蒼崎 冥閃(あおざき めいせん) 学園高等部三年の数学を担当する教師。 リクルートスーツをぴっしり着込んだ容姿端麗、秀麗眉目な栗色シニヨンヘアーの美女だが 右目を青地の眼帯で隠していると言う一風変わった所がある。 寡黙な事で有名で授業中など最低限な事以外、滅多に口を開かず、 また、意識してか知らずか、常に威圧的な雰囲気を醸し出しており その為、生徒や同僚の教師達とも微妙な壁がある模様。 しかし本人は特に気にした様子も無く、スタンスを崩す事無く黙々と職務をこなしている。 実は彼女はここの卒業生で、生徒だった時は非常に明るく行動的で皆から好かれる 元気少女だったらしいが、学園生活でのある事件がきっかけで今の様な状態になったらしい。 芽月輪 累(めつきわ るい) 聖白百合女学園高等部一年。15歳。 元は黒いセミロングの髪を金に染めている。 典型的な不良で一匹狼を気取り、クラスメイトから怖がられている。 小さい頃から優秀な姉と比べられて育ったためひねくれてしまった。 そのため愛情に飢えていて母性的な人には弱い。 タバコ…ではなくシガレットチョコをいつも咥えている。 ■サウンド・オブ・サイレンス■  夜の白百合学園は、昼間のそれとは打って変わった静寂に包まれていた。  僅かな擦過音を立てて塀からひとつの影が降り立ったが、誰もそれに気づいたものはいない。  影は足音を立てないように忍び足で校舎へと近づいて行く。  街頭の光を僅かに反射してきらめく金髪はもともとは黒髪だった。  疎ましく思って染めたまがい物のそれが、夜の闇でも光を返すのは意外だ。  こんな事なら帽子でもかぶってくれば良かった。  忍び込んだ少女……芽月輪 累(めつきわ るい)はため息をついた。  着込んでいる革ジャンのおかげでそれほど寒くはないが、やはり耳元が冷えるし、  何より髪がひどく目立つような気がして落ち着かない。  夜の学校に忍び込むのは初めてだ。それが余計に累を神経質にしているのだろう。  自分が立てる足音さえもやけに大きく響く。  おっかなびっくり、振り返り振り返り、進んでいく。  いつもの尊大な態度を知るものからすると、それはどこか滑稽に見えるだろう。  けれども見つかるわけにはいかない。  懐中電灯の光が遠ざかってから塀を乗り越えたので、次の巡回まではまだ間があるはずだ。  なのに。 「そこで何をしているの?」  誰何の声に、累は飛び上がる。  おそるおそる振り返った先には いったいどこから現れたのか数学教師の蒼崎 冥閃(あおざき めいせん)がいた。  右目を眼帯で隠した隻眼の教師、というだけでも十分に威圧感があるが、  冥閃の場合はそこに鉄のような冷たい響きを持つ声音と態度が伴うので、  夜の闇から突然現れると本当に吃驚する。 「なんだ蒼崎か……びっくりさせるなよ」  それでも累にとっては唯一心を許せる人間だった。  屋上でのいざこざから打ち解けて以来、たびたび顔を合わせてやり取りすることがある。 「びっくりさせるなよ、じゃないでしょう。貴方こんな時間に何をしているの?」 「そういう蒼崎こそ何してるんだよ」 「仕事に決まってるでしょう」 「煙草吸うのが?」  いつものように隙無くスーツを着こなす冥閃には鈍く燃える煙草が咥えられている。 「職員室は禁煙だって言ったでしょう。……貴方という娘はまったく。  見つけたのが私だったからいいようなものの、守衛に見つかったらどう言い訳するつもりだったの?」 「見つからねえさ。さっき巡回してたのをやり過ごしたからな」 「相変わらず口の減らない娘ねえ。まあいいわ。とりあえず職員室に来なさい」 「説教かよ」 「当たり前でしょう。これが仕事なんだから」 「はいはい」  おざなりな返事をして累は冥閃の後をついて行った。  職員室には冥閃を除いて誰もいなかった。  暖房は控えめで、少し肌寒い。  ここに来るときはいつも説教だな、と累はぼんやり思った。  冥閃はコーヒーを入れたマグカップを二つ持って累の横に腰掛ける。 「はい。こんな寒い夜をうろついて体が冷えたでしょう」 「ありがと」  かじかんだ手にマグカップの熱さが心地よく、少し冷ましながら一口すする。  隣で冥閃もマグに口をつけた。 「それ、何だ?」  ふと、冥閃のカップに何か浮いているのを見て累は尋ねた。 「コーヒーにバター入れてるだけよ。そんなことよりなんで学校になんか忍び込んだの?」 「……家に帰りたくないからだよ」  冥閃の視線を避けて、累はつぶやくように答える。 「家出少女が寝床を求めて学校に来たって事? まあ呆れた。  学生寮に忍び込むならともかく、校舎に来ても寝る場所なんて無くてよ」 「保健室とかあるじゃんか。あとは礼拝堂の人にでも頼むとかさ」 「貴方に信仰心があるようには見えないわね」 「寝床を貸すぐらいの慈悲はあるんじゃねえの?」 「ずいぶん都合の良い神様だこと。  ―――いいこと、累。貴方は仮にも女の子なんだから夜一人で出歩くような真似をするのはよしなさい。  近頃は何かと物騒だし、万一事件にでも巻き込まれたら大変よ」 「心配してくれるんだ」 「あのね……私は教師なの。それに生徒が事件にでも巻き込まれてごらんなさい。  会議は増える、見回りも増える、生徒指導やら聞き込みやら広報やら  面倒ごとが増えるだけで給料には反映されないし、いいことなんて何もないわ。  ただでさえ忙しいって言うのに」 「あたしはどうでもいいってか」 「そんな事は言ってないでしょう。極端ねえ」 「まあいいさ。どうせあたしなんかが居なくなっても誰も困りゃしないんだからな」 「どうせって言うのは良くない癖ね。それを口にしてばかりいると本当につまらない人間になるわよ」 「余計なお世話だよ」 「自分で自分の可能性を放棄するっていうのは褒められた事じゃないわねえ。  学校って言うのはつまらない場所かもしれないけど、自分の可能性を見つける場所でもあるのよ?  無為に過ごすのは勿体ないわ。貴方にだって何かあるはずよ」 「だからあたしをかばったのか?」 「なんのこと?」 「聞いたよ。あたしが停学にされそうになったのを反対してくれたって」 「ああ、そんなこと。別に貴方を助けたわけではないわ。  私はね、権威とか大義名分を掲げて問題を無かったことにしようとするのが大嫌いなの。  問題児を放校処分して済まそうなんて魂胆が気に入らなかっただけよ」  事なかれ主義の明石谷教頭が怒髪天を衝く勢いで叫び、  冥閃が凜烈な言葉でそれをあしらうという心胆寒からしめる応酬は  教員の間ではちょっとした語り草になっていたが、生徒の多くはそのようなやり取りがあったことさえ知らない。 「あたしは問題児かよ」 「問題児ね」 「授業なんてつまらねーからフケてるだけだよ」 「同級生を殴ったでしょう。そういえば私も殴ろうとしたわね」  ぐっ、と累は言葉を詰まらせた。 「あれは……悪かったよ」 「理由はともかく暴力はだめよ」 「あいつらがつまらねえ事いうからだよ」 「それでカッとなって暴力ふるったら自分がつまらない人間だと証明しているようなものじゃないの」 「じゃあどうするんだよ。言われるままにしておけっていうのか」 「そうよ。いちいち反応していたら面倒だもの」  冥閃はさも当然というように答える。 「そんなんで我慢できるかよ」 「そのうち慣れるわ。陰口なんて安っぽい自尊心を満たすためだけに言ってるのだから」 「あたしは……あたしは蒼崎みたいにはなれねえよ」 「貴方は貴方にしかなれないものになればいいわ」 「蒼崎ってやっぱり優しいのな。なんでだ?」 「これが仕事だからよ」 「嘘だろ」 「本当よ」 「だって蒼崎、他の奴に優しくしているの見たことない」  これは本当のことだった。  普段見る冥閃はまるで氷で出来た彫像のように冷淡で愛想が無く、  同じ教員同士でさえまともに言葉を交わしているのを見たことがない。 「ああ、他の娘は優しくしなくても大丈夫だからよ」 「じゃあやっぱりあたしに優しいんじゃないか」 「特別扱いして欲しいの?うぬぼれやさん。貴方は心証悪いから十分特別よ」 「ちぇっ。褒めるとすぐそれだよ……まあ、蒼崎も最初の印象は悪かったけどな」 「他人に媚を売るのは私の生き方ではないわ」 「……やっぱり、あたしは蒼崎みたいになりたいよ」 「お勧めしないわ」  ふう、と冥閃はためいきをついた。 「人は誰にも成れないものよ」  冥閃は飲み終わったマグを机に置いた。  累のマグカップはとうに空になっている。  温度が低いような気がしていた室内も、いまではもうそれほど寒くは感じなかった。  ひょっとしたら冥閃が空調の温度を上げてくれたからかもしれない。  そういえば、来た時よりもごうごうと暖房のうなる音が大きくなっている気がする。  なんだかんだ言っても、冥閃は優しい。 「もう十分温まったでしょう? そろそろお家に帰りなさい」  時々顔を出す、こういう教師の顔がなければもっといいのだが  彼女自身がそういうように事実相手は教師で塁は生徒なのだから仕方がない。 「帰りたくなんかねえよ、あんな家」  こうやって駄々をこねてみたくなることもあるけれど。 「困った娘ね。教師としてはこのまま夜遊びを放置するわけにもいかないのだけど」 「じゃあ先生の家に泊めてくれよ」 「逮捕されたくないから遠慮させてもらうわ」 「なんで逮捕されるんだよ」 「未成年者略取」 「うちの親なんざ訴えねーよ」 「社会的に問題だわ。それにつまらないことで捕まったり職を追われたくないもの」 「あたしのことはつまらないことかよ」 「正しくは貴方の抱えている問題が、ね」  冥閃は足を組んで累に向き直る。 「貴方、逃げたいんでしょう? それなら私のところにきても解決にはならないわ」  ざくり、と言葉が刺さる。  彼女は本質を見誤らない。  それが数学教師という立場からなのか、彼女の持つ性質なのか。  冥閃の前では自分は矮小な子供だ。 「あたしは逃げてなんて」 「いないと言い切れる? 誰かを頼っても、それでは何も解決しないものよ」 「あたしに居場所なんてないって言いたいのかよ」 「今はね。こんなことを言うのも気が引けるのだけどね、  貴方は『不良』を演じることで「自分には価値がない」ということを肯定しているの。  不良を気取っていれば誰しも「どうしようもないやつだ」と思ってくれるから。  そしてどんどん袋小路に入ってる。  そんな事していると何時になっても抜けられないし、待っているのは悲惨な未来だけね」  そう言ってからわずかな間、冥閃は沈黙した。  どこか悲痛な表情で。  またあの顔だ、と累は思ったが、瞬きしている合間にそれはいつもの表情に戻っている。 「貴方が辛いのは、現状から逃げようとしているからか、逃げ方が足りないからよ。  選択肢は耐えて今あるものを覆すか、全てを捨ててやり直すかの二つだけ。  いまの貴方はどっちつかずの中途半端で、どちらの道も選びきれていない。  そんなに家が嫌なら、飛び出せばいいわ。  ただ、教師の立場としては、ちゃんと学校を卒業して、  自力で進学するなり手に職つけるなりして家を捨てることをお薦めするわね」  冥閃の言葉はいつも辛らつだ。  でも必ず最後に救いを残してくれる。  そういう人なのだ。彼女は。 「蒼崎って時々とんでもないこと言うよな。それ生徒に言っちゃ駄目だろう」 「綺麗事しか言わない教師よりマシでしょう。  賢く立ち回りなさい、累。嫌いな親なら、うまく利用してやるって考えても心は痛まないでしょ?  学校に行くお金だって、働いて支払うのは大変よ?  それを文句を言われながらも出してもらっているのだから、更正した振りをするくらい安いものじゃないの」 「……蒼崎があたしの親だったら良かったのに」 「さあ。私が立派な親になれるかどうかは疑問の余地があるわね」  そういって冥閃は肩をすくめた。 「なんかさ……さっきの信仰心の話じゃないけど、運命っつーか、そういう巡り合わせみたいなもんはあるな、と思うよ」 「たとえば?」 「蒼崎と会えたこととか」  顔を赤らめて言う累に冥閃は吹き出した。 「ぷふっ……あはははっ」 「な、なんだよっ。何がおかしいんだよ」 「いえね、暴力的な不良少女だって思われている貴方が、  こんな可愛いことを言えるのを皆が知ったらどう思うかなあ、と想像しちゃってね」 「どうせあたしは可愛くねーよ」 「ほらまた『どうせ』って言った。駄目よ」 「チッ。わかったよ」  やっぱり蒼崎の目線は教師なんだよなあ、とがっかりする反面、うれしくも思ったりする。  累にとって、唯一親身に向き合ってくれるのは彼女だけだから。  彼女は何でも知っている。  たぶん、累自身よりも累の事を。 「ねえ累。貴方が忍び込もうとしていたの、本当は保健室とか礼拝堂なんかじゃないでしょう?」  こんな風に図星を当てられることもそう珍しいことではなかったが、さすがに今回は驚かずにはいられない。 「なんでわかった」 「わざわざ職員室に近い方に回り込んでいたからよ」 「ちぇっ。蒼崎にはほんとかなわないよなあ……ほら」  累はポーチに隠していた本来の目的――バレンタインのチョコレート――を冥閃に差し出した。 「下駄箱に入れとこうと思ったんだけど本人に逢えたから」  そんなに高い物ではないが、ラップがきれいな物を選んできたつもり……だった。  こうして冥閃に渡す段階になると、なんだかもうちょっといい物を買ってくれば良かった、とも思ったが。  冥閃はそれを受け取ると感慨深げに言う。 「貴方ってこういうところが本当に可愛いわね」  今までそんな事を言われたことがなかっただけに、塁は驚き、赤面した。  冥閃の言葉は、いつも累を裸にしてしまうような、そんなこそばゆいところを付いてくる。  彼女の前だと、自分はただの小娘で、強がっていてもただの女に過ぎないことを思い知らされてしまう。 「やっやめろよな。どうしてそう恥ずかしいこと平気で言えるんだよ」 「大人だからよ」  さらりとそんな事を言う。 「手渡しより口移しが良かったけど」 「セクハラだぞ、蒼崎」 「要望だからいいのよ。やれとは言ってないわ」 「……やれっていうならやるけど」 「来年の楽しみにしておくわ」  そううそぶく冥閃の表情はどこか楽しそうでもある。 「来ると判っていたなら私もチョコレートの一つでも買っておいたんだけど。……そうね、代わりにこれあげる」  冥閃は指輪を外すと累に差し出した。  その行為に、累は目を丸くする。  左の薬指にはめた指輪の意味を、累でさえも知っていたからだ。 「いいのかよ……左手の薬指にしてるのって大事なもんだろ!?」  指輪は飾り気のない銀のシンプルな物だが、年月を経て滑らかになった鈍い輝きを有しており、  それが長きにわたって冥閃の指に収まっていたことを控えめに主張していた。 「お守り代わりよ。貴方がこれから先くじけないように、ね」  冥閃は累の手を取ると、その掌に指輪を握らせる。 「同じくらいの指の太さだから、中指にすればいいと思うわ」  累は指輪を受け取るとぎゅっと胸に押し抱いた。 「これ、薬指にするよ」  薬指にするということは、想い人がいるという意味だ。  冥閃は少し困ったような顔をする。 「それじゃお守りにならないわ」 「蒼崎が守ってくれるじゃないか」 「守るかどうかはこれからの素行次第ね。反抗的で暴力的な生徒は見放してしまうかもしれなくてよ」  でもそれは、裏を返せばいまはまだ見捨ててないということ。 「やっぱさあ……蒼崎ってすげえ優しいよな」 「さあどうかしら。この程度で優しいなんて言われると、ずいぶん安い物だと思うけれど」 「そんなことねえよ。あたしは蒼崎に感謝してるぜ。  あたし、蒼崎がいなけりゃ学校にさえ来てないと思うし  蒼崎が守ってくれたから停学にならずに済んだんだし……」  そこまで言ってから累はぎゅっと目をつぶる。  わずかな、間。  累はいつになく真剣な目で冥閃を見つめ。 「出来れば、その……あたしと……!」  意を決した言葉は指でそっと遮られる。 「それ以上は駄目よ」  そういって冥閃は微笑んだ。 「あと2年、待ってあげる。それでも気持ちが変わらなかったら、その続きを聞かせて」 「なんで……なんで2年後なんだよ」 「貴方が自分の足で歩けるようになるのに、それぐらいの時間は必要だからよ。  それにこそこそするのは性に合わないわ。自立してない娘も対象外。  気分だけでホイホイ付いて行くほど私は安くないわよ」  冥閃はどこか挑戦的な笑みを浮かべる。 「貴方が後2年まじめに頑張って、ちゃんと卒業できたら……  そのときはバージンロードでも何でも一緒に歩いてあげるわ」  それじゃ答えたようなものじゃないか、と累は思いつつ。  なんかうまいことはめられたような気もするのだった。      仕事が終わらない、といわれて累は結局学校を追い出され、一人で帰路につく。  その足取りは決して重くはない。  いつでも片思い。  毎日初恋。  冥閃とのやり取りはいつもそんな気分にさせられる。  彼女は累に幸せな気分を与えてくれるが、彼女自身はどうなのだろう。  時折見せるあの寂しげな表情を、どうにかできるほどの力がいまの累には無い。  2年経ったら返事する、という冥閃の言葉は、累のことを思えばこそだ。  彼女自身の望みではないに違いない。  わがままにあしらうように見えて、冥閃はいつも累を第一に考える。 「まじめに……かあ。やっぱ明日は一限から出て来いってことだよな……」  頭を掻きながら、ここしばらく早起きなんてものと無縁だったことを思い出す。  早速くじけそうになるが、約束は約束だ。  それに、冥閃が累の味方であるように、累もまた冥閃の味方でありたい。  あの鉄のような心の下にある、彼女の儚く脆い部分。  それを知り、理解してあげられるのは自分だけだから。 「やっぱ、あたしが幸せにするしかねーよなあ」  つぶやき、夜のネオンの下で累は大きく伸びをする。 「おーし。いっちょ頑張るかあ」  両手で頬を叩き、少女は家に向かって走り出す。  左手の指輪を輝かせて。 おしまい。