〜いつかどこかでの決意〜 その墓は、見晴らしの良い丘の上にあった。深い森や彩ある花畑を眼下に臨む小高い草原。 その墓は、質素だった。只の土饅頭。土を盛っただけのそれは、或いは墓とも言えない。この下には誰の骸も眠っていないのだから。 その墓は、魔王の墓。と言ったとして、信じるものは誰もいないだろう。しかしそれは、紛れもなく狂王の墓。そしてその従者達の墓。 骸はそこに無い。だがそれは紛れも無く真の墓だった。絆の中、唯一の生き残りが作った、忘れられぬ過去の道標。 「どれだけの時間が、経ったんでしょうね」 今、一人の女が墓の前に立っている。太古の魔神。人と共に歩むが為に自らを脆弱な種族へと変えた、魂の欠片。 「とうとう、あたし一人になっちゃいました」 魔人ブルズアイ――そう呼ばれていた彼女は独りで言葉を紡いでいく。そこにいない誰かに、語りかけるように。 エルダーデーモンとなった彼女の姿は同種と同じ様に神々しく、しかし額には他の者には無い、巨大な紅玉が埋まっていた。 それは紅き瞳。視界全てより命と魂を奪い取る、略奪の魔眼だ。同種より力に劣る彼女だが、この魔眼は他者からの簒奪によりその虚を埋めてしまう。 「どーです、凄いでしょう。アドちんもレオラも皆馬鹿にしてましたけどねー。今やあたくし、正真正銘のエルダーですよ。  身体もほら、スーパーモデル体型ですよ。ハイロウもネコミミも装備しちゃって隙なんかありゃしません。ちょっと詰め込み過ぎかなーなんて思っちゃうぐらいです」 そう言って豊かな胸を張る彼女の瞳には、しかし涙が滲む。 「……でもね。  本当は、こんなの要らなかった。  あたしはそんなものより、貴方に、貴方達に、幼児体型を、未熟さを、阿呆なオツムをからかわれながら、ずっとその側にいたかったんですよ」 何で自分だけ置いて逝くのか。何で自分はこんなにも長命なのか。其が為にこそ力を振るいたい朋輩が皆逝ってしまうのと引き換えの強力なぞ、無為以外の何だと言うのか。 太古、魔神は人と共に歩む為に、自らをか弱き種としたのだという。 だとしたら。 自分達は間違いなく失敗作だ。いや、或いは彼女等の祖先は自らという種に凄まじく厳しかったという事なのかもしれない。 人に縋らねば生きていけない脆弱さと、万物より狙われる魂の欠片を溜め込んだ、機能不全の寄生生物。 何も出来ないくせに、主の、友の死を引き金に本来の強大へ立ち返るのなら、その共存は友愛などというものなどではなく、種を実験動物にしたもっと無機質な……。 「いけませんねー。今日は、愚痴らないって決めたのに」 くず折れそうになる膝を叱咤する。土饅頭に縋りそうな腕を圧し留める。泣き言を漏らした口を引き絞る。涙を零さぬ様に前を見る。 それはもう、幾度も繰り返した事だ。何日何夜、自ら慰みに建てた墓とも言えぬ墓に縋って泣き暮れ、泣き明かした事か。 「今日はねー、お別れを告げるんです」 此処を離れよう。前に進もう。世界を見よう。今、生きている自分が、やる事を見つけよう。 忘れる事など出来ない。友と生きた過去は常にここに在る。だが、それに沈むのではなく、その上に積み上げていこう。 そう、強がってみた。ようやく、強がれた。強がれる様になった。 その儀式として、自分の名前を名乗ろうと思った。本来の名前。彼らと共にあった名前は、此処に置いていこうと思う。 「ももブルも、魔人ブルズアイも、ここに置いて行きます」 それは渾名。称号。偽りの名。でも、本当の名前の何倍も何倍も大事な偽物。 彼らと共にあった自分の名。 「名乗っては行きません。本当の名前だけど、これはまだ、あたしのものじゃあないから」 いつか、本当に自分のものになって、胸を張って名乗れるようになったら――その時初めて名乗ろうと思う、ここにいる皆に向かって。 あたしの名前は――――です、と。 そうして、彼女は一人で飛び立って行く。 大空に翼広げ、金色に輝いて。 前を見て、胸を張って、自分が愛し憧れた朋友たちの様に生きようと。 ■終■