裏設定SS『明日には忘れ去られる可哀想なエルザの物語』 ■RPG■ 魔王エルザ 勇者に討伐された野生の魔王の群れの中で、一人生き残った赤子の魔王。それがエルザ。 エルザは彼女を人間と勘違いした奴隷商人に拾われ、富豪の召使となりました。 自分が魔王であることを忘れたエルザの前に突然現れた、にやにや笑う魔法使い。 「一度で良いから綺麗なドレスを着てみたい」とエルザ「いいだろう、ただし、いつかお代は払ってもらうよ。」 魔法をかけてもらい、忍び込んだ舞踏会でシンデレラの如く王子様と恋に落ちるエルザ。 国全体を巻き込んだ騒動の末、王女様になったエルザ。幸せの絶頂のエルザの前に 現れたのはあの、にやにや笑う魔法使いでした。 「さぁお代を貰いにきたよ。ドレスと、ガラスの靴と、人間の心を。」 魔王に戻ったエルザはまず愛する王子を丸呑みにして、国の人間を皆殺しにしました。 王子が座っていた玉座に一人腰掛けたエルザは、ぜんぜん悲しくないことが悲しくて 自らの心臓を抉って死にました。 -------------------------------------------------------------------------------- 「君が僕の傍にいると決めてくれたとき、これ以上の幸福はないと思っていたけれど…。  今も同じ気持ちだ。このまま空高く舞い上がってしまいそうな…!」 「そうなったら私は皆にどう説明したらよいのかしら?『私達の愛した王はお星様になってしまいました』って?」 「君が空を見上げて一言呟いてくれれば、僕は流れ星になって戻ってくるよ。」 「魔法の言葉は?」 「…愛してる!」 あれからもう何年も経ったけれど、この人はずっとあの時のままみたい。 触れ合った肌から彼の鼓動を感じる。この旋律は私のものと一つになって、新しい鼓動を生み出した。 それは私の隣ですやすやと眠っている。 「こらこら『お父様』。これからは三人なのよ、愛する我が子におはようのキスは?」 「いや、なんだか、触れたら壊れてしまいそうで…もしかしたら丸呑みにしてしまうかも…」 おでこをくっつけたままの彼の顔は本当におどおどする子供のようで。 こんな様子を家臣の皆に見られたら反乱がおきちゃうなぁ。 「ほら、体全体を支えてあげるように、ね。」 「お、おおお…赤ちゃんってこんなにも…こんなにも柔らかくて、儚いのか…  お、おほん…わ、私がお前の父であるぞ…」 「こらこら。かしこまらないの。」 「…ええと…ありがとう。生まれてくれて、本当にありがとう。僕は君のことがエルザと同じくらい大好きで…  いつでも君の助けになってあげる。おはよう、ずっと愛してる。」 新たな命を優しく抱きしめキスをする彼。 まるで夢のようだ。毎日埃を被って、暗い屋根裏で一人凍えていた私が、お日様の真ん中にいるみたいな こんなにも暖かくて幸せな気持ちになれるなんて… ぱん、と風船が割れるような音がした。 蝋燭の揺れる火は彫像になり、柔らかい光に包まれていた部屋は灰色に変わって 彼も、赤ちゃんも凍りついたかのように動かなくなった。 コツ、コツ、と廊下を歩く音が聞こえる。 それは私達三人のいる部屋の前でぴたりと止まった。 なにもかも死んでしまったかのような静寂。 「…誰?」 答えるようにドアノブがひねられる、が、内鍵が下りているのでドアは音を立てても動かない。 自分の鼓動が聞こえる。体が強張る、唇が震えだす。 衛兵はどうしているのだろう?何故ドアをこじ開けようとしているのに止めもしないの? 乱暴にドアがゆすられる。 「ひっ!」 この音。遠い昔に聞いた覚えがある。どれくらい昔だったかしら… 大きなお城の中で、一人隠れていて…悲鳴が聞こえて… 「そこにいるのは解ってるんだよぉ、お嬢ちゃぁあん?」 粘りつくような声…そうだ…あの奴隷商人!孤児の私を連れ去った奴隷商人! 「い…いやぁああああ!来ないで!来ないで!」 「鍵がかかっているのかなぁ?」 言葉の後、ドアの外から低い呟き。かんぬきがぼうっと青白く光って、するりと滑った。 「駄目!」 まともに動かない体を奮い立たせて、ドアにしがみついた。 駄目だ。このドアを開けちゃ駄目だ。 やっと得た温もりも幸せも、ワクワクする未来も全部逃げていって 代わりに暗くてじめじめした、忘れていた過去が入ってくる。 「…止まれ、『エルザ』。」 間接が石になってしまったかのように動かない。響いた一言が、鎖のように私の体を雁字搦めにした。 「手を離せ『エルザ』。」 『エ・ル・ザ』…懐かしい、音。名前?誰の? …わたしのなまえだ。 勢い良くドアが蹴り開けられて、私は弾き飛ばされた。 引っかかった陶器の水差しが床に落ち、その破片が肌を裂いた。 「やぁ、お久しぶりです『エルザ』さん!私のことは覚えていますか?くく、驚いたでしょう!  わざわざ声を変えるのはとても大変なんですよ?」 「あ…あ…。」 声の主は奴隷商人ではなかった。真っ黒いマントに身を包み、頭に巻いた布の切れ目から薄ら笑いを覗かせる男。 「あの時の…魔法使い…。」 「覚えていてくれたんですねぇ。くく、あまりに幸せすぎて辛い思い出は忘れてしまったのだとばかり…  ではあの約束も覚えていますか?君が幸せの階段を、ガラスの靴で上り始めたあの日の約束!」 覚えている、いつまでも消えない囁き。 『いつの日か、お代を頂戴しに伺いますよ。』 「それが、今日なのね…魔法使いさん。何をお支払いすればいいの?  地位?ドレス?それとも私の命?差し出せというなら喜んで。彼と会えなくなるのも  私達の子の成長を見守れなくなるのも、とても辛いけど…それが払うべき代償であると言うならば。  ただ、私以外の人に危害を加えるのだけはやめて。それだけは約束して頂戴。」 「ほほう!流石王女様といった所でしょうかね。毅然としていらっしゃる。ただ、貴方の命を  頂くつもりは毛頭ありません。もちろん、旦那様や息子さんの命も…あなた達に今死なれてしまっては  せっかく仕込んできたものが台無しになってしまうのですからねぇ?」 「仕込んだ?どういうこと?」 「くく、いけない、いけない。口が滑ってしまいました。」 「どういうことだって聞いてるのよ!」 顔を背けた魔法使いの唇の端がきゅうっと歪んだ。 「この顔に見覚えはありませんか?」 さっと手を振り上げると魔法使いの顔は、ナマズ髭を蓄えでっぷりと太った中年男のものに変わった。 あの奴隷商人! 「…え?」 「ゲハハハ!これまたお久しぶりだぁ!さぁてお嬢ちゃん、ちぃとばかし昔の事を思い出してもらおうか。  お前は召使になるずっと前、どこで、誰の元に生まれたのだったかな?さぁ、答えるんだ『エルザ』!」 『エルザ』、私の名前。名づけてくれた…お父さんとお母さん…お城に住んでいて…青い肌をしていて… 「そして、何匹もの、魔物を従えていた…」 「そうだな、そうだったよなぁ。可愛い『エルザ』!お前のお父さんやお母さんのような  魔物の王様のことをなんと呼ぶ?」 「ま…お…う…。」 遠い昔の記憶!私達の家を焼き尽くした勇者! お父様とお母様と仲間達の死体を踏み荒らして、私を連れ去った商人! 「正解だよ『魔王エルザ』。流石に賢い子だねぇ。安い値段で手放したのがもったいない位だぁ…  さぁてここで問題だ。お前さんの父や母がいた城に、勇者を呼び込んだのは一体誰だと思うね?」 「まさか…!」 「そう、私ですよ。」 元通りに戻った、にやにや笑う顔。 お父様とお母様が殺されたのも、私が全ての記憶を失って奴隷になったのも …あの人と一緒になれたのも、全て、この魔法使いの筋書きだったと? 「いやね、面白い芝居がしばらくなかったものですから、つい遊んでみたくなりましてね。  貴方達は実に素晴らしい俳優でした!舞台の上で必死で生き、悩み、苦しみ、時に笑い、時に恋す…  私は演出兼脇役で、物語の流れを整える役です。いや、でも節目節目に働きかけるだけで  此処まで思い通りになるんですから驚きですねぇ。  実はね、今もこの様子は水晶球に記録しているんですよ。王女様をどん底に突き落とす  ところで『悪い魔法使い』の出番は終わりです。後は貴方達のアドリブにお任せします。  最後が予定調和では、長生きな私達にはちっとも面白くありません。  是非、観客が嘆き悲しむような上等の残酷劇に仕立て上げてくださいね。」 世界にひびが入った。 崩れ落ちてゆく、あの人との楽しかった日々も、三人で過ごす明るい未来も。 「うわああああああ!」 陶器の破片を握り締めて、震える足を、体を、魔法使いに向ける。 「止まれ『エルザ』。」 縫いとめられたように、動かない体。意識だけははっきりしているのに。 「くくっ…あははははは!真の名を握られた悪魔が、私に逆らうことが出来ると思ったのですか!?  さぁて、そろそろ代金を…『人間の心』を頂戴するとしましょうか?」 魔法使いが手をかざすと、彼の口から漏れる呪文が黒いミミズのように王女の体を覆いつくした。 『エルザの内に流れる 暖かで真っ赤な血は 凍てつくような真っ青な色に変わり  慈愛の光を湛えた目は、あらゆる命を吸い取る真っ黒な目に変わり  美しい亜麻色の髪は、闇の触手のように漆黒に変わり  …そして、命あるものを愛する心は、命あるものを憎む魔の心に変わってしまいました。  もうそこには美しい王女様の姿はなく、邪悪な心を持った魔物が一匹いるだけでした。  彼女が幸せだったのは、彼女の人生がごっこ遊びだったからに過ぎないからでした。  忌むべき邪悪な存在という身でありながら、幸福を望んだ彼女に対する、これが罰なのかもしれません。  ただ、彼女にはもう悲しいと感じる心もありませんから、これ以上苦しむこともないでしょう。  それが魔法使いのかけた最後の情けだったのかもしれません。』 ──ナレーションの後、明転。 ──そこには変わり果てた王女の姿がある。   *   *   *   *   * 「ど…どうした!真っ青じゃないか!誰か医者を!」 「ねぇ」 「早く横になるんだ!なんて事だ…」 「もしかしたら貴方のこと、丸呑みにしてしまうかも…」 どっと、王子に寄りかかる。 「冷たい…これは危険だ!早く!誰か…」 「いただきます。」 ぱくり 「ごちそうさま、良いもの食べてたのにあまり美味しくはないのね。」   *   *   *   *   * おぎゃあ、おぎゃあ 「貴方は私の体を借りたんだから、返してもらうわ。」 ぱくり 「ば…化け物!まさか御三方とも食われてしまったというのか!」 「あら、いたのね貴方達。王と王子の身を護れないなんて、衛兵失格ね。  あと、勘違いしているようだけど、私は私のままよ?」 「黙れ!王女様を騙る悪魔め!」 「聞き分けのない人は嫌いだわ、それに貴方達は固くて美味しく無さそうね。  そうだ!その鈍い脳みそと重たい肉が無くなれば、良い兵士になるかもしれないわ!」   *   *   *   *   * バルコニーに肘を着いて軽く指を弾くと、町の建物がぱっと燃えた。 綺麗だったので、炎で絵を描いてみたりした。 一時間もするとつまらなくなって、全部真っ赤にした。 夜が明けると、城内に散らばっていた死体は一つ残らず片付いていた。 骨の兵士達が、要らなくなった自分の肉や内臓を綺麗に掃除したからである。 彼らは城中の窓に暗幕を張り、エルザがぐっすりと寝られるように配慮した。 更にもう一晩経つと、黒焦げの町は急に活気を取り戻した。 町中の肉屋は大繁盛した。 中途半端に肉の残った死体達が、肉を切り落としてもらって身軽になろうと殺到したからである。 文字通り引っ張りだこだったので、バラバラになってしまう肉屋もいた。 それ以来彼らは、しっかりと行列を作るようにしたらしい。 切り落とされた肉は町を囲む塀の外に投げ捨てられ、集まった蝿が空を覆いつくしたので 図らずも彼らとエルザにとっては住みやすい環境になった。   *   *   *   *   * それから数日して、エルザは骨の家臣達に促されて玉座に座った。 「これは元々の玉座を腕利きの職人達に改造させたものです。  柔らかく、しなやかな赤子の骨のみを厳選して使いました故、エルザ様が御身を預けるに  相応しい座り心地になったものかと…」 「ふむ、悪くない。」 この椅子に座っていたのが元々誰だったのか、エルザには良く思い出せなかった。 周辺の国から送られてきた討伐隊を退けた、という家臣の報告も上の空で。 思い出してはいけないような気もしたし、思い出さなければいけないような気もした。 エルザは一人、バルコニーに立った。 報告の途中だったから、家臣たちは慌てふためいたが、止めることはしなかった。 町のあちらこちらに灯が見えて、それは彼女が『王女様』だった時に、その誰かと見た光景と一緒だった。 ふと見上げると、流れ星。 『君が空を見上げて一言呟いてくれれば、僕は流れ星になって戻ってくるよ。』 そうだ、そんなことを誰かが言っていた。 魔法の言葉は… 「ア・イ・シ・テ・ル…?」 魔王が何かを呟いたのを聞き取れた家臣は一人もいなかった。 魔王は急に振り返ると家臣たちを労った。 「ご苦労だった。諸君らの奮闘のお陰でこの不死の国はしばらくの間平安であり続けるだろう。」 「勿体無きお言葉…身に余る光栄にございます。」 傅く家臣たちに問う。 「全知全能の魔王とはいえ、妾もまだ己の体を知らぬ。例えば、もし妾が斃れるとすれば、それは何故か。」 「お答えいたします。我々がこの身に変えてもお守り致しますゆえ、万が一にもありえぬ事ではございますが…  胸の中央にございます、強大なる魔力の源…薄汚い人間どもでいえば心臓…を抉り出されれば  エルザ様とて御身を保つことが困難になります。」 「そうか。」 エルザはその妖しくも美しい手を胸に当てた。 「愛する夫や我が子をこの手にかけても、涙を流すことも出来ぬなら…」 溢れ出した魔力の奔流は 城も、町も、かりそめの命を得た配下も 全てを焼き尽くしてしまった   *   *   *   *   * にやにや笑いの魔法使いとその友人達はしばらく水晶球を眺めていたが やがて、ある者は欠伸をしながら、ある者は背伸びをしながら、ある者は時間の無駄と 吐き捨てて、三々五々散っていった。 「最後の最後でお涙頂戴とは…期待したのが間違いでした。さぁて、新たな俳優を見つけないと…。」 魔法使いが指を弾くと水晶球は粉々に弾け、遂にエルザの物語は幕を閉じた。 長生き過ぎて享楽という享楽を味わいつくした退屈な魔道士たちは、次の日には この退屈な物語の筋書きを忘れてしまっていた。 そうして魔王エルザの生は跡形なく消え去った。 〜了〜