before "ZERO" take-09              その鉄騎兵、戦わずして            How the West Was Won - partIII  下で天守塔へと死騎士が殺到している時、ジャックスや城兵たちはそれを上っていた。 「ここに来た理由の一つは、相手に目標を絞らせる為である」  息を切らせてせまっ苦しい階段を上る一向の中で、ジャックスの声だけが響く。フルプ レートで駆けていた彼の声が全く乱れていない事に兵たちが気付いた。 (バケモンだこいつ!)  キルツもやや頬を引きつらせながら後ろを振り返る。 「分散したら奇襲を警戒される?」 「その通り」  淡々とした声だけが返ってきて、キルツは天守塔三階にあるホール状の部屋に出た。  キルツが適当に見回すと何人か減っている気がする。どうでもいい事だった。 「屋上までいって狙撃でもするのか?それ、アレだろ……銃だろ。火薬式は始めてみたけ どよ……でもそれって魔砲より命中率悪いんだろうが?まあ撃つ前に全然予備現象がない のは便利かもな」 「あ、ま、これはな。命中率に関してはかまわんのであるが……や、今回は使わぬから」  ジャックスの答えにキルツはフンと鼻を鳴らす。その横にいた城兵の一人がそういえば、 とジャックスを指した 「さっきの竜がいるだろ。アレなら一発じゃねえの?」 「お、そういやあれすごかったな今考えると」 「あー、なんか居たよな」  印象が『男』に喰われていた。ジャックスがシャルヴィルトへ顔を向けると、彼女が隅 の方で牙を剥いて笑っているのが見えた。 「あれは……」 「……無理ですね。ここまで急行するのに力を使い果たしてしまって……」  言葉を継いだ少女を兵たちがジロジロと見る。今まで余裕がなくて気にしていなかった もののなんとも場違いな相手ではある。少女が口を開きかけて、それより前に兵の一人が 唸った。 「あー……もしかしてドラゴンディサイプル?」  そうよばれる戦士がいる。竜の力を模し、ついには竜のような姿になって戦う非基礎魔 法の使用を軸とした魔戦士たちである。兵の一人は先の銀龍をそれと看做したのだ。兵は そう呼ばれるような魔戦士が完全に一匹の龍として戦うのがどれほどの熟練と才能を要す るか知らなかったし、先ほど見た龍がもはや世界に一人しかいない絶滅一歩手前の種だな どとも判らなかった。  それで話が通るなら都合がいい。シャルヴィルトは頷いた。 「ええ……それで、化けるだけの余力がないのです。エムピイの切れた魔法使いというわ けですから……」 「はーン、なるほど……まあここまで飛ばして来たんだもんなあー、あー、どうすんべ」  以外とあっさり話が終わってシャルヴィルトはやや驚いた。生き死にの淵だというのに。 人間はもっと喚いたり見苦しくあがくものだと思っていた。無茶を求められると思ったし、 彼女もそれなりには応える気があった。まさかこんな所で死にたくはない。最終的にどう にもならなければ『男』とジャックス以外は見捨てて飛んで逃げる算段だが、とりあえず は不調の体を引きずって全力で手伝う腹づもりだった。  下層も下層の者、恒常的に死の際に居る者は状況に対して反応が麻痺してくるのだろう か。そういう所は実際見て経験しないと判らぬものだな、と賢龍は一人唸った。  理由を挙げようとするならば、ブラックバーンの戦法そのものに原因があったのだ。屍 の奇襲では城兵たちも交渉の余地は見出せないし、適当にやられて降参というわけにもい かない。 「だから」  キルツが口を開いた。 「策だろ。どうするんだ?」  ジャックスを仰ぐ。 「この城は小高い丘に建ってるであるな。天守塔に井戸があろう?」  視線をめぐらせるジャックスに、なんとはなし何人かが頷いた。 「そこから……」 「キルツ」 「キルツが一人で出る。回り込んで背後を突くである。残りは塔から屍を攻撃して敵をひ きつけ続けるということで……」  キルツや城兵たちがティーダを振り返った。視線を受けて男は顎に手を当てた。 「水路はある。不可能ではないな」 「で、でもよう。あの将軍がそこを抑えてるかもしんねーんじゃ……」  不安そうな一人の声にティーダとジャックスが首を振る。 「そうそうバレるものではない。第一水路の出口に気付いているならそこから攻めてもい い筈だ。ヤツは奇襲をかけ、ドラゴンゾンビまで使って正面突破を図ってきた。ならば可 能性は非常に低い」 「うむ。問題としては相手は魔術師。なんらかの探知結界を張っている可能性もあるであ るよ。だからこそ一人。素早く、強い、一人に絞り込み、なるべく気取られる可能性を低 くして奇襲返しをしたい所である」  皆がパラパラとキルツを見た。人選に不満はないようだった。 「無論、今から入り口を固めるだけ固めて全員で逃げるという手もないでもなかろう。ま あ我は大きすぎて多分通れんが」  そこは大丈夫だ、とシャルヴィルトが視線を寄越す。 「まずやらせろよ。やられっぱなしってのは気に喰わん。しかも俺がしくじっても俺が死 ぬだけだろ。それから撤退すりゃいい」  「それに」、とキルツが続けた。 「ここで勝ってみろ。俺たちゃ褒賞もんだ」  誰かが口笛を吹いた。かすれた笑い声があちこちでする。 「じゃあ頼むわキルツ」 「俺らはどうするンだ?とりあえず入り口ちょっとは固めてくっか?」 「四階の武器庫見てくんべよ」  それぞれが動き出す。キルツは装備の殆どを外していった。肌着と下穿きになる。 「剣は?」 「要らねぇ。外に落ちてるだろうし、音が鳴るもんは避ける。引っかかっても嫌だしな」  肩をならすキルツにティーダが近寄った。何も言わなかったが、瞳が問うていた。 「出来る確信がある。さっきの男の剣技を見たか?面白ぇ……ああ、皇国将軍の魔導師だ ろうが倒せる気がする」  その言葉にティーダは違和感を感じた。  四剣の技は確かに通常ありえぬものではあるが、操る男の動き自体は彼の眼にさほど素 晴らしいものはと映らなかったからである。むしろブラックバーンを狙った投擲。あの狙 いが弓士の己にはあまりに理想的で、そこだけが頭に残っていたぐらいだ。 「ふむ…………」  と言っても語る言葉は浮かばず、ティーダはただ唸ってキルツを見送った。 「…………頼むぞ」 「応」  答えてキルツは動き出した。  ホールを出る直前、あの銀の少女がちらと見えた。彼女が座っている一角は周りに誰も 居らず、なんとなく皆遠慮しているようだった。まあ、それが突然現れた助っ人の龍なの である。そうもなろうか。  それを微笑ましいとらしくない事を思いながらキルツは階段を下る。  キルツとは反対にティーダは階段を登っていく。  月明かりが顔を照らす。屋上。  地を見下ろしながら続ける。眼下の死騎士を見て、アリのようだなとティーダは思った。  ふと横を見ると少女が居た。屋上の篝火に照らされたその顔が青い事に気付いて、僅か に迷う。  結局ティーダは口を開いた。 「魔法の心得があるなら何かわかるか」  言われてシャルヴィルトが天守塔の屋上の胸壁から外を見る。下の下では屍騎士たちが 最後の守りを破らんとガンガンやっている。流石に塔の高さまで梯子して上ってこれない らしい。  ブラックバーン=アームは中庭からこちらを見上げていた。見上げているのだと思った。 ローブをすっぽり被ったそれがどこを見ているのか、シャルヴィルトにははっきり判らな い。一人立ち尽くし、じっとしている。無防備にも見える。 「そうですね、いえ、見るだけでは流石に」  と、そこでティーダがシャルヴィルトの横に立った。手には弓。狙いをつける風もなく、 さっと番えてさっと射る。  飛んでいく矢がブラックバーンに届くより先に何かにぶつかった。それを見る少女の視 界の隅っこで赤いものが弾ける。矢が地面に落ちた時には、振り向いたシャルヴィルトの 目に映ったのは左腕からわずか血を流したティーダだった。 「やはりあるな……しかしまさかしっぺ返しを喰うとは思わなかったが」  血をふき取り、布で覆いながら淡々と零す。そうして思い出したように視線を上げた。 「今のは?」  あまりに淡々としているのにシャルヴィルトは閉口したが、そういうのは同行者のおか げでいくらか慣れていた。呆れを思考から切り離し、記憶を辿る。 「防御魔法……そうですね、矢を完全に弾いたわりには術者が反応らしい反応も返してい ませんから常在自動発動型で……そのくせ周りにはこれという印もなく、マナの動きも薄 いです。攻撃者にダメージを返すという効果も考えると、効率が良すぎます。恐らく防ぐ 対象をかなり限定するというリスクを負っているはずです」  一度喋りだすと止まらないのがシャルヴィルトのいつもだった。後から振り返ればまく したてすぎたと思うのだが、どうも同じ轍を踏む。頭でっかちの典型と自嘲するぐらいし か出来ない。  無言で自分を見ている瞳の問いに気付いて、シャルヴィルトは我に返る。腹部が鈍く痛 んだ。 「ああ……恐らく一定以上の速度で近づく金属に対してのみ効果を発揮するのだと思いま す」 「……むう」  となればブラックバーンへの攻撃は控えざるをえなかった。こちらからあちらに届くも のなど殆ど金属の武器弾薬であり、つまりはあの屍術師は現状無敵である。  それに。 「とにかくあの屍に対して抵抗を試みるべき、か……」  眼下の敵共の攻勢はいい加減酷くなっていた。我が身など省みずガンガン叩いてガンガ ンぶつかるのだから。  キルツに任せるにしろ逃げるにしろ時間は稼がねばならない。 「もってきやした」  声に振り返ると、ジャックスやその他城兵たちが武器庫に残っていたものを引っ張り出 してきていた。 「油は?」 「3階の厨房にありやした。暖炉から薪も」  ティーダは頷いてからジャックスを見た。銃である。アレをブラックバーンへの牽制に は使えまい。  ふう、と息を吐いて再びジャックスを見つめる。 「俺はブラックバーン将軍に無駄な攻撃をしてひきつける。反射結界のせいで銃では駄目 だ。そのかわり屍に対する指揮を頼みたい。構わんか」  相手が無言で頷いたのを見てティーダも頷いた。  塔の居住スペース内にあった布を適当に引き裂き、油をしみこませ薪に巻いて火をつけ る。それを兵たちが投げ込むのを横目に、ティーダは矢を番えた。  星が飛ぶ。  赤が散る。  ブラックバーンが顔を上げたように見えた。  銀の少女がその両手を傷の生まれたティーダの左腕へ添える。 「少しは痛みを退かせます」 「さすが魔術師。助かる」  鳴り響く衝突音とそれに混じる燃焼音。背後で動き回る兵達のたてる音。その中で瞳を 閉じて息を吐く。左腕が温かい。  ティーダは目を開いた。 「もう一度いく」  弦を引き、放す。  美しい曲線を描いて矢が飛ぶ。何気なく射るが、それこそ熟練の賜物である。  その頬に流れる汗の下から血が飛んだ。  ブラックバーンが明らかに塔の屋上を、ティーダ達を見つめていた。その頭が上がって いる  あてられたシャルヴィルトの左手をどけてもらい、更に矢を番えた。  それは普段寡黙で何事にも動じず、これという拘りや雑念のないと思われがちなティー ダのプライドの発露だったかもしれない。  着弾点をわずかにずらしながら射る。射る。射る。 (――そうだ、俺を見ろ!)  じょじょにブラックバーンの顔が上へ上へ寄っていくのが見えた。 (俺の矢を見ろ、ブラックバーン!)  八射目か、九射目。流れた血が指を滑らせティーダが矢を取りこぼした。  その時。 「指揮官殿、もう良い。ついた」  いつのまに横にいたのか、鈍色の兜の奥で赤い光がわずか輝く。  向こう、中庭の隅の影を見ている。  ティーダの横に立つジャックスは結局、この城で戦わなかったと言って良い。  身を切る事は何もしなかった。  だがあの鉄騎兵は仕事を果たした。  そして戦うのは剣鬼だけだ。  一対一。  中庭で濡れた土の音がした。 「よう、皇国将軍」  振り返るブラックバーン。爛々と光る青年の瞳はそれを真っ直ぐ捉えている。    ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  気を抜いていたつもりはなかったのだった。  四つの魔剣を使う男には確かに驚かされた。しかし押し込むとの判断はブラックバーン 意地ではない。  事実、魔剣士は凌ぐ事しか出来ない。ああいう手合いはそれなりに強力な個体に劇的に 勝つから眩しく映るが、物量で押し流してやればいい。最初にそう判断したように無双と いうほど強い相手ではなかった。早番限界は来る。  城兵へも十分数を回している。実際天守塔へ篭ったのを締め上げるだけなのだから、魔 剣士に半分ほどアンデッドを割り当てたことになんら影響はなかった。  そう、だから気を抜いていたつもりはないのだ。  むしろ本来の目的であるフラティン城制圧の為、城兵を排除する事を重視した。奴らを 平らげてしまえば魔剣士もどうしようもない。そうすればもう一匹ぐらい竜を置いて、死 騎士を城壁にあたらせれば、更なる援軍相手でもこちらの主力まで十分稼げる。  だというのに。 「チェックメイトだ」  眼前に現れた蒼き影。  身を退こうとしたブラックバーンは痛みを覚える。左足の負傷が急激に己が存在を主張 しはじめた。  その間にも影は残影となる。キルツがブラックバーンへと迫る。 (速い――)  思ってしまう時間が魔術師には惜しい。 「我が力を夜の涙に変えよ……」  唱えながら指を鳴らす。右、左。鳴らすたびその腕から赤い液体が迸った。  地に散った血が呼び覚ます。ブラックバーンの前に立ち上がった二つの影は当然のよう に死体で、当然のようにキルツの仲間だった。  それぞれが転がっていた剣を二つずつ構えてくるのにキルツは笑った。 「遅ぇ」  キルツは嬉しいのだ。  見知った顔を――それが例え残骸である死体にすぎないとしても――斬ってみることが 出来ることや、これを超えれば皇国軍団の将軍という大物がいるということや、こんな大 勝負・一発勝負が出来ることや、今しがた刻んだ影をもう試せることが。  ――おあつらえ向きに四本だぜ!  ギュウと頬を引き上げ、キルツは地を蹴る。急加速した相手に対応しきれず、右側のゲ ルフという城兵――だったもの――は一拍の遅れをもって剣を振り下ろした。  一拍が剣と腕のリーチ差を埋めている。裏拳の要領で振り下ろされてくる手を殴り上げ、 遅れて振りあがりかけたもう一手の首を掴み取った。無刀取りは彼の十八番である。これ があるから砦の皆もキルツは強いと認めている。  ゲルフから剣を一本奪い取りながら、肩を入れてその懐へと潜り込む。足をひっかけ、 手をとって踊るように周りながら左にいるピーターへとゲルフごと倒れこむ。ピーターが 振るった剣がゲルフの首を飛ばした。  無造作に突き出されたその腕を新たに右手でとりながら、キルツは左手の剣を鋭く薙ぐ。 手は無手に。剣は真っ直ぐブラックバーンへ。 「ち、い」  死騎士を強化する鋼の鎧をブラックバーンも一部まとっている。その小手で投げられた 剣を防ぐ。弾き飛ばされてくるくる上へ飛んでいく。  体を揺らして、屍術師の集中が、かき乱れた。  ブラックバーンがその一瞬の断絶から自分を取り戻したのは、キルツがピーターも投げ 飛ばした後だった。 (いける)  キルツが剣を二本手にとる。 (ザコが何人来ようが全て制す事が出来る!)   そう思ったのはキルツだけではない。ブラックバーンもまた気付いている。人の屍など いくら繰り出しても間に合わない。この青年はあの男と違う。1を倒して2を倒し、4を 倒したら8を倒す。  たまにいるのだ。そういう面倒な、戦の鬼が。  舌打ちは心中だけにして屍術師は口を開いた。 「良き援軍は、中々そうは掘り出せぬ……!この墓穴は、浅すぎる!」  魔力が収束し、地より斜めに門が開く。さきほど消え去った屍の竜がその口から覗いた。  それを見てキルツは剣を投げる。とても間に合わない。間に合わないが、一瞬ブラック バーンの気が逸れる。 「シャロウグレイブ!」  解き放たれた召喚。しかしキルツは横へ跳んでいる最中だった。ブラックバーンの正面 に開いた門がキルツを捉えない。  召喚された竜の顎がキルツを過ぎた。巨体が青年の横を滑るように突っ込んでいく。投 げられた剣だけ頭で明後日の方向へ吹き飛ばし、一瞬しか保たないその魔術は竜ごと消え 去った。 「墓穴には貴様が入れ!」  言ったのはキルツだった。身軽に転がり、飛び起きる体が真っ直ぐに屍術師へ突き進む。 その最中に、突撃する最後の息継ぎと共に吐き捨てた。笑いながら。  ブラックバーンが身構える。身構えるしか出来なかった。  キルツの左右の足が素早く幾たびか交互した。そして右が強く地を踏む。射程圏内だ。 「言ったろ――――遅ぇ」  キルツの右腕が滑る。内から外へと横薙ぎに放たれた一閃。仰け反ったブラックバーン はギリギリで避ける。離れていく刃が、そこへと落ちてきた刃を弾いた。 (何――――!?)  切っ先を弾かれた剣はくるっと回った。驚愕するブラックバーンへ向かって、くるっと 周ったのだ。ただ重みで落下し、弾かれた衝撃で回転するだけの剣。だがそれに刃がある 限りは当たれない。痛みが幻想される。ブラックバーンは右足を先ほどとは逆に一歩踏み 出し剣から逃れようとした。逃れようとして、前に出てしまった。鈍痛。左足が動かない。 もう対応する事が出来ない。もう、下がれない。  キルツの左手が閃いて、ブラックバーンが見た光は真っ赤だった。 「がぁッ」  顔面から――眼面から――赤い血を吹いてブラックバーンは哭いた。  ブラックバーンの右後ろに交わらなかった剣が土を刺して突き立つ。またブラックバー ンの左斜め後ろには、先ほど竜に弾き飛ばされた剣が落ちた。薙ぎ終えて、左右に腕を開 いたキルツがわずかに口を開く。 「普通の剣じゃ難しいな、四刀流」  背から崩れる皇国将軍を見てキルツはニヤッと笑った。  ――――そして轟音と共に赤燃(あかも)えた閃光が滑(すべ)らいだ。  驚愕。  キルツは咄嗟に両手を振るい戻した。両の剣が赤い閃光をすんでで弾く。それで終わる かとばかりにキルツが切り返せば、赤が同じく受けて音が浸響(ひたりひびい)いた。  キルツが眼を見開く。鈍色の二刀が踊り、赤が回(まわり)めく。剣が無数閃飛(ひら めと)び、金属が叫走曲を奏でる。  その横でブラックバーンが唸った。疑問を口に出す前に上から声が落ちてくる。 「ブラックバーン、撤退だ」  聞き覚えのある男の声。何も言わずブラックバーンは頷いた。その腕が引っ張り上げら れる。  そして弾(はじ)き鳴る。弾き鳴る斬交音(ざんこうおん)。  キルツの瞳に映るは赤。鷲のごとく見開かれた眼が、重走(かさなはし)る剣を追う。  空気の軋む音も彼の耳には入らない。  ただ斬撃を斬撃で抱いて斬り愛(あ)った。  ――唐突に。  キルツの剣が虚空を薙いでそれの終わりを告げた。  小さな飛竜だった。ラーバクリムゾンや銀龍と比べると二周り以上小さい、まだ戦場で 見かけるレベルの飛竜だった。飛竜騎士部隊がよく騎乗しているそれがキルツの視線の先 にあった。  ブラックバーンと、男と、そしてあの小さな赤い影がいた。  ――――嗚呼、もう終わりか。  キルツはただあの瞬間を惜しんだ。  動悸と汗だけが己が踊った時間をキルツに教えている。皆の呼ぶ声が遠く風か何かのよ うに聞こえる。疲れきった体が動く事を拒否していた。  見知らぬ男の駆る飛竜はそのまま翼は空へと舞い上がる。  キルツはそれをただ睨んでいた。  赤い剣身(つるぎみ)を。  そして、遂に飛竜は見えなくなる。  この戦いは追う戦いではない。無理に矢弾で狙う必要もない。だから皆もそう惜しむわ けでもない。ただキルツだけがあの瞬間を握り締めていた。  その耳に歓声が聞こえている。 「おぃら勝った……んか」 「っくあぁーーーーぁああ……」 「皇国四軍だぜ!?四軍!」 「うっひーーーーーーーーーーーーーーーーーぃいいいいい!」  どよめく城兵。  やっとキルツはジャックスを振り返る。 「うむ、防衛成功のようであるな」  それを、塔の上から四剣仕舞った男がぼんやり見下ろしている――――    ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  ――――そして彼らはザネックス近くの林に居た。  真っ先に口を開いたのはジェレミー・C・ハインライン。皇国第二軍団の長である。体 を休める飛竜の横に立ち、後ろに撫で付けた髪をかき上げながら溜息する。 「まさか君が負傷しているとは思わなかった。ちょっと観光気分で迎えにいったんだが、 いやはや……」 「どうしてあの場所へ飛んできたのだ。ハインライン卿」  飛竜の背に寝たままでブラックバーンが問うた。  何故ハインラインが今ここに個人として居るのか。何故自分敗北が確定する以前に作戦 が中止されているのか、ブラックバーンには不思議だった。たとえそのお陰で窮地を脱し たにしろだ。 「次元の歪みだよ。君が行った少し後に観測されている。ロンドニアに魔王……黒雲星羅 轟天尊の介入があったのだろう。それで大慌てで君を連れ戻す転移儀式の開始ってわけさ。 大変だったよ。手が足りないんで魔導院からも引っ張ってきたし……アイツら、一応皇国 と王国連合の停戦の証で出来たからってすぐ独立性とやらを持ち出すから困ったもんだ。 我々二人と飛竜を飛ばすのに国庫からどれだけの金が吐き出されたのか、あまり考えたく ないねえ」  顔は笑っていたが、不満がそのまま言葉に出ていた。聞いて、ブラックバーンがわずか に鼻を鳴らす。 「いやあ……私なんかと違って、君の才能は代替が利かないからな」  冗談めかしてそう言うと、ハインラインは顎を掻く。 「ま、考えられる事ではあったのだがね。とにかく全部おじゃんってことさ。ケチの付き 始めはロンドニアの情報網まで沈黙させてしまったことだな。虎視眈々と狙っていたとは 魔王ってのも我慢強いもんだよ。いや、恐らく数年前のクーデタの失敗から目をつけてい たのだろうな……しかしノーサンフリア公にはあれ以上気の効いた作戦を望めなかったの も事実だ」  皇国が常備十二軍団を動かす際は、基本的に二軍を一個として作戦行動に入る。その際 の責任者は軍団長のうちの上位者が行う。主に一、二、三、七、八である。今回はつまり ハインラインが指揮官であり、エゲツないとは言っていたが何の事はない、半分は彼が考 えた筋である。  だから、その口数は恐らくブラックバーンへの謝罪と言い訳なのだろう。  もしかしたら勇者や二十四時が介入していた恐れもある。皇国にとってはあくまでロン ドニアに対する策謀であるから、魔王が出張ってきたのに正面から構える気はないのだ。 故の作戦中断。ブラックバーンとしては別に不満もない。 「ああ……それで、眼は大丈夫なのかね?」 「俺は魔術師だ。視覚の補填ぐらい手はある。まあ、あとで何か埋めるとしよう」  言ってブラックバーンは立ち上がった。 「とりあえずここは皇国の将軍が長居する場所ではないな……」  呟くブラックバーンの眼前には赤い影がある。魔術を構築し視覚を代替させはじめたブ ラックバーンの眼が、ぼんやりとしたそれを徐々に鮮明にしていった。  赤は剣とそして髪だった。  その剣、先は両刃だが残るは片刃。真紅の刀身は背へとわずか反りかえっており、金色 が波のように連な寄せ、薄(うす)かんでいる。それは東の果ての地で用いられてい『カ タナ』に近かったが、ウスタが好んで使っていたサーベルの原型、曲刀のように反りが激 しい。  赤い髪は男の胸より低い位置にあった。赤が覆う中に琥珀の眼が二つ、鋭尖(すると) がやいている。剣を持つ手はしなかやに細く、男のような黒っぽい布で首から下を覆って いたが、その肩幅は狭い。短めの黒布の中に見えるのは白だった。何か女物の服を着てい るようだ。  そう、女である。  刀身についた体液を口に咥えた紙で拭い取りそれを吐いて捨てる剣士は、見たところ十 代前半の女――つまり少女だった。二つの琥珀は立ち上がったブラックバーンをを睨め上 げている。 「で、誰だこの小娘は」 「娘さ。俺の」  ハインラインの声に被さって鈴やかな音が耳を打つ。少女が納刀したのだ。その鞘には 剣々囂々と彫られている。 「娘?……感心せんな」  ブラックバーンは呆れた声で零す。 「おいおい誤解するなよ、愛人作って生ませたってわけじゃないんだから。養子だよー、 養子。大体この歳の娘が突然沸いて出るわけないだろう。なーぁ、クラースナ」 「わかんないって細かい事は……って、くっつくんじゃねぇよ!」  クラースナを抱き寄せるハインラインと、そのハインラインをべしべし叩くクラースナ。 ブラックバーンは見もせずに呟いた。 「…………………もっと感心せん」 「純情だな相変わらず」  ブラックバーンはその笑い声には応えず、クラースナと呼ばれた少女を見遣った。そう して顎でクラースナの腰にあるカタナを指す。 「ふむ、視覚がなじんできたな……その剣は何だ?」 「カッコいいだろう!」  答えが望んだものではなかったのでブラックバーンは続けた。 「極東の剣か……」 「ああ、少し形状が特徴的だがカタナと言う。材質はヒヒイロカネとか言う凄い金属だそ うでな。クラースナ少し抜いてくれ……うん……色は判別できるか?ブラックバーン。刀 身が赤いんだが。波打ってるのはカタナ特有だそうだが、これは特殊な金属だから金色っ ぽく模様がついてる。名前はこっちの言葉でジャッバウォックだったかな。ほらその鞘に 彫ってあるだろう」  講釈を聞きながらブラックバーンは思いだした。ハインラインはインテリで、こと極東 の事について好んだこと。前に自分がハインラインから押し付けられたゲンズイとかいう 極東の物語本のこと。 (そういえばあの話の主人公は幼い女を引き取って育てていたな……)  ハインラインとクラースナの背を見ながら、ブラックバーンはまたかすか息をついた。 「……小娘の持つものではない」  今も見える柄・鞘共に、そしてハインラインが語るにただの剣とは見えない。 「いやいや、それがなかなかどうして剣才があるのさ。賢才ではないがねぇ」 「蹴んぞジェレミー」  少女の怒りも何のその。我が事のように語るハインラインの声は弾んでいる。  ブラックバーンが読まされた物語の主人公とは違い、この男は美より武芸と知恵を好む。 また極東の言葉で文武両道と言う奴だ。  実際、クラースナは整った顔立ちに燃える髪と輝く琥珀の眼をいただいており、それな りに見目のいい少女だったが、流石に絶世のという感じではない。その表情は髪と同じで 荒々しく、先に聞いたように声も同様であった。  彼の本妻も顔立ちは並だが気立て良く、また才媛であるとブラックバーンは聞いている。 しかしそんな女性を娶って置きながら、子供も作らず何故か実家に置いたまま本人は殆ど 皇都に居るのだから分からない。あまつさえ養女をとるとは、この美男な同僚の考える事 は本当に分からない。 (まぁ男女の機微など分からんから純情と言われもするか……)  ひとりごちる。 「ま、優秀なボディーガードだよ」  ハインラインの言葉に、軽く唸って思考を消すとブラックバーンは少女を見た。  確かに少女は強い。ただの剣ではないとしても、ただの才なら使えまい。十五にも満た ぬ女とは思えない。その後ろに青年の影を見た。  獲物を見るあの瞳を。 「だがロンドニアであったあの剣士と比べてどうかな」 「なんだ、クラースナはまだ十……十五にもなってないぞ。だよな?」 「歳なんて数えとらん」  ブラックバーンがそう呟いたのは半分ほどはわざとだった。予想通りハインラインが軽 く食って掛かった。こういう所がどうも子供らしい男だ。とはいえその意見は意地悪では ない。事実には違いない。 「実際あの男は恐ろしいぞ。強くなる」  その言葉にハインラインがニヤッと笑った。 「龍殿より?」 「まさか。だがそうだな……東国のあの若造ほどに見込みあると思うが」  正面から答えるブラックバーンにハインラインが眼を丸くする。 「ほう……リマインダスの次男!皇国有数の魔術師であり将軍殿から東国のルーキー並と の御墨付きか!」 「やられたから、というわけではないぞ」  ブラックバーンはそう念を押したが、ハインラインとてそうふざけた受け取り方はして いないようだった。ブラックバーンが露骨に負け惜しむような人間ではないと知っており、 何よりその言葉を信頼しているのだ。 「いやー凄いヤツがいたもんだ」  己が養女の横顔を見ながら、ハインラインは頷く。 「いつかロンドニアで再び会う事になるのかね?強さよりも大事な運とやらがあれば、だ が」  その言葉は少し嬉しそうでもあった。 「どうかな…………」 「うん?期待してないのか?」  相手の返答に笑んでいた男は片眉を上げる。 「いや」  ハインラインの疑問にブラックバーンは言葉を切り、そして一言、 「眼がな……」  それだけ零すとブラックバーンは黙った。 「眼が?君の眼か?」 「……剣士のことなど俺のガラでも、貴様のガラでもあるまい」 「そうかね…………まあ帰ろうか。この竜は乗り捨てるしかないしね」  答える気がないと見たのだろう。ハインラインは追求せず、右手で向こうを指す。  歩き出してハインラインが零す。 「そういや第三軍の軍団長って君じゃどうにもならないのか?教皇庁は“作る”のを渋っ てるんだがね……」  それに返事はなかった。 (あんなにギラギラした眼の男が、ロンドニアで満足するかな……)  ブラックバーンは全然関係のない事を考えていた。  これにて、短くも大きなロンドニアの動乱は終わる。  五年前のクーデタ失敗とあわせ、ロンドニア王暗殺事件としてそれは認識された。                                   エピローグへ