「おお…………」  小高い丘の途中。街道の真ん中で、青年はふと足を止めた。 連れの少女が目深に被ったフードの奥から不思議そうな目で見上げてくる。  ももっち――少女の姿をしたその魔物の頭を軽く撫でてやりながら、青年は再び眼下の光景に視線を戻した。  丘を乗り越える様な形で通っているこの道は、丁度皇都を一望できる格好の場所だ。  慣れた者には何という事もない景色だが、初めて訪れた旅人の中には、この青年の様にしばし足を止める者もいる。  とは言え、青年の瞳に宿るのは、初めて訪れた者の単純な感動でも、観光者の好奇心とも違う。  郷愁と喜びと、そしてそれらと同じくらいの憂いと哀しみを秘めた、それは追憶の光だった。  少し前、大きな戦があった。人と魔が争い、多くの、あまりに多くの血が流れた忌まわしき戦。  皇都はその中に於いても最大の激戦区の一つだった場所だ。  地獄に最も近かった場所。いや、地獄そのもの。  彼も、その時そこにいたのかもしれない。  果たして何が脳裏によぎっているのだろうか、あの地獄を知らぬ者に想像は出来ない。  他の多くの者がそうであった様に、青年もまた、築き上げてきた大切なものを失った。  それでも、命が残ったのは僥倖であったと言えるだろう。  この大戦で、人が、社会が、世界が受けた傷は深く大きい。物理的にも精神的にも。  癒えるには刻まれた時間よりも永い時が必要になるだろう。或いは、この痛手が完全に消え去る事など無いのかもしれない。  しかし一方で、見下ろせばそこに在るのは、廃墟に隣り合う真新しい建物、活気に溢れる人混み、飛び交う声。  薄まるというだけならば、傷の治癒は既に恐ろしい程の勢いで始まっていた。 「皇都か……。何もかも懐かしいな……」  在りし日を眺める、遠い目。眼下の都市とは逆に、今という風景を過去で上塗りするかの様な。  その瞳に映っているのは果たして、友と共に笑いあった日々か、自らが駆け抜けた剣と魔と血の戦場か、或いは理不尽に散った命達の声無き慟哭か。  キュッと、マントの裾に力が加わるのを感じて、青年は振り向いた。裾を掴んだももっちがフードの奥の瞳を細める様にして、こちらを見上げている。  何を言いたいのかは、言葉にする前から解っていた。だが、やはり言葉にせねば伝わらないものもある。  青年がゆっくりと頷いてやると、彼女は、尚も遥か遠くを映している青年の瞳を覗き込むようにして、その淡い桃色に透き通った唇を開いた。 「……あんた、皇都に来た事ってありましたっけ?」 「いや、今日が初めてだ」  ももっちから投げかけられた質問に、遠い瞳のまま即答する青年。 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」  しばしの沈黙。 「な…………な…………なっ」  しゃっくりの様に繰り返す、彼女の声。それが段々大きくなって行き、 「なんじゃそりゃーーーーーーーーー!!」  勢い良い怒鳴り声になるのと、青年が慣れた仕草で耳を塞ぐのとは同時だった。  ■人魔大戦後SS■                  〜人生七転び八起き〜 「アドちん! あんたねぇ、いきなり意味有り気なツラで浸り出すから、何があったのかと思っちゃったじゃないですか!」 「そう怒鳴るな、ももブル。せっかくの絶好のシチュエーション、ここでポーズの一つも決めなければ男ではなかろう」  怒鳴り続ける少女と、とつとつと諭す青年。  ちなみに「アドちん」も「ももブル」も渾名であり、青年の本名はアドルファス、ももっちは魔人ブルズアイ。  共にかの魔同盟大アルカナ『悪魔・逆理の暴君』と、同小アルカナ『聖杯のA・狂乱祭』という、れっきとした魔王と魔人である。  ……元、だが。  魔王の相互同盟とも、大陸の封印者ともNEETの集団とも諸説言われる魔同盟。  それを構成する魔王と魔人たちは、公式の記録に於いては先の人魔大戦にてほぼ全員が滅びたとされている。  が、どっこい、実際は表舞台からは姿を消しながらちゃっかり生き残っている者も結構いたりして、彼ら二人もまたその中の一員だった。    「あ〜、アレですか。ま〜たいつもの発作ですか」 「Yes! Yes,yes,yes!  若き日のハロウド=グドバイ然り、陽炎のレオン然り、グリハ=ハッドールの伝承然り、そして晩年のトゥルシィ=アーキィ博士然り!  ももっちを連れた者、隙あらばよろしく哀愁でいぶし銀に締める手間隙を惜しんではいかんと思ったりかんたり云々かんぬん」 「そっすか……」  額の大きな目でを半眼にしながら、低い声で責めるももブル。  その露骨な皮肉、ですら最早ない、直球ど真ん中な視線に、しかしアドルファスは何故か上機嫌で語りだす。   が、そこでいきなり、彼は肩を落とした。  おや、とももブルは首を傾げる。彼女の知る限り、この男はそんな事で傷つく様なデリカシーなぞ持ち合わせてはいない。 「どうかしたっすか? お腹でも痛くなりました? また変なもん拾って食ったんじゃないでしょうね」 「貴様じゃあるまいし」  ぐりんと振り向くアドちん。その恨みがましい目に一瞬気おされる。  長年の経験上、こいつがこんな目をした時は、ろくな事を言わない。いや、いつも言わないが。  ついでに言うと、この場合次に出る言葉には心当たりがあった。  甦る忌まわしい記憶。ロミジュリとか。リカナディアとか。ルビィとか。ヘタレスメルとか。ドナドナとか。 「でもなぁ〜、今気づいたけど」 「あー! 良いです良いです聞きたくありません!」  頭を振ってイヤイヤをするももブル。  そんな彼女を無視してアドちんは無情に続ける。 「そうだよなぁ、我輩が至高の格好良さで幾らキメても肝心のももっちがこんなヨゴレではなぁ」 「あー!」 「どうやったって、お笑い喜劇の一場面にしかならんよなぁ」 「ぐさー!」 「せっかくさぁ〜、ももっちとか突然変異の希少種とか膨大な魔力とかオイシイ要素いっぱい持ってるのにさ〜、 そのヘタレオーラで全部台無しって感じ?」 「うわぁぁぁん、また馬鹿にした! 馬鹿にしたぁ!  あのですね、自分で言うのもアレっすけどね、わたし、こう見えてもエルダーデーモン覚醒に匹敵する魔力の持ち主なんですよ!  有り得ぬ奇跡! 神秘の体現! 上なる存在!  も〜ちょっとこう、敬意みたいなもん払ってもバチ当たんないと思うんですよ!?」 「黙れ珍獣が」 「うぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」  頭を掻き毟りながら転げまわるももっち――元魔同盟小アルカナ『狂乱祭』たる魔人ブルズアイ。  何かの糸が切れたのか、駄々っ子の様にわめきまくった。   「もーやだ! もーやだ! もーいやだ〜!  何が哀しくてこんなのと二人で諸国放浪しなくちゃいけないんだ〜!  極東の時だってかなりギリギリだったのに、今度は帰るとこも将来も無いよ〜!  そっすよ! そもそも、なんで国おん出なきゃいけなかったっんすか!  せっかく大戦終わって春を謳歌できると思ったのに! 思ったのに〜!」 「何故も何も。このご時勢に魔王が治めてる国なぞ、もうそれだけで国際的にハブられてしまうではないか。  しかぁーし! 俺様が表舞台から去って、ついでに討たれた事にしてしまえば無問題! むしろ大歓迎?  我ながら恐るべきこの権謀術数!」 「それで自分が国にいられなくなってりゃ世話ないでしょーが!  それこそ死んだ事にするなら、裏で君臨する影の支配者でも何でもやれば良かったじゃないっすかぁ!」 「それも考えたんだがな。  やっぱなんか根暗そーつーか、窮屈そうつーか。  なんで我輩がそんなコソコソ生きなきゃならんのかと言うか、やはり支配者なら表で堂々と振舞いたいものだと思ったんで没にした」  ウンウンとうなづくアドルファスに、ももブルはピタリと止まるとそれまでの自分を恥じる様にして、冷めた視線を向ける。 「あーあーあー、そうでしたね。そういう奴でしたぁね……アンタ」 「ま、俺様抜き民主主義体制の確立に5年を費やしてしまったからな。おかげで旅立ちが大きく遅れた。  貴族階級による合同統治制でも良かったかなと思わんでもない」 「なんでそうしなかったんです?」 「滅んだり衰退するよりマシとは言え、我が所有物が他の連中のものになるなど屈辱ではないか。  で、どうせならいっそ全員共有で誰のものだか分からん様にして、ついでに苦しめてやろうと思った次第。  くっくっく、愚民どもめが。まとまらぬ議論、義務の重さ、国政参加のくそダルさに思う存分悩まされるが良いわ」  両手をわきわきさせながら邪悪な笑みを浮かべるアドルファスと、盛大にため息を吐くももブル。  ちなみに、前述の通りここは街道のど真ん中であり、結構人通りも多い。  さっきから道行く人々が珍奇な生き物を見る目をしながらそそくさと傍を通り過ぎていく。  しかし、二人とももう慣れた事なのか、それは全く気にしていない。 「大体何で二人旅? と言うか、他の連中連れてこなかったんですか。  お陰であたしが一人でアドちんの相手なんて苦労しょい込む羽目に………。  いや、ゲフンゲフン。  ともあれ、泣いて付いて行きますって言ってた奴だって結構いたのに」 「しょうがなかろう。レオラもアルフリードも皆、俺様亡き後の国政を安定させるには不可欠な存在。流石に連れて来る訳にも。  ……その点、貴様は連れて出るのに遠慮は要らんかったな。  むしろ国の為を考えれば、連れ出すか駆除するかの2択オンリー?  あと、生存確認されたら俺様同様に戦犯として即お尋ね者の身だし」 「うぁぁぁぁ、せっかく生き残ったのに、なんでこんな事にぃぃぃ……。  かつての魔王と魔王候補が世間から後ろ指指されて貧乏二人旅ぃぃぃ……」  もう何度目になるか。今度は頭を抱えてうずくまり、しくしく泣き出すブルズアイ。  そんな彼女を見ながら、しかし 「そうか? これはこれで痛快だとは思わんか?  魔同盟は最早無い! 狂王も狂乱祭も、もういない!  ここにいるのは、この乱れた世でのし上がらんと野望に燃える才気煥発、威風堂々、花鳥風月な一介の冒険者アドルファスと、そのおまけだけだ!」  楽しげに誇らしげに、狂王――いや、元・狂王は世界を指し示すように両腕を広げて、そう、叫んでのけた。  その言葉にももブルは頭を抱えたまま、小さく確かに笑みを浮かべる。  それは苦笑というものだったが、そこに含まれる成分は確実にそれだけでもなかった。 「花鳥風月って意味分かりませんよとか、おまけって何じゃとか、言いたい事も色々ありますが……。  ま、そっすね。アンタに言われるとそうかもなーって気分になってくるから不思議です」 「うむ! 話も纏まったところで、早く皇都に入るぞ! さっきから腹が空いて叶わん!」 「はいはい。分かりました。つーか、最初に余計な道草食い始めたのってアンタでしょうが。  で、皇都まで来たは良いですけど、これから先、どうするか考えてんですか? いつまでも風来坊で終わる気は無いんでしょ?」 「うむ。国を治めるというのは、もうやったからな。  今度は商売で国家をも手玉に取ってみるというのも一興だな!  ……む。貴様ではなくて、ガストールでも連れて来た方が良かったか?」 「うわ! また要らん子扱い!」 照りつける太陽と青い空、白い雲。行きかう人々。 うららかな午後の丘を、一人の青年と少女は、相も変わらず意気揚々と騒がしく皇都へと下って行った。 続く?