近よくモンスターが出没するそうです――』」 (グッジョブ!)  あたりさわりのない投書を選んだキャロルに、ローレンスや他の幹部たちは、王女から見えない角度でグッと親指を立ててみせた。  エイビスは吹き飛んだまま伸びていた。 * * *  緊張をはらみつつも、だらだらとした時間が流れていた。  つまらない内容の投書がつまらなそうに読みあげられ、どうでもいいような返事がぽつりぽつりと返される。  その様子を少し離れた場所から、なにが面白いのか、王女がニコニコと機嫌良さそうに見守っている。  一分が一時間に感じられるような拷問じみた状態で、伸びたままのエイビスを誰もがうらやましく思った。 (皇国でも攻めてけぇへんかなぁ)  不謹慎にもそう考えた瞬間、甲高いラッパの音が鳴り響いたものだから、キャロルは思わず変な声をあげそうになった。  だらけた空気が一瞬で引き締まる。ラッパは時報や食事の合図にも使われているが、内容によって曲が違う。今流れている曲が 告げるのは「総員呼集」――非常事態だった。 「……あれ?」  ラッパの音で目が覚めたのか、倒れていたエイビスも頭をさすりながら起き上がった。 「なにごとや!」  息を切らせて駆け寄ってきた伝令に、キャロルが怒鳴るように問いかける。 「はっ!」敬礼したあと、伝令はちらりと王女に目をやったが、重要な任務中には礼儀は省略されるもの。すぐに「金貨偽造団のアジトが 見つかったと、探索にあたっていた第十七特務小隊より連絡がありました!」とつづけた。  幹部たちのあいだに「おう」というざわめきがおこった。  幻豚神の肖像が掘り込まれたボレリアのコインは、大陸でも信用の高い通貨の一つだ。  特に、もっとも一般的な皇国金貨とでも1:1.1前後のレートで交換されるボレリア金貨(皇国金貨11枚=ボレリア金貨10枚)は、カーメンの 大金貨が一般にはほとんど流通していないことを考えると、実質的な最高額貨幣と言えた。  それだけに偽造されることも多かったのだが、言うまでもなく、貨幣の偽造は国家に対する悪質かつ重大な犯罪である。  特に商業国であるボレリアでは、贋金で通貨の信用が落ちることは、規模によっては国の存亡にも関わりかねない重大事だ。  最近になって、かつてなく精巧な偽ボレリア金貨が出回っていることがわかり、非常な懸案事項となっていたのである。 「何でも屋」の幻豚騎士団は、警察的な仕事も受け持っていたため、多くの人手を割いて最優先で金貨偽造団を追っていたのだが、ついにその アジトがつきとめられたのだという。 「陛下、殿下――」 「挨拶は不要と言いましたよ、バークシャー卿。任務が第一です。どうかこちらのことは構わずに」  向き直ったローレンスを手で制し、王女は真剣な表情で言った。 「はっ! 失礼いたします」  一斉に敬礼して、幹部たちが走り去る。  早くも、本部全体が慌しい空気に包まれはじめていた。 * * * 「ウチが先行する! 三中隊でええから急いで突撃隊を編成せい!」 「キャロルちゃん、先行はいいけどちゃんと後詰を待ってよ。一人も逃がすわけにはいかないんだから」 「後詰は防衛隊に任せて下さい。蟻の子一匹漏らしませんよ」 「お、お、おでは――」 「アンタは留守番。今回は打撃力よりスピードと堅実さが重要なんだから」 「贋金作りどもが、生まれてきたことを後悔するような目にあわせたる!」 「もぅ、勢い余って皆殺しにしちゃダメよ? 何人かは生け捕りにしないと」 「あとで公開処刑ですか? そういうのはあんまり好きじゃないんですけどねぇ……」  移動しながら作戦をまとめる幹部たちに、何人もの伝令が駆け寄り、また去って行く。  騎士たちの目は、戦いの予感にギラギラと輝いていた。 * * * 「……残念でしたわね、お父さま」  中庭に残された王女は、父王の背中を撫でながら小さくつぶやいた。 「今日はこれまで。でも次は……」  垂れ落ちた前髪の隙間からのぞく王女の目もまた、底の見えない深い輝きを放っていた――。   (了) * * * ・登場人物 ■ピーギュスト = ブイトーニ = ボレリア 45歳 男■ 金満国家ボレリアの王。聖豚神の姿をあしらった王冠をかぶっている。 呪いにより、豚の姿に変えられた。 中年であるのに、何故か容姿は子豚。 何故か周囲はそれを受け入れ、 いつのまにやら国のマスコットキャラと化し、誰も呪いを解く気がない。 人語が喋れず、ただ「ぶぃぶぃ」と鳴いている。 だから愛称は『ぶぃちゃん』 人前に現れる時は、王女(娘)の胸に抱かれて登場する。 「みんなー!ぶぃちゃんからのありがたいお言葉だよー!」 「ぶぃぶぃ〜」 『おおおおおおおーーっ!ぶぃちゃん!ぶぃちゃん!』 人魔大戦時、ぶぃちゃんを守る為に多くの国民が立ち上がり、 国を守り通したという。 ■ローレンス・バークシャー■ 豊穣の聖豚神をあがめるボレリア国、「幻豚(げんとん)騎士団」の騎士団長。 真性のゲイ。 お洒落口髭にオールバックの美中年。下まつげバリバリの垂れ目。 オネェ言葉で話し、動作は妙にクネクネしている。鎧は身につけず、戦場でも派手めの平服姿。 戦闘能力は「村人A」レベルでものすごく弱い。 「剣だの槍だの極めたところで所詮は個人の技。兵卒の芸じゃない。将には将の芸があるのよ」 とうそぶくが、指揮能力や軍略の才も皆無。 指揮官としては、信頼する部下に好きにやらせ、失敗したときの責任は自分がとるというタイプ。 ただ、根回しや裏取引などの政治的寝技に関しては達人レベルであるため、本当に責任を問われる ような事態は巧みに回避してきている。 ボレリア人には珍しく金銭に無頓着で、たまに張り切って仕事をすると騎士団の兵站を無茶苦茶に したりする。昼行灯を装った切れ者、と思わせて実はやっぱり役立たずという人物。 ただ、部下の功名手柄は決して見逃さず、公平かつ手厚く酬いるため、意外と信望は厚い。 ■グスタボ・デュロック 男■ 豊穣の聖豚神を信奉する金満国家「ボレリア」が誇る精鋭、「幻豚騎士団」の副団長。 「黄金の巨豚」とあだ名され、大陸中に勇名をとどろかせる猛者。 身長はおよそ四メートル。 ほとんど球形の胴体。短く寸詰まりの脚。付け根が細く、先へゆくにしたがって肥大化した腕。 頭は常人と同じサイズなため、身体と比べて極端に小さく見える。 騎士団の制式装備である、丸みを帯びた全身鎧を着用。ただし色は黄金。 豚の頭をかたどった兜。鼻の穴がのぞき穴になった豚鼻バイザー。ぶ厚いタラコ唇。 城門をもやすたすと破る巨大なウォーハンマーが武器。 一応、純粋な人類。 頭の回転は鈍いが、心優しく仲間思い。小動物によくなつかれる。一人称は「おで」 ■キャロル・ランドレース 19歳 女■ 豊穣の聖豚神をあがめるボレリア国、「幻豚(げんとん)騎士団」の突撃隊長。 騎士団の制式装備である、丸みを帯びた全身鎧を着用。豚の頭をかたどった兜は、 鼻の穴がのぞき穴になった豚鼻バイザー。 武器は巨大な「頭」をもった二本のメイス。 兜の下は、童顔で大きな丸めがねの女の子。突撃隊長の割には計算高い性格で、なぜか関西弁。 大陸中東部に位置するボレリアは、現世利益を重視する聖豚神の教えの元、 国土は小さいながらも金融と通商で栄える強国。 幻豚騎士団も、大陸におけるボレリアの権益を守るのための武力、という面が強い。 ユーモラスな姿の幻豚騎士たちだが、彼らを侮るものはいない。 他国の多くが、下級兵士を庶民の軍役に頼っているのに対し、幻豚騎士団は下っぱにいたるまでが 職業軍人の常備軍。 「兵卒でも十年勤めれば田舎に酒場がもてる」という待遇の良さで入団希望者はひきもきらず、 その規模と錬度は「東方三大騎士団」のひとつに数えられるほどである。 ■エイビス フォーリーフ■ 豊穣の聖豚神を信仰するボレリア国、「幻豚騎士団」の防衛隊長。 神官戦士であり、回復・サポート役から壁役までこなせる便利な男。 その分いろいろなところでこき使われている可哀想な男でもあるが、本人は気にして無いようだ。 いつもニコニコしている糸目の青年。真面目で一途でバカ正直で良い人。 ローブの上から肩と関節部に部分鎧を身につけ、豚の顔をかたどった兜を被っている。 手にはモーニングスターとバックラーを装備。 突撃隊長のキャロル・ランドレースに心酔しており、よく「彼女こそ聖豚神の化身である」と褒め称えているが キャロル本人はそう言われるたびにブチ切れている。