バーチャルバトルナイト 山本智子SS          - Knock The Battle Night Door -      one night - バトルナイトにうってつけの日    その部屋は、闇に包まれており、幾つもの小さな光が、瞬く星の様に点滅を繰り返していた。   そこは、まるで宇宙だった。   点滅を繰り返しているのは、部屋の中心の、人が入る程の大きな卵の様なつるりとした機械と、   そこから無数のケーブルで繋がっている周囲の機械だ。    宇宙の中心――部屋の真ん中の大きな卵には、"神"が居た。   卵は少し透けてはいるが、中にいる神の如く人物の詳細な顔は伺えない。   ただ、機械の中で眠り姫のように、ただ身体を横たえ、呼吸をしている。   男の様にも、女の様にも見える。   ――次は、この子にしよう。   神は、そう、楽しげに呟いた。   彼(又は彼女)の語調に同調するように、周囲の機械は激しく輝く。   それは正しく、夜空の月を中心に星が瞬いている光景そのものだった。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――    21世紀半ば頃、ESTABLISHMENT-A.K.I社(通称EA社)からヴァーチャルバトルナイト(通称VBN)、   というゲームが生み出され、一世を風靡した。   それには、実体感型スポーティバトルアクション、という長たらしいジャンル名が付けられた。   B.I.C.Rと呼ばれるヘルメット型のコントローラを頭に被る事り、仮想空間内でプレイヤー同士が闘う。   シンプルに言えば、それだけのゲームだ。   そこにフィギュアと呼ばれる自らの分身を生み出し、共闘する、といった要素も入る。    このゲームが一世を風靡したのは、長たらしい、商売手が客に斬新なイメージを植え付ける為に付けた、   長たらしいジャンル名の頭についている、実体感、という所にある。   VBNは、B.I.C.Rにより、仮想空間内で実際にバトルを体感できる。   それは、映像がリアルであるとか、そう見える、聞こえる、といった事ではない。   B.I.C.Rがプレイヤーの脳、五感を仮想空間とリンクさせ、そこにプレイヤーを"存在"させる。   仮想空間内で視、触り、歩き、走る事ができるし、殴られれば痛みを感じる。   その中で、プレイヤー同士がフィギュアを駆使し、闘う。   当然、仮想空間内で起こった事は身体に影響はない。   ただ、脳がそう感じているだけだからだ。    人間は年齢性別等によって身体能力に差が出る。   単純に十歳の子供と二十代の人間が取っ組み合いをすれば当然二十代の人間が勝つ。   それでは、ゲームにならない。   その問題を、プレイヤーの身体能力を一定化し、解決した。   それにより、老若男女誰でも楽しめるゲームとして様々な年齢層からも人気を画した。    フィギュアは、本人がイメージした姿・能力を持ち、仮想現実内に生み出される。   攻撃に優れたフィギュア、防御に優れたフィギュア、特異な能力を持つフィギュア。   その容姿も、人型が多いものの、飛行機であったり生物であったり、巨大な怪物であったり、はたまた、   親指程の小さな物も存在する。   フィギュアはテレビゲームのプレイヤーを選択するのとは違い、プレイヤーの数だけ存在する、という事だ。    それらも全て、B.I.C.Rの機能による物だった。   B.I.C.Rは元、突如電子機器業界に現れたEA社がBrain Interface Controler――通称、B.I.Cとして発売した物が、   先駆けだ。   B.I.Cは、ヘルメット型のゲームコントローラーで、脳波を読み取る事により、考えた通りの操作が可能とした。   B.I.Cがあれば手先の技術が必要なゲームも、初心者であってもある程度の技巧をこなせたし、   操作ミスが起きる事もほぼなくなった。   更にはPCに接続する事も可能で、キーボード操作も必要なくなった。   (手動入力馴染めず、B.I.Cを使わない人々も存在した。)   他の会社もそういった物を開発していたが、脳波を正確に読み取り、コントローラー操作の思考とその他の思考を判別、   コントローラー操作の思考のみを読み取り、即座に反映させる事が困難で、成果が上がらず、開発・発案の段階から、   全く進展しなかった。   そんな中、今まで影もなかったEA社が、それを可能とし、更に小型化されたそれを発売した。   (医療機器としては脳波を読み取る機械は存在してはいたが、小型化できていなかったし、脳波を識別、   即座に反映させるような事はできなかった。できたとして、もし市販した所で、   一般人が購入できる値段には納まりきらなかっただろう)   EA社はB.I.C以外は何も販売していなかった。   ただ、B.I.Cと、付属品(端子の変換プラグ等)のみを販売した。   その二つの要因が、話題を呼び六万五千円と高額であったにも関わらず、B.I.Cは売れた。   遅れを取るまいと他社もB.I.Cを研究したが、それはブラックボックスに近かった。   解った事は、どの機械が脳波を読み取るものか、どの機械出力するものか、という程度だった。    それから十数年後、科学の進歩によって、B.I.Cの解析も進み、なんとか、同じものを製作するまでには至った。   なんと、EA社は、B.I.C発売当時から、十数年先の技術を持っていたのだ。   他社はそれに驚愕しながらも、次なる商品をEA社が販売しない事から、我々も追いついたのだ、と確信し、   EA社が独占していた脳波読み取り式コントローラーのシェアを掠め取ろうと画策、様々なデザインの物や、   様々な機能が追加された物を安価(とは言ってもB.I.Cよりは安いというだけだ)で発売。   実際、それは売れた。    しかし、各社がほくそえんだのも束の間、再度驚愕するに至る。    EA社はBrain Interface Controler Real――通称、B.I.C.Rを開発、B.I.C.Rを取り入れたアーケードゲーム、   Virtual Battle Nightを世に生み出した。   脳波の受信、送信を可としたシステム。これは、全くのブラックボックスであり、分解した所で、   誰にも何もわからなかった。複雑だったからではない。B.I.C.Rの中には小さな送信・受信を行っていると思われる、   部品が一つ入っていただけだった。そんな各企業の苦悩をよそに、ヴァーチャルバトルナイト――通称、VBNは、   年齢層関係なく幅広く楽しめるゲームとして、大いに普及した。VBNはどこのゲームセンターにも設置された。   大会等も行われ、盛り上がった。    その影で――何かが、開始された。     ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――   ――ガチャ。    双葉高校校舎の屋上の扉を、双葉高校に通う二年、山本智子は開けた。太陽が彼女を日差しで迎える。   四月はまだ少しだけ、寒かった。不意に風が吹き、彼女のスカートをまくり、ひらひらと揺らめきながら、   スパッツをちらちらと見せた。    彼女は、少し震え、右手に文庫本を持ったまま、制服の上から肩を擦った。    そして屋上に設置された薄緑色の貯水タンクの陰に隠れると、スカートからタバコを取り出して火をつけ、深く吸い込み、   紫煙を吐き出す。煙は、わずかな風に揺られ、ゆらゆらとどこかへ飛び去る。副流煙がそれを追う。    彼女はそれを見届けると、ひんやりしている地面に座り、貯水タンクの足に背をもたれた。    そして、文庫本を開き、目を落とした。文庫本の表紙は白く、青や緑の斑の模様が描かれている。    タイトルは、『ナイン・ストーリーズ』。二十世紀の作家の短編集だ。    中でも、彼女はバナナ好きの魚の話を好み、良く読み返した。でも、内容が意味する事はよくわからなかった。    山本智子(やまもとともこ)は、不良に属する学生だった。   校則で禁じられているのにも関わらず、髪の毛は赤く染めているし、装飾のない金のピアスを左耳から二つ、   ぶら下げていた。別に、校則を破る事が楽しいとか、反抗したいとか、そういった理由ではなく、ただ、そうしたかった。   単にそれだけの理由だ。今、校舎の屋上でセッタを吹かしているのも、ただ、そうしたいからだ。   つまらない授業を受けているより、こうして読書している方が、好きだった。   勉強が嫌いな訳ではなかった。実際、成績は良くはないが悪くもない。   面倒な事はしたくない。したい事をする。それが彼女の生き方だった。   それは格別変わった事でもないし、誰もそう思っている。彼女自身、自分が今そうしているのが特別だとは思っていないし、   教室で授業を受けている皆は、そうしたいからしてるのだろう、と考えていた。    だがあえて、学校へは行き、授業が終わるまでは帰らないのは、一応彼女にも、自分が学生である、という意識があるからだ。   彼女が何を告げるでもなく教室を出て、教師を激昂させてから数十分経ち、四時間目終了のチャイムが鳴り響いた。    今日は土曜日だった。    教室まで戻ると、うすっぺらい鞄の中に文庫本を放り込み、担任が来る前に教室を出る。    HRは授業を受けるより無駄な時間だった。担任から聞く必要のない話を黙って聞かされる等、   彼女には耐えられなかった。(他の多くの生徒にとってもそうだっただろう。)   彼女がのんびりと下駄箱に向けて歩いていると、背後から幾つかの黄色い声が近づき、彼女に、   ――どん   とぶつかった。同時に黄色い声の一つが、小さく悲鳴をあげた。   山本智子は、ゆっくり振り返った。    「あ、ご、ごめんなさい」    怯えた声で、彼女の背中に顔を突っ込んだ女子生徒が謝罪を述べる。その他の女子生徒も、オロオロとしながら、   彼女と智子を見比べていた。   ――見慣れない顔。一年生か。こんなに早くHRを終える担任もいるんだな。    「別に――」    彼女が口を開くと、女子生徒たちは身を引いた。   山本智子は身長が175cmと女性の割りに高く、モデルのようにスレンダーな体型をしていた。   まだ発育中の普通の女子と向き合うと、見下ろす形になる。更に鋭い切れ目の彼女は、彼女の意思は別にして、   相手を威圧しているように見えた。    同級生の男子であっても、彼女を怖がって視線を合わせようとしない。不良、というレッテルがさらに彼女を、   恐怖の対象にしていた。   ――別に噛みついたりはしないのに。    彼女にとっては、不良のレッテルも赤い髪もピアスも切れ目も高い身長も、ただ、それだけの事に過ぎなかったし、   何故そこまで恐れる必要があるのか理解できなかった。 「別に、いいよ」    彼女は女子生徒達から視線を外しながら言うと、下駄箱へ向かった。   靴を履き替え、町に向かう。ゲームセンターへ行く、さらには巷で流行している、バーチャルバトルナイト――VBNをプレイする為だ。   つまる所、彼女もプレイヤーの一人だ。最近始めたという事もあるし、いわゆるゲーマー、   と呼ばれるほど頻繁にプレイする訳ではないが、元、運動神経や反射神経が良く、身体を使い慣れているのと、   感の鋭さで、プレイヤーとしてそこそこ強かった。   少なくとも今の所、六、七割の勝率を誇っている。VBNは身体を直接動かす訳ではないし、   身体能力はある程度平均値化されているとは言え、やはり身体を動かしなれているか否かでは格段に差が出た。    彼女は不良ではあったが、決して根性が曲がっているとか精神的に屈折している訳ではなく、正義感が強い。   苛めやカツ上げ、一方的な暴力、兎角、そういった物が嫌いだった。そういった場面に遭遇すれば、必ず相手を打ちのめした。   その性格の為に、不良達から狙われ、喧嘩になる事も良くあった。それが彼女の喧嘩――動き慣れしている理由である。   彼女の正義感は、暴力を振るわれている弱者への庇護というより、暴力を振るっている強者を見るのが嫌いだからだ。   彼女の父親が母親に暴力を振るっていた事が少なからずとも関係していると思われる。   暴力を振るっている相手を打ちのめす、とは言っても漫画の主人公のように爽快に勝利する訳ではなく、   体中に傷や痣を作りながらも、最終的には根気で勝つ。しかし、仲裁や救済に入った時でもなければ、   割とすぐに逃げ出す事もあった。彼女は身体を動かすのは好きだったが喧嘩好きという訳ではないし、   理由が無ければ出来るだけ喧嘩を避けた。というより、避けざるを得なかった。   大抵、喧嘩の相手は男だ。幾ら彼女の身長が高いとは言え、狩る準備をしている男達相手には、   幾ら根性があろうとも勝ち目はない。仲裁に入る時は大方、不意打ちを食らわす所から始めた。   それでも一人、二人戦意を喪失させる事ができれば上出来だ。後は、彼女自身の運動能力と、感、根性、   そしてなにより運が彼女に勝利を導いた。    そんな事情もあり、彼女はある程度喧嘩慣れしていた。    彼女がゲームセンターに入ると、いつも通り、VBNのアーケードの前には人だかりができていて、   皆、ゲームの状況が出力されているテレビ画面に目が釘付けだった。盛り上がっているのとは少し違った、   少し冷めた雰囲気が漂っていた。   彼女も、画面に目をやった。       画面内で対峙する二人の実力差は歴然だった。一人は、二十歳前後に見える男性で、   長身美男子、ストリート系ファッションに身を包み、散弾銃を武器としていた。死神を模したフィギュアを使役している。    もう一人は、学生服を着た高校生で、剣を武器とし、オーソドックスな、剣を持つ騎士姿のフィギュアを使役している。   前者が明らかに優勢だった。というより、後者は動きがたどたどしく、動き方に迷いがある様子だった。   明らかに、後者は初心者だった。前者は、揚々と後者を、散弾銃と死神を使い、追い詰めている。   ――初心者狩りか。   初心者狩り、とはその名の通り、まだ不慣れな相手を、狙う熟練者の事を指す。   ゲームをプレイする事で、ポイントを入手できる。そのポイントを使って、自身やフィギュアを強化する事が可能だ。    しかし、ゲームで敗北するとわずかしか入手できないし、例え勝利しても得られるポイントはそう多くはない。   負ける可能性のある同レベルのプレイヤーを相手にするより、ほぼ確実に勝てる初心者を相手にした方が、   効率は良い。だが、それは暗黙の了解として、しないのがプレイヤー達の理念の中にあった。   しかし、それを気にも留めない卑劣なプレイヤーも存在する。   初心者狩りの男は、屑原雅人(くずはらまさと)といい、プレイヤーとして有能で地元では有名だが、   初心者狩りを楽しむ、マナーの無いプレイヤーとしても有名だった。   (彼女は、偶然VBNに巡り合い、プレイを始めてから日が浅く、彼の存在を知ったのは今日が始めてだった)   ――何が楽しいんだ。   誰もが、そう思っているだろう。彼女は、軽快な声を上げながら怯える初心者を狩っている屑原雅人に対し、   怒りに拳を振るわせていた。    初心者はあたふたとしている間に、フィギュアごと死神――屑原雅人のフィギュア、デスサイズ――の鎌に狩り取られる。   騎士のフィギュアは姿を消し、初心者は仰向けに倒れる。 『Knock out!"戦意喪失!"』   ゲームにプログラムされた女性オペレータの声が、雅人の勝利を宣言した。    ゲームをプレイするには、マッサージチェアーのような大きな椅子に座って、設置されているヘルメット、   B.I.C.Rを被る。雅人は意気揚々とヘルメットを外し、立ち上がったのに対し、初心者の青年は、うつむき加減で、   ため息混じりにゆっくりとヘルメットを外す。その落胆振りは、まるで塩漬けにされて水分をなくした、青菜の様だ。    智子は、初心者狩りの男をぶちのめしてやりたかったが、これは所詮ゲームだ。ぶちのめす――Knock outさせるならば、   ゲームの中でだ。彼女は、雅人とのバトルの機会を伺ったが、そのままプレイする事もなく、彼はゲームセンターを後にした。   彼女も、興が冷めてしまったので、プレイせずにゲームセンターを後にした。    山本智子は、その外見から、年齢より年上に、成人に見られる事が多かった。老けてはないが、身長と顔立ちから、   大人びて見えるのだった。彼女はその日の夜、煙草を購入する為に、コンビニへ足を向けていた。未成年の彼女が、   セッタを一つ、と言っているのに疑問を持つ事もなく、店員はセッタをレジから渡し、金を受け取った。   自販機で煙草を購入するには成人である事を示すカードが必要だったし、共に暮らしている母親は煙草を吸わなかった。   彼女が喫煙している事については、知っていながらも特に咎める様子はなかったが、流石に、   未成年の娘に煙草を買わせ易くする為にそのタバコを購入する為のカードを入手はしないだろう。    コンビニから出ると、彼女は、タバコに火をつけ、夜道を歩き始める。彼女が暮らしている辺りは住宅街で、   車通りも人通りもそれ程無く、店も無い。夜にもなれば、薄暗く、少し気味が悪かった。   彼女にとっては、通りなれた道だったし、別段気にする事でもなかった。   ――なんだろう。   唐突に、声が聞こえた気がして、彼女は辺りを見回した。   耳を澄ますと、女性の声の様だった。彼女の歩く歩道の右手側にある、公園から聞こえてきていた。   悲鳴とまではいかないものの、何か嫌がっている声だ。    すぐさま彼女は、公園内に足を踏み入れ、声の主を探す。それはすぐに見つかった。   スーツを着た女性が、男に絡まれていた。女性が嫌がっているのに構わず、ちょっとうちにおいでよ、何もしないから、   としきりに繰り返している。何故夜の公園なんかにあの女性はいるのか、と智子は少し疑問に思ったが、   恐らく、家までの近道だったのだろうと自己完結させると、相手の男を見た。中年で、どうやら酔っ払っているらしい。   ――真正面から一発で終わりそうだな。   そう判断し、二人に近づこうとした時だった。 「おいおいオッサン、おねえさん、嫌がってるじゃない」    また一人、男が姿を表す。長身、ストリート系ファッション――智子には、見覚えがあった。   ――昼間の、初心者狩りか。   智子は、初心者狩り等をするあの男は余程、屈折している人間なんだろうと考えていたが、女性を助けに入ったのを見て、   少し見直した。女性は少しほ、とした表情を見せ、中年の酔っ払いは、   邪魔に入った屑原雅人へ食らいつかんばかりに不機嫌な表情を向ける。   んだぁ、と呂律の回らない舌で酔っ払いは雅人に対して啖呵を切る。単に邪魔されただけでなく、雅人の、   整った顔立ちも気に食わない。 「くせぇよ、おっさん」   雅人の言葉に、酔っ払いは理解不能な言葉を吐きつけながら殴りかかった。   しかし雅人は避けようともしない。酔っ払いの拳が雅人に近づく。   次の瞬間の事だった。    鎌を携えた死神が雅人の傍らに出現し、酔っ払いを肩口から腹にかけて切り裂いた。ずば、と酔っ払いの服が裂け、   胸が曝け出された。酔っ払いは、悲鳴をあげ、身体を抱えて転げまわる。智子は何が起きているのか理解できなかった。   ――あの死神は、初心者狩り男の、フィギュアだ。それはわかる。それが、何故、今ここに視えているのだ。   智子は、細い切れ目を玉のように丸くし、目の前で起きている事を凝視していた。   目の前の出来事の、妙な点は、死神の存在それ自体だけではなかった。    「ぎゃあぎゃあ五月蝿え、早く消えちまいなよ」   そう言って雅人は酔っ払いの尻を蹴飛ばした。酔っ払いはひぃと情けない声を上げながら、走り去る。   助けられた女性は、ありがとうございました、と雅人に頭を下げた。雅人は女性の手を取り、引いた。 「助けてあげたんだから、お礼くらいしてくれるよね。ちょっと付き合ってよ」   ――ミイラ取りがミイラになってどうする。   女性は、困ります、と言って手を振り解こうとする。雅人は手を離そうとしない。 「何言ってんだ。危ない所を助けてやったのに、恩を返さないつもりかよ」    妙な点は、死神の存在だけではない。まず、あれだけ大きな鎌で切られた酔っ払いは、   かなりの苦痛を味わってはいたが、見た所、血は一滴も出ていなかったし、走り去るだけの余力があった。   どう考えても、あんな鎌で袈裟斬りにされれば、胸部が避け、大量に出血し、死に至る。   酔っ払いが感じていた苦痛、叫び声はそれに匹敵する程ではあったが、現に生きていた。    ゲームに準じている事に智子は気がついた。VBNでは、例えば、フィギュアの武器でプレイヤーを傷つけても、   血は出ないし、身体が欠損したりはしない。外見的には、衣装が切断されるだけだ。   フィギュアは、プレイヤーを除く物全てに対しては、物理的にダメージを与える。   (ただし、ゲーム内では裸になる事はない。寧ろ、出来ない、と言った方が正しい。衣服の下に強制的に装着される、   専用のボディースーツだけは、脱ぐ事も傷つける事もできない。)    ここはゲーム内ではない。だから、専用ボディースーツを着用していない酔っ払いが服だけ切断され、   肌を晒したのはある意味、正しい。だが、そもそも、ゲーム内ではないのに、死神が存在する、という事実が、   一番在り得なかった。   ――夢でも見てるの?    智子は、太ももを強くつねって見たが、夢が覚める気配はなく、死神は存在していた。   妙なのは、もう一つ。酔っ払いも、女性も、死神を見て、何も反応がなかった。酔っ払いの方は、   斬られる一瞬目に入っただけで、しっかりと見えていなかったし、何せ、酔っ払っていた、それで片付けられる。   しかし、女性の方はどうだろう。今現在、死神は目の前にいるというのに、無反応だ。雅人の強引な誘いに、ただ、   手を引いているだけだ。つまり、雅人本人を除く人間の中では、智子にしか、死神は見えていなかった。    女性は、なんとか雅人の手を振り解くと、公園から立ち去った。雅人は、ち、と詰らなさそうに舌打ちした。   そして、呆然と立ち尽くす智子を発見すると、笑顔を戻し、歩み寄り、まるで友人に出会ったかのように手を上げた。   勿論、死神――Death Scythe"至らしめる鎌"をつれて。 「あちゃー、カッコイイとこ見せちまったかな?」    雅人はわざとらしく照れながら言う。    智子は、どう対処すべきか困惑していた。女性を助けたかのように見せて強引に誘いをかける、   やはり屈折していると思われるこの男を、打ちのめすか。しかし言ってみれば何事もなかった訳で、わざわざ喧嘩をする事もない。    智子は近づく死神に目を奪われながら、考えていた。    そうしている間に、雅人と死神は彼女の目の前まで歩いてきていた。    智子は女性にしては高身長だったが、雅人はさらに身長が高く(180cm以上あるだろう)、   彼は少し彼女を見下ろす形で立ち止まり、独り言のように言った。 「やっぱりそうじゃん、モロ俺の好み。身長が高いのも、胸が小さいのも――」   ――殺す。    雅人は、げぅ、と蛙を潰したような悲鳴を上げた。彼の顔には、智子の拳がめり込んでいた。   高身長である事を胸が小さい事が惹き立て彼女を格好よく見せているが、彼女にとって高身長と小さな胸は、   コンプレックスだった。特に、胸は。 「誰の胸が小さすぎて背中まで透けて見えるだとォッ!!」    そのコンプレックスは彼女の母親が、低身長で胸が大きいのが少なからず関係している。   それについて今は語らない。兎角、彼女は小さな胸について指摘されると我を失う事が多々あった。   口の中を切ったのか、血を吐き出し、雅人は彼女を睨み付けた。 「そんな事言ってねぇだろ!いきなり殴りやがって、女とは言え許さねぇ!!」    彼女は殺気を感じ、飛びのいた。"至らしめる鎌"が、彼女が数秒前まで居たところを切り裂いた。それは、   彼女の着ていた、鯉が描かれたスカジャンをを少し、切り裂くだけに至った。彼女の判断、行動が一つでも狂っていれば、   間違いなく、死神の鎌は衣服ごと――彼女を切り裂いていた。    しかし、咄嗟の事で、彼女は蹴躓き、尻餅をついた。    彼女の咄嗟の行動に、雅人は驚いた。自ら拳を放って避けられたのではなく、誰にも見えぬ筈のフィギュアの攻撃を、   避けられたからだ。尻餅を付き、こちらを見ている彼女の視線は、彼自身ではなく、死神を見ている。それを見て、   ようやく気付く。この女には、コレが見えているという事に。自分以外に見える人間がいた事には驚きだったが、   今から自分が行う事には無関係だった。むしろ、秘密を知る仲間がいた事が、少し愉快だった。 「アンタにも見えるんだなぁ、コレ。じゃあ尚更、放っとく訳にもいかねぇ。  裸にひん剥いて、ヒイヒイ言わせてやるよ」    ヒイと馬の様に啼くのはお前だ、と彼女は言い返そうとした。    しかし、彼女の口が動くより早く、彼の死神が鎌を振り下ろした。    智子は、それを防ぐ方法はなかった。尻餅をついた体勢から避ける事はできないし、武器を所持している訳でもない。   彼女は、無駄と知りつつも、迫り来る鎌に手を伸ばした。    次の瞬間、ひゅうと風を切るように彼女の背後から手が伸び、鎌の柄を、しかりと握り止めた。    それは、彼女が最も知っている、腕だった。 「フィギュア!?」    雅人が目を見開く。彼女の背後から現れ、鎌を掴んでいるのは、全体的に銀色で機械的に見えるが、   どこか有機的な印象も与える、人型の何か。体格や顔立ちは智子に似ていて、どこかしら中性的だった。   何より特徴的なのは、両肘、両手首、えんずい辺りから飛び出たドアノブと、胸の中心に埋め込まれている、   鉄の扉だった。    これこそ、彼女の操るフィギュア、THE DOOR"扉"だった。    雅人以上に、智子は驚きながらも、認識した。自分も、フィギュアを現実世界でも使えるらしい。   彼女は、眼前で呆然とするPuppeteer"人形遣い"(VBNプレイヤーの俗称)をKnock out"戦意喪失"させる事を決めた。 「いくぞ、THE DOOR"扉"!」    "扉"は主に応え、ファイティングポーズを取った。    "扉"は、拳を放つ。死神は後退して避け、雅人は一目散に走り、背後の大きな象を模した滑り台の影に隠れた。   ――なんだ、唯の腰抜けじゃないか。   彼女は隠れた雅人を見て思った。そんな弱腰の相手なら、楽に勝てる。   死神が、鎌を振り下ろす。"扉"はそれを避け、拳を放つ。   フィギュアと人形遣いは一心同体だ。フィギュアが傷つけば、人形遣い自身も傷つく。   このまま死神を打ちのめせ"Knock out"ば、いいだけだ。彼女が慢心しかけた時、チャコと何かを引く音、次に、   パ、という発射音が耳に入った。   彼女は"扉"に放った拳を引かせ、防御の体勢を取る。痛みと共に、散弾による面攻撃を弾き飛ばした。   雅人が象の影から発射した散弾銃による攻撃だった。それに追い討ちをかけるように、死神が鎌を振り下ろす。   智子は左に飛びのき、鎌から逃れる。そこへ、散弾銃がまた襲い掛かる。空中で防御の体勢を取るが、   弾の衝撃で、後方に吹き飛ばされ、草むらの中へ放り込まれ枝を折りながら背中で着地した。    背中の痛みに応える前に、智子は象に向かって走り出す。背後からは死神が追ってきている。   そして、正面からは、雅人が散弾銃を構え、発射していた。パ、と乾いた音が響く。   その時既に、智子は雅人の立つ位置から5m程の所まで接近してる。    智子は、"扉"に右、左と二回拳を虚空に向けて振らせた。 「ガチャッ」    拳を振るった場所に扉が二つ出現し、開いた。   彼女のフィギュア、"扉"は、拳を振るった場所同士を扉で繋ぎ、行き来する、という能力を持っていた。   扉のストックは五つまで、智子の肉眼ではっきりと見える範囲まで、という能力の制限がある。   扉は開いたが、特に何が起きるでもなく、撃たれ、地面を転がった。そこに死神が追い討ちをかける。   彼女は痛みを堪え、地面を転がり、鎌を避けた。 「なんだ、その扉は。もしかして、拳を振った場所同士を繋げて、移動する事でもできんか?  けどよ、どうして移動せずにただ空間をつなげたんだ?  もしかして、ショットガンの弾を一つ目の扉に通し、二つ目の扉を逆側に開いて、俺に向けて飛ばそう、とでも考えたのか?  そんな事ができたなら、ちょっとやばかったが、全く無意味だったな。残念ながら、どうあがいても俺が勝つんだよ!」    熟練された人形遣いなだけあって、雅人の観察眼は鋭かった。確かに智子は、彼が言った通りの事を考え、   空間を繋げた。彼女自身、そんな使い方をした事はなく、一つの賭けだった。それも徒労に終わったのだが。   智子は雅人の言葉に答えず、公園に設置されたゴミ箱へ向かって走る。死神と散弾銃がそれを追う。   乾いた音と共に彼女の背後から、散弾銃が襲う。一目散に駆ける智子と逆に、"扉"は彼女の背後に張り付きながら、   防御の姿勢をとり、散弾銃の攻撃を受け、弾き飛ばす。走っている事と距離があいている事からか、   さほどのダメージには成り得なかった。智子はゴミ箱の前まで到達すると、それを"扉"に持ち上げさせ、   雅人に向けて放り投げ、その後を追う。雅人は智子を視界から隠しながら飛来するゴミ箱に向けて散弾銃を発射する。   重いとは言え、ゴミ箱は散弾銃を受け、飛ぶ力を失い、後を追う智子に直撃しかけるが、"扉"が思い切りそれを殴り飛ばし、   雅人へ一直線にゴミ箱を飛ばした。雅人は、うおお、と軽く悲鳴を上げ、その場から飛びのいた。    ずがん、と鈍い音を立て、ゴミ箱は地面を転がる。その背後から、智子と"扉"は姿を現す。    "扉"は雅人に向けて拳を放つが、至近距離から、既に構えられていた散弾銃で撃たれ、智子と共に後方へ倒れこんだ。   背後からは、死神が迫っている。智子は地面を転がりながら"扉"に虚空を殴らせ、扉を開いてその中へ飛び込む。   死神は鎌を振り下ろす、と同時に智子は扉の向こう、先ほど、散弾銃が扉をくぐるか、実験する為に殴りつけた空間へ、   扉をつなげて飛び出した。    「ぐゥっ」    智子は、地面にひざをついて呻く。    死神の鎌は、彼女を背中から切り裂き、素肌を晒させていた。血は流れていないが、彼女の背中には、   肩口から腰にかけて、赤い蚯蚓腫れが浮き出ていた。"扉"の背中は、彼女が斬られたのと同じ位置が、大きく裂けている。    フィギュアは、人形遣いのただの人形のようでいて、深い、魂に近い所で繋がっている。フィギュアが傷つけば、   人形遣いも傷つくし、人形遣いが傷つけば、フィギュアも傷つく。一心同体の存在だった。    相変わらず、雅人は距離を取ったまま、散弾銃を構えた。死神は、最後の一撃を加え、   智子をKnock out"戦意喪失"させる為に、近寄る。 「これで最後だなァ。俺の彼女になってもらうぜッ!!」    死神が鎌を構え、近づく。    その最中、彼女は微笑った。   ――律儀な男だ。手篭めにするつもりなのかと思えば、彼女にするつもりだったのか。    死神は彼女へ十分接近し、鎌を振り降ろす。 「ガチャ――」    死神と彼女の間に扉が出現し、開く。と同時に、雅人の正面に扉が出現し、開いた。 「ぐぎゃぁああっ!!」    雅人は、扉越しから自身の死神に切り裂かれ、身体を抱えて転げまわった。    智子はゆっくりと立ち上がる。    ガチャ、と死神が通った扉と同じ扉を再度開き、彼の袂に立ち、見下ろした。    恨みがましい目で、雅人は智子を睨み付ける。 「なんでだァ、攻撃は通らないんじゃァないのかよォッ!」 「お前の――人形遣い自身の攻撃は確かに、素通りした。  だが、死神、フィギュアの攻撃は通るんだ。現に、扉を跨いでお前の死神は、私を切り裂いた。  まぁ――お前には扉しか見えてなかっただろうけど」    "扉"が出現させた扉は、視界を塞ぐ。彼女は散弾銃を至近距離から受けた後、鎌から逃げる(ように見せかけた)時、   雅人に向けて拳を振るい、扉を出現させて視界を塞ぎ、空間を繋いだ。すぐさま扉に飛び込み、彼女は自身の身を以って、   実験した。扉の向こうに、フィギュアの攻撃は通るか否かを。見えていない雅人には、彼女は斬られ、   扉を開けて逃げたかのように見えて――否、そう勝手に認識していた。 「お前は、バナナフィッシュだ」   智子は雅人に向けて言った。 「何――?」 「バナナフィッシュは、甘いバナナが大好きなんだ。目の前にバナナがあると、見境なくすべて喰らう。  そして、バナナ熱にかかって、死ぬ」 「だからどうしたってんだよッ!」 「ポイント欲しさに、簡単に狩れる初心者、甘い初心者ばかりを狩っているから、腕が鈍る。勘が鈍る。  人形遣いとしての腕はお前の方が上だっていうのに、負けたのはその所為だ。  例え扉が視界を塞いで何が起こっているかわからなくても、どうなっていたか想像する事くらいはできた。  可能性を見つけ出せた。でも、鈍ったお前の勘はそれを察知できなかった。   偶には辛い物を食べないと、舌が鈍る。これに懲りたら、初心者狩りなんて畜生みたいな真似はやめる事だ」 「誰が畜生だ、このプチムネ――」    雅人は、悔し紛れに、彼女が怒るとわかっていながら、その言葉を吐こうとした。   しかし、言い終える前に、"扉"の拳は雅人を捕らえた。 『Knock Knock Knock Knock Knock Knock Knock Knock Knock Knock!!Knock the Door!!!』    目にも留まらない速さで、"扉"は拳を連打し、雅人は顔をゆがませながら後方に飛び、背後の木にぶつかり、   顔から地面にどざ、と落ちた。そして、死神は姿を消した。   ――屑原雅人、Knock out"戦意喪失"。    後日、学校が終わってから放課後、山本智子はゲームセンターへ足を向けた。矢張り、VBNをプレイする為だ。   休日で、やたら混んでいるゲームセンターに彼女は入り、VBNのアーケードの場所まで歩く。 「あ、姐さん!」    智子は声をかけられ、振り返った。そこに立っていたのは、長身で、ストリート系ファッションに身を包む、   屑原雅人だった。 「俺、初心者狩り辞めましたよ。姐さん...あれ?コスプレ?制服でも似合ってる、全然違和感ないなぁ」    雅人は彼女の制服姿を見て、媚びるように、言った。 「...誰がコスプレしてるんだ。これは制服。大体、年下に対して姐さんはないだろ」    雅人は、彼女の言葉を聞いて身を引き、大げさに固まった。 「...姐さん、女子高生だったんすか?」 「当たり前だろう。馬鹿か、お前は」    智子は、年上の、勘の悪い男に対して、ため息を着いた。    その日から、雅人は年下である事を知りながらも、彼女を姐さん、と呼び、ついて回るようになった。   当然、付き合っている訳でもないし、智子にとって雅人は好みのタイプではなかったが、外見の良い男に付きまとわれるのは、   そこまで悪い気分ではないな、と彼女は思った。    ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――   ――やっぱり面白くなりそうだ。   暗闇の中で、神は呟いた。 ―――END