彼女のテンショク 如環が誕生したのは、今から14年も前の事だ。 生まれ出でた国は、北方のさらに奥地、極北と呼ばれる極寒の地だ。 彼女がその世界に生まれ出でた時、既に彼女は最強の王者であった。 彼女はアルカナの意味すら理解できない愚物ではあったが、自らの力がアルカナ の魔王達に匹敵するものだという事は、その本能で察知していた。 それだけの力を持ちながら、彼女は何も殺す事は無かった。 何故なら、如環は孤独であったからだ。 魂の欠片は世界をたゆたう。 結晶し新たな命にもなれば、死して塵となり世界を彷徨う。 その流れは精霊達によって生み出されたものもあれば、欠片自らがそう望んだか のように流れを決める時もある。 果たして極寒の地に魂の欠片が渦巻き、この孤独な魔王を生んだ。 ビョウビョウと吹きすさぶ吹雪は、彼女に名のみを与えた。 魔王如環、と。 極寒の吹雪と孤独は、彼女に感情を与えなかった。 彼女は心を持つことなく、空っぽのままで歩き始めた。 歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて… 一体どれほどの距離と時間を歩いたのだろう。 やがて彼女は吹雪の向こうに、大きな3つの影を見つけた。 一つ目の影は、大きな黒い竜だった。 禍々しいツメとキバ。吹雪の中でギラギラ輝く紅い瞳。 竜は如環に話しかけてきた。 「魔王よ、何ゆえ職を果たさずこの地へ来たのか」と。 如環はその言葉の意味をまったく理解できなかったが、彼女は心の底から嬉しく なった。吹雪以外の音がした。白以外の色があった。自分以外の何かがいた。 もっと触れたい。彼女は腕を突き出した。 竜は粉々に吹き飛んだ。 孤独になった彼女は、再び歩き始めた。 歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて… 二つ目の影は、大きな黒い樹だった。 雄々しい枝ぶり。力強く地面に張り巡らされた根っこ。世界樹だ。 世界樹は如環に話しかけてきた。 「魔王よ、何ゆえ殺生を働くのか」と。 如環はその言葉の意味をまったく理解できなかったが、彼女は心の底から悲しく なった。孤独を癒した竜は消えた。しかし、それを咎める者がいる。 もっと聞きたい。彼女は足を踏み出した。 世界樹は粉々に吹き飛んだ。 孤独になった彼女は、泣きながら歩きはじめた。 歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて… 三つ目の影は、大きな黒い寺院だった。 いびつで奇妙な壁の装飾。門には「世の中銭や」と書かれている。もちろん彼女 には、そんな字の意味などわからなかったのだが。 「そなた、このナイラメック寺院に何か御用かな」 門の向こうに影が見える。人だ。 「ルァォォルォァァァァァァホァァァァァォォァアアォアァオオオァアアン!」 彼女の口から唸り声が漏れた。正確には唸り声ではない。圧縮言語だ。 『我、混沌と秩序の渦より零れ落ちし魂の欠片の残骸なれば、ただ破壊にのみ生  を受け破壊にのみ生を望む者也。全ての動物の頂者と成る竜を屠り全ての植物  頂者と成る世界樹を屠れば即ちこれ世界の災厄也。世に死をもたらす混沌の風  也。我が名は如環。大魔王如環也。我が天職たるは魔王道也。我が天命たるは  殺生道也。我が道を塞ぐ汝は何ぞ哉?』 そう、彼女は言ったのだ。 「拳で語れ!」 ボクシッ!  寺院の門前に、鈍い音が響き渡った。 如環は目の前に居た男に、思いっきり殴られたのだ。 「コ…ブシ…?」 如環は自分の手と、目の前のヒトの握り拳を見た。 「そうよ。拳…よ。拳こそが、愛をストレートに伝えるパワー。  悩める娘よ、我がナイラメック寺院によくぞ来た。  そなた、道に迷ったのであろう。魔王道など歩くものではない」 そう言うと、目の前のシワシワはニヤリと笑った。 シワシワはイアン・バル・カーンと名乗った。 ナイラメック寺院の大僧正であり、10万の兵を束ねるクンフーマスターなのだ そうだ。彼女にはその意味がまったくわからなかったが、彼がニンゲンと呼ばれ る、弱くて、脆くて、強くて、頑健な種族だというのだけは理解できた。 自分と同じく、混沌の中にある種族なのだと。 カーンは彼女のために、多くの食事と、安眠できるベッドを用意した。 彼女はここで、生まれて初めて食事をし、睡眠をとった。 目が覚めると、再び如環は孤独となっていた。 ベッドから飛び出し、廊下を歩いた。 廊下の突き当たりに、大きな部屋があった。 部屋の奥にはカーンの姿があった。 「お目覚めかね、魔王よ。  落ちついたところで、そなたは自分が何者なのか、理解してみてはどうだ。  そなたは随分と力があるようだ。アルカナの魔王の候補にでもなったのかね。  しかし無駄じゃよ。そなたにはいくつも足りないものがある。  それが何かわかるかね」 カーンがそう語った。 しかし、彼女にはそれを理解は出来なかった。 「フム…ならば、こうじゃ」 カーンは部屋の奥で床を蹴り上げ、大広間の端から端まで飛翔した。 「殴り倒すぞ!魔王よ!」 カーンは右手を握り締め、如環の左頬に叩き込んだ。 カーンと比べると遥かに小柄な如環の体は、それだけで吹き飛んでしまう。 が、如環は持ちこたえた。 「ナ…グル?」 「そうだ!殴る、だ!  肌の触れ合いこそが!本気で戦う事こそが!世界の繋がりを深めるのだ!」 「ツナガ?  フハハッ!ナグル!ナグル!ナグル!ナグル!ナグル!」 如環はカーンの見よう見まねで拳を握り締め、カーンに殴りかかった。 何発かかわされ、何発かは当たり、何発か逆襲され、何発かはやり返した。 彼女は初めて、他者との間に楽しさを見出した。 それから彼らは、三日三晩戦い続けた。 4日目の朝に、カーンは言った。 「魔王よ、そなたは強いがワシには勝てぬ」 カーンが殴りながら言った。 「ナ…ゼ?」 如環は殴り返しながら、そう聞いた。 「ワシがクンフーマスターだからじゃ。  クンフーマスターは魔王に敗北せぬ。  そういう『職』なのじゃよ」 「ショ…ク?」 黒い竜が言っていた。職を果たさねばなるまい。 「そなたには職が無いのじゃ!しかし安心せい!  天命天職を授けるのもまた、クンフーマスターの職なのじゃ」 カーンが殴りながらそう言った。 「ワタシのショク?」 「そなたの職はズバリ!」 カーンがさらに力を込めて殴りかかる。 「人として生まれ変わる事じゃーーーい!」 すぽこーーーん 何かが変わる音が、大広間中に響き渡った。 「魔王よ!そなたの名前は何じゃ」 カーンが問うてくる。 「魔、王、如、環」 如環はそう答えた。 「マオー、ルーホァンか。  ならばそなたは今日より、マオ・ルーホァンと名乗れ。  名前を変える事が出来るのも、クンフーマスターの職じゃ。  そなたは最早、魔王にあらず。人間、マオ・ルーホァンじゃ。  孤独の中で生きずとも良い。職を果たし、世界の声を聞け。  そして、そなたから欠け落ちた人の温かみを拾い集めるのじゃ」 「マオ…マオ・ルーホァンか。  わかったぞ、ジジイ。  ワタシはいつか、欠片を拾う旅に出る」 「うむ。それがそなたの天命天職なのじゃろう。  世界を巡れ。世界は広いぞ」 「もし、道に迷ったら?  もし、他人とうまくいかなかったら?  どうにもワタシは言葉がよくない」 「フン、バカバカしい。  拳で語れ!動きで察せよ!  ウダウダ言う奴は殴り倒せ!じゃ。  そなたはもう孤独ではない。  ナイラメック寺院は今日よりそなたの家じゃ」 それから数年、マオはナイラメック寺院で修行にあけくれた。 もとよりケタ外れの実力であったが、その数年でナイラメックの、全ての僧兵の 実力を凌駕してしまった。 そうしていつの間にか、彼女はナイラメックの『殴り姫』とまで呼ばれるように なっていた。 マオが生まれて10年目の朝、マオはカーンに挨拶に行った。 いよいよ旅立ちの日が来たのだ。 その日もナイラメック寺院には、天職を授かろうと大勢の人が詰め寄せていた。 「ジジイ。一つだけ欲しいものがある」 マオは屈託のない笑顔でカーンに話しかけた。 彼女は寺院で、笑顔を得たのだ。 「何じゃの?」 「ワタシにもクンフーマスターをくれ」 「フゥム…まあ、ワシと三日三晩戦えるだけの実力はあるしのぅ。  わかった。そなたにクンフーマスターの称号を授けよう。  クンフーマスターとはの…こ、これ!」 カーンが説明する間もなく、マオは駆け出していった。 そして、抜群の笑顔でこう叫んだ。 「ジジイありがと!  クンフーマスターの職はわかってるぞ!  それじゃな!ちょっと世界中と殴り合ってくる!」 そう言うと、マオは駆け足でナイラメック寺院を飛び出していった。 「いつかはこの日が来ると思っておったが、まさか今日だとはのぅ。  さて、10年前にワシが行なった事が、どう出るのかの。  魔王には魔王の天運がある。マオが人として生まれ変わった事で…  歴史が変わる事もあるのかのぅ」 その後の彼女の足取りは定かではない。 世界全土を武者修行の旅として駆け回ったという話もある。 外道魔術師と戦い、名を失った魔術師に対して、クンフーマスターの『職』によ り、名を与えて命を救ったという話もある。 自分の代わりに魔王となった邪悪な存在を殴り倒したという話もある。 それが真実なのかはわからない。ただ、彼女が疾風のように駆け巡り、世界中を 殴り倒しまくった、というのは、疑う事なき真実のようだ。 完   マオ・ルーホァン  〜  武闘家。通称『殴り姫』酷く口下手で、話したり考えたりするより、殴る事を最優先する女の子。                裏設定でSSを書いたら大変な事になった。 イアン・バル・カーン  〜  西の果てにある、人に天職を与えるというナイラメック寺院の大僧正                であり、リアルモンク10万の兵を束ねるウルトラクンフーマスター 「…ところでね、マオちゃんの一番苦戦した相手って…どんな人だったの?」 「あ、それウチも聞いてみたかったんや。  ブレイブは相手にならへんかったんやろ?」 「そだね。ブレイブはザコだったよ。  強かったの?そだな。  ・  ・  ・  あ。  ナクル・ハイランド…  チューされて…  口の中に…吐かれた…  ・  ・  ・  ウプッ!  ケロケロケロケロケロケロ…オエー」 「…マオちゃん!?」 「よほど…強敵やったんやねえ」