「バレンタインなんて興味ねえ」  そう言ったら。 「うんうん、そうだろうねえ、そうだろうともさ」  梅雨海ちゃんは「みんなそう言うんだよ」って目で、底意地の悪いニヤニヤ笑いを浮かべた。  でも、じゃああたしが義理チョコをあげよう、とは言わないんだよな、この女。まあこの人 はどう見ても貰う方つーか、自分で全部喰い尽すタイプか。 「顔瀬ぇ。そういう強がりは聞いてる方が哀しくなるからやめよーよぉ」 「うんうん、つーかウザいから黙っとけ?」  麻那木と銅月はもっとストレートだった。  つーか銅月ひでぇ。俺は別に良いけど、これが本気で凹んでる男子の強がりだったら追い討 ちだぞ、それ。 「貰えないならあげる方になってみたら? 最近逆チョコとか流行ってるらしいしー? あた しは顔瀬にはやっぱ水原先輩が良いと思うなー。実際よく話してるし、仲良いんしょ? その まんまでなんか捻りが無いとか言ってる子もいるけど、やっぱ変に奇を衒うより王道っしょ!  気だるげコンビの退廃的な青春! ムッハー!」  麻生は相変わらずオタクだった。 あー、こういうのは腐女子とか言うのであってオタクとは違うんだっけ? まあ良いや、俺か ら見たらどっちもオタクだオタク。  つーか、こいつの他にもいるのかよ。俺をホモにしたい奴ら。実害無い内はとやかく言う気 は無いけどさ……あー、疲れる。 「分かる! 分かるぞぉ同志よ! さあ共に世の「こんな数大した事ねーよ」とかスカしてた り「毎年毎年こんな沢山困っちゃうな」とか爽やかな笑みを浮かべてたり「え? お、俺に… …!?」とか甘酸っぱい青春劇場やってたりする勝ち組共に聖バレンタインの怨念を知らしめ、 格差社会の悲劇を是正しようではないか!」  古泉センセは何かよう分からん火のつき方をして、俺をテロの同志にしようとしてきた。  ウザいのでとりあえず吹っ飛ばしておいた。つーか、センセって親父キャラとか百合キャラ の芸風だったっけ?  この人、梅雨海ちゃんに似てる様で微妙に違うベクトルの暴走のしかたするから、いまいち 読みにくいんだよなあ。 「え、と、その、貰えない人はやっぱり辛いのかな、こういうイベントって。ごめんね、そこ まで考えられなくて。あたしで良ければ、あげても、その、良いよ? 助けになれれば、嬉し いし……」  九条の奴は相も変わらず、ズレた方向に気を遣う。  女子のこういう憐み義理の申し出ってのは、男子にとっては救われる奴もいればプライドを 砕かれる奴もいる諸刃の剣なんだろうな。  俺にとってはどっちでもないけど、取り敢えず丁重にお断りしておいた。  冗談じゃねえ。  なんか流れが俺が強要したみたいになってるし。そんなん受け取った日にゃ九条教信者の神 無月先輩に殺されるわ。しつこさには定評があるんだよ、あの虫女。  で。  足取り重く家路について、何の気なしに寮の入口の郵便受け覗いたら。  中に包装された小さな四角形と添えられたメッセージカードが入っていた。  うわあ。            ■ヤオヨロズSS■          顔瀬の鬱々したバレンタインデー  反射的に蓋を閉めてまずやったのは、周囲に自分以外誰もいない事の確認だった。  紀田の奴なんかに見つかったらと思うと、考えただけで身の毛がよだつ。誰かあの暴れブン 屋を取り締まる法律作れよ、マジで。  強張った形相で忙しなく周囲を見渡す俺はどう見ても挙動不審者で、もしも誰かいたなら間 違いなく余計な注目を集めただろうが、幸いにして周りには誰もいなかった。  次に、郵便受けの名前を確かめた。どうか間違えててくれと願ったが、ネームプレートを何 回見つめても書いてあるのは俺の変な名前だった。変な名前だけに同名の相手と間違えた線も 消える。  最後の頼みの綱は、名前じゃなく入れる郵便受けを間違えた可能性だった。俺の名前の付近 を見渡す。秋山はその見た目とちょいワルっぽい言動からかなりモテる。昼間も相当数のチョ コをもらっていたし、今もかなりの数が郵便受けの閉まりきらない蓋の隙間から見えている。 羽村なんかも人気あるし、八上に冗談混じりのチョコを贈る女子も多い。生徒会の八房も隠れ て想ってる女子は、ぽつぽついるらしい。  よし、あの辺と間違えたんだ、と現実逃避しても結局いつかは現実に向き合わんいかん訳で。  嫌々ながらメッセージカードを広げてみると、『顔瀬 良亮様へ』と俺の名前がデカデカと 書いてあった。  あと好きだとか何とか短文メッセージもあったけど、そっちはどうでも良い。  とにもかくにも人違いでも何でもなく、マジで俺宛てな事が確定し、大きなため息を吐いた。  ここで凹み続ける訳にもいかない。人が来たら迷惑になるし、何よりこんなもん誰にも見ら れたくない。  ので、とりあえず更に重くなった足を引きずって自室に戻る事にした。  はあ、面倒くせ。       ◆  俺は、バレンタインなんて興味ない。  それは心底の本音だ。  話題がそれ一色の中、沢山のチョコの山抱えてる勝ち組を眺めてるのもそら決して愉快じゃ ないが、じゃあモテたいのか、チョコ貰いたいのか、と言えば心底NOと言える。  だって、面倒くさいじゃん。  つーか、ぞっとするじゃん。  沢山のチョコを貰うって事は、普段から自分を注視している人間が沢山いるって事でもある。 チョコを寄越す女子はその内の一角で、そこに至らない女子、やっかみで眺める男子、面白が る野次馬……洒落にならねえ。  そんなの嫌だ。他人の勝手な期待と願望を注がれて、応えきれないと貶められる理不尽なん て誰が望むんだ。  常に見られてるとか、冗談じゃない。いざという時に助けては欲しいけど、それ以外では放 っといて欲しい。これ、俺の本音。流石にアレなのは解ってるから、実生活ではそれなりに付 き合い持ったり任務時には仲間の為に命張ってバランス取ろうとはしてますよ? それで良い じゃん。  俺、あんたが困ってたら助けるから、あんたも俺が困ってたら助けて。それ以外に俺に感想 を持たないで。褒められるのも見下されるのも嫌だ。どんなものだろうが、評価は怖い。 「不幸にならないなら、幸福は要らない」    それがこの俺、顔瀬良亮の座右の銘。後ろ向きとか言われそう。  でも、どっちみち巷で言う幸福を手に入れたら、それを失う事に怯え続けて心労だけを溜め 込むのが俺という人間なんだから、これは俺の持てる限りの幸せを追求しようという、自分の 人生に前向きな姿勢の現われだと自分では思う。  尤もこんなの、今までは只の負け犬の遠吠えだった。それで済まされてた。だって、望もう が望むまいが関係なく、俺の人生に大きな幸せなんてあるはずもなく、俺に好意を寄せる様な 阿呆なんて尚更いる訳なかったんだから。  それで済むはずだったのに。  憎々しげにちゃぶ台の上のラッピングを睨む。俺の怨念を受けても平気の平左って面でつん と澄ましてやがる。畜生。  誰だよ、俺にチョコとか寄越した奴。  これが野郎どもの悪戯だったなら救われるんだがなー、とも思うが、奴らがそういう事をし かけるなら普通手紙で呼び出すもんだから、それも期待できない。  愚痴ってもしかたない。現実は認めて、建設的な対処法を考えなくちゃいけない。さしあた っての目標は? どうしたら、この相手に円満に諦めてもらえるかだ。それも、他の奴に一切 知られずに。  そう思ってもう一度メッセージカードを見る。差出人の名前は、ない。  思わず、息を吐いた。今度は安堵のため息だ。  なんだ、思ったより簡単だった。このままこっちが何のリアクションもしなければ、それで 良いんじゃん。  誰だか分かんないのは本当だし、黙っとけば向こうも諦めて自然に消滅するだろ。どうせこ んなん麻疹と大差無いんだし、俺をその対象に選ぶことがアホくさいってのは普通の脳の持ち 主ならすぐ気付く。  ま、何か向こうから更なるアクションがあったらそん時はそん時でまた回避方法を考えよう。 つーか、今考えようにも考え様がない。  よし、決まった決まった。無視だ無視。  そう決めたところで、後やる事は一つだけ。  一応、これを食っとく事。  どんなチョコで味だったかは体験しとかないと、万が一後で送り主が名乗り出て聞いてきた ら困る。捨てたりしようもんなら、外道扱いで女子から総スカンじゃすまないしな。  適当に述べても良いけど、より確実にボロを出さない為には本当に食っとくのが一番だ。  とは思ったものの、どうにも手が動かない。ここまでだけで、どっと疲れた。  まあ良いや。すぐ腐るもんでもなし、明日食おうという事にして、とっとと寝る事にする。  あー、面倒くさ。  誰だよ、バレンタインとか言い出した奴。いや、それより好きとか嫌いとか言い出した奴が 問題か。 終わり