魔道商人記 12話目 〜別離〜  ブレイブは『皆殺しの矢』の一本が『黒の樹海』にある事を突き止めた。 黒の樹海とは、グリナテッレ、ゴブタニア、ポーニャンドなどにまたがる太古の 樹海の一つで、規模こそ黒の森や夜の森に劣るものの、その危険度はけして劣る ものではない。何故ならば、黒の樹海にはダークエルフの集落があるからだ。 ダークエルフとは亜人の一種であり、妖精族でもある。エルフは人と生物的に差 が少ないようで、交配例が数多く見られる。下手をすると、純粋なエルフよりも ハーフエルフ、クォーターエルフの方が個体数は多いかもしれない。 ダークエルフになるとさらにそれが顕著で、特に黒の樹海のダークエルフ達は、 愛の女神『フィエーラ』の教えを遵守していて「産めよ増やせよ樹海に満ちよ」 の道をどこまでも突き進んでいるのである。 ダークエルフを闇属性の邪悪な存在だと単純に考えている人々には、彼らが愛の 女神の使徒であるという事実に驚きを覚える事がままあるが、子作りの前段階で あるまぐわいが快楽を伴う事を思えば、享楽的な彼ら彼女らがそれを嬉々として 受け入れた事など容易に想像できるというものだ。 ブレイブは『黒の樹海』を目指し、ミュラスからグリナテッレ領を抜ける旅路を 選択した。魔王の勢力下であろうゴブタニアルートは論外であるし、ポーニャン ドルートも、先の二つの塔での戦いで警戒が強いと踏んだからである。 グリナテッレは様々な異名を持つ国である。『北方の暗黒帝国』、『夜魔領域』 『黄昏の都』…いずれも自称ながら、おどろおどろしい印象がある。 国の形態は非常に特異なもので、国家元首となっているのが、魔同盟大アルカナ の一柱である『悪魔』狂王アドルファスなのである。 ブレイブがグリナテッレルートを採択した最大の理由はここにある。おそらくは 大魔王バラニクも、魔同盟大アルカナであるアドルファスとは事をかまえないで あろうと踏んだのだ。 いざグリナテッレへ!その矢先に、彼らは珍妙なモノに出会ってしまった。 ミュラスからグリナテッレへ抜ける街道沿いで、彼らはいつも通りキャンプを張 っていた。ブレイブとハンナが野草、香草を集め、マオが付近の野生動物を狩り ローラローラがそれらを材料に食事を作るという役割だ。マオはどうやら獲物を 求めて、かなり遠くまで行ってしまったようだ。 「強敵の気配がする。殴り倒すよ」 出発前に彼女はそう言ってニヤリと笑っていた。が、戻ってこない。 メインディッシュの肉が来なければ調理も進まない。仕方が無いので、もう少し 腹の足しになりそうな物を探しに、ブレイブ、ハンナ、ローラローラが付近の森 を探索していた時、目の前にそれはブラ下がっていた。 中央大陸だけとは言え、ブレイブは相当広範囲に渡り旅を続けてきている。また 商人同士の情報網もあり、様々な知識は得ていたつもりであった。 が、その知識の中には、このような珍妙な生物の存在はなかった。 一見すると普通の人間の少女に見える。手足はか細く小柄で、金に輝く長い髪、 顔立ちは端整と言っても過言ではないだろう。が、そこからがあまりに人と異な っている。彼女には(おそらくはメスであろうとブレイブは分析した)額に大き く見開いた赤い目があった。そして何故か、首輪と手かせと足かせがはめられて いて、その全てが鎖で繋がっているのだ。着ている衣類は奇妙なほどに派手で、 赤いマントを羽織っていて、王冠らしきものを被っていた。時折、衣類の裾から コウモリのような羽根や、まるで魔族のような尾が見える。 そんな姿のモノが、動物捕獲用のワナにひっかかっていたのだ。胴体のど真ん中 をギザギザの歯のついたトラップで挟みこまれ、そこに繋がった鎖で木の枝から ブラブラと見事にブラ下がっている。 「助けてください。ヒマで死にそうっす」 言語は人と共通のようだ。若干ながら訛りがあるのは、グリナテッレ特有のもの であろうか。あるいは、彼女の種族特有の口調なのかもしれない。 ハンナはすぐに彼女と打ち解けたのか、その珍妙な生物と世間話をし始めている が、とりあえず人語でのコミュニケーションが可能だという事だけはわかる。 ブレイブがふと横を見ると、ローラローラが百科事典を取り出し(おそらく先日 のキャラバンにて購入したのだろう)その珍妙な生物の事を調べていた。 「そもそもアドちんが悪いんすよ。  この超絶ぷりちーなあたしをほったらかしにして政治なんてクソつまんねー事  ばっかやってるから、ちょっとイヤガラセしてやるつもりだったんす。  ところがこんな所にワナをしかけやがったヤツがいたんすよね。  おかげで3日3晩食事も満足にとれずにブラ下がったままっす。  帰ったらアドちんも3日3晩ブラ下がりの刑っす」 本当にコミュニケーションが可能なのだろうか。先ほどから何とも言い難い自分 勝手な事ばかり言っているように思う。ブレイブは思わず頭を抱えてしまった。 「アホな身内を持つと苦労するんよね。  ウチも商売下手なアホ男を養ってかなアカンから大変なんよ」 おどけた調子でハンナは珍妙な生物に語りかける。が、その内容がブレイブの癪 に障った。いつもの事とは言え、到底許しがたい。 「うおぉい!デッチ!テメー今の言葉は聞き捨てなんねェよ!  誰が商売下手のアホ男だコラ!」 「何や。自覚しとったんかいな。  誰もブレイブの事やって言うてへんのに…」 「アハハ。ホントにアホっすね」 珍獣にまでアホ呼ばわりされ、ブレイブは意気消沈した。怒る気力も無い。残る 気力を振り絞って、ブレイブは珍獣に根本的な疑問を尋ねた。 「だいたいお前は何者なンだ?  お前みたいな珍獣は今まで見た事がねェぞ」 そう尋ねて何か解決する訳でも無いだろうが、尋ねずにはいられなかった。 が、当然のように珍獣からの返答は、何の役にも立たない情報だった。 「珍獣とは何すか。失礼な人っすね。  このぷりちーな姿を見てわからないんすか。  あたしはももブルっすよ。グリナテッレいちの美女っす」 「美女…なぁ。つーか世界一じゃねェんだな。少しは控えめなのか。  美女がケモノ用のワナにかかってるって話は聞いた事がねェけどなぁ」 「世界一はマッスルポチョムキン姫やからね」 「デッチはしゃべんな。場が混乱する」 「しょうがねーんすよ。  家出して腹が減ったところに、美味そうな肉があったんすから。  まさかワナだとは想像もつかないっす」 「意地汚いマネすっからだろうがよ…  とりあえずワナを外してやるよ。  たとえモンスターの子であっても、慈悲をかけるのは大切だ。  お前一つ目だし、大方サイクロプスの子供だったりするンだろ?  群れからはぐれると大変だな」 そう言うと、ブレイブは珍獣をワナから開放した。不思議な事に凶悪なトラップ にかかっていた割に、珍獣には傷一つついていなかった。 珍獣は2、3回ピョンピョン飛び跳ねて体の動きを確認すると、ブレイブに感謝 の言葉を述べるでもなく、悪態をつき始めた。 「何を勝手な想像をしてるんすか。このアホ男。  ももブルは、あくまでも、ももブルっすよ。  サイクロプスとか、どっから出た発想すか」 珍獣は何故か勝ち誇ったように胸を張り、フフンと鼻息を漏らした。 「お前の言ってるコトは、本当にサッパリ意味がわかんねェ  とりあえずお前の保護者はドコのドイツだ?  許可をもらってブン殴ってやるから」 「飯を食わせてくれるのはアドちんっすね。  むしろあたしがアドちんの保護者なんすけどね」 「あー、もう。意味わかんねェ  デッチでもローラでもいいからさ。お前らが相手してくれ。  オレは何だか知らねェが、疲れた」 ブレイブはわざと聞こえるよう、大仰にフウと溜息をついた。それを見て、珍獣 と何故かハンナも揃ってニヤニヤ笑いを浮かべている。普段は見られない調子の 悪さに、物珍しさを感じたようだ。苛立つブレイブをよそに、ようやく何か調べ 終えて、ローラローラがおずおずと話し始めた。 「…あの、もしかして…ですけど。  違う…かもしれないんですけど…この子、ももっちなのでは…  ももブルのももは、ももっちのももとか…」 「こんなところで、あのももっちに会うワケねェと思うがな。  そもそも棲息域が全然違うんじゃねェか?  いや、たしかにアレは希少種中の希少種だから、こんだけ珍妙な姿のが居るっ  てのも、ありえない話じゃないかもしれンが。  にしてもイメージが違うなぁ…もっと珍獣っぽい何かじゃねェか?」 「何かって、適当やねぇ。まったく。ま、ええわ。  で、ももブラはん。アドちんってのは誰なんや?」 「ブラじゃなくてブルっすよ。アドちんはアドちんっす。  普段は狂王アドルファスなんて、気取るにも程がある名前を名乗ってるっす。  この国の王様をやってるんすよ。おかげで美味いものを食い放題っす」 「ほう。アドちんは王様やったんやね」 ハンナはノンビリと答えたが、ブレイブはその言葉に驚きを隠せなった。 「ちょい待て。アドルファスって言えば、確かグリナテッレ王だな。  じゃあお前まさか、王族関係者ってコトか?」 「ヌハハハハ。聞いて驚け。  我こそは魔同盟小アルカナが一人!聖杯のエース!狂乱祭!  魔人ブルズアイこと、ももブルなのだー。グハハハーッハグッ!  グッ…けふっ…ケフッ」 珍獣は急に大声を張り上げたが、勢い余ったのか、むせ始めた。 ローラローラは慌てて水筒を取り出し、珍獣に飲ませた。 「…急に大きな声を出したからムセちゃったんだね…  はい…お水。ゆっくり飲んでね…」 「う…ングッングッングッ!プッハー!死ぬかと思ったっす。  女の子の方は優しいんすね。アホ男とはエラい違いっす」 「お前、それっくらいじゃ死ななそうだけどな。  つーか、言うに事欠いて魔同盟小アルカナとはデカく出たモンだなおい。  まあ丁度いいや。お前を連れて行けばグリナテッレ領は軽く抜けられそうだ。  ついでに王様に会って褒美でも貰ってくるかな」 「アドちんがお前みたいなアホ男に褒美をよこすとは思えないっすけどね」 「ちょっと言ってみただけだろうがよ」 「…あの…ちょっと…いいですか」 「何だ。この珍獣をくびり殺す方法でも見つけたか?  このデカい罠でも死ななかったくらいだから、生半可じゃすまねェだろ」 「何を恐ろしい事を言うとんのや。ブレイブのアホ」 「そーだそーだ!アホ男!  人間風情がももブルを殺すだなんて100万年早いっす」 「ンだとテメーら。犯すぞコラ」 「コラ!ブレイブ!  ももブラはんも居るのに、何てやらしい事を言うんや!」 「そーだそーだ!あと、ももブルっす。  そもそも、ももブルのおマ…ムグフゥ!」 珍獣が、何かトンデもない事を言いそうになったと察したブレイブとハンナは、 二人揃って珍獣のくちを塞いだ。理解できていないのはローラローラだけだ。 「あのなぁ…未成年も居るンだからよ…」 「ブレイブ…一応ウチも未成年なんやけど」 「デッチは例外だバカ」 「…あの…その…いいですか…  …そもそもこの罠…何のためにあったんでしょう」 「あー、悪ィな。調子に乗りすぎた。  って、何の為って、そりゃ獣を捕獲する為だろうよ」 「獣って、こないデカい罠で何を獲るんやろね」 「うん。言われて見りゃそうだな。  珍獣が見事にブラ下がってたから気にしなかったけど、こりゃデカい。  普通、食用の獣を捕らえる時は、足だけひっかかりゃいいンだよな。  となるとだ。このサイズの足を持つ獣を捕らえるつもりだったって事だよな。  さて、この周辺でこれだけのサイズの獣となると、思いつくのは…」 「…ドラゴン…ですか?」 「マジか」 「落ち着くんやよ」 「いやいやいや。落ち着いてられッかよ。このサイズじゃ勝ち目無いだろ。  つーかマオはどこまで行ってんだよ。ヤバいってマジで」 その時、森の奥から巨大な何かが木をなぎ倒しながら迫り来るようなバキバキと いう音が鳴り響き、鳥とも獣ともつかない大きな鳴き声と、人の声が響いた。 「グララララララァァ!」 そして音の正体、小さな山のような巨体がブレイブ達の目の前に躍り出て、例の 罠に足を獲られた。罠に繋がれた鎖がギャリギャリと音を立てて引っ張られて、 巨体は進行を止めざるを得なかった。 次の瞬間、小さな影が巨体の頭部に飛び掛り、渾身の力を込めて拳を放った。 「スアァ!」 その瞬間、頭部は奇妙な方向にねじ曲がり、巨体の生き物は絶命した。 小さな影とは言うまでもなくマオ・ルーホァンであり、巨体の正体は… 「こいつは、パルドラド…なのか」 パルドラドとは豹竜とも呼ばれ、堅い鱗の代わりに斑のある厚い金色の毛が生え 揃っている竜種である。毛皮は極めて高価なため、一攫千金を狙って命を落とす 狩猟者が後を絶たない。この大型のワナも、狩猟者が金目当てで仕掛けたものに 間違いはないだろう。 「やれやれ。よーやく仕留めたヨ。  何だブレイブ。アホ面して。礼はどーした?」 マオはパルドラドの頭部に仁王立ちになり、竜の血で真赤に染め上げた両腕を天 にかざして、最高の笑顔でブレイブ達を見ていた。 「まあ、ももブルが本気を出せば、ドラゴン程度なら一撃ですよ」 「いや、珍獣。お前じゃないから。  それにしてもまあ、よくもこんな大物を仕留められたモンだ。  マオー、お疲れさん。腹も減ったし、飯にしようぜ」 「なかなか楽しい狩りだったヨ。  よくわからんけど、こっちの方角に気を取られてたネ。  何か美味いモノでも見つけたのかもしれないヨ」 「…美味いもの…って…何でしょうね」 「ああ、生まれ持った気品とか?  ももブルにはそういうオーラがあるからね」 「お前まさか、竜のエサだったンじゃねぇだろうな」 「で、どーやって食う?  ローラ!とりあえず全部焼け!」 「…マオちゃん。まさか…これ全部食べるつもり?  焼いただけじゃ…食べきれないよ…」 「なら、携帯食にするってのはどうやろ。  ウチとブレイブが集めてきた香草もあるしな」 「燻製にするって事か。デッチにしちゃいい考えだな」   数日後、ブレイブ達はグリナテッレの王城に到着していた。信じがたい話だが、 彼らは仕留めたパルドラドの食べ残しの肉の山を、王城まで持ち歩いていた。 何が信じがたいかと言えば、その量である。ブレイブとハンナがかき集めた香草 を用いて、ローラローラが燻製肉に加工したとは言え、まるで小さな山が動いて いるかのごとくだ。それを軽々と担いで歩くマオと珍獣の姿に、さしものグリナ テッレ国民も唖然としているのがわかる。 グリナテッレの王城は、なんとも不思議な魅力に溢れていた。この国では純粋な 人間は少ない。ほとんどが亜人や魔物との混血か、魔物そのもののようだ。 町並みや建築物もそれにならって、他の国々とは異なる印象を受ける。他の国の 建物を荘厳、質実剛健と表現するのならば、グリナテッレのものは奇抜、妖艶、 色彩豊かで細密、巧緻に富んだものであった。まるで本物の植物のような石作り のレリーフに覆われた建物、無数のガーゴイルに守護されるかのごとく装飾され た建物…ありとあらゆる建築物が混在している。 「で、お前と一緒なら、王に謁見くらいは出来るンだろうな?」 念を押すように珍獣に確認を取るブレイブ。 「当たり前っすよ。  どっかその辺にアルだのレオラだのいねぇっすか?  アイツらコキつかってアドちんに面会すりゃいいんすよ」 マオの背負った巨大な荷物の上で、干し肉をクチャクチャと食べながら、珍獣が 好き勝手な論旨で返答する。何故かマオは珍獣と打ち解けていた。珍獣は不思議 と若年者には好かれるようだ。 と、その時、ブレイブの足元でチューンという金属音が響いた。 足元には小さな穴が開き、そこから煙がブスブスとくすぶっていた。 「これ、まさか『銃』の攻撃か!?」 ブレイブは戦慄した。『銃』は火薬を用いる大威力兵器の一つだ。使用には高額 な運用費がかかるために、大国しか所持出来ないのが現実だ。彼自身も実物は、 ミュラス時代に秘密結社『鉄火教団』から巻き上げたものしか見た事がない。 慌てて周囲を見渡すと、数百歩先の位置に、一人の男が立っていた。 一見するとただの口がでかいチビオヤジのようだが、顔の中央には大きな目玉が 一つしかなく、まぶたが重く垂れ下がっている。サイクロプスだ。 「フフフ。貴様ら、ここが本官ことホン・カーンの所轄と知っての狼藉か?  何だその巨大な荷物は!何だその珍妙な生き物は!  貴様ら、さては昨今世の中を騒がすゴブタニアの者だな!  本官の魔銃『ナーブ』で蜂の巣にしてくれるわー!」 ホン・カーンはそう叫ぶと、『銃』を辺り構わず撃ち始めた。 「何じゃそりゃー!ワケわかんねェよ!  マオー!ぶっ飛ばして来い!」 ブレイブが言うが早いか、マオは背負っていた荷物を珍獣ごと上空に放り投げ、 ホン・カーンに向かって突進していく。魔力を弾丸に変えるという特殊な機構の ため、残弾数無限大の魔銃『ナーブ』をものともせず、数百数千発という弾丸の 雨を潜り抜けて、マオはホン・カーンの懐へと潜り込んだ。 「ぬおお!貴様一体何者かー!?」 「『殴り姫』タダの人間だヨ」 マオは容赦なくホン・カーンの金的に正拳をブチ込んだ。それはサイクロプスと て耐えられるダメージではなく、彼は前のめりに倒れこんだ。 「ちょ、アンタ…男の大事なところに何てことするのよ」 「知るか」 きびすを返す彼女の背中に、ちょうど放り投げた荷物が落ちてきた。 「高いところに行ったおかげで、城の方角がわかったっす。  この道をまっすぐ行けば正門だったっすよ。さあ、さっさと歩くっす」 しばらく歩いていくと、確かに正門が見えてきた。正門の上には、何やら得体の 知れない魔物が座り込んでいたが、珍獣が親しげに話しかけている所を見ると、 恐らく城の警備の者なのだろう。 「ヴィーちん、お仕事お疲れさーん」 「ももブル…また冒険者に捕まったの?」 「今回は助けてもらったんすよ。  まあ、ももブルだけでも罠から脱出するのは簡単だったろうけどね」 「じゃあ、恩人扱いって事で」 警備の魔物が右腕の触手を門の裏手に伸ばすと、ガコンという音が鳴り、ギリギ リときしむような音が鳴り響き、正門が開いていった。 「便利そうだな。あの腕」 「…むっちゃん…かな?」 「何だそりゃ」 「…この辞典によると…その…樹上で暮らす魔物です」 「むっちゃんは、ムガル・ゴッドバル・ゼバリガドスに決まっとるやん」 「デッチは黙ってろ。場が混乱する。  おい、珍獣。あいつは何なんだ?」 「ヴィーちんだよ」 「役に立たねェ…」 正門から中庭を抜け、ブレイブ達はいよいよ王城へと足を踏み入れた。 彼らの後ろには「ヴィスキアだよー」という小さな呟き声だけが残されていた。 「そのままワナにかけておけば良かったのに」 狂王アドルファスは謁見したブレイブ達にそう言った。 「いやいやいや、アンタ王様でしょ。  自分トコの身内に対して…なァ?」 「身内と言うかな。ペットみたいなものだ。  何にせよ、連れ戻してくれた礼はするぞ。  放っておくと、何を仕出かすかわからんからな。  ふう…お前がいない3日間は、我が城は実に静かで清々しかったぞ」 「そうため息つかれると、まるであたしが四六時中何かやらかして、アドちんの  心労増やしてるみたいじゃないっすか」 「その通りだろう」 さすがにショックを受けたのか、ちょっと絶句する珍獣。 しかしすぐに復活して、マオの荷物を指差して言った。 マオの荷物には、例の燻製竜肉が山盛り入っているのだ。 「ところでアドちん、この竜から、ステーキ用竜肉何人前用意できますかね?」 「ふっ…貴様は3日間断食の後に1ヶ月精進料理の刑だ」 どこまで本気なのだろう。アドルファスは実に不機嫌そうな表情でそう言い放ち それを聞いたももブルを絶望させた。 「とりあえず皆様、旅の疲れを癒してください。  城の中に皆様のお部屋を用意させていただきました。  私は筆頭秘書官のレオラ・ドールトと申します。  何かございましたら、遠慮なく私にお申し付けください」 王の横に居た小柄な女性がそう伝えてきた。眼鏡をかけた知的な容姿で、ゆった りとしたローブを着ていた。秘書官の制服なのかもしれない。ツノらしきものが 頭部に生えているので、魔族か何かなのだろう。 客が来たら宴をするのが王の常識、そうアドルファスが宣言して、その日の夜は 延々と派手な宴が開催された。メインディッシュはパルドラドの燻製肉であった が、ももブルは本当に一口も食べる事を許されなかった。マオが相変わらず誰彼 かまわずダンスに誘っては、体力の限りを尽くして踊り倒すという暴挙に乗りで ブレイブが疲れたから寝ると言って自室に行き、ハンナがそれに着いて行ったの が、月が中天を過ぎた深夜遅くの事であった。宴の会場には肉を食わせろと大騒 ぎするももブルと、王の命だと絶対に食べさせようとしないレオラ、そして、場 の喧騒を楽しみつつも、寝るタイミングを完全に逸してしまったローラローラと 狂王アドルファスだけが残っていた。 「君は眠らなくてもいいのかい」 「あ…国王様。その…あまり…眠くなくて」 「大魔王と呼ぶべきだよ、帽子の娘」 「え…あ…し、失礼しました!」 「ふむ。魔族の言う事など、真に受けるものではないな。  本当はどっちでもいいんだ」 アドルファスは優しく微笑みながら、そう言った。 「アレをからかうのは心底楽しいのだが、毎日続くと飽きるものだな。  たまに距離を取るくらいで丁度良いのかもしれぬ」 「ももブルちゃんの事…ですか?  あの竜肉…すごく食べたがってましたよ」 「あんな美味いものを、味のわからぬ珍獣に食わせる必要は無いぞ。  さて、帽子の娘。何か思い悩んでいるな。  どうせ俺も退屈だ。これも何かの縁、話してみろ」 ローラローラは一瞬だけ躊躇したが、小さな声で話し始めた。 それは『二つの塔』で、大魔王シスが最期に言った言葉だった。 『グリナテッレに行きなさい。  そこにはあなたの運命を切り開く鍵が待っています』 彼女は間違いなくそう言った。その後、ローラローラはその言葉の意味をずっと 考えていたのだが、意味はわからなかったのだ。 「帽子の娘よ。残念だが、ここに来たところで鍵などは無いよ。  私にわかるのは、その帽子の由来と、もう一つ、昔話だけだ」 「昔話…」 「魔族の悲恋、だよ」 「…魔族の悲恋…ですか」 「うむ。寿命が無いというのも考えものでな。  親しくなった者は皆、オレを置いて死んでいくのだ。  一体何人見送ったかわからん。  そのうちに、死についての感慨がわかなくなった。  あるいは、罰なのかもしれないな。  魔族はそれを知っているから、定命の者に恋をしない。  いや、そうでもないかな。大方はしない。うむ。  さて、それでも人の子が魔族に惚れたら、どうなるかね」 「受け入れ…られない…のですか」 「悲恋と言っても、結局はその程度の話なのだ。  本当に悲劇なのは、人の子の行く末だよ。  どれだけの道があろうが、人の子が選べる人生の道は一つきり。  なればこそ、無限の選択肢は無限に迷いを生み、未練を生み、後悔を負わせる。  人の子は、無限の可能性故に、余りに多くの可能性を捨て去る苦行を必要とする  のではあるまいかな。希望だの自由だの偉そうな大言を吐きつつも、定められた  道に息抜き程度の自由、それこそが人の子の本質だ。  そして、無限の選択肢があるが故に、人の子は外道にも堕ちる。魔王になるなど  は、その際たる例だな。もう15年は前になろうか。グリナテッレ国内で、一人  の魔女が魔王化した。その魔女の名前は…シスと言う」 「それ…じゃあ」 「妹を思う気持ちが強すぎるだけで、人の子は魔王にもなりうる。  帽子の娘、くれぐれも気をつける事だな」 「妹…王様…シスの妹は、その後どうなったのでしょうか…」 「困った事に、グリナテッレで天寿をまっとうしてる。  人の子の、というよりも女性の強さだな。  そして子孫も残されたようだな。なあ、帽子の娘よ」 「…!この帽子って…」 「ローランドは良い娘に育ててくれたようだな。安心したぞ。  帽子の娘よ。残念だが、お前の両親は戦で死んだ。お前の命を守るためにな。  その帽子は、母親からお前へのプレゼントだ。くれぐれも粗末にはするな。  たとえ短い命であっても、粗末にはするものじゃあない」 「そして…無限の自由に…惑えと?」 「そのとおり!さあ惑え、悩め、そして自らの選択に後悔しろ愚民よ!」 そう言うと、アドルファスはローラローラの顔を見て優しく微笑んだ。 悪魔の言う事を真に受けてはいけない。そう彼は最初に言った。 ならばこの言葉の真意とは「選択に後悔せぬよう、惑い悩んで生きろ」という事 なのだろう。そしてそれこそが、人の子の特権なのだと。 不恰好な優しさだな、とローラローラは感じた。身近にも似た人がいる事を不意 に思い出し、彼と彼女の関係は、アドルファス王とももブルの関係に似ていると 思い至り、ローラローラは笑いがこらえられなくなった。 「フフッ…フッ…あ…失礼しました…  アドルファス王は本当にお優しい方なのですね…」 「ん。だからこそ、狂王と揶揄されるのだ。わかるか?帽子の少女よ」 「…はい、大魔王様!」 「さあ、もう夜も深けた。いつまでもこんな所に居るものではない。  仲間の所に戻れ。私も明日は早々に会議に出ねばならんのでな」 「…はい」 ペコリとお辞儀をして去るローラローラを見送りつつ、アドルファスは呟いた。 「魔力の強さゆえ、魔王へと転生しやすい血筋ゆえに教会へと預けたが、それは  どうやら間違いでは無かったようだな…  優しい娘に育ってくれた。ローランドには心から礼を言わねばなるまい。  そう何度も悲恋を繰り返し、魔王になられてはタマランからな」 「優しくはないっすよ。  アドちんは善良で愛らしいももブルを虐待する腐れ外道だぜ?」 一夜明け、昨夜の話をしていたローラローラに対し、珍獣が愚痴をこぼした。 結局彼女は、一口も竜肉を食べる事が出来なかったのだろう。 ブレイブが地図を広げ、今後の旅路を確認している。浮かない表情のハンナも、 一緒になって地図を見ている。部屋の隅っこでは、マオがいつもの鍛錬を、もの 凄い速度で行なっていた。 「皆様、お茶をお持ちいたしました。  グリナテッレのお茶の味がおくちにあいますかどうか」 ガチャリと音がして、部屋にレオラが入ってきた。 お茶の香りなのだろうか、独特の匂いが部屋に充満していった。 「いや、ありがたいです。  ありがたいついでに、グリナテッレのお茶が安く買える店を教えてくれたら、  とても助かるンですがね」 「安く…ですか?それはかまいませんが。  まるで商人のような事を聞くのですね。ああ、失礼しました。  あまり冒険者の皆様の話題では無い気がしただけなのです」 「ウチもブレイブも、本当は商人なんよ。  色々あって冒険の旅に出て、そんでまた色々あってこの国に来たんやけどね」 「左様でしたか。それならば、私の権限で免税許可証を発行いたしますよ。  皆様は、ももブルの命の恩人ですから」 「そりゃ本当ですか!免税って、何でもかんでも!?」 「さすがにそこまでは…あなたは主に何を扱っておいでなのですか」 「ガラクタや」 「コイツの言う事は気にしないでください。主に魔法器具と魔法骨董品です。  グリナテッレには、さぞや優れたモノがあるかと思うンですが」 「そうですね…しかし、輸出するほどかと言うと…  それこそ、食べ物や日用品の方が、異国では売れるかもしれませんよ。  さて、お茶が冷めてしまいますね。温かいうちにどうぞ。  …はて、この地図は?」 「これから向かう先の地図やよ」 「お待ちを。まさか『黒の樹海』に行くおつもりで?」 「何か問題があるのか」 「大ありです!『黒の樹海』に行くなど、とんでもない事ですよ。  先日から『黒の樹海』のダークエルフの集落と、ゴブタニアとの間で交戦状態  に入っています。それで我が国から彼の地へ向かう事を禁じる発令を出そうと  ちょうど会議が始まったところです。どうかあなた方もご自重を」 その言葉を聞くや、ハンナの顔がこれまで見た事が無いほどに青ざめた。 「自重なんかしてられねェよ。今すぐ『黒の樹海』に行く。  悪ィけどアドルファス王に伝えておいてくんねェかな。  これはただの小競り合いじゃねェ、大戦争になるってさ。  デッチ、マオ、ローラ、大急ぎで『黒の樹海』に行くぞ!」 13話目に続く <登場人物>     魔道商人ブレイブ 〜本名は不明。男性。年齢は20代半ばくらい。かつては悪夢の雷嵐公とも呼ばれた程の               魔道高位者だが、職業は商人。モチリップ市の町外れで嫌々ながら中古品販売をしている。   ハンナ・ドッチモーデ 〜田舎から丁稚奉公に出たはいいが、あまりの商才の無さに放逐されてしまい、               冒険の旅にでたら魔道商人に拾われた19歳の女性。多分ブレイブが好き。     マオ・ルーホァン 〜武闘家。通称『殴り姫』酷く口下手で、話したり考えたりするより、殴る事を最優先する女の子。         ナキムシ 〜本名ローラローラ。14歳の泣き虫魔女。 地味目のローブに押し込まれたオッパイは一級品。               火属性と水属性の魔法がそれなりに使えるので、炊事当番が多い。         ももブル 〜珍獣。     狂王アドルファス 〜大アルカナの一柱として【欲望】と【悪意】を司る魔王。 グリナテッレ国王。               ゴーイングマイウェイにして傲岸不遜にして自己陶酔の権化。     レオラ・ドールト 〜『悪魔』狂王アドルファスの筆頭秘書官を勤める、下級魔族の女性。               その職分は単なる秘書に留まらず、時には主の承認を得て臨時代行を勤めすらする。   ヴィスキア=ロレンス 〜グリナテッレ帝国の住民にしてアドちんの城の門番(の一人)本来は樹上に住む魔物「むっちゃん」の少女               門番時は門の前でなく上に腰掛け、そこから通行者を監視したり、不審者には手を伸ばして威嚇する       ホン・カーン 〜グリナテッレ帝国で最も拳銃を使用する保安官。               魔力を弾丸とするリロード不要の拳銃『ナーブ』を所持し、何かというと撃ちまくる。        パルドラド 〜堅い鱗の代わりに斑のある厚い金色の毛が生え揃っている竜種。               毛皮は極めて高価なため一攫千金を狙って命を落とす狩猟者が後を絶たない。