ヤオヨロズSS  ■ホワイトクリスマスへの布石■  放課後、水原零二が何気なく二年生の教室を覗くと、顔瀬良亮の机に本の山が出来ていた。  しかも、漫画やエロ本の類ではない、分厚いハードカバーの専門書や、小難しい特集名がずらりと並ぶ専門雑誌ば かりである。  大部分は図書館で借りてきた―勉学環境の充実を掲げる聖護院には、充実した巨大な図書棟があるのだ―ものだろ うが、中には図書館ラベルの貼ってない、真新しい本もあった。  何気に近寄って一冊手にとってみた。顔瀬も水原の存在には気付いたようだが、特に声をかけるでもなく黙々と本 に目を通し続けるだけだ。  まあ、これはいつもの顔瀬らしいと云えば顔瀬らしい。……ただしご機嫌ナナメな時の、だが。周りの反応を気に する卑屈さや流されやすさと、自身の機嫌に振り回されて周囲へぞんざいな対応を取る幼稚さの奇妙な同居は、ひね ている様で今時の一般的な若者と言うべきか、等と若干オヤジくさい思考を水原は巡らせた。  それはともかく、顔瀬が手にした本に目をやると『気象学の歴史』というタイトルが書かれていた。他には『日本 気象学会季刊誌』『天気図の読み方』『総観気象学』等等……とにかく気象学関係の入門書から専門書までを片っ端 から集めてきたらしい。  こいつは何故こんな事をやっているのか。そして、何をやろうとしているのか。水原の好奇心が刺激された。 「よ、顔瀬。なに、柄にも無く本積み上げて、まさか今更勉強に目覚めた?」 「……来週のクリスマス用っすよ」  軽いノリで話しかけた水原に対して、顔瀬は憮然とした表情を隠そうともせずに答えた。  かなり余裕が無い。  どうも参考になる箇所が見つからなかったらしく、眺めていた本を苛立たしげに閉じると床に積まれた山の一番上 に落とすように置く。  読んだものは随時床の上に置いていってるらしい。隣の石津の机の上に積んであるのは数が少ない事からして、多 少は参考になりそうだと思った資料だろう。  それらから総計すると既に数十冊は読んでいる事になる。水原の知る限り、こんなにアクティブな顔瀬を見たのは かつて一度だけ、外崎梅雨海と桜庭スミカ共同企画による「DOKI☆DOKI補習デスするんですマーチ」の時だけだ。 「クリスマス用? いや、クリスマスとこの本と何の関係が?」 「九条が、来週の24日にクリスマスパーティやろうと言い出しましてね」  深いため息と共に、顔瀬が語り出す。ようやく愚痴る相手を見つけたといった風だった。 「お前が良く乗ったな」 「俺は勘弁して欲しかったんですけど、彼氏彼女がいない連中が大ノリ気になりましてね。ちなみに筆頭は梅雨海ち ゃん。空気読んでたら、俺参加しないとは言えない雰囲気になっちゃいまして」  ウチのクラス独り身多すぎだろ、と呟く顔瀬。  お前もだろ、とつっこみたいのを水原はぐっとこらえた。それについては自分も言えた義理ではないからだ。 「そん時に雰囲気出す為に、ホワイトクリスマスが良いって案が出てきましてね。九条が『顔瀬くんなら出来ないか な?』なんて話振って来やがったもんだから、こんな羽目に……」 「あー……」  ちなみに今年は暖冬かつ晴天続きで、週間天気予報では軒並み、来週も快晴一色でしょうと宣告していた。と、そ こまで考えてふと気付く。 「あ? なに? つまり九条の頼みでホワイトクリスマスの実現の為に奮闘してると? お前実は九条狙いだったの ? 普段嫌ってる素振りはアレ? 好きな子程いじめちゃうって言う……」 「んな訳ないっしょ」  顔瀬は本気で嫌そうな顔をしてみせた。  水原からしてみれば、九条真紀のきりっとした美貌と、争いを嫌い周囲への気配りを忘れない優しい性格は結構評 価が高いのだが、どうも顔瀬は彼女を忌避している節がある。  戦闘を嫌う臆病な心根の顔瀬が、札つきのイカレ組である高柴や銅月以上に、温和で優等生な九条を嫌う理由とい うのが水原にはいまひとつ理解できないが。  しかも、飄々としている様で何より他人の目を気にする卑屈なこの男が、ちょっと見ればそれと分かる様な露骨さ で。  九条は九条でその事を軽く気に病んでいる面があり、何かと顔瀬に意見を求めたり、世話を焼いたりする事がある らしい。恋愛がどうこうでは全く無く、友人として認めてもらいたい、という事なのだろうけど。  ま、それはさておき。 「梅雨海ちゃんですよ。それに被りつきやがって、俺をホワイトクリスマス要員に強制任命しやがった。『イチモク レンならそれぐらい軽いっしょー』って」  畜生、その前に「アンタクリスマス一緒に過ごす彼氏いないんですか」なんて言わなきゃ良かった、絶対あれの復 讐だ、とやはりブツブツ呟く顔瀬。  自業自得じゃねーかと思ったが、やはり突っ込まない水原。 「ま、そういう訳でしてね。出来なかったら、死ぬまで殺す地獄の樹海訓練補習に放り込んでやるという脅し付き」 「まさか、幾ら梅雨海ちゃんでも本気では」 「梅雨海ちゃんっすよ? あれは」 「う……」  あまりに的確な反論に、水原も何も言えずに黙り込んだ。  ヤツならやる。もとい、殺る。  と、その沈黙を破るようにして顔瀬が笑い出した。その重低音の旋律に不気味なものを覚えた水原が動き出す前に 、顔瀬が机を叩いて大声を張り上げる。  振動で、本が何冊か床にバサバサと落ちた。 「畜生! できる訳ねーだろ、雪なんて! イチモクレンが操るのは風! 気流なんだよ! 水や熱を操るんならと もかく、風でここら一帯氷点下にして雲集めてってどんぐらいエネルギーかかると思ってんだあのアマ! これだか ら素人は!」 「あ、でも、ほら、小型台風すら起こせるってのがイチモクレンの売り文句な訳だろ。雪ぐらい……」 「あれは! 条件が揃ってたらっすよ! 夏とか秋とかの元々台風が発生できる季節に、まず小っちゃな亜熱帯高圧 帯を作って潜熱食わせながら根気よく気流を循環させてそれでようやく……毎回、一個作るまでにどれだけの時間と 失敗を重ねると……、あーっ、ともかく! 雪をゼロから生めって無理! 絶対無理! 死ぬ! 梅雨海ちゃんに殺 される!」  普段と違う血走った顔瀬の態度に、ここに来てようやく腰が引ける水原。はっきり言って遅い。どう遅いかと言う と……。  妙に専門的な事を口走る顔瀬だが、実のところ彼はこれでも気象学、特に気流を扱う分野のエキスパートである。 これは彼の頭脳が一段図抜けているという事ではなく、聖護院の教育カリキュラムに関係がある。  ヤオヨロズに手を加えず、生徒の精神による完全操作を図るのが、聖護院の方針である。この学院はその為に(或 いは兵器としてより有用かつ発展的な運用の為に)必要な要素として精神面の修養だけでなく己のヤオヨロズに対す る理解を深める為の知識についても重視し、各自のヤオヨロズの特性に応じた特別教育履修プログラムを特徴として いる。  どんな超兵器であっても自律稼動ではなく人が動かすものである以上、最終的にはそれを扱う「人材」の質や技能 が問題になるという訳である。  とは言え聖護院の面子や黒い思惑だけでなく、これは生徒達の進路を憂慮した結果でもある。  一般的に、殆どのヤオヨロズ使いは一般社会に馴染めない。これは超常的な力を持つが故に排斥される、という最 もショッキングかつドラマティックな問題以外にも要因がある。  思春期の不安定な精神状態の子供が、ヤオヨロズ等という過ぎた天災級の力を手にした場合、まず間違いなく溺れ る。有頂天になって自分を選ばれた存在と思うか、忌避し自分を呪われた悪魔と思うか。  いずれにせよ、自分を「特別な存在」だと思い込んでしまうのだ。その力に慄いた周囲の反応も媚びるか追い立て るかの二択になり、そうやって思春期を過ごした彼らは、ある日突然「普通の人」になる。  それは解放ではなく、新たな苦しみに過ぎない。好悪どんな感情を抱いていたかに関わらず、それまで当たり前に あった能力とそれに伴う環境が無くなるというのは、想像以上に個人の人生のバランスを崩す。それまでに培われた 自分像と生活と、これからの人生が一致しないのだ。そうやって生まれた社会不適合者に対し、世間の目はそれまで 通り「異物」を見る目で対応してくる。  「力有る異端者」から「力無き異端者」に、恐れの対象から蔑みの対象に。  かつての化け物に社会は歩み寄ってくれず、かつての化け物である少年少女は歩み寄る術を知らない。  皮肉な事に、聖護院という隔離・監視・保護のシステムがその断絶に拍車をかけた。  超越的な戦闘の日々を辛くも生き延びた卒業生の困窮死・自殺・犯罪者化、市民による魔女狩りによる死など、社 会問題になった事態に、その責任により辞任させられた政府首脳の後釜、新政権たちは頭を抱えた。  議会の紛糾と、政策系シンクタンクの不眠不休の討論の結果。  「普通に馴染めないなら、特殊かつ特別なエリートになって生きてもらう」  それが聖護院が出した結論であり、その為の特別カリキュラムである。  例えば白兵戦闘に特化したヤオヨロズの使い手たちは、兵士としての訓練をより重点的に受け、後々には政府軍の 特殊部隊や聖護院におけるヤオヨロズ戦闘の教官として就任する。  顔瀬などの特殊型は、将来の白衣・職人組として特別招聘された各分野の権威から専門知識や専門技術を徹底的に 叩き込まれ、各専門技術のエキスパートとして育てられる。  世論としては「何故ヤオヨロズ使いだけをそこまで優遇するのか」「明らかな教育格差だ」「いや、選民思想によ る統制国家を作る気だ」という批判が絶えないが、他にどうすれば良いのかと聞かれればどうしようもないのも事実 だ。  経緯はさておき、ヤオヨロズを除いて国防は考えられないのが現状であるし、潜在的な天災が人々の間で普通に生 活をしようとしたならどんな事になるかは、発現初期の世界的な惨劇が証明している。隔離は現段階では絶対に必要 な措置であり、その上で将来問題なく社会に馴染める人材を育成しろというのはかなり無理がある。  尤も一部には実際世論が指摘する様な思惑もあるのだろうから、何が間違いで正しいのかは一概には分からない。 善悪も、正誤も。 閑話休題。  このシステムの問題の一つは、結局のところ生徒の才能と意欲次第な点である。全員が目論見通りにエリートとな る訳ではない。  付いて来られない者は勿論、付いて行こうとしない者も相当数いる。その理由も独自の信念からもっとあやふやな 反抗心、只の怠惰や世間をナメてる無計画まで千差で、その将来も独自の大成から社会への適合の成功、野垂れ死に やスナッフの出演まで万別である。  顔瀬はその中では、比較的真面目にカリキュラムに取り組んでいる方だった。己の未来と境遇に怯える卑屈さと臆 病さがこの場合はまあ、モチベーションとして良い方に発揮されたと言える。  つまるところ。  今積んでいる書籍などは、彼にしてみれば1年時に通過した代物ばかりだ。それを引っ張り出して眺めている辺り で、彼の追い詰められ具合を水原は察するべきだったとも言える。 「そ、そうか。まあ頑張れ。んじゃ俺はこれで……」  血走った目で頭をかきむしる彼から、そっと離れるように背を向けた水原の手首をがっしと顔瀬が掴んだ。 「水原せんぱ〜い。困ってる後輩を見捨てるなんて真似はしませんよね〜?」 「い、いや……」 「そう言えばミズチは空気中の水分を操れたんでしたよね〜? 二人なら何とかなるってそう思いません?」  無理だ。即座に心中で断じる。ミズチの操作能力はあくまで白兵戦程度のレベルだ。コントロールの繊細さならと もかく、イチモクレンの様な天候操作にまで発展するような効果範囲は到底見込めない。  しかし、それをどうやって顔瀬に納得させるか。考えて言葉にする前に顔瀬がずいっと本を差し出してきた。 『水環境の気象学』  ごくりとつばを飲み込んでそのタイトルを眺める。  彼自身、水に関する事柄は、物理・化学は勿論、歴史や地理学まで叩き込まれている。肌に感じる乾燥度でどの程 度の水が使えるかの理解は勿論、地形を見てそこを水がどういう風に流れるか分かるといった、ヤオヨロズとは関係 無い特技まで見につけた。この程度の入門書の中身なら、とうに暗記している。しかし、この場合本の中身や、役に 立つのかどうかは全く以って問題ではない。  水原にとっての、地獄への片道切符であるという事が問題なのだ。  受け取ってしまえば、地獄への道連れが確定してしまう。しかし、自分の手首を握る顔瀬の手を振り切る事も出来 ない。振りほどけば、それはそれで恐ろしい事が待っているという確信がある。  顔瀬の目を見た。亡者の目だった。  自分の苦境を横目で眺める他人への恨みや嫉み、或いは自分が楽になりたいという切実な願望から、近づいた者を 引きずり込む亡者の目。  それに捕まらない方法はただ二つ。全てを捨てて縋り付く亡者をも圧倒できる胆力を行使するか、さもなければと っとと逃げ出して最初から近づかないかだ。  事ここに至ってようやく、なぜこの教室に顔瀬以外の人間がいなかったのかという事に水原は思い至ったが、既に 後の祭りであった。