before "ZERO" take-08                白銀魔剣士            How the West Was Won - partII  地響きはすぐに、もっと直接的な振動へと変わった。  ドラゴンゾンビが正門に何度も何度も身体を打ちつけているのである。  はじめあわてて屍へ聖水を投げつけていた城門上の兵たちも、すぐに退避せざるをえな くなっていた。  相手の身体が大きすぎたのだ。  手持ちの聖水では表面を荒らす程度で、死骸と呪を引き剥がすに至らなかった。  射かけられる火矢も同様だ。魔力の鎧が広がるのを阻む。  それをキルツは見ていた。というより見ているしか出来なかった。  魔術師など真っ先に王都へ向かう隊に入れられてしまったから、城兵の中に魔術に明る いものなどもういない。  居るとしたら田舎神父一人か。流石にそれは無茶というものだった。 「…………ああ」  誰かが悲壮に漏らす声。もしかすると自分だったのかもしれない。  かくして城門は“中央人の結束”と化した。つまりばらんばらんである。この言い回し は西の人間が腹の探りあいだらけの中央側を馬鹿にして使うのだが、今は王都で仲間割れ が起きているらしいのだから言えたものでもないだろうか。  崩れ、割れ、粉みじんになって散っていく石を見ながらキルツがそんな事を考えるのは、 余裕でもなんでもなくただの諦観だったであろう。フラティンのような城は守りが複層に なっているからまだ第一関門が破られただけとはいえ、では次の地点で迎え打とうと言っ てもドラゴン一匹が倒せないのだから、仕切り直しも何ももう彼らに出来る事はなかった。  ドラゴンゾンビの鈍い歩みがむしろ恨めしい。  キルツは首を振った。なぜか誰からも奇跡的に出なかった「無理だ。脱出しよう」の言 葉を口に含んでティーダへと向き直る。  そこでキルツが動きを止めたのは、言わなかったのではなくもはや誰もその一言吐く覇 気さえ無いのだ、と気づいたからではなかった。  いや、もしも何もなければそう悟って膝をついていたのだろう。  だが彼の眼に飛び込んできたのは皆と同じくゾンビを見るしかできないティーダの横顔 と、そして白い――いや煌く何かだった。  それはまるで雪だった。  砂漠に降る雪。  西の人間には地震と同じく、いや遥かそれ以上に縁の無い雪だが、キルツは見た事があ る。  一度仕事で遠出する羽目になった時の事だ。  その時キルツは既に十五を超えていたが、正直心が昂ぶった。  冷たい水の結晶。水を強く意識する事多い砂漠の近くに生きる者には何か感ずるものが あったのか。  同じ感覚だった。  ティーダの顔の向こう、彼方の空に光るそれをキルツは雪だと思った。  そしてその雪は降ってきた。  すさまじい速度で。  轟々と空気が軋む。  そうして雪はキルツらの頭上、漆黒の竜を見下ろす位置で中空に停止した。月も隠れた 夜にわずかの光を受けて輝くのは銀の竜の鱗だ。雪は銀竜だった。  だが見上げたキルツらの眼が捉えたのはそれ自身ではない。  上に立つ白い男。  雪のように真っ白な頭髪の男が、雪のようにまっさらな瞳でわずかキルツらを振り返り 見ていた。  キルツはその男に見覚えがある。いや、城の人間の多くは見覚えがあるはずだった。  彼らが今わずかな数でドラゴンゾンビなんぞに攻められて喘いでいるのも、王女を連れ て現れた旅の男たちが居たからで、そしてそれは明るい装いの成年と、場違いな少女と、 旅人にしては重装備すぎる奇妙な言動の男で、そしてもう一人居たのが、確か、多分、あ の男なのだった。きっと。  彼らはそれに後から思い至った。会話したキルツさえ。  何故なら、今の彼らには、風采の上がらないという印象すらなかったその男が今まさに 脅威へ立ち向かうヒーローと見えていたのだから。  その背で、四剣がおぼろげに輝いていた。  数年後に皇国第十二軍の将軍となった男は、戦い以外に全く無頓着だったが、同僚にあ たるハインラインという伊達男に一度だけ、彼らしからぬ相談をもちかけたことがある。  髪を綺麗に脱色したいのだが、と。  問われた相手は北方のグリナデッレ帝国が(珍しく)特産としているテナルノという草 を使うのが尿よりも良いと答え、結局その事は口外されず当人同士が知るのみとなった。  苛烈として半ば恐れられたその男がそんな事をわざわざ調べていたと聞けば、軽い笑い 話にでもなったかもしれない。  キルツの髪は砂漠の周辺に多い濃い蒼である。    ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  その頃、ロンドニア首都のディーンは昼の夢の中にいた。  かつてディーンは少年の己を連れる傭兵団長を殺した。  別に憎かったわけでもない。単に変身後の姿を見られたからだった。  その時彼は「悪魔だ」と零した。  それは魔物という生態の一つをあらわした言葉でも、亜人という半ば軽蔑しつつも半ば 仲間として認めている言葉でもない。  殺したのは単に周囲にまでバレては困るからでそれに怒りはしなかったが、それでもそ の事は覚えている。  考えてみれば彼の言葉もわかる。その姿自体が恐ろしい恐ろしくないという事以前に、 今まですぐ近くにいた者が本来の姿を見せず、こそこそと偽りに紛れていたという事実は 如何ほどの不気味さであろうか。歴戦の戦士とて戦慄しよう。  バケモノだと。  それで人が自分の敵だと、自分は人の敵だとは思わなかった。  ジャック=ヴァルカンのように距離を置こうとは思わない。  己は人間だ。  だが、例えば今ロンドニアの王城で、突如として罅と紋様に覆われた紫色の体躯を晒す。  それは城の人々から見れば宣戦布告に等しいのではないか?  ディーンはそうあらざるをえない。 (ま、そんなバカな真似……どうせ無理だがな)  あの姿をとった後は酷く疲れる。血の気が引いて頭痛がし、時間の感覚があやふやにな る。  先では負傷もしたし、結局わけのわからないまま戦いを終えた。  怠い。  意識が戻ってきたディーンは、やや前傾でソファに腰掛けたまま言葉を飲み込んだ。本 当はごろごろと寝転がっていたいし、だらしなくソファにもたれかかっていたいのだが、 あまりそういう姿を晒すのも嫌なのでそうしている。  とはいえマベリアが出て行ったので部屋にいるのは彼独りだったが。  今彼のする事は特にない。三人が恐らく来ているであろうブラックバーン将軍を撃退し てくれるように願う程度である。  それに大勢の兵や官吏たちがどたばたと行き交っているのにウロチョロしていては印象 が悪い。  だから下らないことを考えて独り心中でニヤニヤしていると、ふと扉の開く音がした。  頭を起こし仰いだ先にはどうにも地味な、黒い服の貴人。  柔らかい香りが青年の鼻をくすぐった。 「……や、姫様」 「お疲れ様でした。ディーンさん」  その背に誰もいないのを見て、青年は気持ちだけ肩をすくめた。人手が不足しているの ですから、などと断ったのがありありと見えた。だがそれにしたって流血惨事の直後に一 国の王女が……次の後継者が警護もなしで素寒貧の傭兵の前に来るものか。  男を近づけないのではなかったのだろうか、と思う。  ディーンの方もディーンの方で相手を異性と見てはいなかった。薄紅色の微笑や、細い 肩はどうとも思えない。  実のところディーンにはそのあたり、男女の違いがよくわからないのだった。ジャック =ヴァルカンを好ましいと思ったぐらいにはゼノビアが好ましいとは思う。  ううん、と唸る。  ――本当に面白いなぁ、ヒトってやつはさ。俺も含めて。 「横になってらした方がよろしいのでは?」  唸りを疲労ととってゼノビアが首をかしげる。 「いやいや、ご心配なく。心配なら行った三人にしてやってください」 「そうですね……大丈夫なのでしょうか?予想通りならば、その、皇国将軍が来ていると いうのでしょう?」  ゼノビアは再び首をかしげる。中央部を周っていたというのだから、皇国の国威は理解 している。たださすがに将軍個人についてはピンと来ない。 「こちらとしては……ま、大丈夫だと思ってますがね」 「信頼している?」  問いは、試すような視線ではなかった。  王女は単純にあの『男』に興味があった。昔の命の恩人なのだから当然のこととも言え たが。  青年は視線を外して虚空を見る。 「うーん、そうですね……信頼というか」  かぶりをふってゼノビアへ視線を戻す。 「アイツは主役になる、と、思うんですよ」  そう、と青年は自分に相槌を打つ。 「主役。何か大きな舞台の……主役」  また視線を外へ、窓の外へやって、ディーンはつい他人と喋っていることを忘れた。 「英雄、みたいなものに……なる。確信がある。それで……」  大きく息を吸ったところで、青年ははたと我に返った。細く息を吐きながら苦笑する。 「ま、一緒に居れば、気付くとそれを見れるコトになってると……なんとなくね」  だから本当は俺も行きたかったんですが、と笑うディーンへゼノビアが頷く。 「ジャック=ヴァルカンのことです」  そう切り出したゼノビアへディーンは向いた。 「あまり言葉を交わしたことはないのです」  細められた瞼。長い睫の奥の瞳が中空を見ている。その瞳をディーンは虚ろに眺めた。 「王は彼を重用しましたし、優秀な方だったと聞いています」  その表情が悲しみだと気付くのに、青年は少しかかった。  何故だ、と問いかけて口を噤んだ。王女の言葉を待つ。 「彼はどう亡くなりましたか」  その言葉に、青年は「そうですね」と一拍置いた。 「私が彼を見つけたのは城より離れた場所で、彼は重傷でした。恐らくノーサンフリア公 を襲ったものから逃れんとしたのでは」  細かい事はわからない、とディーンは逃げる事にした。  実際わからない。  ジャック=ヴァルカンが裏切っているにせよ、裏切っていないにせよ、生きていれば外 へ逃れるだろうし、裏切っていると見当をつけたからどう逃げるか考えて張ってみただけ の事だ。  例えば彼の考えなどわからなかった。その信念など理解しようとも思わない。  判らない。  王女が悲しむ理由だって判らない。  ジャック=ヴァルカンはとても器用とは言えぬ男に見えた。そう愛嬌があったとも思え ない。当の本人もほとんど知らぬと言っているのに、では何故悲しむのか?  ディーンは考えるのが好きだ。先を考える事こそ、自分のような地べたを這って生きな ければならない生まれの者が、そこから足掻き出る為に必要な力だと思っている。  同業者の多くのように、強くなる戦技や魔物を倒す知識や金をせしめる手管に長けてど うなる?  結局それは地べたを這いずる為の技能だ。  だから考えなければならない。そうあらぬ為に。  「先んじて考えよ」と、連れの少女が言うのは心地良い。自分の為すべき事を思い出さ せてくれる。  考える。だからこそ、こう思うのだ。  ――――判らないものは判らないのだ、と。  人のロールに心を馳せても仕方がない。ジャック=ヴァルカンは死ぬ間際何故俺にあん な事を言ったのだろう?判らないし、意味もない。  あれが彼の、世界における役割(ロール)だったのだ。  青年がここにいることも。  三人がフラティンへ向かうことも。  ここや、王都で誰かが死んだことも。  この世はそういう、ゲームなのだ。 「彼は私に一言二言伝えて亡くなりました」  ジャック=ヴァルカンのことも、ゼノビアのことも判らない。  彼らのロールは知ったことではない。青年は自身のそれにのみ興味がある。  だからこそディーンは双頭の将軍をかばい、ゼノビアへと悲しい視線を投げた。 「ええ、その、お悔やみ……ですね、申し上げます」  使い慣れずやや手間取りながら告げた言葉はただの社交辞令だ。しかし実際ディーンは 悲しく思う。  己を試す為の、いわば踏み台にする為に会いに行った異形。その彼に同情した。  魔人や魔物であるとは全く別の、異邦者である事を同情したのだ。  相手を真に理解しないからこそ、彼のプライドも信念も判らないからこそ、同情できる のだ。  そして微かに嘆く娘にも同情できるのである。 (この娘はあの『男』に何か言われたのかな)  儚げに頷く黒い少女を見ながら、ディーンはふと思った。  もし今のこの事態が落ち着いたとしても、彼女にとっての日常はもう激変してしまった。 王女は王妃としてか、女王としてか、一つ階段を登らねばならない。  マベリアや、ガンツや、多くの人間が彼女を支えていくことになろう。  しかし正統なる後継者は彼女であり。他の誰でもない。  彼女の意思が一つの国を動かす。そしてそれ以上を動かすのだ。  入城した時にディーンは王の死体をちらと見た。  深く皺の刻まれた顔だった。こけた頬の顔だった。  それが王だ。それでこそ王なのだ。  そのロールを負うことになる幼い頃の彼女を助けた時、あの男は何か言ったのだろうか。  かつてディーンは色のない『男』に出会った。  敵意をむき出しにする銀の少女の横で、そいつはぼんやりと異形たる己を見遣った。  その時彼は「始まりだ」と呟いた。  その意味をずっと探している。  『男』が鉄の機兵に何を言ったのかディーンは知らない。  『男』が銀の少女に何を言ったのかディーンは知らない。  だがそれは自分には関係のないことなのだ。  この事件が片付けば、面白いコネが出来る。  あの男がまた何かを見せてくれるはずだった。    ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  眼などとうに崩れ落ちているから、ドラゴンゾンビが現れた銀の竜を見上げたかは分か らない。  そもそもゾンビに主体的な視覚があるのかと問われれば無いのだろうし、だから結局屍 は闖入者を知らぬかのように前進を続けていた。  銀竜は二度三度羽ばたくと更に高度を下げる。下げられた鼻先から男が飛び降り、少し 遅れてもう一人誰かが飛び降りる。  キルツ達からすれば、それが数日前に見た超重装のフルプレート男だと、彼が着地に失 敗して盛大な金属を立てたところで分かった。流石にまっさかさまに落ちたのを見た時に は、今から皆殺しになるかもしれない立場も忘れてひやりとしてしまう。少しして何事も なかったかのように起きたのがシルエットで見えたのだが。  竜だ。  竜。  竜が来た。  その場にいる兵たちのその目に、死竜を見た時とは真逆の光が浮かんだ。竜の銀翼が乗 せるのは希望だ。希望を輝かせた目が見るのは男の背だ。  驚くべき事が起こっていた。  銀竜が退いたのだ。  向かい合った屍を食い破りも、引き裂きも、灼きもせずに、銀竜はゆっくりとただ退い た。屍よりも大きいはずの体躯は、屍を圧倒できよう銀色は、戦おうとはしなかった。  でも、誰もそれを気には留めない。  それへ目をやったのは闇の中のネクロマンサー一人だった。  兵たちがその実、竜は疲労の極致にある……と見抜いたからではない。  倒すのはあの男なのだ。  猟銃を構える剛力そうなフルアーマー男でもない。  今まさに襲い掛かる死の闇をなぎ払うように現れた白い男なのだ。  黒き竜へと真っ直ぐ駆ける背へ、数十の目が恃んだ。  根拠などない。  でも、そうなんだろう?  あんたが倒すんだろう?  倒してくれるんだろう?  斬撃が走る。  ドラゴンゾンビの右前足を包む魔の鋼を、青い剣が薙いだ。二度、三度、剣が両手の剣 が行き交うと、人の身体より太い骨がバターのように裂ける。  軽い地響き。屍竜が前足一つ失ってバランスを崩した。 「すげえ……」  キルツが零した時には、男は倒れかけた竜の鋼を走って背へ駆け上がっていたた。白い 男は寒々しい青の剣を両手と、そして中空に従え二度三度蹴る。  吹雪。  北の地で出会ったそれを思い出し、キルツはもう一度息を吐いた。ロンドニアでは息が 白んだりはしない。  その小さな吹雪はなめるように竜の死骸を登ろうとして、今更震えたそれを蹴って飛ぶ。  飛んだ男の、右の足元に剣。  蹴った男の、左の足先に剣。  一歩踏み出すたび宙に浮かんだ剣が足を支える。  凶嵐が大道芸と野次ったそれで存在しない階段を上った。男は剣を片方捨てて、両手で 一本を振り上げる。  そのまま落ちる。男の体と男の剣。  闇の中で青が走って、右の後ろ足が根元から断ち切られた。その身体を支え包む鋼の鎧 も、もはや用を成さぬ骨も、輝くような切断面を見せる。  いよいよ支えきれなくなった屍が右へと倒れこむ。  その前に、男は竜の足下、いや身体の下をを潜り抜けた。  踊るように弧を描いて飛びまわってきた剣三本が、男へと戻りざまに屍竜の左の後ろ足 へと吸い込まれていく。  斬る。  斬る。  斬る。  青白い影に己が理想の剣舞を見るキルツが、何度息を吐く間だったか。  三肢失ってドラゴンゾンビは前進も後退も封じられた。  それを見て、守備兵たちが期待の成った事にある種の安堵を顔に浮かべる。  そうだよな。  やってくれるよな。  男はそんな期待に応えた。驚愕しているのは闇の中に一人だけだった。 (再生できない……だと……傷口が……)  凍り付いている。右の前後、左の後。三本の切り口全て氷が月明かりを反射する。 (氷の魔剣か……!)  そこではじめて、ブラックバーン=アームはその男を凝視した。  そして。 (しくじった)  と、思ったのは男と眼が合った瞬間だった。  何故だ、という思いが身体を支配したのはブラックバーンのミスである。  城壁の中で戦う男へ、崩れた城門の向こう真っ暗闇の森の中からの視線。十分に距離は あったはずだ。そして男を見た守備兵たちとは違って、自分はあの銀竜以外からそれほど の危険は感じ取れなかったというのに。あの銀竜が疲労でボロボロだと言う事も気付いて いたというのに。  ごり押しで屍竜を挫き、一体――  そんな思考が男に剣を投げることを許した。  ティーダが眼を見開く。門だった場所を飛び出し矢のように突っ込む青い剣一つ。 (ええい!)  陰で黒尽くめが身を退く。  ブラックバーンの眼は襲い掛かる剣を捉えていた。  そしてまた、兜の奥で赤く光る眼は闇の中のブラックバーンを捉えていた。  炸裂音。  魔術を込めて打ち出すものならともかく、火薬式の銃はいまだ品質が安定しない。だか らこそそれは急で、ロンドニア人はその音が聞き慣れず、首をかしげた。  撃たれたとブラックバーンが気付いたのは左足が己の血で熱くなってからである。避け た剣が後ろの木を抉って戻っていった。  その剣を印にしたジャックスの持つライフルが、煙を吐いている。  ブラックバーンの中で痛みより驚愕が大きくなった。 (こいつら、知っているな。俺だと、知っているな?  ここに来ているのはこのブラックバーン=アームだと知っているな!  敵はたった一人だと……知っているのだな!!)  王都からやってきたのか。だとしたら誰か喋ったのか、その疑問が押し潰れた。 「……凱歌を歌え!」  死鋼軍団長は、早かった。  詠唱が口から滑りでる。  雪のような男が四歩踏み出していたその後ろで、封殺された屍竜が紫煙となって霧散し、 その煙は飄とブラックバーンの右手に集った。 「ダークトライアンフ!」  宣言と共に、屍竜の攻城の間待機していた骸骨戦士が一斉に輝いた。渦を巻く将軍の右 手から再び力を受け、冷たい輝きを増した魔鋼を纏う。  仕切りなおしはない。  更に更に押し込む。  ここで殺す。今潰す。  余計な詮索も駆け引きも思案も振りほどいて最短時間でケリをつける!  それがブラックバーンの決断だった。  そして男は、頭上に四剣舞う中で首元のマフラーを引き上げ呼んだ。 「ジャックス!シャルヴィルト!」  一言発して崩れた城門の先へ、骸の群れへ駆け出す。 「任せる」    ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  金属の削れる音がやおら響き始める。  再び動きださんとする屍の軍団。 「相手が違うとはいっても、なんだか、王都とキレ違いすぎじゃないですか……というか 任せるって、ジャックスどうします!?」  そう嘆息し、身を翻す少女。 「な――――」  半ば放心状態にある城兵。  その中で。  男の後を走ろうとしかけた猛禽の眼をジャックスは止めた。 「あ?」  駆け出そうとした瞬間肩口に手を駆けられ、キルツは驚いてその鈍色の鎧仰ぎ見る。 「あの中へ?お主が?手に剣もなく?」  耳障りに響く妙な声を受けて青年は口元を引き上げた。 「ああ」  その爛々とした眼という値を得て、ジャックスの式が弾き出す。 「よし、では指示に従うである。お主にはやってもらう事がある」 「んだと?」  怪訝な表情に変わるキルツの横を抜けて、少女が振り返らず問うた。 「手がありますか」 「うむ」  返答に頷き、少女はティーダへ向かう。  ティーダや兵から見れば、向かってくる少女のその後ろで屍の山の歩みが一歩二歩と進 むごとに早まっている。  慄く兵へ、疲労に上がった息を整え一息吐く。 「手伝いなさい。ブラックバーン=アームを撃退します」 「「「「え?」」」」  今まさに迫ってくる屍騎士たちのことも忘れて、彼らは素っ頓狂な声を上げた。  はっとして、シャルヴィルトは顔を歪める。 「ぶ、ブラックバーン?皇国の?」 「え?こ、皇国?」 「第四軍……?」 「死鋼軍団……」 「なんで皇国が……!」  口々に漏れる声に、シャルヴィルトは心中で己に説く。 (いや当然だ。言えばこうなる、だが言わなければ進まない!)  痛む肋骨を押さえて息を吸う。  吐く。 「そうです!この敵は皇国第四軍死鋼軍団!」 「どうする」  すぐさま応えたのは、はたしてティーダだった。  その鋭い言葉は、嘆きを押さえ込む為だったのだろう。 「あの死のない鋼の群れとどう戦う」  ティーダが言う間に剣戟が響いた。  『男』がその剣を薙いだのだ。  正面から軸をずらしながら、男は軍勢の先頭と交錯し、押し寄せる剣を魔剣で弾いた。  回転させ、交差させ、自らの剣を自らの剣で弾き、前後左右からの剣を防ぐ。  蹴り飛ばし、剣を踏み、宙を舞う。骸の軍勢を飛び越え引き寄せる。  しかしまさか、未だ400近く残る全てが『男』に殺到するわけもない。  ブラックバーン将軍が城兵たちを見逃す道理もない。  半数近くが向かってくる、それより手前でキルツの手を引いたジャックスがシャルヴィ ルトの肩を叩いた。 「今言います。まずは後ろへ」 「……ああ。来い!」  それを聞いてきびすを返したティーダが先頭を走り出す。脱力していた兵たちは思考を 中断されて、ただ声に縋ってわあっとティーダに続いた。 「本当に死鋼軍団なのか。そう言われりゃ確かにそう見えもするが」  駆けながらキルツがジャックスに振る。 「仔細は省きますがクーデタ自体、皇国が糸を引いていたんです」  答える少女の顔がやや青い。月明かりのせいか判断出来ずにキルツはうなづくだけにし た。 「道理で術者がさっぱり見つかんねぇわけだ。外の木々にたった一人じゃあな」  毒づいて、ティーダを見てからジャックスを仰ぐ。  仰いで、デカイなとキルツは思った。 「内の扉を閉め、天守塔(キープ)まで退くである。話す時間が要る」  今まで居た外壁のと主壁に挟まれた外庭(アウターベリー)より逃げ出し、城塞の本体内 部へ戻る。扉を落としながらこの城は内側にある馬出し場(バービガン)を引き返し、中庭 (インナーベリー)を天守塔へまっすぐ駆け抜ける。  ちらと振り返る城兵たちに、馬出し場の格子扉を越えようとやたらめったらに叩く死騎 士が見えた。  ブラックバーンの呪文を受けて、更に破壊的になっている。強化された衝撃力に、交差 された鉄棒がどんどんと歪んでいく。迎撃する人員が居ない以上、壁は壁でしかない。障 害物は防御設備とはなりえない。  そのやや上、向こうに空を踏んで駆ける白い男が居た。  後ろに視線を流したまま、キルツが問う。 「あの男は大丈夫なのか?」 「知らぬ」  帰ってきた答えにやや面食らう。  いいのか?それで?  だが巨体はそれ以上何も言わず、金属の音をさせて走る。  一言だけで男が走り出した時には言葉の要らない関係というやつだろうかと漠然と思い もしたが、そういうわけでもないのだろうか?  微妙に心配になりながらキルツが天守塔の扉をくぐった。彼と鎧男と少女で最後だ。  ジャックスがすぐさま鍵を降ろした。  あの男ならば宙からいくらでも入れるだろうからいいのかもしれない。そうは言っても あまりに迷いがなさ過ぎてキルツだけでなく周りの兵や、シャルヴィルトまで戸惑ってし まう。 「さて」  ジャックスが振り返る。鎧の中から低い唸りのような音が聞こえた。 「我はあの死鋼軍団とやらの噂は良く知らぬのであるが」  一言目に兵達が顔を引きつらせた。 (頼りない!) 「今見たところにおいて、あれらを撃退する事は可能だと判断したである」  きっぱりと言い放つのをキルツが睨むほど見つめている。 「さっきよりもアンデッドどもが強くなったってのにか!?」  だれかが叫んだ。 「関係ないであるな」  またも言い切ったジャックスに、う、と皆が息を呑む。虫の羽音のような唸りだけが響 いた。 「関係ない。敵ネクロマンサーの使役するアンデッドの運動能力は一定値以上……つまり 我々が反応・対処できぬほど決定的な差異にならぬ限り一向に意義を変えぬ」 「倒せるのか、あの法外な軍団を。あれだけの屍の戦士を。たったこれだけの人数で?」  問うたのは再びティーダだった。 「倒すのは軍団ではない」  ジャックスはぐるりと顔を回して 「たった一人の怪物が指揮する無茶な軍団だからこそ、シンプル且つこれ以上なく有効な 手が一つあるであるよ。  大量の屍を吹き飛ばす必要もない。  相手が剣を遣おうが竜を遣おうが関係ない。  敵屍術師一人の戦闘不能でこの戦い決着するのであるからな」  皆押し黙ったままジャックスの言葉を聴く。  大量の屍に追われ――  天守塔へ逃げ込んでおいて――  将を射る? 「そこで我が計に必要なのは、皆の協力と敵将へ切り込む一人」 「一人なんだな?」  ジャックスの言葉の尻に声が重なった。  放ったキルツを皆が振り返ったのはその声に喜色を含んでいたからである。  疑問のような言葉とは裏腹に、キルツのその瞳はまたもギラギラと輝いていた。  まさにそういうものを待っていたと言わんばかりにである。  その頃、『男』といえば城の端の塔に足をかけた所だった。  眼下に屍の騎士が迫っていたが、男はただそれらをいなすばかりで、呆けた目でそれを 見ているのか、見ていないのかという塩梅だ。  かつてこの『男』はジャックスを「戦う者だ」と評した。  全く真実である。  プログラムの中を値が走る。逐次データが修正され、予想結果が動く。完全な論理的回 路と不完全な感情が二重螺旋で告げる。  その二重性はかつて道楽の魔術師がジャック=ヴァルカンと名付けることになる個体を 双頭にした理由と同じものだった。戦闘に関してと限定するならば、目指したところへの 近似値は機兵の方が誤差の少ないものではあったろう。それは生物ベースか、機械ベース かという問題だ。アナログな思考を不完全にしか出来ないジャックスには長期的な図を描 くのに限界がある。  だがその意図に意味はない。意味を見出すものはもはや居ない。ジャックス自身も、気 にしなかった。それは起動してからでも、再起動してからでもそうだった。  己が生まれた意味になど、頓着しない。  ただ己が戦うことを望んでいると知っているのなら、それを行う。  まさしく機械の兵であり、たとえばそれは紫眼の青年とは決定的に違った。ジャックス はもはや道を探す必要などないのだ。ある意味で三人の中で彼のみは『男』と共に居る意 味を持たない者だった。  だから先も気にしなかった。彼の計算の中には『男』の値は誤差に消える。猛禽の眼の 青年が独り無謀にも挑もうとする意思を持っている事は判断できても、それが喚起された 『男』の印象は理解しない。  彼に必要なのは剣だった。  いや、彼に必要なのは、彼を必要とする剣だった。  そして彼の目の前にはキルツが居る。 「教えな、参謀(ブレイン)」  キルツが握った革の手袋がぎちりと音を立てた。 「頼むであるよ、兵(ブレイド)」                           中篇になっちゃったので後編へ ※そういえばこのフラティン城、レクタンギュラーキープタイプの城だ  用語は、砂漠の向こうの中央部がフランスっぽい  (西国にジャンヌいるし(ジャンヌゆーな)  (トゥールーズとかモンペリエとかあるし)  から、まあ、イギリス、っぽくて丁度いい、かな