男は朝を待っている。  じっと。                 『暁に斬る』                Akatuki & Killtz  暗闇の中でアカツキは片ひざをついたまま微動だにしない。  月もない夜だった。  右を見ても左を見ても何も見えない。ただ青く黒い闇が何もかもを吸い込んでしまいそ うに在るだけだ。  やおら感じる。地面にそえていた右手に暖かさ。 (あぁ、こりゃ……あかんやろーなー)  アカツキに今まとわりついているのは闇だけではない。潮の匂いさえかき消す、嫌とい うほどの血の匂い。アカツキが見えぬ指先をこすりあわせると、ぬるぬるとする。感触も、 温度も。  総じて死が充満する中、アカツキは息さえ抑えて動かない。  ――――アカツキは己のことを良く知っていた。いや、己が他人にどう思われるかとい うことを良く知っていた。  彼は、今居る『大陸』の人間が俗に『極東』と呼ぶ国、ホツマの出身だ。結界内に篭る 浮遊島であるホツマは閉鎖的。交流はあるので大陸の人間にとって未知の、というほどで はないにしろ、外来者であることには変わりがない。  そして、だから、胡散臭がられるのは仕方ない事だ。深刻になるのが嫌で、とりあえず 何でも笑って済ませばよいという己の投げやりな性が、それに輪をかけるのもしょうがな い。更に言えばあれこれ痛くも無い腹を探られたりするのが嫌で、それで大概の話題をや はり笑って躱すのは、これも良くない――――のだろう。たぶん。  それでも彼は大陸で上手くやっていけている。  理由はひとえに腕が立つからだ。何も持たない流れ者である。その身のみがすべてだっ た。  少々胡散臭いと思われていてもとりあえずは目をつぶって雇っておこう、味方にしてお こうと判断されるのは、結構悪くない気分ではないか。アカツキにとってそれは一つプラ イドを感じる事である。  鬼などと呼ばれることさえあった。  己が強いと思うかと問われれば、てらいなく応と答えよう――――  その己が、動けない。  まとわりつく死の外に殺気がある。全方位にいまだ残る。いかに己に自信のあるアカツ キとて、多勢に無勢というものだ。  微動だにしないのではなかった。微動だにできないのだ。  己の他に味方が五十人は居たと思う。  同じくゴロツキ、浮浪者、よく言えば冒険者の野郎どもが居た。夢と浪漫と財宝は貴重 だから夢と浪漫と財宝であって、だから日銭の為に雇われ仕事をするのは当然の事。そん なが集められて、剣もって矛もって杖もって、仕事にとりかかったのはアカツキの故郷で あるホツマと大陸を結ぶ空間の穴『天岩戸回廊』のすぐ近くだった。  アカツキは流れ者、しかも同じ生活のものにまで胡散臭がられる人間だ。世情には非常 に疎い。疎くとも生きていけているのがプライドなのだから。  だから東国の端であるその場所が、故郷での『神名祭』に関して大陸諸勢力と大陸外周 勢力――つまりは魔同盟に注視されていることを知らなかった。  だからその『入り口』手前の裏舞台で、火花がわずかに散っていることを知らなかった。  各々気に入らぬ相手がホツマに介入することを妨害しあっている。その一つ、ちょっか い出しの手だったなどと雇われる方は知らない……というか勘付いた頭のいいのはとっく に避けているわけで、アカツキはその辺やはりモノ知らずだった。  海沿いの防風林付近。夜の林道で挟み撃ち。  一瞬の蹂躙だった。  軽騎兵。恐らくアカツキも良く知るハヤテか、いやいやあれは戦闘には向かないからそ の亜種にでも騎乗していたのだろう。暗闇の中ではそこまで判らなかったし、判る必要も なかった。  なんとか林の中、茂みの奥に逃げ込めた者はそう多くあるまい。  アカツキの横にいたはずの男の結末は、指のぬるみが教えている。  闇である。  木々のせいでより深い、真っ暗闇である。 (……向こかてコレやったら判らんやろ)  だから微動だにしていない。  ただひたすら息を潜めている。  蹄の音は―――――聞こえない。  人の声は―――――聞こえない。  息遣いも―――――感じない。  待つことは得意だった。なんといっても己が得意とする一芸は、己の内に内に広がり成 り立つ絶技。ただ外への干渉を断ち、ひたすらに己のみである事など造作もない。 (殺気はある……あるけど、動きは感じん。距離や……距離が欲しい)  こうも殺気が残っているというのは、こちらからは伺いしれないものの虱潰しにでもさ れている可能性が高い。  それでも逃げるには、騎乗兵という圧倒的に速い相手より逃げるには、何を持っても距 離が欲しい。  何より距離さえあれば、己が技が繰り出せる。それさえ得れば、相手が騎兵だろうが飛 兵だろうが、十や二十を押し留め逃げ切る自信がアカツキにはあった。  もうすぐ陽が昇る。  暗いほうが助かるのだがしかし今すぐ動くのは怖すぎた。それに暗すぎる。  だからいま少し。  陽が昇る頃までが己を内に留める期限。  それを過ぎたら、一目散に逃げ出してやろう―――という事だった。  そして視界の隅が明るんだ。背後、海面から太陽の先駆けがやってくる。  薄まる闇の向こうにアカツキは見た。  目の前、はるか距離を持って、真っ直ぐに己を見ている男を。  太陽に向かって真っ直ぐ立つその男を。  遠いはずなのに、弓の射程を考えるような距離なのに、猛禽のような瞳が見えた。 (やべ…………)  見つかった事が、ではなかった。  己が、ではなかった。  アカツキは知ったのだ。四方八方から殺気の残滓を感じたのではない。己の全身を包む ほどの殺気をあてられていただけだ。  周囲には誰も居ない。  少し後ろに騎乗用の魔物か何かが見える。男は一人、自分の脚で立っている。  本 気 か よ っ  ただ一人、アカツキが自らを視認するのを待っていたのだ。  朝を。 (……乗ってへん!いける!逃げるッ)  飛び起きる。  上着が跳ね上がる。  広がる袖。  覗く、切先。 「千早振る……!」  時間稼ぎは何もただ襲撃者が離れるのを待つためだけではない。己の内なる世界を練り 上げる、そのためにもあった。 「神真衣ィッ!!」  内なる世界の扉が開くのを感覚する。それ越えて、外へ、拾の刀剣が突撃した。  アカツキが見るに彼我の距離二陌米。弓ですら狙うのは難しくなる距離。しかしアカツ キの絶技は多少の精度を埋める連打連撃がその粋。 (もし当たらんかったとしても、これで貼り付けにしてワガは逃げ――――)  拾の剣を越えて、男は三歩進んでいた。  両手には剣。まごうことなく、それはアカツキが打ち出した剣であった。 (アホ言え!)  アカツキが袖を振り替えした。拾五が飛ぶ。  切先と切先と切先の間を縫い、切先を横から掴み取り、切先を打ち払い、切先をぶつけ、 切先を弾き飛ばし、切先に、切先が、切先を、そして切先は当たらない。 (止め……)  男の後ろに、戦士の墓のように突き立つ剣の道が出来ていく。 (…………られん!)  あまりにも不可解だった。  あまりにも理不尽だった。  相手が何故いるのかわからない。相手が何故向かってくるのかもわからない。己が何故 こんな状況に居なければならないのかわからない。  しかし五拾六本目の剣を打ち落として、また一歩進むその男は。 「つっえぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜」  なんとも気持ちよく、アカツキの眼には映った。 「どれぐらい、出せるんだ?」  なんと目の前の男、今度は立ち止まった。気付けば距離はもう半分以上詰められている。 この静寂の中なら声も余裕で届く。  少し迷ってからアカツキは口を開く。 「さあ、まあ陌……ぐらいならいけるんちゃいますかね……中に入ってても、出すのに力 使いますよって、こっちに限界がありまっさかいな」  言って己の胸を親指で突く。 (いやいやこんな事答えとる場合ちゃうやろ!大体何なのんこの人!なンでワガ一人に向 かってくるのんよ!)  言うべき事とやるべき事が混雑して、己の扉から出て来れなかった。 「あの時…………オマエが面白い抵抗をしていたのが見えてな」  それが、最初にあっさりアカツキたち捨て駒傭兵部隊が壊滅した暗闇の乱戦の事だと気 付くのに少し時間を要した。 (あの中で一人に目ぇつけてたっちゅうんかいな………おかしい。おかしいで頭)  そも、人に目をつけるということ自体がアカツキにはどうも理解しがたい。閉鎖的な極 東の、極東人の、性質を、アカツキは間違いなく体現していた。内に内に篭る術――己の 内に異空間を生み出し、そこに膨大な刀剣を取り込み射撃及び近接戦闘に引き出す技―― はまさしくアカツキという人間を示している。 (かなわんな…………)  結界とは隔てる為に存在するモノ。そして己という最小結界を技とした己が、いかに臆 病かということ。外に対して軽薄であるかということ。これはアカツキが意識するのを避 けている事実だった。  そしてそんな矮小な己の世界さえ、あしらわれた。  鼻で笑われると思った。 「使えそうだな」  だが眼前の男は、軽蔑するでも感嘆するでもなくそう言って 「俺に手を貸せ」  使い捨ての剣一本受け取るかのように手を差し出したのだった。 「なンで――――」  アカツキはやっと整理が終わった。 「なンでか判らんわ。軽騎兵部隊なんて連れてたところ見ると……兵士やろ自分。それが、 え、ワケわからんて。他のは……」 「お前らの本隊を叩きに行ったよ。見当は大体ついてるんだろ?どういう名目だったかは ともかく、お前らは陽動部隊だったんだ。とりあえず武装した一団として存在していれば、 無視は出来ないからな……」 「いや、えーそれはまあ……なンとなくわかりまっけど。思ったよっか大事やったわけ… …や。まあその辺はワガが知らんでもいいコトですわな」  頷く相手。 「ちゃうて、じゃあジブンは一人でなンを……」  台詞の視線が真っ直ぐぶつかった。猛禽のような瞳だった。 (り、龍より怖ぇ………) 「戦ってみたかったからだ。他に何があるんだ」  アカツキは大きく息を吐いた。 (……この人は)  恐ろしい視線が、しかし先ほど感じたように気持ちのいいものだった。 (なンも考えてへん。なンも持ってへん。自分の世界とか、そんなもんあらへんのやな)  ばさばさと袖を振る。異空間は閉じていた。 「ジブン、なンの人やの。なンていうんですのん」 「キルツだ。皇国第十二軍。軍団長」  聞いて、アカツキは吹いた。 「ワガでも知っとりますがな!皇国て……大陸最強の、十二軍て、あの、長て、え」 「給料はいいぞ」 「意外〜〜と現実的なンやね大将」  首をすくめて、しかし気付く。何もない、何も持たないその男なら、確かにそれが当然 なのだ。別に孤高に生きるわけではない、道を窮めるとか、そんな高尚な――または面倒 な――ことは考えていないのだろう。  戦場に生きる為に生きているのだ。 「十二軍は雑用部隊だ。大雑把で適当な貴様の技は向きだろう」 「ひでぇ〜っつうかもう入れられるン決定でんの」  だはーと笑って空を見る。陽が昇る。  朝日に照る回廊と遠く見ゆるホツマ。  その姿が珍しくアカツキの感傷を呼び起こす。 (……………なンや、変なことなってきたなあ)  一つ伸びをした瞬間、故郷は消えた。  空の道もホツマも、アカツキの眼から跡形もなく失せる。 「な………」  完全な封鎖状態。  世情を知らぬアカツキとてそれがどれほどのことなのかは理解している。  昇る朝陽の中、鴉が黒点を打って飛んでいく。それをアカツキは呆然と見ていた。 「消えたか……俺の仕事も終わりだ」  呟いて、キルツが海の逆を振り返る。 「俺の仕事はな、皇国が派遣する戦力をホツマに送り届けるための露払い。ホツマに向か う敵対勢力の掃除」  それはホツマへの扉が閉るまで。 「そしてここは皇国が敵対する王国連合加盟国、東国の領内だ」  キルツの声にアカツキも振り返る。わずか見える黒い影。海とは逆。地平の向こう。 「しかもここに皇国十二軍が一つの長の首がある」 「……………マジかよ」  今度の「だはー」は軽くとはいかなかった。 「待て、今連れてきている兵は百五十ほど……あぁいや、十かそこら減ったか」  どうも後で聞くところによると、ここ三週間ほどひたすら捕捉を避けながら襲撃を繰り 返していたらしい。敵の領地のど真ん中で、である。 「お前たちは殲滅したが、こっちの出現は把握されたようだな」 「やったらワガなんぞに構わず逃げぇな!」 「わかってないな。元から迎え撃つつもりだったんだよ。だから俺はここにずっと居たん だ。撤退戦は少しでも短い方がいい……ここで派遣部隊の先鋒を蹴散らし、出鼻を挫いて 本国まで退却する」  駆け足で騎乗魔物に寄っていくキルツ。それに続いて剣を拾っていくアカツキ。 「他の兵はお前らの本隊を叩いたあと左右の所定位置に待機している。ひきつけて、左右 から包囲する。敵数が見えるか?」 「えーっと二百ぐらいかなあ……ってちょい待ってぇや!ほンなら中央支えるんは……」  キルツが魔物に跨った。 「めいっぱい射撃しろ。俺がそこを駆け抜ける」  その背にかつて聞いた記憶が浮かぶ。  彼の名が響く。  それは眼前の男に何と似合う名だろう!  ただ一個の戦闘存在。  己が為に殺し己が為に死ぬ。  誇りも矜持も激情も後悔もなく、ただ戦斗だけがある。  そう!  彼は誰かの剣ですらない!  故にそれこそ彼を余す事なく表す名。 「……………無、刀」        レギオン 「行くぞ。剣の群れ」  はたして、皇国第十二軍『刀魂』の潜入部隊は王国連合の派遣部隊を突破し帰還した。  欠員二十四名。  増員一名。                                       end. ※最後のカラスは勿論カラスではなくヘイストです  アカツキの千早振る神真衣(カミマイ)は天尊と鉄風雷火と同源の、低位技でしょう  多分  適当やがな