サイオニクスガーデン 神谷狼牙SS     - 狼の誇り - 八月三十一日 午後六時二十五分 - 神谷家道場   手の甲と手の甲を交え、それは始まった。   手首を捻り、相手の手の甲を返す。   そして空いた相手の首下を伸ばした左掌で相手を突く。   その左手をまた相手が返し、こちらを突いてくる。   それを避けて右手を伸ばして突く。   さらに相手がそれを返し、突いてくる。   しばらくそのまま繰り返し、徐々にスピードを上げる。   相手も容易にこっちの攻撃をかわすが、こっちも相手の攻撃が"視える"から難なくかわせる。   とは言え――   このままじゃあ、終わんねぇ...。   流れを変える為に相手の手を弾くと同時に、右蹴りを放つ。   相手は身を引き、軽くかわす。   それも、"視えて"いたので、蹴りの力を殺さずに、身体を捻って左足を振り上げて空中回し蹴りへとつなげる。   その蹴りすらも、止められ、足を握られる。   相手は掴んだ足を引き込もうとするが、俺は身体を捻って抜け出し、回転して後方に飛び、着地する。   中国拳法独特の足の裏を擦るような歩行で、お互いが円を描くように動く。   何度か円を描いた所で、一気に近づいて手の甲で相手を打つ。   それを相手は叩き落とし――相手が俺を打つのが"視える"――が、手の甲を打ち込んだ状態からは避ける事ができず、   相手の掌が俺の胸を打った。   衝撃が胸から背中へ突き抜ける。   肺の中の物が全て吐き出され、俺は後方に吹っ飛んだ。   俺は、胸の苦しさと、眩暈に似た感覚に襲われ、すぐに立ち上がる事ができなかった。   たった、一撃。   力任せではないが、重く、力を持つ一撃。   眩暈が納まり、俺は両手をついて、立ち上がった。 「ちょっと張り切りすぎじゃねーか?じっちゃん」   じっちゃん――ぼさぼさの白髪に、立派な顎鬚を持つ老人、神谷 流元(かみや りゅうげん)に、呟く様に言う。   じっちゃんは、中国拳法の一つ、八卦掌の道場を開いている。   俺の両親は共働きで、子育てが大変だろう、という気遣いと...俺に中国拳法の素質がある、という理由で俺を引き取った。   ばっちゃんは随分前に死んで、今は俺と二人暮しだ。   両親と離れて暮らす事を寂しいと思った事はない。   むしろ、宿題がどうであるとか、成績がどうとか、親の顔を伺わなくていいから楽だ。   とはいえ、じっちゃんは基本的に俺のプライベートに口を挟まないが、たまに俺の低い成績について、小言を言ったりする。   まぁ...母さんに言われる事を考えれば、ないようなもんだ。   それに、両親と離れてるとは言え、同じ県内だから離れている、という気もしないが。 「ほぉ...じゃあおめぇは、手加減してくれたってんかい」   じっちゃんが、呆れ顔で言う。   ......んなわけねぇ。 「...そんな事より、晩飯は?」   無性に腹が立ったが、続ける気がしなかった。 「...なんじゃ、今日はもうええんか」 「いい。なんかやる気がしねぇ」   普段なら、じっちゃんを負かすまで続けるが、今日は気が乗らなかった。   そんな日も、ある。   単純に腹も減っていたが。 「ま、もう作ってある。食うか」   じっちゃんは、俺と手合わせする前に、晩飯を作り終える。   俺と手合わすと疲れるらしい。   その後にさらに晩飯を作るとさらに疲れる、という理由で、いつも先に作っている。 「メニューは?」 「...親子丼じゃ」   じっちゃんが道場の扉を開け、母屋へ行く。   俺もそれに続き、道場の扉を閉めて母屋に入る。   靴を脱ぎ、家に上がり、食卓まで歩く。   食卓には、丼ぶりが二つと、きゅうり漬物が置かれていた。   男が作る料理だけあって、大雑把だった。   俺は食卓の前にあぐらをかいて座る。   じっちゃんも、それに合わせて座る。   一瞬だけ手を合わせ、右手で箸を掴んで丼ぶりの蓋を開けた。 「おい、じっちゃん...これ、なんだ?」 「親子丼じゃろ」   ご飯の上には、申し訳程度に卵、たまねぎ、鶏肉がご飯の上に乗っていた。 「ちげーだろ!!鶏肉のかけらをのっけた卵どんぶりもどきじゃねーか!!」 「黙って食え!いらんならわしが食うぞ!」 「ぐっ...親父達からの仕送りもあるし、今月は三人ほど門下生入ったじゃねぇか...なんでこんなに貧相な飯なんだ?」   腹立ちまぎれに親子丼もどきを箸でかきまぜ、口に運ぶ。 「おめえが無意味に踏み抜いた床の修理費、おめえが無意味にぶち抜いた壁の修理費、  そいからおめぇが無意味に練習がてらとぶっ飛ばした入門者の治療費で食費分はほぼ飛んだわ!  大体、その三人の内二人はおめぇがぶっ飛ばしたから辞めたしの...」   冷や汗が出る。   そういや、そんな事もしたっけな...。   それにしても、ちょっと手合わせしたくらいでぶっ飛ぶあいつらは貧弱すぎるだろ。   俺は悪くねぇ...と思うが。   それを言い返すとまたややこしい。   俺は黙って親子丼もどきを口に運んだ。不味くはない。ただ、ほぼ鳥の餡かけだ。 「それよかおめぇ...最近、たるんどるぞ」 「...なにがだよ」 「さっきのもそうじゃったが、あれぐらい避けられんでどうする。  簡単に負けすぎじゃ」   じっちゃんの小言は、学業より、こっちが多い。   これはこれで鬱陶しい。 「...何言ってんだよ。俺とじっちゃんは勝敗五分五分だろ。  さっきはたまたま負けたんだよ」   吐き捨てる。   そして、親子丼を口にかき込む。 「...おめぇなぁ...。  おめぇとわしが五分なんは、おめえのさいこなんたらいう...先を見通す力と、若さじゃ。  大体、負けず嫌いのおめぇが連戦を挑んできて、わしが疲れてきた頃に勝つだけじゃろ、いつも」   俺の持つ超能力は、未来予知"Precognition"。   未来予知なんて大層な名前がついてるが、そんなに凄いものじゃない。   見通せるのは、瞬間的...おおよそ一秒後の、せいぜい自分を中心に半径5m程度の中で起こる出来事だ。   そのかわりといっちゃなんであるが、的中率は限りなく100%に近い。   というより、余地が外れたという記憶そのものがない。   じっちゃんは母方の祖父で、子供が母さん一人だった。   当然ながら...というより、母さん自身にもじっちゃんの道場を継ぐ気がなかった。(母さん自身はかなりの八卦掌の使い手だが)   じっちゃんが俺を引き取ったのは、後を継がせる目的もあるのだろう。   まぁ、俺も御免被りたいが...   それにしても、その予知能力をフル活用した所で、じっちゃんにはあまり勝てない。   五分五分、というのもいくらか割り増ししての事だ。   俺は大人にも同級生にも喧嘩で負けた事はないが、このじじいと母さんにだけは一生勝てる気がしねぇ。   無性に腹が立ってきて、俺は箸をかちゃかちゃと言わせながら親子丼を激しくかきこんだ。   そして、大雑把に噛んで飲み込む。 「別に、負けず嫌いとかじゃねぇよ...。ただ、一回ぐらいじゃ物足りねぇだけで...」 「...もうちとくらいよ、落ち着け。おめは技術一つ一つで言えば、その若さにしちゃ出来とる。  しかしなぁ、その力に頼りっきりすぎて...」   じっちゃんの小言が鬱陶しくなってきた俺は、丼ぶりに残った米粒をさらえ、漬物をニ、三口に放り込んでから立ち上がった。 「はいはい、ごっそーさん」 「おい、狼牙...!」   俺は、じっちゃんの声を背に受けながら、自分の部屋へ戻った。 ──────────────────────────────────────────────── 九月一日 午前八時十分 - 高等部三年教室>作戦司令室   朝の鍛錬を終え、俺は学校へ向かう。   俺はどちらかというと不真面目な人間だが小さい頃から続けている朝の鍛錬は怠った事はない。   あれをやらないと目が覚めない。   通学路。未だにふと思い出す。   いつも、三人で歩いた。   俺と、真弓と、仄香と。   仄香が誘拐されてから、二年が過ぎていた。   あの日から今まで、長かったと言えば長かった。   気付けばもう二年が過ぎていた、といった感じもする。   そんな事を考えながら通学路を歩き、教室につくと既に数人の生徒がいた。   席に座って読書をしていた女子が、俺に気付いて立ち上がり、こちらへと足を向け、目の前で停止する。 「...おはよう、狼牙」 「...あぁ」   竜胆 真弓(りんどう まゆみ)。   俺の同級生で幼馴染、透視"clairvoyance"能力者。   ライフル射撃のメダリストの父親を持ち、本人もクレー射撃の名手だ。   作戦では、主に長距離からの射撃による敵の無力化、ついでに頭もいいから作戦立案も任されている。   そういえば...仄香がいなくなってから、真弓とも通学しなくなった。   真弓がガーデンの寄宿舎に移ったという事もあるが、二人だけで通っていると、どうしても仄香の事を思い出し、  辛かった。   自分の無力さに知らぬ間に拳を握り締めていた。   それは、こいつも――真弓も同じ事だろう。   一人でもそれは変わらなかったが、二人でそうしているのは精神衛生上よくなかった。   俺はつまらない事でキレたし、真弓はふとした事で泣いた。   そうこうしている間に二年過ぎ、こいつも、俺も落ち着いた。 「あぁ、っていうのは挨拶じゃないのよ?」   真弓は、呆れ顔で言った。 「そうだな...」 「...狼牙、呼び出し。  明日観先生が、竜胆真弓、神谷狼牙の両名は登校次第、作戦司令室へ、って」   作戦か...それにしても、俺と真弓を二人同時に呼び出し...?   本来、作戦立案者のみが呼ばれる筈だ。   ...一体、何だ? 「そうか...じゃ、行くか」 「...ええ」   作戦司令室は、使用頻度が高い事から高三の教室から近い。   教室を出て五分後には作戦司令室に俺たちは居た。   既に室内にはいつもどおりスーツを着た明日観がいて、机の上に座って書類に目を通していた。   明日観は俺達に気が付くと、顔をあげた。 「...朝からすまないな。では、始めようか」   室内は、三人の人間がいたが、まったく静かだった。   それは、いつもより真剣な表情の明日観の生み出した空気だった。   明日観は、小さな口で一息呼吸を入れると、話し始めた。 「NEXTに捕らわれている岸家 仄香(きしや ほのか)を、知っているな?  聞くまでもないが...」   岸家仄香。二年前まで、ここに通っていた、真弓と、もう一人の俺の幼馴染。   能力は、気体変質"gas change in quality"。   気体を変質させ、別の気体にする、という能力の持ち主だ。   そんな能力を持った事でNEXTに狙われ、作戦中に誘拐された。   奪還作戦を行うから心配するな、と言われて、二年が経った。   ...ようやく、その日が来たってわけだ。 「仄香の奪還作戦、ですか...?」   真弓が、ゆっくりと確認するように言った。 「そうだ」 「えらく、待たせてくれたもんだな」   明日観が悪いわけじゃない。   だが云わずにはいられない。一年のとき仄香は作戦中に誘拐された。   一年以上経ってようやくだ。あいつは俺達がのうのうとしている間に、  何をさせられていたのだろう。   とは言え、奪還する、という事は生きていることが確定したと云う事だ。   少し安心した。 「...すまないと思っている。  こっちはこっちで色々とあってな...  本当に、すまない...」   やってしまった――と、思った時には遅い。   明日観は、俯いて涙を目に溜めていた。   普段は勝気で偉そうにしているが、本当にふとした事で明日観は泣く事がある。   それは単純に、年齢が相応に戻るからというだけじゃない。   なまじ、人の記憶を追体験する、というマインドリーディング能力を持っている。   記憶とは、感情の集大成だ。感情が発生しない事を人は記憶し続けない。   多くの様々な感情に触れて生きてきた明日観は、感情に対して敏感だ。   俺たちが仄香の事に対してこの二年間、抱き続けてきた感情をよくわかっているに違いなかった。   こいつは、小さい身体で終わらない仕事を延々とこなしながらも、ずっと仄香の件について胸を痛め続けていたのだろう。   そういう意味では、俺たちと同じ立場の人間なのかもしれない。 「狼牙...!」   真弓が、俺に非難の視線を送る。 「明日観、すまなかった。  作戦について、話してくれ...」   明日観は、責めの言葉を聞く体勢だったのか、その言葉に少し驚いて、は、とこちらを見上げた。   そして、スーツの袖で涙をぐしぐしとふき取ると、話始めた。 「うん...そうだな。  岸家が捕らわれている場所がようやくわかったんだ。  その...NEXTに潜伏している諜報員がようやく先日発見した。  ××県の山奥にある、NEXTの研究所と思しき場所に岸家は捕らわれている。  そこへ行って奪還するわけだが...」   そこまで言って、明日観は言葉を詰まらせた。 「...何かあんのか?」 「...ああ。  気になる事が幾つかな。  潜伏中の諜報員の階級程度では、研究所の奥入る事はできなかった。  PKで究所の中の人間の数を調べた所――  内部の構造そのものについては詳細を把握出来たわけじゃないんだが、まず、建物の広さに対して人数が少ない。  まぁ...何をしているのかはわからないが、研究機材が多くてそれに対して人間が少ないだけだろう。  妙なのは、サイキッカーの少なさだ。  普通に考えて、中にいる人間は一般人の研究員と、サイキッカーの研究員、そしてその他雑務が数人、警備の人間が多数なはずだ。  これが...どう考えても、超能力者の数が少ない――警備員はほぼ普通の人間ではないか、という事だ。  少なくとも強力な力の使い手ではない。  かなりの数のサイキッカーを抱えているNEXTが、何故一般人と大差のない人間を警備に回す?  たかだか警備ごときの仕事を超能力者にさせる必要はないからか?  そうだとしても...それなりに重要な施設のはずだ。投資金額は安くはあるまい。  もう少し警備を固めてもいい気がする。  少なくとも戦闘向きの強力な能力を持ち主はいないと思われる。  単純に、通常の戦闘技能を持つ兵士なのかもしれない。  それはそれで厄介ではある…。  何にせよ、あまりにも情報が不確定でな...。  本来ならば、作戦に移す段階ではないかもしれないが...。  私が無理を言って最低限必要な情報だけかき集めさせ、作戦実行にこぎつけた。  ...早く岸家を救出しなければならない。  一体中で何をさせられているのかわからないからな...。  恐らく、能力を実験なんかに使わされているのだろうが...」   明日観は...無理をして強引に今回の作戦実行をしてくれたのか。   尚更、こいつを責めた事が悔やまれた。 「...そうか...すまねぇ、明日観」 「いや...手間取ってしまってすまなかった」   そう云って明日観は視線を落とした。     仄香には家族がいない。   高校に入る前には既に他界していたし、親族もいなかった。   俺たちはわりと幼い頃からガーデンに通っていたし、ガーデンは色々面倒を見てくれたので引き取り手のいなかった  仄香は生活に苦労する事もなかった。   孤児や親に捨てられたりした子供は基本的にガーデンの寄宿舎に住む事になるが、両親との思い出の残る実家から通う事を、  仄香は望んだ。   俺達との通学も、かもしれない。    「...作戦は、竜胆、お前が立ててくれ。  一応、この作戦の関係者だからな、神谷も呼んだが...お前は、作戦立案に向いてないだろう?」   確かに。   俺は、頭を凝らして作戦を考えんのは面倒だし、向いてない。   つっこんで、ちょっくら暴れるくらいが性に合ってる。   実際、作戦立案の授業の成績は絶望的だ。 「そうだな。じゃあ竜胆、任せる。  出番の用意は頼んだ」   俺はそう言い捨てると、扉に向かった。 「ちょっと、狼牙...!あんたも少しくらいは手伝いなさいよ!」   俺が真弓と頭を捻った所で、何にも成果はあがらない。   というか、口を挟むと「真面目にやれ」とこいつは怒る(どうも俺の言い方は茶化しているように聞こえるらしい)。   真弓一人に任せるのが妥当だった。   俺は手をひらひらと振ってそれに応え、作戦司令室を出た。 ──────────────────────────────────────────────── 九月一日 午後四時十二分 - 第一校舎屋上   右掌を突き出す。   風を切る。   突き出した掌を返し、左掌を返す。   風を起こす。     何も考えてはならない。   ただ、流れるように。   ...数千数万と行ったこの"流れ"。   こいつに何の意味があるのか解らない。   言われて繰り返してきた。   ただ、これは不快じゃない。   それだけの理由だ。   ま、どちらかというとスカッとする。   それでいて、何も考えなくていい。   元々、考え込むのは好きじゃない。   とは言え、考えるのは嫌いじゃない。考えてないやつは人間じゃない。   臓器の詰まった袋だ。   武道って奴は何なんだ。   武ってのは力だろう。   力なら、ある。   未来予知"Precognition"。   そして、この八卦掌。   なら、道とは?   ...生き方。生き様。   俺の、生き様とはなんだ?   武の生き方。勝つ事。誰にも負けない事。   あの時負けた。あの時も。それなら…俺はなんだ??   雑念に囚われながら演武をしていると、人の気配を察知した。   振り向かなくてもわかる。井伏軸(いぶせじく)。 「なんか考え事かー?」   振り返る。   屋上の貯水槽が設置されている凸部の上から、青髪と軽快そうなにやけ顔が覗いた。   井伏はそのまま立ち上がった。   いつもぶら下げられている腰からさがる工具入れが目に入る。   付き合いはそこまで長くはないが、こいつとは一番仲がいい。 「んあ?」 「いつもみたいな、キレがない」   仲が好いせいか、こいつが他人の繊細な変化を見つけるのが上手だからなのか、隠していてもばれる。 「んな事ぁねえよ」 「よっと」   井伏は貯水槽設置されている屋根から俺の背後へと飛び降りて身体を起こした。   少し愛嬌のある黒い瞳が、俺を見返す。 「お前って、普段は何考えてるのかわっかんねーけど、こういう時はわっかりやすいよな。  今日作戦だろ? 朝呼び出しうけてたし。それと何か関係あるのか?  何があったんだよ。別に言いたくないなら聞かないけど」   そう云われて、先刻の事を思い出していた。 ------------------------------------------- 九月一日 午後三時三十分 - 作戦司令室 「もうすぐね」   作戦参加者を作戦司令室で待っている時、真弓は云った。 「何がだ?」 「仄香に会える」 「そうだな」      俺の物言いが癇に障ったのか、真弓は俺をにらんだ。 「…昼間、妙見先生から作戦について聞いたとき、あんな風に怒ってた癖に」 「何が言いたいんだ?」 「…別に」   真弓は唇を尖らせて云った。何かに対して不満があるらしいが、さっぱりわからなかった。   暫くの沈黙が続いた後、扉が開く。   入ってきたのは長い黒髪を結ってかんざしを刺している大人びた雰囲気の女子。 「ごめんなさい、遅くなってしまって。片付けに少し時間が…お邪魔だった?」   そう云ってにこりと微笑む。こいつは、同級生の鞍馬千尋。   テレポート能力者だ。   嘘か本当か、天狗の末裔で代々鞍馬家の長女はテレポート能力を有するという。   「一つ」と認識できるものはどんなサイズであっても転移させることが可能、という  強力なテレポーターだが、家の事情で一日に一度しか能力を使ってはならないらしい。   どんな距離であっても飛ばせるが、本人が見たものでないと飛ばせないそうだ。 「な、何の邪魔よ。…待ってたわ」   真弓は何故かうろたえてから答えた。 「今回の作戦、私達三人なの?」 「いいえ。もう一人…」   名前を言いかけた時、開いた扉の向こうからばたばたと騒がしく廊下を疾走する音が耳に入った。   疾走者はこの部屋の前で停止した。 「ご、ごごめんなさあーい! 遅くなりましたっ!!」   そう云って勢いよく駆け込んできたのは、うす紫色のショートカット、いかにも活動的でボーイッシュな  雰囲気の女子だった。見覚えがない事からすると、後輩だろう。   何能力者だろうか。 「…紹介するわ。彼女の名前は、渡里 菫(わたりすみれ)。一年よ。能力は…テレポート」 「初めまして、神谷先輩! よろしくお願いします、竜胆先輩、鞍馬先輩!  私、先輩に選抜されて光栄ですっ!!」   まくし立てると、渡里は頭を勢いよく下げた。   それにしても騒がしい。まあ、変に陰気よりは元気なほうが絡みやすい。 「おう。よろしくな、渡里」 「感激です、神谷先輩と一緒に作戦だなんて! 知ってますか? 神谷先輩って一年の中じゃ結構人気あるんですよ!」   そいつは知らなかった。 「狼牙、何にやけてんのよ」 「いや、にやけてねーだろ」   真弓の怒りのようなものがこもった言葉に返す。   ちなみに、本当にニヤけてはいない。   そんな事で浮かれるほど盛ってねっつーの。 「んな事より、テレポート能力者が二人か?」 「ええ、そうよ。それじゃあ、作戦を説明するわ。皆、机に寄って」 「この四人か? 何の間違いだ」 「何の間違いもないわ。始めるわよ」   個々の持つ技能はともかく、テレポート能力者は基本的に戦闘要員に含めない。   となると、戦闘能力者は俺と竜胆、下手をすれば俺しかいない事になる。   そして実際問題、サイコキネシスやパイロキネシス等の戦闘系超能力所持者は一人もいない。   四人で机を囲うと、真弓は手に持っていた書類を上に広げた。 「一応伝えておいたけど、今回の作戦は×県山中にあるNEXTの研究所へ進入して岸家仄香を奪還。  あくまで奪還ね。出来る限り戦闘行為は避けたい。全面戦闘になると、幾ら戦闘要員が少ないであろうとは云え、  かなり面倒なことになるわ。  何より今回の難点は、情報が不確定だと云う事。  戦闘に関わる攻撃的な能力者を避けたのは、人数の事もあるけど、何よりPK探知への危惧からよ。  攻撃能力は思念が強いから探知されやすい。  だから予知と拳法の使い手である狼牙が戦闘を担当。私は、透視で仄香を探す」 「人数の事って、何ですか? もともと作戦は少人数でしますけど」   渡里が尋ねる。 「…研究所は遠い場所にある。何かあっても、増援は期待できない。人数が多いと全員が脱出するのに  時間がかかるの。だから、渡里さん、あなたがすぐに飛ばせる二人…狼牙は知らないだろうから説明しておくわ。  彼女のテレポート能力は、手を握った相手を、メモしてその人の所へ転移する能力。  メモができるのは最大三人。手を握った相手と飛ぶから、本人を含めて最高三人まで同時に運べる。  私と、狼牙。それで三人。  今回は、奪還と云ったでしょう?」 「それがどうかしたんですか?」 「帰りは一人増えるってこった」   考えるのが余り得意ではなさそうな後輩の代わりに答える。ああ、と云って後輩は手を打った。 「そう。  そういう意味では、今回は渡里さん以外に選択肢はなかった」   云われて、渡里は照れて頭をかいた。 「えへへ…でもどうして、私なんですか?」 「…自分の能力で何が出来るのかはしっかり自分で把握しておかないと、いざと言うときに宝の持ち腐れになるわよ。  まず、千尋と渡里さんがいなかったとして、新宮持さんがここにいたとする。作戦を実行することは可能かしら?」   「出来ますね」   渡里は自信満々に即答した。 「………聞き方が悪かったわね。適切かどうか、という話」 「う、うーん…?」 「まず、新宮路さんは、生物しか飛ばせない」 「ああ、裸になる! それは恥ずかしいですね…」 「そう。恥ずかしい、ただそれだけ、じゃないわ。そういう要素は集中力を低下させる。  集中力の阻害は超能力の不発・失敗に繋がる。  先に現地に服を置いておけばいいけれど、それは不確定要素になるわ。  出来る限り成功率をあげたいから、そういった事は避けたいの。  先に現地に服を用意しておくという手もあるにはあるんだけど、服は私たちの到着までに  なんらかの要因で紛失している恐れがある。  決してこいつの前で裸になるのが恥ずかしいとか、私的な理由ではないわ」   そう云って真弓は俺を指さした。 「ほう、面白い。恥ずかしくない訳か」 「そんな事言ってないでしょう! 茶化さないでよ、もう」   なんとも怒りっぽい女だ。というか結局恥ずかしいんじゃないか。 「へいへい」 「それに、発動までのラグもある。新宮路さんや多くのテレポート能力者は転移は発動までに少し時間がかかる。  どうしてかと言うと、転移地点の情景を確り思い浮かべる必要があるからよ。  自分の部屋とかよく目にする光景ならともかく、森の中へ飛ぶ。似たような景色があるから思い浮かべ難い。  新宮路さんの場合は裸になるのが恥ずかしいのもあると思うけど。  すぐに飛べないという事は、いざと言うときに命取りになる可能性が高い。  その点、あなたの転移タイムラグは少ない。すぐに飛ぶことが可能」 「ど、どうしてですか??」 「手を握った相手の存在を覚えていればいい。あと顔を忘れなければ」 「うーん、確かに…」 「あなたは不測事態時の保険にもなってるという事。現地からの緊急脱出」 「ええとその、じゃあ鞍馬先輩はどうして…?」 「必要か、といいたいの? あなたはメモした人が現地にいないと飛べないじゃない。  行きは千尋、帰りはあなた」 「帰ってくるとき、間違えても二人飛ばさないでね。  一番最初は一人だけを、千尋の元へ飛ばす。わかった?」 「???」   渡里は頭に疑問符を飛ばした。 「考えて見なさいよ。最初に二人飛ばしたら、どうなるのか。  私は@、狼牙はA、千尋はB、仄香はC、あなたは○として…」   真弓は、ホワイトボードに描きながら解説を始めた。 「あなたのメモには私達三人が記憶されているとして、  Aは学校、Bは研究所よ。  最初に二人とばすとこうなるわ。  1.  A○@AB  BC  メモ:@AB  まずは千尋Bが私達を研究所Bに飛ばす。  2.  AB  BC○@A  メモ:@AB  ここで私@と狼牙Aを千尋Bに飛ばしたとすると、  3.  A○@AB  BC  メモ:@AB  こうなる。  仄香Cはおいてけぼりね。あなたは研究所に戻れない。メモを見ればあきらかね。  組みあわせを変えても同じよ。  2の後、私@と仄香Cを千尋Bにとばしたとしましょう。  3.  A○@BC  BA  メモ:@BC  私@と仄香Cの手を握った時点で、  [握手した順に一番古いメモから削除・上書きされ、メモ中の相手の場合は変更されない]という  あなたの能力の性質上、メモから一番古い狼牙Aが削除される。  あなたは研究所に戻れない。狼牙はおいてけぼりね。ちなみに、千尋を一番最初にメモしていた場合、  千尋Bが仄香Cに上書きされて、学校にすら戻れなくなる。  で、最初に一人飛ばしてから後に二人飛ばすと…  まずは私@を千尋Bに飛ばすとしましょう。  3.  A○@B  BAC  メモ:@AB  そして次にあなたは研究所…正確には、狼牙Aの元へ飛ぶ。  4.  A@B  BAC○  メモ:@AB  最後に、狼牙Aと仄香Cを千尋Bの元へと飛ばす。  5.  A○@ABC  B  メモ:ABC  どう、全員移動できたでしょう。組み合わせを変えてもできるわ。」 「わかったような、わからないような…私、あんまり勉強は得意ではなくて…」 「…説明すれば小学生でもわかると思うわ。  まあ、あなたは1、千尋を最後にメモする、2に最初は誰か一人を飛ばす、を守ればいいだけよ」 「りくつはともかく、それはわかりました!」   渡里は、元気よく答えて敬礼した。 「…まあいいわ。移動方法は以上のとおり。ああ、千尋は教職員のサポーターに現地を生で見せて貰いに  いっておいて。手配はしてあるから。  さて、移動手段についてはこれで説明終了ね。  次は現地に入ってからの行動について。  とは言っても大して話すことなんてないわ。  研究所に着いたら私が透視で仄香を見つけ出す。  抜け道、侵入経路についても私が探し出すから、狼牙は戦闘不可避時の護衛。  接敵の際は可能な限り早く相手を沈黙させて。  集合場所は校庭西側、夜九時」 「okey-dokey」   俺は手をひらひらと振って部屋を出ようとした。 「待ちなさいよ。解散と云ってから部屋を退室して。まだ云う事があるんだから。  今回一番重要なポイント、何かわかってる?」   真弓は腕を組んで俺をにらみつけた。 「仄香を如何に手際よく奪還するかってことだろ」 「違う! やっぱりわかってないわね。  私たちがちゃんと研究所から脱出して、ここに戻ってくる。  仄香の事は、その次。私たちが逆に捕まったり、死んだりしたら本末転倒なんだから。  わかった? 狼牙。あんたに言ってるの。あんたはすぐに熱くなるから」 「熱くなんてなんねぇよ」     真弓の指摘に苛立ちを覚え、俺は部屋から出た。背後から真弓の何か叫ぶ声が聞こえてきたが、  立ち止まらず、屋上に向かった。 ------------------------------------------- 「………」 「どーしたんだよ。何があった」   井伏がこっちの顔を覗き込む。 「…何もねぇさ」 「ま、いいけど。あんま、熱くなり過ぎんなよ」 「熱くなんてなんねぇよ」 「だな」   全てを見透かした顔で言うと、井伏は背を向けて梯子を上り、貯水槽の元に戻って寝転んだ。 ――――NEXT