〜ブリード・モノクロアの場合〜 王国連合・アルシオン王国の近くに広がる高原。 半刻も歩けばそこは国の街並みが覗ける絶景が広がっている。 生い茂る草。それを掻きわけ姿を見せる野兎。そして 「あーもーっ!しっつこーい!」 「ほらほら、そんな大声立てちゃ魔物が寄ってくるじゃないか。  護衛を頼んだのに危険に晒されちゃたまらないからね」 「護衛の邪魔してんのはアンタでしょーがッ!」 響き渡る罵声。 声の主である女性はこれでもかと眉を吊り上げてこちらへ振り返る。 彼女の名はドリー・ドロレッツ。獣人としても珍しいアルマジロ型の女性。 酒場にいたところで声をかけ、今回の護衛を了承してもらった。 昨日護衛を見繕うために酒場に入った時、僕は迷いもせずに彼女に声をかけた。 僕の鑑定眼に間違いはない。 「君は勘違いをしている。確かに獣人の尾には千差万別、十人十色の個性がある。  一般の尻尾愛好者は毛色の整った“もふもふタイプ”を愛す者が多いが、君のしなやかで女性的な尻尾はすべての愛好者を魅了できるだろう。  君はその尾をもっと誇るべきだ。そして雇い主である僕に触らせるべきだ」 「意味がわかんないのよ!セクハラで騎士団に突き出すわよ!?」 騎士団とは穏やかではない。スキンシップのつもりだったのだが。ついでに触らせてくれるのなら僕のだって触ってもらっても構わないのに。 酒場に入った時、カウンターに腰かけた彼女の妖艶に揺れる尻尾に真っ先に心を奪われた。 そしてそれに似合わぬ彼女の快活な声と性格。嗚呼このギャップ。 「……ねぇ、ひょっとしてアンタ、尻尾で私を雇ったわけじゃないわよね?」 「はっはっはー、そんなまさかー」 嘘をつくと視線が右上へ泳ぐらしい。きっと僕の視線はあの山を越えて魔物生態研究所にでも届いていることだろう。 それにしても面倒な事である。 僕、ブリード・モノクロアは魔物生態研究所の指令でリアス高原の生態調査に来ていた。と言っても、正確にいえば僕は研究所の正式な所員という訳ではない。 僕の専攻は民俗学。ついでにいえば亜人や獣人に関してがほとんどでモンスターの研究などほとんどしていない。 しかし人間の分類というのは面倒なもので、亜人も獣人も彼ら人間にとっては『モンスター』なのだ。 そういう訳で魔物生態研究所に籍を置いていると何かと便利、なのだが。籍を置いている以上はやはり一定の成果やレポートが待ち受けている。 そして先日。亜人種の資料を受け取りに研究所に顔を出せば、これまた素晴らしい尻尾の持ち主である所長殿の例の朝礼。 実をいうと魔物生態研究所に所属してから、僕は何も提出していなかった。 専攻である民俗学の報告は別のところで行っていたし、モンスターについてはあの研究所で言えば下の下。 それならこの調査報告をレポートとして提出してしまえば、またしばらく資料のおこぼれに預かりながら研究が出来ると考えたのだ。 決して先日資料を受け取った時の受付お姉さんの『またコイツ資料だけ取りにきたよ』という顔が忘れられなくて肩が狭い訳ではない。 「はぁ…もう良いわよ。さっさと仕事を終わらせましょう。  で?この高原のモンスターを調べるだけで良いの?」 物思いに耽る僕を他所に彼女は達観したように話を進める。 「そうだねぇ。この国の回りはほとんどが高原地帯だし、一通り全域を調べれば冒険初心者向けの本は作れるはずだ」 「そんなのこの国でしか使えないじゃない。いちいち全部の国の周辺を調べる気?」 「魔物生態辞典の書き直し。ってより、冒険初心者に向ける本だしね。  ちゃんと持ち歩いてる?」 そう言って僕は自分のバッグを叩いて見せた。中には体積の半分を占領する魔物生態辞典がしっかりと入っている。 だが肝心のドリーさんは目を丸くしたあと、小馬鹿にしたように肩をすくませた。 「あのね。冒険者なんて一人旅がほとんどなの。それなのにそんな重いもの持ち歩いて旅なんて出来る?  荷物になるし戦闘になれば邪魔以外の何物でもないじゃない。そういうのは事前に頭に叩き込む事にしてるわ。  …そうねぇ。その地方のモンスターでもまとめて小さな本にでもなってれば便利なんじゃない」 ……成程。要するに馬鹿正直に辞典を持ち歩いてる時点で僕は冒険者の素質はないらしい。 それにしても地方ごとまとめか。確かにそれならかさ張る事もないし、持ち歩くことにも抵抗はないだろう。 これが冒険者の目線というモノかもしれないな。 研究ばかりで石頭ぞろいの学者には気が回らないんだろう。 「あ、伏せて」 「わっ、ぷ」 本日二度目の物思いは、彼女の小声と上から押し付けられる意外な腕力にねじ伏せられた。 頭を地面に押さえつけられながら彼女のほうに視線で問いかける。 当のドリーは小さな唇に人差し指を当てたまま前方を警戒していた。 仕事の目つきだなと、僕にもわかった。尻尾は草むらに隠れるようにピンと立てられている。 うん、美しい。 「頭出さないで。ほら、前。野生の“ハヤテ”の群れよ。 ドリーさんの視線を追うと草むらから何かが顔を覗かせていた。 “ハヤテ”…街中などでも見かける事のある6本脚の小型の竜種だ。 小型と言っても竜である事には変わりない。何せ小さなものでも大人の肩くらいまでの高さがある。 彼らは人間に対して敵対意識を持っていないため、騎士団の騎乗用や荷車を引っ張るのに調教されたりで生活に密着している。 そういえば僕も野生を見るのは初めてかもしれない。 「どうもこの辺りに巣があるみたいね。これ以上近づくと警戒されるから、少し高いところから様子を見ましょう」 彼女の言葉に従い目の前で揺れる尻尾についてゆく。 そこは先ほどよりも海抜が高く丘状になっており、先ほどのハヤテの全身も見渡せた。 ドリーさんの予感は的中。 生い茂っている草は円を書くように踏み倒され、中央部には3つほどの大きな穴があった。 あれが巣なのだろう。中には白い卵のようなものも見える。 だがそれ以上に目を引くモノが僕の視界にはあった。 「二匹のハヤテが戦ってる?メスの取り合いってヤツかな」 「アレは両方メスね。ほら、周りを囲んでるハヤテより体が一回り大きいでしょ。それに見て、喉元。鱗が少し黒いの。  ハヤテは2〜3匹のメスを中心にハーレムを作って暮らすのよ。あれは差し詰め『下剋上』の途中かしら」 僕はバッグから双眼鏡を取り出すとハヤテのほうに向ける。 成程、確かに喉元が黒い。リーダーの奪い合いをしているのか。 見られてる事を知ってか知らずか戦いはヒートアップしていく。 噛みつき、体をぶつけ合い、時には第3,4肢でひっかいたりしている。 ……ここまで音が響く。これは人間が襲われたら一溜まりもないだろうなぁ。 「ハヤテはメスの方が体が大きいから、敵から群れを守ったりするのはメスの役目。  逆にオスは見張りをしたりエサを取ってきたりしてメスにつき従う」 「エサ、かい?人間とか」 「人間が襲われた話は聞いた事ないわね。彼らのエサは野生動物だって聞いたけど。  …まぁでも、あの数で襲われたらまず生き残れないわね。小さなオスでも大人3人分くらいの力があるから。  近づかなきゃ襲われる事はないでしょ」 「ここに居る分は安全って事だね。  それにしても結構危険な生き物だったんだなぁ。そんなのが街中に居るなんて」 「街中にいるのは比較的小さいでしょ?アレは全部オスなの。  大人しいし人間にもすぐ懐くから初級テイマーにも人気があるわね。  逆にメスなんて乗ってる騎士とかは注目の的――っていうか、なんで私が解説してるの?」 「いやぁー。僕、専門は亜人なもんで。ドリーさんは物知りだなぁー」 「…棒読みで褒められても嬉しくないのよ」 ジト目のドリーさんの視線を受け流し僕は目の前の戦いを見守る。 話を聞いてる間に決着がついたのか、一匹のメスは巣の上に覆い被さるように腰かけ、もう一匹は円の端の方で体を休めていた。 うーむ、野生の厳しさ。 『ギギャーッ!ギギャーッ!』 不意に耳に触る鳴き声が耳を突いた。 見張りのうちの一匹が草むらに向かって威嚇を繰り返す。 異変に気付いた他のハヤテたちも続々とその周辺へと集まりだした。 先ほど勝利を収めたリーダーのメスも巣から立ち上がりそちらを警戒する。 観念するかのように草むらから姿を現したのは数匹の“ゴブリンナイト”と手下と思われる“ゴブリン”が10匹ほど。 ここで説明しておこう。 と言ってもわからない人はいないかもしれない。 “ゴブリン”とは数多い亜人種の中でもかなり大きな部類に分けられる小人の事だ。 一口にゴブリンと言っても人語を解す者たちと解さない者たち。人間社会に暮らす者たちと野生を選んだものたち。分けだせばキリがない。 彼らは数多く且つ独特の文化を持ち、同じ亜人(しかも研究者)の僕ですらゴブリンの言語のすべてを把握できていないのだ。 さらに“ゴブリンナイト”とは戦場跡や弱った敗残者を襲い、剥いだ鎧や剣で武装した小亜人種の事を指す。これも定義が広い。 一般のゴブリンよりはタフで危険だが、身体能力に大した差はなくあまり恐れられてはいない。 大概は人間を襲う事もあり初心者の冒険者たちの良き練習相手のなる。 …まぁ、一対一なら。だけど。彼らは集団行動を好み獲物を囲むので、ナメてかかった冒険者がリンチに合う事もあるのだ。 一匹の力は弱くても、いや弱い故に彼らの団結力は強く、その統率力は高い。 と、僕の記憶にあるゴブリンはこういう生き物だ。が…。 「変だねぇ。ゴブリンが自分より数段強い相手を襲うなんて。  しかも相手は集団。巣にまで押し入って。自殺行為にしか思えない…」 「あら、あっちは詳しいのね」 「どうも一般的なガムゴブリン種みたいだね。頭は良いけど非力なゴブリンたちだよ。  さて、何するのやら」 思わぬゲストに鼓動の高鳴りを感じる。 僕はさらに双眼鏡に食いいり事の成り行きを見守った。