夕凪に贈る唄 「お葬式ですか?」  旅人の男がその行列の最後尾の女性に尋ねた。 「いいえ違いますよ」  その女性は嫌な顔もせず、笑って男に答えた。 「これは、この地方の行事です」  そう続ける。 「私もこっちに来て始めて知ったんですけどね」 「じゃあ、お姉さんもここの人じゃない?」 「そうなりますね、元は皇国にいました」  男は少し女に親近感を覚えた。  男も皇国からここに来たのだ。 「これは、先祖の弔いです」  女は男の心境の変化に気付かないまま話を始める。 「この地方では皇国とは違い、暁や原初、蒼の信仰があまり強くありません」 「と、いうことは?」  男は胸元からメモ帳を取り出して何かを記し始める。 「土着信仰が多いわけですね」 「ははぁ、なるほど」  男は帽子の広いつばを軽く持ち上げ行列の先の方を見た。 「今私たちはニナイカライの祠に向かっています」 「えぇと、事象龍の?」 「はい。生殖と生誕を司るニナイカライです」 「先祖の弔いなのに」  首をかしげて男は問う。 「そうですよ。先祖の弔いだからこそニナイカライの祠に行くんです」  男の少し間の抜けた顔を見て女は笑った。 「死んだ魂はどこに行くと思いますか?」 「ゴーストとかゾンビとかなら見たことあるけれど、死んだ魂がどこに行くのかはちょっ と分からないですね」  そんなものが罷り通るこの世界でも、魂の行方は分からない。 「魂は天国に行くんですよ」 「そりゃそうですよ」 「そして天国に行った魂はどうなりますか?」 「神様に許されてそんでこの世の一切合財を捨てて楽園に行くんでしたっけ」 「それは暁、原初の信仰ですよ。ニナイカライの場合はその魂を清浄にして新たな身体を 与えるんです」  そこまで言って男はハッとした顔をして手をぽんと打った。 「分かったようですね。私たちは先祖の魂がニナイカライの元で健やかな新たな身体をも らえるように祈り、謡うのです」 「なるほどねぇ」  感心しながらメモ帳にさらさらと書き込んでゆく。 「これは、どのくらいの頻度で」 「季節が一回りするたびに一度。あの木が花をつける時期にです」  女は丘の上にある木を指差した。  ピンク色の花をつけている木がぽつんと寂しそうに植えてあった。 「つまり、前年中に亡くなった方の遺族がですか」  男はそう言った後でいや、違うな。と呟いた。 「ここら一帯総出――ですね」  確認を取ると女は頷いた。 「死は家族だけのものではありません。亡くなった人に繋がった全ての人のものです」  ムラ社会の典型だ。  男はそう思った。 「ですから、前年中一人でも亡くなれば村全員で祠にお祈りに行くんです」 「じゃあ、一人も死ぬことがなかったら?」 「それでもお祈りに行きます。その場合は全員が健やかでいられるように祈ると共に、先 祖の魂が新しい肉体で健やかに過ごしていることを祈り謡います。この時は少し曲が違う んです」  こくこく頷きながらメモをしていく。すでに三ページ目に入っていた。 「うーむ、暁、原初信仰とはまったく違うんですね」 「えぇ。死ねば許される信仰とは違います」 「――え?」  急に女の口調が変わったものだから男は呆けた声を出してしまった。 「殺しの罪は重いんです。それはニナイカライが清めきれないほどに。だから人を殺した 魂はその罪を背負って新たな身体を得るのです」 「それは、罪を償えとそう言うことですか?」 「いいえ、違います」  女はいつの間にか無表情になっていた。 「ニナイカライは罪を償う事はどうでもいいのです。罪を犯したものは罪を背負ったまま 新たな人生を過ごすのです」 「じゃあもしその人生でも人を殺してしまったら?」 「罪が大きくなります」 「じゃあ、罪は大きくなるばかりじゃないですか!」  思わず叫んでしまった。  行列の幾人かが振り向いたが、すぐに興味を失ったようですぐに前を向いた。 「そうでもありませんよ。その生を真っ当に生きればニナイカライがまた魂を清めてくれ ます。でもそれでも罪は清めきれません」 「じゃあ何度も人生を繰り返して魂を清めろと?」 「そう言うことになりますね」  ――そんな生があってたまるか。  男の考えが顔に出ていたのに気付いて女はぽつりと呟く。 「貴方はこの信仰が許せないようですね」 「あぁ、そんな考えはいやだ」  きっぱりと否定する男を見ないまま女はまた口を開く。 「この一帯は幾度となく戦乱に巻き込まれた歴史があります」 「そ、それは――」  男も知っている。なぜなら―― 「貴方もその戦乱に参加した一人ですからね」 「な、なんで……」  男はひどく狼狽した。  この女は何者だ。 「別に貴方をどうしようなんて事は考えていません。ここで会ったのだって偶然ですし、 それに戦乱は先の大戦だけではありませんしね」  女はひどく歪んだ笑いをした。 「皇暦元年からこの一帯は戦の要地として扱われました。だから、人がよく死んだのです。 死んだと言っては語弊がありますね。殺されたのですよ。様々な権力者や、それに従う兵 達によってね」  ――殺されたのです。  女は特にその部分を言葉を強調した。 「ですから、人殺しを許さない風土と信仰が出来上がっていったのでしょう。そして先の 大戦でその信仰はまた強く人々の心に強く刻まれました」  男はめまいを感じた。  どこか現実感を伴わないこの状況が夢であればいいのにと願った。 「でも私は思うんですよ。この信仰はとても美しいと」 「……なんでだ」 「だって、そうじゃないですか。彼らは平和を願っているだけなんです。人を殺せばそれ は長い間罪を背負わなければならない。でも曲がらず、歪まず生きればいつかその罪は綺 麗になる。そしてそこに超常のものが入り込む余地はありません」  許すものが存在しないのであれば許さないものも存在しないのだ。 「先の大戦は何を生み出しましたか? 何を残しましたか? 憎しみを生み出し、人の、 魔物の心に傷を残しただけじゃないんですか」 「……」  男は答えない。  答えることが出来ない。 「私が守れなかった人がいます。私が見殺しにした人がいます。大切で大切で死んで欲し くないと願った人がいます。私を信じて死んだ人がいます。その人たちの魂が今でもどこ かで健やかに生きていて欲しいと祈る信仰のどこがいけないんでしょうか。その人たちを 殺した人を許さない信仰のどこがいけないんでしょうか。太平な世がありえないのなんて 私が一番良く分かっています。でもそれを望んでいけない道理はありません。平和を祈る ぐらいさせてくれたっていいじゃないですか」  女は静かにそう言って――泣いた。 「貴方には分からない話かもしれませんね」 「う……ぁ……」  男は言葉にならない声しか出ず、その場に立ち尽くすだけだった。  女は――金色の髪を二つに結った女は男を残して行列にしたがって歩き続けた。                 おわり