異世界SDロボ ベルフィットSS          - トリスタンと伊豆姫 -              中編    私とイズヒメの婚式は、盛大なものだった。   ミト家の城内は、クニミツに縁のある人物達で埋め尽くされた。   ミト家は将軍家に次ぐ権力者、御三家のうちの一家である。   つまり、国内のほぼ全ての有権者達が集まっている――広い城内が人で埋まるわけだ。    結婚式は午後から行われ、まずは城内の一室で、私とイズヒメ、そして女中のみで行われた。   昨晩の飲んだ酒による酔いは意外なほどになく(良い酒は悪酔いしないのである)、   朝はしゃっきりと目覚め、婚式に臨む事ができた。   あの、熱い風呂のお陰で酔いが覚めたのも一因と言える。   私は女中に、床の間と呼ばれる坪や掛け軸等で装飾のなされた部屋に案内されると、   向かって右側に直立するよう指示され、イズヒメの登場を待った。    暫く待つと、絹の摺りあう音と共に、部屋のフスマが開くと、女中に案内されたイズヒメが現れた。   白いヴェールのような布を頭からかぶり、その中の長い髪は頭に綺麗に纏められ、   少女のようであった顔は綺麗に化粧が施され、口元は薔薇のような朱色の紅が塗られており、   純白の着物を身に纏っていた。    美しい。   他に飾る言葉が思いつかない程に、私は見とれていた。   化粧が施されたイズヒメは、少女のような彼女の持つ雰囲気を残しながらも、大人びた雰囲気を持つ、   綺麗な女性であった。   伏せられた瞳、閉じられた口は、彼女の慎ましい性格を象徴しており、その可憐さが更に私の心を強く打った。   これ以上見てはならない、そう思い、私も目を伏せたが、彼女の姿が脳裏に焼きついて離れず、   私の鼓動の高鳴りは収まる気配を見せなかった。   私の隣に立ったイズヒメと互いに一礼を交わし、茶の間を背に、腰掛ける。   すると女中が私とイズヒメに杯をさしだし、二人は杯を手に取った。   女中がそれに酒を注ぐと、私達はそれを飲んだ。その酒は白く濁っており、昨夜飲んだバクフシュより甘かった。   舌から甘さと共に広がる酔いは、まるでこれから始まる二人の甘い時間の幕開けを示すかのようだった。    酒を飲み終えた後、婚式そのものは終わり、お披露目となった。   部屋から出て庭に出るとミト家の縁者達に囲まれ、祝いの言葉をかけられる。   わかってはいた事だが、私に対して良い感情を抱いている者は少なく、私に挨拶するものは少なかった。   殆どの者は、クニミツとその家臣、イズヒメにだけ祝いの言葉を述べた。   私に祝いの言葉を述べた者は、少々ぎこちなく、嫌いではないが、異国人をどう扱って良いかわからない、  といった風だった。   例えぎこちなくとも、クニミツの家臣、将軍イエミツ以外は皆、私を嫌っているだろう、と考えていた私にとっては、   言葉をかけてくれた彼らは好感を抱くに足る人々だった。    ...まぁ、私は憎まれても仕方のない存在だな、とイズヒメと出会ってから思っていた。   この国一美しい姫を見ず知らずの異国人が娶ってしまうのだ。   よもや自分が嫁に頂けるかも知れない、と期待した人物は多々いただろう。   憎しみの視線は私の幸福の代償であり、イズヒメの価値である、と私は自惚れに似た思いを以って彼らを見ていた。   なんとも青臭い話であるが、そう自惚れてしまうほど私はイズヒメを溺愛していたのだ。   私に祝いを述べた人物の中で一人だけ、気味の悪い人物がいた。 「伊豆姫を妻とする事ができるとは、全く幸せ者であるなぁ。しかし、その幸せがずっと続くとよいが...」   それは祝辞と言うより、何らかの、裏の感情のこもった声だった。   私がそう感じたのは、彼は私を睨みながら、薄笑いを浮かべていたからだ。   彼が私に抱いているのがイズヒメを私が娶った事に対する嫉妬であるのか、  異国人に対する恨みであるのかはわからない。   何にせよ、そういった感情を抱かれているであろう事は承知していたので、特に気にも留めなかった。   その人物は、キシュウ・ヨリサダ、と名乗った。   私は彼に、「ご安心下さい。私は必ずや永久に彼女の幸を守り通すでしょう」と答えた。   すると彼は、どうかな、と呟く様に言うと、私の前から立ち去った。   後にクニミツに聞いた所によると、キシュウ・ヨリサダはトクガワ御三家の一つ、キシュウ家の当主との事だった。   昔からイズヒメを妻に欲しがっており、よく貢ぎ物を持ってきていたそうだ。   彼は武芸に秀でており、頭脳も明晰ではあるものの、冷酷で野心的な所があるという。   クニミツはイズヒメを、出来るだけ優しい人物に嫁がせたいと考えていたらしく、  彼にだけは妻にやりたくなかった、と述べた。   そして、言葉の最後に、「お主が伊豆姫の夫となる男で、本当に嬉しい」と付け加えた。   私は、彼に認められている事がとても誇らしかった。   もう一人、私に祝いを述べた人物の中で、他の者と違い、心から祝いを述べてくれた者がいた。    将軍イエミツである。   「本日からそちと私は親子同然の関係であり、スリギィランドとバクフは夫婦同然の関係となる。  そちには、スリギィランドとバクフの関係がそうあり続けるように、尽力して頂きたい」   私は、イズヒメと私を巡り合わせてくれた彼に対し、多大なる感謝を以って頭を下げ、  「女王アゼイリア、そして将軍イエミツの御意思に添えるよう、必ずや、勤めを果たしてみせます」、と答えた。   彼は満足気な顔をしながらも、まだなににやら話したげにしながら、役目があるのか他の家臣の元へ歩いていった。    夕刻になり、お披露目も済み、来客が帰ってしまうと、城内は静かになった。   その後、私は昨晩寝た部屋とは別の部屋に案内された。   その部屋は至って普通の部屋で、ただ布団が敷かれ、枕元に灯篭が置かれているだけだった。   ただ、一つ違うのは、枕が二つ並べられている事だった。   それを見てようやく、初夜、という言葉を思い出した。   私は恥ずかしながら、というべきか、経験がない。   恐らく、イズヒメもそうだろう。   私は彼女を上手に抱く事ができるのだろうか?   あの幼い少女のような彼女を。   ...残念ながら、自信はあまりなかった。   私は服を脱ぎ、布団の横に用意された浴衣に着替え、イズヒメを布団の上に座り、待った。   暫くすると、絹の擦れる音が部屋に近づき、 「伊豆です...」  と声が聞こえた。   緊張していた所為か、なんと答えて良いかわからず、 「はい」  と返した。   すると、フスマがゆっくり開き、彼女が姿をあらわした。   昼間と違い、化粧を落とし、髪を降ろしている彼女は、やはり無垢な少女のようだった。   イズヒメはフスマを閉じると布団の手前で跪き、小指と薬指を折り曲げて床を突き、  体を縮こめるようにして頭を下げた。   そして、 「どうぞ、よろしくお願いします...」  と、呟くより小さく、耳を済ませてようやく聞こえる程度の声で言った。 「こちらこそ」   私はそう言って彼女がするように頭を下げた。   彼女は私の返答を受けるとぎこちない動きで布団に近づき、私の隣に座った。 「.........」 「.........」   沈黙が流れる。   私も彼女も、どうすれば良いかわからないのだ。   私はどのようにして彼女を抱けば良いか、と頭の中で思考をぐるぐると回しながら、一つの答えを導き出した。   急いて今、彼女と契る必要はない。   彼女を抱くという大業が自分にとっても重荷になっていたのか、そう自分に言い聞かせると、  自身の緊張は解けてしまった。   今夜は彼女を抱かない、と勝手に決めてしまったのはいいが、今日はここで彼女と二人で眠らなければならない事には  変わりはない。   このままでは、彼女は眠る事もできないだろう。   明日からスリギィランドへ向かう。体調を整えておかなければ、旅路は辛いだろう。   私の最初の夫としての勤めは、彼女の緊張をほぐす事だ。 「ちょっと聞いていいかな?」   私が声をかけると、彼女は体をびく、と震わせ、小さく悲鳴に似た声をあげた。   そして、驚いてしまった事に対してか、申し訳なさそうに頭を下げた。 「も、申し訳ありません...少し驚いてしまって...」 「気にしなくていい。それより、聞いていいかな?」 「はい...なんなりとお尋ねになってくださいまし」   私は、一つ、疑問を持ち続けていた事があった。 「君...イズヒメの名前についてなんだが。  部屋に入るとき、イズー、と言ったね。  君の名前は、イズヒメではなくて、イズーなのか?ヒメなのか?」   彼女は部屋に入る前に、自らをイズー、と名乗った。   姓がイズーでヒメが名だったのか、と思ったが、そんなはずはない。   自らを名乗るときに姓だけ言わないだろう。   しかし、バクフの人間はスリギィと違い、名前は姓が先で名が後なのだ。 「わたくしの名は、伊豆、でございます」 「ならば...ミト・イズー・ヒメという名だという事なのか?  バクフにもミドルネーム...いや、アフターネームと言うのか、そういったものがあるとは聞いていないのだが...」 「いいえ...わたくしの名は伊豆、でございます。  その、みどるねむ、あふたねむ...という物が何かは存じ上げませんが...」   伊豆姫は、私が何を言いたいのかわからない、と言った風に、小首を傾げた。 「いや、そうではなくて...」   そこまで言ってから、私はある事に気がついた。 「もしや、バクフの女性は姓がないのか?」   それを聞くと、イズーは驚いた顔をして、 「スリギィランドでは女性も姓を名乗るものなのですか?」     と尋ね返してきた。   どうやら、私の予測は間違っていなかったらしい。 「ああ。女性にも姓がある。  そうか、バクフの女性は姓を名乗らないのだな。  では名前がイズーだけだとすると、ヒメ、というのは?」   (ちなむと、一家の当主となる女性は姓を授かる事ができるらしい) 「姫、というのは父上のように高位なお方の娘の事を言います」 「そうか...やはり文化が違えば呼称も違うのだな。  ヒメ、というのはプリンセスという意味だったのか。  スリギィランドでは...そうだな、イズーはプリンセス・イズーだ。  イズー...イズーか」   私は、彼女の名前を繰り返し、その響きに少し酔っていた。   彼女に相応しい、鈴の音が体に染み渡るかのような響きだ。   (余談だが、本来の彼女の名は、イズ、と発音する。  しかし、イズ、と私は発音できずに、イズーと呼んでいた...というより、  そう発音しているつもりが、イズ、という名はスリギィでは聞かないし、  自国にある近い発音の名前のように発音した結果、イズー、と本来と違った発音で呼んでしまっていた。   その間違いに気付いたのは、スリギィランドに来ていたバクフのクニミツと関わりを持つ貿易商が、  私の発音の間違いを指摘したからだ。その時は既に私はイズーという呼び方が定着していたし、  イズー自身も特に気にしていなかったので、そのまま呼ぶ事にした。)   私が呼ぶわけでもなく名前を繰り返すと、彼女は少し恥かしそうに俯いていた。 「......」 「......」   少し彼女の緊張を解せたようには見えたものの、やはりどこか、契りへの恐怖心が残っているらしく  体を強張らせていた。   私はゆっくり立ち上がると、枕元に置かれている灯篭の後ろ側に回った。 「スリギィランドには、こういった遊びがある」   私はそう言うと、手で狐をつくり、灯篭の明かりにかざした。   手の狐は影となり、影絵を生み出す。   イズーは、目を丸くして影をみつめた。 「狐...ですか?」 「そう。そしてこの影絵で会話ができるんだ。で、これが...」   明かりにかざした手を組みかえる。 「"私"。これが、"あなた"。これが...」   手を組み替え、影絵を作り変えてゆくのを、イズーは興味深そうにじっと眺めていた。 「じゃあ、お手本として私が影絵で話をしてみよう。  "狐は"、"プリンセス"、"と共に"、"あり"、"幸せ"」   イズーが、頬を染めて顔を隠した。   彼女の気を紛らわす為に何気なくしたつもりだったが、照れる彼女を見て、私は気がついた。   それが初めての、私から彼女への愛の告白だった。   婚式は無言で行われたし、その後そういった愛の誓いを述べる機会もなかった。   そう気がついた途端、私は強烈な恥かしさを感じ、今まで調子よく話せていたというのに、急に口も手も動かなくなった。   私が黙っていると、イズーが私の傍により、灯篭に手をかざし、影絵を作り出した。 「"ぷりんせすは"、"狐"、"と共に"、"あり"、"幸せ"...」   私の胸の内に光が満ち溢れ、熱く燃え、幸福感が満たし、今にも溢れでんばかりだった。   私は思わず、彼女をきつく抱きしめていた。 「あっ...」   イズーは小さく洩らすと、一瞬だけ体を強張らせたが、私を抱き返した。   私たちは暫くの間、そうしていた。   彼女の着物の向こう側から伝わる熱が、とても心地よかった。   何があろうとも、私はイズーを愛し続ける。   私はその時、しっかりと誓った。   その時、私の魂の声に呼応するように、琥珀のペンダント――ベルフィット――が、ぶるり、と震えた。   真意を言うならばそのままいつまでも抱き合っていたかったが、  明日から少しの間旅をしてスリギィランドまで帰らなければならない。   私はイズーの体を話し、その美しい顔をしっかりと見つめた。 「イズー...明日から少し長い間、旅をして帰らなければならない。  今日はもう眠るとしようか」   イズーは、小さな顎を少し上下させ、口を開いた。 「はい、旦那様...」 「その...人前はいいのだが、二人の時は旦那様、ではなくてトリス、と呼んでくれ」   バクフでは夫の事を旦那様、呼ぶのがしきたりなのかもしれないが、少し他人行儀であるし、  私は彼女に愛称で呼んで貰いたかった。   彼女は、小さく「はい、旦那様」と返した。   私はすぐさま、「トリスと呼んでくれ」と言いかけたが、彼女はずっと夫の事は旦那様、呼ぶように、  と習ってきたのだろう。   すぐにそれを変える事はできないだろうし...私たちはこれから長い間、命尽きるまで共に過ごすのだ。   急く事はない。   私は彼女の頬に口付けすると、灯篭の炎を吹き消し、騎士らしく"ヒメ"を抱き上げ、布団の上に降ろし、掛け布団を自分と彼女の上にかぶせた。   その晩は何事もなく、ただ眠ったのだが――   彼女が私の傍に寄り添ってきたので抱きしめて眠った所為か、胸の鼓動が収まらず、幸福に満たされながらも、  満足に睡眠を取る事ができなかった。   目覚めると既に布団の中にイズーの姿はなかった。   身一つでやってきて、身一つで帰国する私と違って、準備もあるのだろう。   私は布団から出ると服に着替え、部屋の外に出た。   外に出ると一人の侍が刀を床に突き立てて門番をしていた。   彼は私に気付くと立ち上がり、食事の席へと案内した。   祭りの後の静けさ、といった風な黙々とした食事だった。   食事を終えるとクニミツが傍に寄り、心配気な表情で私の耳元に口を寄せた。 「その...昨晩は、大丈夫であったか?」   すぐさまに、私と彼女の初夜についての事だろう、と検討がついた。   あれだけ彼女を溺愛してる彼だ、最もな心配事だろう。   少し羞恥心もあったが、彼はいわば、私の父だ。   彼には正直に答えよう、と思った。 「お恥ずかしながら、というべきか...何事もありませんでした...」   それを聞くと、彼は複雑な表情をした。 「伊豆に何か、至らぬ所でもあったのか...?」   意外な反応だった。   あれだけ溺愛しているのだから、契りが交わせなかったと言う私に対して怒りを抱く事は考えられたが、  まさか、イズーに非があったかと心配するとは思いもしなかった。 「いいえ、その、私は経験がなく...」   そこまで聞いた途端、彼は私の背中を叩き、大笑いを始めた。   彼が何を笑っているのかわからず、私は暫く途方にくれた。   彼は笑いきると、豪快な笑顔を作り、 「なあに、急いては事を仕損じる。じっくり事をなされよ。  凛々しいお主と美しい伊豆姫の子だ、どちらに似たとしてもさぞ可愛らしい子が生まれる、何も案ずる事はない。  それはそうと...難しい事であろうとは思うが...子が生まれた暁には、是非とも顔を見せにきてはくれまいか?」   言葉を終える頃には、彼の表情は笑顔から真剣な表情へと変わっていた。   私自身としても、子が生まれれば彼に見せたいという思いは強くあった。   しかし、難しいだろう。   今回は特別な事であるし、私用としてではなく、女王アゼイリアの命を受けて公務として来ている。   国を、民を守る騎士が私情で動く事など、到底不可能な事だった。   彼も、それをわかっているのだろう。   私が考え込んでいると、残念気な表情をしながら、「忘れてくれ」と言った。   子が生まれたならば...無理を承知で、女王アゼイリアに申し出てみよう。   彼を見ながら、そう思った。   私の帰国、イズーのバクフからの旅立ちは、なかなか盛大な行列だった。   彼女の嫁入り道具が多く、行列にならざるを得なかったのだが。   私は来るときと同様に、帰国も中州国まで船に乗り、そこからは陸路でベルフィットでゆくつもりだった。   その旨を伝えると、クニミツは嫁入り道具だけ船で運べば良い、と言った。   私とイズーはクニミツとその奥方、家臣達に別れを惜しまれながらも見送られると、馬車に乗り、港へ向かった。   馬車の中でスリギィランドについて彼女について話した。   主に、習慣等についてだ。   彼女はそれを興味深そうに聞きながらも、不安げに「大丈夫でしょうか...」と洩らした。   私は彼女の手を握ると接吻し、「私がついている」と言うと頬を染め、嬉し気に「はい」と答えた。   その度に、私の彼女への思いが増すのを感じた。   半日ほどして港へ到着すると、彼女の嫁入り道具は貿易船に乗せられ、私達はベルフィットに乗り、大和魂に搭乗した。   私はベルフィットから降りたくはなかったが、彼女は外の景色が気になるのか、そわそわとしだした。   彼女は恐らくあの城の中で育ち、外の世界を見たことがないのだろう。   私は船酔いしないだろうかと心配ではあったが、それ以上に海を見て喜ぶ彼女を見たいと思い、ベルフィットから降り、  外に出た。   彼女は最初、離れてゆくバクフの地を儚気に眺めていたが、次第に広い海を見てはしゃぎ出した。   「海は思っていたより広く、青いのですね」「海の上にも鳥が飛んでいるのですね。彼らはどこに止まるのでしょう?」  「魚が泳いでいるのですが...船にぶつかったりはしないのでしょうか?」  「あすこの島にはどのような方が住んでらっしゃるのでしょう...?」   意外にも饒舌に話し始めた彼女に少し面食らいながらも、彼女が喜んでいるのがとても嬉しかった。   はしゃぐ姿をじっと見ていると、彼女は思い出したように私の顔を見たかと思えば突然うつむき、  「申し訳ありません、旦那様...はしたのう御座いました...」と言った。   その慎ましくあろうとする姿を見て、私は頭が惚けていくのを感じた。   私は酔うのも忘れ、彼女に酔っていた。気がつけば、船は中州国の港へ到着していた。   船から降りると、ベルフィットを駆り、スリギィランドへ向かった。   ベルフィットの操縦席は中で動けるよう作られているタイプなので、さほど狭くはないが、  操縦席の周囲に周辺の画面が表示されるのに慣れないのか、イズーはずっと私に抱きついていた。   だがそれにも次第に慣れ、イズーは見慣れぬ景色を指差し、あれは何か、と尋ね始めた。   私自身、諸外国について知らない事は多い。わかる範囲は答え、わからない事はわからない、と返した。   すると彼女は「旦那様でもわからない事がおありなのですね」と意外そうに言った。   鎖国をしていない国の人間は皆、諸外国を旅行しているモノだと思っているのだろう。   騎士は基本的に主君の命がなければ国を出る事ができないという事を伝えると、  彼女は「然様でございましたか...」と残念そうに呟いた。   外国には連れて行ってはやれないが、スリギィランドも北と南で景色が違う。   スリギィランドの色々な場所へ連れて行こう、と心に決めた。   私は幸福感に満ち溢れた小旅行を終え、家までたどり着いた。   帰宅したその日の晩、どちらが言うでもなく、そのような雰囲気になり、私達は初めての契りを交わした。       イズーがようやくこの国の生活にも慣れてきたある日の事だ。   私は父と庭を歩いていた。すると庭の隅で、イズーがしゃがみ込んでいるのが目に入った。 「うん...彼女はこの美しい庭園のどの花よりも美しい...」   私が思わず洩らすと、父がため息をついた。 「トリス...お前はそればかりだな。  仲良き事は良い事だがな。よもや円卓騎士団の中でもそのような事ばかりを言ってるんじゃあるまいな?」 「い、いえ、そのような事...」   と言いかけて、私は詰まった。   言っている気がする...特に、職務を共にする事が多いガラハド殿に。   父が心配するとは、もしかするとよっぽど酷いのだろうか?   ...私は、ただ雑談として話しているのに過ぎないというのに。 「それより、イズーは何をしているのでしょう?  花の世話をしているように見えなくはないですが、あそこからじっと動かない。    ...もしや、腹の調子でも悪いのでは...」   私が彼女の元へと急ごうとすると、父が私の肩を掴み引き止めた。 「待て、トリス。  まだまだお前は修行が足らないな。遠目からであろうと想う女性がいかなる心境にあるか見抜けぬとは...」 「どういう事ですか?」 「お前は目が良いだろうに、見てもわからぬか?  彼女の顔をしっかりと見よ」   私はしっかりと目を凝らし、彼女の顔を見つめた。   彼女の目には―― 「イズーが、泣いている...!?」   慰めなければ、と動こうとすると父がまたもや私を止めた。 「もっとよく見よ」   父が言う通りに、しっかりとイズーを見つめる。   ああ、何故泣いているのだ、愛しいイズー。   早く私が言って慰めてやらねば...とそれだけが頭をぐるぐると駆け巡る。   しかし、父が言うならば、何か意味があるはずだ。   私は自分を抑え、彼女を見つめ続ける。そして、ある事に気がついた。   彼女は、何かを見て、泣いているのだ。   その視線の先には、当然と言えば当然だが、花が咲いていた。   しかし、その花は枯れている。 「花が枯れて涙を流す...なんとも心優しいのだろう...」   それを聞いて、父がまたもため息をついた。 「トリスよ、お前ほど冷静な男はいまいと関心しておったが...  妻に溺れて観察眼を失うとは、なんとも情けない事か」   私は父に失望された事に少し傷つき、穴が開くほど彼女を見たが、それ以上の事はわからなかった。   私がそれに一生懸命になっていると、父は私の肩を引いた。 「そっとしておいてやりなさい。  今、お前が行っても何もわからないだろう。  彼女はお前を気遣い、何もない、と言うに違いない。  それより...」   父は別の話に切り替えると、屋敷内に向けて半ば強引に歩かせた。   彼女の事が気がかりで仕方なく、父の話が半分も頭に入らなかった。   父の話を終え、イズーが庭園から居なくなったのを見計らい、私は彼女がしゃがみ込んでいた場所へ向かった。   そこには、確かに枯れた花が生えていた。ただ、それだけだった。   ――しかし、何かあるはずだ。   私は数分の間、その枯れた花を見つめ続けた。   そして、一つ気付いた事があった。   この国で、こんな花を、私は一度も見た事がない。   そうなると、これは異国の花なのだろう。   庭師達がそんなものをわざわざ入手して植えはしないだろう。   ならば、答えは一つだった。   イズーが植えた物だ。   恐らく、故郷の思い出として種を持ってきたのだろう。   それが枯れ、帰れぬ故郷の事を思い起こして彼女は泣いていたのだ。   ああ、なんとも可哀想な、イズー...!   彼女の心の痛みを想い、土に落ちた花びらを抱いて、私はさめざめと涙を流した。   しかし、泣いていては何も変わらない。また彼女が涙を流す事となる。   私は花には疎い。何故、土に植えた物が枯れたのかよくわからなかった。   周囲にはこれだけの花が咲いているのだ。栄養が足りなかった、というような事ではないだろう。   すぐさま私は馬を駆り、知り合いの老園芸家の元へ走った。   話を聞くと、彼はすぐに答えを出した。 「バクフとスリギィランドでは気候が違うからでしょうな」 「ならば...この国ではバクフの花は育てられないという事なのか?」 「そうですが、手がないわけではありません」   彼が言うには、室温等を調節できる部屋を作れば、可能だという。 「是非とも...それを作って頂きたい」   「では後日伺いましょう」   彼はそう言うと、次の日、馬車に機材を載せ、やってきた。   そして二日ほどかけて完成させた。   彼が突然やってきて何を造っているのか、と首を傾げていたイズーを呼び、それを見せ、何をする物なのか説明した。   彼女は喜びながらも、私に気を使わせたのだと思い、申し訳なさそうに何度も頭を下げた。   私は彼女を無理やり抱き上げ、園芸室内を見せた。 「私に、この部屋を管理する事ができるでしょうか...」   心配気に彼女が呟くと、園芸家は、私に言った。 「どうでしょう、私に管理させて頂けませんか?  異国の花の種はあまり手に入りません。  育ててみたいのです。  そして、何とも図々しいお願いですが、花が咲ききって種がをつけましたら、私にも幾つか頂けないでしょうか?」   願ってもない事だった。   私は二つ返事で許可を出した。   彼に育成は任せているものの、気になるのか、イズーは度々園芸室を覗きに行っていた。   いつの間にやら、その老園芸家と仲良くなり、彼の手伝いをするようになっていた。   そして数ヵ月後のある日、イズーは朝からそわそわしていた。   朝食を終えると私を呼び、園芸室へと連れて行った。   花が、咲いていた。   紫色で、四枚の菱形の花びらを持つ花だった。シラネアオイ、という花らしい。   以前の枯れた花の印象があったので、それと比べてとても美しい事に私は驚いた。(当然の事なのだが)   しかし、それより、花びらを小さな手で撫ぜ、うっとりと見とれているイズーに、私は目を奪われていた。   こんな表情を彼女に与えた花、という物に私は感謝した。   そんな事があったりはしたものの、何事もなく、日常が過ぎていた。   しかし、ある日の事だ。   屋敷内に、イズーの悲鳴が鳴り響いた。 「賊ですっーっ!!」   私はすぐさま彼女の部屋に飛び込み、レイピアを抜いた。   黒い見かけない衣装に身を包んだ賊が、イズーの前に立ちふさがっていた。   それを認識した瞬間、私は沸騰し、レイピアで賊の腕を貫いていた。   賊は飛びのくと窓際まで行き、なにやら名残惜しげに(覆面をしていたので表情は伺えないが)イズーの方を見た。 「イズーの前で私に血を流させたお前を許しはしない...!  だが、一度だけ慈悲を与えよう!地獄を見たくなければ、今すぐ失せろっ!!」 「......」   賊はこちらの様子を伺いながら元々開いていた窓から飛び出し、屋敷の外へと消えていった。   それを確認すると私はすぐさまイズーに駆け寄り、抱きしめた。 「怖かっただろう、イズー...。賊の侵入を許してしまったのは私の責任だ。  どうか許してくれ...」   意外な事に、彼女は賊に襲われたというのに、震えてはいなかった。   私が来た事で安心したのだろうか? 「いいえ、旦那様は何も悪くはありません...どうか謝らないで下さいまし...」   戸惑いながら彼女は耳元で呟いた。   彼女の顔を見ると、何か言いたげな顔をしていた。 「...どうした、イズー?」 「...いいえ、なんでもございません...」   少し気にはなったものの、ただ、賊が入ってきて不安になっているだけだろう。   私は特に気にも留めなかった。   後日、執事が、神妙な面持ちで、私に言っておきたい事がある、と言ってきた。   何か、と聞くと、メイド達がイズーの部屋で、彼女しかいない筈だと言うのに話し声を聞いたという。   当然、見たわけではないが、話し相手は男らしい、内通しているのではないか、と言い出した。   私はその場で「あの慎ましいイズーがそのような事をするわけがないだろう!」と一喝した。   私とイズーは心の底から愛し合っているし、彼女が私を裏切るような事をする筈はなかった。   とは言え気にならなかったと言えば嘘だろう。   だが、私は彼女を信じているし、野暮な真似はすまい、恐らく一人で詩でも読んでいるのだ、と自分に言い聞かせた。    その、数日後。   イズーが、部屋から出てこなかった。   何度呼んでも返事もないのだ。   私はいてもたってもいられなくなり、扉をあけ、中に入った。   そこには、イズーの姿はなかった。   ただ、窓が開いていた。   先日の執事の言葉が頭を過ぎった。   イズーが、私を裏切った...?   瞬間、絶望に飲まれかけたが、そんな筈は無いと思い返し、部屋を見回した。   すると、彼女の机の上に、手紙が置かれていた。   すぐさま駆け寄り、それに目を通す。 『真に申し訳ありません、旦那様。  少しの間帰国させて頂く事をお許しください。  キシュウ・ヨリサダ様の使いから、わたくしの父上、そして他の御武家の方々がイエミツ様の圧制により、 苦しんでおられると伺いました。  イエミツ様に謀反を起こし、成功させるには御三家、全ての力が必要であり、その旗印になっていただけないか、という  事でわたくしに帰国を求めてこられたのです。  最初は、父上、母上の事が心配ではありましたが、わたくしはふぃっくす家の者ですので行くわけには参りません、と お断りし続けていたのですが、何度も何度も使いの者からお話を伺っているうちに、いてもたってもおられず、 勝手ながら、帰国させて頂く事を決めた次第でございます。  謀反の成否別にして、事がすめばどのような手立てを使っても私をすりぎぃらんどへ送って頂けるそうですので、 どうか、御心配なさらないで下さい。  わたくしの心はとりすと共にあります。   とりすたん・ふぃっくすの妻 伊豆』   私は、様々な感情に襲われた。   彼女が苦しみ抜き、決断したであろうその心中への同情、私にその事を打ち明けてくれなかった事への失望、  そして気付いてやれなかった自身への怒り、彼女が私ではなくクニミツ達を選んだ事への嫉妬めいた女々しい感情、そして...  キシュウ・ヨリサダという人物への疑念である。   キシュウ・ヨリサダと言う名には聞き覚えがあった。   婚式の披露目の時、私に話しかけた人物だ。   それを思い出すと同時に、クニミツの言葉を思い出した。  『昔から、伊豆姫を嫁に欲しがっていた』『冷酷で野心的な所がある』   気がついた時には私は手紙を握り締め、王城へ馬を駆っていた。   王城へ辿り着き、女王アゼイリアに目通りを申し出ると円卓の間へ通された。   そこには既に女王アゼイリアとランスロット殿、ガラハド殿が何か話をしていた。   何らかの用があったのだろう。   三人は、部屋に入ってきた私が息を切らせ、血相を変えているのを見て、眉を潜めた。 「女王陛下、私を円卓の席から外してください」 「どうしたのだ、トリスタン。何を突然...事情を先に話せ」   女王アゼイリア目は丸くし、返す。残る二人も、驚きの余りに椅子を揺らした。   私は手紙の内容を話した。 「それが真実ならば由々しき事ではあるが...それだけは、私にはどうする事もできないな」   彼女はそう言い、顎に手をあてた。 「それは承知しています。ですから、私を円卓から外して欲しいのです」 「待て、早まるなトリスタン。どうしてそうなる?それに、イズヒメは帰ってくるのだろう?  何故そう急く必要があるのだ」   そう、彼女の言うとおり、帰ってくると言っているのだから、待つのが筋だ。   しかしそれは、客観的な視点からのものだ。   キシュウ・ヨリサダという人物が信用できないというのはこの国では私にしかわからない感覚だ。   しかし、それだけではなく、ただ、私は行かなければならないと確信していた。   体の全身が、行かなければならないと言っている。この衝動を誰が止められるだろうか? 「...彼女は、私と供にベルフィットに搭乗もしていますし、召喚法も知っています。  もし、彼女が帰らなかった場合、フィックス家の秘密を外に洩らしてしまう事になります。  私はその責任を取らなければなりません。  今から追えば、間に合うかもしれません。  ですが、そのような自らの不手際の始末に、円卓の騎士団の一人が動く事には参りません。  だから、私を円卓の席から外していただきたいのです」   嘘ではない。   確かに、魔導機の召喚法や内部の構造等は秘密、という事になっている。   他の騎士も、あまり他人にそれを明かす事はない。   とは言え召喚について言えば正式な方法で受け継いだ者にしか呼び出せないし、  彼女が、搭乗席に乗った程度で内部について理解できるはずもない。   恐らく、女王アゼイリア自身もそれが私の出任せだと理解しているだろう。   しかし、私には建前が必要だった。   何を言ったとしても、彼女やランスロット殿達を説き伏せる事などできない。   私は彼らが無理矢理とめようとするならば、力ずくでもゆく決心をしていた。   女王アゼイリア、ランスロット殿、ガラハド殿の太刀筋を思い出し、どのようにして戦えばよいか、  と思考をめぐらせ始めた。   例え勝算がなくとも、私はそうしなければならなかったのだ。 「わかった。そこまで言うのならば、お前を円卓の騎士団から外そう」   意外にあっさりとした答えに、私は溜め込んでいた息を吐き出した。 「...普段からあれだけ冷静なトリスタンがそこまで言うならば、私も聞かざるをえない」   そう言って、ため息をついた。   彼女は鋭い。   若くして女王となるだけの器を持った人物だ。   私の覚悟も見抜いた上での判断だったのだろう。   私は、心から彼女に感謝した。 「...では、私は用事がある。トリスタン、お前の幸運を祈る」   私は深々と彼女に頭を下げた。   彼女が円卓の間から出ると、ランスロット殿が何かを閃いたというように手を叩いた。 「おおう、トリスタン殿。気をつけて参られよ!女王陛下!お話がー!」   そう叫びながら、ガラハド殿の手を掴むと強引に引き、円卓の間から出て行った。 「父さん、僕はもう用事ないですよ!」   ガラハド殿は、ランスロット殿と私を見比べながら円卓の間から出て行った。   円卓の間が静かになると、私は深く深呼吸をした。   円卓の席から、脱退してしまった。   父上は絶望するだろう。それとも理解してくれるだろうか?   それが心配ではあったが、後悔はなかった。   私は馬を駆り、スリギィランドの小さな船着場へ向かっていた。   円卓を脱退した者が堂々と国を出て行くわけにもいかなかったからだ。   ベルフィットでゆけばすぐなのだが、国内で私用の移動手段として魔導機を駆る事は許可されていない。   気がつけば夜になっていた。   船着場はまだ先だった。   私は走らせ続けた馬を一度休ませる為に降り、手綱を引いて歩き始めた。   歩いていると後方から幾つもの馬の足音が聞こえるのに気がついた。   私は立ち止まり、振り返って様子を伺った。   馬は、十一頭。   騎乗しているのは――円卓の騎士団の皆だった。 「...私を止めに来たのならば、無駄な事だ」   私が告げると、ランスロット殿が首を横に振った。 「止めるつもり等ない。鼓舞にきたのだ」   そういって顔をほころばせた。   全員の顔を見渡すと、頷いた。   どうやら、事情を知っているかのようだった。   皆がそれぞれ、私に、幸運を祈る、と言い、私を抱いた。   私は彼らの心遣いに胸を熱くし、強く抱き返した。   それが一通り終わると、ランスロット殿が立派なあご髭を撫ぜながら、口を開いた。 「どうかな、トリスタン殿。旅の景気付けに、ガラハドと試合をせんか?」   唐突すぎる提案だった。 「父さん、これから旅に出る身のトリスタンにそんな事をさせたら――」   ガラハド殿が眉を顰めた。   ランスロット殿は口を尖らせると、ガラハド殿の方を見た。 「ガラハド。お前は円卓の騎士団の中で一番の新参者だ。  それ故に、序列を気にして誰とも本気で戦おうとせん。  お前としては、相手の名誉を傷つけたくない、と気を使っているつもりだろうが、全くの考え違いだ。  ...と言った所で、お前はその考えを変えんだろ。  だが、そんな事を続けていれば、鬱憤も溜まる。  お前は一番、トリスタン殿と仲が良い。  序列を気にせず本気で戦えるのは彼くらいなものだろう?  彼がいなくなるという事は、お前のそのただ一人の相手を失う事になる。  本当にいいのか、お前はそれで」   ガラハド殿は、そう言われて押し黙った。    恐らく、誰もが感じていた事だろう。   彼が本気を出していない、というのは。   彼は、優しすぎる騎士だった。    「トリスタン殿、どうかな?」   ランスロット殿が、私に返答を求める。   私としては、彼と本気で試合って見たかった。   これが、最後に彼と刃を交える最後の機会になるのだから。 「私は、ガラハド殿と試合いたい」   ガラハドを真っ直ぐ見据え、そう言った。   彼は私と視線を交え、しっかりと頷いた。   それを見て、円卓の皆が私とガラハドから離れ、輪を作った。 「......」 「......」   彼が剣を抜き、私もレイピアを抜く。   対峙したまま、時が流れる。   一秒、一秒が数分にも、数時間にも感じる。   彼はどう斬って来るか。もしくは突いて来るか?   頭の中で何度も、何度も模擬戦を繰り返す。   勝負は一太刀で決する。   精錬された者同士の試合は、一太刀で終わる事が多い。   その一太刀に、全てを注ぎ込む。   互いの太刀読みがぶつかり合い、見えぬ鉄の火花を散らす。   長い、長い激しくも無音の剣戟が繰り返され、一つの道が開ける。   ここだ――   私は、レイピアを蛇のごとくうねらせ、ガラハド殿を突く――   瞬間、ガラハド殿が大きく、瞬足で動いた。  ガギッ   レイピアの切っ先はガラハド殿の剣の鍔と刃の根元であらぬ方向に受け流され、  剣先が私の喉元へと伸びていた。   私の負けだった。   なんという大胆な妙技だ。   一歩間違えれば、私のレイピアの切っ先で自らを貫いていただろう。   感心の余り、敗北がなんとも爽快だった。   私がレイピアを引くと、彼も剣を引き、鞘に収めた。 「...ありがとう、トリスタン。最高の一時だった」 「私もだ、ガラハド殿。これでもう悔いはない」   互いに言い合うと、強く抱き合った。   互いの温もりが離れる事が名残惜しく感じ、私達はゆっくり体を離した。   離れていた皆がそれを見届けると、また私達の周囲に集まった。 「ふむ、良い戦いだったのう。  見ていたこっちが興奮したわ。  では、トリスタン殿の武運を祈って、久々に"円卓の誓い"をやろうではないか」   円卓の誓い、とは円卓の騎士団全員が魂を一つにする儀式の様なものだった。   皆が頷き、円陣を組むと剣を抜き、切っ先を合わせた。   十二の意識が、切っ先の一点に集中する。   それが一つの点となった時、皆が口を開いた。 『我等、円卓の騎士なり!  偉大なる御父に仕える騎士なり!  偉大なる御父に仕える建国の王に忠義を尽くす者なり!  我等の魂、今ここに一つの強大なる円卓となり、  御父と王の御意思を実現する剣とならん!』   十二の騎士は魂が一つとなり、胸を奮わせた。   私は妻への愛に狂い、王への忠義を捨て、円卓を抜けた者だ。   騎士失格であると同時に円卓の騎士として失格だろう。   だのに、まだ円卓の騎士のとして扱われている事を、私は光栄に思った。   ――王への忠義を捨てたとは言え、私はスリギィランドが危機に陥ったとあらば駆けつけるつもりであるし、  女王に呼ばれればすぐさま剣となる覚悟はあった。   だが、私自身からはこの国にはもう戻れない。   それが、王を捨て、国を捨てるという事だ。   涙が溢れるのを感じ、拳を強く握ると、皆に深々と頭を下げ、歩き始めた。   月明かりは、母の様に私を優しく抱き、留めた涙を押し流した。 ─────────────────────────────────   月明かりに照らされ、歩くトリスタンの背後から、十字型の覗き穴が開けられた黒いヘルムを被り、  両の手に一本づつ木の枝を持ち、後をつける二つの影があった。 「...父さん、僕らも早く帰らないといけないんじゃないかな?」   その二つの影は、僕(ガラハド)と父さん(ランスロット)だった。   トリスタンが歩き始め、皆が帰ろうとする中、「私は私用がある」と言って留まり、何故か僕も引き止めた。   そして言われるがままに渡された黒いヘルムをかぶり、トリスタンの後をつけている。 「トリスタン殿をこのまま放ってはおけんじゃろ?ゆくぞ息子よ!」   その声は、トリスタンを心配しているというより、子供が新しい遊びを発見し、興奮しているような声だった。   父さんは興味を持った事に勝手に首を突っ込みたがる人だった。   他人の家で問題が起これば呼ばれもしないのに参上し、強引に解決したり、余計に引っ掻き回す。   きっと、女好きもその興味を持った事に手をつけたがる性質の延長なんだろう。   ...自分の父親ながらに、早く落ち着いて欲しいと思う。 「何言ってるんだよ父さん。彼は国外へ行くんだよ?  僕らが女王の許可無しにいけるわけないじゃないか...」   呆れながら言うと、父の黒いヘルムがこちらに向いた。   ...見なくても、父がその内側で悪戯な笑顔を浮かべているのがわかる。 「許可はちゃんと取ってある!案ずるな」   父が揚々とした声で返した。 「ちょ、ちょっと待ってよ。僕はとってないんだけど」 「なーに、ぬかりはない。お前の分も取っておいた。  行くぞ!」   ...呆れた...。   なんて人だ...。 「父さん...これは国家間の関係に関わる可能性がある事なんだよ?  バクフとの関係に亀裂が入るかもしれない。  そこらの家庭問題に首を突っ込むのとは訳が違う。  やめておくべきだよ」   トリスタンは大切な友人だ。   だけれど、それ以前に僕は王に仕える騎士だ。   私情で動くわけにはいかない。 「おお...なんと哀しい事だろう...!  わしはお前を、友人を見捨てるような、薄情な息子に育ててしまったのか!  騎士として、父親として失格じゃ...おおい、おおい」   父さんが明らかな嘘泣きを始め、ヘルムの覗き穴を腕でこすった。   ...ある意味騎士としても父としても失格だよ、父さんは...。   でも、許可が取ってあるというのなら、彼を追っても問題は...ない。   陛下はきっと、父さんが何をしようとしているかわかって許可を出したんだろう。   なら問題ない。   言葉を反芻させ、自分を納得させた。   彼の助けになれるなら、僕はそうしたいんだ。   強引で破天荒な父に、少し救われた気がした。 「もういいよ、父さん。わかったから急ごう。  トリスタンを見失ってしまう」 「おう、そうじゃ!ゆくぞ息子よ!」   僕達――いや、僕だけが不安を抱えながら、僕達はトリスタンの後を追った。 ―――トリスタンと伊豆姫 中編(終)