「信じる」事に根拠を求める者は、「信じる」とは何かを理解していない者である。  根拠があるなら、それは只の計算に過ぎない。  「信じる」とは総て、独りよがりで身勝手で愚かで、しかし紛れ無く尊い盲信なのだ。                  ―― 聖騎士イノケンティウスの手紙より ――                        RPGSS                 『 遣い手はただ、ここに在りて 』                  「長」と呼ばれるもの。  それに必要とされている能力は種々あるが、具体的にハッキリとは決まってもいないのも、また事実である。  どれかは持っているべきなのだろうが、どれが無くてはいけない、という事は無い。  さて。  西国騎士団弓兵部隊隊長、エルネスト・レイン。  彼の場合は、何を以ってしてその地位に在ったのか。  腕では、ない。  平均よりは上だが、飛びぬけている訳でもなく、つまりは普通の熟練者というのが、人だった頃の彼についての評価だ。  家柄では、ない。  彼は平民の出身である。或いは、それは一層異例の事だった。西国には、未だ身分制の壁が根強く残っている。  かの聖女が今の地位に在る今ですら、完全に払拭された訳ではないのだ。それ以前など推して知るべしである。  政治能力では、ない。  彼は、人脈を作ろうとしない男だった。むしろ、自分から出来るだけそういう事柄を遠ざけていた節もある。  権力争いなどという俗事に興味を示さなかったと言えば聞こえは良いが、しかしその代わりに足るものを彼は何一つ持ち合わせていなかった。  守る家族も、磨く腕も、育てる部下も、邁進すべき道も、悠々と楽しむ趣味も、何も。  人柄では、ない。  彼には人を惹きつける鮮烈なカリスマは無かった。包み込むような大きさも無かった。部下達の為に心を砕く気遣いも無かった。  放っておけないと思わせる隙も、自然と人を集める憎めなさも、嫌われるだけの個性も存在しなかった。それは、多少の理由になるのかもしれないが。  さて。  如何にして彼は、その地位に昇ったのか。  と、此処まで話せば、聖女と魔弓が、凡百の彼をその地位に押し上げたのだと思うであろう。なるほど、それが最も妥当な推論に思える。  だが、それは違う。  聖女が、魔の弓が、彼を「弓兵隊隊長に押し上げた」のではない。彼らが「弓兵隊隊長であった」彼を択んだのだ。  さて。  彼は何故その地位に在ったのか。そして魔弓を受け入れた彼は、一体何を思うのか。                ■ 「お出かけですかい?」  聖堂を歩くスエイにかけられた声は野卑で浮薄な男のものだった。  声のした方を見ると、巨大な教会を支える太い柱の一本に、彼が寄りかかっている。  野卑だが陽気で、浮薄に見えて芯に真っ直ぐさを覗かせる、スエイはその声が嫌いではなかった。一目置いているとも言って良い。  だから、立ち止まった。聖女への拝謁を済ませて下がって来るこのタイミングで彼が声をかけてくるという事は、何かあるのだろう。  何も無いというのなら。  それはより一層望む所だった。無駄な話は、何よりも相手を測る材料になる。 「エルネストか」  短く彼の名を呼んだスエイに、エルネストと呼ばれた彼は、やれやれと首を振った。 「水臭い。サイクロディアって呼んでくださいよ」 「どこに耳があるか分からん」 「真面目ですねえ。今更、誰に聞かれたからどうだってもんでもないでしょうに」  飄々と笑いながら、その大雑把な言葉とは裏腹に周囲全てを知覚し、間断無く探り続ける。  陽気な洒落者と冷徹な狙撃手の同居した瞳を見て、スエイは我知らず溜め息を吐いた。  感嘆ではない。落胆の溜め息だ。 「……ご機嫌を損ねちまいましたかね」  それを聞きとがめたか、サイクロディアが軽く頭を掻いた。 「いや、別に」 「いやいやいや、すいませんでした。特に用事があった訳じゃないんですよ。  ただ、ちぃと世間話の相手でも、ってそりゃ余計に失礼でしたな、『西国最強』を捕まえて」 「なに、構わんさ」 「いえ、今日のところは失礼させてもらいやすよ。また今度って事で、んじゃ」  流れるように喋ると、彼はあっという間に駆けて見えなくなった。  後姿を見送りながら、今度は内心だけで深々とため息を吐く。みすみす会話の機会を潰してしまった。それに壁も作ってしまったかもしれない。  探り合いの意味を除いても、それは好ましくなかった。彼は、この西国、特に上層部では貴重な、『まとも』の範疇に入る話し相手なのに。 (おーいおい? このボクという最高の話し相手、ソウルフレンドをお忘れでないかい?) (……いや)  ギライファの内なる声に、適当に返す。自分が何に対して溜め息を吐いたか、は分かっ ていた。  サイクロディアに対してではない。彼に不足は無い。  建前的なものとは言え、彼の位階は『剣の9』たるギライファよりも上であり、あの男はそれに違わぬ物腰と実力と実績とを見せている。  あの、男。  それだ。  スエイが落胆を示した相手、それは魔弓ではなく。  「エルネスト・レイン」に対してだった。  聖女は――あの女は、スエイにギライファを宿らせた。真の『西国最強』たらせる為に。  それは即ち、スエイにはそれだけのポテンシャルが、意志力が、資格があると、あの聖女が認めたという事でもある。  彼女の野望の為の道具に過ぎないとしても、その道具たる資格が。  それはスエイにとって決して誇りではなかったが、それに僅かばかり近しい何かとして心の片隅にあった。  その自分と同じ存在。  そして聖女とも同じ存在。  魔の武器を宿す者。  この西国にあってたった3人だけの、真にその闇を知り、身を置く『人間』。  魔王の同盟を裏切りし共犯者。  それが、聖女と自分と、そしてもう一人。エルネスト・レインだった。  親しかった訳ではない。今でも親しい訳ではない。  だが、期待しなかったと言えば嘘になる。自分の『同類』は、『共犯者』は、『仲間』は、そして『敵』はどんな男なのかと。  その結果は――肩透かしも良いところだった。  凡庸であり、世俗に在りて弓兵隊隊長という地位まで持ちながら世捨て人のように生きていた彼は、魔弓を手に取り、即座にその魂と心を食われたのだという。 「これは流石に計算外だったのだけれどね」  あの女はそう言った。  宿主を完全に喰ってしまう事は、必ずしも魔剣類の望むところではないと言う。  詳しくは知らないが、力がフルに発揮できなくなる、と言うより『成長』に制限がかかるらしい。  まあ、良いわ。今のままでも駒としては充分だから。あの女は気軽に言った。  その分、貴方に働いてもらえば良い事だしね?  そう言った時の聖女の微笑を思い出してしまい。  スエイは今度こそ、深々と大きな息を吐き出した。                  ■  聖堂の外へ出ると、サイクロディアは大きく伸びをした。  そんなつもりは無かったのだが、どうも『西国最強』の気分を害してしまったらしい。  少々気安すぎたのがマズかったのだろうか。  魔としては彼の中にいる魔剣より自分の方が席次が上だが、人としては西国の英雄と一介の弓兵隊隊長では三つ子月とバストスライムに近い隔たりがある。 「さーて、どうすっかなあ」  空を見上げる。抜けるような青さに、うっすらと白い雲がかかっている。絶好の飛行日和だと、思った。彼にとってはそういう空だった。  ばさりと。  背中から赤い翼を生やした。大きく鋭く荒々しく、天使などとは連想しがたい隼の翼。高く速く飛ぶためのそれだ。  急速に堕ちる様に昇った空は肌寒かったが、高みから一望できる聖都は、何とも胸のすくような気分を与えてくれた。鳥で良かったと、それだけはいつも思う。 「なあ、良い眺めだよなあ、相棒」  呟きに答えは還らない。  聖女は「エルネスト・レイン」は死んだと言った。  それは正しいのかもしれない。  今の全ては魔弓が作ったものだ。  衣装も、立ち居振る舞いも、言葉遣いも。  豪放で陽気で、野卑だけれども頼りがいのある、ケレン味溢るる洒落者。  ある日突然に変わった彼は、しかし簡単に受け入れられた。  何の事は無い。友情や愛情にしろ、反発や侮蔑にしろ、彼に何かの感情を抱いている人間は誰一人としていなかったのだから。 「彼がそんな風になるわけがない」    陽の理由にしろ、陰の理由にしろ、彼についてそこまで考えてくれる人間はいなかった。だから、受け入れられた。  そして、最早以前のエルネスト・レインを思い出す者は誰もいない。  だが。  只一人、魔弓自身だけは覚えていた。  彼の宿主、彼の使い手。聖女は喰われたと言い、しかし、それは僅かばかりその身体の内に生きていた。魔弓が生かしていた。  あの日。エルネスト・レインの前に聖女が現れ、妖しい微笑と共に弓を手渡した時、彼は弓に食われるより早く己が魂を手放していた。  生きていたくない。  それがエルネストの想いだったから。生を手放せる理由が出来た、とそう思ったのだ。  後はこの魔弓が、自分の身体を使い、自分の名を名乗り、自分の立場を使って、自分の代わりに生きてくれるだろうと。  彼には何も無かった。  実力も、家柄も、英知も、情熱も。  彼の様な人間が、何故「隊長」になれたのか。  答えは簡単。  運だ。幸運ですらない。只のめぐり合わせ。  無能が席に着いた方が結果的に上手く回ることもある。彼の場合は、それに巡り当たったのだ。  全てを魔弓は知っていた。  知った上で、聖女に具申したのだから。「俺を使わせるにはあいつが丁度良い。生きる事に倦んでる様な奴だから、仮宿として適当に乗っ取るには最適だ」と。  成長を望まぬ魔の武具は無い。  自らを潰す様な申し出に、聖女は首をかしげながらも、自分の具申を聞き入れた。  駒としてはその方が都合が良いのは事実だし、魔弓が何を企んでいようがあしらう目算はあったのだろう。  お飾りと間に合わせの総体。  魔弓を使える駒とする為には、そこそこの存在につける必要があった。だが、御せぬ駒とせぬ為には真に「遣い手」足りえる者に憑かせるのを避けねばならなかった。  聖女が彼を魔弓の宿主として選んだのは「使いやすそうだったから」。その一点だろう。  それは自分も同じだ。そこには嘘は無い。  理性では、理屈では、とうの昔に見限っている。  「早まったか」と、何度後悔したか知れない。  「遣い手」に出会えぬまま、「只の」魔人となるしかない不運を何度嘆いたか知れない。  だが、真実でもない。  どこからどう見ても何の取り柄も無き、凡俗。  覇気どころか意欲も無き、生物としての人間の屑。  だが。 「選んじまったんだもんなあ」  あの日、エルネストを見た瞬間。  サイクロディアは悟ったのだ。 「こいつこそが俺の遣い手だ」、と。  こいつと共に、俺は高みへ昇るのだと。  確信してしまったのだから。理由も何も無く。  有り得ないという、ふさわしくないという、理性が告げる百万の根拠を踏み越えて、ただ、本能がそう叫んだ。  そして今も尚、叫び続けている。  だから。  死んでもらっては困るのだ。  まだ生きて、立ち上がって貰わねば己が叫びの立つ瀬が無い。  矢をつがえる。  真上に向ける。  太陽に向かって解き放つ。  大きな光の輝きに、小さけれども鋭い光が真っ直ぐに吸い込まれていくのを見届けながら。 「おっおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」  魔弓は吼えた。あの矢の様に、この声が自らの内に届けよ、と。 end