麻奴華は今回の任務に選ばれたのが自分であるという事に思うところがあった。 一緒に任務に就くヴァイスが選ばれたのは彼自身が言うとおりヴァイスが暗殺を得意としているから分かる。 では麻奴華が選ばれた理由はというと他の者よりターゲット、呪井影郎について知っているからという事らしい。 確かに敵を知り己を知らば百戦危うからずと言うし何より上の決定だから従う他ない。 しかし正直なところ麻奴華は呪井の事をそれほど詳しく知っているわけではないのだ。 確かに訓練期間中に麻奴華は呪井から教育を受けた事があるので師弟関係と言えるかもしれない。 だがそれはたった3ヶ月間だけでしかも3年も前の事である。 加えて呪井は必要以上の事はあまり喋らなかったし麻奴華の前で能力を使った事もない。 はっきり言って麻奴華が他人より呪井について知っている事といえば超能力者らしくない超能力者という事くらいだ。 一応その事は進言したのだがそれでも全く知らない者よりはマシだろうと言われ編成を変えぬまま任務に向かう事となった。 そして現在ヴァイスと麻奴華はターゲットがいるというやはり廃れた工業団地を歩いている。 「しかしまたしても廃工場とはね。君のお師匠様とやらは工場マニアか何かかい?」 隣を歩くヴァイスがからかう様な口調で麻奴華に話しかける。 「別にそういう理由はないと思うわ。ただ私の知る限りあの男は効率を重視するタイプだからこの場所にいるにも何かしら理由 があると思うわ」 「ふん、理由ね・・・ターゲットの能力は君と同じだったな」 「おおまかに見ると同じだけど厳密には呪井影郎の力は超能力ではなく陰陽術よ。だからタイプ的には超能力者というより魔術 師に近いわね」 「魔術師か。そりゃまた殺しにくい相手だな」 「むしろ面倒なのはそのスキルより本人のキャラクターだと思けど」 「どちらにせよ相手はC級能力者、おっと今はB級か、B級1人でこちらは2人だ。負ける事もあるまいさ」 「ヴァイス、相手が誰だろうと油断は禁物よ。まして相手は『NEXT』の超能力者を3人も撃破している相手なのよ」 「油断はしていない。ただ心に余裕があるだけさ。過度な緊張は動きを鈍くするのさ」 「・・・それならいいけどそろそろよ。無駄口も控えて」 渡された資料によると呪井影郎の根城はまたしても廃れた工業団地である。 こうして短期間に居所が知れるのは組織というネットワークの利点だろう。 これまでも呪井の居所はすぐに特定していたし今回も僅か2日の早業だ。 そしてどうやら今回は情報が漏れてなかった様で呪井が根城にしているという倉庫に2人が入った時呪井は電話中だった。 「あぁ分かっているさ・・・おっと、すまない来客だ。後でこちらからかけなおす。あぁすまないね」 呪井は2人の突然の来訪にも特に驚いた様子もなくごく普通に通話中の電話を切った。 倉庫の中は薄汚れた外観と違いちゃんと人の住める空間となっていた。 とはいえ元々倉庫であった名残として壁際には積まれた鉄骨やコンテナ等が並んでいる。 「・・・さて、とりあえずいらっしゃい、といったところかな」 呪井は座っていた椅子から腰を上げる改めて2人に向き直った。 「ならばこちらはおじゃましますと言うべきかな?」 「ヴァイス・・・」 「まぁいいじゃないか。軽い冗談さ。さて呪井影郎。言わずとも分かってるだろうが我々は『NEXT』の者だ。今日は貴方の首 を貰いに来た」 「生憎首は1つしかなくてね。首がほしいならキングギドラかヤマタノオロチにでも頼んでくれるかい」 「そういう訳にもいかなくてね。我々が欲しいのは貴方の首なんだよ」 「そうか、それは残念だ」 バ ン バ ン バ ン 倉庫に響く3つの銃声。 「・・・ぐっ、ぅぅぅ、かはっ・・・」 腹部に3発の銃弾を受けたヴァイスはその場に倒れ血を吐いた。 「ッ!?ヴァイスッ!!」 「無駄な殺生は趣味ではないがが仕方がない。降りかかる火の粉は払わせてもらうよ」 「くっ!」 バ ン バ ン バ ン 呪井は眉1つ動かさずに再び引き金を引いた。 麻奴華がその銃弾を避けられたのは初対面時にいきなり撃たれたという経験が大きいだろう。 呪井が拳銃を使う事は知っていたしヴァイスにも伝えていたがやはり実際に経験した者としてない者では覚悟が違った。 呪井の事をよく知らないと思っていた麻奴華だったがやはり麻奴華は呪井という男を知っていた。 実際今の銃撃も麻奴華でなければ当たっていただろう。 麻奴華は回避動作を取りながら懐から掌に収まるほど小さなナイフを取り出すと同時に鋭く投擲した。 血印は事前に施してあるのでわざわざ身体を傷つける事もしない。 ナイフは真っ直ぐ呪井に飛んで行きその身体に突き刺さる前に空中で消えた。 いや、消えたのではない。ナイフは捕獲されていた。 呪井の肩には猛禽と思しき1羽の鳥がとまっておりその嘴には麻奴華の投げたナイフが咥えられている。 この鳥こそが麻奴華も初めて見る呪井影郎の式神であった。 「な、なんだその鳥は!?鷲、いや鷹か!?」 「この鳥は鷲でも鷹でもない。隼だ」 バ ン バ ン バ ン 呪井はやはり表情を変えないまま三度銃撃を行った。 「くぅ!」 驚いた隙を狙われたため今度は避ける事が出来ず麻奴華はヴァイス同様腹部に銃弾を受けた。 着弾の衝撃で麻奴華の身体は後ろに吹き飛んだがそのまま倒れる事はなく地面に手をつきそのまま側転で呪井から離れる。 「ふむ。防弾チョッキを着ていたか。能力者にしては珍しいな」 呪井は感心した様に呟いたがやはり表情は変えていない。 今度は追撃の銃撃はなかったが代わりにその肩にとまっていた隼が麻奴華めがけて猛スピードで飛んで来た。 それも1羽だけではない。 文字通り突然現れた隼の数は2、合わせて3羽の隼が麻奴華に襲い掛かる。 だが若くとも麻奴華は『NEXT』の構成員である。隼だろうと鳥如きに遅れをとるはずがない。 「はぁっ!!」 襲い掛かる隼を両手に構えたナイフであっさりと仕留めると隼はそのまま溶ける様に消え失せ3発の弾丸がコンクリートの床を 鳴らした。 「なるほど、これが貴方の能力という訳ね」 「ご明察だ」 「昔はいくら頼んでも見せてくれなかったのに敵対したら見せてくれるなんて皮肉ね」 「私の教えを忘れた訳じゃあないだろう。手の内を明かさないのがプロなのさ」 何気なく口に出した言葉を拾われ麻奴華大きく目を見開いた。 「驚いた、私の事覚えてたのね。てっきり忘れられてると思ってたわ」 「これでも記憶力はいい方でね。ましてや可愛い元教え子の事を忘れる訳がないだろう」 「何も言わずいきなり銃撃されれば誰だってそう思うわよ。相変わらず無駄が嫌いなのね」 「そうでもないさ。現にこうして敵である君と無駄話をしている」 「ふふ、それもそうね」 「だがそろそろ殺し合いを再開しようか。御光院麻奴華くん」 麻奴華の名を呼ぶと同時に呪井は駆け出していた。 呪井はその陰気な風貌からは想像出来ないほどの速さであっという間に麻奴華のすぐそばまで接近すると床を強く蹴って跳躍し そのままの勢いで飛び膝蹴りを放った。 「がっ!」 麻奴華はほとんど不意打ちのその一撃をモロに顔面に食らい今度こそ受身も取れず無様に倒れた。 呪井は攻撃の手を休めず床に転がる麻奴華をまるでサッカーボールの様に何度も何度も強く蹴り、踏みつけその度に麻奴華は呻 き声を上げる。 「ガハッ!ガハッ!グフッ!」 「どうした麻奴華くん。私の教えを守っていなかったのかい。超能力者だろうと格闘の訓練はしっかりやるべきと教えたじゃな いか。人間最後に物を言うのは単純な暴力だと教えたじゃないか」 まるで出来の悪い生徒を注意するかのように呪井は黙々と足蹴にし続けている。 麻奴華はただ蹴られ続けるだけだったがそれでも顔や鳩尾などの急所だけはしっかりと守る事でギリギリ意識を保っていた。 だがいよいよ意識が落ちようとした時呪井の蹴りが止んだ。 麻奴華は落ちかけた意識を辛うじて持ち直しほぼ無意識に倒れたまま腕を振り回した。 「おっと」 攻撃とも呼べないような当てずっぽうの反撃は当たり前だが呪井には通用しなかった。 だがそれでも呪井は回避動作を取ったらしくほんの僅かだが間が出来る。 その一瞬の間に麻奴華は腕を振り回した勢いを利用で無強引に起き上がるとすぐに呪井の方を見た。 それと同時に呪井は構えていた拳銃の引き金を引く。 バ ン バ ン バ ン 「ぐぅっ!!」 撃たれたのはやはり胴体だったが防弾チョッキを着込んでいるとはいえあまりに距離が近すぎた。 超至近距離から放たれた銃弾はすでにボロボロの身体に更なる衝撃を与え麻奴華はトタトタと後ろによろめき背後に積まれてい た鉄骨にもたれる事でようやく止まった。 倒れていないのは鉄骨の支えがあるからでそうでなければとっくにへたり込んでいる。 これほどまでにダメージを受けたのは初めての事でありそのあまりショックにサディスティックなはずの麻奴華の気性はすっか り失われていた。 だからといって彼女の知る呪井という男は手心を加えてくれる相手でもない。 すぐに近づいて来た呪井は鉄骨にもたれる麻奴華の首を押さえ着ているベストのポケットに無理矢理何かを捻じ込むとすぐにま た離れていった。 捻じ込まれたのは弾薬がフルに装填された自動拳銃の弾倉だったが── 「爆ぜろ『弾蟲』」 麻奴華がその事に気付く前に弾倉が爆発した。 「ガハァッ!・・・!ッハァッカハッ・・・!!コホッ」 弾薬12発分の火薬の爆発は防弾チョッキを貫通し麻奴華の腹を抉った。 致命傷にまでは至らないがかなりの深手である事は間違いないだろう。 麻奴華はついにその場に座り込んでしまった。おそらくもう立つ事は出来ないだろう。 「・・・ハァ・・・ハァ・・・ハァ・・・」 「やはり防弾チョッキ越しじゃあ致命傷にまではならないか。だけどまぁこれでようやく落ち着いて話が出来る」 「・・・ハァ・・・ハァ・・・」 「正直なところ私は君と再会出来て人並みには喜びを感じているんだよ、麻奴華くん」 「・・・・・・」 「出来ればもっと落ち着いて、そう、酒でも飲みながら昔話でもしたかったな。だけど君は私の敵として現れてしまった。しか もせっかくの再会の場面に関係ない第三者まで連れて。非常に残念だったよ」 「・・・ハァ・・・物凄く・・・ハァ・・・嘘臭い・・・わね・・・ハァ」 「いやいや紛れもない本心さ。まぁそういう理由でまずは名も知らぬ彼から片付けさせてもらったのだが彼がもし君の親しい人 物だったのなら謝る事も厭わないよ。もちろん上辺だけだがね」 「別に・・・特別親しい・・・ハァ・・・訳でもないわ。ただの・・・ハァ・・・同僚よ・・・」 「そうか、それは結構」 それからしばらく呪井は何事かを喋り続けたが出血と衝撃のショックで意識朦朧とした麻奴華は言葉を口にしながらも自分で何 を言っているのか分からなかった。 ただ1つ分かっているのは今は少しでも呪井の注意を自分に向けさせるという事だけだったがようやく機は熟したようだ。 「呪井影郎・・・」 「なんだい麻奴華くん」 「そろそろ喋るのも辛くなってきたの・・・。いっそひとおもいに殺して楽にしてくれないかしら・・・」 「そうだね、実は私もさっきから辛そうだなと思っていたんだ。よろしい。死に際の介錯を務めるのも師匠の務めだ」 「ありがとう。出来れば・・・そうね。貴方の最高最大の大技で殺して頂戴。私はちっぽけな超能力者だけど最後くらい派手に散 りたいのよ」 「分かった。君がそう望むのならそうしよう。君は私の最高の式神で殺してあげよう」 そう言うと呪井は懐から何本も銀筒を取り出しそれを宙に投げた。 すると銀筒は宙で爆ぜ、中からパチンコ玉程度の小さな赤い鉄球が幾つも出てきた。 無数の鉄球は地面に落ちる事もなく宙に浮いたまま数珠状に連なりその長さは20m近くにも及んだ。 「式神龍『赤雷雲』」 数珠状になった鉄球は呪井の言葉で受肉し長大な真紅の龍へと姿を変えた。 先日刺客の男を絞め殺した龍と比べると大きさから風格まで桁違いである。 真紅の龍はゆっくりと宙を漂い主の命令を待っている。 「さて、では覚悟はいいかな」 「・・・ごめんなさい」 「うん?どうしたんだね」 「・・・やっぱり私、死にたくないわ!」 麻奴華は最後の力を振り絞り呪井に反逆の言葉を吐いた。 『幸い』麻奴華は血塗れの重傷で周囲には麻奴華の血が飛び散っている。 当然もたれている鉄骨もべったりと血に濡れている。 そしてべったりと血の着いた鉄骨というのは麻奴華にとって手足と同義語である。 鉄骨は不可視の力に操られ呪井めがけて飛んで行く。 重さ1tを越す鉄骨が何本も飛んで来れば防御出来る人間はいないだろう。 それは呪井影郎とて例外ではない。 だが今彼の前には人ならざる真紅な龍がいるのだ。 真紅の龍は飛んで来る鉄骨を太い尾で全て叩き落とした。 「・・・残念」 「中々悪くない策だったが残念だったな。私の式神が赤雷雲でなければ間違いなく私を殺せていただろう。結果論だが君は私に 式神を出させるべきではなかったな。さて、今度こそ万策尽きただろう。それでは安らかに眠りたまえ」 呪井が右手を掲げると真紅の龍は今度こそ麻奴華に襲い掛かった。 「やっとその化け物から離れてくれたな」 「ッ!?」 「死ぬのはお前だ。呪井影郎」 完全に意識の外からの攻撃に呪井の反応は遅れ、その遅れは致命的なものとなった。 呪井が気付いた時にはもうその首に真紅の虎が喰らいついていた。 「ぐ、があぁぁぁぁぁっ!!!」 真紅の虎は容赦なく呪井の首に牙を突き立てゴリゴリと骨を砕く。 その光景を眺めながらヴァイス=ヴァーグナーは腹を押さえながらゆっくりと立ち上がった。 最初に呪井に撃たれたヴァイスだったがは実は弾丸は1発しか当たっていない。 身長180pを越す長身のヴァイスだがその体重は40kgに満たない超々スリム体系である。 当然着ている服もスカスカで呪井の放った3発の銃弾の内2発はただヴァイスの服に穴を開けただけだったのだ。 だが銃に撃たれた事は変わりなくしばらく気を失っていたが呪井と麻奴華の戦闘の音でようやく目が覚めた。 あとは簡単な話で呪井がヴァイスに背を向け麻奴華と話している時に麻奴華に絵を描く時間を稼ぐよう無言でサインを送ったの だ。 大技云々の辺りは麻奴華の機転だろう。 大技というのは強力であると同時に生じる隙も大きいもので呪井の場合は強力な式神を使役している間は他の式神を使えないだ ろうと考えたに違いない。 そして絵を描き終えたヴァイスは再び無言でサインを送りそして現在へと至るという訳である。 「ぐうぅぅぅ!くぅぅうぅぅうぅ!!!」 「血液操作がお前の専売特許と思うなよ呪井影郎。私も、そこにいる御光院麻奴華も血液操作のエキスパートなのだ!」 「ぐ、くおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」 ヴァイスが叫ぶと虎の牙はより一層深く喰い込んだ。 だが肉が裂け骨を砕かれてもなお呪井影郎はしぶとくもがいている。 自分の首を噛み身体に圧し掛かる虎の下でもがいてもがいてもがいてもがいている。 頼みの綱の式神は凄まじい激痛で操る事が出来ず今の呪井に出来る事はとにかくもがく事だけだった。 「くうぅぅぅぅぅぅおぉぉぉぉぉぉ!!!」 このまま絶命をするのを待つだけかと思われた呪井だったがその凄まじいまでの執念が奇跡を呼んだのか闇雲に振り回していた 腕が偶然にも虎の目を引っ掻いた。 「ぎゃっ!!」 すると何故かヴァイスが目を押さえて叫び同時に虎の圧力どころかその姿まで消え失せた。 これは呪井の知らない事だったがヴァイスの生み出した生物の五感はヴァイス本人と繋がっており呪井が虎の目を引っ掻いた事 でヴァイスにその痛みが伝わったのだ。 それもただ引っ掻いたのではなく文字通り死に物狂いの力で引っ掻いたのだから堪らないだろう。 ヴァイスもまた呪井同様激痛で能力を解除してしまったのだ。 「ヒュゥー・・・ヒュゥー・・・ヒュゥー・・・」 何とか難を逃れた呪井だったが受けたダメージはあまりにもでかすぎた。間違いなく致命傷である。 それでも傷口を押さえ立ち上がろうとするのは大したものである。 だが呪井の王はすでに詰んでいた。 呪井の目の前には幾つものコンテナを掲げた麻奴華の姿があった。 「ま、麻奴華くん・・・」 「さようなら。呪井先生」 麻奴華は皮肉たっぷりの声で呪井影郎に引導を渡した。 「麻奴華、生きてるか」 「ええ何とかね・・・。幸い致命傷にはなってないわ」 ヴァイス=ヴァーグナーと御光院麻奴華は倒れたまま声だけで互いの無事を確認しあった。 死ぬほどではないにせよ受けたダメージが大き過ぎて立ち上がる気力もないのだ。 「とりあえず上には連絡を入れたからじきに回収部隊が来てくれるだろう。それにしても本当にやったのかい?」 「ええ・・・間違いなくやったわ」 2人は倒れたまま顔だけを動かして積み重なったコンテナの山を見た。 その下敷きにされた呪井影郎の生存率は間違いなく0%だろう。 その後しばらく沈黙が続いたがふいにヴァイスが思わぬ事を口にした。 「おめでとう」 「え・・・?」 「おめでとうと言ったのさ。君は今日師匠を越えたのだ。だからおめでとう」 「・・・あれを師匠と呼んでいいのか今でもまだよく分からないけど・・・ありがとうと言っておくわ」 それを最後に2人の意識は完全に失われた。 次に2人が目を覚ますのは医療施設のベッドの上である。 任務完了の知らせを受け幹部の男は心底胸を撫で下ろした。 「ようやく死んでくれたか・・・。全く忌々しい野良犬め」 この幹部の男にはある秘密があった。 それは約一月前の事で自ら任務に赴いている時たまたま偶然別の件で動いていた呪井影郎と遭遇したのだがその時幹部の男は呪 井に任務に関わるある重大な情報を知られてしまったのだ。 その場は波風を立てたくなかったので呪井に金を握らせて黙らせたが出来る事ならその場で呪井を殺してしまいたかった。 任務が終われば知られた情報も意味はなくなるのだがそれは本来部外者が知るはずのない情報で、もしそれを呪井が知っている 事が『NEXT』の上層部に知れたら一大事である。 自分の幹部としての資質を疑われるどころか下手をすれば情報を外に流した裏切り者と思われてしまうかもしれない。 考えすぎかもしれないが一度不安を感じてしまうとどうしようもならず気がつけば独断で呪井影郎の抹殺指令を出していた。 だがその抹殺指令もことごとく失敗しあっという間に3人の構成員を失っていた。 こうなるともう後戻りは出来なくなりその時たまたま手の空いていたヴァイス=ヴァーグナーと御光院麻奴華の2人を刺客とし て差し向けた。 暗殺任務を主とするヴァイスはともかく御光院麻奴華は戦闘能力にやや疑問があり案の定ヴァイスにその事を指摘されたが大変 都合の良い経歴の持ち主だったため容易く言いくるめる事が出来た。 さすがに麻奴華本人が呪井との関連性の薄さについて進言してきた時は少し焦ったが無理矢理納得させた。 とにかくこれでもう男を悩ませる存在はいなくなったのである。 あとは3人の構成員の死を上手い事偽装するだけだがこれはそう難しい事もないだろう。 とそこで部屋に備え付けてある電話が鳴った。 「もしもし、私だ」 『よぉ、相変わらず陰気な声してんなおっさん』 「・・・っ!柳か・・・何の様だ」 電話の相手は同じ幹部の柳秋一だった。 同じ幹部といっても男は構成員から昇格した生え抜きであるのに対し柳は外部からヘッドハントされたいわば客将である。 その癖人一倍偉そうで目上の者に対しても敬語さえ使わないので男の評価は決して良くなかった。 「私はお前と違って忙しいんでな。くだらない用件ならば切るぞ」 『オイオイそんな事言っていいのか?せっかくとっておきのネタを持ってきてやったってのによ』 「・・・言ってみろ」 『お前自分のミスを揉み消すのに部下動かしやがっただろ。それも3人も。いや、今出てるのを足すと5人か?それも内3人は死 んでるらしいじゃねぇか。こりゃ一大事だな。ん?』 「な、何故お前がその事を・・・ッ!?」 『んな事ぁどうだっていいだろ。てゆーかもう上の連中はお前の処分を決めてるんだよ。お前もういらないってよ』 「・・・・・・そ、んな・・・馬鹿な事があるか!!」 『うるせぇ!耳元で叫ぶんじゃねぇカスが!殺すぞ!てゆーかてめぇの処分は俺に任されてるから殺す事は最初から決まってん だけどな。ははははは!!』 「ま・・・待ってくれ!頼む!チャンスをくれ!」 『もうおせーんだよバーカ。ついでに言うとてめぇの統括区も丸ごと俺が引き継ぐ事になってるから面倒くせぇ書類整理とかは やっとけよ。そうすりゃ少しは楽に殺してやるからよ。つー事でよろしく』 柳は一方的に用件だけを告げるとさっさと電話を切ってしまった。 「私の・・・私の・・・私の・・・」 男は自分の足元が崩れる音を確かに聞いた。 ヴァイスと麻奴華が回収され誰もいなくなったその倉庫を訪れた人物がいた。女である。 女は血の様に赤い真っ赤なメイド服姿で迷いの無い足取りで倉庫の中央に詰まれたコンテナの山の前へとやって来た。 「・・・・・・」 女は無言でコンテナを掴むと信じられない事にそのまま持ち上げて後ろに投げ捨てた。 ドスン ドスン ドスン 鉄のコンテナをまるでゴミでも捨てる様に軽々と放り投げていく。 そうして全てのコンテナをどかし終えるとそこには血の海とかつて人型だったものが現れた。 猟奇的な光景を前にしても女は顔色を変えず死んだ男の名を呼んだ。 「影郎様。お迎えにあがりました」 すると女の呼び声に答えるかの様に赤黒い血の海の中心が一層赤黒くなりそこから人間の腕が生えた。 いや、腕だけではない。 そこから出てきたのは人間そのものである。 そしてその人間は死んだはずの呪井影郎だった。 「お迎えご苦労血鶴。危うく死ぬところだったよ」 「いえ、主を迎えるのは式神の務めですから」 「それもそうだな。それより血鶴、『血袋人形』が死んでからどれくらい経った?影沼の中だと時間がよく分からないんだ」 「約3時間が経過しております。それと影郎様が不在時に柳様から連絡がありましたのでお仕事中である事をお伝えしてこちら から折り返し連絡すると伝えておきました」 「そうか分かった」 そう言うと呪井はポケットから携帯電話を取り出しボタンを操作する。 しばらく待つと友人であり今回の依頼人でもある男が出た。 『よう。上手くいったみたいだな』 「どうも柳さん、おかげ様で」 『お前にしては珍しく時間がかかったじゃねぇか。死んだかと思ったぜ』 「実際一度死んだ様なものだよ。苦労して作った贋作が壊されてしまったからね。大体相手が2人だなんて聞いてない」 『仕方ねぇだろ。俺も知らなかったんだからよ。つーか生きてるんだからいいじゃねぇか』 「こっちは友人のよしみで特別料金でやってあげてるというのに酷い言い草だな。柳さん、料金割り増し決定だな」 『ケチくせぇ事言うなよ呪井。大体特別料金とか言ってもかなり法外な金額じゃねぇかこの銭ゲバ陰陽師』 「何と言われようと結構。それより柳さん。そちらの方は上手くいったんだろうな。ここまでやって失敗したとか言ったら絶交 だぞ」 『んなもん上手くいったに決まってんだろうが。ってか絶好っててめぇ小学生かよ。もうすぐ三十路のくせしやがって』 「年齢は関係ないだろう。しかしそろそろ聞かせてくれないか。どうしてその幹部を嵌めたんだい?」 『んー、前々から気に入らなかったんだけどこないだの幹部会で俺の事非難しやがったから』 「・・・それだけかい?」 『それだけだよ。何か文句あるかコラ』 「・・・いや別に。まぁ柳さんらしい理由で安心したよ。しかしそれだけの為に関係のない構成員を5人も巻き込むとはね」 『その内3人を殺してるお前が言えた台詞じゃねぇだろ。そもそもこの依頼を受けた時点でてめぇも片棒担いでんだよ』 「そんな事は分かっているさ。ただね・・・」 『あ、悪ぃ。この後女のとこ行く用事あるから切るわ。またな』 ブッ ツーツーツー 「・・・・・・」 「お電話はお済でしょうか」 「あぁ、終わったよ。何もかもね・・・。さて、これからどうするか。この倉庫も使えなくなったし新しいアジトでも探すか」 「かしこまりました」 そう言って呪井影郎と赤いメイドは歩き出した。 呪井が生きている事はいずれ麻奴華達の耳にも入るだろうが構わない。 どうせその時には『NEXT』から狙われる事もなくなっているだろう。 その辺りの事は彼の友人がやってくれるはずである。 「それにしても3年見ない間に彼女も随分逞しくなったものだ。出来る事なら長生きしてほしいものものだね」 その言葉を最後に呪井とメイドは工業団地を後にした。 The end