――そこは不思議な場所だった。  上も下も右も左も無い、無窮の暗闇で塗り潰された空間。  何も無い暗黒。  否。  円環があった。  2枚の輝く巨大な円盤は、まるで十字を書くかのように立体的に交差し、歯車の様に静かで緩やかな回転を続けている。  それぞれには灯明があった。一枚につき十二、計二十四の灯りが。  その灯りの一つの前に、女性が佇んでいた。  極東と呼ばれる文化の着物を着崩した豊満な姿態は艶やかで、しかし浮かべる笑みは童女の如く茶目っ気に満ちている。  眼鏡を軽く指で押し上げ、手にした徳利から酒を一口呷ると、彼女はその言葉を口にした。 「其処より、此処へ」  途端、回る円環の上に新たに三つの影が現れた。  一つは頭頂部まで禿げ上がった老爺。一つは炎と雷の魔獣、そして最後に骸骨の騎士……に隠れるようにしてもう一つ、幼い少女が。  それぞれ灯明の前に座した三者を見やって、女は軽く口笛を吹く。 「わお。三人も来てくれるたぁ、お姐さん驚き〜」 「何用ダ、孤伯」  魔獣の問い掛けに女性――『弦魔館』の女主人・孤伯は、軽く手を振って、 「ん〜、同窓会」 「帰ルゾ」 「あ〜、待った待った待った、じょ〜だん! 冗談だってばさ!  だから帰るの待った、ガレっち! いや、ガレヴァントゥーナさん!」  早くも姿を薄れさせた魔獣――ガレヴァントゥーナに向かって慌てた声をあげる孤伯。  魔獣は器用に軽く嘆息して再び具現した。 「でも、四人ですか。  生き残りの内、これだけの人数が一堂に会するのは久しぶりですね」  これは少女の声。  かぼそいが、誰も聞き漏らしたりはしない。  ここでは距離も時間も意味が無い。遠いも近いも早いも遅いも無い。  それぞれ円環の離れた位置に立っているというのに、声も姿もまるで目の前にあるように感じられる。   「レイリスの言うとおりだね。確かにひさしぶりだぁ」  レイリスの言葉に頷いたのは、残った一人であるところの老爺だ。  その口から紡がれるのは、外見にふさわしい年輪を重ねた深くしわがれた声だが、その話し方はどことなく幼稚で甲高い。  まるで、幼い子供が喋っているかの様である。 「スコッティ、その喋り方は何とかなんない?  お姐さん、あんたの喋り聞くたびにお尻の辺りがムズムズ〜ってするんだけど」 「もー、孤伯はまた変な呼び方するー。ボクはスコットラウゼ。スコットラウゼだよ。  ちゃんと呼んでよねー」 「あら、でもスコッティも可愛らしいと思いますよ? 私は好きですわ、スコッティ」 「あ、ほんと? えへへ、じゃあスコッティで良いよ」 「……ちょ〜っと、スコッティの爺様? その反応の違いは何なんザマスか?」 「孤伯。スコットラウゼだって言ったでしょ」 「をいをい。数秒前に言った事も覚えてないとは、遂に完璧にボケたかヒッキー老人。  スコッティで良いっつったのはアンタでしょうが」 「それはレイリスだけだも〜ん。孤伯も良いなんていつ言った? 何時何分何秒で〜すか〜?」 「上等だ、こんジジイ! 今日こそはケリ着けたる! 表出ろや表!」 「ところで、アペイロンはまだ目覚めていないのですか?」 「ん〜、まだみたいだねぇ。今回六時に座ってる人、結構頑張ってるみたい」 「でもそのエルザム=シュナイダー、最近行方晦ましちゃってるから。そろそろアペイロンのやつ出て来るかも」 「イルトローデはどうしてるのかなぁ?」 「あいつは駄目駄目。どこで何してるのかさぁ〜っぱり!」 「昔から協調性に乏しい方でしたから」 「……デ、結局要件トイウノハ何ナノダ?」  放っておくととことんまで脱線していきそうな話題を、魔獣が苛立った口調で引き戻した。 「あ、うん。まーね、ちょっとしたニュースニュース」  今にもスコットラウゼに噛み付きそうだった顔を少し顔を引き締めると、孤伯は軽く一呼吸して間を置いた。  彼女なりに重大ぶったつもりらしい。  声のトーンを普段より2段階は落として、それを告げた。 「システム24が、使われるかもしんない」 ■RPGSS■ 超越者たちの密談  孤伯のもたらした重大な報告。  それを聞いた三者の反応は一様だった。 「ふーん」 「それが」 「ドウシタトイウノダ?」 「あ、あり!?」  三者の冷めた反応に、孤伯は思わず素っ頓狂な声を上げる。 「ちょっち冷めすぎじゃない? お姐さん、これ結構大事だと思ったんだけどなぁ?」 「本当カ?」  目を白黒させる孤伯に、魔獣が疑問を投げかける。  と、即座にいつものニヤケ面に戻る女狐。 「いや、あんた達の誰かぐらいは泡食ってくれると思ってたんだけど、アテ外れた」 「……嘘ってことぉ?」  不愉快そうな声をあげたのはスコットラウゼ。  どうでも良い事とは言え、わざわざ嘘を聞かされに出て来たとなれば、それは面白くもない。  のこのこ出向いた事自体が既に騙された様なものだからだ。 「いや、本当は本当。まだ、予測の段階だけどね」  ひらひらと手を振って応じる孤伯。 「次に起きる大戦と関係があるのでしょうか」 「ん〜、まあこのまま行くと、あのハイブリッド坊やがやらかすのは間違い無いところだね」 「我ノ第七層経由での特定定点観測デモ似タヨウナ結果ハ出テイタ」 「あ、本当だぁ。今ざっと演算してみたけど、確かにヤバいよねこりゃ」  各々がそれぞれの方法で孤伯の予測を確認し、頷いた。 「ま、でも結局あたしらには関係無い事だけどね」 「そうですね。わたし達は、既に二十四時ではありませんから」 「それは最初からでしょ。その名前がついたのってずっと後になってじゃん」 「我ラハ、各々既ニ生キ方ヲ定メタ。世界ヲ動カスハ、相応シキ者ドモが勝手ニヤルダロウヨ」 「まあね。それでも、あたしらもココの住人だ」  孤伯の言葉に全員が頷く。これまで微動だにしなかった髑髏の騎士すらが、僅かに首肯した。  最初は二十四人だった。  この世界を開く時に、否、世界が開かれてしまった際にその半数を失い、その後も輩を失った。 「わたし達は、創造者でも超越者でもありません」 「タダ強大ナダケヨ。才ト年月ノ蓄積。ソレダケニ過ギン」 「そこんとこ勘違いしてるやつから死んじゃったよね。  子だって親の好きに出来るわけじゃない。  増してボクらが『生んだ』訳でもない、『生まれてしまった』だけのものなら尚の事だ  ボクらの中でぶっちぎりの天才だったプリンティングがああなって、ガレっちが彼が到達できなかった領域に手を掛けたのも」 「スコッティもね。あんたら、いつまでそうやってるつもりなわけだい?」  孤伯の揶揄とも取れる言葉に、老爺と魔獣は同時に笑った。 「勿論、望みを叶えるまでさ!」 「我ハ無力ナル世界ノ歯車。ナレバコソ我ハ世界ニ挑ム。我ハ超越者ニアラズ。私ハ挑戦者ダ」 「君たちこそ、どうするのぉ?」  スコットラウゼの問いかけに、レイリスと孤伯は顔を見合わせて笑った。 「私は、見守り続けます。そう、決めましたから」 「あたしは好きにやってるわー。せっかくの余生だもの、楽しまなきゃあ損ってもんでしょ」 「なーんだ、あんまり大差なくない? それ」 「そうでしょうか?」 「マ、今日ハコレグライデオ開キトシヨウカ」   ガレヴァントゥーナの言葉に全員が頷き、次の瞬間には全員の姿がそこから消えていた。  万を、或いは億を超える年月の顔なじみにとって別れの挨拶など大した意味も無い。  誰もいない無窮の暗闇で、ただ光る円環だけが歯車のように回り続ける。 (終)