「アー、アー、陛下、陛下ーァ」  真っ暗闇の中、場違いな甲高いガラガラ声が上がった。 「聞こえている。フラティン城は陥ちたか」  応えた声はこの闇のように重い。威圧感が低い唸りをあげていたが、本人はやや投げや りでもあった。  だがそれはすぐに否定される。 「アーイヤー、それが、ブラックバーンは撤退…………したみたいでやすねえ」 「何?」  驚きの声と共に金属の当たる音が鳴る。ガラガラ声が慌てたように言葉を継いだ。 「途中でーえ、そのー、変な三人組が助太刀にきましてー」  返事はない。 「一人はー、はいー、賢龍シャルヴィルトでー」 「…………ほぉ」 「それとー……っすねー……参式鉄騎兵ーとー」 「…………発掘の報告は聞いていないが」  沈黙。 「が?」 「……イヤ、イヤ、イヤ、それは、えー、はい……イヤッ、見張っていた調査団などにそ んな様子は無かったもんでして、いやー」  ばさばさと音を立てながら、ガラガラ声はどもりながら否定を繰り返す。 「参式、鉄、騎、兵……?」 「へ、へい」  ガラガラ声が萎縮気味に答える。 「フン?そう、か……そうか。まぁ、天尊では使えんが……次」」 「三人目はー、まー、なんていいますか、普通の人間でやすな」  言ってから、すぐさま圧力を増したのを感じてガラガラ声は慌てて続けた。 「いやいやっ、いえっ……ほんとによく判んないもんでしてこれが」 「要領を得んな」 「ザ・ブレイドを四本ですねー、持ってる以外はーなんちゅうか、これと言って何もない わけで……やったら影が薄いかんじでやすわ」  知性ある魔剣ザ・ブレイドの中でも人の意のままに動いてくれる正気の剣というのは確 かにもの珍しい存在ではあるが、能力的にはピンキリもいいところであった。それに持っ ているからといって本人がどうという事でもない。 「ただの人間でやしょ」 「まぁ良い。これで皇国が人間世界を一つにするのは遠ざかってくれたわけだ。あとは適 当にしばらく監視を続けろ。ロンドニア王都とフラティン城とその三人あたりをメインに な。それと冥王ユニット06番から24番に指示を出す。呼んでおけ」  そうして金属の擦れる音が響いた。足音らしい重い金属音が後に続く。  遠ざかっていくそれへとガラガラ声がかけられる。 「しかし良いんでやすか?あっしを使って」  そのガラガラ声はどこにでもいてどこにもいない伝令である。そしてそれ故にどこにも 組みする事は出来ない。何もかもを知るが故にどこへも属さない。彼が知るという事は、 誰も彼もが知る事のできるという事なのだ。  扉が開いた。  真っ暗闇の部屋に外から光が差し込む。それもうっすらとしたものだったが、その光を 漆黒の鎧が照り返した。  そしてその向こう。  鎧の背へと、兜に覆われた鳥の頭が垂れ下げられている。 「セルバンデール、お前の持つ余の情報を買えるだけの情報を持つ者が誰かいるのか?我 が破天帝国に値する情報が?」  ――ないでやすね。  腕の代わりに在る翼が返答として羽ばたいて、その黒い身は霧のように散っていく。  何処にいようと、三千世界を飛ぶ黒き翼……魔同盟が杖の騎士セルバンデールの眼から は逃れる事は叶わない。  天尊は撤退し、皇国は敗走し、ロンドニアは覚束ない勝利を手にしたのだ。  セルバンデールの言葉によって、この破天帝国が首都、『世界の半分』とあだ名されし ツォルアファーンに座す魔帝は全世界の情勢を掴んでいる。  破天冥王イツォル。 「………世界は余の計算より早く動いているな。軍備を終えるまでは動きたくないところ だが……」  扉は閉まり、低い唸りも去った。             before "ZERO" epilogue                西の地を離れ               "WEST", Side Story  扉を兵が開いた。 「情報魔符が来ました。フラティンは無事です!」  その声を聞いた途端、部屋を歩き回る巨体がやっと立ち止まった。ガンツ=ウィーザー である。 「そうか!よし、よし、よかった。よし」  何度も頷くウィーザー。 「敵は情報通り皇国第四軍。死者十名未満の模様」 「なんと。ティーダめ、よくやりおった。よく」  将軍は肩を撫で下ろす。厳めしい顔に似合わぬ笑顔が咲いた。 「ウィーザー卿、王女」  続いて入ってくる女性がいた。黒い肌を覆う服の、その左袖がひらひらとはためいてい る。 「マベリアさん、どうでしょう」  部屋の脇で、ウィーザーとは対照的にゆったりと座っていたゼノビアが視線を上げた。 「ありません。現状砂漠を超えて来る魔導物は確認できませんん『空帝』が来ている可能 性はないでしょう。魔王の手先らしきものも魔力網にかかりません。凌ぎました」 「お疲れ様です」 「いえ。ウィーザー卿の兵が上手くやってくれたお陰で多くの『こちら』側の者を早々に 助け出し集める事が出来たのが大きいでしょう。現状、もはや王都は機能不全を起こして いません」  マベリアは無表情に努めた。その氷の魔導師を、ゼノビアが暖かく見つめる。 「これから為すべき事は多いですね」 「は。……ウィーザー卿。エディランスが呼んでいたぞ。フラティンへ戻る準備は整った そうだ。それと、彼に伝えたが私のところから一人出す。戦術観測手だ。アレは眼が効く から、安全が確認できるまでは眼として使ってやってくれ」 「おお、クロウスが。む、これはかたじけない」  ゼノビアの声にマベリアが矢継ぎ早にまくし立て始める。もう一つの待ちわびた報告を 受けてウィーザーが背筋を伸ばした。 「では王女、失礼ながら」 「フラティンは大要塞ではありませんが要所なのでしょう?卿が必要です、お願いします」  頭を下げるゼノビア。そんな、と恐縮したウィーザーは部屋の隅の男へと声をかけた。 「そ、そうだ。君はどうする」  ディーンが二歩ほど退いて立っている。 「向こうがこっちに戻ってくるでしょう。元々我々はここロンドニアで見識を広める為に 砂漠を越えてきたので」  その言葉にマベリアが片眉をぴくと上げた。青年の言葉をあまり好ましくは思っていな いらしい。心中で苦笑しつつ、ディーンはそれだけ言って軽く頭を下げた。 「なるほど……そうだな、あちらに着いたら彼らに馬を貸そう。今はゆっくり休んでくれ ているだろうし」 「これはこれは。ありがとうございます」  うんうんと数度うなずいて、ゼノビアに再度礼をしてからウィーザーは部屋を出る。扉 の脇で見送ったマベリアが口を開いた。 「ヴァルカン将軍の穴はデュラン=アースガルド殿を呼び戻して埋めましょう。しばらく なら受けてくれるはずです。あとは皇国への抗議にレーベルトを派遣したいところですが ……まあその辺は議に諮ってからになりますか」  言うだけ言うと、マベリアは少し間を置いて再び口を開いた。ウィーザーらと違ってさ ほど言いにくそうという感じはない。単にそれがこの場での礼儀だからそうしたという感 じだとディーンには思える。それは彼女個人がそうなのかもしれないし、エルフという種 と人間の差かもしれないが、どちらか判断はつかなかった。 「王の葬儀も」  ゼノビアの右の親指だけがぴくりと動いた。それ以外は何も動かなかった。  ただ、 「私にかけられたお仕置き用の呪い。かけたのは宮廷の魔術師でしたが、術の発生源は王 になっていたのですよね」  そんな事を言った。 「だからもう無いんです。もう、痛いのが嫌だから頑張るってわけにはいかないのですね。 これからは今までよりずっと大変なのでしょうね」  ただ、そう言った。 「……貴女ならやっていける。少なくとも自分にはそう見えた」  わずかな沈黙の後でディーンがぽつりと零す。それは青年の正直な気持ちだった。  不躾とも言える台詞にマベリアが厳しい顔をしたが、ゼノビアがそれを手で制する。 「ありがとうございます」  かすかに笑って、そうして思い出したように 「あなた方にはどのような礼をすべきでしょうね…………」 「ああ……そう、ですねぇ――――」 「――――しかし意外というと意外だったな」 「全くです。貴方が決めた事ですから反対はしませんが、別にそんな事する必要はないと 思うんですけどね」  シャルヴィルトが珍しくディーンに同意する。視線の先には『男』とジャックス。 「いやー、面白そうではないであるか?」 「ないのかあるのかどっちですか!」  ジャックスの返事にシャルヴィルトが牙を見せる。  あれから一ヶ月が経ち、『男』たちはロンドニアの砂海玄関ザネックスに居た。西国へ ……大陸中央部へ帰る為だ。  王都へ戻ってきた三人をディーンが迎えるなり、ジャックスと『男』はこう言ったのだ。  傭兵団を作る、と。  大所帯になる。まだまだ人間嫌いのシャルヴィルトからするとあまり面白くない。しか も彼女にとって粗暴で無知な人間が集まるに決まっている。  しかしディーンはディーンで元々その話をしていたのだ。3対1で民主的に次の目標が 決まった。 「民主主義なんて愚かです。エネルギーは常に価値の低い方に流れるんです!多数決なん て衆愚化するに決まってるんです!歴史が証明しているのです!いいですか、ええと、か つて――」  シャルヴィルトはこの期に及んでわめいた。国王の葬儀のあと、それを取り戻すかのよ うに王女を祝うとかなんとか理由をつけて王都が盛り上がっていて、そこで遊んでいる間 は結構大人しかった癖に。ちょっと王都で休みすぎたなとディーンは思った。 「もう王女に紹介状貰ったんだからグダグダ言うんじゃないよ」  ディーンが冷めた眼で返す。  今彼らの荷物には周りに知られると面倒な量のロンドニア銀貨と銅貨が入っている。そ れに書状が一つ。  それはロンドニア王女からの、いわゆる推薦状だった。 「ファーライト王国って元居た所に結構近いんですよ!戻ってどうするんですか!」 「知らないよ。ファーライトは騎士の国だ。形式的なんだよな。だから人手として売り込 むには丁度いいらしいとゼノビア王女が薦めてくれたんじゃないか。こっちの実力をお墨 付きとした紹介状だぞ?向こうもロンドニアの顔を立ててくれるだろうし。しかもこれだ け元手があれば、最初は赤字覚悟で格安で売り込んだっていい」  結局四人が礼として受け取ったのはその紹介状と金であった。あのマベリアは軽蔑した ような、ほれみろとでも言いたげな表情をしていたが、判りやすい要求とも言える。 「向こうは魔物との小競り合いが妙に多いからな、傭兵団というか魔物討伐隊って感じだ が。それにファーライトが駄目でも間違いなく雇い主は見つかるよ。アーメイダスで揉め てるから東国なんかもいい。東国騎士団だって下っ端は必要だろ」  ディーンが頷くとつられてジャックスも頷いた。『男』も明後日の方を眺めたまま何故 か頷いた。 「私は雇われたくないんですぅぅぅううう!!」 「面子を集めて傭兵団の体をなさないとなー。レイエルンとガインあたり、まだ生きてる といいんだがなー。クライブ、カスミやエピリッタも会えれば……ヴィレンは怪我したん だったか……あとはシャーリア……ジコウ……グストフ……うーん、まぁ数自体は募兵す るっきゃないか……」  青年は無視することした。 「ギ、ギギギギギ…………あと、知らないがなんか女性名が多いような……」 「エピリッタは俺よか先輩のリザードマンだがな」  歯軋りするシャルヴィルト。やれやれとディーンは嘆息する。傭兵団のような集団で過 ごす事はシャルヴィルトにとっても丸くなれるいい機会ではないかと思う。 (まあまさかその為に作るってんじゃないだろうが……)  元々はフラティン城での戦闘の後『男』がジャックスにもっと戦いたいのかと問うたら しい。何故そんな事を、とシャルヴィルトが膨れていたから間違いない。  そんな事をしている四人の眼前に一人の男が立った。 「良かった。会えたな。待ってたぞ」  蒼い髪が砂を散らした風ではためく。キルツである。 「おや、お主は」 「人を集めてるんだろう?ウィーザー将軍からちらっと聞いたんだよ。俺を雇わないか。 格安でいい。……お前等は中央の人間だったな……だから、そうだな……西国のエギュー で言って月6でどうだ」  会うなり話を切り出したキルツ。その言葉にディーンがピクと反応した。 「城で会ったな……キルツだろ。エギューで?6だって?」  ロンドニアから砂漠を越えて大陸中央部へ、という貿易ルートの中継地としてロンドニ アと同じく商業の発達した西国で生まれた銀貨。それがエギューである。そのせいで中央 部では皇国のオーツと並んで使いやすい通貨でもある。  それで行くと西国で大体一人雇うのに一ヶ月5から7エギューぐらいが相場だが、これ では下っ端の肉体労働者である。ディーンがジャックスに聞いていた活躍を考えれば、そ のままフラティン城で将軍の護衛兵だとか隊長だとかいい職を貰えるに決まっているので ある。その男が6で良いと言う。悪い話ではない。  いや、良い話すぎる。ディーンは疑いの表情を隠さずに聞き返した。 「全く食えない額じゃないが……だが何故そんな額でいいんだ?本当にいいのか?」 「ああ、ただし条件がある」  言ってキルツは相変わらずぼけっと棒立ちしている『男』を指す。ディーンが見ると彼 は珍しくちゃんとこちらを見ていた。 「俺に魔剣の技を教えろ」  首をかしげるディーンに、しかしキルツは独りごちた。 「女のガキに受け止められる腕なんて屈辱だからな……」  こうして、この五人から傭兵団が出来た。  名前はない。  それは群れ(レギオン)のように膨れ上がり、  たった三年で雪のように、砂のように、消えた。  そしてそれは『伝説の傭兵団』と呼ばれるだろう。    ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆  声がする。やたらと若々しい声。  声変わりもしていない少年の声だ。 「話って何だっつーのさー?」 「ロンドニアでアレを見つけたぞ」  応えるのは厳めしい声だった。 「アレって……アドルファスんトコの近くで俺が処理したアレかよ?っつか残った方か」 「他に何がある」  真っ赤な夜だった。  魔王『戦車』黒雲星羅轟天尊が住む亜次元・亜世界。羅道界。その夜だ。  ここは少年がいつ来ても戦争しているが、戦吼はもう聞こえない。  いやそもそも黒影と少年は別段親しくないし、どちらかというと過激派と保守派という 逆の立場だから、あまり訪れる事はないのだが。  赤い月明かりに照らされて少年が巨大な黒き影を見上げている。 「…………べっつに俺に言わなくてもさあ〜〜?適当に始末してくれちゃって良かったん だがヨォ?」 「交戦はしたらしいが色々あってな」  それを聞いた少年はきょろきょろと周囲を見渡す。そして普段居るはずのある者が居な い事に気付いた。 「ハン、ああ、凶嵐?なに、もしかして『そのため』ってぇワケ?」 「小さな傷なのだが、内部に達しているせいでな。それにアシダカも失った」 「そりゃな、直せねぇわな。皇帝様が手ぇ貸してくれるわけねぇしナァ?ってオイオイ、 マジで?マジにマジで?アイツもやられちゃったの?オオウ、スンゲェな」  ゲラゲラ笑う声に甲冑は答えない。少年はひとしきり笑い終わったところでつまらなさ そうに息を吐いた。投げやりに手を振る。 「フゥ〜〜〜ン、ま、複製すりゃいいんだろ?はいはい、してやるよ。貴重な情報ありが とうございまスーってか」  少年がはあ、と息を吐く。 「っかし意外だねえ、あんなのただの残り滓もいいとこだろォよ?ありゃさー、何も出来 ねぇぜ。何も前にねえ鏡にゃ何も映らねぇつーわけだよ」 「そうだな。賢龍だの鉄騎兵だの賢者だの他に色々といたようでな、アレ自体に対しては 凶嵐もそうは言っていたのだ。人間並……否、人間以下のカス………………か」  呟く黒影。少年は苛立たしげに声を上げる。 「実際ん話さあ、オレの仕事は終わってんだっつーーのーーーさ!……そーだろ?」  大きく被りを振って肩をすくめる。口を尖らせ少年は吐き捨てた。      ・・・・・・・・・ 「――――事象龍を倒したヤツは死んだんだよ」  黒い影が鼻を鳴らした。  そうだな、と頷いて話を終える。  これより数年、事象魔王たちは殆ど動かなかった。                                before "ZERO" end.