■ 亜人傭兵団奮闘記 その十 ■ 『ゲッコー市にて その七』 ■登場人物■ ・パーティー 「ファイ」  コボルド 男 … いい子 最年少 わぁい レンジャー 「ニコラ・トッポ・ビアンコ」  ラットマン 女 … 子供っぽい シーフ 今回出ない 「ジャック・ガントレット」  人間 男 … 団長 拳闘士 「ドッグ・リーガン」  コボルド 男 … 副長 盲目 剣士 「ゴルドス」  ミノタウロス 男 … 副長 無口 ガチムチ 重戦士 「リゲイ・ダイマス」  リザードマン 男 … お調子者 剣士 「白頭のカーター」  人間 男 … 手練れ おっさん 魔法剣士 「尾長のエピリッタ」  リザードマン 女 … しっかり者 怪力 重戦士 「アルヴァ『ロストフェイス』ミラー」  人間 男 … 唖 魔法使い 研究者 ・『敵』 「魔剣イェガンツラ」 魔剣類 女 … 蜘蛛型 魔眼を使用 ワイヤー状の髪を操る ----------------------------------------------------------------------------------------- 「うっわ!何あれ!」 背後から響いた金属を引き裂くような奇妙な叫び声にニコラが振り向くと 市庁舎の壁に巨大な銀色の蜘蛛(元秘書官だろうか?)がはりついていた。 巨大な蜘蛛といって、皆の頭に真っ先に浮かぶのは「フラッシュハウンド」であろう。 地蜘蛛の一種が魔素の力を受けて異常進化したこの生き物は2m近い巨体を持った 蜘蛛の魔物である。 その狩りの仕方は巣穴に身を隠し近くを通りかかった動物を襲う、というものだが それはその巨体ゆえに、獲物を追い掛け回せるようなスピードを出せないからである。 事実、不意打ちの初撃をかわせたおかげで助かったという者も何人もいる。 「蜘蛛糸の罠や不意打ちにさえ気をつければ、巨大蜘蛛は恐るるに足らない」というのが 大体の冒険者の認識である。(まぁ軽視しすぎて命を落とした者も枚挙に暇が無いが) しかし、背後で不気味に咆哮する銀色の蜘蛛はどうだろう? 異常進化による代償で、いかにも鈍重そうな姿になったフラッシュハウンドとは似ても似つかない 細く洗練されたフォルム。窓からもれるオレンジの光を反射する銀色の体。 一本一本が鋭い刃と化した四対の脚。不気味に蠢く鋼線の髪。鎧ですら軽々と突き通しそうな鋏角。 そして禍々しく光を発する魔眼。 どれ一つとっても、罠や不意打ちなどを必要としない、強力な死の匂いを感じることが出来る。 それも当然の事である。ニコラやファイは知る由も無いだろうが、銀色の蜘蛛イェガンツラは かの『剣であり、王である』魔剣王シュナイデンから直接命を与えられた数少ない魔剣類の一人(一振り?)なのだ。 魔剣王が魔剣類達に与えた新たな姿はどれも、一撃一撃が確実な死を敵に与えるように創造されている。 しかしニコラ達にとって唯一の──ごく些細な、ではあるが──幸運だったのは、イェガンツラが 戦闘に特化した魔剣類ではなかったということだ。 小国を一晩で滅ぼしただとか、いかなる手練れも一突きの内に斃すだとか、破壊的な力を持つ魔剣類は いくらでもいるが、彼らの相手はそうではない。敵を瞬時に魅了できる魔眼がイェガンツラの最大の武器なのである。 しかしそれを封じたとしても、並みの戦士に相手が務まるようなものではない。 ニコラ達との戦力差は絶望的である。 ほとんど丸腰のコボルドの少年と、忍び込む事が本職のラットマンの少女。 対するは額に深手を負っているとはいえ、恐ろしい武器を持つ剣の悪魔。 更に背後には正体は知れないものの、市長に化けた悪魔が控えている。 さて、二人の行動は? ファイとニコラは顔を見合わせる。 「えーっと…。」 「万が一にもアレに勝てると思う?なら踵を返してもいいけど。」 身の毛もよだつような二度目の咆哮が聞こえる。 「まぁ無理ですよね。」 「奇遇だね、ボクもそう思う。」 「…走りましょうか。」 「そうだね。」 顔を見合わせたまま頷くと、二人ともあらん限りの力で走り出す。 もう迷いは無い、というか元々迷っている暇など無い。 ひよっ子冒険者とシーフで、あんな得体の知れないバケモノを倒す事など できるわけがないのだ。 「ギリリィィィ ィ イ イ イ イ エ ェ ア ア ア  ア  ア  ! 」 「ひええええええええ!!!」 「いやあああああああ!!!」 キシキシという金属同士の擦れ合う音と 分厚い鉄板を無理やり引き裂いたような叫び声──そう形容するのが最も相応しいだろう── がどんどん間近に迫ってくる。 ファイは幼い時分に語り聞かせてもらった「勇者シナイの冒険」の一節を思い出した。 死んだ仲間達の魂を冥界から盗み出したシナイは、地獄の魔物たちに追いかけられる。 現世に戻る為に光の門を目指すシナイ。 後ろから響いてくるサキュバスたちの金切り声、鉄で出来た兵士達の軋み。 子供心に想像して眠れなかった恐ろしい光景に、いままさに自分が置かれているのだ。 物語ではシナイは見事光の門をくぐり、仲間達を取り戻すのだが… 残念ながらこれは現実だ。 逃げる二人を鋼の髪が襲う。 咄嗟に左右に跳んで避けた二人を、イェガンツラの刃の脚が掠める。 もしつまずきでもして、突進に巻き込まれていたらコボルドのぶつ切りが出来上がっていただろうと思うと ファイはぞっとした。 それほどまでに深く、鋭い足跡が地面に刻まれている。 イェガンツラはそのまま突進して前庭の門の上に飛び乗り、こちらを振り向く。 危うく眼を合わせそうになったファイをニコラは叱責する。 「バカ!いい?何があっても絶対あいつと目を合わせちゃダメだよ!」 銀色の蜘蛛は鋼の髪を塀に這わせながら、またおぞましい叫び声をあげた。 「決して逃がさない」という意思表示なのであろう。 その禍々しい姿はまるで地獄の門番のようだ。 「ずいぶんお冠みたいだ、まぁ額に大穴空けられたんだから当然か。」 「どうあがいても逃がしてはもらえないでしょうね…。地の果てまで追いかけてやる、って感じですよ。」 ニコラは腰にさしていた短剣を抜いた。 「望みは薄いけど、ボクはあの傷口を狙ってみるよ。随分頑丈そうな装甲してるし、他は狙っても  傷一つつけられないだろうから。」 「じゃあ僕は何とか撹乱してみます。…どれだけ持つかは解りませんけど。」 「あーあ、こんな大事になるなら素直にジャックさんの言う事聞いておけばよかったー!」 泣き出しそうな顔でニコラが言う。ファイは大きくため息をついた。 「だから言ったのに…。」 二人はイェガンツラと視線を合わせないように、敵全体をぼんやりと見つめている。 と、イェガンツラは後ろ二対の脚で体を支え、大きく体を起こした。 「何か仕掛けてきそうだ!」 イェガンツラの体の前側、丁度胸の辺りの装甲の継ぎ目がうねうねと動き出す。 その継ぎ目から白く光る二つの大きな眼がまなざしを開いた。 光はどんどん強くなる、まるで力を溜めているかのように。 ファイの背筋を言いようの無い悪寒が走りぬける。 「なにかヤバイです!避けて!」 二人が庭の両端に身を躍らせた瞬間 雷のような閃光が走り ──銀色の蜘蛛の視界に捕らわれたものは完全に石化した── イェガンツラを中心にした扇状の範囲に入っていたものは、彼女の胸の魔眼が発した光を浴び 真っ白な彫刻と成り果てた。 庭の草木も土も、市庁舎の窓ガラスもカーテンも、そして哀れにも視界に入ってしまった警備の皇国兵も。 平然としているのは二人と一匹を眺める市長だけであった。 「う…わ…。」 「ビビっちゃダメだよ!多分あれは『溜め』が無いと使えないんだ。タイミングさえ逃さなければ  充分避けられ…」 鋼の髪が二人を襲う。束ねられた髪は槍のような鋭さで二人がいた場所に穴を穿つ。 二人は自慢の足を使って逃げ回りつつ反撃のチャンスをうかがう。 しかし、いくら二人が俊敏であったとはいえ、鋼の髪が繰り出す絶え間ない連続攻撃と 石化の視線を避け続ける事は不可能な事だ。 少しづつ少しづつ二人の傷は増えてゆき、どんどん体力も消耗していく。 二人とも避け続ける事に精一杯で、逃げ出す事も攻撃に転じる事も出来ない。 その様は、魔王の饗宴で死ぬまで踊らされる哀れな獲物達のようだった。 それでも一瞬の隙を突こうと必死でタイミングをうかがう二人。 背後から襲ってきた髪をなんとか身をよじって避けたファイだったが しかし、そこで体勢を崩したのが運の尽きだった。 横っ飛びが間に合わず、膝から下を石化させられてしまったのだ。 「うああっ!」 「ファイ!」 悲鳴を上げるファイに気をとられた刹那に、ニコラは左肩を髪に貫かれ そのまま締め上げられた。 「ぐ…ううううっ。」 「ニコラさん!」 ファイの悲痛な叫びと、ニコラのうめき声を聞いて、イェガンツラは歓喜の叫びを上げる。 敵の体を刺し貫く実感が欲しかったのだろう、イェガンツラは空高く跳躍すると 刃の脚を動けぬファイに真っ直ぐに向けたまま急降下してきた。 「キィィィ ィ イ イ イ イ エ ェ ア ア ア  ア  ア  ! 」 迫り来る八つの切っ先。 絶望的な状況。 だがファイはまだ諦めていなかった。 こんな所で死んでたまるか! ほんの少しでも抵抗してやる! 正に最後の足掻き、ファイは腰につけていたポーチをイェガンツラに向かって投げつけた。 ポーチの蓋が開き、中から小さな瓶が飛び出した。 瓶が割れ、中の液体がイェガンツラの顔を覆う。 「ギイッ!!??」 それはジャックがサウリアで押し売りされた『魔物除け香』だった。 ファイはそれを分けてもらっていたのだ。 あのゲテモノ作りの天才である魔導士に感謝すべきか、強酸性のその液体はなんと 見開かれていたイェガンツラの金属の眼を焼いたのである。 「ヒッ…イギャアアアアア!!!!」 着地に失敗して昏倒するイェガンツラ。 残念ながらその真下にいたファイも無事ではすまなかった。 狙いがずれたイェガンツラの脚に腕と脇腹を貫かれてしまった。 だが、少なくとも一命は取り留めていた。 「ニコラ…さん…今……です…!」 仰向けに倒れたイェガンツラの頭側に、鋼の髪から解放されたニコラが立っていた。 左肩からどくどくと血を流し、骨を折られたのか左腕は力なく垂れ下がっている。 だが、最後の力を振り絞って右手の短剣だけは、しっかりと握り締めている。 「了……解…!」 さしたる抵抗も出来ないイェガンツラの顔に覆いかぶさるようにしてニコラが倒れ込む。 ずぶり、と低い音。 イェガンツラの脚は空を掻くかのようにもがき …そしてそのまま動かなくなった。 ごろりとニコラが横に転がる、もう指一本動かす力さえ残っていない。 露になったイェガンツラの顔は驚愕の表情のまま硬直していた。 もはや秘書官だったときの静かな微笑みはどこにも無い。 耳元まで裂けた口は限界まで開かれ、焼け爛れたままの魔眼はぼんやりと虚空を見つめている。 額には短剣が、根元まで深々と突き刺さっている。 額の傷口から銀色の液体があふれ…そして蒸発してゆく。 やがて体全体がぼろぼろと銀色の塊に崩れていき、やがてそれも風に吹かれて消えていった。 後に残ったのは八つの宝玉がはめ込まれた魔剣だった。 刃の根元にはニコラの短剣が突き刺さっている。 パキン、と音を立て、魔剣は真っ二つに折れた。 石化された庭や皇国兵が、氷が解けるようにして元の姿に戻っていく。 「勝った…んですかね…?」 仰向けのままファイが呟く。 「…うん。でも…結局…駄目みたいだ…よ…。」 気を失う寸前のニコラの目は、音も立てずに庭に着地した市長を捉えた。 「…くやしいなぁ…くやしいなぁ…!こんな…ところ…で…!」 傷口からの出血で大量の血を失っていたファイは、無念のうちに意識を失った。 ─続く。─