異世界SDロボ ベルフィットSS          - トリスタンと伊豆姫 -              後編    わたくしがふぃっくす家に嫁ぎ幾日も過ぎ去り、異国での生活に慣れ親しんできたある日の昼下がりの事です。   部屋でこの国の童話物語を読んでおりました。   その国を知るにはやはり、その国の物に触れる事が何より重要だという思いがあったからです。   ふと、窓の外に気配を感じ、わたくしは本を捲る手を止め、窓を開けました。   その瞬間に、黒い影がわたくしの部屋に飛び入り、口を塞がれました。   驚きと恐怖のあまり、心の臓が止まるかと思いましたが、どこか懐かしい匂いを感じ、ゆっくりと目を開けました。   窓から入ってこられたのは、バクフの忍びの者だと、衣装で気がつきました。 「姫、ご無礼をお許し下さい」   忍びの方はそう言われますと、少し私から離れ、キシュウ・ヨリサダ様からの使いだと名乗られました。   キシュウ・ヨリサダ様は、トクガワ御三家のひとつ、キシュウ家当主で、  わたくしには何かとお優しくして下さり、様々な地方の珍しい品等をくださったお方です。   そのヨリサダ様がわたくしに忍びをなぜお遣わしになったのか、と尋ねました。   忍びの方が言うには、こうでした。    イエミツ様が圧制を行われ、父上を含む御三家を虐げられ始め、皆、苦しんでいるとの事でした。   それが余りにも酷い状態ですので、御三家共々協力し、イエミツ様に謀反を起こす事が相談の結果決まったそうです。   その旗印として、わたくしにも一時的に帰国して頂きたい...との事でした。   父上や母上達の事も心配で心が揺れましたが、わたくしは帰国した所で何の役にも立ちませんし、  今はふぃっくす家の妻でもありますから、国を出る事等、とんでもない事でした。   そう告げても、忍びの方は、どうか、どうか、としつこく仰いました。   わたくしは動揺と、父上と母上が心配であるのにここから出る訳にはいけない、旦那様が哀しまれる事をしたくない、  という葛藤から癇癪を起こし、思わず、 「賊ですっーー!」   と叫んでおりました。   わたくしが叫んでから本当に間もなく、旦那様が部屋に飛び込んでこられて、れいぴあで忍びの方の腕を貫かれました。   忍びの方は窓際へと飛びのかれ、わたくしの方をじ、と見られました。   旦那様がこれほど早く来られ、そしてすぐさまに忍びの方を刺されるとは思いもしませんでしたので、  忍びの方に怪我をさせてしまった事を、申し訳なく思い、わたくしは思わず目を逸らしました。 「イズーの前で私に血を流させたお前を許しはしない...!  だが、一度だけ慈悲を与えよう!地獄を見たくなければ、今すぐ失せろっ!!」   と旦那様がお叫びになられますと、忍びのお方は窓からお去にになられました。   旦那様はそれを見届けになられるとすぐに、私の傍に寄られ、わたくしを強くお抱きになられました。     その瞬間、旦那様のお香水の甘い匂いがふわぁとし、気分が少し落ち着きました。 「怖かっただろう、イズー...。賊の侵入を許してしまったのは私の責任だ。  どうか許してくれ...」   忍びのお方は賊ではありませんでしたし、もしあのお方が仰った事が真実ならば、旦那様に相談すべきかもしれない、  とは思ったのですが、心配をかけてはならない、と思いなおし、自身の胸のうちに留めておく事に致しました。 「いいえ、旦那様は何も悪くはありません...どうか謝らないで下さいまし...」 「...どうした、イズー?」   わたくしの心中をお察しになられたのか、旦那様はお尋ねになられました。 「...いいえ、なんでもございません...」    思えば、この時に告白しておくべきだったのかもしれません。    忍びの方はその後も何度も参られ、熱心に、父上と母上がお苦しみになっておられる様子を伝えて下さいました。   それでも私は、断り続けましたが、何度も、何度も父上と母上の事を聞く度に不安は募り、いてもたってもおられなくなりました。   ある日、「謀反が失敗しても成功しても、すりぎぃらんどにはしかと送らせて頂きます」という言葉に釣られ、  私はついに、首を縦に振ってしまいました。   ではすぐにでも、と言われましたが、黙って出てゆく事などできません。   旦那様に手紙を書き残す事に致しました。   手紙を書いている最中も、旦那様への申し訳なさで胸が満たされ、さほど長い文ではありませんでしたが、  筆が重く感じ、書き終えるまでに長い時間を要しました。   手紙を書き終え、机の上に置きますと、わたくしは忍びの方に渡された目立たぬ着物に着替え、忍びの方に言われる通り、  連いて行きました。   ふぃっくす家のお屋敷を出て、すりぎぃの港に着きますと、バクフからの貿易船の荷部屋に入るよう言われました。   中は暗く、あまり綺麗とは言えぬ場所でした。   バクフに着くまでここから出てはならないと言われました時は戸惑いましたが、父上と母上の事を思うと、我慢するしかありませんでした。   旦那様と船に乗った時は、海が見え、とても楽しい航海でしたが、今回は旦那様、  そして父上と母上への心配と不安を胸にただ歯を食いしばって耐えなければならぬ、とても辛い航海でした。   真暗な荷部屋はお陽さまが入らず、朝なのか、夜なのか、わかりません。   ただ、食事が運ばれる時の挿すわずかな光と、食事の時間のみが、時間を知る手立てでした。   ですが、次第にこれが朝御飯なのか、お昼御飯なのか、お夕食なのか、よくわからなくなってゆきました。   荷部屋で出来る事は何もなく、ただ不安に胸を押しつぶされそうになりながらも、旦那様のお優しい顔を思い浮かべ、  耐えるか、ただひたすらに眠る事だけでした。   最初は床を走る鼠が視界に入る度に悲鳴を上げておりましたが、よく見るとかわいらしい顔をしているのに気付き、  この船旅の唯一の友であると思えてきましたので、なんとか寂しさを紛らわす事ができたのが唯一の救いでした。   幾日経ち、バクフへと到着し、私はようやく外へと出る事が許されました。   何日もお陽さまを見ておりませんでしたので、久しく見るお陽さまの光がとても眩しく、眼が潰れてしまいそうでした。   船から降りますと、馬に乗せられ、見知らぬ海辺の小城へ連れて行かれました。   わたくしはてっきり、ミト城へゆけると思っておりましたので、驚きを隠せませんでした。   忍びの方に尋ねると、そこは、キシュウ・ヨリサダ様の避暑地の小城だという事でした。   どうしてミト城ではなく、こちらにお連れになったのですか、と尋ねますと、ヨリサダ様に尋ねてくださいと言われましたので、  仕方なく、言われるがままに城内へ入りました。   城内に入りますと、ある一室に案内されました。   そこにはキシュウ・ヨリサダ様がおられ、入ってきたわたくしをじ、と眺められました。   何故かはわかりませんが、その視線が何やら不気味で、わたくしは身の内が震えるのを感じました。   ヨリサダ様はそれに気がついたのか、座るように、と仰いました。   わたくしは座布団に座り、どうしてこちらにお呼びになったのですか、と尋ねますと、  今、ミト城下にはイエミツ様の配下の方々が沢山来ておられるので、そちらに行けばすぐに見つかり、  謀反が失敗に終わってしまう、との事でした。   父上と母上が無事なのですか、と尋ねますと、とりあえず今は無事なので、案ずる事はない、   兎角、謀反の時が来るまでわたくしはこちらで寛いいでくだされ、と仰ると、ヨリサダ様は部屋から出てゆかれました。   旦那様の事も、父上、母上の事も心配なのと、見知らぬ場所だという事で、寛ぐ事等できませんでした。   不安に悩まされながら幾日かして、ヨリサダ様が部屋に入ってこられました。   旦那様が、わたくしに会いに来られている、との事でした。   旦那様には黙って出てきてしまいましたので、会わせる顔など無かったのですが、もう長い事お会いしてないような気がして、  早くお顔を拝見したく、早く会わせて下さい、とヨリサダ様に申しました。   するとヨリサダ様は、会うのは構わないが、万が一、旦那様の説得に応じ、帰国なさるような事があっては困る、  それだけは心得て頂きたい、と仰いました。   わたくしが、はい、と答えると、ヨリサダ様は部屋から出て行かれ、少ししてから旦那様が部屋に入ってこられました。   旦那様のお元気な姿を拝見し、わたくしは少しだけ、ほ、としました。   旦那様は、わたくしの前まで足早に歩いてこられると、片膝をついて座られました。 「イズー、早く帰ろう」 「はい...わたくしも、早く帰りとうございますが...」   そう言うと、旦那様はわたくしの手を引き、立たせようとなさいました。   わたくしが少し身を引くと、旦那様は目を見開き、驚いた顔をなさいました。 「どうしたんだ、イズー。帰りたいんだろう?一時もこんな場所にいるべきではない」 「帰りとうございます。帰りとうございますが...父上と、母上が...」   わたくしがそこまで言うと、旦那様は少し乱暴に手を離され、部屋の襖まで歩いていかれました。   旦那様に拒絶されてしまった様な気がして、わたくしは縋る様にその後姿に手を伸ばしました。 「...私は、国を捨て、全てを捨て、イズーを追ってここまできた。  どうやら、貴女にとって、私はその価値はないようだ。  失礼するよ」   旦那様は、わたくしに裏切られた事への怒り、悲しみを背中で露にし、震えておられました。   呼び止め、そのような事は決してございません、そう言おうとするより早く、旦那様は部屋を出てゆかれました。   追って、抱き、申し訳御座いませんでしたと、どうか、お許しになってください、と言わなければ、  と思いましたが、そうすれば、旦那様はわたくしを連れてゆかれるに違いありません。   父上と母上の事を思うと、体を動かす事ができませんでした。 「どうか、どうかお待ちになって下さい、旦那様...!とりす、とりす...!」   わたくしは、とりす、とりす...と何度も繰り返しましたが、声は届くはずも無く、涙の雫と共に、  畳の奥に吸い込まれてゆきました。    わたくしが、ふぃっくす家のお屋敷に居たときの事でございます。   旦那様もわたくしも、皆、はやくお子を授からぬものかと心待ちにしておりましたので、   母上から教わった子宝料理を作る事を思い立ちました。   それは塩漬けの数の子に、イチヂクの潰した汁を浸して作るものでした。   ですが、すりぎぃの市場では鰊が手に入らず、鯖を買い、イチヂクも見つかりませんで、似た味のさくらんぼで代用し、  作りました。   作りはしましたものの、やはり代用品では駄目なのか、教わったようなものが出来上がりませんでした。   元々、美味しい物ではないのですが、出来上がったものは、それに輪をかけて美味しくなさそうに見える物でした。   ですが、食べ物を粗末にする訳にもいきませんし、食べる他ありません。   仕方無しに食事の席に出しました(勿論、食べるのはわたくしだけですので、一皿だけです)。   旦那様は食事の席にお着きなさると、始終、その子宝料理紛いのそれを気にしておられました。   わたくしは余り食べる気が起きず、最後まで取っておいたのですが、いざ、手をつけようとした時、旦那様が仰いました。 「私にも、それを食べさせてくれ」   わたくしは、それが失敗した物である事、また、美味しい物ではない事を伝えましたが、それでも食べたい、  と仰せになりました。 「でしたら、わたくしの皿の物でなく、旦那様の分もお作りしてまいります」 「いや、イズーの皿のそれが食べたいのだ」   と、頑として仰せになるので、旦那様の皿に半分ほど分けて差し上げますと、  特に不味そうな顔ひとつせず、平らげてしまわれました。   わたくしはそれを見て、それほど不味い物でもなかったのだと思い、口にしましたが、 「.........。」   絶句しました。   口の中で相反し合う辛さ、甘さ、酸っぱさが舌の上で弾け、お恥かしながら、思わず戻してしまいそうになりました。   それでも残すわけにはいかず、少し時間をかけて、なんとか平らげる事ができました。   食事を終え、どうして旦那様が何故あのような物を欲しがったのか、顔色ひとつ変えず平らげてしまわれたのか、  疑問に思っていると、旦那様のお父上様がわたくしをお呼びになられました。   お父上様と並び、花壇を黙って歩いていました。   お父上様は寡黙な方で、あまりお話をする機会が御座いませんでしたので、嬉しく思いました。   ですが、暫くしても何も話されなかったので、わたくしから尋ねようとした時に、お父様が話し始められました。 「イズー。トリスタンの事だが...」 「はい、いかがなさいましたか?」 「あいつは、私が言うのもなんだが、良く出来た息子だ。  貴女も知っているだろうが、フィックス家は、建国三十六系譜であり、円卓の騎士団の一員ではあるが、  それも名ばかりで、権力は、あってないようなものだ。  だがあいつは、権力がなくとも円卓の騎士団の一員として名に恥じぬよう、力を磨き、  フィックス家の名誉を守り通すために尽力してくれている。  既に知っているかもしれないが...貴女と誰が結婚するか、という事が建国系譜会議で、話し合われた時、  相手と身分として相応である円卓の騎士団から出す事が決まったが、異国の血を皆好まず、婚約したがる人間はいなかった。  トリスタンも、そうであったらしい。  だが、いざバクフまで行って帰ってきたら、あれだ。  さっきの食事の時の事もだが...あれは、とても食べれた物ではない味だったのだろう?」   あれとは、と聞き返そうとして、すぐに思い出しました。   思い出すだけで、舌がむずがゆくなるのを感じました。 「はい...」 「まぁ、貴女自身もそう言ってたし、食べてる様子を見ていてよくわかった。  あいつは、普段あんな事をしたりしない。  常に冷静でいて、感情を隠しているあいつが、強情に欲しがったのに、私も驚いた。  それだけ、貴女を大切に想っている。  だからこそ、不味い事を知っていて、その苦しみを分かち合いたかったのだろう。  異国から慣れぬ地にきて不安も多いだろうが、どうかあいつを支えてやってくれ」   お父上様はそう言われると、屋敷へお戻りになられました。   わたくしは、お父上様の、旦那様への想いを知ると同時に、旦那様のわたくしへの深い愛情を知り、  幸せでした。       わたくしは、そこまで深く愛して下さっていた旦那様を裏切り、失望させてしまったのです。   旦那様がヨリサダ様の小城へ会いに来て下さった日、わたくしは床に伏せて泣き続けておりました。   気がつくと日は暮れており、城の外がなにやらざわめき始めておりました。   何事かと、顔を上げたとき、ヨリサダ様が部屋に参られ、ついに決起の時が来た、と、  わたくしを城の三階の縁側へと招かれました。   縁側の両側には、灯篭に火がくべられ、煌々と輝いるだけで、誰もおらず、わたくしとヨリサダ様だけで、  縁側に足を踏み入れました。   ヨリサダ様の言われるがままに縁側の淵に立ち、集まっている方々を見て、よくやく、わたくしは、  様子がおかしい事に気がつきました。   わたくしは、機械人には詳しくはありませんが、ミト城内で何度も見かけていました。   ですが、集まっている機械人は見かけた事がないものばかりで、どこかしら、禍々しい概観の物でした。 「よくぞ集まってくれた、意思を同じくする凶党(まがつとう)の諸君。  今、バクフの地は異国の物が踏み入り、汚している。  誇り高きバクフの民としてこのような事が許せるだろうか!」 『おおお、殺せ、イエミツを殺せ』   凶党。   その名は、聞き覚えがありました。   イエミツ様を憎み、謀反を企む方々だと。   どうしてこの場所にこの方々がいるのか、どうしてわたくしに呼ばれたのか、わけがわからず、  ただただ、呆然としておりました。 「そう!今こそ我等は決起し、将軍イエミツを打ち倒さねばならん!  バクフの地を取り戻さねばならないのだ!  そしてここにいる、バクフ人皆が慕う伊豆姫がおられる。  皆の知っての通り、伊豆姫は、イエミツの政策の為に無理矢理汚らわしい異国人に嫁がされた。  私は苦労の末に異国から姫を救い出し、ここまでお連れしたのだ!  ...そうだ、今日、皆に伝えねばならぬ事がある。  私と伊豆姫は今日、婚約する!!」 『おおおおおおおお』   その言葉を耳にした瞬間、血が頭からさぁと引くのを感じました。   何故、どうしてわたくしがヨリサダ様と婚約を? 「御三家のキシュウ・ヨリサダと御三家ミト家伊豆姫が旗印となり、  謀反を起こせば、真のバクフの魂を持つものはわれ等に続くであろう!」   ようやく、そこで気がつきました。   父上、母上がお困りになってらっしゃるというのも嘘で、  ただ謀反を起こす為の道具として、わたくしを利用しただけなのだと。   そして、その虚言にわたくしは踊らされ、旦那様を裏切り、傷つけてしまったのだと。   わたくしは、思わずヨリサダ様に掴みかかっていました。 「騙したのですね...わたくしを騙したのですね...!――っ!?」   ヨリサダ様はつかみ掛かったわたくしの肩に手を回し、胸元へ引き寄せられ、傍からみると、  抱き合う格好となっておりました。 『おおおーー!ヨリサダ様!!伊豆姫様!!』   眼下からは、歓声があがりました。   ふと、目の端に、ふうどを深くかぶり、佇む方が映りました。   すぐに、わたくしは気がつきました。   あの背格好、佇み様、それが旦那様のものであると。 「旦那様、旦那様!」   叫んでもヨリサダ様の大きな声の演説、狂党の方々の歓声に掻き消され、届くはずもございませんでした。   わたくしはヨリサダ様から無理矢理離れると灯篭の傍により、手を組みました。   旦那様に教えていただいた、影絵遊び。 『"私は""きつねの""ところへ""帰りたい"』   わたくしは、影絵を作り終えると、振り返って旦那様のいた方を振り向きましたが、  そこにはもうお姿はありませんでした。   旦那様は、わたくしを、お見捨てになられたのだと、悟りました。   ヨリサダ様の嘘に騙され、旦那様を傷つけた、愚かな私への、当然の報いでした。   あたまが、あたまが、真白になり、   なみだが、なみだが、頬を伝い、流れおちてゆくのがわかりました。 「伊豆姫も、感激の余り涙を流している!」 『おおおおおおおお!!』   気がついた時には、わたくしはヨリサダ様と二人、部屋におりました。   部屋には布団が一つ、枕が二つ並べられておりました。 「さぁ、無事婚約も終えたのだ。  床を供にし、夜を愉しもうではないか...」   汚らわしい声が、わたくしの耳に届きました。 「わたくしを、騙していたのですね?」 「騙していたからといって、どうなのだ?  そなたはここにいる他、道はない。  なあに、私が将軍となれば、そなたは何不自由なく暮らせるのだ。  何を嫌がる必要がある?  それとも、異国の権力者、円卓の騎士の旦那(ヨリサダ様は、旦那様が円卓を抜けられている事に気付いていない様子でした)  を追い返しておいて、おめおめとすりぎぃへ戻り、また嫁にしてくれ、と申し出るのか?  どの面を下げて?」    そうでした。   ヨリサダ様の言うとおり、旦那様から見捨てられたわたくしは旦那様の嫁ではありません。   父上も、わたくしが旦那様を裏切ったと知れば、失望なさるでしょう。   わたくしには、帰る場所など、ございません。 「確かに、仰る通りです。  ですが、わたくしはもう、これ以上、旦那様を裏切るような事はしたくはありません」   さようなら、とりす。ごめんなさい、とりす。   心の中で謝罪し、わたくしは舌を出し、思い切り口を閉じました。 「何だと、ばか者め、おい、誰か早く来い!薬師を呼べッ!!」   激痛、口の中に溢れる液体、仄かに感じる血の味、匂い。   そして、頭に浮かぶ、旦那様のお顔。   わたくしは、熱のような激しい痛みで、目を覚ましました。   痛い、と口に出そうとして、舌を自ら噛み切った事を思い出しました。   目を開けると、そこは薄暗い、牢獄の中で、わたくしは両手を縛られ、床にねそべっておりました。   何故まだ生きているのか、と不思議に思いましたが、舌の根元に違和感を感じ、  なんらかの治療が施されている事に気がつきました。   では、何故生かされているのか、と考えておりますと、牢屋が開き、ヨリサダ様が入ってこられました。   先ほどとは打って変わって、眉をしかめ、汚らわしい物を見るかのような目でした。    「ふん...何も考えず、私に身を任せていれば良かった物を...愚かな姫だ。  だが、残念だったな、生かしておいたのはそちを嫁にする為ではない。  私は、かたわものの様な醜いヤツが大嫌いなのだ。  しかし、舌はなくとも価値はある。  阿呆のクニミツを脅すくらいには使えるだろう。  それまで生かしておいてやる。」   そう仰ると、出てゆかれました。   わたくしを騙し、旦那様を汚らわしいと罵り、父上を阿呆と呼んだあのお方を許せませんでした。   ですが、手を動かす事も、話す事もかないません。   わたくしは唯、どうすれば、父上の迷惑にならないだろうか、どうすればこの命を絶てるのか、  それだけを考えようとしました。   その度に部屋を立ち去られる時に、背中で哀しまれていた旦那様のお姿が浮かび、お会いしたくて、お会いしたくて、  謝罪したくて、涙が出ました。   そうして暫く泣いていると、遠くから何やら大きな物音が聞こえ、始め、何方かが牢屋の階段を下りてこられるのがわかりました。   その足音が足早にこちらに近づき、扉の向こうに影が現れました。 ───────────   私は、全てを捨て、イズーを迎えにきた。   だというのに、彼女が父上が、と渋った事に傷つき、城を後にした。   しかし、一人哀しみ怒りに咽びながら歩き、それが自分勝手な考えであるのに気づくと同時、  是ほどまでに愛したイズーを、私は忘れ生きる事等できない、とわかった。   彼女は恐らく、私に捨てられたと思っているだろう。   このまま放っておけば、彼女は私の元に帰ってこないかもしれない。   もしも、そのまま――そうだ。   キシュウ・ヨリサダは以前より、イズーを嫁に欲しがっていたのだ。   謀反が起き、成功したとすれば、本人の意思とは別にキシュウ・ヨリサダと婚約する、という事が大いに有り得た。   恐らく、キシュウ・ヨリサダはスリギィランドとの国交を快く思っていない。   それは、婚式の私への態度でわかる。謀反が成功すれば、間違いなく、スリギィランドと国交を断つだろう。   それだけでなく、もしやすれば他国へ攻め入る...それも考えられる。   しかも婚式の時、彼はなんと言った? 『伊豆姫を妻とする事ができるとは、全く幸せ者であるなぁ。しかし、その幸せがずっと続くとよいが...』   あの時から既に、何かを企んでいたのだ。   なんとも信じがたいのが、あの真の侍、クニミツが主君を裏切り、謀反を起こそうとしている、という事だ。   イズーの手紙には、イエミツが圧制を行い...と書かれていたが、道中通った町に、圧制に民が苦しんでいる、  というような、陰気な空気はなかった。   そこでようやく、一つの結論に達する。   キシュウ・ヨリサダは、やはり嘘をついていたのだ。   そうだ。何故私はそこに気付かなかったのだろう?   イズーへの熱情に溺れ、冷静な思考がままならなかったのだ。   なんとも情けない、自ら過ちを犯していたのだ。   ヨリサダの企みに気付き、強引にでも城から連れ出し、ミト城まで走るべきだった。   そうすれば嘘だとわかっただろう。   連れ出す機会も、二度はない。   あの時、イズーに会うのにも一苦労だった。   私を追い返そうとする門兵に自分が円卓の騎士であると信じさせ(既に円卓の騎士ではなかったのだが)、  なんとかヨリサダに取り次がせたが、彼自身も城に入れるのを渋った。   彼は二度と私を城に入れたりはしないだろう。   ベルフィットで無理矢理にでも城内に入り、イズーを連れ出すべきだ。   そう考え至った頃は既に、日が暮れていた。   急いでヨリサダの小城に向かったが、着く頃には、既に夜になっていた。   そして、近づけば近づくほど、何か大きな物音が聞こえる、ヨリサダの城で何かが起こっているのがわかった。   かなりの人数があそこに集まっている。ざわめきと熱気で、それがわかる。   近づくと思ったとおり、大勢の人となにやら禍々しい雰囲気を持つ機械人らしきもので溢れかえっていた。   皆、城のベランダに向いて、喚起をあげていた。   フードを深くかぶり、できるだけ目立たぬように、その輪に入り、見上げる。   城のベランダには、ヨリサダとイエミツが立っていた。   何を言っているのかと耳を済ませていると、許しがたい言葉が、飛び込んできた。 「皆の知っての通り、伊豆姫は、イエミツの政策の為に無理矢理汚らわしい異国人に嫁がされた。  私は苦労の末に異国から姫を救い出し、ここまでお連れしたのだ!  ...そうだ、今日、皆に伝えねばならぬ事がある。  私と伊豆姫は今日、婚約する!!」   汚らわしい異国人とは私の事だろう。もしくは、スリギィ人全てを指している。   だが不思議とそれには怒りを覚えなかった。   私と伊豆姫は今日、婚約する。   怒りの余り、その言葉に答え歓声を上げている者達全てとあのヨリサダを斬り殺したくなったが、  はっ、と思い返した。   冷静になれ。ここで感情に任せてはならない。   一度ならず、二度までも失敗を犯すわけにはいかない。   ベルフィットは、単機同士の戦いには向いているが、大勢を相手にするのには、あまり向いていない。   今暴れれば、数に負けてしまうだろう。   機を見計らう必要があった。   ヨリサダの演説を見ていると、不意にイズーがヨリサダに掴みかかった、ように見えた。   次の瞬間、ヨリサダはイズーを強引に抱き寄せ、まるで相思相愛であるかのように振舞った。   静かに怒りを灯しながらも、思考を巡らせながらそれをじっと見続ける。   すると、不意にイズーと目があったような気がした。   イズーはヨリサダから離れると、灯篭の傍に立ち、手を翳した。   何をしようとしているのか、と一瞬だけ疑問に思ったが、私は、灯篭に映された手の影を見て、気がついた。   影絵遊びだ。 『"私は""きつねの""ところへ""帰りたい"』   ...待っていろ、イズー。必ず、助け出す。   私は、イズーの心を受け取ると、その場を離れた。   今は機ではないし、あの場で、他の者達に私がいる事が知られてしまっては、意味がない。   最高潮に気分が高揚している彼らは、集まれば驚異となる。   恐らく、演説が終われば宴が始まるだろう。   その隙を狙う。   どちらにせよ、一人で多数の相手をしなければならなかったが、それも仕方がなかった。   そう思った瞬間に、琥珀のペンダント、ベルフィットが、自分がついている、とでも言うように震えた。   そうだ。一人ならば難しくとも、ベルフィットが居れば、私は負けない。   静かに闘志を燃やしながら、私はその場から少し離れ、場がある程度落ち着くのを待った。   暫くするとヨリサダの声、歓声が止み、笑い声や話し声等に変わった。   奇襲をかけるならば、油断仕切っている今しかない。 「出でよ、フィックスに永燃せし狐火――ベルフィット!」   オォォン、と狐の鳴き声と共に木の葉の渦が生まれ、狐火が灯り、ベルフィットが姿を現す。   すぐさま搭乗すると、宴の中へ飛び込んだ。 「なっ――!?」   驚き慌てふためく兵達の中に飛び込み、機械人をレイピアで突き刺し、破壊してゆく。   なんとかいけそうか、と思ったが、彼らを甘く見すぎていた事に気付く。   彼らはすぐさま機械人に乗り込み、私に向かって攻撃を始めた。   行動が、早すぎる。よほど訓練を積んでいなければ、これほど早く対応できないだろう。   彼らは、ただの兵ではなかった。   後に知る事になったが、彼らは凶党と呼ばれる、イエミツに背き謀反を企む過激派戦闘集団だった。   乗る機械人は、凶人、と呼ばれる機械人の技術を参考に邪法を用いて作られた禍々しい物だ。   私は、すぐさま窮地に立たされる。   しかし、この機を逃せば、ヨリサダを筆頭に謀反が起き、それこそ伊豆姫に近づく事ができなくなるだろう。   今、命を賭けてでも、切り抜けなければならない。   一機、一機、とレイピアを凶人の間接部を突き、着実に破壊してゆく。   だが、倒しても、倒しても、きりがない。次々と、凶人は増えてゆく。   気がつけば私は、追い詰められていた。   こんな所で、終わる訳にはいかぬというのに――   少し怯んだ、その隙に、凶人が数体同時に襲い掛かってくる。   しまった、一機倒せても他の数体からの攻撃は避けられない。   如何に対処すべきか、と思考をめぐらせた次の瞬間、馬の嘶きと共に、背後から機械人、いや、魔導機が飛び出し、  私に襲い掛かった凶人を切り刻み、撃退し、私の前に着地した。   ランスを携える、下半身が馬の魔導機と、その背に跨る、黄金の剣を構え、白銀の体を持つ魔導機。   両機は黒いヘルムを半ば無理矢理かぶっていたが、そのシルエットは見覚えがあった。   ランスロット殿のアロンダイナー、ガラハド殿のバルガーハだ。 「ランスロット殿、ガラハド殿!?」 「ほら、普通にばれるよ、父さん」 「ええい、黙れい息子よ!やぁ異国の騎士殿。我等は通りすがりの謎の覆面騎士じゃ。助太刀致す!」 「そう言う訳なんだ、トリスタン。僕らが道を開くから、君はイズーさんを助け出して。  彼らの相手は僕達がする」 「では、ついて参れーっ!」 「かたじけないっ!」    何故彼らがここにいるのだろう?ランスロット殿の世話焼き癖が大いに関わっていそうだ。   理由は如何あれ、二人の助けに感謝し、私は彼らに続く。凄まじい勢いで、凶人を撃破してゆく。   まるで、剣の旋風だ。前方から来る凶人は例外なくアロンダイナーのランスが貫き、   左右から襲い掛かる凶人はバルガーハの剣で斬り落とされる。   流石、円卓一とも言われる腕を持つ騎士、そしてその子息。私がレイピアを振るう間もなく、小城の前まで到着した。   小城の前に辿り着くとアロンダイナーは踵を返し、背後から私達を追う凶人に振り返った。    「ゆけい、異国の騎士殿!後はわしらが食い止める!」 「助かりました、ランスロ...いや、謎の覆面騎士殿!」   私は叫ぶと、ベルフィットに搭乗したまま、城内へ入る。背後で、彼らが凶人を撃破する音が鳴り響く。   人が入る様にしか出来ていない城内は、魔導機が入るには、当然狭い。   ベルフィットの頭は城の屋根に接触、ヤネガワラが落下し、甲高い音を奏でた。   城内にいる家臣達や女中達は、外の騒ぎに気付いていなかったのか(宴の騒ぎだと勘違いしていたのだろう)、  驚き、腰を抜かせていた。   男達は腰を抜かせながらも這い蹲り、城の奥へと、賊が出た、と叫びながら走り去った。   幾ら驚いたとは言え、女を見捨てて逃げ去るとは、やはり彼らはクニミツのような"サムライ"ではないな。   そうは思いながらも、手取り早くイズーの居場所を聞き出す為に、腰を抜かした女中の前まで歩き、尋ねた。 「驚かせてすまない。イズーは、イズヒメはどこにいる?」 「あ、あああ、い、伊豆姫様は牢獄に...」   自らの倍以上の大きさのベルフィットを見上げ、今にも泡を吹かんばかりの様子で、彼女は答えた。   しかし、何故彼女を牢獄に?ずっと嫁にしたいと想い続け、数時間前に挙式を開いたばかりだというのに。   ...考えれば、すぐにわかる事だった。イズーが拒否したのだろう。   牢獄、そのような冷たく暗い場所に閉じ込められているのか。   それだけならばまだしも、拒否したとあれば痛めつけられている事も考えられる。   冷静に思案しながらも、不安、怒りが内に渦巻くのを感じた。    「牢獄はどこにある?」   彼女を無闇に脅かせてはいけない。激昂しそうになる自分を抑え、出来るだけ優しく問う。   彼女は、震える腕を動かし、廊下の奥を指した。 「そ、その先の突き当りを左に...地下牢への階段が御座います故...!どうか命だけは...」 「ありがとう。驚かせてすまなかった」   彼女を踏みつけぬように横を通り過ぎると、廊下の奥へと進み、突き当りを左に曲がる。   地下牢への入り口を見つけるとベルフィットを封印し、地下牢へと降りた。   イズーの場所を聞き出す為に、威圧としてベルフィットで城内へやむなく入ったが、  地下牢にそのまま入ると崩れてしまう可能性がある。そうなれば、イズーごと生き埋めになってしまう。   降りていかざるを得なかった。   地下は、上とは全く別の空間といった感じで、しん、としていた。   階段を降り、足早に牢獄を見て回る。   酸えた匂い。牢獄の中には死体のようになった男や女が入れられていた。   彼らがかなり、手荒に扱われていた事が見て取れた。   捕虜であれ、罪人であれ、人をこのように扱う事に怒りを覚え、同時にイズーへの心配が増す。   目を凝らして見ると、運良くというのか、イズーはいなかった。   見回しながら進んでゆくと、牢獄の中に一人、両手を縛られて突っ伏している女性が目に入った。   まだ入れられたばかり、といった感じで、暗がりながらにも、見覚えのある背格好だった。 「イズー、イズー!」   私は、太い木で出来た扉を叩き、イズーと思わしき女性に声をかけた。   女性は、突っ伏した顔をゆっくりとあげた。   イズーだった。汚い牢獄の床に突っ伏していた為か、顔が汚れていた。 「ぁー...ぁー...」   イズーは、何を喋るでもなく、呆けた様に、口から呻きに似た声を漏らした。   言葉が話せなくなる程までに、酷い目に合わされたのか?   あの、鬼畜め...!   怒りの余り、爪が掌に食い込む。その痛みが、私の正気を保たせていた。 「イズー、恐ろしかっただろう。だが大丈夫だ。私が助けに来た。  今すぐここから出してやる...!」   とは言ったものの、この分厚い扉は私の腕力程度では到底壊せない。   一か八か、ベルフィットを呼び出して破壊するか?   そう考えた時、何ものかが地下へ駆け下り、私に何かを投げた。   反射的にそれを手で受け止める。じゃら、と手の中で金属が音を立てた。   手を開けて見ると、それは鍵だった。 「おお、異国の騎士殿。表は片付いたぞ」   地下へ降りてきたのは、アロンダイナーやバルガーハと同じような、  十字型の覗き穴が開けられた黒いヘルムをかぶった二人組み――ランスロット殿と、ガラハド殿だった。 「覆面騎士殿...どうしてこれを?」 「父さんが酷く驚いて腰を抜かしている女性を口説こうとしたら、その人はただ、  『牢獄は先の突き当りを左』と繰り返していたからここまで来たんだ。  そしたら、ソレを持って地下牢に入ろうとしていた男の人がいてね。  ちょっと手荒だったけど無理矢理頂いたんだ。  それより、早く開けてイズーさんを出してあげないと」   そうだ。   私は感謝を述べるのも忘れ、受け取った鍵を鍵穴に差込み、扉を開けた。   イズーに近寄ると、懐から短刀を取り出し、彼女の腕を縛る縄を切り、震える彼女の体をきつく抱きしめる。 「すまない、イズー...。私が愚かだったばかりに、こんな目に会わせてしまった。  私を許しておくれ...!」   イズーは弱々しく私を抱き返すと、顔を振った。   そして、瞳から雫を、流し、口を開けた。 「ぁー...ぅぁぁー」   その時、私はようやく気がついた。彼女の意識は、平常を保っている。   瞳が、心の平衡を無くした者の様に、死んでいない。   ならば何故、言葉を失ってしまったのだ?   私はふと、イズーの顎を持ち、口の中を覗き込んだ。   暗がりではしっかりとは見えなかったが、あるはずの物がない、それだけがわかった。   あの、小鳥の様に可愛らしかった、舌がないのだ。 「イズー...!あの男に切られたのか!?ああ、可哀想に...!痛かったろう...!」   彼女は、首を横に振った。   切られた訳ではない、らしい。ならば、自ら噛み切った、という事か。   考えてみればわかる事だ。   あの男は、イズーを欲しがっていた。この美貌故に、嫁として、女として。   彼女は、あの男の女となる事を全身で拒否する為に、死を選んだのだろう。   私を、裏切らぬ為に。なんと、健気な事だろう!   それに対して私はと言えば、勝手に怒り、勝手に彼女を捨てたのだ。   私は自分が情けなく、許せなかった。二度と、この様な目には会わせまい。   イズーをしっかりと抱きしめた。   彼女は、慰めるように私の背を撫ぜる。    「異国の騎士殿、お主は、せねばならぬ事が残っているであろう?  彼女の事はわしらに任せ、行くがよい」   そう。私にはここで成すべき事がある。   私はイズーの手の甲に口付けし、立ち上がった。    「大丈夫だ。すぐに戻ってくる。  それに、彼らは最も信頼足る人物達だ。何も心配する事はない」   不安げにする彼女の耳元にささやくと、私は地下牢を出た。   キシュウ・ヨリサダ。   心から仕えるべき主君を裏切り、国家の転覆を図り、他人の妻を奪おうとした男。   サムライ・クニミツの息子として、騎士として、そしてイズーの夫として、彼を許す事など、出来る筈はなかった。   私は城内を闇雲に駆け、部屋を覗きながら上の階を目指した。   外の惨状――恐らく、築かれているであろう凶人の山に気付いたのか、城内はもぬけの殻だった。   三階まで上がり、部屋を覗いてゆくと、一室だけ、人の気配を感じる部屋があった。   私は、そっと、フスマを開けた。 「来たか...穢れた民め」   部屋の奥でで佇んでいたのは、ヨリサダだった。   憎み、恨み、怒りに駆られた顔。   彼の背後にある壁にぶら下っている、ハンニャ、という鬼の面によく似ていた。   そこで、私は、は、とした。   私は、彼を殺す事で頭が埋め尽くされている。   ならば、私もハンニャの様な顔をしているのだろうか?   しかし、そのハンニャの隣に飾られた、真っ白な顔で薄やかに微笑む、コオモテを見た瞬間。   それが、イズーの微笑と重なった。   怒っては、ならない。彼女が不安がる。   そう考えただけで、私は不思議と感情を抑える事ができた。 「もう、終わりだヨリサダ。将軍イエミツに全てを告白し、謝罪をするというのならば、手荒な事はしない」 「黙れ。もうすぐで、私は将軍となれるやもしれなんだと言うのに。  貴様に命乞いをしてイエミツに首を晒す等間抜けな事をした所で、あやつに首を切られるだけではないか。  私はお前を殺して凶党に入る。やつらの仲には異国人嫌いも多い。お前の、円卓の騎士とやらの首を持ってゆけば、  さぞ喜ぶであろうな」   彼は、将軍になりたくて、謀反を起こそうとしたのか。浅墓な考えだ。   権力を得ようとして、反逆を起こそうとした者は、スリギィにもいた。   だが、大方は他の義ある騎士によって成敗された。例えそこで死なずとも、哀れな末路しか残されていない。   乞食の様になるか、細々と隠れて暮らすか、国外へ逃げるか。   例え権力が羨ましくとも、誇りを失えばそれ相応の報いが待ち受けている。 「私も黙って首を差し出すつもりはない」   私は、レイピアを構え、ヨリサダを見据えた。   ヨリサダは、顔を顰め、鼻息を吐くと、一歩後ろに下がり、懐から印籠を取り出した。    「野蛮な異国の剣術とチャンバラするつもり等ないわ。推参せよ、黒葵ッ!」   印籠が闇を生み、ハンニャの顔をし、漆黒の武者鎧に身を包んだ刀を帯刀した機械人が姿を現す。   部屋の上部が崩れ、破片が降り注ぎ、畳の上を跳ね、或いは突き刺ささった。   その機械人は、クニミツの黄門丸のような、純粋な瞳ではなく、邪気に満ち溢れたものだった。   高度な技術で作られた魔導機等は、搭乗者の力を反映させ、魔導機自身の持つ力に相乗させる事が可能だ。   だからこそ、魔導機と搭乗者の魂は、深く繋がるように造られている。   黒葵の邪気に溢れた概観も、搭乗者であるヨリサダの心が投影されているからだろう。    『黒葵、只今参上也!!』     ヨリサダは、黒葵から搭乗席に飛び乗る。   黒葵は、おん、と咆え刀を抜いた。   私も、ペンダントを撫ぜ、ベルフィットを呼び出す。 「出でよ、フィックスに永燃せし狐火――ベルフィット!」 『オォォオオオォォーーン』   狐の鳴き声と共に木の葉が舞い、旋風を巻き起こす。   その中心に、ぼう、と狐火が灯り、うねりながら炎の勢いが増す。   木の葉と炎が散ると、中心にベルフィットが出現する。   今にも斬りかからんとする黒葵が迫っている。私はすぐさま搭乗した。   そして、レイピアを抜刀し、黒葵に向け、真っ直ぐ切っ先を向ける。   黒葵は誘う様に、天井を突き破り、城の屋根に飛び乗った。   屋根が機械人の重さになんとか耐えながらも、がらがら、と崩れる音が耳に入った。   屋根の上で戦うのは、足元が不安定であるし、好ましいとは言い難い。   しかし、それは相手も同じ事だ。私は、誘いに乗る事にした。   天井を突き破り、屋根に飛び出す。   途端に殺気を感じ、レイピアを縦に構える。   衝撃と共に金属音が鳴り響く。私が飛び出すと同時に、黒葵は出会い頭の一閃を放ったらしかった。   斬撃の力を殺しながら、屋根に着地する。屋根が崩れ、カワラが飛び散った。   崩れて出来た穴に足を取られ、ベルフィットの体勢が崩れる。   想像した以上に、屋根は脆い。それだけでなく、屋根の傾斜はバランスを取り辛かった。   ヨリサダは、その隙を逃さない。ベルフィットの懐に潜り込み、横一閃を放つ。   レイピアの刀身で受け流しながら、鍔で受け止める。   黒葵の力は強く、ベルフィットの半身が屋根にめり込む。   このままでは、屋根の下に落ちてしまう。私は跳び、屋根の頭頂部に着地した。   黒葵は、カワラを蹴散らして追い、縦一閃を放つ。   半身でそれを避け、りぃん、と鈴の音と共に、突く。   鈴の音は、ベルフィットの腕が動けば鳴る仕組みとなっている。   黒葵は、胸の真ん中に飛び込むレイピアの切っ先を体の軸を傾け、避けにかかった。   その為レイピアの切っ先は、黒葵の鎧の胸元を少し切り裂くに過ぎなかった。   レイピアを引き戻し、切っ先をまた黒葵に向けなおす。   黒葵は刀を構え直し、ベルフィットのいる位置と同じ高さ、屋根の頭頂部までじりじりと昇る。   月が輝き、対峙する二機の陰を作り出す。今日は、綺麗な満月だった。   待つか、攻めるか。私は、打って出る事にした。   一度半身を引き、鈴の音と共に、大きく踏み出して突く。   黒葵は刀で弾き、返し刀で横一閃を放つ。   ベルフィットを回転させながら飛翔して避け、着地する。   振り返り様に、ベルフィットを追う黒葵に向け、鈴の音と共に突きを放つ。   黒葵は身体を傾けてするりとかわすと、こちらに向けて斜め下から刀で切り上げる。   レイピアを体ごと一気に引き、向かい来る刃を弾く。   そして鈴の音と共に素早く突く。黒葵はそれを弾く。   りぃん、と鈴の音と共に踊るように、突き、弾かれが繰り返される。   一見、ただ、無意味に鳴るように聞こえる鈴の音。   これには仕掛けがあり、搭乗者の意思で、鳴らし、止める事が可能だ。   リズムに乗る様に、鈴の音と同時に攻撃を繰り返す事によって、  相手は、鈴の音が鳴れば攻撃に出る、と思い込む。   ならば、鈴の音だけを鳴らせば、どうなるか――   りぃん、と鈴の音、だけが鳴り響く。黒葵は、刀で、虚空を弾きあげた。   次の瞬間、音も無く、突く。    「なんだと...」   甘美な鈴の音は、人を惑わす力がある。彼は、惑わされたのだ。私も、その一人だと言えるだろう。   レイピアの切っ先は、虚空を切り上げた黒葵の左腕の付け根を貫いた。   レイピアを引くと、左腕の間接は煙を上げ、ごどん、と鈍い音を立てて落ち、カワラを弾いた。   片腕のみで、効果的な威力で刀を振るうのは難しいだろう。威力も、速度も落ちる。   ベルフィットは力より速さを極めんとする魔導機。黒葵は、力に寄った機械人。   ベルフィットの突く速さに抗い切れないだろう。   勝負は、半ば決したようなものだった。だが、彼は投降したりはしない。   それだけは、確かだ。勝負が決する時は、どちらかが死ぬ時しか成りえないだろう。   彼を殺す前に、確かめておきたい事があった。 「ヨリサダ、貴方に聞いておきたい事がある。  本当に、将軍イエミツは圧制を敷いたのか?」 「ふん。そんなもの信じていたのか?  箱入りで育った無知で愚かな娘くらいは騙せるとは思ってはいたが。  外人も、円卓であろうが建国三十六系譜であろうが、大したことはないな。  阿呆ばかりだ。そして汚らわしい。そしてそれを受け入れる、阿呆なイエミツ。  許しがたい。私が将軍となれば、汚らわしい獣どもを片っ端から追い出し、  海を越えた地を手中に治め、お前達を飼いならしてやる」 「そうか」   私は、騎士として、サムライとして、フィックス家の当主として、彼を、討たなければならない。   強く、そう心中で念じた。   すると、頭の奥で何かが疼くのを感じた。ベルフィットが、私に呼びかけている。   私は、そっと目を閉じた。   瞼の裏には、ベルフィットが映る。   しかしそのベルフィットは、私の知るベルフィットとは少し違っていた。   外部装甲が開口し、武器であるレイピアは、切っ先が青紫に光り輝いていた。   ベルフィットの、真の姿。手に握るのは、狐火の魔剣。   父に聞いた事があった。   ベルフィットは、搭乗者が騎士として討つべき敵と相対した時、真の姿となる。   これが、そうか。   私が瞼を開けると、レイピアの刀身が取れ、甲高い金属音を立てた。   同時に、黒葵は、片手で刀を振り上げ、斬りかかる。 「死ぬがいい――」   ベルフィットが装甲を開口させると、レイピアは青紫の刃を生み出す。   私は、大きく足を踏み出し、狐火の魔剣で、横一閃を描く。   魔剣の刃は黒葵を刀ごと斬り裂く。漆黒の鎧は口を開け、火花を散らす。   黒葵は、そのまま力を失い、屋根に突っ伏し、爆発した。   爆発の衝撃で、小城はどんどん崩れ去ってゆく。   彼の野望と共に。   優しく輝く満月は、儚い欲望を抱き、抑える事のできなかった彼を、  まるで母の様に包み込んでいるように見えた。   城から飛び降り、凶人が山と詰まれている場所までゆくと、相変わらず黒いヘルムをかぶっている、  ランスロット殿と、ガラハド殿が、イズーを連れて立っていた。   二人は、イズーを私に託すと、 「達者でな、異国の騎士殿!」 「それじゃあね、トリスタン。元気で」   と言い残し、すぐにどこかへ消え去った。   二人には、感謝しても仕切れない。イズーを助けられたのは、彼らがいたからだ。   恩を、返さねばならないな、と思ったが、私は捨てた故郷に戻る事はできなかった。   しかし、ミト城へ行く事もできない。   ヨリサダは謀反を起こそうとしていた。それを私は討ったのだし、咎めはないようにも思えるが、  証拠は城と共に崩れ去った(私はこの時、凶党、凶人という存在を知らなかった)。   彼の家臣の一人や二人は生き延び、異国人に襲われたと振らしている事は十分考えられた。   私は、御三家の一人を討った犯罪者でしかない。   つまり、追われる身だ。   私と共にいては、イズーに危険が及ぶだろう。だが私は彼女と離れるつもりはなかった。   私を裏切らぬ為に、命を断とうとした彼女は、私と共にある事を望むだろう。   もう、離すものか。何があっても私が守り通す。   そう、強く抱いて誓った。   しかし、実際、ならばどうすべきかが私にはわからなかった。   国外へ出るべきだろう、というのはわかる。   中州国までゆけば、後は地続きにどこへでもゆける。静かな場所を見つけ、二人で暮らせば良い。   しかし、船をどのようにして用意するか、それが問題だった。   私には繋がりのある者が、この国にはクニミツくらいしかいない。   彼は真のサムライだ。私がヨリサダを討ったと知れば、捕縛する事も考えられた。   個人の思いとは別に、主に使え、忠実にある。彼はそれを決して崩さないだろう。   ミトへ行くのは危険だった。バクフの民に愛された美しいイズーと、異国人の私。   何にせよ目立つ。城下町を歩く内に正体がばれる可能性は十分にあった。   ベルフィットで海を跨ぐ事も考えたが、恐らく、途中で沈む。   試した事はないが、操っていればどの程度の事ができるかは把握できる。   どうしたものか、と歩き始め、林を彷徨っていた時だった。   背後に気配を感じ、振り返ると、そこに立っていたのは、いつか、  イズーが部屋で悲鳴を上げた時にいた者と同じ、黒い装束の者だった。   私はイズーを背中に回し、レイピアを引き抜いた。 「何者だ」 「突然申し訳ありませぬ。拙者は、イエミツ様から遣わされた忍でございます。  トリスタン様に御用があり、参上致しました。害を成しに来たのではございません。  どうか、そのれいぴあ、をお納め下さい」   追っ手か、と身構えたものの、彼には敵意や殺意と言った物が一切感じられなかった。    「何故、私に用が?確かに、捕まえに来たと言う風には見えないが」 「これは、私がお二人を騙しに来た他所の手の者ではない、という事の印でございます。  伊豆姫様ならおわかりになるかと」   そう言って、その男は三つ葉の模様が描かれた小さな装飾品のようなものを見せた。   バクフ人なら誰でも知っている、イエミツの証の様なものらしかった。   イズーは、それを見ると、小さく頷いた。   彼女が言うならば、正しいのだろう。   私は彼について歩き、将軍イエミツの城へたどり着いた。   確かに、男の言ったとおり、どころか、将軍イエミツは私を歓迎しているかのようだった。   そして、イズーの事を知り、謝罪した。 「いや、ヨリサダの怪しい動きはこちらも察しておった。  いつ手を打つかと考えていたのだ。だから、何もせずに事が決し、助かった。  しかしまさか、伊豆姫が斯様な目に合わされておったとはな...すまぬ事をした」   なんと、彼は知っていたのか。私は、それを知った途端、安堵と共に拍子抜けしてしまった。   もしかすると、バクフに住まわせて貰う事くらいならば、できるかもしれない。   そう思い、話を切り出すと、彼は驚いた。 「な、何故バクフに住まう必要があるのだ?  トリスタン殿、そなたにはスリギィに家があるではないか」 「いえ、私は円卓騎士団から抜け、家も、国も捨てた身です。  おめおめと戻り、許しを請う事などできましょうか」 「なんと、円卓から脱退していたのか!!」   彼は驚き叫ぶと、扇子で頭を突付き、悩み始めた。   どうやら、私が密かに入国した事を知っては居たが、円卓を抜けたは知らなかったらしい。   暫くの間イエミツはそうしていると、扇子でタタミを叩き、私に突きつけた。 「それでは困るのだ、トリスタン殿。  伊豆姫を半ば強引に差し出したのは、すりぎぃとの親交の為だ。  そなたが円卓騎士団でなく、更にはすりぎぃ人では無いのでは、意味がないであろう。  お主は、謀反の目を摘んだ、我が国の功労者だ。  女王には私が直接書状を出して、お主を円卓騎士団に戻すように、と掛け合う。  それにあちらが取り合わなければ、お主はバクフ人として生きよ。  私も他の手立てを考える。だから、返事が来るまで、待て」   そう言われ、私とイズーは暫く将軍イエミツの城で暮らす事になった。   出来るならば、スリギィに戻りたいが、やはり自ら言い出す事はできなかったので、  将軍イエミツの申し出はありがたかった。   女王アゼイリアは、将軍イエミツの申し出を承諾する、こちらとしても願ってもない事だ、との事だった。   私は、女王アゼイリアの広い心に、感謝せざるを得なかった。   私とイズーは、船でスリギィまで戻る事になった。   気は進まなかったが、イズーの舌の事もあり、薬師を同行させる必要があった。   ヨリサダがイズーが舌を噛み切ってすぐ、薬師に適切な処置を行わせたらしく、変に傷が膿む事もなく、  順調に傷は回復していった。当然、無くなった舌が戻ったわけではないが。   イズーが、何か言いたげに、言葉を知らぬ赤子のように漏らした直後に、舌が無く話せない事に気付き顔を伏せる。   その度に私は彼女が如何なる思いで舌を噛み切ったのかと想い起こし、抱きしめた。   船は、やはりあまり好かない。   私は情けなくも嘔吐したり気分を悪くして床に付していた。   しかし、イズーが懸命に看護してくれたお陰で、なんとかスリギィまで辿り着いた。   スリギィに辿り着き、グロリアーナ城に着くと、女王アゼイリアが私達を歓迎した。 「ちゃんと、トリスタンの為に席は空けておいた」   もしかすると、事が済めば最初から私を呼び戻すつもりだったのかもしれない。   彼女は、私を信頼してくれていたのだ。   なのに、私と言えば、彼女を裏切ってしまった。   申し訳なさに、唇をかみ締め、二度と裏切るまい、と誓った。   挨拶をしても何も話さないイズーを不思議に思ったらしく、彼女は私に尋ねた。 「イズーは、具合でも悪いのか?」   私が事情を話すと、 「ふむ...マリン、なんとかなるか」   と、傍に控えていたマリン=アンブロジウス――スリギィ王家に代々仕える、魔術師の家系の現当主――が、  当然、とばかりに方眉を吊り上げ、口を開いた。 「命を作るならばまだしも、舌を戻す程度、容易い事です」   なんと、舌が治るのか!   私も、イズーも、驚きの余りに、顔を見合わせる。   気付けば、私は頭をマリン殿に下げていた。 「どうか、治しては頂けませんか。お願い申し上げます」 「わざわざ頭を下げなくてよいです。女王が治せと仰せならば、私は治します」   と、少し気だるげに答えた。 「では、治してやってくれ」 「はい、ではイズーさん、こちらへ来て、口を開けて下さい」   イズーは、少し不安げにしながら、マリン殿の前まで歩み出、口を開けた。   マリン殿はイズーの口を覗き込むと、少し顔を顰めた。 「小さいお口ですねぇ、もう少し大きくお願いします」 「ぁー…」   イズーが命いっぱい口を開けると、マリン殿は指を口の中にいれ、呪文を唱え始める。 『在るべき物よ、在るべき様に在れ』   イズーの口の中が輝き、それが収まると、マリン殿は手を引き、勝ち誇ったように鼻息を洩らした。 「イズー、イズー、どうだ、喋れるか?」   私は固唾を飲みながら、イズーの肩に触れた。   イズーは、振り返って私の顔を、しっかりと見る。 「と...とりす...」 「イズーっ!」   マリン殿に礼を言うのも忘れ、感激の余りに、涙が溢れ、ただただ、イズーを強く抱きしめていた。   全てが元通りになり、幸せに満ちた暮らしができるのだ。 「とりす、とりす...ああ、もうこの口で旦那様のお名前をお呼びする事等できなんだと...。  とりす...もう、わたくしは、旦那様の元を離れるような愚かな事は致しません。  どうか、とりすもわたくしを離さないでください...」 「ああ、離すものか...離すものか。  か弱いお前が大嵐に浚われぬ様に、しっかりと抱いて離さない...」   この温もりは、私の全てだ。もう二度と離す事などあろうか。 「...見せ付けられても困るのですが。おうちに帰ってからしてご存分に下さい」   マリン殿の冷ややかな言葉を聞くまでの間、私達は我を忘れ、ずっとそうして抱き合っていた。   これは、後にイズーから聞いた事だが、バクフにおいて"狐"は異種族同士の婚約を象徴する動物だという。   バクフに残る物語では、狐と人間が婚約する、という話が多々あり、そこからそういった考えが生まれたらしい。   私はその偶然に、甚く感動した。まさに、私とイズーの事だと。   ...物語では、女性側が狐である事が多い様との事だが。   狐は、バクフの民にとって、超越した力を持つ、畏怖の存在でもあるらしい。実際、神として奉られてもいると言う。   その超越した、自らが持たぬ力を持つ存在、狐。それは島国で外部との接触がままなってこなかったバクフ人の、  異国人に対するイメージなのだろう。   彼らは、"狐"が恐ろしいのだ。だからこそ、ヨリサダは恐れ、排斥し、滅ぼしたかったのかもしれない。   そうしなければ、いつか"狐"に殺されてしまうかもしれない、そう考えたのだろう。   そう考えると、彼はある意味、バクフ人として正しい選択をしたのかもしれない。   人は異種族を嫌う。私も、そうだったではないか。最初、会議ではイズーとの婚約を拒否していたのだから。    私と彼は同じ穴のムジナだ。私の場合は相手がイズーだったからこそ、彼らを受け入れる事ができたのかもしれない。   私は彼女に感謝していた。彼女がいなければ、私は彼と同じままだったのだから。   スリギィに足を入れる商人達を殺したい、追い出したい等とは思わなかったが、心の中で嫌っていれば、同じ罪だ。   私にとって、イズーこそが狐、バクフという素晴らしい国と私を結んでくれた架け橋だ。   あの素晴らしき国、そしてその素晴らしきバクフの生んだイズーの美しさ、淑やかさ、可憐さ。   それを知れば、皆もバクフ人に対して嫌悪を抱かぬようになるだろう。   だからこそ、私は今日も、気付かぬ内にイズーの事ばかり語り、ガラハド殿に引きつった笑顔を作らせているのだろう。 ―――トリスタンと伊豆姫 後編(終)