魔道商人記 9話目 〜二対の矢〜  華やかなパーティ会場に、宮廷音楽が流れる。 トロールが何十人と入れそうなほど広大な城内のホールに、ズラリとテーブルが 並べられ、そこには、けして洗練されたものではないが、どこか懐かしい香りを 漂わせるリバランスの郷土料理が鎮座している。会場の中央部はダンスホールに なっており、そこでは数組の男女がペアになって踊り続けている。 そう、今夜はリバランス王国の宝物奪還記念パーティなのである。 先ほどからリバランス騎士の男性を何人も交代させながら踊り続けているのは、 『殴り姫』マオ・ルーホァンだ。 彼女の武勇を聞きつけた騎士が何人も押し寄せ囲まれて、いくさ話をさせられそ うになったのが嫌だったのだろう。話をするより体を動かしたがる彼女らしく、 すぐにダンスを始めてしまったのだ。 その踊りはしなやかで軽やか。まるでポーニャンド人のような優雅な動きだ。 リバランス王家の(というよりも、エールの)はからいによって彼女に貸し出さ れた真紅のドレスも、パーティに来た多くの女性達の艶やかさに一歩もひけを取 らない。むしろその踊りの美しさに皆、魅了されきっていた。彼女の踊りを恨め しそうに見つめるのは、その運動量にバテきったパートナー達だけだ。 マオの踊り狂うホールの反対側には、女性達の人だかりが出来ていた。その中心 に居るのは、ローラローラだ。 恥ずかしがって普段の黒い地味目のローブで出席しようとしていたのを、女官が 止めて無理やりドレスを着せたのだ。そしてそこで女官は、ローラローラがとん でもなく豊満なバストの持ち主である事を知り、面白がって仲良しの女官を呼び 集め、彼女を着せ替え人形よろしく、ありとあらゆるドレスにアクセサリーに化 粧を試してしまったのだ。目標はエロ可愛カッコイイレディ! ローラローラも抵抗しようとはしたが、女官達の迫力に完全に押されてしまった のである。結局ローラローラは、胸元あらわなピンク色のドレスを着せられ、恥 ずかしさと人だかりで身動きがとれなくなってしまっていた。 そんな楽しげなパーティの最中、ダンマリを決め込んでいる女性がいた。ハンナ である。 普段は巻きっぱなしのターバンを外して髪を結い上げ、トレードカラーとも言え るサンドイエローとオレンジのフワリとしたドレスに身を包み、胸元には普段は ターバンに結いつけてあるルビーのブローチを飾り付けている。 が、そんな衣装の華やかさとは対照的に、表情は酷く塞ぎ込んでしまっている。 リバランスの騎士や女官たちも、声をかけるべきかそっとしておくべきか、悩ん だ末に距離を置いているようだ。 「ハンナさんっ!ドレス、凄く似合ってますよっ」 そんなハンナに声をかけたのは、リバランス王女のエール=バゥ=リバランスで ある。彼女はアウラム奪還の時の旅装からは、まったくかけ離れた、清楚な白の ドレスを着ていた。着こなしの上手さは、さすが王族と言うべきか。 「あ…エール…ドレスおおきにな」 ハンナの声にはまったく元気が無い。 が、そんな様子を見て、エールは苦笑してしまった。 「ブレイブさんが居ないから?」 だから元気が無いのか、とエールは問うた。 実はブレイブはパーティに参加せずに、リバランス城の王宮図書館の書庫に篭も っているのである。調べなければならない事があるから。そう言って書庫に入っ たのは昨夜の事だ。丸一日以上を書庫で過ごしている事になる。 「どやろね。  旅に出たりしたら、何日も顔を会わさん事はしょっちゅうやったし…」 「それじゃあ、ファンが一緒にいるから?」 「うっ…あのな、ちょっと聞いてもええかな。  ファンはブレイブの事を、どう思っとるんやろ」 「やっぱ気にしてんだーっ  大丈夫だよ。ファンは別に何も言ってなかったし」 「でも、あの夜は同じ部屋やったし、今かて一緒におるよ」 「お茶の差し入れに行ってるだけだよ。  ていうかハンナさん色々気にしすぎっ!  そんなんじゃ気が滅入るばっかりだよっ  そうだ!城の宝物庫に面白いものがあるんだ。  皆で見に行かない?  マオもローラローラも連れてさっ」 そう言うと、エールはニンマリと微笑んだ。 ただひたすらに薄暗く、カビの臭いが充満する部屋。 リバランス王宮図書館の王族専用書庫である。 ブレイブは前日の夜からここに篭もり、ありとあらゆる書物を読み続けていた。 『箱舟の櫂』、『事象の残滓』、『黄衣王伝』、『事象龍覚書』、『創世神話』、 『偽書・蒼海教典』、『アトエカ=ブイマ戦記』、『神聖五宝石序論』… 読んでも読んでもキリが無いが、いくつかわかった事はあった。 ファンや大魔王シスの言った通り、『矢』はただの骨董品ではない事。 それは創世記より伝わる『世界の鍵』の一種として機能している事。 また異聞では、『矢』は大魔王の力の源でもあり、禍々しき存在を召還する供物 であったりする事。 『矢』は全部で5本存在する事。 『白の切先』『黒の意思』『紅の瞳』『翠の鱗』『蒼の翼』と呼ばれている事。 もしこれらが真実であるとするならば、『翠の鱗』は既に大魔王バラニクの手中 にあり、リバランス王家には『紅の瞳』があり、ブレイブ自身が『白の切先』を 所有している事になる。残るは2本。 書物には「『蒼の翼』は北方にあり」とのみ記載されている。『黒の意思』に関 しての情報は皆無である。 「漠然と北を目指すってのもなぁ…」 パタリと本を閉じながら、ブレイブは独り言を呟いた。 そもそも今回の旅の本来の目的は、魔州アトエカ=ブイマに赴き、『矢』の地図 に隠された秘宝を捜索する事であった。 が、その秘法『翠の鱗』は既に奪われており、しかも競争相手が大魔王では分が 悪すぎる。異聞が気になりはするが、自分は勇者でも何でもないし、魔王と対峙 する義務など無い。勝ち目はもっと無い。 いっそ『矢』を魔王に売りつけるという選択肢もあるだろうな、などとブレイブ は考えていた。 「よからぬ事を考えておいでのようですね」 ブレイブの背後に、王宮の侍女服を着た女性が、銀色のお盆にお茶のセットを乗 せて立っていた。リバランス王家に使える侍女、ファン=ベル=メルである。 急に声をかけられ慌てるブレイブをよそに、声の主であるファン=ベル=メルは 優雅にお茶のポットを机に置いた。 「いや…少しは節操あると思ってンだけど。  さすがに売る相手は選ぶぜ」 慌てていたためか、意味不明な返答をするブレイブ。 ファンはブレイブが大方何を考えていたのか察して、苦笑しながらお茶の準備を 進める。カビの臭いしかしなかった部屋の中に、良い香りが立ち込めていく。 「少しは休憩なさってはいかがですか?  ウォンベリエやミュラスには遥かに及びませんが、それでもこの量の本です。  そう易々と必要な情報は見つからないでしょう」 「あらかた見つけたンだけどな。  でもまあ、休憩するのはいいアイデアだ。  お茶、入れてくれないかな」 「承知いたしました」 ファン=ベル=メルはポットからティーカップにお茶を注いだ。 不思議な香りのするお茶である。 「ありがとな。うん?…あー、そうか、これ…妖精の魔茶か」 お茶を一口飲み、ブレイブはそう言った。 妖精の魔茶とは、魔力を秘めた貴重なお茶の葉を使ったお茶である。飲んだ者に 最も懐かしいと思える故郷のお茶の味を思い起こさせる効果があるのである。 「ご存知でしたか。  実はこの城にもポトシーが居るのですよ。  どうですか?懐かしい故郷の味がするでしょう」 ファン=ベル=メルも一緒にお茶を飲んだ。 彼女のお茶の味は、一体どこの土地の味なのだろうか。 「あー、いや、うん。デッチが適当に入れたお茶の味だ」 「ふふふ…ハンナ様が羨ましいです。  そうそう、ハンナ様があまりに構って貰えないからか、気分を害しておいでで  したよ。一度書庫から出て、顔を見に行ってはいかがですか?」 「必要ねェだろ。ああ、お茶、ありがとな」 「そうでしょうか…まあいいです。  それで、どこまでわかったのですか」 「肝心な事は、まったくわからないという事がわかった。  ウォンベリエか、物凄く嫌だけどミュラスに行くしかねェだろうな。  ここで終わりってのも、一つの手段ではあると思うけれど…うーん」 「けれど、何でしょう。  商人として未知の秘宝を得るまでは、旅を終える訳にはいかない、と?」 「まあ、そンな所だな」 「それを聞いて安心しました」 そう言うとファン=ベル=メルは、お茶のセットの下から何やら取り出した。 まるで鮮血のように禍々しく紅い色をした『矢』…『紅の瞳』である。 ファンの表情からは先ほどまでの笑みは消えうせ、まるで仮面のような無表情と なっていた。 「私がこれから言う事は、酷く残酷な話です。  私はそれによってあなたに殺されても仕方ないと思っております」 一呼吸おいて、ファンは話し始めた。 「先の『二つの塔』の戦いは、王には報告しておりません。  エールには私から報告したと偽りを述べました。  …リバランスは小国です。勇者だっておりません。  魔剣アウラムならば魔王に対抗できるでしょう…  けれども、使い手のエールはまだまだ未熟です。  今現在、魔王軍の全力侵攻を受ければ、国は壊滅します。  ですから…ですから…ですか…ら…」 ファンの言葉が詰まった。 仮面の無表情は崩れ落ち、両の目から涙が溢れていた。 「だから、『紅の瞳』をオレに預けて、魔王の気をそらせようって事だろ?  諸国を旅しているうちは、大規模な軍勢を派遣できないだろうからな。  アンタの考えはまったく間違いじゃないぜ?  ましてや一国の運命の問題だからな。  それに、前に話さなかったか?オレはリバランス王に救われた身だ。  陽動作戦くらい、いくらでも請け負ってやるよ。  出来ればその報酬として、『紅の瞳』をタダでいただきたい所なンだけど」 「本当に…よろしいのですか。  魔王軍の追っ手は間違いなくあなたの命を狙いますよ」 「それより、リバランスの心配をするべきだな。  どうも拠点にしてるのは、よりによってゴブタニアみたいだからな。  ゴブリンどもがノリでリバランス侵攻するかもしれねェし。  ああ、そうそう。もう一つ面白い事がわかった」 そう言うと、ブレイブは懐から何やら奇妙な首飾りを取り出した。 それは『二つの塔』で発見した、玉の無い首飾りであった。 「この、アトエカ=ブイマ戦記によれば、極東には『縁頚璽(えんげいじ)』と  呼ばれる秘宝があって、その首飾りに願いを込めれば、『約束』がかなうって  事らしい。で、魔族の抗争の際に奪取して、二つの塔の宝物庫行きになったっ  て事だな。状況から考えて、こいつがその縁頚璽じゃねェかなと。  もっとも、玉が無くなってるって事は、もう誰かが願いをかなえた後なんだろ  うけど。オレ、次はこいつにはまる宝玉を探さなきゃならんのよね。  だから、その間だけは『矢』を預かっておくよ。さて…と。  さすがに書庫に篭もりすぎたかもしれねェな。ちょっと外に出て来る」 ブレイブはニコリと笑って『紅の瞳』を受け取り、書庫から歩み出て行った。 ファンはその後ろ姿に、いつまでも深々と頭を下げていた。 リバランス城の地下に、宝物庫はある。 本来ならば魔力により固く施錠されているのだが、エールの持つ魔剣アウラムの 力で鍵は開けられていた。 ありとあらゆる珍品奇品が陳列されている宝物庫の中を、エールはどんどん突き 進む。その後ろについて行くのは、真紅のドレスを颯爽とたなびかせて歩くマオ と、女性だけであっても気恥ずかしいのか、胸元を隠し続けているローラローラ と、気落ちしたままのハンナの3人である。 「あった!これ『先見の鏡』って言ってね。  魔力を秘めていて、前に立った人の未来の姿が見えるんだよっ」 説明しつつ、鏡の前に立つエール。鏡面には数年後の姿であろうか、女王として 即位した頃であろうか、凛とした姿が映し出されている。手元に魔剣アウラム。 その傍らには、うっすらと男性の姿が見える。 「ほう」 面白がってマオも鏡の前に立つ。 そこに映っていたのは、誰もが息を呑むであろう絶世の美女であった。 真紅の武闘着が艶やかに映える、鍛え抜かれた刃のような美しさだ。 「…マオちゃん、凄く…キレイだね」 「なんやえらいベッピンさんになるんやね。将来有望やわ」 「次はローラ!前に立ってみて」 「えっ…えっ…?」 エールに背中を押されて鏡の前に立つローラローラ。そこには、白を基調とした ローブに身を包んだ、柔和な表情の女性が映し出されていた。場所はローランド 教会であろうか。彼女の周囲にはたくさんの子供らしき姿も見える。 「優しそうな人やね。ローラは今のまま変わらんゆー事やな」 「へえぇ。高位の魔法使いって感じかな?」 「賢者か?」 ローラローラは鏡に映った自分の姿をまじまじと見つめた。皆は色々と言っては いるが、彼女自身は未来の自分が『帽子』をかぶっていない事が気にかかった。 何か手がかりが見つかったのだろうか。それとも『帽子』を手放さなければなら ないような事態が待ち受けているのだろうか… 「さぁて!最後はハンナさんだよっ」 そう言うと、エールはハンナの背中を押し、鏡の前に立たせた。 が、何故かそこには何も映し出されてはいなかった… 「あれっ?何で映らないんだろう?」 「死ぬのか?」 「…そ…そんな…」 「そ、そんな事ないよっ!この鏡は悲しい未来は映さないんだよっ」 「じゃあ、何でなんやろね…」 リバランスの城下町を、ブレイブはあても無くフラついていた。 途中、腕の良さそうな防具屋に立ち寄って、竜鱗の篭手の修理を依頼した。内部 に仕込んだ魔道回路こそ自力で修復できるが、(というよりも、それを修理でき るのは作った本人くらいのものだろう)ボロボロになった篭手は、専門の職人で なければ修理は出来ない。店主に聞くと、1日もあれば修理は終わるという。 さらに城に戻る前に、ブレイブは宝飾店に足を運んだ。 店に入るなり、玉の無い首飾りと、小さな琥珀の玉を取り出した。 首飾りは『二つの塔』の宝箱に入っていたものであり、小さな琥珀の玉はかつて 荒野でメイルデーモンと戦った時に使ったものである。すなわち、彼とハンナの 思い出の品でもあるのだ。 「この玉、首飾りにつけてくれないかな」 そう、ブレイブは注文した。 翌朝、ブレイブは王に別れを告げ、仲間を集めてリバランスを発った。 見送りはエールとファンの二人である。 「そんじゃあ、当面の目的地はミュラス。  あんま行きたくはねェけど、仕方ないな。  で、そのまま北上して、グリナテッレに入国する。  って事でヨロシク」 相変わらずの微妙に低いテンションで、出発前の計画を発表するブレイブ。 彼に対して微笑を浮かべ、エールは応えた。 「御武運を。リバランスはいつでもあなたに門を開いてお待ちしています」 「一応商人だからさ、武運よりも幸運を祈ってくれたら嬉しいね」 「ハンナさん…色々と申し訳ありませんでした。  昨夜の鏡の事も、何だか余計な事をしてしまいました。  お嫌でなければ、いつでもリバランスにおいで下さい。歓迎いたします」 「気にせんでええよ。ウチこそゴメンな。もう大丈夫やから」 「ローラ、マオ、また来てね」 「騎士どもにダンスを鍛えなおさせとけ」 「…あと…もうちょっとだけ…地味なドレスがあれば嬉しいな」 「よーっし、そんじゃあ行くか。  じゃあな!姫さん!侍女さん!」 こうしてブレイブ達は、次の目的地へと旅立っていった。 結局、ブレイブの手元には二対の『矢』が残った。 残り2本の『矢』を見つけ、大魔王から『矢』を奪還する。 さて、その時には何があるだろう。 「魔王退治の称号なんてのも悪くないかもしれねェな。  店の看板に丁度いいって所だ」 出来る限り楽観主義で行こう。ブレイブはそう自分に言い聞かせていた。 「行っちゃったね…」 「ええ…」 城門の前で、ブレイブ達の姿が見えなくなるまで二人は見送っていた。 「ファン。一つ教えて欲しい事があるの」 「何でしょうか」 「あのね。『紅の瞳』を、ブレイブさんに渡したかどうか」 「…渡しました」 「うん…わかった。私が…未熟だからなんだよね」 「いいえ…姫様。私も…私も未熟なのです」 「ファン…強くなろう!一緒に強くなろう!  どんな辛い事も苦しい事も乗り越えられるように。  アウラムを使いこなせるように!  自分が本当に心から愛せる人を見つけられるように。  この国の皆を…この世界の皆を…守れるように!」 「はい、姫。私も…強くなりたいです」 この数年後、エール=バゥ=リバランスは突如として旅に出る。 「恋を探しに行きます」とだけ書き置きを残して。 旅に付き従うはただ一人の侍女。 その旅先で得た友人や知己、そして恋人は、公私共に彼女を助け、リバランスに 襲い掛かった大過を退ける礎となるのだが、それはまた別の話… 10話目『別離』に続く <登場人物など>     魔道商人ブレイブ 〜本名は不明。男性。年齢は20代半ばくらい。かつては悪夢の雷嵐公とも呼ばれた程の               魔道高位者だが、職業は商人。モチリップ市の町外れで嫌々ながら中古品販売をしている。   ハンナ・ドッチモーデ 〜田舎から丁稚奉公に出たはいいが、あまりの商才の無さに放逐されてしまい、               冒険の旅にでたら魔道商人に拾われた19歳の女性。多分ブレイブが好き。     マオ・ルーホァン 〜武闘家。通称『殴り姫』酷く口下手で、話したり考えたりするより、殴る事を最優先する女の子。         ナキムシ 〜本名ローラローラ。14歳の泣き虫魔女。 地味目のローブに押し込まれたオッパイは一級品。               火属性と水属性の魔法がそれなりに使えるので、炊事当番が多い。 エール=バゥ=リバランス 〜リバランス王女。10人中10人が讃える美貌と並大抵の剣士に劣らぬ剣技を持ち、大胆不適な人柄    ファン=ベル=メル 〜リバランス王家に使える侍女。文武両道才色兼備と侍女にしておくには勿体ない人物