人魔大戦後SS             『私の夜はあなたの昼より美しい』  眠れない時は散歩をする。  ずっと昔からの習慣だ。  眠れないのは身体に悪いものが溜まっているからだ。  身体を動かせば悪いものが出て行く。そうすると眠れるようになる。  そう聞いたことがある。  誰から聞いたのか分からない。流砂の砂漠を旅してた時に出会った女か男か分からない 老人が言っていたのか、はたまた極北に迷い込んだ時に出会った少年が言っていたか。  よく覚えていないが、とにかく昔からやっている。  冒険者という職業柄、一箇所にとどまっていることも少ないため、この夜の散歩もなか なか飽きる事はない。  双子月を見上げながら夜の街を彷徨する。  街の作りを見ながら散歩をすると街に住んでいるのはどんな人かというのが分かる。街 診断とでもいうのであろうか。  治安が悪いと評判の街には大きな通りが少なく、路地や袋小路が多い。そしてそれはそ のまま貧民街となっていることがほとんどだ。住人のうち盗賊などを生業としている者も 多く、シーフギルドの支部が大体ある。  逆に治安が良い街では大通りが多く、家が整然と並んでいる。住人にも普通の――と いっても何をもって普通というのか分からないし、見た目だけで判断している訳だけれど も――者が多く、冒険者養成学校を出たまともな――ボンボンとも言う――冒険者が集っ ている。  これは私見と今までの経験に基づく物で根拠はない。  中には綺麗で大通りが多くてもヤバイやつらが沢山いる街だってある。  皇国の皇都なんかはそうだ。  あそこはいつも血なまぐさい。  人魔大戦以前の皇都は大戦初期に壊滅し、現在綺麗に作り直されている。比較的新しい 都市だというのに、すでに血の臭いが染み付いてしまっている。  だからこの診断方法にも例外はある。  皇都といえば、最近は殺人が多いらしい。  大戦以前に皇都を騒がせたリドル・フリークスの再来だと言われるほど人が死んでいる と、伝聞屋が言っていた。と仲間から聞いた。  リドル・フリークスは怪奇小説などの娯楽本が読まれるようになり、闇への恐れが大気 中に存在する魔素に影響し実体を得た魔物である。  たしか魔物生態事典の前版までは悪霊種に分類されていたが最新版では事象存在種に変 わっていたと思う。  あの魔物は魂を抜き取るという方法で人を恐怖に陥れ、さらにその恐怖を糧として更な る実体を得て、物理的に人を殺すようになった。  その殺害方法は残忍でおおよそ人には出来ない仕業だと当時の人々は語っていたらしい。 その後にもっと残忍なことをした人間が言うのも可笑しな話であるが。  人魔大戦の是非はおいておくとして――歴史学者で無い限りもう過ぎてしまったことを 穿り返してその是非を問うことほど愚かなことは無い――当時の殺害方法と現在の殺害方 法はそっくりらしい。  だが、リドル・フリークス自体は皇国暦二二六九年とある皇国関係者に討伐されている。  事象存在ならまた復活してもおかしくないものであるが、どうも現在皇都に結界を貼っ ている王魔研の所長は当時の所長に比べて優秀らしい。事象存在お断りな感じになってい るようだ。  事象の騎士が皇都に入ったら鎧がなくなってすっぽんぽんになった。という都市伝説も ある。  それと今回はリドル・フリークス特有の魂を抜き取るというケースは発生していないら しく、それもリドル・フリークスが犯人でないと思われている理由である。  まぁ、リドル・フリークスで無いのならば人か、魔物か、どちらにしろ常に実体を持つ 者の犯行だろう。  もしも討伐依頼があるのなら討伐するのも面白いかもしれない。  出現するのが夜というのも私たちのパーティーにぴったりである。  そこまで考えた時、後ろでがさりと物音がした。  咄嗟に腰元のナイフに手をかけ、後ろを振り向いて身構える。  愛用の武器は宿においてきた。  あんなもの夜中に持ち歩いてたら留置所にぶち込まれること確定だ。  まだ、ナイフは引き抜かない。  物陰に何かがいる。 「出て来い――」  低い、小さな声で呟く。  それでも、夜の街には響いた。 「なーん」  物陰から出てきたのは黒猫だった。 「なんだ、猫か……」  どこか私の仲間を髣髴とさせるその猫はそのままどこかに走り去ってしまった。  安心して私はナイフから手を離し、また歩き始めた。  歩いている内に集中した気が弛緩して、先ほどと同じように散漫に思考を展開し始めた。  血生臭い街は嫌いだ。  皇都は物理的に血生臭いがそういった所だけではない。  なんというか、街に入った時に感じる臭いがある。  仲間に聞いてもそれは分からないと答えるからきっと私に備わった危機察知能力の一部 なのかも知れない。  そういう感じがあった時は大抵私は嫌な事に巻き込まれる。  自慢ではないが私は死ぬほど運が悪い。  それは言葉通り『死ぬほど』である。  トラップに引っ掛かったり、野犬に食料を持っていかれたり、底無し沼に落ちたり。  その全てが致死量に足り得るもので、今日ここまで生きていられることが不思議だ。  現在はその不運もある程度なりを潜めているが、いつ再発するか分かったものではない。  仲間に危害を加えることがあれば、パーティーの解散――その場合一方的に私が抜ける だけだが――も考えなければならない。  とにかく、私としてはそれはあまり取りたくない行動である。だから、それは避けられ るのならどうにか避けるものであり、避けられないものとしても一人で解決できるのなら 一人で解決しなければならない。  つまり血生臭い街は私を孤独へと追いやる場所であり、避けるべきものであり、憎むも のであるのだ。  本来であればこの夜の散歩も止めたほうが無難であるのだが、こればっかりは止められ ない。煙草を吸う人が、それが自身に害を及ぼす物であっても禁煙できないのと同じよう に私はこの夜の散歩に魅入られてしまっている。  ――中毒患者だ。  毎度、ベッドから抜け出し、音を立てないように仲間のベッドの脇を通り抜け、宿を抜 け出す時にそう思う。  そしてその時に感じる背徳感を味わっているのもまた事実である。  宿から出て月以外明かりの灯っていない通りを見ると自分でも恐ろしくなるほどの開放 感を感じる。  静寂の中にいると頭がおかしくなるほど爽快な気分になる。  昼間散策した所と同じ場所を歩いた時、街が見知らぬ異界になっているような感じがし て絶頂を迎えたような快楽を得たことだってある。  それでいて私は闇が怖い。  袋小路も裏路地も散策する。  でも、必ず月光が見えていなくては無理だ。  闇は全てを侵食する。  派手な色でさえ、闇の中では黒になってしまう。  私は色を持っていない。  肌が白いとか、アルビノだとかそう言うことではない。  私は――無色なのだ。  何がどう間違ってこんな姿に生まれたのか分からない。以前、事象龍に色を奪われたと いう男性を見たことがあるが、それとも違う。私は生まれた時からそうだったのだ。  そして、色を持たない私は闇に取り込まれてしまう。  闇が私の身体を侵食し、私が私でなくなりかけるの何度も体験した。  そら、今だって私の身体を闇が狙っている。  私はどうしても知りたい。何故こんな姿で生まれたのかを。  だから私は冒険者になったのだ。 「……」  また、何かの気配。  どうせ、また猫だろうがナイフに手を掛け振り向いた。  物陰に何かがいた。石畳の上に影が落ちている。  明らかにそれは人の形をしていた。 「出て来い」 「……」  当たり前だが猫ではない。 「出ろって言ってるんだ」  ナイフを逆手に引き抜いて構える。 「キ、キキー……」  物陰から出てきたのは眼鏡をかけた猿だった。 「なんだ、猿か……」  ナイフを締まってその場を去ろうとすると、羽交い絞めにされた。 「ちょ、ちょっとぉ、酷いよリーニィちゃん」  その声は紛うことなく私の仲間の一人、ビスカ=テンリョウのものだった。 「んがっ、な、ビスカ!? 猿じゃ……」 「ひ、酷い……」  どっからどう見ても猿だった。  バナナ持ってるし。 「酷いのはいいのよ酷いのは。あんた何やってんの」 「何やってんのって……」  黄色い猿の服を着たビスカは下に目を落とした。 「だってー」 「だってじゃないの。危ないでしょうが」 「それを言うなら――リーニィさんにも言えることですけどね」  後ろで声がする。  先ほど、物陰にいた猫だ。 「ね、猫がしゃ、しゃべ、しゃべった……」  猫を差す指が震えているのが分かる。  こんなの長い冒険生活でみたことねーぞ。  猫人とかは見たことあるけど、やっぱり普通の猫が喋ってるのは見たこと無い。 「私ですよ」  猫がそう言うとぼふんという音と共にその猫はもう一人の仲間夢宮刀子になった。 「いつもリーニィさんが宿を抜け出してたのは知ってましたからね。なにしてるのかなー ってつけて来たんですよ。……ビスカさんの提案で」 「ふぇっ!? と、刀子ちゃんが……」 「あー、あー、聞こえませーん」  夜だから二人とも声を抑えて話しているが十分騒々しい。  騒々しいが、夜中の散歩とは違う楽しさがそこにはあった。 「ま、夜の散歩よ。癖よ癖。眠れない時はよくやるの」 「はー、なるほど」  口を開けっ放しにしてビスカが私を見る。 「で、眠れそうですか」 「うん、今日はいい感じに眠れそうだ」  笑ってそう言うと、ビスカも刀子も笑みを返してくれた。 「じゃ、帰りましょうか」 「うん、私もう眠くて倒れそうー……」  眠い目をこすりながらビスカが私の手をつないだ。 「こっちから帰った方が早いですよ」  刀子も私の手を握って引っ張る。  二人とも眠さで相当ふらふらしているというのに、私を追いかけてきてくれたのだろう。 「こっちですよ」  ぐいぐいと刀子が私を引っ張っていく。 「ふにゃー……、刀子ちゃん。こっち暗いよう」  ビスカの言う通り刀子が選ぶ道は少々暗い道ばかりだった。  早く帰れるのだろうが、月明かりの少ない道は怖かった。 「大丈夫ですって。ほら、ここ抜けたら宿ですから」  刀子はそう言って路地に入った。それに続いてビスカも路地に入る。  でも、私は入れなかった。 「……? リーニィさんどうしたんですか?」  刀子が動かない私を見て首を傾げる。  私はその路地には入れなかった。  その路地は―― 「真っ暗」  思わず呟いてしまった。  光が無い。  その路地は私の身体を狙っている。  怖い。怖い。怖い。怖い。 「大丈夫だよ。リーニィちゃん」  ビスカが路地から出て、私を抱きしめて頭を撫でる。  彼女の背が余りに高いので私の顔が胸に埋まった。 「ていっ」 「うひゃあっ」  いつの間にか刀子も路地から出てきており、私のわき腹をぎゅうと掴んだ。 「大丈夫ですよ」 「そうだよ。私たちがいるんだから怖くないよー」  そう言って二人はまた路地に入り、手を差し出す。 「皆で行けば――怖くないよ」  二人は異口同音にそう言った。  私は二人の手を取り、闇に入った。  不思議と、闇は侵食してこなかった。  ゆっくり少しずつ歩いて、私は路地を抜けた。  結局、なんともならなかった。 「それにしても意外ですね」 「ねー」 「な、何がよ」  にやにやしながら二人が私の顔を覗きこむ。  分かっている。  真っ暗が怖いのを知って笑っているのだ。 「だって、あんなに怖いもの知らずなリーニィちゃんが真っ暗が怖いなんてねー」 「そういえば寝る時いつも窓明けて寝てましたもんね」 「う……」 「う?」 「うるさーい!」  思わず大声で叫んでしまった。 「うるせぇぞバカ野郎!」  怒号と共に宿屋のおやじが顔を出した。  三人まとめて怒られたのは言うまでも無い。  まぁ、ビスカのあのお猿さんの格好が一番怒られていたのでよしとしよう。                 おわり