小さな村の一角に人が集っている。  皆が自分を覗き込んでいる。誰も彼もが恐る恐ると言った風で滑稽だ。  名前を貰った。  ...機工エンジンの出力は想定値の四割を超過。  流星が己に撃ち込まれたが、どうやら終わりではないらしい。  声が聞こえる。己の役目を告げる声が……  戦おう。  戦った。  名前をくれた者たちの最後の一人が死んだと知った。  よくわからぬ男たちと去る事にした。  ......全主要制御部のチェックを完了。オールグリーン。  砂漠の向こうで青年に会った。  輝く瞳の強き青年に。  彼なら己の仕事をする場を与えてくれるだろう。  聳える石壁。鉄の格子。響く剣戟。  これが戦場なのか。  ここが己の生きる場所か。  もっと戦場に行けるというのでそのまま皆についていこう。  傭兵団で己は生きる事にした。 .........界面干渉機関へのマナ供給確認。起動までX82カウント。  真っ暗な戦場で魔導師に会った。  恐るべき魔導師。  初めて完全に敗北する。  そして誰かが消えた。真っ白の中、ボディが寒さに軋んだ。  皆も散り散りになってしまった。  いくらか同類の女に連れられて戦場を離れる。  己の戦は終わった。  しばしの休み。  だがいつかは新しい戦場へ向かうだろう。  教えられる新たな意味の為に。  伝説を追う旅路へ。  ............  連れ合いがたくさん増えた。  女はいつも道を示してくれた。  金の少女は重装備の同志だと言ってくれた。  緑の少女は何も言わなかったが己を陰に眠った。  弓の男にはいろんなことを教えてもらった。  妖精たちはにぎやかで、それに己の体を為す金属を使えばいろんなことが出来た。  時には学者にも会ったし、銀の龍とも再会した。  商人や亜人にも何度か出会った。  へんてこな教団もあった。  面白い街もあった。  港もあった。  海もあったし、山もあった。  そうして己は目指す。  北へ。  己が生まれた意味へ。  誰かの死んだ場所へ。  誰かが目覚める時へ  そして今『我々』は起動する。  再起動ではなく。  ..................視覚情報の取得を開始……。                 『I,robot』 (そうか、これはジャックスの記憶なんだ…………)  更葉は自分の周囲に渦巻く情報の唸りを認識した。  真っ黒な空間を緑色に輝く雪が轟々と更葉の周囲を流れていく。それは今まで居た北の 大陸の空気とそう違わない気がした。吹き荒れる輝雪が徐々に結晶となり、輝くそれデー タを刻んでいく。  知っているものもあったし、知らないものも沢山あった。自分の顔も見えた。  意識を巻き戻すと雪の上に眠るそれが思い出せる。  もはや動かぬ晶妖精たちを抱いて、それも起きることはないだろう。何故ならソレは… …もはや兵士達(jacks)なのだから。  参式鉄騎兵の躯は活動を停止し、プログラムは巨大な鋼の中へと移っている。複雑に絡 み合う演算はたった一つの器を走り更葉の鎧となった。  褪せた輝きを胸にうずくまる鉄屑の前で、かわりに、巨大な巨大なそれが立ち上がった。  魔道装甲ギガンティックメイル。それはもはや『彼ら』の名。地に座り込んでいた時で さえ城ほどにも思えたそれは今高く聳えている。その装甲は輝かない。  更葉はその内、『伝説の鎧』の中で流れていくデータを見続ける。 ≪更葉よ≫  響く声に更葉は頷いた。そして嗚呼と息を吐く。もはやあの奇妙な喋り方をする鉄の男 も居ないのだ。他の皆が居亡くなったように……。  顔に手を触れる。そこにはバイザーがある。ただしそれは兜ではなく、顔を守る為のも のではない。彼女には良くわからないチューブが延びてギガンティックの内壁に繋がって いる。 ≪そちらの脳へ直接データを送る。それで、我々の全能力は把握可能なはずだ≫  ギガンティックメイルと交わす鉄のコミュニケイションの合間合間に瞬くそれを、更葉 は真っ直ぐ見続けた。多分この思い出の瞬きはこれで散ってしまうのだ。だから見続けた。  誰かの記憶、誰かの想いを刻んで進んでいく事が自分のすべきことなのだ。  いつか見た気のする、ジョバンニの笑顔が通り抜けた。 (…………大丈夫、頑張れるよ私)  結晶世界が割れる。       フリップ  ――彼女は転じた。  全周囲に広がる視界。更葉と彼らは捉える。狂える夜明け(ルナティックドーン)に男 が一人。  既に主の旅立った場所に――誰もいない城の上に、誰もいない魔都に、誰もいない暗黒 帝国に、誰もいない大陸の北にたった一人。  『世界』の魔王ジェイド=T・I・S・A=ルーベル。  彼は何か咆哮していた。それに恐らく意味はないのだろう。城の、高い高い白亜の塔の 頂点で、彼は金と青の二剣を放り投げる。 「エンリル、ヴァラーハ……行くぜ」  声に応えるかのごとく、くるくると落ちる二剣は中空で輝き始めた。それはすぐさま剣 自体が見えぬほどまでに広がっていく。  一瞬の後に光が収まると、そこには金と青の体躯を持つ巨神が一体。それらはジェイド の立つ塔ほどに巨大で、『彼ら』を真っ直ぐに見て立つ。  迎える『彼ら』は、その巨神たちよりも更に一回りほど大きかった。黒い鉄色の躯。頭 部で薄く光る赤いのは眼の代わり。両腕には刃がある。  瞬間、黒い巨体が爆裂に揺れた。出現と同時に黄金の巨神ヴァラーハの肩から光が走っ たのだ。レーザーの軌跡が数百、直角を描いてやがて消えた。  少々揺れた。それだけでギガンティックは何事もなく立っている。 ≪防御フィールドの類は感知してないんだが……≫ 「おいおい『次元英雄』ともあろうがうろたえんなよ!様子見だろ!」  ジェイドは舌打ちして叫んだ。 「『皇帝』が来るまでにケリをつけるぜ!」  世界はもはやある一人のものも同然だった。  皇国もない。極東もない。ヴァルデギアも羅道界もなければ暗黒帝国も驚天帝国もない。  皇帝が座するのはただ一つ。破天帝国。  皇帝を名乗るのはただ一人。イツォル。  だがジェイドは知ってしまった。あの皇帝の鎧の奥の奥を。  あの『皇帝』にだけは『世界』は渡せない。  渡してはならない。 「あの最終皇帝にこの究極兵器(アルテマウェポン)は渡せねぇ……ソレはここで完全破壊 する!ソイツを使って人間のどれだけかが救える『かもしれない』なんてこたー諦めても らうしかねえんだ!アイツに一人勝ちさせるわけにゃいかねーんだ!泥沼でクソったれで 人間なんて全滅の『世界』でもしょうがねえんだ!」  それが『世界』の出した結論だった。決裂と決裂の間を縫ってはじき出した妥協案。苦 い苦い錆の味が最後の交渉。 「俺は『世界』を守る――――悪いがここで“お然らば”してくれ、お嬢ちゃん!」  更葉はその咆哮というより絶叫を真正面から受け止めた。 ≪できないです!≫  ギガンティックが更葉の声を外へとつぐ。 ≪ここまで……頑張ってきたんだから!みんな、頑張ってきたんだから!≫  ジェイドの絶叫へ、更葉は絶叫で返す。 ≪色んな人たちとここまで来ました。色んな人たちと会って別れて来ました。私はずっと 役に立たなかったけれど、私はずっと二軍だったけど、それをずっと見てたから――≫  無機質に光るだけのギガンティックの瞳。それが決意で更に輝いたように見えるのは魔 王の気のせいだろうか。 ≪私で止まれるわけないんですよ!≫  決裂だな、とジェイドの言葉は音にはならなかった。諦め悪いのは自分の美徳だったは ずなのに、鎧を纏った眼前の少女を眩しく幻視する自分をジェイドは見つけた。 (いや――――大概悪いぜ俺もな)  弧(アーク)を描いて、その男(ラッド)は黄金巨神へ飛び乗る。 「エンリルッ!」 「――――汝ら罪あり!」  何をといわれるまでもなくエンリルは動いた。青い巨神の全身に光が走り、言霊が渦を 描いて嵐になる。北の大地の冷えた大気を巻き込み膨れ上がる。  大通りだった場所を吹き飛ばして竜巻がギガンティックを直撃した。巨体が揺らいで二 歩三歩退く。それだけ。エンリルは不機嫌そうに押し黙った。 ≪ずっと昔に!≫  ギガンティックの持っていた剣が形を変え、斧となる。更葉にあわせて『彼ら』が選択 したのだ。  それを構えて更葉は叫ぶ。 ≪ある人が――名前も聞いてない茶髪のお兄さんとそのパーティでしたよ!言ったんです よ!俺はデッカイ事をやるんだって!お前もいつか、冒険者だったお母さんみたいにこっ ち来いよって。俺は事象龍(ドラゴン)を探(クエスト)して、それをブッ倒すんだって≫  空を切る……いや、空をえぐる斧。大振りの一撃をヴァラーハがあわてて避けた。 ≪その人には、ねぇ、二度と会う事はありませんでしたけど。ねえ、それが初めて呼ばれ た事で、それからずっと、私はあんまり必要とされませんでしたけど≫  黄金神の剣から閃光が迸り、それにあわせて蒼嵐神がギリギリいっぱいまで距離を開け ながら連続で刺突を放った。  ギガンティックの装甲がそれを受け止める。 ≪ここまで一緒に来た人たちは皆よくしてくれて、皆いい人たちで、もしかしたら、あの 時会った『冒険者たち』のようになれたのかもしれません≫  光るヴァラーハの肩。レーザーの斉射。爆音の中で更葉の声が響く。 ≪こんな凄いものに辿り着いて……でも、皆居なくなってしまった。ねえ、貴方の仲間は、 どうしたんですか。私があったその人たちは、その人は、どうなったんでしょうか≫ 「ソイツは――――」  ジェイドは虚空に夜を視る。  『陽』の見えぬ戦場。浮かぶ『塔』。切り裂く『雷』。  爆ぜた空白。自分の為した事。為せなかった事。  銀の龍の上で自分を受け止めたあの男。  止まる世界。 「伝説になったのさ。独りで、な」  人は独りでは生きていけない。  なればこそ、独りで背負わねばならないものもある。 ≪だから私は戦場へ行きます!≫ 「だから俺は世界を救う!」  ギガンティックが斧を目茶目茶に振るう。それはさっぱり当たらないが、ヴァラーハら の攻撃もまたギガンティックに有効打を与えているようには見えなかった。 ≪くそっ、アカネゾラの偏向フィールドで束ねられりゃ楽な話なんだが!≫ 「ぼやくなよヴァラーハ」  軽く茶化す。それが余裕ゆえか、余裕なきゆえかジェイドには判らなかった。 ≪賭けの分が悪いってことよ、主。あっちに一発貰ったら確実にこっちはやられる!あっ ちはこっちの攻撃をしばらくは耐えることが出来る!ならばだ、なるべくこっちが被弾し ないように効率的に戦うべきであろうよ≫  ジェイドはなるほど、と頷く。 「で、どうするって?」 ≪……超高速戦闘に入る!!エンリル!≫ 「援護はしてやるわ、心配するな」  エンリルが応えた瞬間、黄金の体が軋んだ。  黄金巨兵がその姿を変えていく。脚は折りたたまれ、腕は左右に伸びて広がった。頭部 が回転し、背部が起き上がって正面を指す。  それはあたかも剣のようであるとジェイドは思う。だが、ヴァラーハ自身はこう言うだ ろう。こういうものは『戦闘機』というのだ、と。   地面に向けられている胸部が割れ、唸りを上げるコアから重力場が生まれた。巨体が中 空で浮かび、ジェイドは軽い耳鳴りに襲われる。 ≪我こそサクセサー・オブ・ストラテス!成層圏の女神が産み落とした最後の息子!電撃 卿を継ぐ者――≫  ヴァラーハが叫ぶ。高らかに言い放つ。いつかどこかで、星(スター)の海(オーシャン) への道を開いた英雄だった、その矜持が名乗りを上げる。  ――負けぬぞ伝説、と。                 デウス エクス マキナ ≪異次元の戦を制した英雄にして全てを解く最終機なり!≫  吹き飛ぶ黄金。  ヴァラーハが超高速で空を切り裂く。  己を通り過ぎ点になったヴァラーハへギガンティックが振り向く。ギガンティックが背 後を見た時には既にヴァラーハは旋回して向かってきていた。本体に先行し、閃光が空を 穿孔する。 「う、わわわわっ」  炸裂がギガンティックを襲う。更葉が体勢を立て直し狙いをつけようとする頃には、黄 金の鳥ははるか空の彼方を旋回している。  流星のように空が瞬く。それはすぐさま巨大な光条として無数ギガンティックへと降り 注いだ。爆裂の合間を縫ってギガンティックがヴァラーハを見る。 「速い速い速いっ届かないんじゃないですかーっ」  視線を移せばエンリルも距離をとりながら竜巻を乱発する行動に切り替えている。困り 果てて声を上げる更葉の視界の隅で文字が浮かんだ。見たこともない文字だが同調してい る更葉には意味がわかる。 ≪これだ≫ 「小型の高周波振動槍って、いえだから槍じゃ――」 ≪専用カタパルトから射撃武器として使用可能だ≫  「彼ら」が言うやいなや、ギガンティックの肩部が開く。 「勝手に追っていってくれたり」 ≪しない≫ 「よく狙えって事ですよね」 ≪うむ≫  エンリルの方が近いが、ヴァラーハの光撃を無防備では迎えられない。ギガンティック は空を見た。  白煙が晴れ、蒼空に金が浮かぶ。更葉はそれを見つめ―― 「やっぱり止め」  攻撃を中止した。 「ジョバンニさんやジャックスなら当てられるかもしれないけど私には無理だもん。皆を 見てるから私には出来ないって判ってるもん」 ≪ではどうする≫ 「耐えるの!」  更葉はたった一言に全てを込めた。 「一発当てる。その機会まで耐える!あの手でいこうとかこの手でいこうとか私不器用だ から出来ないし」  応えないギガンティックに、更葉はデータの一端を指す。 「手は、あるでしょ」 ≪……更葉、お前の魂をこちらにつなげるのか≫  その言葉はいつもどおり平坦だったが、呻いているように更葉には聞こえた。 ≪確かにその機能を使えばそちらの魂にある力を我々の全身に行き渡らせ、性能を向上す る事が可能だ。我々は巨大な、魔道の、装甲だからだ。乗り手の力を我々の力に変えるこ とが出来る、だが――――≫  ヴァラーハの光弾がきて、ギガンティックの全てが揺れた。 ≪その場合、我々のダメージはお前の魂に響く≫ 「いいの。だって私今血も流さず戦ってるんだもん。そんなの全然頑張ってない。痛みぐ らい」  更葉が自分の頬を叩く。気合は十分とでも言うかのように。 ≪了解。だが別手段も講じる準備をする≫ 「うん」  返事をすると同時に体から何かが抜けていくような……それでいて何かが入ってくるよ うな感覚が広がっていく。視覚だけではなく全ての感覚がギガンティックと繋がっている。  鎧。  まさしくギガンティックは鎧だった。 「なんか変わったか?」  ジェイドがヴァラーハの内で呟く。 ≪判らん!主よ気をとられるな、一秒でも早くカタをつけるのだろう!≫  吼えるヴァラーハから光が瞬いてオーロラのように冬の空を降りていく。  ギガンティックがそれに包まれ、爆裂が覆っていく。 「耐えるんだ!」   その中で更葉は叫んだ。  痛みが体中を駆け巡り、意識を押しつぶそうとする。ギガンティックの痛み。戦う痛み を更葉は感覚した。  エンリルが嵐と共に接近し、素早い剣閃を放ちすぐさま離脱する。惚れ惚れするような ヒットアンドアウェイ。更葉には出来ない芸当。  手の斧で受ける事が出来たのは2発か3発で、あとの斬撃はギガンティックの装甲と更 葉の意識を刻んだ。  それでもギガンティックは立っている。 「まだ耐えられる!」  エンリルが離れると共に襲いくるヴァラーハのレーザー。視界も覆うその中でしかしギ ガンティックは立っている。 「私にはそれしか出来ないんだから!!」  斧を構えて、一瞬のために立っている。 「耐えてっ」  青い斬撃。金の光撃。青い斬撃。金の光撃。青い斬撃。金の光撃。 「耐えてぇええ……っ」  少女はいつもそうやって戦ってきた。 「耐え切るんだぁぁぁああああああああああああッ!」  更葉の絶叫の中で、ギガンティックがいつもどおり平坦に告げる。 ≪更葉、目的は達成した≫  ぼやける意識の中で更葉が首をかしげた。 ≪出力75%を超過を確認。防御フィールドを生成する≫ 「え?」 ≪......[ホールホール]の運用データを検索≫  ギガンティックが呟く。直後に迫る光撃を更葉は見た。思わず目を閉じて、衝撃はやっ てこなかった。 「消えた……ぞ?」  ヴァラーハの中でジェイドが呟く。放ったレーザーが全てギガンティックに当たる前に すっぱり消え去ったのを見たのである。 ≪まずい、エセリアル虚空間を利用した短距離空間跳躍だ。それを応用してこっちの攻撃 を全部吹き飛ばしている!これでは火力は無関係だ!≫  ヴァラーハの叫びにジェイドは唇を噛む。  射撃、射撃、射撃。  繰り返されるそれは、しかしあの鎧には届かなかった。 ≪転移空間フィールドが連続で開いているのは恐らく3秒ほどと見た。しかし隙をつく方 法がない!≫ 「ひたすら絶え間なく打ちまくるってのはどうだ」 ≪大半が当たらず、こちらの経戦時間も極端に低下する。火力の集中運用は基本中の基本 だ。効率が悪すぎる≫ 「ぐう」  唸り声。  思い出す。ギガンティックの全長。散発的に繰り出される空間跳躍の場を己の領域時間 停止で捉え、防御を無効化する事は可能だろうか。  ――無理だ。  ジェイドはそう判断した。しかし自分達の攻撃を当てるにはそれしかない。相手が完全 無敵の防御フィールドを繰り出すなら、本体ごと丸々固めて行動不能にしてから持て得る 全攻撃を叩き込む。  ヴァラーハが旋回した。  そのコックピットから外が見える。『悪魔』アドルファスがかつて居た城はもはや跡形 もない。あの悪魔はもういない。先代の望みを受け、コンプリートスクエアをジェイドに 与えた『悪魔』の城。だったもの。それをジェイドは見つめた。  コンマ五秒の出来事だった。 (…………アドルファス、ジャミット、つまり俺の勝負所はここだ)  迷っている時間はない。一刻も早く勝負をつけなければ『皇帝』が来る。 「ヴァラーハ、ちょっとばかし戦闘を任す。落ちんな」 ≪なに?≫ 「変現の法を使う」  ヴァラーハの沈黙はキッカリ一秒。一秒は、長い。 ≪あいよ≫  ヴァラーハが答えたときには、ジェイドの意識は吹き飛んでいた。己を全て作り変える。 完全な生物。完全な魔王。それが目指したのはエルダーデーモン。始祖の悪魔。  人と魔物の祖。  原型。  ジェイドは今までそれを使わなかった。否、使えなかった。全てを振り切れなかった。  世界完成は完成していなかった。  全てを捨てて悪魔という過去に立ち戻る事が本当に必要な事なのか、ジェイドにはそれ がどうにも判断できなかった。  ――女々しいぜ全くよ。  膨大な年月が突き抜けていく。切り刻まれる精神の中でジェイドはそう吐き捨てた。そ れが最後。その後は真っ白な光。  光。  眼を開けばヴァラーハの視界が戻る。  その皮膚には呪詛のように罅が刻まれ、頭部から突き出た六本の角が髪と半ば一体化し ている。目は瞳より大きく裂けて顔に亀裂を作り、その中心で瞳孔だけが光っている。 「ああ……」  嘆息した。吐息(ブレス)が炎(ファイア)のようだった。  何もない。ジェイドとしての記憶は全て残ってはいる。師に学んだ事や、魔王としての 仕事、同僚だった魔王たちや、バースワーズであった妙な傭兵隊長や、レオス、クラウド、 アルミナ、ファルという彼についてきた者たち。  だがもはや、それらは全て情報の羅列としてしか悪魔ジェイドには認識されない。  ジャミットの死に慟哭した昂ぶりを、部下たちの死に感じた無力感を思い出せない。  変現の法は始祖には遠く及ばぬのだろう。それが今の自分には相応しいのだろう。でな ければアルミナが遺して逝ったあの温もりは何だというのか。  己はアドルファスやアルミナには成れぬのだ。そしてそれが相応しい。ジェイドはそう 思った。 「ああ……」  だからこそ、その言葉は溢れるようにジェイドの口から流れた。 「時間よ止まれ、お前はかくも美しい」  ――お前さえ進まなければ。  ――そして進んだからこそ知ったのだ。あれらが美しかったのだと。  ――その美しさをもはや本当には理解できないとしても。  エンド オブ ワールド 「世 界 完 成」  停止。  ヴァラーハだけが何も動かない世界を突き刺し、ギガンティックとすれ違い様に砲門が 閃く。数百の光条がギガンティックを向かい、帯のように停止する。  再起動。  大気が捩れた。  無数の光が炸裂するのをジェイドは見る。音はヴァラーハに追いつかず、急旋回と共に やっとやってきた。その轟音の中で彼は舌を打つ。 (やべえ、世界まるごと止めるってのはこんだけしんどいのかよ!最大停止時間は主観で 一秒あるかねえかじゃねえか!)  ジェイドは連続で時の引き金(クロノトリガー)を引いた。  超高速の舞踏の上を、スタッカートのように静寂が彩る。再開、停止、射撃、着弾、終 了。再開、停止、射撃、着弾、終了。再開、停止、射撃、終了、失敗。  たとえばナノセカンドの差でギガンティックが短距離転移フィールドを発動する。そう するともう手が出せない。  次へ。 ≪くそっ、どうする主!埒があかん!≫  状況自体は好転していた。こっちの攻撃はほぼ当て放題と言っていい。しかしそれでも ヴァラーハはそう嘆いた。 「いや、マジに硬すぎるな…………」  射撃が通っているはずなのに、さきと違ってギガンティックが揺らがない。  それが少女の意志なのだろうとジェイドは思う。  ――俺が色んなものに裏切られたように。俺が色んなものを誤魔化してきたように。  ――彼女は色んなものに賭けて。彼女は色んなものを守ってきたのだ。  ――畜生硬ぇ。  ――えらく、硬ぇよ。  ――それを跡形も無く粉砕するのが魔王様の華麗なる御仕事ってヤツなんだ。  ――そしてこの悪魔ジェイドにはそれが出来るのさ。 「……主砲だ」  ようやくジェイドは言った。沈黙で4秒も過ぎている。 ≪だが射撃に時間がかかりすぎる。砲撃動作を確認されてはいくら時間を止めても先に転 移フィールドを張られるだけだろう。時間停止が早すぎれば今度は命中前に停止が解除さ れて転移フィールドが発動してしまうわけで……しかも射撃後はこんな戦闘なぞ続行不可 能だぞ≫  ジェイドの声が遮った。 「三秒、いや五秒分止めてみせる」  ヴァラーハのコックピットの中、魔王はディスプレイのギガンティックを凝視していた。 「だからやれ」  ヴァラーハは応えない。ディスプレイの端で「重力子放射線射出装置ON」の文字が浮 かんだ。ヴァラーハのボディから子機が射出され別個に飛翔を始める。  ジェイドは頬を緩めた。 「エンリル、撹乱は頼むぞ」  ヴァラーハを通して伝えるとエンリルは翼のように背に広がる六枚のフィンを開く。 「フン…………全く、手間のかかる使い手を持ったものだよ」  笑いを隠したような声が返ってきた。まったくアイツもいい女なのだ。  ジェイドは満足そうに目を閉じる。  閉じた視界の中、敵を感覚する。  ギガンティックを。  いや、更葉=ニードレスベンチをだ。 (俺は、お前を粉砕する)  ヴァラーハが空を裂く。 (俺は、伝説を目指す勇士を撃滅する)  相棒が攻撃を中止した分だけエンリルが二度三度斬り結ぶ。 (俺は、人間の未来を抹殺する)  ギガンティックは動じない。 (俺は、魔王だ)  更葉の意志は揺らがない。 (――――だから、正面から打ち抜く!)  エンリルの暴風がギガンティックを襲う。範囲が広すぎて回避は不可能だ。いかな極大 の体躯とて飲み込まれる。そして小刻みな時間停止と意思伝達によってヴァラーハとその 子機が自由に飛びまわる。  めくれ上がる魔都。  都市破壊級の目晦ましの中、狙いすました世界完成が直前を停めた。  全てに色はなく。逆巻く寒波。空を舞う街の残骸。ギガンティックが身構える。エンリ ルが両手を掲げている。嵐に紛れて六つの子機が陣を描いている。灰色に停止する世界の 中で、それだけが黄金に輝いている。  その世界は美しかった。 ≪ExS-F.I.E.L.D収束砲!≫ 「てええええッ」  栄光と決意が貫き、そして時は動き出す。  知覚する間もなく打ち込まれた光撃。更葉は意識をもぎ取られた。  ギガンティックの全てが鳴動し崩壊に向かって突き進む。それを、彼らのプログラムが 全力で阻止した。保持を目的とする以外の全ての処理はキャンセルされ、衝撃が巨体を吹 き飛ばす。  ギガンティックが倒れこんだ。  雪山が四つ抉れ飛んだ。 「とどめを……させ………………」  顔の罅のあちこちから……そして全身のあちこちから黒い血を流しながらジェイドが命 じる。ヴァラーハのコックピットシートにもたれかかり荒い息を吐く。  ギガンティックは動かない。  ヴァラーハがその形を人へと戻し、すぐ前に着地する。  終わったか、とばかりにエンリルもゆっくり歩み寄ってきている。ヴァラーハがその巨 体で人間臭く頷いた。 ≪成功だ。任せろ、それぐらいの事は出来る≫  黄金色の剣がかざされる。  そして、青い刃がヴァラーハのボディを貫いた。 ≪エン、リル?≫  振り返ったヴァラーハのカメラは青い相棒を捉えている。無言のまま、エンリルは更に ブレードを押し込んだ。  ジェイドの背筋を冷たいものが貫く。背に何かの気配があった。 「エンリルはな」  気配は幻ではなかった。ジェイドの背へ声が投げかけられる。 「かつて『流禍』レヴィアニールという名前だったのだ。七帝魔導駆鎧とよばれる七元素 の巨神よ。余がこの世界に持ってきたそれを改修し――――それは魔神となって勝手に荒 れ狂っていたのだ」  いつのまにか罅の入ったエンリルの顔が泣いているように見える。  ジェイドは振り向きたくなかった。人生のように重く、地獄のように冥く、怒号のよう に響くその声を。 「世界完成―――!」 「円にて歓呼で迎えよ」  停めたはずだった。振り向いたジェイドの耳に言葉が吸い込まれ、彼はそこで動く事を 『許可』されなくなった。 「諸王の王を」  停められない。止められない。世界は完成しない。それの世界へ立ち入る事が許されな い。彼の世界は絶対の彼に付き従っている。  かつて地挟海の上でジェイドはそれを抑えようとした。  ある程度抑えたようにも思えた。  だが実際はただそれが様子見していただけの事で、事実として余裕で喋っていたわけだ。  自分は汗だくにまでなったというのに。  第四事象の秘儀が広がり、それはこの場を支配する。   インペリウム 「絶 対 号 令」  ――――『皇帝』が到着した。                                      後編へ