サイオニクスガーデン ドミニア・太一SS     - PSI'NT Valentine III - 中編         2月14日 15時17分 - 運動場 -   結局、昼間はドミナに会うことが出来なかった。   クラスメイトがいうには、俺達が出て行った後、幽鬼のような表情で歩いているのをみかけたとか...。  アリサとのやり取りを見ていたのかも知れない。何も疚しい事はない筈なのに、罪悪感があった。   屋上でのやり取りをみてたりして、変な誤解をしてなきゃいいんだけど。   それにしても不調だ。というか眠かった。昼間はドミナを探して校舎中歩き回り、  みつからないまま時間は過ぎて、昼休み終了間際になってから食堂に駆け込んできつねうどんを食べた。   パンがあれば良かったが売り切れで、さらには急いでうどんを掻き込んだせいで舌を火傷してしまった。   まったく、ツイてない。   ただツイてないだけならいいが、   さらに――追い討ちをかけるバカもいる。 「くそっ!!」   HRが終わった直後、俺は運動場を走り回っていた。   視線の先には俺の黒い普通の皮サイフが飛んでいる。 『アハハハハ』   少し遠くから、笑い声が聞こえる。高一の教室からだ。クラスメイトで、俺をいつもからかうやつ  の一人に、サイコキネシス操者のやつがいる。そいつの仕業だ。   家に帰る前に、バレンタインに何ももらえなかった腹いせをするつもりらしい。   俺だって誰からも貰ってないってのに。   しばらくの間追い掛け回させられ続けた後、 『うるせェっ!!』   怒号が鳴り響いて、サイフが目の前にぽとりと落ちた。   あの声は、緋野だろう。   助かった。   緋野も望・バシュタットからチョコを貰えてないらしく、どこかしらくさくさしていた。   そりゃそうだろう。バシュタットはいつでも寝てる。   こういっちゃなんだけど、準備してるようにも見えない。   まぁ、それでいらついてた所、腹いせに鬱陶しいあいつらを殴り飛ばしたってとこか。   なんていうか、自業自得だ。実際鬱陶しいし。 「OH!? キミキミ、一年のタイチくんだよね!」   腰を屈めてサイフを拾い上げた時、背中から声をかけられた。   派手で底抜けに明るい、女子の声だ。   振り返ると、そこにはブルマ、そして乳。 「はぁっ!?」   顔をあげると、金髪のポニーテールにに碧眼、欧米人特有の大人びていながらも愛嬌のある  顔立ちの女子生徒が立っていた。なによりその豊満な乳。  体操服の上着が悲鳴をあげてそうなくらいにピチっと張っている。   その女子生徒は高等部二年…つまり、先輩のアリス=フェルディナンだった。 「は、はぃ、私が、いかにも、たいちですがぁ?」   唐突すぎる乳事,,,じゃなくて珍事に、思わず声が上ずる。   とりあえず乳をみてはならないとサイフを拾い上げてポケットにしまいこむと視線を他所に向けた。 「今ネー、測定器壊れてるし、白線消えちゃってるし、距離がゼンッゼンわかんないンだヨー。  キミの力を借りたいんだけどいいカナー? ネッ、いいでショ?」   アリス先輩はお茶目にウインクしちゃったりなんかして、俺に何かを頼んでいる。  物凄くドキテカーっていうか、ドギマギする展開ではあるが、俺に何をしろというのですか。 「え、ええと...俺、何すれば...?」   アリス先輩は女子にしては身長が高いせいもあって、気を赦すと胸に視線がどうしても動く。  俺は必死に視線をアリス先輩の外周をなぞるように動かしながら、しどろもどろに答える。   もう、これはどうみても挙動不審だ。 「ダーカーラー、キミの能力を貸してほしいノ! 物質をきっかり5m飛ばすサイコキネシス…でしょッ?  その力で5mを測ってから、あとはロープで倍々にして線を引いていくんだヨ。  そうしたら、10m、15m...ってひけるカラネ」 「ああ! そういえば槍投げ選手でしたっけ...っとと」   俺は言われて気がつき、アリス先輩を見て手を打った。   次の瞬間、乳に視線を奪われてまた明後日の方をみる。   畜生、喋りづらい!   この乳は、魔性だ。神様俺の視力を今だけでも奪ってくれ。 「確かキミは力の代償...PC(PSI・cost―能力を使用する際の代償)は  一日に使える回数が限られてるってだけなンだよネ?  今日、作戦に参加する予定がないナラ、お願い! ネ?」   アリス先輩が胸の前で手を組んで、おねだりポーズを取って可愛くウィンクする。   そうすると、胸が腕にはさまれて"だっちゅーの"に近いポーズになる。   押し出された巨乳はあらん限りの主張をして俺を誘惑する。   い、いかんいかん! 己に打ち勝て太一!   俺は自分の拳をアゴに打ち込んで煩悩を殴り飛ばした。 「タイチー!? どうしたノ? ダメかナ?」 「い、いいえいいえ! 大丈夫ですよ。  どこでやればいいですか?」 「あスこのー、トコから、いつも投げてるノネ。だからアソコからオネガイ!  サンキュー、タイチ!」   俺は校庭の隅まで行くと、手ごろな大きさの石を選び、指定された位置に立つ。  石を上に放り投げた後、手に力を集中させ、顔の高さまで落下してきた辺りで拳を突き出し、  力を放った。   石は見事にまっすぐ飛び、ある程度進んだところで、ぴたりと停止して落下した。   突然やる気をなくした様で、これをやるときは、自分の能力ながらに奇妙に思う。 「サンクスー、タイチ!! 後は私達でやるヨー」   駆け寄ってきたアリス先輩がぺしっとオレの肩を叩いた。 「いやいや、線引くのも手伝いますよ。せっかくですし」   何が折角なのかはよくわからないけども、ここは手伝っておくべきだろう。   後輩としても男としても。 「オー、タイチ! アナタはヨイ男ね! じゃあお願いしちゃおッカナ!」   と、いう事で俺は手伝う事になった。とは言っても、俺はどちらかというと  足手まといで、アリス先輩や他の部員の槍投げ選手らがロープを使って距離を測り、  倍、倍にして白線を引いてゆくのを見ているだけに近かった。   けど、引いているのを見て思う。   結局メジャーなりがないと距離を計測できないんじゃないのだろうか。   気になった俺は疑問をそのままアリス先輩にぶつける。 「こんなんで、距離の記録とか取れるんですか?」 「正確にはとれないネー。光波測定器を今修理に出しちゃってるカラ...。  デモ、全くワカンナイより大分ましカナ?  これで大体の距離はわかるシ、ほんとタスカッタヨ!  何かオレイ...ア、今日はバレーンタインね、チョットマッテテ!」   アリス先輩は他の女子部員を集めると、何かを話し、部室棟へと引き連れていった。   ああ、これはアレでしょうか。もしかすると物凄い事になるんじゃないんでしょうか!?   俺は高鳴る鼓動を抑えつつ、彼女らが戻るのを待った!   数分するとぞろぞろと女子部員達がこちらへと歩いてくる。 「ありがとネ、タイチ! バレンタインチョコだヨー!」   アリス先輩のチョコを口火に、他の女子部員が代わる代わる、礼と共に俺へとチョコを渡していく。   この群集は俺にチョコを渡す為に今存在するのだ。そんな事は全くないが、  まるでアイドルにでもなったかのような気分だった。   数分後には、チョコの入った箱だけでなく、半透明の袋に入ったクッキーと思われる物や中身が  さっぱり想像もつかないものまで、十数に及ぶバレンタイン・サプライズが俺の腕の中を満たしていた。   これは間違いなく、浮島太一史上最大数の獲得数であり、これからもこの数が更新される事はないだろう。   とは言え全て義理用に用意された物の余りなのだが、この際は善しとする。 「は、はははは...なんか、大した事もしてないのにこんなにお礼してもらっちゃって。  逆に恐縮ですよ」 「ンーン! そんなコトナイヨ! 部費とかの都合もアッテ、来月まで測定器ナオンナイシ、  とってーも困ってタノ。引いた線も消えちゃってタカラ。  ホーントッ、サンクュッ☆」 「ほァ!?」      次の瞬間俺は素っ頓狂な声を上げていた!   明らかに異常な声だが、男の反応としては全くもって正常だと言えるだろう!   何故なら、アリス先輩は「サンクュッ(はぁと)」の直後に、あろうことか、  おれの頬に口付けをしたのだ!   まだ寒さの残る銀色の日差しを照り返す金色のポニイテエル眼前を横切り、  恐らく昨晩使用されたのであろうシャンプーの香りと、少し鼻につく独特のバターのようなツンとした  香りが交じり合いながら化学反応を起こし、鼻腔から脳へと到達して爆発した。   もし唇にされていたのなら失神していただろう。 「ひ、ひぇあ、す、すみません!」   俺は赤面して硬直した。なんとか生きている。   何に対してだかわからないがとりあえず謝った。 「太一ッタラー! 身体はオッキーのに、そんなのでテレちゃって! カーワイーのダカラ!」 「んぶぅっ!?」   アリス先輩は俺にとどめを刺しにかかった。   彼女は俺の顔を両手で包み込むと、その豊満な胸の谷間に押し付けて頭をわしわしと  なでまわした。   そうされるたびに、俺の顔はずぶずぶと乳の海に沈みこみ、その海面はましまろのような  やわらかさを以って押し返す!   俺は完全にどざえもん状態だった。   しかし、ここから抜け出す術を一体、誰が持つのだろうか。もしあったとして、一体誰が、  天国の内にいてそこから逃れようとするだろうか!   そんな男、この世にいるものか!    「ちょっとアリス! あんた日本生まれの日本育ちの癖に、ムダにスキンシップが欧米式なのよ!  日本人男子にはそれ刺激きつすぎだってば!」   先輩の同級生と思われる部員が言う。    「ング...」   昂揚感とはよそに、乳圧による息苦しさと血圧の急上昇により意識を失った。 02/14 15:16 - 高等部二年教室   ふと気がつくと授業も終わりHRに入っていた。担任の妙見明日観が何時もどおりの  注意事項について話していた。   まだ初春だというのに、私は全身ぐっしょりと汗をかいていた。制服と肌着が、  皮膚にぴたりと張り付いている。気色が悪かった。   見ると、私の周辺自体が湿気が多く、机や前席の椅子に至るまで、水滴が身を寄せ合うようにして  びっしりと付着していた。   しかし体温は相変わらず低い。冷水を浴びたように体が冷えていた。   暖房が何時の間にかついていたらしく、時折、温風が身体を煽る。   そうか。   私の力の暴走が室内の気温を下げていて、その対処として、誰かが暖房をつけたに違いなかった。   故意ではないにせよ、クラスメイトに迷惑をかけた事がもうしわけなかった。 「...今日のHRは終わりだ。それじゃあ、また明日な」        HRが終わり、教室内がざわめき始める。   皆、帰宅の準備を始めていた。既に終えている者もいて、既に席を立っている。   だのにまだ、私の机の上には、まだ六限目の授業の教科書とノートが開かれており、筆記用具も  出したままだった。   頭が乏としている。体温の低下によって心拍数が低下している為だと思われた。   普段は生活に支障のない程度であるものの、今の状態は十分影響が出ている。   酷く手際が悪い。筆記用具を仕舞おうとして落とす。   ノートを仕舞うつもりが、閉じるだけ閉じて表紙をじつと見つめている。   なんとか全て仕舞い終え、身支度を終えた時、教室に残っているクラスメイトは半数にも満たなかった。    「むお? たいちんだ?」   希の声が耳に入った。   それを聞いてから少しの間もぼうっとしていた。『たいちん』が太一の事を指していると気づくのに  時間がかかった。   しかしそれを認識してからは行動が早かった。希は窓際から校庭を眺めていた。隣に美砂も立っている。   私はその後ろに立って彼女らと同じように校庭を見下ろした。   校庭に立つ太一はクラスメイトのアリスを筆頭に恐らく陸上部員であろう女子群に囲まれ、  代わる代わるに何かを渡されていた。遠くてはっきりとは見えないが、今日がバレンタインだという  事から推測するにチョコを貰っているのだろう。   私は驚いた。   確かに太一は優しいが、あれだけの女子生徒から好意を寄せられていたとは。   しかしそれは、次に起こる出来事に比べると、驚くに足りなかった。 『あ...』   希、美砂、私の声が重なった。   二人は私の存在に気づいていなかったらしく、驚いて振り返った。   そして、気まずそうに、視線だけを交互に動かし、私と校庭を往復させた。   私達が声を上げてしまったのは、校庭で想像だにしなかった出来事が起きたからだ。   アリスが、太一に口付けをしたのだ。私は眩暈がして、傍にあった机に手をついた。 「あ、あのねドミニアさん...?」   何故か美砂が取り繕い始める。   だがそれに対応する間もなく、私は半ば打ち崩れるようにして教室から出た。   太一がアリスの胸に抱かれて戯れている所を、見ていられなかった。   慰めの言葉など、聞きたくもなかった。 02/14 16:21 - 校舎三階廊下   私は気が付けば普段とは違う行動をとっていた。   普段ならば高一の教室に太一を迎えにいってから、図書室かトレーニング室に向かう。   そのどれもせず、ただ校舎内を忍ぶように歩いていた。太一に会いたくなかったからだ。   顔を会わせたら、またみっともない事を言ってしまいそうだった。自分を哀れむのは苦痛だ。   かといってどこにも行く当てがない。寮の自室に戻る事も考えたが、それはそれで、  一人陰鬱な気持ちになりそうだった。   というのは建前で、心の何処かで、太一が見つけてくれるのを望んでいたのかもしれない。   ...そんな都合のいい話はないが。私は彼を避けてあえていなさそうな場所を歩いているのだから。   ふと見上げると、家庭科室の前を通りかかっていた。   扉が開いて、女子生徒が数人出てきた。その最後尾に、見知った顔があった。 「ありがと、花子!」「ほんと、助かりました三食先輩!」「ありがとうございました...」   その、最後尾のぽっちゃりした体型の女子生徒...クラスメイトの三食花子に、  皆一様に振り返って、礼を述べていく。   花子は顔の前で手を振った。 「いいの、いいの。そんな事より、必ずや彼のハートをゲットしてくるのよ!  大丈夫、私の考えた最高のチョコのレシピに加えて...何より、皆のハートっていう最高の調味料が  加わったそのチョコなら、絶対間違いないんだから! それじゃあ、いってらっしゃい! 健闘を祈るわ!」 『はい!』   花子に送り出され、女子生徒たちは方々に散っていった。私の横を通り過ぎようとした生徒が、  「寒い」と大げさに漏らした。   何気なしに立ち止まって視線を向けていた私に気づき、花子はこちらを見る。 「あら、ドミニア。どうしたの...って寒っ!」 「偶然ここを通りかかろうとした際に、あなたを見かけるに至ったので、立ち止まっていました」 「ん...? あんた、また冷気散らして...わかるわ。私は恋愛のプロフェッショナルだもの。  彼氏の事で何かあったんでしょう? そうそう、あなたチョコは渡したの?」   彼女の鋭い指摘に、私は驚いて息を呑んだ。だが頷く事はせずに首を振った。 「...いいえ...その」   私が言いよどむと、花子は近づいてきて、肩を掴んだ。 「渡してないのね。だめじゃない! ロシアではどうだったのか知らないけどね、  日本じゃバレンタインは勝負時よ。まぁ、あんたの彼氏――一年の太一くんだっけ?  彼はチョコがないって怒ったりするタイプじゃないとは思うけども、やっぱり渡さなきゃだめよ。  バレンタインのこんな時間にこんなとこふらついてるって事は、もしかして準備を忘れてて、  気まずくて会えないの? 難儀な子ねぇ。まぁ、とりあえず話は中に入ってから聞くわ。いらっしゃい」 「その、花子...」   私の微力な抵抗を他所に、花子は強引に私を家庭科室の中に連れ込んだ。   部屋の中は甘い香りが漂っていた。どうやらチョコレートを作っていたらしい。その材料や調理器具が  机の上に並んでいた。   花子は私を椅子に座らせると己も隣の席に座り、私と向かい合う格好をとった。 「で、どうしたのよ?」   自分で想像を並べ立てておいて、どうしたもないと思ったが、話さずには動けない雰囲気だった。   彼女は恋愛のプロフェッショナルだと言う。話を聞いてもらって損もないだろうとも思った。 「実は...」   ぼつぼつと、今日あった出来事、そして私が思ったことを述べた。   花子はうんうんと頷いて聞いていた。その表情が真剣で、合間にいれる相槌が  私の言葉をどんどん引き出していく。   心から言葉を手繰り寄せると、寒さの震えと相俟って涙と嗚咽が出た。   太一がいれば、震えは止まるのに。太一と会う事ができれば、涙は止まるのに。 「...太一は、私には釣り合わないのではないでしょうか。もっとふさわしい相手がいるのではないでしょうか。  私は外国人という事と出生、この体質もあって人目を引きますし、奇異な存在として扱われている様です。  彼はその私と共にいる事からよくクラスメイトに揶揄されているようです。  太一はとても優しいです。だから私と共にいてくれていますが、本当はきっと...」 「その先を言うのは、太一くんに失礼よ。あなた、彼と何も話をしないで自分で決め込んじゃってるじゃないの。  自惚れないで。他人を知る事はそんなに簡単じゃないわ。  私も女、あなたの気持ちはよーくわかる。相手に不快な思いをさせたくないし、出来るだけ言及しないように  鬱陶しがられないように、って自分を抑え込んじゃう。  だめよ。  思い切りぶつかりなさい。彼を失いたくない、それはわかるわ。でも溜め込んでても、わかりあえないのよ。  それに、溜め込んで抑えこみ続ける事だってできない。  今までにも爆発した事くらいあるんじゃない?」   花子に言われて気が付く。プリントクラブを撮った日はそれにあたるかもしれない。   言われている事が大よそ当たっているので、私は頷くことしか出来なかった。 「...予想通りね。相手は余計にうろたえるわよ。  カップルによってはそれが原因で別れちゃうわ。  よくテレビとかで芸能人同士で結婚して、その数ヶ月後すぐに離婚って報道をよく見るわ。  理由は互いの価値観が合わないだの、性格の不一致だの。  当たり前よ。他人同士なんだもの。そう簡単に一致するなら離婚だなんて単語そのものがないわよ。  私は、男と女についてこう思ってるわ。  "凸"と"凹"だって。ムジュンした話に聞こえるかもね、それだけを聞くと。  でもね、このふたつは形がイビツなの。そう簡単には"□"なんかにはならない。  いいえ、完全に"□"になる事はないわ。最初は凸は凹に入ることすらできない。  ぶつかりあって、ぶつかりあって角が削れて、ようやく納まる。  これが結婚とか付き合ってるって状態ね。  でも、ぴったりとは入らないわ。どこかぐらついてて気を抜くと抜けちゃう。  凸が凹に納まらない事や、気を抜いて抜けちゃう事を"合わない"だなんて理由づけて逃げる事は  愚かよ。当たり前の事なんだから」   まるで授業を受けているような気分になっていた。   私は一言一句聞き漏らさぬように、集中して耳を傾けていた。 「はい」 「ぶつかりあう、って事はつまり互いを知る事。知る事によって理解し、受け入れ、形状を変えていけるの。  相手の形を想像で作りあげちゃだめ。想像で変化させた形は、空洞を生むだけよ。  しっかり見なさい。聞きなさい。  そうしたら、あなた達はきっと立派な"□"でいられるわ。  私は太一くんと話したことがないし、どんな子かははっきりとはわからない。  でも、身体はおっきくて目つきもきついけど、凄く穏やかな目をしてる。あなたが言うとおり  優しい子なんでしょう? そうなのだとしたら、イビツなカタチをしたあなたを受け入れる心を  持っているわ。ちょっとやそっと何か言われたところで「別れよう」だなんて言ってこない。  遠慮せずにぶつかってあげなさい。でないと、むしろ失礼よ。  そして何より勿体無い。  彼のよさを活かしてあげないと。宝の持ち腐れ。  あなたがちゃんと磨いてあげないと彼の財宝はホコリをかぶった、ただのがらくた同然になるわよ?」   私が今まで擬似恋愛をしていたのかもしれない。自分で作り上げた"太一像"を相手に恋愛の真似事を  行っていただけなのだ。   太一を失いたくない。それに囚われ、彼の意中に居続けるために自分を偽り、本当の彼から遠ざかっていた。   最初はただ、彼の暖かさが心地よく、熱に浮かれていた。   でも次第にそれが一人遊びだと気づき心がまた凍え始めたのだ。   恋愛とは二人でするもの。相手を受け入れあう事。自分を隠していてはいけない。   遠慮してはいけない。優しい彼は遠慮してしまうだろうから。   花子に感謝していた。少し、前向きになれそうな気がした。   私は花子の言葉に返事をせずに頷いた。   まだ心は寒くて、口を開くと消極的な言葉がぶりかえしてくるような気がしたからだ。 「...まぁ、今言ったのは恋愛の形の一つでしかないけれどね。  高慢傲慢俺様が好きって子もいるしね。そういう男相手だと、ひたすら煽てなきゃいけないし。  まぁ、恋愛も十人十色。私が今話した事を少しだけ頭のどこかにおいておいて、自分流を探すといいわ。  はい、じゃあ泣き止んで。そしたら、チョコ、作りましょうか」 「今から...ですか?」 「当然でしょ! まだ間に合うわ。こんな時間からだし、そんなに凝った事教えられないけど」 「私は、料理作法に不精通であると断言します。例え容易な事であっても、私には難解な行為だと  考えます」 「はいはい。最初は誰でもそう。そういって何もやらなければ一生そのままよ。  それとも何、あなた結婚とか考えてないの? 料理は女が作るものなんて言わないけど、  出来ないのも恥よ。今から作れるようになっていきましょう。  それじゃあ始めるわよ」   彼女の希とはまた違ったマイペースさに、引き込まれていた。拒否する事はできなさそうだった。   それに、確かに料理を教われるならば良い機会なのかもしれない、と思った。   太一に料理を食べさせてあげたい。そんな感情がわいた。 「チョコを湯煎して溶かして、型に流して形を整えてチップとかでデコレーションして冷やす。  簡単でしょ? まぁ、味は元のチョコそのまんまだけど、とりあえず手作りには間違いないわ。  来年はコロリッホロリッなレシピを教えてあげるから、とりあえず今日のところはそれで行きましょう」 「...はい。よろしくお願いします」   私は教授を受ける者として教師である花子に頭を下げた。 「ベースは何チョコを使う? それなりに種類持ってきたけど。どれも美味しいわ。  味見したりして好きなのを選びなさい」 「はい」   私は机の上に並べられたチョコレートを見渡し、一つのチョコレートに目をつけた...というより、  一番目立っていたので、嫌でも目に付いた。   他のチョコレートを尻目に、一直線にそれへと向かう。 「ホワイトチョコね。もしかしたらと思って持ってきたけど、結局誰も使わなかったのよね。  まぁ、バレンタインはブラックチョコで、ホワイトデーはホワイトチョコってイメージがあるから...  普通は送らないわ。でも、いいかもね」   ロシアの雪景色を思わせるチョコレートだった。   手にとってそれを食べてみると、やや甘さがきつかったが、確かに美味しかった。 「はい、私はこれを選択します」 「いいわ。それじゃあチョコを切って…」 ―――十数分後 「ひぃぃさむいぃぃ! あ、あなた...温度さげるのやめなさいよ!  湯煎しても全然溶けて来ないじゃないの!!」   ナイフは巧く扱えるというのに、包丁は巧く扱えず、切ったつもりが砕け散ったチョコが四散した。   それを回収している最中、唐突に消極的になるスイッチが入って、体温が低下し始めた。   私には、太一の妻になる事など叶わない。料理もできないのだから。   スイッチが一度入ってしまうとその思考から脱する事ができなくなった。   それを切欠に他の事を芋づる式に思い出していく。とめどなく溢れるネガティブが私を圧迫した。   太一の事だけでなく、花子にも申し訳が立たなかった。 「ハァ...あんたのその病は、とりあえず今は誰にも...いえ、太一君にしか治せないでしょうよ。  代わりに作ってあげたい所だけど、それは私の主義に反するし。他人が作ったものを渡すのなら、  買って来るのと大差ないから。  でも手ぶらで帰すってのもね...」   私を取り巻く冷気の所為で鍋に入ったお湯は沸騰せず、チョコレートは解け切らなかった。   既に湯煎を諦めてコンロの火を切っていた。中途半端に解けたチョコレートは、私がかき混ぜるのに  使っていたスプーンに引き寄せられるようにして、柱を伸ばした状態で固まっていた。 「申し訳...ありません、花子」 「いいわよ。そんな事より、次はどうするかを前向きに検討しましょ。  うじうじしてたって何も変わらないわ。ほらしゃんとして!」   花子はそう言って、私の背中を叩いた。反射的に背筋が伸びる。 「何もしないで思い悩むのは止しなさい。あなたはまだ、何も壁にぶつかっちゃないんだから。  自分の限界を超えた物にぶち当たって、初めて悩んでいいのよ。今日はともかく、普段はここまで  温度さげてないでしょ。  ...うーん...このつらら状のチョコ、考えようによっちゃアリかもだわ...。  ドミニア、さぁ湯煎にかけたチョコを取り出して」 「ですが、花子。これは解けておらずんば...」 「なによ、ずんばって。古文? どうせ今は溶かせないんだし、とりあえず取り出して。  私は恋愛のプロフェッショナル。男の攻め方については超一流よ。黙っていう事を聞きなさいな!」   私は言われて湯煎かけるのに使用したホワイトチョコレートの入った小さな鍋を取り、  底をタオルでふき、机の上に置いた。するとスプーンを宙に浮かせていたつららは半ばでぽきりと折れて  しまった。   まだ折れていないつららの余りを折ろうと包丁を当てる。 「ちょっと待った!」 「はい」 「それは、そのままでいいのよ」 「どうしてですか? 酷く歪な形容をしているように思えます。このような物を...」 「いいのよ。料理は芸術と同じ。表現、そして主張よ。食べてもらう人に対してのね。  あなたがチョコレートに手を加えたこの部分、一見はただ不恰好なだけ。  でもね、これが今の貴方の感情を表してる。意図的でなくともね。  これを見て、太一くんがどうあなたの気持ちを受け取るか。  この形の奥に、あなたの涙を見るのか、ただ奇妙な形だと見るか...試してみなさい」 「...わかりました」   私は指図されるとおりに、小鍋からチョコを包丁でえぐりとると形を整えて、  できるだけ丁寧にラッピングした。これにも酷く苦労をした。   花子は混乱する私に呆れる事もなく、根気よく教えてくれた。   私は、今の今までそれほど言葉を交わしたこともなかった、花子に好意を抱いている  (もちろん、友人としての)事に気がついた。   太一とだけの世界を築いていたのでは、駄目だ。   もし事前に彼女と親しかったならば、バレンタインについて予め知り、  チョコレートを作る準備もできただろうし、悩みを相談する事もできたのだ。   そうすれば、太一に迷惑をかけずにすんだ事も沢山あっただろう。    「よし、これでまぁ...なんとか。ほら、俯かない。これはこれで、来年楽しみじゃないの!  成長っぷりを見せてやんのよ。あぁ、それより前に普通に料理も覚えていきましょ。  あんた部活やってないでしょう。作戦の方に熱心だし、トレーニングとかしてるんでしょうけど、  その何分の一でもいいから、お料理に時間をつぎ込みなさい。結婚してからじゃ遅いわよ。  想像してみなさい、仕事で疲れて帰ってきた旦那がよ、げんなりして晩御飯をついばむ様を。  そんなんじゃあ性格が一致してようが不一致だろうが離婚されても仕方ないわよ。  男は何よりも料理で虜にしておくものなのよ。他は飽きられても料理はレシピが星の数ほどあるんだから。  毎週水曜日、放課後、お料理部やってるからいらっしゃいな。  じゃあ、ちょーっと不本意な部分もあるけどね、まぁ、胸を張って渡してらっしゃい」 「...はい...」 「.........。どうしたの?」   勇気を出して、言わなければならない。この機会を逃すと、もう言う事ができないかもしれなかった。 「花子」 「なーに?」 「私と、あなたは、友達になれますか?」 「ぷっは! あーんた、何言いだすかと思えば! 一体どうしたのよ?」 「私は本気です」 「...そうねぇ、前のあんたはよくわかんなかったし、近寄りづらかったけど。  最近は見ててわかりやすいし、かわいくなったわ。  まぁ、それはおいておいて」 「はい」 「もう、友達でしょ?」 「...はい」   私は、嬉しかった。 「じゃあ、いってらっしゃい」 「...はい!」   私は、校舎内を走り回り、太一を探した。この歪なチョコレートを届ける為に。   私の思いを伝える為に。   でも、結局、私は太一に出会うことが出来なかった。   太一はもう、私の前から去ってしまったのかもしれない。   夕日が暮れるのを見てそんな気がした。  それはただ、私が再び陰鬱な気分になっていたからというだけでなく、  切ない歌声がどこからか聞こえたからだ。 ――ああ、この声が聞こえたのなら ――ああ、あなたは答えてくれるはずよ ――ええ、わかるわ。あなたはもう耳を塞いで ――そう、そうね。この声、擦れた声が聞こえる筈もない ――あなたの中に 私は、もう いない。 ――残念ね、パイはもう砕けた後よ (真山たま - 砕けたパイでお祝い - より)      声は耳から腹の底までどしりと響いた。   私は何時の間にか寮室に戻り、膝を寒さに震え、抱えてがたがたと震えていた。   手にはしっかりと、いびつなチョコレートをしっかりと握って。   ただ、渡さずにいる事もできず、数時間後、男子寮に無断で入り、聞いていた太一の部屋の前に  それを置いて、私はまた部屋に戻った。部屋に戻ってから、寮内が暗闇だった事を思い出し、  消灯の時間が過ぎていた事に気がついた。 2月14日 16時23分 - 保健室 -   目覚めたときは保健室だった。   壁から今自分が眠っている布団、カーテンに至るまで真っ白な空間である。   そして何より清潔感漂う少し薬品的な匂いが鼻につく。   物凄くいい夢を見ていた気がする。その至福感を思い出そうとしていると、 「さっさと消えろ」   突然、俺は言い渡された。 「は、はい?」   当然わけもわからない俺は、その冷ややかな声の聞こえたカーテンの向こうへ聞き返した。   次の瞬間、じゃっ、と音を立てて勢いよくカーテンが開き、   乳が...ではなく、その清楚な白衣の上からでも隠すに隠しきれないやたらとナイスバディーな  身体に、金髪をアップで止めた保険医、西東圭子先生が姿を現した。やたらと不機嫌そうな顔で。 「今時、乳に挟まれたごときで鼻血を拭いて倒れるゴリラがおるのか。そこだよキミィ。  いいや、可愛い子なら許可しよう。盛大にカモーンだ。  ええ、しかしながら、ゴリラが倒れてかついでこられたとなっちゃあ  こちとら迷惑千万極まりないじゃあないかね。さっさと失せ給え。ベッドが汚れる。  神聖なる保健室が糞便臭くてカナワンようになるではないか。ここは少年少女の為に用意された  無菌室だというのに。  鼻から鮮血を噴出したゴリラが搬送されてくるまではな。  キミのようなパッキンゴリラボーイはメリケン王国の動物園にでも行くべきだ。さぁ、go to zoo」   よくわからないがやたら疎まれている。そういえば西東先生はごつい男子を矢鱈と嫌うと聞く。   まぁ、俺はごつい部類に入るし邪険にされても仕方ないか。いや、仕方なくはないんだけど。 「は、はい。今すぐでていきますんで」   俺は布団を除けるとそそくさと保健室から逃げ出した。   これ以上、あの冷徹な眼光に睨みつけられながら蔑まれ続けてはかなわない。   あと数分長居していたらケツを蹴飛ばされていただろう。間違いなく。   保健室を出ると、俺は教室に戻った。鞄は置きっぱだし、ドミナを待たせてる。   ...さすがに待たせすぎて、待ってないかもしれない。   と、考えていたら、実際にドミナはどこにもいなかった。   先に図書室なりトレーニング室なりに行ってしまったのだろうか?    もしそうなら、誰かに言伝をしているかもしれない。   ...かと思ったがHRも終了して当番が掃除を終えた後まで教室に残っている生徒は少ない。   何故か残って談義している女子達がいたので、少し遠めから声をかけた。   自意識過剰だが、今日は女難の相が出てるに違いなかったからだ。 「あのさ、ドミナ...高二のドミニア先輩、こなかった?」 「あー、浮島くん。きてないよ」 「そ、そおか。さんくす」   談義の邪魔をして疎ましがられても叶わないので、鞄を手に取るとすぐに教室を出た。   ここの所、当然のように毎日一緒にいるから、いざいないとなると、どこにいるのかさっぱりだった。   とりあえず、いつものコースならトレーニングルームで近接戦闘の訓練、  それを終えた後に図書室で授業の予習、復習をする。後者については、俺は寝ている場合が多いが。   その両方の部屋を見て回るが、ドミナの影は見当たらなかった。   一体どこへ行っているんだろう。善く一緒に居るのに、いないと無性に不安になってくる。   とはいえ、ドミナが放課後いない事自体は珍しくはない。   成績優秀な彼女は任務を任されることもしょっちゅうだ。   それでも、その時はちゃんと俺にそれを伝えに来る。今日はそれもない。昼間の事もある。   ふと、思う。   ドミナが例の超能力機関――プリローダ、だったか――に帰ってしまったとしたら。   もう二度と会う事はできない。成績優秀な生徒や教員なら発言力もあるのかもしれないが、  俺みたいな落ちこぼれには発言に影響力がないし、将来教員になれたりもしないだろう。   俺たちは、傍にいるようでいて、実は、遠い所にいる。   結局のところ、他人同士でしかない。   機関に帰ってしまったって事はとりあえずないだろうと思いはしたが、そう考えると  無性に寂しかった。心に大きな穴が開いていた。   俺は落ちこぼれだ。ここにいる価値もない。でも俺が今、いていいと思えるのは、  彼女が俺を必要としてくれているからだ。   そう、俺は彼女に完全に依存している。ドミナがいなけりゃ俺もいない。   とにかく、すぐにドミナを抱きしめたかった。それ以外にこの焦燥感を埋めるにはそれしか方法はなかった。   とりあえず、彼女の教室、高二の教室へと行って見ることにした。   たまには迎えに来い、と思ってるのかもしれない。   俺は急いで高二の教室までやってくると、扉を開いた。 「ひ と つ ば ――!」 「!?」   扉をあけた瞬間目に入ったのは、一ツ橋先輩が何やら喚きながらこちらに向けて  右の拳を振り上げている姿である。   何がなんだかわからず俺は避けようとする間もなかった。   一ツ橋先輩は容赦なく拳に力を乗せる――   が。 「キッ――!?(ゴギン)」 「......」   伸びた拳は俺に当たらず、扉の縁に、見事命中して、物凄く痛そうな音を立てた。 「―――!?」   一ツ橋先輩は右手を左手で押さえ、声にならない声をあげてしゃがみ込んだ。   その後ろには、右手の指先を額にあて、「呆れた」ポーズを取る新宮寺先輩が  立っていた。    「あ、あの、一ツ橋先輩...?」   俺は無言で悶える一ツ橋先輩に恐る恐る声をかける。 「まさか自らを破気(ばき)してしまうとは...恐るべし、一ツ破気...」   どうやら意味不明だった叫びは、自分の名前の一ツ橋とかけた技名らしい。   教室には彼女ら二人しかおらず、暫くの間、三人は沈黙を守った。   一ツ橋先輩は痛みから回復すると勢いよく立ち上がり、俺の鼻先に一刺し指をつきつけた。 「ちょっとたいちん!! ののたんをいじめて楽しいんですか!?  ちゃんと教室に飛び込んできて!! はい、やり直しやり直し!!」 「は、はぁ...」   一ツ橋先輩は勢いよく並べ立てると俺を外へと押し出すと扉を半ばまで閉じて、 「次はちゃんとやってね!? 呼ぶからそれまで待ってて!」   といいはなって、ぴしゃりと閉めた。   ワケがわからないが、とりあえず俺は一ツ橋先輩の技をちゃんと受けないといけないらしい。   まぁ、一ツ橋先輩のパンチくらいならどうって事なさそうなので問題ないけど。   むしろあっちが痛いだろう。    「オッケイドッケイ! 入ってカモーン! こいやぁ!」   良くわからないがやけにキアイが入っている。   それにしても、先ほどの立ち位置――扉の前より、遠くから声が聞こえた。   ...跳び蹴りでも打ってくるつもりだろうか。足ならまだしも膝が来るとさすがに痛そうだな...。   と、考えて扉に手をかけた。 「じゃあ入りますよ――ぁあっ!?」   放たれた第二の技は、俺の想像を遥かに超えていた。 「恥 丘 圧 殺 !!」   視界をパンツが覆った。   勢いよく飛び込んできた白いそれに俺の顔は突き刺さるように埋まる。 「も、もがががっ!!」   アリス先輩の乳で鼻血を拭いた俺だったが、これはもう予想外過ぎて生命の危機しか  覚えなかった。   一ツ橋先輩のあまずっぱい香りが鼻を覆う。本来、男なら興奮してしかるべきなのかもしれないが、  その余裕もないほどに恐ろしい力で一ツ橋先輩は俺の頭を股で締め上げる。   何を考えとるんだこの人は...! 「もが、もが、ふぐ、ふんが!」 「ひゃ、あぁん!」   必死に顔全体を動かして(さすがに口を開ける訳にはいかない)もがくと、  意外にあっさりと締め付ける股の力が抜け、一ツ橋先輩は、   落ちた。 「うぎゃっ!? ひゃぎーん!」   涙目で尻をさする一ツ橋先輩。 「か、かかかんべんしてくださいよ、先輩...!」 「たいちんのえっちん! なんてことするのー!! もうオヨメにいけぶホッ(スパーン)」 「あほかこの破廉恥女ッ!! 状況を悪化させてどーする!!」   抗議する一ツ橋先輩の後頭部に、新宮寺先輩が思い切り投げた上履きがストライクしていた。 「はぁ...こいつに任せるとロクな事になんないわよ...。  ちょっと、浮島くん?」 「は、はい?」   新宮寺先輩は、呆れ顔から真剣な表情を変えると、俺の方へと歩み寄った。   正面には一ツ橋先輩がいたが、新宮寺先輩の方へと体の向きをかえたので、  彼女と向かい合う格好になった。 「な、なんでしょう...」   新宮寺先輩は学内女子の中でもトップクラスの人気を誇る。それは単純な外見の可愛さ  だけというより、ツンデレ、というその性格に要因がある。   とりあえずそのツンデレについては善くはわからないが、少し怒ったようなその  目は、俺をどきりとさせた。 「あなた、自分が何をしたかわかる?」 「え? えーっと...?」   俺は質問の意図がわからず、クビを傾げた。 「校庭にいたでしょう。ドミニアさん、見てたのよ。  あれは...アリスが悪い所もあるんだろうと思うけど...でも、あんたが悪い。  さっさと行って、ドミニアさんに謝って来なさい。いいわね?」   新宮寺先輩が少し怒ったような口調で言った。   少し理不尽な気がした。   俺は何もしてない。ただ成すがままにされていた所を、ドミナが見ていたにすぎない。   それをどうとられた所で、俺に責任はない。   だけど、新宮寺先輩のいう事は、正しい。   俺が全て悪い。理屈なんてどうでもいい。   ドミナが今、俺の事で傷付いてる。それだけで理由は十分だった。 「はい」 「...ま、そんだけ」   新宮寺先輩は、照れて頭をかいた。 「…もしかして、それを伝える為に…?」 「な、なに言ってんのよ。あたしは別にドミニアさんと仲がいいわけじゃないし。  偶々あんたがココに来たから…そ、そもそも、彼女に気を使ったわけじゃ…。  も、もう! あんたが乙女心に鈍感すぎなのよ!」   可愛い人だ。下心抜きにそう思った。   友達想いでお節介焼き。これがツンデレの正体なのだ。 「すみません。全く以ってそうでした」   俺は、今日初めて言葉を交わす筈の彼女に対して妙な親しみを覚えていた。   それが少し可笑しくて口元をほころばせた。   新宮寺先輩はそれにに気付いて唇をすぼめた。 「むっ。何にやけてんのよ…気持ち悪いわね…」 「いやはは…それじゃあ、俺、ドミナを探しに行って来ます。ありがとうございました」   俺が頭を下げると新宮路先輩はばつが悪そうにしてそっぽを向いた。 「も、もう。あたしは別に何にもしてないでしょ。早く行きなさいよ」 「はい!」   撃沈している一ツ橋先輩を他所に教室をでると、俺は校舎内を駆けまわった。   …が、結局、ドミナは見つからなかった。   しかも、校舎内を歩いていると陰鬱な歌声が耳に入り、  俺は居てもたってもおれず、寮室に飛んで帰った。 ――あなたが投げ捨てた玩具 世界の終わりって顔をしていた ――それはとても あたしによく似たフィギュア ――あなたしか要らないモノ あなたがいらないなら ――意味のない存在 あたしは今 無価値 ――そんなの誰もいらない ――あたしだっていらない (真山たま - カラヌマブイ - より)   気がつくと寮室で、なんでそんな何もない事で突然に猛烈に陰鬱なってしまったのか  わからなかった。   しかし、思い返してみるとあの歌声には聞き覚えがあった。   文化祭や、購買部のラジカセから聞こえていた。確か、高等部三年の真山たま先輩の歌声だ。   CDも作っていて購買部で売っていたはず。   確か能力は、声に力を乗せて人の感情の起伏を操作する…そんなだったはずだ。   恐らく屋上あたりで歌っていたのだろう。   しかも、陰鬱な気分で。   偶然聞こえてきたとは言え、なんとも傍迷惑な話である。   おそらく、無意識のウチに発動した力の巻き添えを食らって俺は唐突に陰鬱になったのだろう。   窓の外に目をやると日差しは闇に消えて月光が弱々しく主張するばかりだった。   ドミナを探しに行こうかと考えたが、時間はもう七時前で、もう既に校舎内の施設は扉が閉まっている。   さすがにもう校舎内には居ないだろう。   寮にはキッチンがついているので、自炊が可能だけど、やはり面倒だし料理の時間を他の事に費やしたい  生徒もいる。なにより料理ができない生徒も多い(多分)。   だからちゃんと寮専用の食堂(学食とは違いそこまで広くない)がある。   普段なら、ドミナとそこで晩御飯を一緒に食べている。もしやと期待して食堂へ向かったが、  いなかった。食堂のおばさんに聞いても、今日は来ていないという。食堂の閉まる八時まで居たが、  結局、ドミナは現れなかった。   女子に聞いても、誰も知らないという。ロビーで、てひたすら彼女を待ち続けたが、一向に現れなかった。   消灯の十一時になっても、彼女が姿を見せる事はなかった。 ―――next