魔道商人記 8話目 〜二対の矢〜  入り口の魔物の群れを壊滅させ、ついにブレイブ達は魔族の要塞『二つの塔』へ たどり着いた。助けだした旅人は、ニャルグランド=ニャンスと名乗った。 彼は旅の者だと言うが、あまりに唐突な話だとブレイブがツッコミを入れると、 アッサリとポーニャンド王国重装猫騎士団の元・団長だと身分を明かした。 リバランス王族であるエール=バゥ=リバランスが紋章を見せて身分を明かした のが効果があったようである。彼は王命によって、『二つの塔』の調査に来たの だという。 エールの侍女であるファン=ベル=メルはその言葉すらいぶかしんだが、エール は全面的に信頼を示した。 ブレイブ自身は、大魔王シスがポーニャンド人を利用してまで罠を設置する意味 がないと踏み、彼を信用する事にした。強いて言えば、彼を助けようと戦わざる を得ない事こそが罠であったと考えたのだ。 先程の戦いにより、少し疲弊した様子で、ブレイブは一行に対して言った。 「あー、わかってるとは思うけど、こっから先は魔物の巣窟になってる。  しかも、最後に待ち構えているのは、よりにもよって大魔王だ。  というワケでハンナ」 自分の名前を呼ばれるとは思っていなかったのか、薬ビンを整理していた手を止 め、少し驚いた様子でハンナは応えた。 「何?」 「お前、ここで留守番な」 「ちょい待ち!何でウチが留守番なんや。  一緒に行くって言うたやないの。  それにウチが持ってる回復薬、これどないすんの?」 「薬は各自で必要分持つから問題ない。  いいから黙って留守番しとけ!」 「納得できんわ。ブレイブのアホー!」 「ンだとテメー!」 その後しばらく、ブレイブとハンナのもうどうしようもない口ゲンカが続いたが それにたまりかねたニャルグランドが、その場の仲裁に入った。 「まあまあ、お二人ともその辺で。  夫婦喧嘩はカツヲも食べないとポーニャンドでは言いますよ。  ハンナ殿と申しましたか?ここから先は本当に魔物の巣窟なのです。  ここは私のような剣士や魔法の使い手にまかせて、留守を守ってください。  帰る場所がなければ、我々のような者は戦えないものなのですにゃ」 「そうやの?」 半分涙目でハンナはブレイブに尋ねる。 「まあ、うん、そんなトコだ。  留守がいなけりゃ、帰る気にもならねェ」 「しゃあないわ。留守番しとるから、早めに帰ってくるんやよ?」 「ああ、当たり前だ。そんじゃあ、行くぞ」 『二つの塔』は極めて複雑な構造をしている。 地上階から2階部分までは共通のフロアとなっているが、そこから先は言葉通り 二つの塔がそびえ立っている。それは、この塔に二人の魔王が同時期に君臨した からとも、炎と氷の二属性を祭ったからとも言われるが、今ではどちらが正しい のか、それとも別の理由があったのか定かではない。 何にせよ現在は大魔王シスの影響下にあり、無数の魔物が跳梁跋扈する無法地帯 と化していた。それは、入り口から数十歩、2階への階段のあるフロアで既に、 数十という魔物がたむろしている事で理解できよう。 「チクショウ!何で塔の中に!  こんなに大量にストームバイターがいるンだ!」 ブレイブが大声で叫びながら愚痴る。 『ストームバイター』とは、本来は砂嵐の中に住んでいる、ワニの口と鳥の体を もつ異形の怪物である。が、シスの魔力に呼び寄せられたのか、1階フロア全体 が、ストームバイターによって埋め尽くされていた。 「(…ヤベェ。魔力を節約しようなンて考えてたけど、そんな余裕ねェぞ!)」 油断するとワニの口で噛み付かれる。アゴの力は恐ろしく強く、鋼鉄の鎧でも身 につけていないと即死だろう。何よりストームバイターは、本物のワニより遥か に軽快な動きが可能な鳥の体をしているのだ。強敵である。 ブレイブは焦りを覚えた。 既に入り口での戦いで、雷属性高位の縛雷網〈ウェボルト〉を使用している。 そうそう高位魔法を使う余裕はない。まして最後には大魔王が控えているのだ。 しかし、そんな状況を心から楽しんでいる者がいる。 「さて、殺しに行くか」 高らかに宣言して突撃を仕掛けたのは、言うまでもなく『殴り姫』マオである。 腕を楽しげにグルングルンと回して、まず1匹のストームバイターを撲殺した。 「ニハハッ!ローラ!まほーくれ!」 「…マオちゃん!行くよぉ!『神の御盾』!」 ローラローラの簡易魔法杖が、彼女の声に反応して光り輝く。 『神の御盾』は、いわゆる神聖魔法と呼ばれるものであり、対象者を神の加護で 守るというものである。それはモチリップの魔法学校で教えられたものではなく 彼女が幼少期から暮らしていた救世軍ローランド教会から、二つ教わった魔法の 一つでもある。 ローラローラの神聖魔法によって守備力を向上させたマオには、恐れるものは何 ひとつなかった。彼女が駆け抜けた道には、ストームバイターの死体が山のよう に積み重なっていった。 「よし、チャンスだ。  姫さんと侍女さん、それにニャルグランドさんが前衛になって行こう。  ナキムシ、お前はオレの前に居るんだ。俺が最後尾を守る。行くぞっ!」 ブレイブ達はマオがこじ開けた突破口を進んだ。 それでも左右からは生き残りのストームバイターが襲い掛かってくる。 彼らの巨大な口での噛み付き攻撃は脅威の一言である。その鋭い牙は、ヤワな鎧 であれば貫通してしまうだろう。が、リバランス最高と言われた二人の美剣士に は、そんな攻撃は問題にもならなかった。 エール=バゥ=リバランスの長剣は、まだ未熟な太刀筋ながらも高速で敵を切り 刻んでいく。ファン=ベル=メルの2本のショートソードは、確実にストームバ イターの弱点を突き、首を跳ね飛ばしていく。 ポーニャンド王国重装猫騎士団の元・団長ニャルグランドは、自身も優れた剣士 であったが、そんな二人の太刀筋に見とれていた。 「(…何という美しい太刀筋でしょう。   今までリバランスの剣を見たことは無かったが、こんなに優れたものだった   とは想像外でしたにゃ。これで人ではなくネコであったなら、この美しい姿   を即座に我が使い魔に録画させていた事でしょう。   それにしてもお二人とも、何と鋭く素早い剣。   まるで剣というよりも、そう、二対の矢のようですにゃ)」 ブレイブ達は辛くもストームバイターの群れを切り抜けた。 2階でも『闇の羽』と呼ばれる吸血性の大型の魔物に襲われたが、ローラローラ の放った『火球』の明るさにひるんだところを、マオ、エール、ファンの攻撃で 撃破してしまった。彼女らの連携の前では敵ではなかったのだ。 ブレイブによって階段に張られた電熱魔法によるトラップで、ストームバイター が何匹も焼け焦げている臭いが漂う。このまま放っておくだけで、1階の魔物は 全滅するのではないだろうかとブレイブは考えていた。 「さて皆さん。お聞きください。  我がポーニャンドの情報網によると、大魔王シスは『氷の塔』の最上階にいる  との事です。ここは私を信じて、氷の塔に向かっていただきたいのですにゃ」 戦いを終えた2階フロアにて、ニャルグランドはそう言った。 「一度信頼すると言ったのです。最後まで私は信頼しますわっ」 戦いの連続で息が若干あがってはいたが、エールはほぼ無傷であった。 「右に同じだ。  リバランスの姫さんが信頼してンのに、オレが疑う意味なンざねぇからな」 皆の奮戦のおかげか、塔に入ってからブレイブは、1階階段閉鎖の為の一度しか 魔法を使わずにすんでいた。魔力は十分にもちそうだ。 「…氷の塔…というと…?」 「こちらですにゃ」 ニャルグランドの指差した方の階段から、なるほど若干の冷気が伝い降りてきて いた。ブレイブ達はそこから3階へと向かった。魔物の襲撃があると思われたが 3階には何も居なかった。が、4階に続く階段からは、異常とも言える量の冷気 が降りてきていた。 「門番だな」 マオがボソリと、それでいて楽しげにつぶやいた。 「ここまでは数を頼りの雑魚ばかりだったからな。次が本命か」 ブレイブはそう言うと、無意識に右手の竜鱗の篭手を確かめた。 意を決して階段を上りきると、そこにはそれまでよりも天井が高く広い空間と、 建物の中とは思えないほどにすさまじい低温度と吹雪、そしてその空間いっぱい になるかのごとくそびえ立った巨人の姿があった。 『ブリザードオーガ』である。 氷結鬼人とも呼ばれるそれは、おそらくは大魔王シスの魔力で極寒の地と化した のであろうこの部屋にあっても、難なく過ごしていた。 何故ならば、彼らは普段から氷雪や氷河のような地形に生息しているからだ。 「ゴハァァ!」 まるで猛吹雪のような吐息を吐き出して、ブリザードオーガは手に持った棍棒状 の氷の塊を振り下ろしてきた。 「アブネェ!みんな避けろ!」 ブレイブがそう叫ぶと、全員一斉に散会していた。が、ローラローラだけが若干 逃げ遅れた。ブリザードオーガはそれを見逃さなかった。即座に2撃目がローラ ローラに向かって振り下ろされた。 「ローラ!」 マオが振り下ろされた棍棒を連続で殴りつける。が、その力は拮抗していた。 それを見て、ファン=ベル=メルが剣を構えて言った。 「ブレイブ、私とエールが巨人の足を狙います。  あなたはその間に、あれを倒す魔法を放ってください」 「わかった。  けど、無理はすんなよ。姫さんにも侍女さんにも死なれたくねェからな」 「そうやってエールのついでみたいに言って…まあいいです」 「何だよそれ」 「行きます!姫!援護を!」 ファンは2本のショートソードを高々と構えると、ブリザードオーガに向かって 駆け出していた。それに少し遅れて、エールが長剣を構えて突撃していく。 「行っくぞおっ!」 二人の突撃を見届けたブレイブであったが、魔法を放てないでいた。 「(…倒す魔法って言ってもなぁ。   雷属性と冷気属性って、相性の意味がねェんだよなぁ。   さっき1発ブチかましたから、上位魔法は残りせいぜい2発か3発。   大魔王戦に2発は残しておきたいから、ここは節約してェんだけど、   あのデカブツを確実にぶっ殺せる威力があって、なおかつ塔の中でも使える   ような魔法なンて、オレが使える魔法の中にあったかなぁ…あ)」 ふと何かを思いついたように、ブレイブは床をバンバンと踏み鳴らす。 「(…やっぱ床は全部氷で出来てンな。大魔王の罠か。   火属性の魔法でデカブツを倒すと、床が崩落するって寸法だな)」 ファンとエールがブリザードオーガの足を切り裂く。それに気づいたブリザード オーガが、マオとの力比べをやめ、棍棒をやたらと振り回し始めた。足の傷は、 周りの冷気のためか、またたく間に塞がっていくのが見える。 「あ、それでいいのか」 ブレイブは思い付きが全てガチリとリンクした。背中に背負ったリュックから、 何やら白い粉を大量に取り出した。 「ナキムシー!いつまでも泣いてんじゃねー!  あの化け物の足元に『加熱』の魔法をかけてやれ!あてンじゃねぇぞー!」 先程までブリザードオーガの猛攻で泣きそうになっていたローラローラであった が、その声に応えるかのように立ち上がり、『加熱』の魔法を唱えた。 『加熱』の魔法で、ブリザードオーガの足元は一瞬だけ水溜りになり、床が若干 崩落を起こした。ブリザードオーガはそこに出来た穴に足を取られはまり込んだ が、すぐさま脱出を試みた。 「マオ!姫さん!侍女さん!足止めしてくれ!」 そう言うと同時に、ブレイブは白い粉を大量に巨人の落ちた穴に放り込んだ。 その正体は塩である。脱出しようとしたブリザードオーガは、マオの拳やエール やファンの剣に邪魔され、思うように出られないでいる。 水溜りとなった床は、次第に部屋の冷気と巨人の回復力によって、何より一緒に 放り込まれた塩の威力で、おそらく巨人が考えているよりも遥かに急速度で再び 氷と化していく。巨人ごと、である。気づいた時にはもう、ブリザードオーガは 床と一体化して身動きがとれなくなってしまっていた。 「うまくいくモンだなぁ。さ、次にいこうぜ。ここは寒すぎる」 そこから先には魔物は、ほとんどいなかった。6階に窓があり、隣の塔を見ると 大量の魔物がひしめいていた。。隣は6階に罠が張られていたのだろう。 7階まであがると、階段の隣に何やら部屋があった。 「おそらくは宝物庫ですにゃ。ただ、この扉を開ける鍵が見つかりませんにゃ」 ニャルグランドはそう解説した。が。 「そうか?どう見ても鍵が開いてるようにしか見えないンだがな」 ブレイブが言ったとおり、鍵は開いていて、扉が開きっぱなしになっていた。 「にゃんと!これは凄い。古代王朝の宝があるやもしれませんにゃ。  しかし、これほどまでに無防備というのも…」 「罠か?」 マオが嬉々とした表情となった。 「…あまり欲張らないほうが」 ローラローラは不安な表情をした。 「ファン、古代王朝ってっ?」 エールが怪訝な表情をする。 「リバランス成立の遥か昔、それどころか皇歴成立以前の話です。  二つの塔の性格から言って、まだ人類が魔王の支配下にあった頃の話かと」 ファンはいつも通りの冷静な表情である。 「そして、『皆殺しの矢』の1本がここにあった可能性が高いってワケだ。  どうせ運び出されてンだろうけど、ちょっと中を覗いてみようかね」 ブレイブが誰よりも嬉々とした表情をして部屋に入り込んだ時、室内になにやら うごめく影が見えた。が、その影は一瞬にして音もなくどこかへ消え去った。 「(…何かいやがる)」 それが何なのかは理解できなかったが、状況から考えてまず敵だろう。 ブレイブが警戒心を高めた時であった。 「…わひゃあ!」 ローラローラが部屋のガラクタに足をとられてスッ転んだのである。 持ってきていた荷物の中身が部屋にブチ撒けられ、薬草やビン詰めの薬、様々な 食材や調味料が床一面に広がった。そう、あの忌まわしき調味料であるマタタビ も、である。 「ふにゃああ…それは反則にゃあ!」 マタタビの威力によって、ニャルグランドはグデングデンになった。 ネコ獣人にとって、マタタビは『魅了』の魔力効果のある食材なのだ。 が、もう一人グデングデンとなった人物がいた。 一瞬で潜んだ天井から落ちてきた彼女、ニャハト=ミャヨニャカである。 「…あ、大道芸の黒ネコさん」 ローラローラは一瞬で気づいたが、彼女はブイマ村で大道芸をしていた黒ネコの 獣人である。しかしそれは仮の姿。本当の彼女はポーニャンド出身の黒猫シーフ なのだ。 「うにゃにゃ…まさかこんな所でマタタビを味わうとはぁ  お願いですにゃ…わたしは何も盗ってないんですにゃ。命だけはぁぁ」 「盗る、ねぇ。アンタ本職はシーフか何かなのか?」 「う…うにゃにゃ。そうですにゃ」 「安心くださいませ。私どもは大魔王の征伐に来た者なのです」 「そうなのですかにゃ。安心しました。  でも、本当に何も盗ってないのですにゃ。  宝箱は先程全て開けましたにゃ。  けれど、貴重なものは全て盗られた後でしたにゃ。  あとはせいぜい、そこの宝箱の中身くらいですにゃ」 ブレイブがその宝箱の中身を見ると、何やら首飾りが入っていた。その首飾りは 奇妙にも、宝玉にあたる部分が欠如していた。これではまったく値打ちがあると は言えない。が、ブレイブは何かに気づいた様子であった。 「なるほどねぇ。あ、これをデッチへのみやげ物にしよう」 「酷い男だな」 「…ハンナお姉ちゃんが可哀想だよ」 荷物をまとめなおしたマオとローラローラが即座にツッコミを入れるが、彼は意 に介さなかった。 「さて、盗賊さん。  オレらはこれから大魔王と対峙するワケだ。  そこで、ほんのチョットだけ手伝ってもらえねぇかな」 そう言うと、ブレイブはニャハトを手招きする。 ニャハトは怪訝な顔をしていたが、ブレイブに耳打ちされた話を聞くと、コクリ とうなずいた。 「商談成立だな。ンじゃあ頼んだぞ」 チャリンと共通金貨(しかもボレリア製である!)を数枚手渡すと、ニャハトは 音も無く立ち去っていった。 「さぁて…いよいよ魔王と決戦だな」 「うにゃ!ニャハト殿はいずこへ!?」 ようやく我を取り戻したニャルグランドの前には、既に誰の姿も無かった。 最上階の扉を開ける。その段階ですら、圧倒的な魔力が感じられる。 間違いなく大魔王シスの居室である。 「やはり来たか」 大魔王は妖艶な笑みを浮かべ、そう言った。紅い髪に燃えるような唇、肌もあら わな黒のドレスに身を包んだ姿は、威厳と艶を併せ持った魅力に溢れていた。 「実のところ、戦う気はあんまり無いんだよな。  リバランス王家の冠と魔剣、それに『矢』を返してもらえりゃそれでいい」 ブレイブがそう言うと、シスは心底可笑しそうに笑って言った。 「それが無理な事などわかっておるであろうに。  魔剣アウラムは、我らが野望に相応しい傑物であるぞよ。  それにお主の言う『矢』  まさか本心から、あれを『矢』であると言っておる訳ではあるまい?」 シスの一言で、ファン=ベル=メルが青ざめた。 「そこの小娘は理解できておるようだの。あれはただの『矢』ではないぞえ。  世界を滅ぼす鍵である『神聖五宝石』それこそが我らの欲する力なり。  既にこの『二つの塔』にて『翠の鱗』は手に入れた。  リバランス王家に魔剣アウラムの他、『紅の瞳』まであったのは、まさに我ら  の僥倖であったぞよ。そなたらには感謝せねばなるまいよ」 シスはそう言うと、紅い『矢』を懐から取り出した。 「そなたらの努力もこれでしまいじゃ」 シスは『矢』を自分の後ろの窓から、外に放り投げた。 「ゴブゴブー!」 窓の外にはゴブリンが数匹ほど待機していたようである。 素早く『矢』を受け取ると、皮製の手作りの翼を背負って、飛び立った。 と言うよりも、落下していった。翼で減速したので、死にはしないだろう。 シスはその手に魔剣アウラムを持つと、ブレイブ達に向かって言った。 「これでゴブタニアの覇者、大魔王バラニクへと『矢』が届けられた事になる。  世界崩壊へまた一歩と言ったところかの。クホホホホ…  さて、そなたらに付き合うのもそろそろ飽きてきたぞえ。  ここらで引導を…」 シスがそう言いかけた時であった。目の前の空間が、裂けた。 「今までご苦労であった」 裂けた空間の底、暗闇からくぐもった声が響く。 「バラニク?一体何のつもりじゃ」 シスは不快感をあらわにしている。 声の主は先程名の出たバラニクなのであろうか。 「『矢』も2本手に入れ、残りのありかもわかりつつある。  大魔王としての我が天下も目の前になったと言う事だ。  が、どんな些細な芽であっても早々に潰すのが、ワシの方針なのでなぁ…  シスよ。そこで死んではくれまいか。  『矢』をかきあつめている人間と共にな」 裂けた空間からの声はそこで途切れ、魔力によって大爆発が起きた。 その爆発は、最上階に居た全ての者を巻き込んでいった。 大爆発の影響が収まりつつある。 シスはその魔力で暗黒の障壁を作り出し、爆発から身を守っていた。だが、シス は混乱していた。自分は何故こんな目にあわなければならないのか。 自分は、妹を幸せにしなかった妹の彼氏に裏切られ、妹を殺した世界に裏切られ 今また盟友と信じた大魔王バラニクにまで裏切られたと言うのか。 もう一つ信じがたい光景があった。人間どもが、全員生き残っていたのだ。 「アウラム…アウラムッ!  会いたかった、会いたかったよっ!」 リバランス王女、エール=バゥ=リバランスの目の前には、魔剣アウラムの姿が あった。それがどういう原理なのかは不明であるが、魔剣アウラムが大爆発から ブライブ達全員を守ったのであった。 「おのれこしゃくなぁ!」 混乱のさなか、シスのとった行動は酷く単純なものであった。 まずは目の前の者を皆殺しにし、次にバラニクを殺すというものである。 「我が魔力、味わうがいい!『月光条』!」 シスの全ての指先から、高魔力の熱線が放たれる。 「アウラム!みんなを守って!」 エールはその魔力に対し、魔剣アウラムを正面に掲げると、瞬間、アウラムから 幾筋もの光が漏れ出し、魔力からブレイブ達を守った。が、魔力そのものを消し 去ったわけではない。シスの放つ魔法は次第に威力を増し、ブレイブ達を追い詰 めだした。 「このままじゃいずれは全滅しちまうな。マオ、ナキムシ、よく聞け。  オレはこれからアイツに向かって『時業雷』をブチかます。  たいして効果は無いだろうが、あの暗黒障壁に干渉するくらいはするはずだ。  次にナキムシがさっきの補助魔法を全員にかけて、侍女さんがフェイント攻撃  をかけに行く。アイツがそれにひっかかったら、本命のマオがブン殴る。  障壁を破壊したらエールが魔剣でアイツをブッた斬る。どうよ?」 「イキアタリバッタリにもホドがあるよ」 「完璧とは言いがたい立案です。が」 「…でも、やるしか…ないです」 「大丈夫っ!わたしはやれるよっ」 「ッシャア!待ったなしで行くぞ!  不幸中の幸いだ!爆発で天井が吹っ飛んで、屋外になっちまってるからなァ!  雷電は見えずとも常に我が傍にあり…時業雷<ジゴワット>!!!」 ブレイブがそう唱えると、空が一変して暗雲に覆われ、空から稲妻が落ちた。 まるで、天に雷龍が現れたかのような激しい稲妻の数々である。 それらが全てシスに向かった。 シスは『月光条』を取りやめ、稲妻を防御する魔法に集中する。 その合間に、ローラローラがファンとマオに『神の御盾』をかけた。 「行きます」 ファンがアウラムの防御結界から抜け出し、シスへと突進していく。シスはそれ を迎撃しようとするが、気を抜いた瞬間に時業雷の一条を浴び、大幅なダメージ を被った。が、小指一本だけをファンに向け、『月光条』を放つ。 ファンがそれを紙一重で避けた瞬間、マオが暗黒障壁に向かって必殺の連撃を加 えた。バチバチとはじける音が鳴り響く。時業雷とマオの打撃が暗黒障壁を削り 落としていった。 「(…いけるか!?)」 ブレイブがそう思った瞬間であった。 バチリと右腕から嫌な音がなり、竜鱗の篭手がはじけ飛んだ。時業雷の起動魔法 に耐え切れなくなったのである。ブレイブの魔力はこの瞬間に尽きた。 「私も行きますっ!」 エールが魔剣アウラムを握り締め、シスに向かって駆け出した。 「チクショウ!残りわずかの魔力、全部くれてやる!」 ブレイブもシスに向かって走り出した。だが、時業雷を耐え切ったシスに恐れる ものは何も無かった。 ファンを跳ね飛ばし、ブレイブを一蹴し、マオを吹き飛ばし、エールとアウラム を弾き飛ばした。その場に立っていられたのは、ローラローラだけであった。 彼女はナキムシと呼ばれていたし、事実この時も泣きじゃくっていたが、彼女は 臆病者ではなかった。彼女は丁寧に丁寧に、魔法を構築していたのである。 「『光、あれ』!」 救世軍ローランド教会で教わった二つの魔法。 一つは『神の御盾』。神の恩寵で防御力を、具体的に強化する魔法。 もう一つは『光、あれ』。やはり神の恩寵によって、心を強くする魔法である。 その魔法はブレイブ達の心を、魔力を癒した。が、それだけではなかった。 彼女の魔法は、シスの心をも癒した。 シスは信じられないものを見ていた。 自分の目の前にいる少女。ローラローラと言っただろうか。 何故彼女は、あの帽子をかぶっているのだろう。 ひどく懐かしい思いがした。あの帽子は自分にとって幸せの象徴だった。 彼女がまだ人間だった頃の話だ。彼女には最愛の妹がいた。 一緒に魔法使いの道を歩んだ姉妹だった。 「妹は幸せにならなきゃ駄目なのに!  妹が幸せになれない世界なんて滅べばいい!」 幻が見える。あの頃の自分が叫ぶ。 ずっとずっと、妹と二人で暮らしていた。 最愛の妹。自分は彼女さえ幸せであれば、それで十分だったのだ。 妹の居ない世界になど、存在する意味など無いと信じていた。 いつから歯車は狂っていったのだろう。 妹が愛した者が、妹の前から姿を消した時からだったか。 妹と仲良く幸せに暮らしていた自分。 最愛の妹の自死を見た時に壊れてしまった自分。 悪の大魔王として君臨し、世界を破滅に導こうとする自分。 バラニクに裏切られ、人の子を手にかけようとしている自分。 一体どれが本当の自分だったのだろうか。 私が壊そうとした世界とは、一体何だったのだろうか。 あの帽子。二つと無い、妹の帽子。 自分が知らなかっただけではないのか。 私の妹はこの世界に、愛する子を残していったのではないか。 ならば私のしていた事は、妹の愛した世界を壊す事だったのか。 妹を壊したのは、私だったのか。 「う、う、うぁああああぁぁ」 大魔王シスの両の眼から、とめどなく涙が溢れ出す。 同時に、彼女を覆っていた暗黒の障壁は、音も無く崩れていく。 黒い欠片が床一面に飛び散り、霧のように消えていく。 彼女の体からも黒い霧のようなモヤが抜けていく。 その隙を逃す事なくマオは大魔王シスの懐に飛び込んだ。 が、拳を突くことなくその場に硬直する。 そこに居たのは、絶大な魔力で自分達を窮地に追い込んだ妖艶な魔女ではなく、 幾年月を生きたのか想像も出来ない程、皺だらけで枯れ果てた老婆であった。 「どうしたんだ?」 マオは素直にそう問い質した。 老婆はそれに対し、涙を流しながらもニコリと笑ってこう答えた。 「とても、とても嬉しい事があったのよ」 それはまるで、聖母のような笑顔であった。 大魔王シスは、全ての魔力を失ってその場に崩れ落ちた。 ブレイブ達は慎重に、彼女を取り囲むように近寄った。 「何があったかわかンねぇけど、もうアンタは戦えそうに無いな。  降伏って事でいいのかい?」 満身創痍のブレイブがそう尋ねた。 が、大魔王シスの視線はローラローラへと向けられていた。 面影を探すが、あまり似ていないようにも思う。 いや、間違いない。その泣き顔。 私たち姉妹は、いつも泣き虫だったものね… 「帽子の娘…よく聞きなさい。  グリナテッレに行きなさい。  そこにはあなたの運命を切り開く鍵が待っています。  それと、これだけは忘れないで…  あなたのお母さん、お祖母さん、いいえ、もっと前から…  その帽子の歴々の持ち主は、皆あなたの幸せを願っています。  もちろんわた」 ズザァァァ その言葉を言い終える事なく、大魔王シス=コンの体は灰へと姿を変えた。 その魔力で百数十年も維持し続けた肉体である。 魔力が尽きれば、ただの人間へと戻れば、死して塵芥へと帰るのは宿命である。 「寿命なのか。何にせよ、大魔王に勝てるとはなぁ。  やっぱ魔族の長はシャレになンねぇぜ。畜生」 ブレイブは安堵のため息を漏らしつつ、そう言った。 「ローラ、なぜ泣く?」 泣き続けるローラローラに対し、マオが尋ねる。 「…わからない。けど…とても悲しいの。  あの人は…ずっと…寂しい思いをしてきたんじゃないかな…  もっとお話したかった…帽子の事…何を伝えたかったんだろう…」 「簡単な話だよ。アイツ最後に言ったんだ。嬉しいことがあったって。  ローラ!お前に出会えて、アイツは幸せだったんだぞ!  おいブレイブ!」 「ああ、わかってるよ。アウラムも奪還したし、まずはリバランスに戻る。  王冠は爆発で完全にひしゃげちまったけど、まあ許してもらうとするか。  で、約束通りリバランスの書庫で情報を集めて、だ。  その次は、グリナテッレに行くぞ。文句はあるか?ナキムシ」 「…はい!行きます!」 「んじゃあ、リバランスに戻るか。  姫さんも侍女さんも、それでいいよな?」 が、エールとファンからは反論の声があがった。 「ダメですっ!  確かに王冠もアウラムも取り戻せました。  でも、『矢』をまだ取り戻していませんっ!  先程の話を忘れたわけじゃないでしょう。  このままでは世界の破滅ですっ」 「姫の言うとおり『矢』を奪還しなければ、私たちの旅は無意味です。  が、ブレイブ殿にはここで一度リバランスに帰っていただいて、姫と私だけで 『矢』の奪還に向かうという選択肢も存在します。  アウラムさえあれば、それは可能でしょう」 極めて真剣な二人に対して、ブレイブはノンキにこう言った。 「いや、まあ、でも、多分だけど、さ。  『矢』の奪還はもう果たしたよーなモンだぜ?」 ブレイブ一行が『二つの塔』の入り口まで戻った時、信じがたい光景が目の前に 広がっていた。マオも、ローラローラも、エールもファンも、ニャルグランドも すっかり呆れて目が点になっていたが、(ニャルグランドはずっと5階で寝てい たとの事であった)ブレイブだけはそれが当然という表情であった。 「お帰り〜。って、みんな遅いわ。  もうすっかり日が暮れてしもうたやん。  あ、こちらニャーはんと言いましてん。  さっきウチが友達になった黒猫はんやよ。  これを作るのを手伝ってくれはったんやわ〜」 そこには全身を夕暮れの紅に染めてニヤニヤするハンナと、夕闇に黒い姿を同化 させ始めたニャハトの姿、そして、にわかには信じがたい規模の巨大な落とし穴 と、そこにはまり込んだ数匹のゴブリンの姿があった。 「ブレイブ、どうせこれが欲しかったんやろ?  そこのゴブゴブが大事そうに抱えとったよ」 ハンナが手にしたもの。それは紅色に染まった『矢』であった。 ブレイブはニヤリとしてそれを受け取り、愛用の拡大鏡で鑑定した。 「ん。間違いなく『皆殺しの矢』の一本だな。  たまには役に立つじゃねェか」 「たまには余計や。いっつも役に立ってるやないの」 「ところでさ」 「何や?」 「オレは確かにニャハトに足止めするように依頼はしてた。  けどさ、デッチお前、この落とし穴ってオレを落とす為に作ってたろ?」 「当たり前やん。ウチの事を置き去りにしてからにもう。ブレイブのアホ!  そんでブレイブを落っことそうと罠の上に虫パン置いといたら、何でか知らん  けどゴブゴブが大量にスットンとおっこってもうて…  って何で殴るんや!もう!」 「あったりまえだバカ!人を罠にかけようとすンなバカ!犯すぞバカ!」 「今夜はちょっとアカンかな」 「いや、そうじゃねェだろ」 ・ ・ ・ ブレイブとハンナが延々と言い合っているのを、遠目で一行が見ていた。 「あれはもうしばらく続くね」 マオはすっかり呆れている。 「…何だかんだで仲がいいんです…よね」 ようやく雰囲気に慣れたという雰囲気で、ローラローラが漏らす。 「いいなぁ。ああいうのって、いいなぁ。私も国に帰ったら。  ううんっ!リバランスだけで探そうとするのは間違いよねっ!」 エール=バゥ=リバランスは何か野心に燃え始めていた。 「姫、まずはリバランスに戻りましょう。  くだんの事はそれからでも遅くはありません」 ファン=ベル=メルは姫の態度を見て、何か決意を定めたようだ。 「皆様、塔では大変にお世話になりました。  よもやこの塔にこれほどまでの魔物が巣食っているとは想像も出来ず。  このまま忍び込んでいたら、私の命は無かったでしょう。  ポーニャンド王には、皆様の活躍をお伝えしようと思います。  特にエール姫の武勇、私は感服いたしますた。  王族自らリバランスの名を上げたのだと、私は思いますよ。  さて、それではここいらで私は退散いたします。  王から命ぜられた、もう一つの大切な使命がございますゆえ、  平にご容赦を。それでは…  うおー!んニャハトどのーーー!!!!!!!」 ニャルグランドはそう言い残すと、疾風のように駆け出した。 その行く手には、その毛並みの黒さゆえに、少しづつ闇に混じり始めたニャハト の姿がある。まさにシーフに相応しい毛色と言えよう。 「んにゃ!なんにゃ!?何でわたしに突撃して来るんにゃあ!?」 そのあまりの猛追ぶりに驚いたニャハトは、無意識のうちに逃げ出していた。 「うむ!逃げ足もなかなかにキュート!  行け!我が使い魔『ルック』よ!  ニャハトどののキュゥーーットなシッポを録画にゃあ!」 駆けていく二人。 ニャルグランドとニャハトは、いつの間にか遥か彼方へと姿を消していた。 「…行っちゃい…ましたね」 「シッポ好きか」 「何でシッポなのかなぁっ」 「人には複雑な好みがありますゆえ」 「あー!もう!大魔王と対峙した時の緊張感はどこ行っちまったンだか。  まあいいや。お前らそろそ…」 「ん〜、それじゃあ、ウチらもリバランスに戻ろか?」 グダグダになったその場を、何故かハンナが締めていた。 夕焼けにポカリと音が響いた。 「なんやのブレイブのアホー!」 「ンだとコラー!」 9話目に続く <登場人物など>     魔道商人ブレイブ 〜本名は不明。男性。年齢は20代半ばくらい。かつては悪夢の雷嵐公とも呼ばれた程の               魔道高位者だが、職業は商人。モチリップ市の町外れで嫌々ながら中古品販売をしている。   ハンナ・ドッチモーデ 〜田舎から丁稚奉公に出たはいいが、あまりの商才の無さに放逐されてしまい、               冒険の旅にでたら魔道商人に拾われた19歳の女性。多分ブレイブが好き。     マオ・ルーホァン 〜武闘家。通称『殴り姫』酷く口下手で、話したり考えたりするより、殴る事を最優先する女の子。         ナキムシ 〜本名ローラローラ。14歳の泣き虫魔女。 地味目のローブに押し込まれたオッパイは一級品。               火属性と水属性の魔法がそれなりに使えるので、炊事当番が多い。 エール=バゥ=リバランス 〜リバランス王女。10人中10人が讃える美貌と並大抵の剣士に劣らぬ剣技を持ち、大胆不適な人柄    ファン=ベル=メル 〜リバランス王家に使える侍女。文武両道才色兼備と侍女にしておくには勿体ない人物 ニャルグランド=ニャンス 〜猫人の冒険者、というのは仮の姿でポーニャンド王国重装猫騎士団の元・団長  ニャハト=ミャヨニャカ 〜ポーニャンド出身の黒猫シーフ。一切の音を発生させない 「鳴らず者」という特殊スキルを有する        シス=コン 〜大魔王。最初はただの魔術師だったが、妹の死によって発狂し、世界中を混乱の渦へと叩き落した     ストームバイター 〜砂嵐の中に住んでいる、ワニの口と鳥の体をもつ怪物 。砂影から巨大な口で噛みついて攻撃してくる          闇の羽 〜こうもりのような魔物。翼を広げると最大5mにもなる。     ブリザードオーガ 〜氷雪や氷河のような地形に生息するオーガ。寒さに耐性を持ち氷点下数十度の状態でも活動できる