人魔大戦後SS            『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』  ――俺はたぶん『お兄ちゃん』みたいにはなれないよ。                 † † † †  学者たちの会合というものがある。  様々な分野の学者たちが集まって情報交換をする。  ――という名目でバカ騒ぎをする為だ。  勿論、最初のうちは他の畑の学者たちと真面目に話をして、自分の分野についての意見 を聞いたり相手の分野についての意見を言ったりする。  その意見はそんな考え方もあったのか、というようなものからてめぇこっちのことにつ いてよく知らねーのによくそんな偉そうな口叩けるな、というものまで様々だ。  どんな意見でも確かに自分の研究の糸口になったりするから侮れないものでもあるが。  で、夜が深まっていくにつれて段々と真面目な人たちは退出していく。  この会合は暗黙の了解で二部構成となっており、バカ騒ぎはその第二部の方だ。  これに参加するのは若い学者が多く、年寄り連中はさっさと帰ってしまう。中には若い 頃の気分のまま参加する人もいるみたいだけれど、そういうバカ――良い意味でね――は 少ない。  そして、ゆっくりと第二部の開始時間に近付いてゆく。  右手にジュースの入ったグラスを持ったままぷらぷらと会場内を徘徊する。誰か見知っ た顔は無いだろうかときょろきょろしていると、 「ガレット」  呟きと共に白衣の裾を引っ張られた。こんなことをするのは一人しかいない。 「コリー……、裾引っ張るなって何度言ったら分かる」  俺はそいつに向き直って注意する。  今俺の目の前にいるのは黒髪を後ろで結った眼鏡の女性の名はコリーヌ・アンデルスと 言う。学院時代からの一つ下の後輩で俺とガストの後ろをくっついてきていた。 「知ってる人少ないし」  無視しやがった。 「だからといって裾を引っ張っていい理由になりません」 「ごめん」  無表情のまま謝るコリー。結構長い付き合いがあるが、寡黙な性格の所為で未だにこい つという人間が分からない。まぁ、反省していないことだけは分かるが。 「あ、いたであります」  裾を掴んで離さないコリーを振りほどこうと裾を振り回したり手をつねったりしている と、コリーの後方からミニスカートのメイド服に身を包んだ桃色の髪の少女がやってくる。 「なにしてるでありますか。もーガレット所長に迷惑かけて」  少女は裾を掴んだままのコリーを俺から引き剥がそうとして彼女を掴んだ。 「ほら、所長が困ってますよ。離すであります」  そう言うと俺の顔をちらっと見た後、仕方ないとばかりにコリーはようやく俺の白衣を 離したのだった。  コリーの扱いに長けたこの少女はたしか相棒の魔導式自動人形、アリシア・ヌル・アン デルスだったと思う。以前聞いた所によると先祖代々アンデルス家に仕えており、かなり 長い間稼動し続けているらしい。  今度機会があれば是非調べさせてもらいたいものである。 「お守りありがとうございます。さっき先生に散々怒られて逃げ出したんであります」  そんな俺の考えを知らないであろうアリシアはコリーのわき腹を両手で掴みぷらぷらと 揺らしながらそう言う。 「あー、モーニング先生か。さっき鬼の形相で帰っていったぞ」 「コリー、先生は帰ったそうですよ。安心するであります」  それを聞いてコリーはほっとした顔をした。  モーニング先生は歳にして六十ほどであるが、現在でも現役の考古学者であり、コリー ヌの上司でもある。そのモーニング先生はかの天空城探索を成し遂げたディライト=モー ニングの直弟子でもあり、モーニングの名を継承しているとかなんとか。  ちなみにディライト=モーニングと違ってすげぇ怖いとその道では評判だ。 「今回は何したんだ」 「遺跡に巣食った魔物退治しようとして遺跡を全壊させたであります」 「全……壊……」  開いた口が塞がらない。きっと今俺の顔はすごいことになってるだろう。  遺跡を半壊じゃなくて全壊とは……。  こいつアホだ。師匠のハロウド=アゲインさんはあんなにも折り目正しい――書面でし かやり取りしたこと無いけども――と言うのに何でそういうとこは似なかったんだろうか。 「まぁ、すでに調査の終了していた遺跡だったというのが唯一の救いなんですが、先生は 沸騰した薬缶みたいに怒っちゃって――」  そりゃそうだろうなぁ。  先ほど見たモーニング先生の顔を思い出す。あれは事象龍も裸足で逃げ出す顔だ。 「でもアリシアだって暴れたじゃないか」 「コリーの命令を忠実に守っただけであります」  ふーんと澄ました顔をしてアリシアはしらばっくれた。  この主人にしてこの人形ありである。 「まぁいいや……。で、お前ら二部には参加するのか」  呆れながら尋ねる。まだここに残っているという事はそういうことなのであろう。  いつも帰る組にしては珍しい。 「先生に会いたくないし」 「そういうことであります」  予想通りの答えだ。きっとこいつの行動はモーニング先生か遺跡が決めていることだろ う。 「まぁ、楽しんでいけよ。今日のビンゴ大会の司会はガストだってよ」 「道理で」  そう言ってコリーは会場を見回した。その動作を見てようやく『会場が静かだ』を略し ていることに気づいた。こいつは言いたい事の大部分を略すから動作に気を配らないとい けないのが辛かったりする。  それは脇においておくとして、たしかに今日の会場はいつもより静かだった。というか いつもがガストの所為で煩過ぎるのもあるが。 「それにしても所長は何をしていたでありますか」  不思議そうな顔でアリシアが尋ねてくる。  その理由を俺は言える訳も無く―― 「いつも見ない奴らの顔見ようと思ってな」  咄嗟に誤魔化した。 「あまり皇国から出られないしな。研究所来ない奴らの顔見ねぇと忘れちまう」 「そうでありますか。コリーの顔でよければ沢山見てください」  ずいっとコリーを前に出してくる。  鼻もくっつきそうな距離だと言うのに色気も何も無い。  まぁこいつは妹みたいなもんだからこれに欲情したら色々とやばいってのもあるが。 「ガレット……近い……」  そんなことを考えていたら、顔を離すのをすっかり忘れてしまっていたようで、コリー に言われてようやく俺は顔を離した。  というか、俺に言うよりも変な顔をしている間に自分で顔離せばいいのに。  そんな俺の顔もきっと相当に変な顔だったんだろう。口を一文字にして「イーッ」なん てやっていた。 「んじゃ、他の奴ら見てくるわ」  最後にコリーとアリシアに握手してその場を離れた。  二人に背を向けて二、三歩進んだ後、背後からアリシアの声がする。 「リカナディア所長もいたでありますよ」  小さな声だったけれど、俺には十分聞こえた。  というよりも聞き逃すはずが無い。彼女についてのことを。  会場内を早足に歩き回る。あちこち見て回ってようやく彼女を見つけた頃には身体が異 常な程に熱気を帯びていた。  彼女――リカナディアはいつもとは少し違った服装をしている。  普段は服に擬態させている翼を小さくし、背中の開いた白いドレスを着ていた。背中の 翼は彼女がエルダーデーモンであることを知らなければ分からないほど小さく、肩甲骨に 馴染んでいた。うなじから背中にかけての肌は陶器のように滑らかで――、  などと解説してみようと思ったが俺の中にあるのはただ一つの言葉だけであって、どん な言葉を並べた所でそれはつまり綺麗だという一言に尽きるのだ。  そんでもって死ぬほど緊張した。  手汗で掌はべたべた。背中も背中で汗でぐっしょり濡れてるし、頬も熱い。  俺はリカナディアから目を離せないまま、掌を白衣で拭いたあと、軽く手を上げてなる べく自然に声をかけた。 「アーキィ、ひさしぶりゃッ!?」  噛んだ。  盛大に噛んだ。  これでもかというぐらい噛んでしまった。  恥ずかしさで死にたい。リカナディアもきょとんとした目で俺を見てる。 「ひ、久しぶり……」  冷や汗を浮かべつつ、もう一度言い直す。上げた手がなんとも情けない上に、笑いも多 分気持ち悪いぐらいに引き攣ってる。こんなことなら話しかけなきゃ良かった。 「フフッ、久しぶり」  笑いながらリカナディアは答えてくれる。  前言撤回。  やっぱ話しかけてよかった。笑顔が死ぬほど可愛い。 「め、珍しいな。いつもはあ、あまり来ないのに」  テンパりまくってるのが自分でも良く分かる。 「うん、今日はマキアもビギナーニさんも来れなくて。さすがに一研究所からそれなりの 立場の人が会合に顔出さないんじゃまずいもんね」 「そ、そういやそうだな。でも人が沢山いるとこ苦手じゃなかったっけ」  さっきから吃音が酷い。前はこんなことなかったのにいつからリカナディアと自然に話 せなくなったんだろうか。 「さっきから聞いてると私に来て欲しくなかったように聞こえるけどー……」  眉根にしわを寄せてずいっと顔を俺に近づける。  さっきコリーと顔が近付いた時よりも遠いのに、今度は鼓動が早くなった。やっぱりリ カナディアはコリーとは違う。 「聞、い、て、る、の」  そう言って彼女は俺の鼻を指で弾いた。  突然だったことと現在の俺の精神状態が異常だったことも手伝って俺は鼻を押さえて思 わず必要以上にのけぞってしまい、結果バランスを崩して俺はしりもちをついた。かなり 大きな音を立てしりもちをついたので何人かがこっちを見ていた。 「ご、ごめん! 大丈夫? びっくりさせすぎたね」  床に座ったまま立ち上がらない俺にリカナディアは慌てて駆け寄って手を差し出してく る。まずい。非常にまずい。リカナディアはこういうことをすごく気にする。大丈夫だよ とか言って普通に立ち上がれるならいいのだが、今の俺は相当やばい。取り繕う度に失敗 する気がする。手を握って立ち上がればいいのだがリカナディアの手を握ったら今異常な ほど活発に動いている心臓が破裂する可能性だって否めない。比喩とかじゃ無しにマジで。 それに、さっき拭いた筈の掌はすでに手汗でびちゃびちゃだ。こんな手でリカナディアの 手を握れるはずも無い。気持ち悪いとか思われたら多分この先生きていける自信がない。 いや、多分リカナディアはそんなこと思わないし、気にしないだろうけど俺が気にする。 でも手をとらなかったらとらなかったで気にするだろう。でもリカナディアと手を繋ぎた いという願望もあって――。 「あ、あぁ……。大丈夫……」  そんなコンマ数秒の葛藤を乗り切って俺はリカナディアの手をとり立ち上がった。  リカナディアの手の柔らかさとか、指の細さとか、そんなもん感じる以前にぐっしょり と濡れた俺の掌がただただ申し訳なかった。 「よかった。腰とか痛めてない? 寝不足だった?」  物凄い心配してくれて、またもや申し訳なくなる。リカナディアが悪いんじゃない。俺 がへたれだからいけないんだ。 「すごい、汗かいてるね」  そんなぐじぐじと考えている俺を尻目に手汗で濡れている掌を見てまたリカナディアは 笑った。それを見て変な顔してなくてよかったとかそんな顔して実は嫌いになったんじゃ ないかとか色んなことを考えてなんかもう、へこんだ。 「情けねーなあ、俺」  思わず口から出てしまう。  リカナディアを見るとなんだか嬉しそうな顔をしていた。 「どしたんだよ、そんな顔して」 「うぅん、お兄ちゃんもそんな風だったからさ」  ――お兄ちゃん。  リカナディアの想い人。そしてもう、いない人。  彼女の話の端々にいつも彼は登場する。名前は知らない。  どの文献を見ても彼はトゥルスィ=アーキィの助手としてしか登場しない。  本だったらきっと主人公の周りにいる脇役だろう。  でも、彼女にとって彼は――主人公なのだ。 「アーキィ。前々から聞きたかったんだけど――」 「今日もどこからともなく集まってきやがったなこのうじ虫学者ども!」  今でも彼が好きなのか訊きたかった。訊こうと思った。でも俺の言葉にガストの馬鹿で かい声が被さって、結局リカナディアにその言葉は届かなかった。 「いいか、今日は久しぶりにビンゴ大会だ。景品欲しかったら気合入れて数字書き込め よ!」  会場の前の壇でガストは魔導拡声器の所為でいつも以上にうるさかった。 「ガストは本当に元気だね……。で、今何か言おうとしてたよね」 「いや、なんでもない。ほれ、ビンゴカード来たぞ」  二度も訊く気力は無い。前のほうから回ってきたカードをリカナディアに渡すと、俺が 何か言おうとしていたことなんてすっかり忘れて数字を書き込み始めた。 「随分張り切ってるな」 「うん、ちょっと欲しいのがあって」  今回は色んな研究所からガストが商品をもらってきたらしい。うち――王立魔法研究所 に限って言えばほぼ強奪のようなものだった。あの魔導式拡声器も本来はうちの備品であ る。 「今回の景品は色んな研究所を回ってごうだ――戴いてきた豪華なものばかりだ。欲しい 物が無くなる前にビンゴが出るといいな。さーてお前らが数字書き込んでる間に景品の紹 介するぞ」  そう言ってガストが壇上にある景品を手に取ると、他の奴らも景品を見ようとぞろぞろ と前に集まる。俺もリカナディアも人ごみは嫌いなので後ろのほうでぼーっとそれを眺め ていた。 「えー、色んな所からもらってきたんだけど個人的にこれはいい! と思ったものを紹介 していくぞ。まずは古代遺跡研究所からもらった『慧眼』だな。そのものの大体の古さを 鑑定できるようになる眼鏡だ。ちなみにこれはコリーヌ・アンデルスさんからの提供だな」  古びたモノクルを掲げて皆に見せる。俺もちょっと欲しかった。 「次は王立魔物生態研究所からもらった『アジ=ダズ=ゲイズの1/16スケールフィギュ ア』だ。かなり細部まで作りこんであるぞ」  ガストがそう解説するとリカナディアの顔が子供みたいになった。  なるほど、これが欲しいのか。 「ちなみにこれをもらうところをアーキィ所長に見られてそれを私に渡せと迫られたが しっかりビンゴでもらえと言ったのは秘密だ」  どっと会場が沸いた。当のリカナディアはというと頬を膨らませてむくれていた。 「あんなに言っちゃ駄目だって言っておいたのに」 「ガストにそれは無理な相談だな。よしよし」  笑いながらリカナディアの頭を撫でる。いつの間にやら手汗は止まっていた。ガスト様 様だな。ほんとに。 「さー、最後は魔法研究所からだな。所長のガレットとはマブダチだから色々くれたぞ。 たとえばこの所長って書かれた三角錐とかジョバンニ=ベンリの肖像画に憑いた精霊の ファムファタールとかだな」 「無いと思ったらお前が持っていってたのか! ファムファタールはいいとして三角錐は 今すぐ返せ!」  思わず大声で突っ込んでしまった。それを聞いて何人かがファムファタールのが大事だ ろーとか言ってくるけど関係ない。あっちはビギィが勝手に置いていった絵だ。 「返して欲しかったらビンゴすることだな! それにこれで終りだと思うなよ。本当の目 玉はこいつだ!」  そう叫んでガストは何かを取り出した。紺色をした布はどこか見たことがある服で―― って、 「ああああああああああ!」  指差し、絶叫。 「取り乱してるガレット所長は置いといて、こいつの解説が必要だな。これはウォンベリ エ魔法技術開発協会がスライム使いに推奨する女性用耐水耐暑コスチュームだ。おっと、 『私スライム使いじゃないもん』とか『俺男だし』なんて早まるなよ。こいつは協会会長、 ガレット=フラシュル氏の変態的な目的によって作られたもので簡易魔法レジスト、魔力 増強、エトセトラ……と、異様なまでに色んな効果を詰め込んだ服だ。フラシュル氏がこ れを誰に着せようと考えていたのかは知らんけど持っておいて損は無い服だぜ!」  もうね、何がなんだか分からない。  俺は指差したまま動けない。隣にいるリカナディアの表情見たくねぇええええ。 「ご、誤解だからな?」  とまったはずの冷や汗が再発。  ゆっくりリカナディアの顔を見ると、平然とした顔をしていた。 「うん、分かってるよ。お兄ちゃんも所長――トゥルスィさんにあんな風にいじられてた もん。本当にガレットはお兄ちゃんに似てる」  ここらが年上の貫禄というやつなのだろう。見た目より長生きしてるだけあって反応が どこか違う。これが罷璃あたりだったら『変態!』と罵りつつ殴ってくる所だろう。  罷璃がどうだこうだはおいといて、俺がその『お兄ちゃん』に重ね合わせられている事 については喜ぶべきことかと言ったら分からない所であって。  『お兄ちゃん』が出てくると、リカナディアはどこか俺から一歩引いているようにいつ も感じる。彼女は俺を『お兄ちゃん』の代替物として扱っている訳でないのは分かってい るし、好きな人に似ていると言われるのはとても嬉しいが、その度に何故か感じる隔たり がとても嫌だった。 「――ット。ガレット。もう三つも穴開いてるよ」  小難しいことを考えるといつの間にか時間が過ぎてしまうもので、ビンゴゲームが始 まっている上に俺のビンゴカードはリカナディアの手によって三つ目の穴を開けられたと ころだった。 「い、いつの間に……」  三つ穴が開いていたものの、そのどれもがばらばらの場所でリーチにはなっていなかっ た。リカナディアは、と覗くとフリースポット以外穴が開いていなかった。こういうのは 気合を入れる人に限って当たらないものである。 「えーと、Bの8」  箱の中から玉を取り出して数字をどんどん読み上げていく。  俺の方はぽつぽつと埋まっていくのだが、どうにも彼女のは埋まらない。いつも結構運 いいのになぁ。 「Gの59」  あ、リーチした。 「リーチ」  リカナディアの視線が痛すぎてなかなか大きな声で言えなかった。  どうも初リーチだったようで、一部からおぉと声があがった。 「……」  視線が痛い。  リカナディアが物凄い目で睨んでくる。 「〜〜〜〜〜ッ!」  無言のまま前方の人ごみにずんずんと入っていくリカナディア。  人が沢山いるところは苦手だったはずだけど――、とりあえずリカナディアについてい く。 「Iの18」  俺のに18は無し。どうやらようやくリカナディアのビンゴシートにも穴が開いたようだ。 「Gの47」  俺も、リカナディアも無し。 「Oの75」 「ビンゴー」  適当に答える。 「おいおい、誰かビンゴだったみたいだけど全然聞こえねーぜ。ほら、大きい声で言って みろ」 「ビ・ン・ゴ!!」  大きな声で答えると、ガストは本当にいやらしい笑顔を浮かべ、 「所長がビンゴだってよ!」  大きな声でそう言った。渋面を作って壇の上に上がる。 「はい、初ビンゴおめでとう。で、所長はこの耐水耐暑コスチュームが欲しいんだよな。 誰に着せるんだい」  ガストを無視して景品棚を見る。とりあえずガストは後で殴っておくとして、三角錐で も返してもらうか……、と思っていたら視界の端にアジ=ダズ=ゲイズの模型が止まった。  俺の三角錐は欲しがる人はいないだろうけどこれは欲しがる人いそうだもんなぁ。  とりあえず、確保ということで景品にはその模型を選んだ。 「アーキィ所長が欲しがってたのをもらっていくとはなかなか鬼畜だな!」  うぅ……、やっぱりそう見られるか。 「という訳でアジ=ダズ=ゲイズの模型は無くなったぞ! 欲しい奴がいたらガレットを 恨む事だな! さーお次の番号は」  壇から降りてリカナディアのところに戻るとさっきよりも視線が鋭かった。  こ、殺される! 「ガレットォ〜……」 「か、確保しておいただけだから。ビンゴしたら代わりに俺の三角錐もらってきてくれよ。 それで交換だ」 「……」  だ、駄目か! 「……」  半目で俺を見つめたままリカナディアは動かない。 「? アーキィ?」  俺が声をかけると、目を閉じて前のめりに倒れてきた。  急いで駆け寄り床にぶつかる前に支えた。 「おい、リカナディア!?」  思わず叫んでしまう。  今までざわざわと騒がしかった会場が凍り、全員の視線が俺たち二人に集まる。折角楽 しいパーティーを潰すわけにはいかない。どうしようかと頭を巡らしているうちにガスト の一際大きな声が会場に響いた。 「おいおい、ビンゴで興奮しすぎてアーキィ所長は倒れちまったみたいだな! 保健委員 は早くアーキィ所長を保健室に連れて行ってあげなさい! それから残ったお前らも興奮 しすぎて倒れんなよ! さぁ、次の番号は――Bの2!」  皆、ガストのほうに視線が戻った。こういう時は本当に頼りになるやつだ。  心の中でガストに礼を言いながら俺はリカナディアを抱えて会場から飛び出した。  現在地はウォンベリエの第三講堂。ここから一番近いのは――第二保健室だ。  リカナディアを抱えたまま走る。外はもう真っ暗になっていた。  ガストと一緒に何年も遊びまくったこの学校を忘れるわけも無く、俺は最短距離で、か つ腕の中のリカナディアに刺激を与えないように走り、保健室にたどり着いた。  両手が塞がってるので足で乱暴にドアを開ける。 「先生!」 「うるさい!」  と、そこにいたのは保健の先生ではなかく、俺の恩師でウォンベリエの学長、エル=エ デンス先生だった。 「あ、あれ。保健の先生は?」 「あんたが卒業してからやめちまったよ。今ここは私の休憩室。ベッドはそのまんまだか らさっさと寝かせな」  振り向かないままそう言った。  この人は本当に何でもお見通しだ。  言われたとおりにリカナディアをベッドに寝かせると、いつの間にかエデンス先生は俺 の隣に立っていた。 「あー、別になんてこと無いね。人酔いでぶっ倒れただけだよ。どこもぶつけてないし」  触診もなんもせず、見ただけでそう診断した。  もうちょいしっかり見てくれとか思ったけど、まぁ、先生が言うならそうなんだろう。 「酒でいい気分だったのにぶち壊しだよ。学長室戻るよ」 「ありがとうございました」  頭を下げてエデンス先生を見送る。ドアを閉める直前に先生は呟いた。 「あんた、苦労するよ」  なにが――と訊く前にエデンス先生は保健室から出て行ってしまった。  部屋に残されたのは俺とリカナディア。  仕方なく俺はイスをもってベッドの横に座る。 「……リカナディア」  名前を呼ぶ。  面と向かってはアーキィとしか呼べない。  ビギィとか罷璃みたいにリコなんて呼ぶのはもってのほかだ。  そっとリカナディアの頭を撫でる。 「おにい……ちゃん」  それに反応してリカナディアは小さくそう呟いた。  でも俺は『お兄ちゃん』ではない。  リカナディアの心を占めている『お兄ちゃん』ではない。  すでにいない人間には勝てない。そんなの分かっている。  だから俺は一層絶望を感じられずにはいられないのだ。 「なんだい、リコ」  でも、彼女が望むのなら俺は『お兄ちゃん』の代替物でもいい。  それでも俺は幸せを感じることが出来る。 「あのね、面白い人がいるの」  ガストあたりに聞かれたら殴られるだろう。  勝てない相手でも挑めって。  でもこれは喧嘩じゃない。 「ガレットって言うんだけどね」  これはリカナディアの幸せに関わる問題だ。  彼女の心の隙間を埋める必要がある。  それは『ガレット=フラシュル』じゃない。 「おにいちゃんにそっくりなの」  『お兄ちゃんに似たガレット=フラシュル』だ。  痛い。 「おにいちゃんみたいに打たれ弱いし」  どこかが痛い。  俺はどこかおかしくなっている。 「おにいちゃんみたいに一生懸命だし」  ずくんずくんと痛む。 「でもね」  ――おにいちゃんに似てないの。  そう言った。 「……なんでだい?」 「ガレットをおにいちゃんみたいって思うと心が痛いの」  俺の手を強く握る。  少し、震えていた。 「何でかな、おにいちゃんみたいで、優しくて、私のこと好きだって言ってくれて、すご く、すごく嬉しいのに。何でかな」  何も言えない。  きっと『お兄ちゃん』ならリカナディアを安心させてあげられるのだろう。  でも俺には出来ない。 「それは……僕にも分からないよ。リコ、それは君が見つけないと」  そう言って俺はリカナディアの手を離す。 「おにいちゃん、やだ、離さないで。一緒にいて」  リカナディアはまるで子供のように泣きじゃくる。  でも俺は保健室から出て行った。  彼女の頼みは聞けない。  俺は――『お兄ちゃん』じゃないのだから。 「よう、ビンゴ大会は盛況で終わったよ」  保健室の外ではガストが笑いながら俺を待っていた。  まだ第二部が終わるには早い。  きっと、ビンゴ大会が終わってすぐにこっちに来てくれたのだ。 「で、リコ姉は」 「人酔いだってさ。エデンス先生がそう言った」 「げ、保健室にいんのかよ」  すごい嫌そうな顔をしたが、もういないと言ったら安心した顔をして笑った。 「あのばあさんも早くくたばりゃいいのにな」  笑いながら酷いことを言う。 「んな事言ってると今度お仕置きされるぞ」  学院のどこにいても先生は悪口を聞きつける。どういう原理か知らないけれど。 「ま、あのばあさんはどうでもいいんだ。リコ姉も人酔いならそれでいい。俺が今一番心 配なのはお前だよ――ガレット」  ふらふらしてばっかの癖に。  お祭り騒ぎが大好きのくせに。  いて欲しい時には何でいてくれるんだよ。 「俺だって――、俺だって苦しいんだよ。なんだよ。何で死にやがった。生きろよ。リコ を幸せにしろよ。俺には無理だよ。あいつはあんたじゃ無きゃ無理なんだよ」  涙が――止まらない。  『お兄ちゃん』が大嫌いだ。あいつが幸せにすればよかったのに。あいつが生きていた ら――。 「俺は『お兄ちゃん』みたいにはなれないよ」 「何だお前、『お兄ちゃん』みたくなりたかったのか」  ……。  違う。  でも合ってる。  俺は静かに頷いた。  そして――殴られた。  ガストはぐーで思い切り頬を殴りぬいた。  予期しない衝撃で俺はそのまま飛んで、床に倒れた。 「んなの分かってることじゃねーか。アホだアホだと思ってたがここまでアホとは思わん かったぞ。月並みなこと言うけどな、誰も一人なんだよ。お前は俺になれないし俺はお前 になれないの。あの人が生き返れないのとおんなじだアホ。それに、チャンスじゃねーか。 好きな人がもういないんだぞ。くっつく可能性が無いんだぞ。あの人以上にお前に惚れさ せればいいじゃねーか。なんでそこらの餓鬼でも知ってることがお前は分からないんだ。 死ね! 一回死んであの人にあって許しもらって戻って来いこのアホ!」  最後にもう一度殴られた。  どう考えても最後の一発は頭がこんがらがって整理できなくなったから殴っただけだ。  ガストの言いたい事は分かる。  でも―― 「帰る」 「は?」 「アーキィの傍にいてやってくれ。俺はもう帰る」 「おい、ちょっと――」  ガストを振り切って俺は帰った。  いや――逃げた。                 † † † † 「ヘタレ」 「うぅ……」  学者の会合から一週間ほどが経ち、俺の前には副所長――トヘ=スイがいた。  皇都の結界があまりに雑なのでお説教を喰らい、何でそうなったかを説明して開口一番 そう言われた。 「いや、もう。ほんとに所長はヘタレですねぇ。今は亡きご先祖様も泣いて悲しむことで すよ。あの人の好色振りといったら酷かったらしいですからね」  にやにやと笑いながら俺をいじめる。  なにがそんなに楽しいんだ。 「あなたの気持ちの正体をお教えしましょう。簡単な話ですよ。嫌われたらいやだなぁと その考えに尽きます。別に誰の代替だっていいでしょうに。その人が自分を好いてくれる んでしょ。私はそれで十分だと思いますけどね」  全くもってその通りだ。  でもそれじゃあ―― 「嫌だ。って言いたいんでしょ。代替としてじゃなくて自分を愛して欲しい。でも彼女が 愛してくれるのは自分ではなくてその人に似ている自分だ。だから、その人に似ている自 分を演じずにはいられない。でもそれは自分じゃなくて――と」  ぐぅの音も出ない。  俺以上に俺のことを分かっているこの人は一体何者だ。 「ただの王立魔法研究所副所長ですよ。いいじゃないですか嫌われたって。関心ない方が 怖いんですよ? それに相手はあのエルダーデーモンです。本当だったら好きだの嫌いだ のなんて感じてくれないんですよ」 「それはまぁ――」  その通りである。 「さて、そんな貴方に来客です。私は出てくんでどうぞお話ください」  最後に極上のにやにや笑いを残して副所長は俺の部屋から出て行った。  代わりに入ってきたのは予想通りというかなんというか。 「アーキィ」  だった。  一週間ぶりに見るアーキィはいつもと同じ服を着ていた。 「……」  リカナディアは何も言わないでつかつかとこっちに歩いてくる。 「アーキィ?」  二度目にその名を呼んだとき、リカナディアは俺の机のまん前にいて―― 「リコ」  バンと机を叩いて一言呟いた。 「え?」 「リコって呼びなさい。アーキィじゃなくて、リコ」  ……怒ってる。  顔は笑ってるのにすげぇ怒ってる。 「ちょ、アーキィってば……」  殺さんばかりの視線で俺を貫く。 「リ……」 「リ?」 「リ……カナディア」  さすがに急にリコなんて呼べやしない。 「……」  まだ怒ってらっしゃる。 「リ……だあああああ! やっぱり無理だ! ごめん、リカナディアで許してくれ! い つかちゃんと呼べるようにするから!」 「……」  駄目か?  駄目なのか? 「……リコ」  だああああ、恥ずかしい! 恥ずかしさで死ぬ!  考えてみれば俺だけアーキィって呼ぶのも変だけどさ。  でもこれはやばい。  好きな人を下の名前で呼ぶとか死ぬだろ! 「よく出来ました!」  笑いながらリカナディア――リコは俺の頭を撫でた。  そのあと結構気に入っていたアジ=ダズ=ゲイズの模型は三角錐と交換された。  ぐあー。  この見た目に騙されるがやっぱりこいつはお姉さんで策士だ。                 おわり