■極東SS■ 『舞え、舞え、画龍』その壱 登場人物 頼片 蓬莱 http://www23.atwiki.jp/rpgworld/pages/669.html --------------------------------------------------------------- 極東の地、放覩(ほつま)。 曇天、ところにより雨。 からん、ころん 下駄の音を湿った空気に響かせながら、森の路を歩く男が一人。 「いけねぇなぁ、どうもいけねぇ。」 立ち止まった男は空を見上げる。太陽は分厚い雲に遮られて、すこしも顔を 見せることなく。じーわじーわと喧しい声を上げる蝉の声は止むことなく。 後退した額からじわりと汗が滲んでくる。 「こうまで湿っぺぇと、いつもおめぇは御機嫌斜めだもんなぁ。『舞姫』」 肩越しに、背負った三味線に語りかける。 『舞姫』は答えない。 代わりに聞こえるのは飽きもせず鳴き続ける蝉達の大声。 笑っているのか?怒っているのか? じーわ、じーわ じーわ、じーわ ぷぅうぅぅうううん… 「あ」 ぺちりと頬を叩く、掌に熨されたヤブ蚊の哀れな姿。満足そうに笑みを浮かべる男は はだけた肌に留まったもう一匹に気づけなかった…! ふぅ、とため息をついて道端の岩に腰かける。 下帯のすぐ脇… まぁつまり、ふぐりにとても近い場所を食われた男は、だらしなく股を広げながら ぼりぼりと痒みを取る。誰もいないのだから恥もクソも無い。 …蝉達の声は笑い声か? 天辺がつるりと磨かれたその岩は、彼がこれから向かう故郷が近い事を示している。 ----------------------------------------------------------------------- 隅野川と名づけられた(名前の通り帝都の隅を流れる)大きな川の程近く。 罪人の末裔、革職人やら芸事でしか生きてゆけない者達が暮らすその村は 穢人頭、傾国屋 弾右衛門(けいこくや だんえもん) ──正式には十五代目弾右衛門助信(すけのぶ)── の治める穢人集落の一つである。 その中でも特にこの村は、楽才、画才に恵まれたものが多く輩出される場所で 名声を求めて村を出るものが多いことから、「浮草」などと呼ばれている。 水にあおられあっちへふらふら、こっちへふらふら。 彼、頼片蓬莱はこの「浮草」という名前を気に入ってはいない。 「なんだか知恵が足りねぇみてぇじゃねぇか」というのが彼の言い分だが 彼自身が正にその「浮草」なのだ。 浮き草稼業を止めて、村に戻ってきた「翁」(歳をとり、尚且つ芸事に達者な者は皆こう呼ばれる) 達に三味線を習い、村を出てから三十年。 その間蓬莱が故郷にいた期間は一年に満たないだろう。 ある時は帝都の路上で、ある時は東国の見世物小屋で またある時は皇国の酒場で吟遊詩人と… あらゆる場所でその音色を披露し、日銭を稼ぐ。それが彼の生き様なのである。 名声よりも金よりも、ただ「音ヲ楽シム」ことだけを信条にしてきた。 ある種異質な浮草ではあろうが…。 とまぁそんな彼が放覩に戻ってきたのに特に理由があるわけではなく… いや、ある。 村の酒が飲みたかったのだ。 という訳で、襲い来るヤブ蚊どもと格闘しながら、蒸し暑い、とても蒸し暑い 森の中歩みを進めた蓬莱であった。 ---------------------------------------------------------------------------- 恐らく何千何百と言う浮草たちをその頭の上で休ませてきた腰かけ岩の上で 蓬莱は握り飯を頬張っている。 塩だけの質素極まりない握り飯ではあるが、しっかりと噛み締め、甘味が出るまで味わう。 塩味とほのかに香る甘味を充分に味わってから飲み込むと、なんとも言えぬ幸福な心持に 包まれる蓬莱である。 竹筒を取り出し、少しづつ味わうようにして飲む。唄も謡う蓬莱は、飲み水だけはこだわる。 帝都のはずれの茶屋「遠野屋」の裏にある井戸水は、特別に美味く、ほのかな甘味すら感じるほどである。 …まぁ科学的見地で喉に良いか悪いかはこの際置いておこう。 彼の中では「美味ければ体に良い」のだ。 「んめぇ〜!」 昼飯を済ませた蓬莱は俄然気力を取り戻した。ヤブ蚊も湿気もなんのその。 身体健康意気軒昂である。 元気な体には元気な蚊が寄ってくる。 あの捕らえどころの無い、やる気があるんだか無いんだか解らん軌跡で蓬莱の むき出しの、隙だらけの肌へと向かう蚊達…         ぼっ 神速で動いた蓬莱の手が、慢心した蚊達を捉えた。 掌には蓬莱の血に溺れた黒い死骸。 「あっ、てめぇら!…へへん、欲張るから痛い目に会うんだよ!」 四十路を越えた男とは思えぬ言葉を哀れな飛虫どもに吐き捨てると 欲張りどもを指で弾き飛ばし、血を舐め取る。 お仲間の末路をその小さな目に留めておきながらも尚、勢いを止めぬヤブ蚊達。 ぱぱぱっ、と空を疾走る蓬莱の手に命を散らしていくが… 食欲と言うものはいかな虫達でもとどめる事は出来ぬものなのだろう。 次から次へと… 「しょーーーがねーーーーなぁーーーーー!いっちょ俺様の音を聞いて  おめぇらも楽しむといいぜぇ!」 背負った『舞姫』を小脇に抱え、下帯にさした撥を右手に構える。 「長旅の 疲れに輪をかけ縄をかけ 集る血吸いの 雨に似る事…」 「御代は聞いてのお帰り!」 「蓬莱ノ十五番!『浮草ニ霧雨』!」 てん、とん、つと、ちとしゃん、ぺん、ぺん… 風に流され肌に纏わりつく霧雨のような、柔らかい、ゆったりとした旋律が 森に響き渡る。 …いつの間にか蝉達は叫ぶのを止め、執拗に口撃を続けた蚊達も、息を潜めた。 つとてん…ちゃんととちゃん、とんてんとんたんてん… もう誰も彼を邪魔するものはいなかった。 彼の奏でる音に誘われたのか…霧雨がゆっくりと蓬莱を、森を覆ってゆく… たん、とんてんとんべぃん! 「げっ!」 あまりの湿気に、ついに『舞姫』がキレた。 『絃に露が滴ってる中でまともに弾けるわけないでしょ!このダメオヤジ!』 …とでも言いたいのだろう。 「えーと…まぁ…あれだ、今日はここら辺でお開き…」 ばつの悪そうな顔をして蓬莱が言い訳を始めようとした瞬間 蝉達は今までの倍以上の大騒音を持って答え 更にいつの間にか聴衆になっていた蛙たちはぐあぐあとブーイングをかまし 更に… 「…まぁ、まぁ、その、なんだ、落ち着きけよおめぇ達!ほら、よく言うだろう?  じょうナントカは金、えー沈黙は…」 少々頭の足りないところを晒してしまった蓬莱に向けて 黒いつむじ風と例えてよいであろう、大量の蚊の群れが、彼の通ってきた方向から迫ってくる! 「…三十六計、逃げるがナントカ!」 『舞姫』を抱えて全力で走りだ……そうとしたが、霧雨で湿った地面は 下駄の歯を思いっきり滑らせ、蓬莱は潰れた蛙のように這いつくばった。 「いって…」 顔についた泥を払って目を開けたら、もうそこは漆黒の空間でした。 「うっぎゃああああああああぁぁぁぁぁ…。」 中年親父の断末魔は蝉の声、蛙の鳴き声、蚊の羽音に掻き消されて 誰の耳にも届く事は無かった… ─完─ --------------------------------------------------------------- …… 『這う這うの体』とはよく言ったもので、まさに這いずる様にして 蓬莱は浮草村にたどり着いた。 「ふぉんなひへぇはっほうれふふほはな…」 最早何を言いたいのか解することは不可能に近いが、それもそのはず 彼の顔は通常の三倍ほどに真っ赤に膨れ上がり… しかし歩みは三分の一の速度であった。 というか、露出した肌の全てを食われたと言っても過言ではない。 つまり人足でもしないくらい露出度の高い蓬莱にとっては、体の全てを 食われたと言っても過言ではない。 懐かしの我が里に向かって一歩一歩、歩みを進める。 粗末な作りの木戸を通り抜ける。 懐かしいボロ家が幾つも立ち並んでいる。どれも背が低く、吹けば飛びそうな 隙間風の酷そうな… しかし蓬莱はその中に住む者たちの暖かさを知っている。 学も品も無い、ど阿呆達の屈託の無い笑みを知っている。 為吉の家の洟垂れ…確か小太郎だったか、は元気だろうか? 平蔵翁は流石にくたばっただろうか?初孫も出来たし、そろそろあの世にいってるかもな。 吉佐はまだカカアの尻にしかれてんのかな? 留造のとっつぁんは相変わらず自前で飲んでんのかな?とにかくたっぷり分けてもらおう。 沙世はまだ「お霜」の帰りを待ってんだろうか? 木戸をくぐれば蓬莱は「頼片 蓬莱」ではなく「浮草村の又八」に戻るのだ。 「ふぉーひ!まははひふぁはえっふぁふぉー!」 まともに声にならないがとにかく叫んでみる。 …誰も姿を現さない。 どういうこった?いつもだったら村の衆皆がどっと集まってくるのに…? 「ふぅぉーーひっ!はえっふぁれはふぉー!」 …村は静まり返ったままだ。 そういえば洟垂れどもが駆け回る姿をちっともみかけない。 どこの家も戸を閉めたままだ。 なにかあったな…? 為吉の家の戸を叩く。更に叩く。 一向に返事は無い…居留守を使われているようだ。 なんだかいらいらしてくる蓬莱。 「(こんなぼろぼろになって帰ってきたってぇのになんちゅう仕打ちだ!)」 怒声一発、思いっきり戸を蹴破る。 奥でガタガタと震えている為吉一家の姿がそこにはあった。 「うわぁああああああっ!」 子を庇うようにして抱えていた為吉の女房の腕をすり抜けて、小太郎が突進してくる。 小太郎の頭突きが、蓬莱の股間にめり込んだ。 「う、むぅん…☆」 情けない呻き声をあげて倒れ伏す蓬莱。 「…又八!?又八じゃねぇか!!」 親友の声を聞いた気がしたが、極度の疲労と激痛に耐え切れず 又八こと蓬莱の意識は暗転した。 〜続く〜