異世界SDロボ SS          - トリスタンと伊豆姫 -              前編       私、トリスタン・フィックスは、愛機、狐面が特徴の魔導機(ロボの呼称のひとつ)ベルフィットに乗り、   バクフ、と呼ばれる遠い国へと向かっていた。   何を隠そう、婚姻の為である。   しかし、めでたい話であるのに、あまり、気乗りはしていなかった。   何故か。それは、私が何故婚姻するに至ったかを聞けばわかるだろう。    まず、事の発端は、その、バクフという、私の住むスリギィランドから見て遠く東に位置する、   大陸とは大きく異なった独特の文化を持った島国から始まった。   バクフという国は長きに渡り、鎖国、という制度を持つ事によって、外の国との外交を絶っていた   (正確に言うと、絶っていた訳ではなく、国が外部の国との接触を制限していたらしい)。   しかし、現在バクフを治める、将軍(我が国や、大陸の大半の国では王、と呼ばれる存在)イエミツが、  今までの閉鎖的なままでは他国に遅れを取るのではないか、と外国との外交を再開した。   鎖国を解いた表向きの理由、例えば我が国に来た使者が語るには、   『我が国はずと井の中の蛙であり、外の事を知らず、認めもしてこなかった。   しかしある時、他国の、特に貴国の文化を耳にし、我が国には存在しない優雅な様に胸が躍った。   貴国のその、素晴らしい文化を私もさらに詳しく知りたいし、我が国の民にも教えたい。   我が国は閉鎖的であった事もあり、大陸とは異なった文化を持っている事を私は自覚している。   だからこそ、私の自惚れであるが、我が国の文化は、貴国の方々にも何らかの良い影響を持つのではないか、と考える。   どうか、我が国と親交を持っては頂けないだろうか バクフ国将軍 トクガワ イエミツ』  との事らしい(正確には、使者の持ってきた将軍イエミツからの文に書かれた文章はもっと長い物だったので、これは私なりに要約した内容だ)。   我が国の若き聡明な女王、アゼイリア――アゼイリア=グロリアーナ=スリギィランドは、最初は唐突なそのバクフという国からの申し出に、  首を傾げはしたが、建国三十六系譜との会議の末、承諾、バクフ国との国交を持つ事を決定した。    建国三十六系譜というのは、スリギィランドを建国する際に、尽力した人物の家系を指す。   建国三十六系譜は、スリギィランドで権力を持ち、政治等に対しての発言権を持つ。私の家系、フィックス家もその一つだ。   しかしながら、私の一家、トリスタン家はさほど権力を持ってはいないのだが。   今話している事の発端そのものには関係ないのだが、この話は後の、何故、私がバクフ国の姫と婚姻する羽目になったのかには大いに関係してくる。   何故かについては後に話すので、この話は置いておこう。    ともかく、それでその、我が国にとって奇異なる存在、バクフ国とスリギィランドは国交を持つ事になった。   最初は、特に何もなく、順調だった――と言えるのかどうかはわからないが、少なくとも問題は起こらなかった。   あちらではどうであったかは不明だが、我が国ではバクフ国から輸入された工芸品等が注目を浴びた。   珍しい物好きの貴族達は買いあさった。   何を隠そう、私もその輸入品のひとつ、風鈴と呼ばれる、風にそよぎ、ちりん、ちりんと涼やしく可憐な音を立てるガラスの鈴や、   経、と呼ばれる聖典を読み上げる時に打ち鳴らす、黒光りする鉢のような形状の、チン、と清らかな音を立てる鈴等が気に入り、幾つか購入した。   (私は、心を洗うような、魂に響く鈴の音がとても好きなのだ。)   本来の使い方、経を読み上げる事に使う事はない――そもそも、経というものが、はっきりとどのような物なのかは知らない――が、  朝、自らの目を覚ます為に打ったり、集中する時――修行の前、後に打ち鳴らしている。   その音を聞くと耳からではなく、全身でその音を受け、反響し、打ち震える、しかし、その神の息吹を受けるに似た体内の反響は、  体の中で音が静まると同時に私の内にある迷いを消し去り、精神を"静"へと誘う。   ...この話をしても、誰もが「たかだか金属の反響音でそんな風になるわけがない」と、馬鹿にするのだが。   私の鈴好きの話はさておき、話を戻すとしよう。    とかく、そのバクフの国の人々は我が国で奇異な目で見られたりはしていたけれども(情けない事に、私も偏見からそのような目で見ていた)、  特に問題が起きる事もなかった。   しかし、ある日、事は起こった。それは、我が国内の出来事ではない。バクフ国においてであった。   それはバクフ国内において、我が国の貿易商が賊と思わしき者に殺害された、との事だった。   痛ましい事件である。やはり、どのような国にも賊が出るのか、と私は単純に考えたが、当然、それだけで済む話ではない。   バクフ国との関係に大きな亀裂を入れる大事件なのである。   しかも、その事が起きてから知る事になったのだが、将軍イエミツは、反対意見を押し切り、強引に国内で改革――鎖国解除――を行った。   その為、国内の少なくない有力者達から反発を受けていたし、当然ながら彼らにとって我々は敵と変わらぬ人間だったのだ。   そして、貿易商を殺した賊を雇ったのは、その、イエミツの改革の反対派だった。   国家同士の親睦に関わる事ながら、一つ間違えば戦争になりかねない事件である。   このような事件がまた起きては敵わないし、別段、スリギィランドにとってはバクフ国の奇異な工芸品が目の当たりにできなくとも何も困る事はない。   女王アゼイリア、並びに建国三十六系譜家は、バクフとの国交を断とう、という決断に至った。   私自身も、その、多種の柄の風鈴を目にできなくなるのは残念ではあったが、騎士として、我が国の民の命とは、引き換えにできなかったし、国交断絶に票を入れた。   とはいえ、バクフ国にしてみれば――否、将軍イエミツにしてみれば困った事だ。   内部の疎ましい反対派によって、政策を潰されたとなれば威厳にも関わるし、思惑――他国の文化を取り入れ、自国を強化する――が、行えなくなる。   ならば他の国と外交を行えば、という話にはなってくるが、噂話というのは何故か広がるのが早い。   信用を無くしてしまったバクフ国と交流を持とうという国は無きに等しいだろう。   そこで将軍イエミツは、反対派を全て殺害(その大半は直接手を下した訳ではなく、切腹と呼ばれる自殺法を強制させたらしい。  それを拒否した者は将軍イエミツが直に手を下したそうだ)、  今回のような事は二度と起こさない、という侘び、誓いと共に――これが私の婚姻に至る原因の一つ――将軍家の分家であり、  御三家と呼ばれる将軍家に次ぐ権力者の一家の娘であり、バクフ国一の美女として称えられる伊豆姫をスリギィランドに献上するので、  そちらの権力者の建国三十六系譜の方と婚姻をさせて頂き、家族同然の付き合いをさせて頂きたい――と申し出てきた。   それは親睦の証として、というより、人質として、送るという意味合いをもっていた。   我が国の人間が殺される、という大事件に発展しながらも、どちらでもいいが、面倒ならば国交断絶しよう、といった程度に考えていた人物もいたので、  そこまで強く申し出て来るならば、国交を回復してもいいのではないか、次面倒な事があれば、その時こそ断絶すれば良い、  という方向に建国三十六系譜会議で話が進んだ。    そこで、誰がその伊豆姫、という女性と婚約するのかが問題になった。   円卓の騎士の中でも最強と言われるバン家の当主、ランスロット殿がすぐさまに妾に欲しいと騒いだが、   女王アゼイリアが即座に却下した。   一応、一国の姫であるし、妾として扱う事などできないのは当然であった。   とかく、国内で権力を持つ一家の一人と婚姻させなければならなかった訳ではあったが、あんな事件の直後でもあったし、異国の血を好まない者も多く、  婚姻を受けたがる者は皆無だった。   私もその一人であった。   ならば、何故、私が選ばれたのか。単純に、権力の差だ。何故、そこまで権力の差が生まれるのか?   例えば、建国三十六系譜の中で最も権力をもつ家系であるバン家、何故彼らがそこまで権力を持つに至ったのか。   まず、バン家の人間は何故か、女好きが多い(例外はある。特に、ランスロット殿の子息、ガラガド殿はその顕著な例である)。   他の騎士家や貴族にも女好きは多いが、それはそれ、これはこれと上手く立ち回り、出来てしまった子供の面倒を見る事はあまりない(正室、側室は別だ)。   (それ以前に、こうまで子を授かる人も珍しいのだが――)   本来なら、下女や遊女との間に生まれた子などに自らの家名を名乗らせるなど名誉ある良家の当主がする事ではなく、  大抵の貴族や騎士達は多少の金を握らせてその後は不干渉というのが常だ。   しかし、バン家の当主達は皆、世間体や良家の常識にこだわる事無く自らの子を分け隔てなく受け入れ、  バン家の名を与えた(女好きなだけではなく子供好きでもあるようだ)。   そのために、バン家の家名を持つ人々は増え続け、またその人々はバン家として家庭を持つことになる。   いくら下女、遊女の子とは言え、建国三十六系譜の一つであるバン家の名を持つ人間を蔑ろにできる立場の人間などいなかった。   また、本来ならば父のいない不遇な立場に晒されるはずだった子供達はバン家当主の寛大な処遇に感謝し、  皆、バン家の名を汚さぬよう努力を怠らなかった。   このため、高位の役職に就いたバン家の子供達はその努力と日々の鍛錬に裏付けられた手腕で高い評価を得る人間が多く、  高官の中にはバン家の名を持つ者が徐々に増えていく事になる。   さらに、権力という面だけでなく、ランスロット殿は円卓の騎士団内では、最強であった。   他の建国三十六系譜の一族にしても、円卓騎士団員にしても、武闘会などで力を示し、戦場で大きな手柄を立て、バン家のようにはいかなくとも、  権力を保持していた。    ただし、我が――フィックス家の人間は、どうも控えめであるのか、才能が足らないのかはわからないが、スリギィランド建国時から衰退を続け、  権力者とは名ばかりの一家となっていった。   単純な話、フィックス家は、円卓の騎士団の中でも、建国三十六系譜の中でも、最も権力のない一家だった。    それが、私に白羽の矢――と言っていいものか――が立った理由だった。   つまり、権力者に嫁がせなければならないが、権力者が皆拒否したのならば、最も権力が低い者の家が娶る事になる。   幸か不幸か、私には婚約者もいなければ、そういった相手もおらず、私自身、色事に興味があまりなかった。   そのような事もあり、会議の中で誰の家に嫁いでもらうか、という話の中で皆が私の名前を挙げたので、拒否する事は不可能だった。   いずれにせよ、私もフィックス家当主として嫁を貰わなければならないし、色事が疎ましくも合ったので、面倒な恋愛をせずに結婚できるならば丁度良いか、  と自分に言い聞かせ、承諾した。   それに、この綺麗な音を出す鈴を作る人々の済む国に住まう姫というのに、少しだけ興味があった。   そして、その円卓の騎士の一人である私の家に嫁ぐという旨をバクフ国に告げた(私自身、読んで赤面するような、フィックス家がいかに素晴らしいか、  嫁がせるのに申し分ないか、という事が書かれた文が送られた。それを書いたのは私ではなく、女王アゼイリアだ。)。   バクフ国の将軍イエミツが、我が国のそんな内情(一番権力の低い者に嫁がせた事)を知っていれば、不服を漏らしたかもしれないが、  まだ国交が始まって長くもない彼の国の彼らは知る由もなく、大層満足げな感謝の文を返してきた。 (まあ、フィックス家がスリギィランド建国の際に重要な役目を果たした事に偽りはないのだが。)    それからすぐさまに、婚式をあげる事になった。最初は、スリギィランドにて行うという事になっていたが、私は相手の姫君の事を考え、  バクフ国で婚式をあげる事を申し出た。   述べたように、国交が始まってまだ間もないし、この国に来るバクフ国の人の扱いを見ればわかるが、奇異の目を向けられ、あからさまな差別はないにしても、  良待遇なだけで、扱いがいいとは言いがたかった。   その中に、さぞ蝶よ花よと育てられたであろう女性――少女は来る事になり、奇異の目を向けられながら生きていく事になるのだ。   余程の事でもない限り、国に帰る事はできないだろう。   少し想像しただけで、哀れ極まりなかった。   ならば、少しだけでも長く自国に居させてやりたかった。私が出来る事は少なかったが、それが可能な限りできる、まだ見ぬ花嫁に対してしてやれる配慮だった。   元より、自分の事ではないし、どちらでも良かった他の建国三十六系譜の人間はそれを承諾、私は初めて足を踏み入れる国で婚式をあげる事となった。   ――というような事情で、あまり気が進まなかった。   自分の嫁は、妻であると同時に、人質なのだ。もし、いざという事になれば、自分の嫁を人質として扱わなければならない。   それは、自国を愛する民として、国に使える騎士として仕方のない事だった。    そのような事を悶々と考えながら、私はベルフィットをバクフ国に向けて駆っていた。   船で行くように薦められはしたが、私は船が苦手だった。   どうにも、あの独特の揺れが不快でたまらなく、吐き気を催してしまう。   国一美しい女性娶る男が、船酔いでふらつきながら足を踏み入れれば、笑いものであるし、そのような人間に任せられるのか、と思われては困る。   陸路で大陸の最東端にある中州国まで出向き、迎えの船を寄越してもらう事になった。   スリギィランドから海路でゆくとなると、一週間以上かかる。想像したくもなかった。   それに比べ、中州国からであれば、一日かからないそうだ。かなりマシだった。   とは言え、スリギィランドも島国であり、国から出る為には船を要する。   出来るだけ酔わない為に、私はベルフィットに搭乗したまま船に乗った。ベルフィットの中にいると、不思議と落ち着いていられるからだ。   ...流石に、一週間も乗ったまま過ごす事はできないし、それにも限度はある。だから、乗るならば最小限に留めたかった。   ......更に本心を言うと、ベルフィットで行くのではなく、馬で行きたかった。   ベルフィットはフィックス家の家宝である。不必要に他人に見せる物ではない。   しかし、急を要するし、船に乗らず陸路で馬で行くとなると、かなり時間がかかる。   ベルフィットならば馬の半分未満の時間でゆく事が可能だった。   スリギィランドから海を越え、山を越え、砂漠を越え、街を越え――果てしなく続くかのような長い距離を進み、中州国の港に辿り着くと、  既にバクフ国からの船が到着していた。   バクフ国の船は、スリギィランドの港で何度か見かけていたが、迎えに来た船は、全く異なった巨大な小さな城のような船だった。   顔を真っ赤にして憤怒の表情を浮かべている顔が水面から半ば顔を出し、こちらを睨み付けているのが印象的だった。   船員に話を聞くと、その船は機械人――スリギィランドでは魔導機と呼んでいる。  正確にはバクフ国の職人が作り上げた物のみを指す――を積載する事が可能な戦艦、らしい。   私がベルフィットで乗船するので、わざわざこの船で迎えにきてくれたらしかった。   船に乗る前に、肌がよく焼けた体格の良い船員と話をしていると、何故わざわざ、  機械人(前述しているが、魔導機と機械人は違う。しかしロボットという点では同じ物であるし、彼らにとっては魔導機は機械人と同じ認識らしい)で、  ここまで来たのか、と尋ねられた。   理由は婚式をバクフ国で行うという文の中に書いたのだが、彼らは知らないらしかったので、話す事になった。    理由――表向きの理由として、『我が国では、騎士は馬を駆って花嫁との距離を踏みしめ、感じながら迎えに上がり、自らの手で抱き、  自城までその二人の距離を縮めながら、愛を深め、互いの距離を縮め、最後には二人が一つとなり、我が身のようにして妻を命がけで守る。  その過程で、花嫁を守り通す事も、騎士として相手を永遠に守り通し愛するという誓いとなるので』と船員に話した。   船酔いで乗れない、という言い訳ではあるが、嘘ではなく、そういった風習があるのも事実だ。   私はベルフィットに再び乗り込むと、迎えの戦艦、大和魂、に乗り込んだ。   ベルフィットの中で目をつむり、ただ集中する。それだけが、酔いを起こさぬ術だった。   中州国に着いたのが夜だった為に、船の中で夜を過ごし、そろそろ限界か、と感じ始めた頃に、船が汽笛とともに停止した。   なんとか、無様な姿をさらさずに済みそうだった。   私は船から降りると、首から下げた琥珀のペンダントの召喚器(魔導機を中に封印・召喚する為の道具)を掲げ、ベルフィットを中に封じた。   木の葉が舞い、ベルフィットは姿を消す。そして、私は前をみて気がついた。   場の視線が全て、場にいる私に集中していた。   そして、その視線が、異質な物を見る視線で、互いに耳打ちするように、なにかを話しているようだった。   表情から察するに、褒められているわけではなさそうだ。いい気分はしないが、我が国内でも、バクフ人は似たような待遇を受けている。   私自身、そのような目で見ていたのかもしれない。それが、自分に返ってきたまでの事だし、特に不快感を覚える事はなかった。   それを尻目に、船員に頭を下げた。船員は、気にするな、という風に私の肩を豪快に叩いた。   もしかすると、船員は外国の人間になれているのかもしれないな、と思った。   少なくとも目にする機会は多いのかもしれない。同じ国の人間でも、これほどまでに私をみる視線が違うというのは、少し可笑しかった。   それにしても、港の全てが初めて見るものだらけで、少し目を奪われた。   同じ港であるのに、スリギィランドと大きく違う。中州国に少々似通ってはいるものの、違う文化を育んでいる事もわかる。   スリギィランドは街中も港も地面が石造りであり、建物は煉瓦作りである。   しかし、バクフの建物は、明らかに木造りであるし、地面が砂地のままだった。   その所為か、風に舞い上がった砂を吸い込んでいるような気がして、咽たい気分に陥った。   そして、衣服。スリギィランドや大陸の、上着をさらに引き伸ばしたような物を羽織り、腹部あたりを帯で締めていた。   船員達は、動きやすさの都合上そのような格好なのかと思っていたが、どうやら一般的な服装らしい。   初めてみる景色の中で、そのようにして周囲を見渡していると、少し高貴そうな服装をした人物が、下部と思わしき人間を何人かつれて近づいてきた。   その者達は、その上着のような衣服(着物というらしい)の下に、ズボン(袴というらしい)を穿いていた。   どうやら、袴、を穿くのが正装らしい。   もう一つ、スリギィランドへやってきていたバクフの商人を見て知ってはいたが、いまだに見慣れない、バクフ人男性の頭髪。   どうやら全てのバクフ人がそうしている訳ではなさそうだが、額から頭頂部にかけて頭を剃り、余った髪を後頭部で天に向くように結んでいる、  チョンマゲ、と呼ばれる髪型。   おそらく、何らかの意味があるのだとは思うが、他の国にも類を見ない独特の髪型だし、どうにも想像がつかなかった。   その高貴そうな人物は、戸惑っている私の手前まで歩くと、頭を深く下げた。   私は目の前の、きれいに剃られ、青くなっている頭部に少し目を奪われたが、すぐさまにお辞儀を返した。   彼は頭をあげると、自分はイエミツ様から遣わされた者で、私を迎えにきた、今から将軍イエミツ様の元へ案内します、という旨を長たらしく述べた。   私も元から用意しておいた長たらしい挨拶を返し、挨拶を終えると歩き始めた彼の後について歩き、用意された馬が繋がれた、大きな細いタイヤを持つ、  籠の車に乗る事になった。   その、バクフ国独特の馬車に揺られながら、さらに半日ほど経ち、夕方頃に将軍イエミツの元へ辿り着いた。   何日もまともに睡眠を取れておらず、少し疲労が溜まっていた。   しかし、ただの今回の婚式はただの婚式ではないし、騎士としての勤め、としての色が強い。   私は少しふら付く頭を拳で叩き、活を入れると深呼吸をしてから馬車から降りた。   そしてすぐに、圧倒された。   スリギィランドの王城に負けず劣らずの大きさを持つ、城。   村が一つ、二つ以上の面積はあるだろう。将軍、という立場が如何に絶大な権力を持つのかがわかる。   私が驚嘆していると、一度、こほん、と咳が一度聞こえ、そちらを振り向くと、 「どうぞ、トリスタン殿、こちらへ」      私を迎えに遣わされた男が、そう言い、手で城内への道を指した。   先を歩き始めた彼の後を急いで追い、城の中へ入る。そしてすぐにまた、驚かされる事になった。   バクフ人は、履く藁で編んだ靴、雪駄、というものを履いているのだが、彼らは城内に上がる前に、それを脱ぎ、裸足で上がった。   大陸では室内でも靴を脱がない。何故彼らには、靴を脱ぐ、という習慣があるのかはわからないが、私がこのままブーツを履いたまま上がれば、無礼に当たるだろう。   とかくそれに従うしかなかった。   いそいそとブーツを脱いでいると、ため息が聞こえ、妙な空気が漂った。   歓迎されていない事もあってか(恐らく、実質歓迎してくれているのは将軍イエミツくらいなものだろう)、彼らは私に待たされている事に不服なのだろう。   言葉には出なくとも、『早くしろ』と言っているのが伝わってきた。   彼らを待たせて数分経ち、私はブーツを脱いで城に上がった。   案内役は、それを確認すると無言でずんずん先へ歩き始め、私は急いでその後を歩いた。   城の廊下は、横幅が狭く、まるで迷路のようだった。   そして、木でできた床は足を乗せる度に、きし、きしと音を立て、まるで自らの居場所を誰かに知らせているかのような違和感を覚えさせる。   しかしその音はさほど不快ではなく、どこか、あのバクフの貿易商から購入した鈴の音に似た、清らかな音だった。   あの可憐な音は、この国の文化と共に生まれた事を感じさせられる。   暫く、その音に聞き入りながら歩き続けると、紙のような素材で作られた扉(フスマ)の前に、たどり着く。   その扉の前に佇んでいた一人のサムライ(スリギィランドでは騎士に当たる存在と思われる)が、フスマを開け、頭を下げた。   中は、長方形型に長い部屋で、道を作るように家臣と思しき人間が座り、その奥が、将軍イエミツの玉座となっていた。   将軍イエミツは恰幅の良い男で、知性を感じさせる切れ目、威厳を感じさせる小さく尖った口髭を持っていた。   彼は、その鋭い眼光で私を軽く値踏みするように見ると、少し顔をほころばせ、口を開いた。 「待っておったぞ、友人よ」   低いながらに良く通った声でそう言うと、玉座の前を扇子で指し、そこへ座るように促した。   私はそれに応え、他の者がしているのと同じようにして、膝を外側に向け、足を組んで座った。   毎日の生活で、椅子に座っている事もあり、かなり窮屈な座り方だった。   座るとまず、私は頭を将軍イエミツに深々と下げ、口を開いた。 「私が、この度、婚姻の儀によって参上した、スリギィランド建国三十六系譜、並びに円卓の騎士団の一員、トリスタン=フィックスと申す者です。  どうぞ、お見知りお聞き――」   そこまで言うと、将軍イエミツは手で制した。   そして口を開く。 「畏まらなくて良い。今回の件についての実情はそちも存知ているだろう?そなたは、私にとって、救いの使者だ。  伊豆姫との婚姻を受けてくれた事を感謝する。それより――」   将軍イエミツは、それより、と付け加えると、スリギィランドの事について質問を始めた。   それは、内情を知るとか、そういった作為的な物ではなく、ただ、興味から出ているものらしかった。   聞かれるがままに国についての事を話す。   雑談が始まり、一時間程経った頃、思い立ったように将軍イエミツは話を区切った。 「思わず話し込んでしまった。実のところ、まだ話足りぬが...。  ぬ、うっかりしていた。この者が、今回そちが婚姻する事になった伊豆姫の父にして、トクガワ御三家の一人、ミト・クニミツである」   将軍イエミツが扇子で指した方を見ると、白髪交じりの壮年の男、クニミツが私に向かって頭を下げた。 「何卒、よろしくお願い致す」   少しくぐもった、低い声で、クニミツが言った。   私も頭を下げる。 「こちらこそ、この度は貴殿の家宝でもあろう、伊豆姫を妻として迎えさせて頂く事、光栄に思います」 「......」   言い終え、頭を上げると、ちょうど、クニミツと視線が交う。   表情は、険しい。   ただ、玉座、将軍の前だから畏まっている、という風にとれなくはなかったが、それ以上の感情が篭っている事が見て取れた。   ...それも、そうだろう。   愛娘が、自らの意思とは関係なく、異国の者の妻とされてしまうのだ。   面白かろう筈がなかった。   少し、彼に申し訳なく思ったが、私もスリギィランドの騎士としての務めとして彼の娘を娶る事にしたのだし、彼もそうなのだろう。   私はクニミツから視線を外すと、将軍イエミツへと戻した。   すると将軍イエミツは立ち上がり、クニミツに視線を向けた。 「では、クニミツ、トリスタン殿を丁重にお持て成しせよ。明日の婚儀、楽しみにしておる」 「はっ」   将軍イエミツが言うと、クニミツは一度深々と頭を下げた。   それを見届けると将軍イエミツは、王の間から立ち去った。   彼の姿が見えなくなると、クニミツも立ち上がり、私に、ついてこい、と言わんばかりに目配せをした。   私は頷くと、歩き始めた彼の後を歩く。   それと同時にか、ひそひそと小声の会話が聞こえ始めた。   見なくてもわかる、私についてだろう。髪の色がどうであるとか、そういった内容だったからだ。   いや――例え会話の内容を耳にしなくとも、自分の事を言われていると気づいただろう、   私は特にそれを気にせずに、クニミツのあとについて、部屋を出た。   部屋を出ると、まるで元からいたかのように、クニミツのお付と思われる若者が彼に張り付くようにして歩いていた。   将軍エイミツ城を出ると、用意されていた別の馬車に乗り込んだ。   そして、また半日程馬車に揺られ、クニミツの城へたどり着いた。   彼の城も、将軍イエミツの城に負けず劣らずの広さだった。   馬車から降りると、前の馬車から降りたクニミツに続き、城へ入る。   そして長い廊下を歩き、一つの部屋にたどり着く。   将軍イエミツの玉座と同じ、謁見の間らしかった。   中には、クニミツの家臣と思われる男が数人と、彼の妻と思わしき女性が既に座っていた。   この国の高貴な立場の女性の衣装は、スリギィランドの姫君達とも負けず劣らず、華麗で、なんとも動きづらそうな程に、  多くの布を使っていた。   私が一歩部屋の中に足を踏み入れると、小声が聞こえる。   家臣の男たちの漏らすものだった。   「獣臭いな」「異国の者はいかなる肉でも食らうと聞く」「だから穢れた臭いがするのであるな...」   歓迎されていない事は理解しているし、嫌味を言われる事は覚悟していたが、我が国の事そのものを蔑んだ発言に、少し怒りの感情を抱いた。   何故そこまで嫌うのか。しかし、ここで事を起こす様な事があれば、バクフと国交を結ぶという最終的な判断を下した女王アゼイリアの判断に泥を塗る事になる。   私は感情を押さえ込むと、そちらを見ないように勤めた。 「口を慎め。トリスタン殿を侮辱する事は許さんぞ」   クニミツは唐突に、彼らの方に振り向きもせずにそう言い放った。   彼は、私の事を嫌っている、少なくとも好いてはいないのは、態度からして確かだ。   しかし、私情とは別にして、彼はこの国の、将軍イエミツに仕える一人のサムライなのだろう。   私と、同じなのだ。それを感じると同時に気付く。   この国で今まで出会った人物の中で、将軍イエミツを除き、彼が唯一、私を人として扱ってくれているのだと。   彼が私に対してどのような感情を抱いているのかは別にして、私は一人の騎士として、彼を尊敬せずにはいられなかった。   クニミツは部屋の奥に座ると、将軍イエミツがしたように、私に座るように床を指した。   それに従い、座る。   すると、彼は妻と思わしき女性に顔を向けた。 「伊豆姫は?」 「はい、控えさせております」   その女性が、答える。 「ここへ」 「はい。伊豆姫、入ってらっしゃい」 「はい、只今――」   りん、と鈴が鳴り響いた。   いや、違う。それは、声だった。   鈴のごとく、可憐で、清らかな、声。   聴覚を解して脳にじわり、じわりと響き、魂の中に染みわたってゆく。   そうか、これが、イズヒメの声。   クニミツの座る場所の、私から見て右手側のフスマが開き、女性――少女が、姿を現す。   穢れが見えない澄んだ大きな瞳、小ぶりで少し丸みを帯びた鼻、桜桃のように小さく朱に染まった唇。   多くの布を着ていても、小柄で華奢な体である事が伺える、細い首。   私は、すぐさま、ある物を思い出していた。   貿易商から購入した、風鈴。   彼女はまさに、風鈴のような少女なのだ。   彼女と視線が合い、少しの間、見詰め合った。   私は視線を自ら外す事ができなかった。   彼女が照れるように顔を手で隠すような仕草をして俯いた時、ようやく、私は彼女に見とれていた事に気がついた。   なんとも、情けない話だった。   私は手を強く握り、手のひらに爪を食い込ませた。 「トリスタン殿、これが、そなたの妻となる...予定の、伊豆姫である。  ...しかし、私は納得がいかぬ。  イエミツ様の言う事だから従いはしたが...お主が、本当に私の伊豆姫...そう、お主が言ったように、水戸家の家宝、伊豆姫に相応しい男なのかのか。  建国三十六系譜、円卓の騎士団と言ったか、それが権威あるものであるというのが、嘘だとは言わぬ。  しかし、お主の国の事を知らぬ私にとってはそんなもの、唯の言葉に過ぎん。  表へ出られよ、トリスタン=フィックス殿。そなたの力、を試させて頂きたい。  私に打ち勝てぬ程度の男、伊豆姫には相応しくあろう筈がない!」 「あなた、まだそのような事を...!」   クニミツの妻が、立ち上がった彼に言うが、聞く耳も持たずか、彼は部屋の外へと出て行った。   本来ならば、彼の申し出――決闘を受けるべきではない。   しかし、私は受けてたつ事にした。   私は、誇り高きサムライである彼を敬意を感じているし、妻となる女性の父である彼に自らを認めて貰いたい、そう思ったからだ。   そして―― 「......」   この、不安げに私を見つめる、妻となる可憐な少女に、私の決意を見せなければならない。   私は立ち上がると、彼の後を追って、部屋を出ようとした。 「トリスタン様――」   その時、イズヒメが呟く様に私の名を呼んだ。 「――鴉と鳶に、お気をつけ下さいませ」   鴉と、鳶。何かの暗号だろうか?   私は何の事かはわからなかったが、頷き、クニミツの後を追った。   クニミツの城内には、機械人同士が闘うに十分な広さの庭があった。   クニミツはその庭の真ん中まで歩くと、私の方を振り返った。 「では、準備はよいか、トリスタン殿」   空を切るような眼差しを、クニミツは向けた。 「はい」   私が答えると、クニミツは懐から三つ葉葵の紋章の刻まれた召喚器(印籠と言うものらしい)を取り出し、前に掲げた。 「推参せよ、水戸の守護侍、黄門丸っ!」   印籠が輝き、一体の機械人が姿を表す。   黄金の鎧に身を包み、鬼の顔、腰に剣――刀を帯びた機械人。   そして、両肩に一匹づつ――右肩には鴉、左肩には鳶を模した機械が乗っていた。 『黄門丸、只今参上也!』   クニミツの機械人、黄門丸が叫ぶと、クニミツは黄門丸の腕に足をかけて飛び、背中から登場席へ入った。   私もベルフィットを呼び出す為、召喚器である琥珀のペンダントを胸元から取り出し、琥珀を撫ぜながら呟く。 「出でよ、トリスタンに永燃する狐火、ベルフィット――」  オォォォオオオオオーーン      狐の鳴き声と共に木の葉が現れ竜巻を生み、その中心に小さな青い炎が生まれ、人の形を作り、次第に魔導機ほどの大きさとなり、   木の葉と共に炎が散り、ベルフィットが現れる。   私はベルフィットと視線を合わせた。   すると、私の体は光に包まれて宙に浮き、ベルフィットの胸部へと吸い込まれ、操縦席に入り込んだ。   操縦席、とは言え中は体を動かせる程の広さを持つ空間であり、操縦舵などはない。   私はレイピアを抜き、身構える。それに連動し、ベルフィットもレイピアを構えた。   黄門丸も腰から刀を抜き、身構える。 「我が名は、バクフ国トクガワ三つ葉葵の一葉、水戸家が当主ミト・クニミツ――勝負!」 「スリギィランド女王、アゼイリア=グロリアーナ=スリギィランドの剣、トリスタン=フィックス、受けて立つ!」   決闘の問答を言い合う。すんなりと言葉が出たが、この国にも同じ風習がある事に、少し驚いた。   しばし、互いの剣を向け合って対峙し合う。   どう動くべきか。   なによりまず、『鴉と鳶に、お気をつけ下さいませ』、というイズヒメの言葉が気にかかった。   黄門丸の両肩の鴉と、鳶。   あれは恐らく、ビット――遠隔型の攻撃兵器だろう。   ビットは死角からの攻撃等に適し、強力な兵器ではあるが、扱いづらく、装備している機体は少ない。   つまりクニミツは、それを扱う技量を持った操者なのだ。   私も、本気をださなければ容易に負けてしまうかもしれない。   私は、ベルフィットの肩の鈴を、りん、りん、と鳴らす。   ベルフィットの鈴は私の意思通りに鳴らし、止ませる事ができる。   鈴の音に紛れさせ、剣の音を消し、混乱させて戦うのが、私の戦法だ。   先に動いたのは、黄門丸だった。   黄門丸は刀を抜き、こちらに切りかかる。   身を引き、それをかわす。   早く、鋭い斬り。しかし、ただそれだけではない。   刀の間合いギリギリからであり、こちらの攻撃をかわす余裕をも持った一撃だった。   かわしながら、鈴の音と共に突きを放つ。  ギィン!   黄門丸は返し刀で突きを弾く。   弾かれる力に任せ、手のひらを返してさらに私は突く、それもさらに刀を返し、弾く。   黄門丸の力は強い。恐らく、ベルフィット以上だろう。   何度か剣戟を繰り返すと、互いに飛びのき、距離をとった。   対峙し、弧を描くように動く。   次は、私が先に打って出た。   半身で、刀の間合いより遠めから、突く。   黄門丸はそれを刀で弾こうとするが、弾かれる前にレイピアを引く。   徐々にその速度をあげてゆく。   黄門丸の刀はその度に空を切った。   それがリズムよく行われ始めた途端に、突きの初動のみを行い、ベルフィットの腕を引き、フェイントを仕掛ける。   見事にそれに乗り、黄門丸の刀が空を切ると同時にベルフィットは踏み込み、突きを放った。   しかし、寸での所で黄門丸は身を引き、黄門丸の肩を霞めただけに終わった。 『クニミツ殿、何故、スケさんカクさん――飛斗(ビット)を使わぬのでござるか!』   黄門丸がクニミツに叫ぶ。やはり、あの両肩の二羽は、スケさん、カクさんという名のビットだったらしい。   しかし、何故、彼はそれを使わない? 「ええい、黙れ黄門丸!侍同士の決闘に口を挟むでない!飛斗は敵を殺める為の物、  勝負事には無用じゃ!」 『ぬぬ...!そうクニミツ殿が言われるならば仕方ない...!』    彼は、誇り高きサムライだ。私も、彼と同じようにあらねば、恥となるだろう。   純粋な、剣同士の勝負。彼がビットを使わないのならば、私は、ベルフィットの鈴の音を使わず、剣技のみで彼を打ち負かす。   それが、私の決意を彼に示す方法だ。   私はレイピアを真っ直ぐ、黄門丸に向けた。   黄門丸は両手で刀をしかりと握り、真っ直ぐ天に向けた。   そして、真っ直ぐに、私に、ベルフィットに向かって走り始め、砂塵を撒き散らす。   私は半身で身構え、迎撃の準備を整える。   黄門丸はさきほどと同じように、刀の届くぎりぎりから横に凪ぐ、それをレイピアで迎え突く――  ブォンッ!   しかし、ブースターの吹かせる音が耳に入る。ベルフィットではなく、黄門丸の発したものだった。   レイピアは黄門丸の兜を貫くが、黄門丸はそのままこちらに向けて直進し、斬撃を伸ばした。   懐に潜り込まれた――!?   私は咄嗟に飛びのくが、伸びた斬撃はベルフィットを切り裂く。  ドォッ――   後方で着地し、すぐさまベルフィットの損傷を確認する。   どうやら、なんとか――胸部を少し斬られただけで済んだようだ。   それにしても、突きを恐れず突進し、懐に潜り込んでくるとはなんとも大胆な攻撃だろう。   しかし判断としては正しい。レイピアは突くものであり、斬る事ができない。   ならば懐に入ってしまえば攻撃はできないのである。   魔導機同士の戦いとは少し事情は違うものの、魔導機の操縦技量は操者の技量に大きく比例する。   つまり、もし生身同士で戦っていれば、私は彼の耳を貫き、彼は私の胸を切り裂いていた事になる。   恐らく、その時点で私の敗北は決していただろう。   ミト・クニミツ――彼は、かなりの腕の刀使いだ。   私と彼の腕は対等、若しくはやや相手のほうが上の可能性がある。   これ以上闘いが長引けば、不利に陥る。   例えるならば、私は柔の剣、彼は剛の剣。   剛の剣はタフネスであり、力強く、長期戦になればなるほどその力を発揮する。   剛の剣は傷を負えば負うほど痛みを力とし、力強い剣を振るうからだ。   それに対し、柔の剣はテクニックであり、精密な速攻により、短期戦で力を発揮する。   そして、柔の剣は傷を負えば負うほど、焦りと痛みにより、精密さを損なうのである。   私は、レイピアを構えた。   次で、決める。   そう心の中でつぶやいた。   ベルフィットを黄門丸に向けて走らせる。黄門丸は刀を両手で大上段の構えをとった。   あの、上段の斬撃範囲に入る事は、頭から真っ二つに裂かれる事を意味している。   だが、彼がしたように、大胆に挑まなければ、勝ち目はない。   レイピアを握る手を下げ、更に速度をあげて突進する。   私は黄門丸の懐に潜り込み、レイピアを一気に突き上げ――黄門丸はベルフィットにめがけ刀を振り下ろす――!  ガッ――!   黄門丸の腕は大上段の構えのまま、刀を振り下ろされる事はなかった。   レイピアの切っ先が黄門丸の左前腕から右上腕にかけて貫いているからだ。  バシュ――   黄門丸の腕が煙をあげ、刀を落とす。   勝負は、決した。   私は、レイピアを引き抜いた。   クニミツは黄門丸の背から飛び降り、前に出て、ベルフィットを見上げた。   その顔は、出会ったときに私を睨んだ鋭い眼光ではなく、至極穏やかなものだった。 「...私の負けだ、トリスタン殿」 『まだまだでござる!!我輩はまだまだ戦えますぞ!!』 「ええい、往生際が悪いぞ黄門丸!おぬしそれでも侍の端くれか!!  ささとからくり職人の元へ行きその腕を治してこい!」 『ぐぅぅ!我輩、ちょっと涙目!』   黄門丸は叫ぶと、刀を拾い上げて鞘に収め、がしゃ、がしゃと足を踏み鳴らしてどこかへ走り去った。   恐らく、魔機鍛冶師――からくり職人の元へ行ったのだろう。   私もベルフィットから飛び降りると、ペンダントの琥珀を撫ぜた。   木の葉が舞い、ベルフィットは姿を消す。   ベルフィットを封印し終えると、私はクニミツを見据えた。 「トリスタン殿、私の負けだ。  そなたは、私の一番の宝を任せるに相応しい力量...そして魂を持っておる。  私は安心して伊豆姫を嫁がせる事ができる...。  ...申し訳なかった、長旅で疲れておるだろうに勝負など...」   彼は、笑顔でそう言った。   私は、彼に認められた事が、素直に嬉しかった。 「いえ、クニミツ...私はあなたと戦えた事を、心から感謝しています。  あなたと刃を交えた事で、この国の"サムライ"の魂に触れる事ができました。  恥ずかしながら...異文化を持つバクフの方々に対して、私は偏見を持っていました。  ですが、あなたのお陰で私はその偏見を解き、理解に勤める事ができるようになったと思います。  ...クニミツ、あなたの家宝を、騎士の誇りにかけてお守り致します」 「そうか...もう、晩飯の時間だ。異国人のそなたの口には合わぬやもしれぬが...存分に味わって頂きたい。  では、私についてきたまえ」   そういうと彼は城内に向かって歩き始めた。確かに、日は傾むき、辺りは暗くなり始めていた。   いつのまにやら集まっていた家臣達も、それに続いて歩き始め、私もそれに続く。   直接の主人である、クニミツが私を認めたお陰か、彼らは特に嫌な顔をしなかった。   この国を出るまでの間、嫌悪の目でみられ続けるのだろう、と少々憂鬱だった私にとって、それはかなりありがたい事だった。   クニミツに案内され、食事の部屋に入ると、既にそこには食事が並んでおり、皆が席に着くと、食事が始まった。   私は、クニミツ自身の指定により、彼の右前、一番彼に近い席に座っていた。   メニューは、焼いた魚、野菜、茶色くにごったスープ…とにかく、国では見ない物ばかりだった。   そしてなんとも困難だったのは、ハシと呼ばれる食器だ。   普段、両手を使い、ナイフとフォークで食事をしている私にとって、この二本の棒を右手に、そして左手に器を持って食事をする事などできなかった。   しかし、この国に馴染む為にもちゃんとハシを使って食事をするべきだろう、と思い、何度も何度も落としながら食事をつついていた。   その度にクニミツや家臣達...そしてイズヒメにも笑われてしまい、恥をかいた。   しかしながら、さほど味は悪くない、と思った。ミソシル、と呼ばれる茶色く濁ったスープの、濃く、甘く、苦い味には少々度肝を抜かれたが。   そしてもう一つ困ったのが、バクフシュ、と呼ばれる酒だ。   ワインは朱色で苦いが、このバクフシュは透き通っていて、辛さの中に甘みがあり、飲みやすい――が、飲めば飲むほど彼らは注ぐのである。   いや、正確には注いでいたのはイズヒメで、クニミツやその家臣達が注がせるのだ。   お陰で、食事を終える頃には目が回りそうだった。   自国について話を、とせがまれ私は呂律の回らない舌で、スリギィランドの風習や食事、文化について語った。   彼らは意外な程に興味深そうに聞き入っていたのが、私にはとても嬉しかった。   食事が終わると、風呂へ、とクニミツに勧められた。 「伊豆姫、トリスタン殿の風呂を」   イズヒメはクニミツにそういわれると、はい、と応えて私を庭へ連れ出した。   案内された先には、鉄鍋のような物が置かれており、その下に火がつけられ、それにメイド――女中が、竹筒で息を吹きかけ、火を保っていた。   何故庭なのか、と疑問に思い彼女に尋ねると、 「...今夜は、月夜が綺麗でございましょう?  父上は、夜景色を眺めながら風呂に入るのは、最高の贅沢だと考えてらっしゃいます。  ですから...父上は、その贅沢をトリスタン様にも味わって頂きたいのだと思います」   確かに、月が綺麗な夜だった。     スリギィでは室内で湯浴びをする程度で、湯に体をつける事はあまりない。   これも、国に戻ってからはできない、一つの貴重な体験だ。   食事の席で未知なる味に出会った時と同じように、この風呂も楽しみだった。   イズヒメは女中に近づくと、「後はわたくしが」と声をかけ、女中は「かしこまりました」と答えて城の方へと去っていった。   姫である彼女が、風呂の世話をするというのだろうか?   これには意外だった。 「イズヒメ殿、世話をメイドではなく貴方がされるのですか?」   私が質問すると、彼女は答えた。 「旦那様の世話をするのは妻の役目にございます。  トリスタン様は、もう私の旦那様になられるお方ですから、わたくしがお世話をさせて頂きます」   私は関心――というより、驚いた。   他の騎士や貴族達の妻が、そして姫という立場の女性が、夫の身の回りの世話を焼くなど、聞いたことがなかった。   しかし、妻に――イズヒメに世話をしてもらうというのは、悪い気はしなかった。   私はその釜風呂(五右衛門風呂と言うらしい)に近づくと、イズヒメが傍に身を寄せ、服に手をかけた。   白く華奢な手が、月に照らされ、輝いていた。   しかしその手は――イズヒメは、私の服をどうやって脱がせればいいのかわからないらしく、眉を寄せながら奮闘していた。   その幼い少女のような姿がとても可愛らしく、愛しかった。   しばらく苦戦している様子を眺めていると、彼女は「申し訳ありません...」と何か悪さでもした子供が叱りを受けるような表情でつぶやいた。   私は服の構造を解説しながら自ら服を脱いだ。   その説明を一生懸命に聞きながら彼女は、私の服を受け取り、風呂の足元に置かれていた籠に綺麗にたたんでおいてゆく。   妻としての役目を果たす為に懸命になっている彼女が愛しく、抱きしめたい衝動にかられた。   しかし、私はまだ彼女と結婚していないのだから、そうする訳にはいかなかった。   騎士や貴族の中には婚約していない女性とも、他人の妻とも見境なく興じる人は沢山いるが、私はどうも、そうはなれないらしい。   私は全裸になると、彼女は頬を染めながら手ぬぐいを私に差し出した。   私自身、彼女に裸を、特に急所を見せるのは恥ずかしかったので、ありがたかった。   てぬぐいを受け取ると急所を隠し、風呂へと登る石段に足をかけた。   イズヒメは竹筒を持ち、火に息を吹きかけ始めた。   なんというか、見ただけでかなり熱そうであるが――この国の人々は、これに日常的に入っているのだ。   私にも入れない事は、恐らくない。   私は恐る恐る、足の指先から風呂に入り始め―― 「っぁあああぁーーっ!?」   私は飛び上がり、後ろ向きに石段から転げ落ちた。   あまりにも、熱すぎる、本当にバクフの人はこんな物に日常的に入っているのだろうか!   これはまるで、拷問のようだ! 「トリスタン様!!」      イズヒメが私に心配気な表情で駆け寄ってきた。   なんとも、私は情けないのだろう...。 「バクフの方々は...本当にこんなものに毎日入っているのですか?  熱すぎるのですが...」   私が言うと、彼女は驚きながら意外そうな表情をした。 「父上はこれより熱い風呂に入られます...。  父上が入る風呂は他の殿方が入られるものより熱い、と聞いておりましたので、かなり温めに調節したのですが...。  申し訳ありません...!」   クニミツがこれより遥かに熱い風呂に入っている事にも驚いたが、   バクフ人は日常的にこんな熱さの風呂に入っているという事にも驚いた。   イズヒメにさらに温度を低くして貰い、私はなんとか風呂に入る事ができた。   それでも、熱い。   あんなに熱い風呂に好んで入るバクフの武人は、皆強いに違いない...。   しかし、確かに熱いのだが、これがまた、慣れると、外気の温度と湯の温度の差が、心地いい事に気付いた。 「トリスタン様、お湯加減は如何ですか?」 「まだ少し熱いですが、恐らく、これくらいが丁度いいでしょう」 「それは、良うございました」   その風鈴の様な涼やかで可憐な声の主は、見なくても微笑んでいる事がわかった。   国に戻っても、この、釜風呂に入りたい。   彼女に世話をして貰いながら――そうぼんやりと思いながら、私は月夜を眺めていた。 ―――トリスタンと伊豆姫 前編(終)