二十二人の魔王〜いつかの魔同盟集会〜  中原に覇を称える皇国より北、卑国地域を過ぎて、北部大陸との陸を断つ海。その洋上 はとても穏やかである。  理由のひとつは水温の低さだ。それ故に南海ほどには様々な(特に巨大な)水棲魔物が 存在しない。かなり西へ行けばロンドニア暖流との交差海域があり、そこは良い漁場であ るのだが、この一帯は挟陸海流と呼ばれる寒流で通常の魚もそう多くはない。ちなみに卑 国地域が冬季の東国などに比べて、温度の割に雪が珍しいのもこの寒流が乾燥をもたらし ているからである。  もうひとつは今の季節が冬に差し掛かりつつある事だ。北部大陸側の不凍港はベージェ ンとアーレスンの二つに限られる為、当然ながら人の船の行き来は不活性化する。また、 卑国地域の人間は聖教会により異端認定を受けたいわゆるトランギドール派の残滓が強く、 その教えの影響で冬の海には出たがらない。  そもそもここは正確には内海である。  そいうわけで現在人が『地狭海』と呼ぶ海はいたって静かだった。  時刻は深夜。冷えた空気の中で星たちと月と月だけが青白く輝き、波だけがゆっくりと うねっていく。  ただひたすらに静かに、海の夜が過ぎていく。  それが  夜の沈黙が、海の群青が、突如割れた。  轟音と共に水柱があがる。否、数百メートルも横に続くそれは柱というより壁の様相だ ろう。そこに居た生物は例外なく消し飛び、剥き出した海底には同時に亀裂が刻み込まれ ている。  それは、そう、何かで斬撃したかのような。  世界の理のままに水は下へと落ち、割れた海は閉じて裸の海底は水をまとい直した。殺 到した水がうねりを上げて、海流が一時的に断線する。  突如として荒れ狂う海。その果ての中空にひとつの影が浮いていた。 「どういうつもりか聞かせて貰おうか」  その影の表面は黒く、月の光を照り返して光っていた。深紅のマントが影の体躯を越え て何メートルも垂れ下がっている。両手には巨大な剛剣二本。片方が水に濡れていた。  この影が海を斬ったのだ。  影の名はイツォルと言う。  世にて魔王と呼ばれる存在の中でも特別な存在である事象存在『魔同盟』が一枚。『皇 帝』の名を持つ冥王である。 「どう、と聞かれても」  彼がねめつける先にいる者は、わざとらしく頬を掻く仕草を見せた。同じく宙に居るそ の者の背中には翼が見えるが、地に立つように静止しているのとその翼は特に関係がない ようだ。実際それは羽ばたいてすらいない。 「私は単に正しい事をしているに過ぎない」 「ふざけるか、ロイランス。禅問答をする気はないぞ」  そう呼ばれて、翼の者――『正義』ロイランスは目を細めた。 「私は誠実に答えてやったつもりだよ、『皇帝』。為すべきことをしているだけだと、そ う言っているのだ。何か問題があるのか?」 「無いと思っているのか」 「まあ、まあ、まあ、まあ、まあ」  三つ目の声が、割って入る。  その言葉の主は口論する二人と違っていかにもただの人間だった。黒い礼服を崩して着 こなしているその男は見目に二十代中ごろと言ったところか。片腕に嵌められた銀の篭手 と両腰の二剣の輝きだけが異様で、それが男を何とか先の二名と同じような存在だと知ら せている。  『世界』――ジェイド=T・I・S・A=ルベール。彼もまた魔王の名で呼ばれる。 「その話をするためにこうやって集会を開いてるんでしょうが。全員集まってから喋れば いいじゃない」 「フン、全員ね。一体何人来る事やら」  魔同盟の集会には欠席者が多い。元々繋がりが薄いためサボる魔王が大半なのだ。それ がいつもだからジェイドの言葉をイツォルは鼻で笑い、だがそこに五人が現れた。 「あ、とりあえず……僕は来てます、けど……あ、いえ……」 「ヒュ〜ゥ♪ロイランス来てるよ〜マジかよ〜ォ。クヒッヒヒヒッ、マジウケるぜこれ」  少年が二人。  おずおずと歯切れの悪く切り出したのは『節制』コウ=ツシ=ギコウト。十代後半の少 年にしか見えない彼は実際ただの少年である。ただし異界から来たその身はなぜか生死を 入れ替える力を持ち、だから彼は間違いなく魔王であった。真っ黒で襟の立った、元の世 界にて『学ラン』と呼ばれる服をいつまでも着ている。  その横で白い手袋をした手をバンバン叩きながらゲラゲラ笑っている褐色の少年は、さ らに若く十代前半に見えた。だがこの『恋人』エト=エーノの方は既に数百年を生きてい るが。 「俺様まで呼んで一体何だというんだ?この辺は夜だからいいかもしれんが、こっちはこ れから愚民どもが怠惰に過ごすようにパンとサーカスを用意してやる必要があるのだ」  美しい金髪をかきあげながら尊大に不平を並べる美男子は『悪魔』アドルファスだ。 「相相変変わわららずずややっっててんんのの?」  彼のことを呆れた表情で見る『魔術師』ルシャナーナはやっといかにも魔王な風貌だっ た。巨大な男の頭からダークエルフの少女が生えているという、その異様な姿で、二つの 口から同時に発せられる言葉が、異音を奏でていた。  とはいえそれは、ベラベラと自分の統治手段について並べている男には全く届いていな いようだったが。 「とりあえずこれで九人ですね」 「九人?」  現れた五人の最後の一人、騎士姿の青年『愚者』フィリア=ペドにロイランスは問い返 した。 「はい。『月』が居ますから」  言ってフィリアは下を――つまり海を指す。ロイランスやジェイドがその指先に導かれ て足元へ視線を移すと、海面下にうごめく何かがあった。 「……だからこの場所を指定したわけか」  『月』エルミューダと呼ばれる巨大なアメーバ状の生物を見下ろし、イツォルは嘆息し た。どうせ喋りもしなければ意見も出さない『それ』も出席という事にする為だけにこの 場所に集まった事を知り、阿呆らしくてしょうがないのだ。 「まあそれはよかろう。だがロイランスを除けばまだ大体来る面子ではないか」 「ま、ボクたちってまだ真面目なほうだからねェ〜、っつっか、マジなんで居るの?ねぇ なんで居るのロイランスってば!やっべえよウケるよ〜」 「私としては一々出たくはなかったのだがね」  実際エトが一人ウケしている通りロイランスは殆ど集会には顔を見せない側だった。逆 にイツォルが言うように他は大体出席率の高い面子だ。フィリア、ジェイドに至ってはそ もそも集会の幹事役と連絡役であり、コウも連絡がちゃんと行っている限りはほぼ出席し ている。 「おう、遅れちまったヨ」  と、そこに光が滑るようにして飛んでくる。外套をほうき星の尾のごとく引いて『星』 ヴァニティスタは九人の前で急停止した。 「ヴァっさんジャ〜ン。何今の目立ちすぎだぜアヒャヒャヒャ。ありえね、ありえね〜」 「エトかヨ、っつーかアレ?イツォル居ンのにユリエータいねェーの?」 「眩しかったぞヴァニティスタ。ユリエータなら後から来るそうだ」  兜の中で光る目を細め、イツォルは再度嘆息した。それを見るなりエトがニヤニヤと笑 いを浮かべ 「あ、何よまだどうもしてねェわけ?も〜イーじゃん迫られてるんなら一発二発ヤっちゃ えよオッサンよおぉお〜。ババアだが悪い体はしてなかったジャン?それかこっちで切ろ うか?」  指で鋏のジェスチャーをしてみせる。その意味するところはまさしく『恋人』としての 力の行使だ。 「誰がババアだって?」 「ああああ、ユユリリエエーータタ久久ししぶぶりり」 「あ、え?あ〜、いや〜ババア?ん?何が?ボクは知……いでっ」  エトの背後から声をかけたのは引き締まった緑色の肌を持つ女性だった。オウガながら 飛びぬけた美貌を持ち、巨斧を手にした彼女が『女帝』ユリエータである。  ユリエータは無駄な誤魔化しをするエトの頭をはたいて、ちゃっかりイツォルの横につ く。イツォルは特に何も反応しない。 「これでやっと半分か。どうせもう来ないのではないか?」 「いや、今回は普段来ない面子には連絡じゃなくて俺が直接呼びに行ったからね。さすが に来るはずだが……そういえばどうなんだそっちの国の調子は」 「ん?ふっ、当然上手く行っているに決まっておろう。このところはな、仕事をしていな い愚民どもを集め、わざわざ川から水を引いてくる為の道を作らせたぞ。水なんぞ魔法で 出したほうが早いというのにな!さらに耕作地を三つに分けて一つは耕作させないという 微妙な意地悪もしてみた。クックック、これで奴らの生産能力は三分の二に減少だ!つい でに同じ作物は作らせないと強制してもいる。楽はさせずわざわざ四種を作り回さねばな らんのさ」  帰る、と言い出しそうなアドルファスの気を逸らそうとジェイドが放った一言は十分な 成果を上げた。アドルファスは雨あられと喋り続ける。 (それは灌漑じゃないですか。公共事業ですよ。普通の人はさすがにそんなポンポン水は 出せませんよ。っていうか三圃式農業と四種転作まで広めてるじゃないですか)  と、横で聞いていたコウは思ったが何も言わない。ジェイドと違って社交的に次々に相 槌を打つ甲斐性もないし、多弁なアドルファスが苦手だった。とりあえず元々魔法の存在 のせいであまり進んで居なかったこの世界の農耕技術に革命が起きてしまったという事実 は聞かなかった事にする。 (……さて、どうしよう)  基本はただの少年だということもあって正直コウは魔同盟では浮いており、あまり反り の合う相手というのがいない。とはいえ暇は暇で、面倒見のいいジェイドはアドルファス にかかりっきりなので、困って周りを見渡した。  やはり比較的落ち着いていて見た目も殆どただの人間であるフィリアの方へ行こう、と 空中を一歩踏み出したところで目の前が暗くなる。同時にぼふんという柔らかい音を聞い た。 「こんばんわ。コウ様」  続いてかけられた声で、コウはすぐに状況を悟った。声の主は『剛毅』クレメンスであ る。でもって自分が触れているのは彼女の胸部に存在する脂肪分である。  惚れっぽい彼女は今コウに熱を上げている。  嫌われるより好まれる方がいいにはいい。とはいえ、やはり得意不得意というものが人 には存在する。  離れよう、としたが先に彼女の腕がコウの首に回されてしまった。こうなると振り払っ て離れるとなるとかなり失礼な事になってしまうのでコウとしては離れづらい。しかも彼 女の執念深さは折り紙つきだ。しつこい、という事が極まって魔王になったようなものな のだから。故にこそ彼女は剛毅――意思の力の魔王であり、それを知っている以上下手は 打ちたくない。 「ふぁご」 「あら、ふふ、これは失礼を」  とりあえず声を出してみた。口元が不自由なのだから当然変な声しか出なかったが、そ れでクレメンスは顔を離してくれた。  が、一息ついたところでコウの口は再び不自由となる。  クレメンスの唇で。 「ん―――!?」  などとやっていても別に周りの魔王たちは特に何も気にせず各自だらだらと喋っていた。  誰も彼も惚れた腫れただのなんだのに構うほど青いわけはなく、まあ人のいいフィリア はコウを見て苦笑していたし、ロイランスとイツォルは先ほどから黙っていたが。  その周囲を黒い雲が漂い、遅れて声がする。 「来たぞ」  『戦車』の名通り、燃えるような鎧に身を包んだ黒雲星羅轟天尊。普段はわずかに位相 のずれた地『羅道界』に篭る事が多く、戦場以外に姿を見せるのは珍しい。 「…………遅れた……少しな……」 「ほお、確かに今回は多いようじゃの」  そして血の涙のような紋様の仮面をつけた騎士と白髪と白髭に埋もれた老人。『塔』ク インヴァンヌと『隠者』ベルティウス。クインヴァンヌはただ滅びのみを願う無貌の魔術 師であり、ベルティウスの方はといえば基本的にはフィリアの領地にある結界内にてその 名の通り隠れ住んでおり、必要な時のみ呼ばれている。  どちらもあまり外にでないタイプである。 「エルミューダも居るとは。私たちで十六人のようだ」  南からゆっくりと飛んできたのが老魔術師姿の陰謀家『法王』アルダマス。最近はその 権謀術数を以って王国連合加入国の一つに食い込んでおり、暗躍の為あまり大きく移動す る事はない。 「ようこそ。ええ、十六人です。あとは――」 「ディオソンブラスとアンティマはどうした」  フィリアの言葉を遮って、黙っていたイツォルが口を開いた。  その名は、特に顔を見せない名だった。意図的に呼ばれない一人と今既に居るロイラン ス、あともう一人の五人は特に欠席率が高い。というよりほぼ来ないと言っていい。 「…………その二人がどうか?」 「いや」  何故その二人だけを名指したのか、その問いにイツォルは答えず――代わりに応えたよ うに白と黒の光が二つ生まれた。 「――ん」  イツォルの横でユリエータが目を細める。  白は輪と、黒は炎を形作り―― 「この通り、来ましたよ俺は」  輪から浮き出るように金髪の青年の姿をとる『運命の輪』ディオソンブラスが 「ああ…………ちょうどいい時刻であったか、こちらは」  膨れ上がりそのまま形を為した『太陽』アンティマが、それぞれに転移してきた。 「うっはァーー!マジすげぇこりゃすげェ!アンティマとディオソンブラスまで来てるぜ オイ!あっりえねー、何よ何なのよ爆笑ジャン!ウヒヒヒヒヒ」 「へぇえ、六百年ぶりぐらいかディオソンブラスさんヨ」  ケタケタ笑うエトとヴァニティスタに構わず、金のショートカットの青年はフィリアへ 向く。 「前大戦の時ですらわざわざ呼びに来たりはしなかったというのに、一体何だというので しょうか?」 「そうですね……現状規模としては前大戦ほどの事ではないのですが……」 「なら何故我らを呼んだ」  割合に礼儀正しいディオソンブラスに対して、アンティマはやや刺がある。彼はコウと 同じく異界から己の意思に反してやってきた者であり、この世界自体を嫌っている。 「以前は大部分が人間同士の争いだった。しかし今回はいきなりそうでなくなった。…… ……そういうことなのだろう。だから、最初から魔同盟(われわれ)の事だから、集めた のだろう?」 「久しぶりだな裁判官」  会話を断った新たな声に、イツォルは見もせずそう放った。 「……私はもはやあなたの官吏ではない」  言われた男は――『審判』フォルサキューズは明後日の方向を向いているイツォルを見 据える。  だが動きはなく、しばらくの沈黙ののちフォルサキューズはフィリアへ向く。 「ハキ……いや、ウェイストまで連絡をよこすからわざわざ来たのだ。手早く願いたい」  言って己の横を指す。  虚空から伸びた縄の先端に吊り下げられた包帯だらけの『刑死者』ウェイストが共に居 た。 「ええ、ただちょっと待ってください。あとの二人は確実に来ますから」 「あ、アレ?あの人は呼ばないんじゃないんですか?」  クレメンスに抱きしめられたままの情けない姿でコウが声を上げた。新参者の彼だった が、ある程度の慣わしは知っている。無数の死徒を提供する『死神』の事象魔王は基本的 には集会に呼ばれない筈だ。 「そうだ、今まであやつを呼んだ事は無い筈。いかなる事か」  天尊もコウに続く。コウはそっと、自分の記憶が間違っていなかったことに安心した。 「場合によっては…………この場で全員が軍の召集を決定する……ということだろう」 「ちょ、っと待ちなよ。そりゃどういう事かな」 「そそれれはは」 「はァ?」 「そんな相談があるってのかヨ?」  クインヴァンヌの呟きにユリエータが眉をひそめ、それぞれがざわつく。  だがロイランス、イツォル、ジェイド、アンティマ、アルダマス、ベルティウスは黙っ たままで、フィリアが口を開いた。 「そうです、その可能性はあります」 「もういいだろう。待つ二人は話も聞いている筈だぞ」  耐え切れぬ、と言った調子でイツォルが先行する。 「……昨日ロイランスが戦端を開いた」  その言葉と共に視線が一斉にロイランスへ向いた。 「事実だ」  翼ある半人半山羊の魔王は即答する。その表情は全く無表情だ。悪びれる風もない。 「ロイランスは彼の統治するバースワーズより出撃し人類領土に攻め入った。今頃人間ど もは大慌てで連絡をとりあっているはずだな。このように」  イツォルの言葉には明らかに怒気が含まれている。 「ちょ……………っっと待てよオイオイオイオイィ!そりゃやべっしょマジやべって」 「馬鹿な、無断でですか!」 「な、なんでそんな!」  怒りを隠さぬイツォルの台詞に、エトとディオソンブラス、コウが目を剥いた。 「最近の同盟は直接的な行動を避けていた。大平原を挟んで東国と接するイツォル殿もに らみ合いで済ませていたし、ヴァニティスタ、エト君やアルダマス老の間接的な攻撃に留 めていた……」  ロイランスをにらみつけながら、裁判官が冥王の言葉を継ぐ。ロイランスは悪びれる風 もない。 「はっきり動けば奴らが来てしまう」  アルダマスが唸った。。『奴ら』、そう魔王たちには対峙を懸念する相手がいる。だか らこそ同盟を組んでいるのではないか。  だがそれに、天尊の巨体が頷いた。 「ふむ、丁度よかろうが。正直今までの方針には不満があった故」  すぐさまイツォルが口撃する。 「猪武者が。所詮『戦車』よ」 「その言葉、宣戦布告と見做そうぞイツォル」  『皇帝』の言うとおり『戦車』は名通りの短気である。売られた喧嘩は絶対に買う。そ れを受けて皇帝は冷笑的に笑った。 「『皇帝』が戦を逃げるのか?」  それに割り込むのが『正義』である。好戦派なのは『戦車』同様だ。 「ロイランス、余は勝てる戦いを起こし勝つのを好む。君主とはそういうものだ」 「俺もズルして無敵モードっツーの以外やりたくないネー」  ケタケタとヴァニティスタが笑って同調する。フォルサキューズがそれに渋々という感 じで頷いた。 「何にしても私と彼女の平穏を乱すような事には賛同しかねる……」 「平穏、か…………」  その言葉を反芻したのは黙っていたアンティマである。 「何だ?絡むのか『太陽』」  そうして各々が交す中、流された天尊がその気の短さを示した。 「何とか申せよイツォル!」 「たかが『戦車』が!上から物を見る!」  天尊の持つ巨槍『蛮鷲』の穂先がイツォルに向いた瞬間、ユリエータが弾かれるように 前に出る。 「兵は拙速なるを聞くも未だ巧久を睹ざる也!」  赤き鎧より黒雲が沸きいで、さらに無数の剣槍が覗く。 「The March of the Black Queen!」  深緑の身がぶれて、黒影が浮かぶ。  切っ先が稲妻のごとく出撃し、三重の影が腕を振り上げた。 「鉄風雷火(カミカゼ)!」 「三鬼一体(トリニティ)!」  数百を数える刃の爆撃が“三人の”女帝が振るった斧に薙ぎ払われる。また残る数百が 黒き女帝らを串刺すが、しかし砲撃は終了し、未だ女帝本体に傷はなく。  皆が二人に注視した瞬間。 「正義は只、此処に在り――!」  間髪入れずにロイランスが抜剣した。  カ ン ナ リ 「正 義 執 行 !」  その声が聞こえた時のは既に漆黒の雷が場を縫って過ぎた後だ。地平の向こうでえぐり 消された水の残りが蒼黒いしぶきをあげている。  剣を帯びぬロイランスが抜いた剣は己の腕で、その右腕が未だ帯電していた。  その表情が「次は当てるぞ」と笑っている。  視線の先には、無論のこと双剣の黒き皇帝が居て 「円にて歓呼で迎えよ 諸王の王を」  イツォルはその詠(ウタ)を以って答えた。周囲の空気が急激に“濃さ”を増し、こと 生身に近いコウとクレメンスが眉根を寄せる。ルシャナーナの手がピクリと動くのにアル ダマスとエト、ヴァニティスタが身構え、フォルサキューズの視線がロイランスの頬を刺 す。 「絶対(インペ)――」 「時間よ止まれ」  ――が、遮るそれで突如イツォルの声は止まった。昂まり続けていた密度が、波が引く ように薄れていく。 「お前はかくも美しい」  ロイランスが横目に『世界』を見やる。イツォルは視線も動かない。  篭手の光る左腕をイツォルにかざしたまま、ジェイドは嘆息した。 「おいおい……これだけ同盟員が集まってる中で『皇帝』の事象展開するって何考えてる んだ」 「フン、どうせ完全に効果は発揮すまい?貴様の『世界完成(コンプリートスクエア)』 を受けても余が動けるのと同じでな」  ギギギ、と首を上げながらイツォルが言う。『皇帝』が言うように、ジェイドの展開し た『世界』――完成という名の時間停止はイツォルを固定する事叶わなかった。同格の存 在である彼ら同士ではその効果が完全には現れない。あくまで抗うイツォルに押し返され る形で、ジェイドの額に脂汗が滲ぶ。  その膠着を破るかのように最後の声が響いた。 「滅びこそ」  ビタリ、と動きを止める。今度はイツォルだけではない。声の主以外はエルミューダさ えもが静止した。 「我が喜び」  目を伏せたままの『愚者』が告げる。  その十字剣が世界にぼやけていく。いや十字剣の周りこそがぼやけているのか。 「死にゆく者こそ」  そこでぽん、とその肩を白い手が叩いた。 「そういう状況打開の仕方は賢いとは言えんぞ『愚者』。むむ、愚者だからそれでいいの か?」 「アドルファス」  振り返った優男は表情を崩し 「そうですね。いえ、まさか使う気はありません」  言って十字剣を腰に戻す。 「ビビらせんのナシだってマジでよ〜。アンタの一番マズいんだからさァ」 「……ふぅ」 「…………で、結局勝手に動いた始末はどうつけさせるのだ。あとこれを解けジェイド」 「……はいよ」  各々毒気が抜かれ、落ち着きを取り戻しはじめた。天尊の雲もユリエータの影も無く、 ロイランスは納剣するかのように腕を組んだ。『世界』が解除され、イツォルのマントが はためき直す。 「それなのだが」  イツォルの問いに答えたのは他ならぬロイランス本人であった。組んだ腕を崩し、左手 であごを撫ぜながら、さも思慮深き者のごとく。 「貴公らが問題視しているのは、私が動いた事によって予期せぬことに巻き込まれるのを 嫌うが故だね」 「そうだ」  ロイランスの放った「腰抜けめ」という罵詈ともとれる台詞を、イツォルは正面から首 肯した。ユリエータが振り返る。 「ならば話は簡単だ。各々方の協力、仰がねば良いではないか」 「単独で戦うというのか。皆の協力を仰がぬと言うことは、アルダマスを介して王国連合 の一部に働きかける事すらせぬという事だぞ?」 「承知しているよ」 「では拙者らはどうなる」  会話の流れに唸ったのは天尊である。 「イツォル殿らが心配している事というのは、つまるところ下手を打って同盟の総力が一 気に削がれるのをを心配する事に繋がる。この度は申し訳ないが、天尊殿らには一旦矛を 収めていただくという所にはいかぬかな?」 「ふむ……始めた者の言葉ならば無碍にする気もなし」 「私とそしてバースワーズの兵力は全体から見ればわずかなものよ。失ったとてその程度 ならば他の傷にはならないと思うが?」  確かに魔同盟内の総兵力を考える時、ロイランスの占める割合はそう多くはない。兵員 の提供を主な役割とする『死神』を除けば、『皇帝』『女帝』『戦車』がことその兵力多 く、『法王』のように動かせる戦力が魔同盟外にあり曖昧な者や、『節制』『世界』のよ うにほぼ本人のみが戦力という者も居るが、そうだとしても『正義』は一割にも満たない だろう。 「そうだな……」  言って、イツォルはフィリアを仰ぎ見た。今更であるとはいえ、この青年こそが集会の 進行役であるならば、それへ振った事は自らがロイランスの提案を受けた意を示すことに なる。 「確かに、皆さんも貴方一人で動くなら構わないようですが」 「この戦いには私なりの目的がある。とりあえずは動かずにおられよ。そもそも、最初か らこの提案をするつもりだった」  ロイランスが全員を見やる。一度挑発行為までした身でぬけぬけと言い放つ事について は一々誰も言い及びはしなかった。ユリエータが鼻を鳴らしはしたが。  そうして一応の決着がついたかと思われはじめた時、ツンとした刺激臭が漂ってきた。  近かったのか真っ先に気付いたクレメンスとコウが顔をしかめる。 「話゛し゛合゛い゛は゛終゛わ゛っ゛た゛か゛ね゛」  臭いのする方へ振り向いたコウの視線の先に二つの影があった。声とほぼ同時に吹いた 風が濃く甘い匂いを流して、先の臭いを上塗りする。とは言え、無理矢理混ざった匂いに エトが「ゲェ」と吐く真似をしてみせた。 「ああ、だから貴方が迎えにいったのか、『女教皇』」 「まぁ、本当に皆さん集められたのですね。ディオソンブラスさんやフォルサキューズさ んまで」  最後、遅れて到着したのはまったく対照的な二人だった。  片や美しい法衣に身を包んだ若く落ち着いた女性。『女教皇』のアンジエラ。  片や毒々しい色のローブをまとい腐れた肉をただれさせた骸。『死神』のアグニデス。 「参゛加゛以゛来゛た゛か゛、足゛労゛に゛終゛わ゛っ゛た゛か゛な゛」 「はい。残念ですが……というと少しおかしな言い方ですね。何にしろ、そうなります」 「結局のところ、ロイランスが単独で動くのみとなっておるの」  フィリアとベルティウスが遅参した二人へ向けて掻い摘んで説明しはじめた。元よりア グニデスを呼ぶ時点で事態は報告されていたので適当なところで事足りる。  だがその短い時間でさえ、『死神』の名に相応しい身体を持つアグニデスが放つ臭気を 受けて、エトとユリエータが露骨に嫌な顔をしていた。  アグニデス当人はと言うと、その様子を見れば 「あ゛ぁ゛……い゛や゛、失゛敬゛」  そう言って深くこうべを垂れる。眼孔から蛆が零れて海へと落ちて行った。 「話を戻させて欲しい」  久方ぶりに口を開くのは『審判』である。身を覆うマントをたなびかせながらロイラン スを見上げる。 「一応は同盟関係なのだ。ある程度の展望は聞いておきたい」 「アタシもそれは知りたいね。はっきり人魔の戦いとなれば『勇者』は無論のこと聖騎士 なんてのも来る。それとは別に世界の安定の為、なんて言って『天球』から剣聖や賢者だ のが出てくるだろうに。あるいは龍も」  魔同盟の目的は、分かりやすく人類の征服だが、それにはいくつか大きな障害がある。 ユリエータの挙げた四つがおおよそだった。  無差別に人類を守護し無差別に魔族を根絶する。魔王にとって災害と同意の『勇者』。  正面の敵となる人類戦力そのもの。例えば聖騎士に代表されるようなそれ。  白昼の剣聖十二、黒夜の賢者十二が『天球』。世界安定のみを護る二十四時の魔法使い。  そして龍。  龍と言えどただの龍ではない。二十二の魔王がそれぞれの事象を黒く表すように、事象 それ自体が形を為す一つの指向性。事象龍と呼ばれるモノ。龍とは便宜的なもので全く龍 の形でないものも多いのだが。  今集う彼らとは違い完全に自動的であり、ただただ嵐である。その在り様は『勇者』に 近い。いや『勇者』が龍に近いのか。 「………………予定規模なら…………暁は出ない可能性が高い………」  だが同盟と敵対しやすい事象龍の一つを挙げてクインヴァンヌはゆらゆらと首を振った。 暁とは普遍的『正義』であり、確かに脅威が一定以上の巨大さと兇暴さを持たねば顔を合 わせずに済む相手である。合わせたとて向こうが全力ではあるまい。 「だとして、相手は魔同盟全てが動くと警戒し、傍観という事にはならないだろう。そも そも人間の兵だけでもかなりのものになるのではないか?バースワーズの兵だけでは圧勝 とは行かん。下手すれば押される事もありうる」 「まァ疑問だわナ実際ンとこ。どーすンのヨ?」  集会が始まってから幾度目か、ロイランスに視線が集まった。 「まず……シュナイデンが降りている」 「シュナイデン……剣の王が直接か?」  ジェイドが聞き返したその名は魔王の補佐役として存在する者たちの名の一つだった。 彼らは一応魔王らより下位にはあたるものの、完全な指揮下に居るわけではなく、それな りの自主性を持って活動している者もいる。  魔剣を統べるシュナイデン自らが人界に出るとは珍しい事だ。  雷の刃を持つロイランスと魔剣を率いるシュナイデンは元々近しい。魔剣王軍自体は魔 王の誰の戦力でもないので、ロイランス個人がシュナイデンと約束したらなら、それはそ れで勝手にやれという所であろう。 「ああ、それなり動いてくれるだろう」 「どちらにしろ長引くのは必定ではないか」  皇帝がコツコツと己が剣の腹を叩く。 「長びく方がいいのだ。ま、ま、その辺はいずれ分かる」  すらすらするりと言葉を流し、両手を前に浮かべる。あたかも拍手を受ける指揮者のご とく。キュウと引きつった頬の『正義』は、まさしく魔王である。  そしてその時『皇帝』イツォルは、何人が勝手に動き出すか数えていた。  同盟とは所詮はそういうものである。  人の世と何も変わりはしないのだった。                               『SATAN 22』 closed.