サイオニクスガーデン 麻生奏詠SS     - PSI'NT Valentine - 02/14 08:30 - 高等部二年教室 -   作戦結果の報告を終え、私は教室にいた。   妙に教室内...いや、学校内が騒がしく、それが少し煩わしかった。   私は後ろの席に座る、出雲兎卯に話しかけた。 「今日は騒がしいわね」 「今日はね、バレンタインだよ」   兎卯がカールした長髪を揺らして笑顔で答える。     彼女は、学内で一番仲が良い相手だ。   ガーデンに入学した時、誰との接触も拒んでいた私には友人などおらず、誰とも会話を交える事はなかった。   でも、唯一人だけ、彼女は私に話しかけ続けた。   最初は会話をするのさえ億劫ではあったのだけれど、次第に打ち解け、ある出来事を境に親友となった。   その出来事については今語らないけれど、私はその出来事によって、成長できた、とだけは言っておこう。   バレンタイン。   私も興味がないとは言え、知識としては知っていた。   外国では事情が少し違うらしいけれど、愛の告白的な意味合いを含め、女性が男性にチョコレートを送る日だ。   なんとも不毛なのは、義理チョコというものがあり、好意を抱いていない相手にも渡すという事だ。   本来の意味とはかけ離れた無価値なイベント、それが私のバレンタインに対する考えだった。 「そう、通りで騒がしいわけね」 「うん。私も奏詠に作ってきたから、昼休みに渡すね〜」 「...ありがとう」   そう、私は兎卯と親しくなってから知ったのだけれど、友チョコ、  という異性ではなく同性の友人に渡す習慣もある。   私は誰にもあげたことがないけれど、兎卯はいつも私に手作りの物をくれる。   彼女は料理好きで、お菓子を作るのも上手だ。   私は彼女の作る優しい味の料理が好きだ。 ──────────────────────────────────────────────── 02/14 12:30 - 高等部二年教室 -   四限目が終わり、先生が退室すると、食事が始まった。   机を動かし、兎卯と机を向き合わせ、座る。   鞄の中から弁当を取り出し、机の上に出す。   この弁当は、兎卯が作ったものだ。   私と兎卯はPGの寮の部屋に二人で住んでいる。   最初は互いに一人で住んでいたけれど、仲良くなってから、兎卯からの提案で、そうする事にした。   私はサイコキネシス能力者で、能力に目覚めた日から能力が増し続けている。   その代償、PC(サイコスト、超能力の代償)として能力発現時には頭痛が伴う。   その為に、作戦時は鎮痛剤を要した。   とは言え、力を最大限まで引き出さなければ、そこまで酷い物じゃない。   今は力をコントロールできるし、鎮痛剤を出来るだけ使用する必要がないように作戦を立て、行っている。   でも、兎卯と同居し始めた当時はまだ、鎮痛剤を多用していて、副作用の所為か作戦が終わって緊張が解けると、  情緒不安定になる事があった。   それは能力がコントロールし切れていない事や、常に全力を出し切って作戦に挑んでいたから、  鎮痛剤を使用せざるを得なかったからだ。   彼女が傍にいると私は落ち着くし、同居の提案は私にとって、ありがたかった。   私は食事を全て食堂や購買で済ませていたけれど、彼女が作ってくれるので、そっちを食べるようになった。   いつも作らせるのは悪い、と言ったけれど、「私は料理作るの好きだから」と作ってくれる。   このお弁当も、その一つ。   食事を始めようとすると、私達の席に二人組みが近づいてきた。 「奏詠さん、うさちゃん、今日はバレンタインだから一緒にお昼食べましょー!」   二人組の片方、綺麗に切りそろえられた前髪と肩程まで伸びた髪特徴の、一ツ橋希が、私達に向かって言った。   彼女の思考はかなり変わっていて、いつも突拍子もない事を言い出す。今もそうだ。   バレンタインだから一緒に昼を食べる道理は、全くなかった。   それは、私が彼女と食事を供にしたくないという事ではなく、バレンタインだからというのは理由としておかしいからだ。   そう言った不可解な発言が彼女にはかなり多い。   最初は茶化しているのだと思って好かなかったけど、どうもそれが普通らしい。   話す機会が増えるようになってから、慣れてしまった。   彼女の言う、うさちゃん、というのは兎卯の事で、単純に名前に兎を含むからうさちゃん、らしい。      「別にバレンタインでなくても一緒に食べるでしょーが...」   二人組みのもう片方、緑髪にツインテールの髪が特徴の新宮路美砂が、私の思っていた事に近い事を、希に言った。   彼女との関係は、以前は余りよくなかった。   私の行動や発言に突っかかってきて勝手に怒っていた、という印象がある。   私だけでなく、少し人に対して刺々しい言葉を言う。   でも、話をするようになってからは、彼女はただ、素直になれずにそういった言葉を使っているだけだ、という事がわかった。   難儀な性格の持ち主だけど、本当は優しい。 「うん、一緒に食べよー」 「私も別にいいわ」   答えると、二人は椅子を運び、私と兎卯の両端から向かい合うように座った。    「...だから、やっぱりサプライズが必要だし、箱を開けたとたん、バーン!ってチョコレートが飛び出す、  っていうのがいいと思うんだ!」 「そんなもん渡されたら相手の好意ごと吹き飛ぶわよ!!それはサプライズじゃなくて唯の嫌がらせっていうの!」 「え〜、そうかな?爆発するくらいの愛情を表現してると思うんだけどなぁ...」 「あはは、希ちゃん面白いね〜、それ」 「でしょでしょ!うさちゃんは話がわかるぅ〜」 「出雲さん、そんな事言ったら本当にコイツやりかねないから...。  渡された男子生徒にけが人が出るから駄目よ...」 「じゃあ怪我しない程度ならいい?」 「怪我させなくてもやんなっ!!」   希が突飛な事を言い、美砂がそれに対して突っ込みを入れる。   それを見ている兎卯が笑う。   私も弁当を突付きながら、偶にその会話へ加わる。   希の突飛もない発言に対して、何故そういう考えに至ったかを聞く事が多いけれど、  その理屈は彼女にだけわかる前提が存在して、その上に成り立った理論だから、到底私には理解できない事が多い。   一応、自分にしかわからなくても理論立てて会話をしている所を見ると、実は頭の回転は速いのだろう。   彼女は成績が余りよくないし、妙な発言をするから頭が良くないのかとずっと思っていたけれど、  稀に的確で核心を衝いた発言をするので驚かされる事があった。   そういった発言をする時の彼女は、大人びて見えた。   彼女は彼女なりに哲学があり、それに沿って迷わず行動している。   案外、私たちより大人なのかもしれない。 「...そういえば、何でバレンタイン当日の今日、チョコの案について考えてるの?  今日作ってたら今日渡せないわよ?」 「あれれ、今日はイブじゃなかったっけ??」 「バレンタインにイブなんてあるわけないでしょうが!!  それにイブと言うなら明日でしょ!どうすんのよ」 「あっ!!閃きののたん!明日渡せばサプライズじゃない?」 「それは渡し遅れてるだけでしょうが!!」   ...普段の言動は、全くそんな事はないのだけれど。   食事が終わると、美砂が兎卯と希にチョコを渡し、最後に、 「ほ、ほら。あなたは興味ないだろうけど、三人ともに渡さなきゃ悪いし」   と、視線を他所に向けながら、私に差し出した。   彼女は仕方なく渡している風を装っているのがすぐにわかった。   確かに私はこの行事に興味がない。彼女もそれを解っているから、渡しづらかったのだろう。   本当に、難儀な性格。別に私は彼女がくれなくても何とも思わないし、くれれば、嬉しい。   それだけの事なのに。   私は、少しだけ笑った。 「な、なによ。いらないの?別に、いらないなら自分で食べるし...」 「ツンデレ」   私は思い出した言葉を口に出した。 「な、何よ突然」 「男子達があなたの事をそう言っているのを聞いたわ。知らない言葉だけれど、意味が少しわかった気がする」   美砂がそれを聞いて、顔を赤面させた。 「な、な、誰がツンデレよ!!あんたには...」 「私にはくれないの?チョコ」 「...あげるわよ!ほら、受け取りなさい!」   そう言って目の前へ乱暴に差し出されたチョコを私は受け取った。   街で見かける売り物とは違い、少し安っぽく見えるラッピングがなされた、手作りと思われるチョコ。   他の女子達と同じように、誰に渡すか、どんなのを作ろうかと悩み、苦労の末に完成したのだと思われるチョコ。   それは、例え安っぽく見えても、店の売り物より美味しいだろう。    「あなたが男子によく噂されてる理由がわかったわ」 「なっ!!!何言ってんのよ、やっぱ返しなさい!」 「ミサちゃん、いいなぁ...ツンデレかぁ...」 「誰がツンデレじゃい!!」   私は、冗談は好きじゃない。言う必要を感じないから。   ...でも、偶には、冗談もいい。   そう思えるようになった。兎卯や、彼女達のお陰だろう。   そして... 「はい、奏詠」 「ありがとう、兎卯」   兎卯が、それぞれに小さな紙袋を配った。   もしかすると、チョコではないのかもしれない。 「ねぇ、奏詠...」   配り終えてから、兎卯が少しだけ言いづらそうに、切り出した。 「何?」 「う〜ん、やっぱり何でもない」 「そう」   何だろうか、気になったけれど、それ以降、兎卯は何も言わなかった。    ──────────────────────────────────────────────── 02/14 15:15 - 高等部二年教室 -   六限目が終わり、皆、帰宅の準備を始めていた。   私も教科書を鞄にしまい終え、兎卯を待っていた。 「ねぇ、奏詠」 「何?」 「これ...」   兎卯は昼間渡した物とは少し違う、紙袋を差し出した。 「これは?」 「う〜ん...余計なお世話かもしれないけれど、奏詠に渡す相手がいるんじゃないかな、と思って」   一瞬、彼女が何を言っているのか、よくわからなかった。   察するに、私が、バレンタインチョコを渡す相手がいるだろうから、渡すならこれを渡せばいい、という事らしい。   でも、私に、渡す相手は... 「ありがとう、兎卯。でも私は、渡す相手がいないわ」 「...もうすぐ、三年生は卒業だよ?いいの?」   兎卯の大きくて綺麗な瞳が、私の心を見透かした。   そうだ。あの人はもう、ここからいなくなってしまう。 「...ありがとう」   私は、それを受け取った。 ──────────────────   両親を殺され、指輪に誓った。   両親を殺した、隻腕の男を殺す。   その為だけに生きる。   両親が死んだ直後、私の力は発症し、PGに誘われて入学した。   それは彼らの庇護を受ける為じゃない。   隻腕の男を見つけ出す為。   隻腕の男を殺すために、力を操れるようになるため。   その為に、私は全てを押し殺した。   学校生活、友達、夢。   私にとってのPGでの生活は、全て力を得るため。   習得できる物は出来る限り習得した。知識、技術。   作戦を成功させる、それも隻腕の男を殺すための力の一つだった。   毎回、毎回が、殺すための実戦。   私は、一人で殺す為の力を実につけなければならなかった。   だから、作戦、人と連携して作戦成功に導く、等という考えは微塵もなかった。   ただ、作戦が成功すればいい。   今でこそ、人との連携や状況を把握して作戦を勝利に導く事を頭にいれ、余裕を持って戦うことができているけれど、  あの時は、ただ一人で突っ走り、全力を出し、強引に成功させていた。   作戦立案を行っている先輩に窘められたけれど、「作戦は成功させました。文句がありますか」と返し、黙らせた。   作戦立案者が黙るのは、ただ作戦が成功したから、というだけじゃない。   超能力者は、感情に任せて力を行使してしまう事がある。   それは精神面が未熟であればあるほど、故意如何は別にして、力をコントロールできなくなるからだ。   特に攻撃的な力の持ち主は、危険だ。   そして主に、作戦立案を行う生徒は精神感応や透視能力者等、  あまり攻撃的ではない能力者である事が多い(力も使い様で、どんな能力も攻撃的になるけれど)。   一人の独走で作戦が失敗に終われば、その生徒は責められはするし、流石に罪悪感から窘められても怒る事は少ない。   しかし、成功すれば誰も文句は言えないのだ。   私はそれを知り、作戦を実戦訓練として利用していた。作戦を成功させる事ができれば、それでいい。   ある作戦に参加した時の事だ。   作戦立案者、高等部二年(私が一年当時)、精神感応(telepathy)能力者、佐伯雅人。   参加者は私と、同じクラスの女子が一人。   その子は、手に触れた生物の筋力を操作する、筋力弛緩(muscles mitigate)能力者で、とにかく臆病な子だった。   作戦としては、私がターゲットを建物の一室に追い込み、そこに予め待機しているその子が力を使い、  相手を動けなくした所を捕獲する、というものだった。   作戦が始まり、とりあえず私は指示通りに(私は作戦や指示を途中から無視する事はよくあったけれど、  最初から指示や作戦を無視して行動したりは、流石にしない)能力者をその一室に追い立てた。   その子はターゲットの気迫に怯え、手で相手に触れる事ができなかった。   ターゲットはサイコキネシス能力者で、追い詰められた事に気がつくと同時に力を使って部屋を破壊、  逃走した。   部屋の壁が崩れ、その子は下敷きになった。   少し心配ではあったものの、煩く悲鳴は聞こえるし、  丁度瓦礫と瓦礫の間に入り込んでしまっただけで怪我をした風もなかった。   だから私はその子を放置し、ターゲットを追い、自身の力で無理やり捕獲した。   作戦は、成功。   学校までの帰宅途中、ずっと彼、佐伯先輩は無言で、難しい顔をしながら、泣き続ける彼女を慰め続けていた。   自身の失敗で危機に陥り、一つ間違えれば、私も怪我をしていた。   自業自得で、怪我もしていないのにただ泣き続ける彼女が鬱陶しかった。   学校に帰り、作戦結果の反省を作戦立案室で行っていた時だった。 「あなたの所為で作戦が無駄に長引いたわ。  泣く暇があったら努力をしなさい。あなたの様な人と組むと、こっちが迷惑するの」   泣きやまない彼女に腹が立ち、つい口走ってしまった。   彼女は、更に大きな声で泣き出した。   佐伯先輩は私を見据えると、静かに口を開いた。 「そんな言い方は、ないんじゃないかな?  彼女は彼女なりの努力をしたんだよ。  全ての人が、君のように考え、君のように力があり、君のように動けるわけじゃない。  それより、どうして目の前で危機に陥った彼女を助けなかったんだい?  偶然、怪我はなかったけれど、彼女はあの狭い暗闇の中で、とても怯えていた。  時間としては十数分、だけども彼女の感じた恐怖は、君には計り知れない程のとてつもなく、長い時間だったんだよ。  ターゲットを捕獲する事も大事だ。  だけど、それ以上に仲間と共に、無事に生きて帰る事、それも大事だと思ってる。  作戦というのは、その全てを含めて作戦だ。  ただ、ターゲットを捕獲する事が作戦だと思っているのなら、大きな間違いだよ」   私が、間違っている。私のお陰でターゲットが捕獲できたというのに、私が間違っている?   私はカチンと来て、お約束の言葉を言い返した。 「私は、ターゲットを捕獲する、という目的を成功させました。  ...それなのに、どうして文句を言われなければならないんですか?  それに私もただ彼女を見捨てたわけじゃない。  外から見て彼女が無事である事はわかったし、救助は後回しでも良いと判断しました。  実際、彼女は無傷。しかも、ターゲットは逃げました。  私が彼女の救助に時間を費やしていれば、ターゲットを取り逃がしたでしょう。  下らない、自身が招いた結果で十数分暗闇に閉じ込められた程度の感情に対して同情する気なんて―――!」  バシっ   頬を打たれる音と共に、様々な感情が私の中に流れ込む。   精神感応者は、力が制御できない状態だと、相手に感情を流しこんだり、逆に、人の感情を読み取ってしまう。   彼の想いが、私に流れ込み、満たした。   人の心を読んでしまうからこその、人に対しての共感、思い。   数多の他人の喜怒哀楽。   そして最後に、彼女の感じた闇の重さが私に襲い掛かった。   私が、ただそれだけ、と罵った闇は、不安は、恐怖は心を押し潰す様に、強大なものだった。   平静を保つ事ができなくなり、気付けば私は部屋から飛び出していた。   屋上で、まだ日が出ている、一番明るい屋上で、私は肩を抱いて震えていた。   納まるまでずっとそうしていた。   数分すると、屋上の扉が開き、誰かが私に近づくのがわかった。   振り返ると、そこにいたのは、申し訳なさそうに視線を伏せている、佐伯先輩だった。    「その...ごめんね。叩いたりして...いや、触れたりして。  ただね、僕は劣等生で、成績もそれほど良いほうじゃない。  勉強の方は、頑張っているけれど。  だから、君が羨ましい。  強い力がある。その力があれば、皆を守れるだろうに。  そう思うと、そういう風に力を使わない事が、少し、許せなかった。  勝手な話でごめんね。力をどう使おうが、君の勝手だ。  でも、少し...彼女の、他人の痛みがわかったと思う。  人の心の強さは色々あるんだ。絶えられる度合いも違う。  ...でも、それを味わせて怯えさせるつもりはなかったんだ。本当にごめん。  それに、手を出すなんて最低だった。  謝るよ」   彼が謝る必要なんて、あるのだろうか?   私は、彼女のとてつもない恐怖、そしてそれを共感し、苦しんでいた彼の想いを踏み躙った。   私が、謝らなくてはいけない。   だけど、その時私は、自分が間違っていると、認められなかった。   人を殺す。それを目標に生きる。   でも、人を殺す事なんて、如何なる理由があっても良い事ではない。   その二つが相反し、ぶつかり合っていた。   だから無理やり私は自分が正しいと思い込み、自分の行動を正当化した。   自分のしている事は、正しい。   だから、私は、自分の行いを否定し、謝罪する言葉を持っていなかった。   そうすれば、今の自分が全て崩れ去ってしまいそうだった。   でも、私は、彼に謝りたくて、手を差し出した。 「え...?」   精神感応者に手を差し出す、という事は、自分の内側、今までの事、全てを相手に読み取られる、  そして、読み取ってくれ、という事だ。   汚いこと、汚い感情、細かく言えばいつ風呂に入ったか、トイレに行ったか。   全てを、知られてしまう。   でも、私は、今この苦しい想いを抱えたまま、彼に謝罪できずにいるくらいなら、  そんな事は気にならなかった。 「...私は...謝罪する術を知りません。だから...」   彼は、私の手を押し返すと、首を横に振った。 「...いいんだよ。わかってくれたみたいだから」   そう言って、彼は微笑んだ。   優しい声が、私を深い苦しみから開放した。   この時から、私は少しづつ、変わり始めた。   私は彼に優しさを貰ったからだ。    ────────────────── 02/14 15:30 - 高等部三年教室 -   三年の教室を覗き、佐伯先輩を探していた。 「奏詠。どーしたんだ?もしかしてこんな日だってのに作戦でもあんのか」   私に声をかけて来たのは、神谷狼牙――神谷先輩だった。 「いいえ、私用です。佐伯先輩はいますか?」   私がそう聞くと、彼は口笛を吹いた。 「今はいないよ。色男には、屋上でお前さんが待ってると伝えとくよ」   彼はよく冗談交じりの言葉を使う。   色男というのは、佐伯先輩の事だろう。   でも、それは言葉どおりの意味なのかもしれない。   佐伯先輩は優しい。慕う女子生徒がいてもおかしくはない。   私なんかが、彼に想いを伝えても迷惑かもしれない。 「いえ、やっぱり結構です。それでは」 「いいからいいから。屋上で待ってる、と言っとく」 「...わかりました。でも、何故屋上なんですか?」 「...そういうモンなんだよ。じゃあ、あいつ探してくるわ」 「いえ、そこまでして貰わなくても――」   私が止めると、彼は手のひらを振って、どこかに立ち去った。   想いを、伝える。   それを想像して、今まで何も気にしていなかったイベント事だというのに、  妙に胸のあたりがざわざわとして落ち着かなかった。   私はすぐに屋上へ足を向ける事ができずに、校舎を少し無意味に歩き回ってから、待たせたら悪いな、と思ったので、  むず痒い胸中を拳で抑えながら屋上へ向かった。   屋上に出ると、誰もいなかった。   いつもなら、誰か一人二人はいるのに。   そう思いながら、周囲を見渡しながら歩き回った。    ガチャ   音に振り返ると、扉から入ってきたのは、佐伯先輩だった。   佐伯先輩も、どことなくそわそわしていた。   私は彼に近づくと、一度頭を下げた。 「すみません、お忙しい所、呼び出してしまって」 「いや...いいんだ。別に忙しかったわけでもないから。  えっと、その...どうしたの?」   私は、黙って、兎卯から渡された紙袋を差し出した。   佐伯先輩は、少し躊躇しながら、それを手に取った。 「...ありがとう」 「私が、作ったものではないんです。  私は余りこういったものに興味がなくて...」   私は、何か話さなければと焦り、いらない事を言い出した。   でも、それ以外に何を言えばいいかわからない。 「え、じゃあこれはその人からという事?」   佐伯先輩は、少し不思議そうな顔をした。 「いいえ、違うんです。  友達が、作ってくれたものです」 「そっか...」   違う。   それだと、兎卯が私に対して渡したものを渡したみたいだ。   友達が、私が人に渡すために作ってくれた。   焦って口を上手く動かせていない私と、冷静に後ろから見ている私がいた。 「......」 「......」   私は、喉の奥に言葉がひっかかって出てこないのが煩わしくなって、手を、差し出した。   あの日のように。   彼は少し、戸惑いの表情を見せた。   こうやって、相手に任せてしまうのは卑怯かもしれない。   でも、私にはどうする事もできなかった。 「...私は...この想いを...伝えたいです。  でも、言葉にする事ができません。  だから、今日は...この手を、取って下さい」 「......わかった。」   彼は静かに頷くと、私の手を優しく取った。   細く、暖かい手。   彼の、想いが、私を満たす。   私は顔を少しあげ、彼の手を強く、引いた。 ──────────────────────────────────────────────── 2月14日 16時23分 - 屋上 -   気がつけば、彼女は目の前にいなかった。   何が起こったのか理解するのに、時間がかかった。   唇を指で撫ぜてみる。   こんなんじゃなかったな...。   ずっと、その場で立ち尽くし、そんな事を繰り返していた。 「よう、色男」   突然、頭上からかけられた声に、僕は体をびく、と振るわせた。   屋上の貯水タンクのあたりから、神谷と井伏軸...井伏が、顔を覗かせていた。 「よっと」   二人が、上から飛び降り、僕の前に降りた。   二人とも、顔をにやつかせていた。   ずっと見られていたのかと思うと、恥ずかしかった。   というか、神谷が僕に、彼女がここで待ってると伝えたという事は、  偶然見ていたんじゃなくて、最初から見学するつもりだったのか。   相変わらず、 「...ずっと見てたのかい」 「まーな」 「へへー、まさか、あの二大氷の女王の片方の想い人が、お前だったとはなー」   井伏が歯を見せながら、肘で僕をつついた。   あぁ、気がやむな。   恥ずかしいというのもあるけれど、なんとなく彼女に申し訳がなかった。   因みに、二大氷の女王というのは、麻生と、彼女の同学年のドミニア=イリーチナ=トゥエリノワの事だ。   そんな名前がつけられたのには幾つか理由がある。   まず、二人は全ていおいて成績が最も優秀だった事から、よく名前が並べられていた。   次に、二人とも冷たい雰囲気を持ち、淡々と作戦をこなしていた。   "氷"と称される極めつけの理由は、トゥエリノワの力。   彼女は、氷結能力とサイコキネシス能力の二つを兼ね備えた得意な能力者だった。   PCかどうなのか、僕は彼女についてあまり知らないからわからないけれども、  彼女は常に体が低温で、近づくと彼女の周囲だけ微妙に気温が低いのがわかる。   それらの理由から、彼女ら二人は二大氷の女王、という謂れのない呼び名をつけられた。   みんなが面白がって付けただけで、彼女らも別に、冷たい訳じゃない。   ただ、少し感情の表現仕方がわからないだけで、優しい子達だ。    「...誰にも言わないでおくれ。  別に恥ずかしい事だとは思わないけれど、彼女も変に噂を立てられたら、いい気はしないだろうから。  それにしても、ずっと見てるだなんて、意地が悪いじゃないか、二人とも」 「最後の最後だってのに、お前が尻窄んだりしたらケツ引っ叩いてやろうかと思ってな」 「いたっ!?」 「ぎゃははは!!」   神谷は言うと同時に、僕のお尻辺りを強く引っ叩いた。   それを見た井伏がお腹を抱えて笑い転げた。 「痛いよ、神谷...どうして引っ叩かれなきゃいけないんだい?」 「...お前、卒業したらどうするつもりだ」   彼女――麻生の事について聞いているんだろう。   そうか、僕は尻窄んでいたから引っ叩かれたのか。   思い返せば、彼女に何とも返事をしたわけじゃない。   引っ叩かれて当然か...。 「僕は、医療関係の仕事に携わりたいと思ってる。  だから、大学に行くよ」   僕は彼女についてではなく、進路について話した。   まだ尻窄んでいた、という事もあるし、彼らの進路についても興味があった。 「まー、それほど意外じゃないな。  どうして医療関係なんだ?」   神谷も興味があるのか、話に乗ってきた。 「僕は人の為に役立てる仕事に着きたい。   この生まれ持ってしまったこの力"精神感応"。  これは厄介なものだったし、僕を長い間苦しめ続けた。  だけども、この力も含めて、僕だ。  父さんや母さんがくれた、大事な僕の一部。  だから、この力で人の役に立ちたい。  人の気持ちがわかる、この力を役立てるにはやっぱり、病院関係だろうな、と思ってね。  神谷達は?」 「俺は、中国に行く事になった」   神谷が中国へ行く。外国への憧れだとか、そういう物を持っている風がなかったから、  意外な感じがした。 「どうして中国へ?」 「じっちゃんの師匠に呼ばれたんだよ。  特に何も考えてなかったしな、丁度良かった。  俺もこの道を極めたいしな」   彼の祖父は、中国拳法の一つ、八卦掌の道場を開いている。   彼も八卦掌を学んでいて、なかなかの使い手だ。   ...それにしても、彼はさらっと言ってのけたけれど...。   彼の祖父の師匠、一体幾つなんだろう?   きっと仙人みたいな人なんだろう。 「でも、君は中国語ができるのかい?」 「中国の偉人...拳法家の登場する映画は腐るほど見てるからな。  なんとかなるさ」 「井伏は?」 「俺はやっぱり、バイク関係。  知り合いのバイク屋のおっちゃんが声をかけてくれてるから、そこで働く。  俺の能力は大したことないし、先生からも普通に生活が出来るから大丈夫だろう、って言われてるからな」   彼の力は、機械性能向上。   機械に対してかかる負荷を補助する力。それによって、機械を上手く扱える。   地味な力ではあるけれど、繊細で、優しい力だ。   彼らしい就職先だ。 「...で、お前どーすんだ。卒業して、大学に行くとして」   もしかしたら、お茶を濁したまま話が終わるかと思ったけれど、そうはいかないらしい。   ...だけど、どうするかは決まってる。 「...彼女は、大きな物を背負っている。僕には、それを手助けする事も、諦めろと言う事もできない。  だから、待つよ。  全て決着がついても、彼女が僕の事を想っていてくれたなら、その時は、彼女の夢を叶えて上げたい。  それが僕の幸せでもあるから、そうしたいんだ。  だから、それまで、彼女は彼女のすべき事をして、僕は僕のすべき事をする。  ただ、それだけさ」   彼女は、僕に手を差し出した。   精神感応者に手を差し出す。   それは、ただ、一般人が肌を触れ合う事とは大きく異なった意味合いを持つ。   精神感応者の大半は、力が制御できない間、他者の感情が自分の内側に雪崩れ込む事に悩まされる。   人の感情とは、とても汚い物だ。   心に願った事が実現する力を全ての人が持てば、三日もせずに世界は混沌に満ち溢れ、崩壊するだろう。   皆、実行に移さないだけで、犯罪者と違わないのだ。   力が制御できない、精神が未熟な時に、そんな状態が毎日続く。   人を信じる事ができなくなる、仕方のない事だ。   人の感情を人一倍理解できるのと同時に、人に対して絶望し、どこか冷めた目で見るようになる。   でも、PGに入学し、制御ができるようになれば、この力によって偏見を持たれる事はなくなる、  そう思っていた。   PGの授業で、各超能力について学ぶ。   精神感応者は、人に触れる事で、相手に悟られないように意思や、感情全てを読む事ができる。   それについて知ると、皆は自然と、精神感応者に対して不信感を抱き、接触を避けようとするようになる。   力を使って自分について読み取られているのではないか、と。   人は、他人に知られたくない事を沢山持っている。それを読まれるのは、とても怖い。   一応、授業で精神感応者に内を読まれる事のへの対処法は学ぶ。   簡単に言うと、自己暗示と、精神を強く持つ事である程度は回避できる。   だけどそれは常にそうしていられるわけではないし、相手のほうが精神力が強ければ効果がない。   クラスの中で、精神感応者はどうしても浮いてしまうのだ。   三年ともなると皆、精神的にも成長しているし、そこまであからさまに避けられたりはしない。   でもやはり、最初は皆もそうはいかない。   僕も、ほとんどの同級生に避けられた。   僕自身、寂しくはあったけれども、それで良かった。   今でこそ、ほぼ完全に力を操れるけれど、僕は精神力はそれほど強い方ではなかったし、  力を完全に制御するのには結構長い時間を要した。   人の心を読んでしまうのは、入り込まれるのは、苦痛だったから。   でもやっぱり、幾ら注意していても、肌が触れ合う事はある。   流れ込む感情、あ、という表情と共に相手は飛びのく。   自分が拒絶されている事を、嫌が応でも受け入れなければならなかった。   それに苦しんだし、悩む事も多々あった。   超能力者を子供が有してしまった場合、捨てる親は少なくない。   でも、少なくとも僕の両親は力について知っても僕を愛してくれた。   手を差し伸べてくれた。   だから僕も両親のように、相手が例えどうであれ、愛し、優しく接しよう、と思った。   出来るだけ相手を気遣って動いた。   それは単純に、悩んでいる友人や後輩に対して話しかけた、というだけでなく、  人に極力触れないようにする、これも気遣いの一つだった。   心を読まれるのがどれだけ嫌な事か、僕は理解していたからだ。   けれど、あの日、彼女は僕に手を差し出した。   クラスの皆が拒んだ、この僕に。   僕は嬉しい、と思うと同時に躊躇した。   両親や先生はともかく、拒否される事が当然だった僕に、初めて手が差し出されたから。   作戦を共にし、同級生を見捨てた彼女をただ、冷たい子だ、と思っていた。   彼女と共に作戦に参加していた女子は、慰める為、僕がつい頭を撫で様とした手を、拒んだ。   よくある事だったし、特に気にもしなかった。   クラスメイトが泣く事も厭わなかった彼女の、謝罪したい、という気持ちは、自らを曝け出し、  全てを僕に知られてしまう事より、大きかった。   本当は、優しい子だったんだ。   心の中でとは言え、誤解していた事を悪いと思ったし、感情をわざわざ読む必要もないだろう、と思った。   でも、彼女の感情を読むつもりはなかったけれど、少し感情が昂ぶっていたせいもあって、  上手く制御でず、そんな事はしなくていい、というつもりで差し出された彼女の手を押し返すつもりが、  感情を読んでしまった。   真っ直ぐ、純粋な心。   その一途な想いは、どす黒く、大きな物へと一直線に向かっていた。   彼女は真っ直ぐ過ぎて、曲がる事ができなかった。   なんとも、哀しい子なんだろう、と想った。   だけど、その定規で綺麗に引いた様な真っ直ぐで綺麗な心に、僕は惹かれた。   不思議なものだった。   彼女と会話する機会はそれ程なかったというのに、あれを機に、互いに惹かれあっていたらしい。   僕も彼女も恋愛ごとには疎く、それを伝え合う事もなかった。   何かの偶然か、今日、通じ合う事ができた。   今まで気にしていなかったけれど、バレンタイン、というのはそんな不思議な力を持った日なんだろう。   だからこの日を皆楽しみにして、はしゃぎ合う。 「なんだ、尻引っ叩き損かよ」 「いや、僕が引っ叩かれ損なんだよ」 「ぎゃははははは!!」   井伏が大声を上げて笑い、それに続いて僕らも笑った。 ──────────────────────────────────────────────── 02/14 17:03 - 高等部二年教室 -   私は、教室で一人、佇んでいた。   どうして、あんなにも大胆な行動を取ってしまったのだろう。   私の知りうる中で、唯一の、好意を抱く相手への感情表現だった。   わかってはいても、どうしてしてしまったのだろう、と後悔に似た恥じらいがあった。   そういった感情的な事だけでなく、もう一つ、後悔していた事があった。 「あり、奏詠さん?」   教室に入ってきたのは、希だった。 「希」 「はいはいはーい!」   希が無意味に元気よく、手を上げて答え、私の傍に立った。 「私は今日、ある人に想いを打ち明けたんだけど」   誰かに、聞いて欲しかった。   教室に来たのが兎卯か、美砂でも話していたと思う。 「えっぇーっ!?奏詠さんに告白されるなんてウラヤマさん...」   ...話す相手を間違えたかもしれない。   そう思って彼女を見ると、真剣な表情なのがわかった。   茶化している様子は、微塵もなかった。 「でも、私は本当に想いを打ち明けて良かったのか、わからない」 「どうしてですか?」 「私は...ある事をする為に、全てを捨てた。  そして、その事の為に全ての力を尽くしてる。  その事の為なら、私は命を捨てる覚悟がある。  だから、私は彼の気持ちにも、私の気持ちにも応えられない。  あの人は優しい人だから、それを知りながらも、私を待ち続けてくれるのだと思う。  それなら、想いを伝えずにいれば、彼を惑わさなくて済んだ。  なら、あの人はもっと良い別の人と出会えたかもしれない。  ...私はね、希。  夢があったの」 「どんな夢ですか?」 「普通の夢。結婚して、子供を生んで、生きる。  ただ、それだけの事。  私は、両親が死んだあの日から、それを捨てた。  だから、ここにいる。  なのに、どうしてあんな事を、彼に迷惑をかけるような事をしてしまったのか、って今後悔してる」   希は、微笑んだ。 「違いますよ、奏詠さん。迷惑な事じゃないです。  この世界では色んな事が起きて、色んな哀しい事があって、想いは交差したり途切れたりしてます。  繋がらない想いも沢山あります。  だから、そんな中で想いが繋がる事はとっても素晴らしい事じゃないかって思います。  こんな特別な日に繋がった、奏詠さんと、その人の想いの繋がりは、とっても深くて、誰にも千切れない程強いです。  それに、その人は、どんな結末であれ、奏詠さんがそれを乗り越える事を望んでくれていますよ。  奏詠さんと想いが繋がった事で、その人の生きる喜びは凄く豊かで深い物となったと思います。  だから迷惑な事は、ぜんぜんないです。待ってる間も、きっと幸せです。  それと...」 「それと?」 「奏詠さんが、命を賭けてもしなきゃいけない、と思ってる事。  それは、その事を成す事だけが、乗り越える事じゃない、と思います。  私はそれが何かわからないし、どれだけ奏詠さんにとって大切な事なのかはわかりません。  それが出来ない事、難しくて困難な事なら、違う"乗り越え方"を見つけてみても、いいと思いますよ」 「それもそうね」   両親の敵の為に、隻腕の男を殺す、という私の目的。   隻腕の男を殺さなくても、乗り越える方法がある。   ...あるのだろうか、本当に。   少なくとも、今は思い浮かばない。   けれど、それだけの為に、息を張り詰めて生きてきた私には、他の方法もある、という助言だけでも、  慰めにはなった。    「奏詠さんは、いいお嫁さんになれます。  きっと生まれる赤ちゃんも、すごくかわいいです。  私も奏詠さんと結婚したいなぁ〜...うずうず」   相変わらず、変なことを言う子だ。 「あなたは、お嫁さんになる方でしょう?  どうしてお婿さんが欲しい、という方に発想がいかないの?」 「だって、お婿さんより、奏詠さんみたいなお嫁さんが欲しーんです!  あ、でも美砂ちゃんもお嫁さんにしたいな。うさちゃんも...うーっ!どうしよう!  沢山いすぎてののたんピンチ!」   同性同士じゃ結婚もできないのに、何がピンチなんだと言うのだろう。   私は、理解できない理由で悶える希を見ながら、少し笑った。 ─────END