〜前回のあらすじ〜 僕の尻尾触りテクニックにドリーさんは骨抜きになったのだった。 触るか触らないか。そんなギリギリを見極めながらドリーさんの細い尻尾を指三本で囲うように撫でまわす。 指先が上下するたびにドリーさんの隠した口元から声が漏れる。 「……ふっ…ふッ、…んぁっ!」 「ほら、声を抑えちゃだめだよ」 さらに指の上下を激しくすると彼女は自分の肩を抱きながら身を震わせる。 「ダメ…これ以上されたらホントに…ダメェ…!」 「君の尻尾は喜んでるみたいだよ?ほら、僕の指に絡みついてくる。  ねぇドリーさん、君はこうやって上に撫でるのと――」 僕は言いながら彼女の尻尾の先端に向かって指を滑らせた。 「ふぁぁぁあああぁぁっ……」 ドリーさんは体を小さく震わせながら瞼を閉じて尻尾の感覚に翻弄された。 声は甘さを帯びたまま高くなり、余韻を味わっている。 僕は指が尻尾の先に触れた途端、再び尻尾の根元まで素早く滑らせ根元を強く摘まんだ。 「あああぁぁぁっ!」 「こうやって、根元まで滑らせるの、どっちが好きかな。  …って、聞くまでもないかな」 「つ、付根…お尻のとこぉ!イイのぉ……!」 「そうなんだ、それじゃ次は…」 そう言って僕は指を 「ねぇ。ブリード君?何書いてるのかしら?」 「いやぁ、全国尻尾愛好会誌の投稿コーナー用のハガキを」 「没収」 「あぁっ!僕の力作!」 「マジメにあらすじ」 「はいはい」 素晴らしい尻尾のドリーさんを雇った。 何か爬虫類のとこにチビが乱入した。 「以上」 「…………」 「あぁ!ぼくのハガキぃぃぃ!」 〜あらすじ終了〜 『ギィーッ!ギギャー!』 『シャァーッ』 喉の奥を鳴らすようにハヤテたちが口を大きく開けて威嚇する。 ゴブリンたちはその周りを右往左往しながらちょっかいをだし、一定の距離を保っていた。 やがてリーダーのハヤテがゴブリンたちに近づくと、すべてのゴブリンたちがそのハヤテを囲み始める。 そして囲むが早いか、ゴブリンナイトがその小さな体に不釣り合いな剣を振りおろしハヤテに襲いかかった。 しかしその斬撃は僕から見てもお粗末なもので、当のハヤテは悠々と回避。 さらにその隙にと噛みつこうと身を乗り出すが他のゴブリンに邪魔される。 野生の世界ではケガは即座に死に繋がる恐れがある。 ハヤテからしてみれば自分を食いに来た訳でもない格下の侵入者相手にそんな傷は負えないのだろう。 攻めきれないハヤテをゴブリンたちはお得意のチームワークで翻弄する。 しかし彼らも一定の距離を保ったままでそれ以上深追いをしない。 縄張りに侵入してきたのは彼らなのに進んで戦闘を行う様子はないようだ。 …ひょっとして。 「……やっぱり」 「へ、何がやっぱり?」 僕と同じように戦いを覗いていたドリーさんがこちらへ振り返る。 双眼鏡のあとついてますよ。 「ハヤテたちじゃなくて巣の方を見てみなよ」 「巣?……あっ、ゴブリンが卵を盗んでる…!?」 「どうやらこれが目的だったみたいだね、ほら」 僕が言うのと同時にハヤテの一匹が声を上げる。 それに気付いたリーダーのハヤテが振り返るが時既に遅し。 目的達成を確認したゴブリンナイトたちは囮の役目を完遂し草むらに飛び込んだ。 実行犯のゴブリンたちもとっくのとうに草むらへと消えていた。 草の背丈はゴブリンたちの身長以上ある。 草のこすれる音すら立てずに逃げていく彼らを追うのはハヤテでも厳しいだろう。 「狡いことするわねぇ。わざわざ命かけてあんな事するなんて」 「あんな事?…まぁ、確かにハヤテを相手に選んだのは些か危険すぎるねぇ。  でもこの自然界でゴブリンより格下の相手ってのも中々居ないのさ。  そんな世界で彼らが生きていくにはああいうのも必要だろうね」 「……急に饒舌になるわね。あの子たちだって人間と共存できないわけじゃないでしょうに」 「色々都合があると思うよー、彼らにも、ね」 言って僕はまた双眼鏡に視線を戻…。うん? ハヤテたちの様子がおかしい。 「どうしたんだろう。みんながみんな同じ方向見て固まってる?」 「…何かに気付いた?…あ、見て。何か巣に集まってる」 彼女の言葉通りハヤテたちは忙しなく動き始めた。 何やら順番に巣に頭を突っ込んでは交代している。あれは…。 「卵だ。前肢と中肢で抱え込んでる。卵を持ち運ぶ気なのかな?」 「まさか巣の移動?ゴブリンに襲われたくらいでそんな…」 僕たちの困惑を他所に、ハヤテは次々と卵を抱え込むと、卵を持ったハヤテから順番に駆け出していく。 ハヤテたちは皆一様に同じ方向へと駆けて行った。 やがてすべてのハヤテたちが居なくなる。 残されたのは住人不在の巣と、持っていかれる事のなかった卵たち。 おそらく卵の方が多くて持ち切れなかったのだろう。 「あっという間だったわねぇ…。一体どうしたのかしら」 「…ん?ねぇドリーさん、何か聞こえない?」 「へ?うーん…。……あ、ホント。これって…地鳴り?」 ドリーさんの発言は素晴らしく的を射ていた。 まるで音の地震。地面に集中すれば微かに振動が伝わる。…まさか本当に地震? 「音の方角は…ハヤテたちが逃げた方角と逆方向ね。これが原因なのかしら」 「反対ってことはあっちかな。……あれ?何か動いてない?」 双眼鏡の中に広がる景色。地平線の近く。 まるで海が割れるように、緑色の草原に一本の茶色い筋が走っていく。 いや、よく見ると茶色い筋のの先端には何か赤いモノが蠢いている。 「赤い…蟲?」 それは物凄い速度でこちらに近づいていた。 気付けばすでにその距離は地平線から肉眼で確認できるまでになっている。 「あれってまさか…嘘でしょ。竜蟲“ヴヴーグ”!?」 「竜蟲?何なんだい、アレ」 「生きてるうちに食ってない時間がないって位の悪食ドラゴンよ!口に入るものならなんでも食べる!  同族だろうが親子だろうが見つけた瞬間その場で食らう!首撥ねたって3分は口動かしてるようなヤツよ!  普段は森の奥に居て出てこないハズなのに…!」 余程想定外なのかドリーさんは爪を噛みながらヴヴーグを睨む。 先ほどの説明と彼女の様子から察するに、かなりの難敵のようだ。 そんな僕らに気付いているのかいないのか。 ヴヴーグはその大顎で地面ごと草原の草を抉り喰っていく。 なんと豪快な前菜の食べ方。 などと呑気な事を考えているとヴヴーグの足が止まった。 その場所はまさに先程までハヤテたちの屯してた巣のど真ん中。 ヴヴーグはその不気味な頭を躊躇なく巣の中に突っ込んだ。 卵だ。 まるでとり憑かれたように卵を噛み砕いて殻ごと飲み込んでいくヴヴーグ。 その様子を見て僕は全身に鳥肌が立つのを感じた。 “アレ”は命を喰らってなどいない。 自然界に生きるものは少なからずその摂理を享受し、奪う命に感謝を持つ。 それはどんな形であれ、この世界に住む“生物”が等しく持つもののハズだ。 “アレ”にはそれがない。 ヤツは自分を満たすためだけに喰っている。 空気を伝って流れてくる、傲慢な殺意。 そんなヤツと僕らの距離は目と鼻の先。 僕は至極当たり前の提案を持ちかけた。 「逃げよう。食べてるのに夢中になってる今のうちだ」 「ダメ。絶対に動かないで。草の葉一枚触れないで。  アイツ聴力はからっきしだけど、視力と嗅覚がハンパじゃないの。  まっすぐこっちに来たの見たでしょ?あの距離からハヤテたちを嗅ぎつけたのよ。  だからアイツが運悪くこっちに来ない事を願ってじっと待――」 「ドリーさん。アイツこっち見てない?」 「え゛?」 ドリーさんの声が裏返る。 そう、実は僕とあの蟲、さっきから目線がガッチリ噛み合ってる。 口元を卵まみれにした竜蟲と見つめあいながら動くことのできないこの苦行。 あ。アイツ今絶対こっちに動いた。 ―じり…じり…。 「ちょっ、ねぇこっち来てない?来てない?来てない?」 「なんで!?動いてないわよ私たち!“消臭丸”だってちゃんと飲んだし!」 「消臭丸?何それ」 「何ってアンタ。体の臭いを体内から完全に消す丸薬で、隠密行動には…必需、品…。  …ねぇ、ブリード君?アンタまさか」 ―じりじりじりじり。 「へぇー、そんなアイテムがあるんだねぇ。体臭が気になる人には持って来いだね!」 「ブリードくぅ〜ん。お姉さんちょーっと質問があるんだけど」 ―じり…ドス、ドス、ドス。 「…ひょっとして。飲んでないの?」 「いやぁ、やっぱ世間一般の事も知っとくべきだね!」 「アホーーーーーーッ!」 ―ドドドドドドドッ! ドリーさんの耳を裂かんばかりの怒号もかき消して、竜蟲がこちらへと走り寄ってくる。 ……そういえば、岩に隠れていたところをツインテールがはみ出して、パーティを全滅寸前に追いやった斧使いの話を聞いた事があったなぁ。 今回の僕の話もいつか武勇伝として語り継がれて…。 「飛んで!そっち!」 「うぉっとぉ!」 ドリーさんの合図で我に返り、こちら側へ突っ込んできた竜蟲の突進を寸でで避ける。 竜蟲は僕の服の裾を食い破り行き過ぎていった。 危ない。もう少しでさっきの卵たちとこんにちわするところだった。 だが安心するのも束の間、ヴヴーグは体をくねらせ見事なドリフトを披露すると僕の方へと近づいてくる。 それもそうか、臭いの元は僕だし。 竜蟲はその巨体を持ち上げ鎌首を掲げる。緑の多眼が僕を映し、竜蟲は大きく口を開けた。 そして大方の予想通り迫力負けした僕の腰は抜け、動くことなどできない。 頭の中に“死”の一文字が浮かび上がった。 『ゲゲゲゲゲゲッ!』 まるで笑い声のような鳴き声をあげるヴヴーグ。 持ち上げられた鎌首はゆっくりと伸び、僕の顔の数cm先に差し掛かった。 その時。 「鱗もないから売れないのよねアンタ。  ブリード、あとでボーナスもらうからね」 不快音を越えて耳に届いた透き通る声。 僕の視界を支配する醜い蟲の上を踊る影。 ドリー・ドロレッツ。 彼女はまるで曲芸師のように飛び上がり、竜蟲の頭上で身をよじった。 その両手には二本のダガー。 ドリーさんは竜蟲の頭部をじっと見据える。 その視線と彼女の細い体躯が、まっすぐに折り重なった。 四突。 空中。猛スピードで飛び越える最中、彼女はヴヴーグの頭部を正確に4度突き刺した。 ドリーさんがヴヴーグと僕との間に音も立てずに降り立つ。 それと同時にヴヴーグの巨体は糸が切れたように崩れ落ちた。 彼女は何事もなかったかのようにダガーをしまうと一息ついて話しかけてきた。 「はい終わり。こんなトコまで来るなんて、森のものでも喰い尽したのかしらね。  とりあえずこの事は騎士団に報告――」 「ドリーさん!後ろ!」 「!?」 僕の言葉に反応したドリーさんが振り返る。ハズだった。 しかし次の瞬間、僕の視界には彼女の姿はなく、映るのは薙ぎ払った尻尾を巻きながら体を起こすヴヴーグの姿だった。 そして僕はある事に気付いた。ヴヴーグに変化が起きている。 竜蟲は既に僕の事を見ていない。 ヤツの目は怒りに燃えるかのように赤くなり、反対に体はどんどん赤みを失っていく。 がさがさという音に振り返ると、草むらから体を起こしたドリーさんの姿があった。 どうやら無事のようだ。アルマジロは伊達ではないのかもしれない。 「嘘でしょ…。私のダガーには即効性の神経毒が塗ってあるのよ…。  4か所も頭刺されて平気な訳…!」 確かに僕も見た。しかも彼女のダガーには毒まで塗ってあるという。 それで動けるハズなんて…。 なら『何故動けるのか』…、まさか。 「まさか…いやでも、そんな…」 『ゲゲゲゲゲェッ!』 赤目のヴヴーグがドリーさんへと襲いかかる。 その動きは先程までとは比べ物にならない程速くしなやかだった。 しかしそんな事で簡単にやられる彼女ではない。相手の巨体を振り回し、小回りで翻弄する。 そのたびにヴヴーグの体をダガーで裂くのだが、動きが止まるどころか毒が効果を見せる様子すら見せない。 「まさかアイツの脳、ほとんど機能していない…!?」 脳からは体の各部へ動きを伝達する信号が送られている。 例え本能のみに生きる生物だろうとその信号が断たれて動く事はできない。 神経毒が回っているのならヤツはまさにその状態。いや、むしろ脳自体がマヒしていておかしくない。 それなのにヤツが動けるのはこの世界でいうもっと原始的な、そう、もっと根源的な。 「“事象”……事象派生龍…!?」 この世界で事象龍を知らないものはいないだろう。 生き物ですらない“事象”そのもの。この世界にとってある種神に近い存在。 だが実際には“生物である事象龍”が存在する。 事象に属しながら事象から外れ生を受けたモノ。“事象派生”。 生き物でありながらその生に自身の意思を持たないもの。ただ自身の事象を全うするもの。 ヴヴーグの脳は実際に機能していたのだろう。だから先程の攻撃を受け倒れたのだ。 だが自分の存在意義に近い“暴食”を邪魔されたヤツはその事象を発揮した。 生き物としての脳は切り捨てられ、事象を行うヴヴーグ。 だが、“生物”であるなら倒せる。でもヴヴーグが事象派生龍である確証もない。 これもあくまで可能性…! 「ドリーさん!心臓だ!それ以外は多分効かない!」 「………!」 声は届いた。ドリーさんはヴヴーグから距離を取りダガーを構え直した。 ヴヴーグは怒りに任せ一直線にドリーさんへと突進する。 大地が揺れる。ヴヴーグが大口を開けた。 その時、ドリーさんが大地を蹴り上げ宙に舞う。 次の瞬間、彼女の体は球体へと変化し勢いもそのままにヴヴーグの口の中へと飛び込んだ! 口の中に飛び込んできた獲物を当然のように飲み込むヴヴーグ。 ドリーさんが丸飲みにされた…。 ヴヴーグは喉を鳴らし、その頭を空へ向ける。 そして― 『ゲ、ギゲ…ボォォッ!』 耳障りな断末魔と共に、青空に鮮血が吐き出される。 ヴヴーグは再びその巨体を大地に横たえた。 僕は体に喝を入れそろそろとヴヴーグへと近づいた。 ……死んでいる、ハズだ。 状態は怒った時に見せた土色の肌のままだったが、瞳は明らかに光を失い呼吸は止まっている。 それでも驚くべきは未だに口が動き続けているという事だ。 …この生態も事象派生という事なら納得が行くんだけど。 ―ビクン 「ひぃっ!」 今間違いなく動いた!口じゃなくて胴体!生きてる!? ―ドブッ! 不意にヴヴーグの体から剣が生えた。いや、いくらなんでもそんなハズはない。 するとコレは…。 「ドリーさん!?」 僕が名前を呼ぶのと同時に、短剣は横一線にヴヴーグの腹を内側から裂いた。 その切れ目からか細い腕が二本。傷口をこじ開けさらにそこから美少女爆誕。 「ぷはーっ、死ぬかと思ったー!」 …前言撤回。さすがにいくら美人でも胃の内容物に塗れた子を美少女とは言えない。 「あーもー、くっさいよぉー。  心臓の場所わかんないから中から滅多刺ししたけど、当たったみたいね。  いやー、怖かったー」 「確かに心臓狙えーとは言ったけど、無茶苦茶するね…。消化されるよ?」 「あー、ホントね。ベルトちょっと溶けてる。  まぁ私が消化されなかっただけ儲けモノよ」 あははと笑って見せるドリーさん。 …僕も笑うべきなのだろうか。 「あーあ、それにしても骨折り損のくたびれ儲けだわ。  こんなの売れもしないしブリードからもらった護衛料じゃ割に合わないなぁー」 「はいはい、足しときますよ。ちょっと儲かるアテもできたしね」 事象派生龍の可能性。魔物生態研究所に報告すればどれくらいになるかな? 「ホント?やりぃーっ。  ……とりあえず体洗いたいわね。これじゃ街にも入れないし」 「たしか近くに池あったよね。“コココ果の洗剤”もあるからそこで体洗って街に帰ろうか。  さすがにヘトヘトだし」 「お、準備良いじゃない。さっさと行きましょー」 「それじゃ僕も汗かいたしご一緒し―」 「覗いたら殺すわよ」 「…残念」 さて、街で休んだらまた来ないと。 まだまだ調査は足りていない。 ここは僕の知らない事ばかりなんだから。 〜ブリード・モノクロアの報告。終了〜