『とある出会い』 ナヘル=ターマンは焦っていた。 一つは、敬愛する(或いは愛情を感じてすらいる)男、アル=シュヴァート=ターマンが攫われた事。 一つは、何をするにもまず情報が足りない事。 そして、もう一つは。 (くそ、増援が早すぎる!) 予想以上の速度で迫りつつある、敵の追っ手。 一旦は退け、ディオール首都を目指して移動を始めたまでは良かった。 まさか日が暮れると共に再び襲撃されるなど、思いもしなかったのだ。 補充戦力か、別動部隊か。ナヘルには知る由も無い事だが、いずれにせよ脅威である。 今乗っている機体―レーヴァンというらしい―の操縦にもまだ慣れていなかったし、疲労もある。 腕に自信はあるが、如何せん状況が悪すぎる。奴らに背を向けるのは癪だが、しかしこの状況で戦うほど阿呆ではなかった。 もう少し首都に近づけば、警備隊なりが気付くはずだ。 そこまで逃げ切ればいい。相手が何者かはわからないが、流石に表立って戦闘を行う事は無いはずだ。 少しだけ、唇を噛む。 悔しかった。 情けなかった。 奴らを叩きのめしアルを――旦那を取り戻しに行ける力が無いのが、悲しかった。 だから、レーヴァンを走らせる。 全力で、一直線に走らせる。 幸い、レーヴァンは速かった。少しずつだが、敵との距離を離している。 そう思い、そしてその気の緩みが命取りとなった。 (っ!) 轟音と共に、前方の地形が抉れる。 爆煙と、そして削られた大地に足をとられ、レーヴァンが転倒する。 拙い。 慌てて立ち上がるが、遅い。 今の間で、かなり距離を詰められた。 逃げられる距離では、ない。 (戦うしか……ない!) 旋回し、相対する。 手には剣。レーヴァンの持つ唯一の武器だ。 そして、相手の姿が見えてくる。 先頭に一本角の赤い機体。大きな剣を持っている。多分、一番危険な相手。 左右を固めるようにに、犬のような姿の機体が複数。銃と盾を持っているけど、こちらはさほど脅威には感じない。 その後方に、大砲が生えた緑色の巨体。さっきの砲撃はこいつか。 上空には、鷹のような外観の機体が数機。 多すぎる。 正直、勝ち目は無いけど。 それでも、無抵抗で捕まるのはゴメンだ。 「せいっ!」 犬型を切り裂き、返す刃でもう一体に斬りかかる。 防ぐために構えられた盾が、重い音を立てて吹き飛ぶ。 けれどそいつは怯むことなく、手に持った銃で反撃してくる。 剣を振り切った姿勢のレーヴァンでは避ける事は出来ないけど、幸い装甲は硬い。この程度はなんて事はない。 もう一度剣を振ろうとして、振りかぶる前にそいつは後退していた。 代わりに出てきた赤い奴の剣を、構えた剣で弾き返す。 そのまま鍔を競り合い、次の瞬間には横からの銃撃で体勢を崩される。 怯んだところに、上空からの射撃。 巻き上がった砂煙を振り払い、体勢を整えようとして。 眼前まで迫っていた赤い奴の膝が、レーヴァンに叩き込まれた。 「くそ……っ!」 吹き飛ばされたレーヴァンを起こそうとして、力が入らない事に気付く。 夜通しレーヴァンを走らせてきて、もう限界だった。 体力も、気力も、急速に失われていくのがわかった。 諦めたくない。 まだこんなところで、終わりたくない。 俺は、こんなところで……! 顔を上げ、前を睨み付け。 一瞬だけ、赤い槍のような物が見えた。 直後に、爆音。まるで先ほどの焼き直しのように、目の前に何かが着弾した。 煙はすぐに晴れたが、そこにあったのは凹んだ大地と、その中央で無惨な姿をさらす犬型の一機だけだった。 さっき見えた槍は、何処へ? 続けて三本の赤い剣が、飛んでくるのが見えた。 それは真っ直ぐに空を飛んでいる奴を貫き、地面に突き刺さる。 剣ごと地面に叩き付けられたそいつらは、衝撃でバラバラになっていた。 俺も、敵も。突然の出来事に、動く事も出来ない。 無茶苦茶な威力。圧倒的な暴力。桁外れの破壊力。 何でも良い。眼前で起こっている出来事が、現実の物とは信じられなかった。 赤い剣の姿が、段々と分解されていく。 そして、再び赤い物体が落ちてくる。 今度は、人型。 「一つ。ここは私の領内だ。すぐさま立ち去れ。二つ。私は今とても眠い。手加減は出来んぞ」 そいつから、声がする。 幼い少女のような、それでいて威厳と威圧感に溢れる声。 敵かどうかはわからないけど。 俺は、もう限界だった。 撤退する敵の姿を視界の片隅に納め。 「……やはり、レーヴァンか」 そいつの声を朧気な頭で聞きながら。 ゆっくりと、意識を手放した。 目が覚めると、知らない天井だった。 慌てて起きあがり、自分と周囲を確認する。 服装は、何時も通り。体調にも異常は無し。 だけど。 何か豪華そうな衣装棚。何か豪華そうな化粧机。何か豪華そうな調度品の数々。 「ここは何処だぁ!?」 そんな叫びが、響いた。 一拍置いて、まず部屋から出る。中にいたままでは何もわからない。 幸い、鍵はかかっていなかった。 廊下に首を出し、あたりを伺う。傍目にはとても怪しいが、気にしている場合ではない。 廊下がやたら長い。そして扉がやたら多い。 相当大きな屋敷か何かだろうか。というか、自分は何故こんなところにいるのだろうか。 最後の記憶では、確かレーヴァンに乗っていたはずだけど―― 「そうだ、レーヴァン!」 自分だけがここいにる、なんてことは無いはずだ。 旦那を取り戻しに行くには、時間も惜しい。 急いでレーヴァンを捜して、ディオールの首都に向かわなければ。 脚に力を込めて、誰もいない廊下を走り出す。 レーヴァンは、意外とあっさり見つかった。 階段を下りた先にあった、開けた場所。格納庫の様な場所で、その姿を見つけた。 駆け寄ろうとして、レーヴァンの目の前の椅子と、そこに腰掛ける少女に気付く。 誰だ、と警戒する間もなく、 「なんだ、もう起きたのか」 と、声をかけられた。 気付かれている以上、隠れても仕方ない。観念して近づくと、少女もこちらに向き直った。 日に当たっていなさそうな、色白の不健康な肌。引き籠もりのお嬢様、というのが第一印象だ。 「さて、お前には色々と聞きたい事がある」 少女がこちらを見て口を開く。聞きたい事は、俺にも沢山ある。 「一つ目。お前、名前は?」 「……ナヘル。ナヘル=ターマン」 ある意味では予想通りの質問に、そのまま答える。多分、隠す意味はないから。 だけど、相手の反応は予想外だった。 「ターマン!お前、今ターマンと言ったな。アルの小僧の娘か何かか?」 「え、あ、いや、えーと……は、伴侶、かな?というか、小僧って?」 そんなに驚く事だろうかと思いつつ、答える。言ってて、少し恥ずかしかった。 それ以上に、旦那を小僧と呼ぶ少女の事が気になった、が。 「あの小僧ロリコンだったか?まさか私の事も……案外ムッツリ……」 「ちょ、ちょっと待ってってば!俺が言ってるだけだから別にその……」 とんでもない事を口走る少女を止める方が先だった。 「……で、なんだっけ。ああそうだ、お前が小僧の関係者だと言う事はわかった」 うん、よし。と一人で呟く少女に、今度は俺が尋ねる。 「えーと、その小僧って?旦那の事だよね?」 少女は一瞬だけ不思議そうな顔をして、すぐに意地の悪そうな笑みを浮かべた。 「ふん、聞いた事はあるんじゃないか?ディオールに住む吸血鬼の噂くらいは」 ディオールの吸血鬼。それは、確かに聞いた事がある。 何でも、姿は幼子だけどその力は魔人にも匹敵するとかいう…… 「……え、まさか」 「ようこそ、吸血鬼の館へ。人間の客を招く事は滅多に無いんだがな」 「ま、ともかくだ。お前にはもう幾つか聞きたい事があるわけだが……」 唖然としている俺を置いて、少女が一人で話を進める。 いや、少女、というのは正しくないだろう。彼女が吸血鬼であれば、その姿と年齢は必ずしも一致しないのだから。 ともかく、彼女が旦那を小僧と呼ぶ理由はわかった。単に年上だからなのだろう。 「二つ目だ。単刀直入に聞く。小僧はどうした」 どうした、と聞かれて、言葉に詰まった。 だけど、答えは一つしかない。例えそれが、自分の力不足が招いてしまった結果だとしても。 「旦那は……旦那は、攫われた」 それだけを、絞り出す。 彼は、攫われてしまった。俺の目の前で。 あの光景を思い出すだけで、涙が溢れてきそうだ。 そんな俺とは対照的に、彼女は冷静だった。 「ふん……さっきの不愉快極まりない連中か」 と、それだけ呟くのが聞こえた。 「俺が、俺がもっと上手く動ければ旦那は……」 そうすれば、みすみす旦那を……! 「自惚れるなよ、小娘」 凛とした、力強い声だった。 それは目の前の彼女の声で、だけど先ほどよりも強く響いた。 「小僧が負けたのは、小僧の責任だ。お前ごときがどうこう出来る話ではない」 「だけど!」 「忘れるな。力を捨てたのは、小僧自身だ」 その言葉は、暗に“お前は無関係だ”と言われているようで。 何も出来なかった自分の無力を抉られているような、そんな気がした。 「で?」 「え?」 突然の言葉に、顔を上げる。 目の前には、真面目な表情があった。 「三つ目だ。お前は、何をどうしたい?」 「俺は……」 そんな事は、決まっている。 「俺は、旦那を助けに行く」 それ以外に、選択肢は無い。 「よくぞ答えた!それでこそターマンが見込んだ人間、それでこそレーヴァンが認めた戦士!」 彼女が突然立ち上がり、高らかに笑う。 その声には、明らかな愉悦の色が含まれていた。 「良いだろう、良いだろう!ならば私は力を尽くそう!アリアルシア=ヘイムの名にかけて、我が友とその伴侶のために力を尽くそう!」 彼女―アリアルシア―は、そう告げて。 本当に楽しそうに笑いながら、レーヴァンに首を向ける。 「聞いたか!聞いただろう!?お前の新しい主人はやる気だ!だから私も随分と久方ぶりにやる気を出すとしようじゃないか!」 そして、今度はレーヴァンの奥―今まで気付かなかったが、気絶する前に見た赤い機体がある―に向かう。 「ああ、私のブラド!もしかしたらもしかするぞ!“ついこの間”の様な戦いがまた始まるかもしれない!」 そして、もう一度俺に向き直って。 「そういうわけだ、ナヘル=ターマン!必要であればいくらでも助けてやるとも!お前は我が友の伴侶なのだから!」 告げて、赤いコインを投げて寄越した。 「それを割ればいい。そうすれば私は間違いなくお前の元へと辿り着く」 アリアルシアは、俺が何か言う前にもう一つ付け加えた。 「ああ、ただ余り失望させるような状況で呼んでくれるなよ。お前は曲がりなりにもレーヴァンに認められたのだから」 それから、色々な話をしながら時間は経って。 いつの間にか、夜が終わりかけていた。 「……ち、先刻の連中か」 「え?」 「外だ。夜明けなら私の力が弱まるとでも思ったか?馬鹿な連中だ」 吐き捨てるように言って、窓の外を見る。 釣られて見た先には、小規模だが確かに軍勢のような物が見えた。 「あいつら、性懲りもなく!」 「ふん、時間もそろそろ良い時間だ……寝る前の運動には丁度良い」 鋭い犬歯が覗く笑みに、少しだけ恐怖を感じる。彼女が人ならざる者であるという、その事実に。 「お前は、館を出たらそのまま首都へ向かえ。レーヴァンの速度なら日が沈むまでには着くだろう」 「私も、」 戦う、と言おうとして、その先を遮られた。 「今のお前には、絶対的に経験が足りない。訓練はされているようだが、それだけでは駄目だ」 「でも!」 「未熟者は足手まといだ、と言ってるんだよ。筋は良いし腕も悪くないが、お前は戦いを知らなすぎる」 言葉が詰まる。実戦経験が少ないのは事実だし、レーヴァンにもまだ慣れてはいない。 「首都に着いたら、アルベルト=フォン=クルーガーという男を訪ねろ。小僧の名と私のコインを見せれば、多少の融通は利くはずだ」 「俺は、その男に会って何をすれば良いんだ」 「まずは事実を伝えろ。その後はお前の自由だが……そうだな、演習にでも参加すれば、多少は戦いがわかるだろう」 時間はかかるがな、と付け加えて、もう一度窓の外を見た。 「さて、私は今から奴らを掃除する。お前も行け」 その言葉が、最後だった。 俺は、レーヴァンを走らせる。 多分、次に彼女に会うのは、ずっと後になるだろう。 「さぁて、小僧共。警告した上で侵入して来たんだ、どうなるかはわかっているんだろう?」 赤い機体―ブラドクリムゾン―が、空に舞い上がる。 そして、両手を掲げ、 「ブラッド・ブレイド・カノン!」 叫び、同時に生成された血のように赤い剣を投擲。 放たれた剣の砲弾は逸れることなく、集団の中央に着弾。 数機を巻き込み粉砕した魔力の剣はすぐに姿を消し、直後にブラドクリムゾンが中に飛び込む。 突き出された拳は盾諸共機体を粉砕し、凄まじい跳躍は体当たりだけで上空を飛ぶ敵をはじき飛ばす。 戦闘にすらならない蹂躙は、全ての敵機が破壊されるまで行われた。 が、 その中に、以前はいたはずの赤い機体はいなかった。 続けられない。