サイオニクスガーデン 神谷狼牙SS     - 狼の誇り - 九月一日 午後九時五分 - 校庭>研究所 「遅いわよ狼牙! 五分前行動だなんて子供じゃあるまいし、一々言わせないで!」   予想通り、真弓の激が飛んだ。夜の校舎には当然ながら俺達以外には誰もおらず、  静かなものだった。 「わりぃわりぃ」 「まぁ、神谷は何時もどおり神谷ね」   鞍馬が云って笑った。 「よけーなお世話だよ」 「…まったく。じゃあ渡里、私と狼牙の手を握って」 「ドキドキ…」   渡里ははにかみながら恭しく俺の手を右手に、左手に真弓の手を握った。   そしてもじもじと手を動かして離そうとしない。   まるで手の感触を楽しんでいるようだった。    「渡里、もういいから。はやく千尋の手を握って」 「え? あ、はーい」   残念そうに云うと、ようやく渡里は俺達の手を離して千尋の手を握った。   それを確認して真弓は頷くと鞍馬のほうを向いた。 「オッケー。じゃあ千尋、お願い」 「じゃあそしたら…」   鞍馬はそばに落ちていた木の枝を拾いあげて直径60センチ程の円を描いた。   そして枝をぽいと投げ捨てると俺達を誘うように手を広げた。 「三人とも、この円の中に入って下さいな。飛ばすわ」   各自、円の中に入る。だが、三人入るとなるとなかなかに狭い。   俺たち三人は肌が密着するような形になった。   真弓がごそごそ動いて俺をにらむ。 「ちょっと、どこ触ってんのよ…」 「触ってねえよ。お前がこっちによっかかり過ぎなんじゃねえの?」 「ばか言わないでよ!」 「はいはい、真弓、私の能力についてわかってるでしょう?  三人を一つのものと認識できなきゃいけないの。はーい、もっと寄って寄って!」   仕方ないといった風を装いながら、明らかに楽し気に鞍馬は言う。 「…ふん」   言うと真弓は背中をこちらに押し付けた。渡里も真似をするように押しくら饅頭を始める。   二人の体重が俺によりかかる。真弓はともかく渡里は面白がっているようにしかみえない。 「おいおいそこまでやんなくても…」 「神谷もちゃんと協力しなさいよ」   鞍馬は相変わらず楽しそうだ。   しかし乗ってやらないと作戦が始まらない。   俺は腹をくくるとため息を着いた。 「しゃあねえ。んじゃいくぞッ」      俺も背中で押し返す。 「ちょっと! 強すぎるでしょ! ズレたらどうするのよ。もうちょっとソフトに…」 「あっ、神谷先輩ってば、激しっ」 「面白いからもうちょっとそのままにしておきたいけど、始めるかな。円から出ないでね」   鞍馬は瞼を閉じて集中し始める。俺達はまだ押しくら饅頭をしていた。 「ちょっと二人とも! 面白がってないで真面目に!」   真弓が叫ぶ。 「わ、私は到って真面目ですよう!」 「俺も大真面目だっ」 「はい、そろそろ飛ばしますよ。円から出ないように」 「いてっ!おい真弓お前今蹴っただろ!」「知らないわよ!」「は〜ん!」   鞍馬はまるで陰陽師が云いそうな呪文を唱えると、しゃがんで円に触れた。   瞬間に視界がぐにゃりと歪み、俺達は森の中に現れた。   それを各自が認識した所で、ようやく押し競饅頭が終わった。 「ったくもう! 行くわよ。ここから先は冗談しないで。命に関わるから。付いて来て」   真弓は大いに怒りを露にしながら小声で言うと、森の中を進み始めた。   俺達もそれに続く。真弓、俺、渡里の順番で歩く。   夜の森は当然のごとく闇が支配している。それは光ばかりでなく遠くで聞こえる遠吠えすら  闇が喰らっているような気がしてくる。雲に月が喰われている所為だ。   真弓は透視能力があるし、俺は割りと夜目の利く方だ。   渡里はほとんど見えていないらしく、背後から気に何かがぶつかる音とうめき声が何度も聞こえた。   余りにも哀れなので、とりあえず真弓を引き止めた。 「真弓ちょいと待て」 「なによ?」 「俺の後輩が現地に到着する前に額を割って死ぬかもしれないと思っただけだ、っと」 「にゃん!?」   渡里は抱き上げると珍妙な悲鳴を上げた。渡里は女子にしては身長のあるほうに見えるが、  意外と軽かった。 「くっ…この助兵衛がっ!!」   真弓が何故か切れる。誰が助平だ。失礼にも程がある。 「何キレてんだよお前は。さっさと目的地に着かにゃならん。後ろに気を配りながら歩くのだって面倒だし  放ってもおけないしだ。  だからと言って子供じゃあるまいし手を繋いで歩くのも変だろう」 「…じゃあ、あんたは大人だっていうの!?」 「おいおい、何の話だ?」 「…勝手にしなさいよ!」   そう言い放つと真弓はずんずんと先を歩き始めた。まったくわけがわからん。 「何怒ってんだ、あいつは…?」 「神谷先輩って、鈍感?」   見ると渡里が今にも噴出しそうな顔をしていた。 「はぁ?」 「いえいえ、なんでも〜」 「………」   落っことしてやりたくなったが耐えた。   黙々と、草の根を掻き分けて足を進める。   十数分ほど道なき道を歩いていた。   やはり研究所の傍に出ると危険という事からか、少し離れた場所に飛ばされたらしい。    「んふっ」   渡里が鼻をふくらませて言った。 「んあ?」 「あ、いいえ、神谷先輩って、いい感じに男臭くていいなぁって」 「はぁ…?」 「えっと、なんていうのかな。フェロモン?」 「お前はあれだな…ちょっとアイツに似てるな」 「だ、誰ですか?」   何を期待しているのか、渡里は瞳を輝かせた。 「一ツ橋」   高等部一年一ツ橋希。校内トップクラスの変人だ。 「ののちゃんですか…それは普通にショックだなぁ…」   本当に傷ついたらしく、引き笑い気味に明後日の方向を向いた。   少し申し訳なくなるくらいの凹み様だった。   暫く歩いたところで、真弓がこちらを振り返りもせず、手で制した。   渡里は相変わらず見えていないらしく首をかしげているが、大きな建造物があるのが遠めに見えていた。 「…おかしいわね。誰も周囲にいない。特にトラップも無いみたいだし」   呟くように云って、真弓は身をかがめて進む。念には念を入れ、警戒しているのだろうか。   そうして進んで行くと、特に何事もなく研究所に辿り着いた。   そこでようやく渡里を地面に下ろす。運動部員らしく綺麗に着地した。   真弓は研究所の壁に振れながら丹念に調べていく。俺達にはただ壁があるだけに見えるが、  あいつには中身が透けて見えているのだろう。   何も見えはしないが、俺も同じように建物を見上げた。   異様な建物だった。   森の中に在る近代建造物の異質感。ただそれだけではなく、窓が見当たらなかった。   これは、箱だ。それも巨大な。そんな印象を受ける建物だった。   ここからは窓が見えない為に余計にそう見える。その箱は学園の校庭いっぱいほどの大きさが在るように見えた。、   森の中にこんな物があればどこぞの誰かが発見していそうなものだ。   そんなものが今更こっちで発見されたという事はなんらかのPSIで隠されているのだろうか。    「…ビンゴ。ツいてるわ、私たち」   真弓が壁を見上げながら云った。 「おいおい、突然なんだ、エンガチョな奴だな。俺はなんもついてねーぞ」 「わ、わたしも何もついてません!!」 「だよなぁ」 「アンタらねぇ、まじめにやりなさいよ! ったく。仄香、見つけたわ。  そう遠くは無い。貴方たちには見えないでしょうけど。今、侵入経路を探ってるから…」   真弓はそう云うと、壁を念入りに調べ始めた。   それが終わるまで、俺たちは何もする事がなかった。    「月、綺麗ですね」   渡里は月を見上げて云った。   俺も釣られて見上げた。   満月だ。何を持って綺麗とするかは人それぞれだが、それほど綺麗とは思わなかった。   雲が多く、今にも雨が振り出しそうだったからだ。   満月は瞬く間に雲に喰われてしまった。   その瞬間、視えた。だが、遅かった。 「ぎッ…んぐッー!!」   声のした方――真弓を振り返る。   真弓は背後から忍び寄った男に腕を取られ、瞬時に腕の間接を外された。   苦痛に悲鳴を上げようとする真弓の口に指を挟んで沈黙させて羽交い絞めにした。   そいつは、中肉中背で黒髪のオールバックで綺麗に切り揃えた口ひげがあり、  何の変哲も無い茶のスーツを着ている中年の男だ。   その姿は、待ちですれ違ってもその顔を思い出せないであろうほどに特徴が無く、平凡だった。   もしこの男が今、真弓を拘束していなければ、森に迷い込んだサラリーマンだと勘違いしていたかもしれない。   在りながらにして稀薄な存在感。まるで空気のような男だった。   渡里はそれを見て腰を抜かし、尻餅をついた。   男は口を開く。   俺は男が何か云うのを待たず、そちらに向かって飛び込んだ。   そして真弓のわき腹を左手で掴むとその背後にいる男に向けて右掌打を打ち込む。   男は真弓をこちらに突き飛ばし、身を引く。俺は真弓を抱えると地面にゆっくりと下ろした。   真弓は外され、あらぬ方向に曲がった肩を押さえて呻いた。   即座に攻撃に転じたのは、真弓の身がどうなろうと構わない、というわけじゃない。   人質として交渉道具に使われる前に奪還する為だ。   無表情だった男が、口元を吊り上げてにたりと笑みを浮かべた。   それすらどこか、無機質に視えた。 「善い、動き。退屈凌ぎ、には、丁度いい、ですね」   男は一見すると違和感はないが、独特の語調で喋る。日本人ではないのだろう。   よく見ると顔も大陸系寄りだ。中国人だろうか。少なくともこれは云える。   こいつはかなりの使い手だ。まるで流れるように自然に当然のように真弓の腕をへし折って  拘束した事もそうだが、真弓は透視して先に辺りを窺っていたにも関わらず、この男が見えていなかったのだ。   この慎重な真弓が見過ごす事など普通に考えるとありえない。   そして、何より――    「あんたもな。初めて会うにしては気が合うじゃねぇか、おっさん」   俺は人差し指を曲げて挑発を行う。 「こいよ、おっさん」   ――この男、八卦掌の使い手だ。   男は挑発に乗り、足を地に滑らせるように這わせて近づくと、牛舌掌(五本の指を揃えた状態)で  突いてくる。当然、予知によりそれは視えている。   俺は相手の内側に潜り込んで、顔面に鈎手(手首を折り曲げて指を下に向けた状態)を打ち付ける。   男の頬に鈎頂(手首の間接)が触れた途端、ぞくり、と悪寒が走った。   沼でも打ったかのような感覚。頬を打たれ、俺とは間逆の方向を見ているこの男の顔が、哂っている事が  なんとなく解かった。   俺は嫌な予感がして、とびずさった。   男はまるでスローモーションをかけているように、ゆっくりとこちらを向く。   気味の悪い男だ。何を企んでいる?   男が先に打つ。俺が先を読んでカウンターで返す。それが幾度か続いた。   俺の拳は中年男一人打ち倒せないほどにやわになったのか。そう思うほどに、男はダメージを感じさせない。   実際、考えてみるとこの男の手が読めない為に、強く打ち込めずにいる。   拳が見えるのと、手が見えるのとでは大きく違う。誰と相対するにしても最初は未知数であるが、  この男は全てこちらの手を飲み込んでいく闇のような深さがある。   そして何より、この男のほうが技量は上だ。なめてかかると痛い目にあうだろう。   他の武術と同じく、八卦掌には流派が幾つも存在する。   特に、尹派、程派という二つが二大流派であるらしい。   しかし、程派は幅広く広まり日本でも学ぶ事も可能だが(じっちゃんが教えているのもこの程派)  尹派は殆ど見ることが出来ない。中国本土でも余り教えている所は少ないようだ。   その理由として、尹派の特徴が挙げられる。   尹派と程派は同じ八卦掌においても全く異なった武術だ。それは動きが違う、といった事も当然であるが、   程派を柔とするならば尹派は剛の技であり、敵を瞬時に殺す事を目的としている。   一般層に殺傷術は広まり辛い。隣人にそんな物騒な技の使い手がいたら落ち着いて眠れないだろう。   そして俺が使うのは程派、この男が使うのは尹派。   一歩間違えば、この男の一撃で死に至る。   とは云え、俺には予知がある。試合ならばともかく、今は作戦中だ。   PKも含めて己の能力となる。決して手抜かりはしない。   見えていれば当らない。じっちゃん程の使い手となれば話は別になってくるが。   だが、俺の傲慢を他所に、男は哂った。 「そうか、解った。それが、貴方の力、ですか。  それを抜きにしても、素晴らしい、動き。  しかし、次で、終わり、でしょう」 「そいつは面白い冗談だな」 「その若さで、それだけの、技を持つとは、なかなか、将来有望です。  それを、刈り取る。勿体無い、が私の仕事です。  貴方の名前、聞いておきましょう。その名は、私の、殺傷者の目録を連ねるに、足る」 「偉い自信だな。大見得張るのは自由だが、名前は尋ねる前に名乗るのが礼儀ってもんだぜ」 「…白龍(バイロン)。貴方たちを、白く、無垢に染め上げて、喰らう」 「洒落た名前だな。俺は神谷狼牙だ」   云い終えると少しの間をおいて白龍が右手で牛舌掌を放つ。   視えている。相手の内側に潜り込んで避ける。   次は体をひねり左手でも突いてくる。それを右手で払って顎に掌打をぶちかます。   はずだった。   男の左手に右手が触れた途端、強い悪寒を感じ取った。男の左手は瞬時に蛇のように俺の右手に絡みつく。   強烈な違和感。それが何かに気付く前に、男は放っていた右手をぐるりと回し、掌打を俺のわき腹に打ち込んだ。    「げぅっ」   まるで大木を打ち込まれたかのような衝撃が脇から背中に抜ける。体が後方に飛ぶ。   このまま一旦距離をとって受身を――   しかし白龍の左手と俺の右手は強力な磁石と化したかのようにぴたりとくっついて腕以上の長さを離れることなく、  体を引き戻された。   脇腹を打った掌がくるりと返り、手の甲が顔面に近づいてくるのを肉眼が捉える。   ゆっくり、ゆっくり。   だがこの体勢では避けられない。 「おぶッ」   顔面にハンマーのように重い一撃が入る。   なにかが変だ。いつものテンポが崩されたからか。   体が自然に動かない。   思考を巡らせている間にも白龍は動く。   左手で俺の右腕を俺の体に押し付けると右手の牛舌掌が制服も皮膚も貫きアバラに突きささる。   骨が鈍い音を立てた。焼け付くような痛みが走る。    「ぐぎッ」   強引に右手でそれを払うと地を蹴ってその場を離れる。   視えない。視えない?   そんな馬鹿なはずがない。 「ろ、ろうがっ…撤退よ…! はやく、こっちに…ぐっ…!」   もはや泣き出しそうな表情の渡里に支えられた真弓が、肩を抑えながら苦悶の表情を浮かべて云う。   外された肩が痛むのか、額にはじtっとりっと脂汗をかいている。   俺は白龍に向き直った。 「お前たちは先に…帰れ。俺はこいつをぶちのめしてから仄香を救出するさ」 「一人だけで出来るわけ…! 狼牙ッ!!」   真弓の激を他所に構えなおし、白龍に対し円を描くように接近する。   股を締めやや腰を落とす程派の歩行とは違い、白龍は自然歩と呼ばれる通常の歩行に近い姿勢で歩く。   この男にはどう勝てばいいか。それだけを考えていた。   次はこちらから打って出る。掌を伸ばす。   視えている。俺の手を返す白龍の掌。それを逆に返して――   互いの手が接触する。   視えない。   だが、肉眼は捉える。掌を。   次の瞬間には俺の掌は弾かれ、視界が落下し、首元に衝撃を感じた。   遠のく意識の中で、いつの間にか振り出していた雨音がやけに大音量で聞こえていた。 ──────────────────────────────────────────────── 九月二日 午前十二時十五分 - PG医務室    「っつ…」   痛みで目を覚ます。   肋骨辺りが強烈に痛む。   見下ろすと包帯が巻かれている。   痛みに歯を食いしばりながら、体を無理矢理起す。   辺りを見回すと、病的なまでの白い壁がいやでも目に入る。ここは医務室だ。俺はそこのベッドで寝ている。   壁にかかった日めくりカレンダーが2と自己表示している事から今日は九月二日である事がわかる。   少しぼやける頭で昨日の回想を始めたところで、ベッドの脇に立つ人物に気がつく。   長い金髪をアップにまとめている白衣姿の女。保険医、西東 圭子。   やたら不機嫌そうな顔をしている。俺が憎くて仕方ない。そんな風に見える。なんだ?   視えた。やばい。しかしこの状態で避けられない。   圭子の右手が動いた。 「もがぁッ!!」      俺はわき腹に走った激痛に身もだえしながらベッドからころげ落ちた。   激痛の原因は圭子がわき腹に打ち込んだ拳が原因だ。   何を考えてやがるこの女は。   睨み返そうとした時、圭子は俺の抗議を許さない鬼の形相で俺をにらみつけていた。 「おいこらァ小僧ぁぁ!! 目ぇ醒めたらとっとと出て行きやぁれ!!  こちとら昨日夜中突然治療に呼び出されて来てみりゃあそれがかわゆい子ならともかく  でか女にむさ男!! 女の方はさっさと帰ったが男は?ちっとも起きやせん!!  お陰さまで朝来てからも保健室はいなくてもなんとかなるからお前についてろと云われ  ちいとも面白げも無い貴様の顔を見続けてはや数時間!! いい加減その面に焼き鏝でも押してやろうかと  思っていたところだ!!  もしこの間に保健室へいたいけな少年少女が来ていたとしたらお前を殺す!!」   圭子は恐ろしい剣幕で吠え立てる。このまま留まれば本当に殺されかねない。   なんとか取り繕って逃げねばなるまい。 「おちけよ西東先生。誰も変態のあんたに好き好んで診てもらいには来な」     全て言い終える前にふと圭子の顔を見た。その瞬間全速力で逃げる。後ろからわめき散らす声が俺を追い立てていた。   俺は学んだ。人は事実を突きつけられるとキレる。   気をつけよう。   ちなみにあの場にあと数秒留まっていれば俺の命は本当に危うかった。これから保健室にも近寄れない。   どのみちあの女がいる限り、俺たちにとってはあそこは憩いの場所ではないのだから別に行く必要も無い。   俺は屋上に逃げ延びたところで、ようやく一息ついた。    「狼牙ァっ!!」   声と同時に井伏がいつもどおり定位置の貯水タンクのある屋根の上から飛び降りて俺の傍に降り立った。 「よう」   俺は振り返ると手を上げた。 「よう、じゃねえだろ! お前が作戦で死に掛けたって!」 「誰が言ったのか知らなねーけど大袈裟なん…っ」   わき腹が痛み、俺は手を添えた。 「大丈夫かよ…? ヒーリングは万能じゃないしな…波長が合わないと治りきらないし」     だから肋骨に大木が突き刺さったような痛みが残ったままなんだな。下手すると酷くなってるかもしれん。 「波長は全然な合わなかったらしい。肋骨が心臓突き刺さってるんじゃないか?」 「お、おいホント大丈夫なのかよ!? 誰がヒーリング担当だったんだ?」   名前と医務室での出来事を話すと井伏は爆笑してあたりを転げまわった。 「おい、笑い過ぎなんじゃないか?」 「ひぃ、ひぃ…まあ、サイトー先生が担当だったら治りきるわけないわな。  むしろ本当に治療してくれたのかも怪しい所だ」 「だな」   俺はうなずく。 「お前、へんなおっさんにボコられたって?」   そう伝わってるのか。 「そうだな」   それ以上追求されたくなくて俺は短く答えた。 「そうか」   井伏は短く答えてそれ以上追求しなかった。 ──────────────────────────────────────────────── 九月二日 午前十五時十五分 - 高等部三年教室 「待ちなさいよ、狼牙」   教室から出ようとした所で、真弓が引きとめた。 「なんだ?」   振り返らずに答える。    「なんだ、じゃないでしょ。作戦の結果報告。しなきゃでしょう」 「俺はいい。そっちだけでなんとかなるだろ」 「ならない! 普段の作戦ならまだ良い。ダメだけど。今回のは特別な任務だった。  妙見先生が無理して今回の準備をしてくれたのを忘れたの? あまり無責任な事ばかりしないで」 「わかってる。報告する事なんざ一つだけだろ。俺が、弱くて、あの男に負けた。それで失敗した。  それをわざわざ四人で雁首そろえて行くのか? 俺はごめんだね。面倒くせぇ。  処分が降りたらそれだけ後で教えてくれ。じゃあな」   背後でがちゃと何かを掴む音が鳴る。次の瞬間にはそれが飛来し俺を通り過ぎて壁に直撃、床に落下してちらばった。   ペンや消しゴムだった。真弓が筆箱を投げたのだろう。俺はそこでようやく真弓を振り返る。   真弓も波長が合わなかったのか、腕を包帯で吊るしている。   真弓は肩を震わせ、怒っているのか、泣いているのか、わからない表情で俺を睨み付けている。    「いつもいつも、自分勝手で!! 私の云う事なんてなんにも聞いてくれなくて…!  渡里のテレポートが遅れてたら私たちは今頃捕まってたのよ。  今回も私の指示を無視して……あの時だってそうだったじゃない!」   あの日。仄香が連れ去られたあの日。   緊急出動で、現場は火災の発生した豪邸。   NEXTが取り込もうとしたが拒否した為に襲撃を受けた。   真弓は襲撃そのものに違和感を抱き、敵の追撃をやめて撤退するように云った。   俺は聞かずに逃げた敵を追い、俺はPKの不意打ちを受けて倒れ、サポートに着いて来た仄香は捕まった。   援護にかけつけた真弓のお陰で俺は助かったが、仄香は攫われた後だった。   どこを取っても俺の完全なミスだった。   一年以上経っても尚癒えない大きな傷口だった。 「ああ。あの時も俺が悪かった。不意打ちに対応できないなんてな。  今回もあのおっさんに負けた俺が全て悪い」 「そういう事云ってんじゃないでしょうっ! もうっ…どうしてあんたはいつも…!  もういいっ!!」   真弓は俯くと俺の肩を突き飛ばして教室から出て行った。見なくても泣いたいたのがわかる。   教室中全ての視線が俺に集まっていた。   これ以上教室にいる理由も無いので、教室の鴨居をまたいだ時、肩に電流が走った。   振り返るとクラスメイトの来真 通の左手が俺の肩をがっちりと掴んでいた。   長身、銀の長髪、隻腕、広島弁で電気操作能力を持ち、常に帯電している為に近寄ると感電する。    「なんだよ」 「神谷ぁ、ちびぃと面ぁ貸しゃれや」 「ああ? おブッ」   通の頭突きが俺の顔面を捉え、俺はよろめいて机に手を突いた。   体勢を整えようとする前に、通の拳が腹にめり込んで俺は飛び、いくつもの机をなぎ倒した。   同時に女子の悲鳴があがる。   通は空手をやっているだけあって、その鍛えられた拳は鋼のように硬い。   とは言え、今までこいつの拳には掠った事すらない。今日はまったく、どうかしてる。   弾丸に腹筋を貫かれて内蔵をえぐられたような感覚に襲われる。    「わりゃー恥ずかしゅうないんか?」   吐き気を堪えながら、通を睨む。通は張り付いたような笑顔を浮かべていた。 「何がだよ」   通は静かに怒りのオーラを発しながら詰め寄ると、床に座り込んだままの俺の胸倉を掴み、片手で(当然ながら)持ち上げた。                               「云わんとわからんけ。女ぁ泣かしょって恥ずかしゅないんか。ふーがわりぃんじゃわりゃ」 「知るかよ。俺はひとつも暴言吐いてないぜ。あっちが勝手に泣いたんだろ」   通は一瞬、体を強張らせると、手を離した。 「ぶしゃげってけーや」   通は低い声で唸り、手招きする。どうやら打って来い、という事らしい。   俺は遠慮せずに掌打を打ち込む。通は微動だにしない。連続で叩きこむ。   まるで鉄柱を相手に組み手をしている様だ。 「なんたら感じんのぉ」   来る。 「おぐッ…!」   ハンマーのように重い一撃が腹を打ち抜く。   俺の体は教室の壁に激突してから落下した。   幾度か嗚咽した。   ゆっくりと、通が近づいてくる。   以前やりあった時は勝った。なのにここまで通じなくなるものなのだろうか。 「いじめてんの?」   通の後ろから、ひょっこりと小柄で桃色の頭が顔を覗かせた。   同クラスの女子、真山たま。この状況を把握しているのかどうか不明で、眠たそうな顔をしている。 「おう、たまたま、ちびぃとさがっとれや。怪我しょるぞ」 「私も混ぜて」 「お、おい」   真山は通の静止をするりとかわし、俺の前に立ちはだかった。   流石に、俺もこれにはどう対処すれば良いかわからない。   真山はお構い無しに、人差し指を立てた。 「一発」 「はぁ?」 「一発でダウンさせる」   どこからその自信が沸くのか不明だが、真山は言い切った。   俺は立ち上がって小さな真山を見下ろす。    「…手加減した方がいいのか?」 「馬鹿にしてる? 私、体育の長拳、成績いいし」   溜め息が出る。ガキの頃から俺は八卦掌を学んでる。   年期が違う。馬鹿にしてんのはどっちだ。 「怪我してもしらねぇぞ」 「………っ」   不意打ちとも言えるタイミングで真山は動く。   確かに成績がいいのは嘘ではないらしい。構えから行動までの動きが素早く滑らかだ。   とは言え、避ける事くらい簡単だ。   俺には視える――   小児用にしか見えない、くま柄のパンツが。   それはまるで呪いの様に俺の視野に張り付き、行動を奪った。 「なっ…おぶっ!?」   真上に振り上げられた真山の足は、バネが一気に閉じるように戻り、俺の顔面を捉えた。   大した威力を持つ蹴りではなかったというのに、俺はそのまま大の字に倒れた。 「なさけのぅの」   通が呆れた顔をして言った。 「そうだな」   俺は天井を見上げたままで返した。 ──────────────────────────────────────────────── 九月二日 午前十六時時九分 - 商店街   本来ならあの後、そのまま結果報告に出るべきだったのだろう。   頭ではわかっていても、どうにもそんな気分にはなれなかった。   俺は学校から出て、特に宛てもなくぶらついていた。   気がつけば、商店街まで降りていた。   うちの生徒もいれば、地元の中学や高校の生徒もいる。   ちなみに内の学校は公には存在せず、学園長・六堂寺龍策の強力な幻覚能力によって、関係者以外には見る事ができない。   関係者以外の人間が迷い込もうとすると別の道を幻覚で見て、知らぬ内に学園から離れてしまう。   うちは政府の高官や警視庁の上層部とも絡みが一応あるらしいが、存在を知っている人物は僅かで、  一般の警官等は当然その存在を知らない。   とは言え、身分を証明するものは必要である。しかし「サイオニクスガーデン」と書かれた生徒手帳を有用事に  見せるわけにはいかない。   かわりに、六堂寺学園と呼ばれる架空の学園名が記された学生証を持たされる。   つまり、PG生は二つの生徒手帳を持つ事になる。ひとつは本物のPGの生徒手帳。もうひとつは偽の六堂寺学園の生徒手帳。   この六堂寺学園、当然ながら存在はしないが、何故か付近の住民は誰もが知っている。   実際には何もない空き地なのだが、幻覚によってあるように視える。   誰もが知っていながら特筆すべき事も無い学園であり、誰も興味を抱かない。複数の教員や学園長の強力な  幻覚により、それが成り立っている。   この学園長、六堂寺というのは自称魔術師の胡散臭いおっさんで、幻覚を利用していつも派手に登場する。   やたら大袈裟なのでうざい事このうえないおっさんではあるが、学園を隠す為にここから離れる事ができないという。   学園から離れられない…それだけじゃない。常に、力を発動させ続けている。   交替していたりするのかもしれないが、常人ではできない事をやってのけているには違いない。   この学園が在りつづける事ができるのはそのおっさんのお陰であるという事である。 「なぁ、いいじゃん」 「困ります…」   ゲームセンターあたりに差し掛かった所で、わかり易いヤンキーが、わかり易い大人しげな美少女に絡んでいた。   両方とも内の学生ではない。   憂さ晴らしに殴ろう。   指をばきばきと鳴らし、俺もわかり易く仲裁に入ろうとした時だった。 「ちょっと、やめな! 嫌がってるだろ」   先に誰かが、とてもわかり易く仲裁に入った。   仲裁に入ったのは、ボーイッシュなイメージの、ショートヘアで健康的な小麦肌の少女。   ただ、制服からしてうちの学生でもなければこの近隣の学校の生徒でもないらしかった。   わかり易いヤンキーは仲裁に入った少女を睨みつけ、顔を醜く歪ませる。 「なんだよお前には用はねぇの。消えろ――」 「ゥ――アチャ――!」   ヤンキーが胸元を手の平で突こうとした途端、少女は怪鳥音と共に条件反射でその手を左手で弾き、  右の甲をすかさず頬に打ち込む。次の瞬間には左の掌底を顎、一歩後方に引いた後に上段回し蹴りを顔面に叩き込んだ。   ヤンキーは見事に飛んでプリクラ機につっこむ。   この間、わずか数十秒。殆どの人間には何が起きたかわからなかっただろう。   恐らく、蹴りくらいしか見えていない。    「おいおい、魁子。彼らはどこで見張ってるやもわからないと言うのに、大事を起さないでくれたまえ」   後ろからふんわりと浮いた金髪がどことなく銘菓ひよ子を思わせる少女がその後ろから顔を出して  仲裁に入った少女へ苦情を言う。   どうやら彼女の、仲裁に入った少女の名前は魁子と言うらしい。 「狐狗狸、お前はともかくあたしは我慢ならないんだよ、こーいうの。  君、大丈夫だった? 馬鹿の発する汚い何かが付着したりしなかった?」 「大丈夫、でした。ありがとうございます、助かりました。それでは」   助けられたお姫様は、助けに来た王子(王女か?)がそれはそれで変人だと感じ取ったのか、  周囲の注目を浴びているのが恥ずかしかったのか、頭を何度も下げながら逃げるように立ち去った。 「ほら、助けてもあまり良い事は無い。彼女は助けてくれはしたものの、それほどまで感謝する訳でもなかっただろう。  それもその筈、君が何時も発するけたたましいグワイニャオンは多くの者をどんどんドン引きさせるからね。  ちなみに興味が無いので僕は知らないがブルース・リーはグワィニャオンを映画で使っていただけで  実際は使っていなかったという話だ。それはともかく。  どうせ放っておいても見た所治安のよさそうな町だし、魁子の様な怪奇!ケツァコアトルボクサー!が助けに入らずとも  あちらの獣っぽいワイルドウルフが助けに入ろうとしてくれていたんだよ。  そうすれば、あの逃げた美少女も彼にホの字で万事納まっていた筈だったのに。  なぁ、色男?」   狐狗狸、と呼ばれた少女は饒舌にぺらぺら喋り始めると俺に視線を向け、ずかずかと近寄った。   魁子は俺を横目で見ると警戒した顔で狐狗狸と呼ばれた少女を引き止めた。 「なんだよ、けつぁこ…なんとかボクサーって。この人と知り合いなのか?」   狐狗狸に耳打ちをして魁子は言う。丸聞こえだが。 「ケツァコアトル。伝説の怪鳥だ。怪鳥音なだけに。そこまで説明が必要だったか。  ちなみにこんな色男、知らん」   狐狗狸は耳打ちへの返答を隠す様子さえない。 「なんでこいつ…この人が助けに入ろうとしたってわかるんだよ」 「簡単な話だ。とてもわかり易く、指をぱきぽきと鳴らしながら好戦的な表情で先程のヤンキーに近寄っていたからな。  どう見ても、殴ろうとしていた。彼が指を鳴らしながらヤンキーに近づくだけ近づいて結局何もせず立ち去る、  というようなネタを持つお笑い芸人なら話は別だが。  そういうわけではなさそうだ。  僕の名は天才・猫神狐狗狸。よろしく、ええと、ウルフマン。  後ろの怪鳥ランフォリンクスは個体名を一本槍魁子と云う。  それはともかく、ここでは注目を集めすぎる。  ちょっと移動しようじゃないか、ウルフマン。君に少し用事がある」   この猫神という女、大層変な奴だ。信じがたい事に一ツ橋以上かもしれない。   君子、危うきに近寄らず。俺は何も言わず立ち去ろうとした。 「用事があると言っているだろう! 僕は君に用事があって困っている。わかるかな。  君でなくてもいいんだが、君が今、一番丁度いい。それとも何か、美少女しか助けないという派か。  僕が美少女でないというのはわかるが、そこまで捨てたものではないと客観的に思うぞ。そこそこは端整だ。  魁子、なにボサっとしている。この男を誘拐するぞ」 「えぇ!? なんでそうなるんだよ、その、探してるところに関係あるのか?」 「恐らく大有りだ。早くこい、ウルフ。くれば乳くらい触らしてやってもいい。今なら魁子もつけよう。  互いに触るほどのものではないが」 「余計なお世話だヒヨコ頭っ!! それよりあんた、来いっ!」 「あぁ!?」   俺は抵抗する間もなく二人の変人によって連れ去られ、気がつけば町を流れる川辺の土手まで来ていた。   そこでようやく二人は停止し、俺を振り返る。 「ちなみにさっきの指を鳴らすパキポキ動作の事だが」 「ああ?」 「君が本当に拳の事を大切に思うのなら止めておいたほうがいい。  アレは気持ちいいのかもしれないが、あの軽快音は体内で発生した衝撃波の音で、  その衝撃波は指の軟骨や靭帯を痛めるんだ。酷くなれば障害が出る。  僕は興味が無いので詳しくは知らないのだが」 「そ、そうか…ありがとうな。出来る限りやら無いようにする。  で、何の用だ?」 「麻生奏詠」   何故その名前を知っているのだろうか。   それは俺が考えても解る事じゃない。言うまでも無いが俺達は学園についても生徒についても守秘しなければならない。   麻生奏詠とは、高二の学内では有名な女子だ。 「はぁ?」   出来るだけ平然を装って返す。こういう時は、出来るだけ何も言わないのが得策である。 「ほう。あれだけの美少女が学園内に居ながら君は知らないのか?  それはないな。それとも、何か、その――ええと、君は本名をなんと言うんだ、ウルフ」 「谷山龍之介」   テキトーな名前をでっちあげる。 「すごくうそ臭いがとりあえず今は谷山…いいや、龍之介と呼ばせてもらおう。  龍之介、報酬は前払いの方がいいという事か?」 「何の話だ?」 「先に乳を触らせろと言う事か」 「あほか!あたしはやらんぞ!」   魁子は叫んでやはり少女らしく、両腕で胸を隠すような動作をした。   俺も別に触りたくは無かった。   というより、どこを触れと言うのだろうか。 「足りないなら尻もつけよう。ほぼ骨だが」 「お宅ら、ドリフは他所でやってくれ」   俺が踵を返そうとすると、ヒヨコ頭が俺の腕を掴んだ。 「報酬はともかく、ここへやってきたという事は僕の助けになると承諾したと言う事だろう。  何も助けずに行くのは契約違反だ」 「俺は何も契約なんてしちゃいねーよ。勝手につれてきておいて何言ってんだ」 「まぁ、その、怒るな。君のようなタイプは報酬なんぞにさほど興味が無い事位は承知している。  ちょっと場を和ませようとした僕流の冗句さ。  ちなみに、麻生奏詠というのは、僕のTOMODATIの名前だ」   どうやら俺の知っている麻生奏詠とは違うらしい。 「そうか」 「ほっとしたね?   一般市民である僕の友達である麻生奏詠という人物は、一般市民である僕の友達なのであるからして同じく一般人であり、  自分の知っている麻生奏詠ではない、同姓同名なだけだと。  ならば何も隠す必要もなく、ここにいる変人の質問を適当にはぐらかせば万事、秘密は守られると。  だが、実はそうではない。  ウルフ龍之介、君は超能力機関の人間だろう?」   意外と学園の秘密はザルなのだろうか。それともこいつが新手の超能力者なのか。 「悪いが、俺は暇じゃない。これ以上お前の珍妙な能弁に付き合っていられないよ」   再び俺は立ち去ろうとした。 「待てというに。この写真を見たまえ」   ヒヨコ頭が写真を差し出す。そこに映っていたのは、建物の影から出てくる奏詠と、同級生の岸峰。   写真を撮られるとは、ミスりやがってあいつら。 「なんだ、アイドルが男と逢引してたってスクープか何かか?  それにしちゃあこの写真の場所はラブホテルには見えないな」 「良い推測だ。不正解だが。  しかしこの写真を君の通っている学校でばら撒けばスクープにはなるだろう」 「なんで俺の学校だとスクープになる?」 「よく見たまえよ」   と言って、ヒヨコ頭は岸峰を指差す。   その瞬間気がつく。やられた。 「この美少女、ちなみに名前を麻生奏詠というのだが、その逢引相手――本当は違うのだが、今はとりあえずそうしよう。  彼は君と同じ制服を着ている。  つまり、君とこの二人は同じ学校に通っていると推察できる」 「俺は最近転校してきたんでね、知らなかった」 「言い訳にしては苦しいな、龍之介。今ものすごく、険しい顔――その心、やられた!とでも言わんばかりの表情をしていたぞ」 「その麻生奏詠さんが別の学校の生徒で俺とこの男と同じ学校だったという可能性は除外なのか?  こっちの美少女はともかく、こっちの男くらいはどこにでもいそうだ。見過ごしても可笑しくはない」 「ないな。さきほどやたら目立つ外国人の美少女と冴えない長身の男子というカップルをみかけてね。  とりあえず突発的にインタビューしてみたんだ。  『お二人ともよくお似合いのカップルですね。同じ学校で出会ったんですか?』と。  そうすると冴えない男の方がにやけながら『そうです』と答えた。  本当はその二人を問い詰めたかったが外国人美少女の方が恐ろしい冷気を発しながら私を睨み付けたのでね、  凍死する前に逃げた」   ドミニアと太一か。後で太一をシメよう。 「それが?」   答えは半ばわかっているが、一応俺は聞いた。 「少女Aはなんと夏場だというのにやたら厚着をしていたので良くは見えなかったが  麻生奏詠と同じスカートをはいていたのははっきりと見えた。  コートの下から覗く上着も同じものに見えた。ちなみに話の流れ上言うまでもないが、その冴えない男子は  君と同じ制服だったぞ。つまりこの写真の男とも同じ物だな」 「まぁ、そいつらは俺と同じ高校かもしれない。俺に見覚えが無いだけで。  これで満足か?」 「いやいや、そんな訳なかろう。話を聞いていたのか、君は。  僕が知りたいのは君が誰と同級生か、という事ではない。  さっき聞いただろう。君は超能力機関に所属しているのではないか、と。もしかするとそれは  高等学校形式――いや、それより下、もしかすると幼稚舎までという可能性も在るな…とりあえずそういった  学園が存在するのではないか、という事だ」 「お前は脳に腫瘍でもあるんじゃないのか? 超能力者なんぜいるわけないだろ」 「やはりそのテンプレを使うんだな」   狐狗狸はそう云うとレコーダーを取り出し、再生ボタンを押した。   録音されている荒い音質の声が再生される。奏詠の声だった。 『・・・そんな訳ないでしょう。というかあなたはこの世に超能力なんて非科学的なものがあると思っ ているの…』   そこで狐狗狸は停止させた。 「な? ちなみにこれはその奏詠の声だ」 「しっかりと否定してるな」 「ああ。だが先を聞きたまえ」   狐狗狸は早送りしだした。 「本来なら奏詠が超能力者であると白状させた僕の天才的名推理をお聞かせしたい所だがね、省略しよう」 『…ここまで来たら隠すのも面倒だし素直に言うわ。私は超能力者麻生奏詠。保有する超  能力は猫神さんの推理通りサイコキネシスよ…』 「その奏詠って女は頭がおかしいだけで、同じ学校に通ってる俺も同じ人種だと認定しないでくれ」 「即答か。冗談でも知り合いをさらっと基地外呼ばわりするとは。まぁ、もう一つあるんだ」 『…ありがとうございます岸峰先輩…まぁ目撃者の記憶を消すのが俺の任務だけど…』 「話の流れ上察して貰いたいのだが、後ろの方で喋っている男、岸峰氏は彼女の逢引相手だ。  ちなみにこの現場に僕はいない。いやぁこんな事もあろうかと物陰に予めボイスレコーダーを設置しておいたんだ。  この二人の間では超能力を使っての話が当然の様に行われている。ならばこの二人だけが超能力者なのか?  いいや、そうではないだろう。岸峰氏は『任務』という単語を出している。彼らは任務を受けて行動する立場にある  超能力者な訳だ。偶々この二人だけが同じ高校に通う機関の人物かと思ったが、先程云った外国人美少女。  彼女が発していた冷気は尋常じゃない。まだ表を歩けば汗が吹き出る室内でもクーラーがなければ蒸し暑い  時期だというのに、だ、彼女の周辺は涼しかった。さらに彼女は異様な程に厚着をしていた。だが、まぁあれだけ  涼しければ当然だが汗一つかいていなかった。まさにクールビューティーとでもいうのかな。  服の内側にドライアイスをしこたま敷き詰めれば似たような状況を作り出せるかもしれないが、デート中の  女の子がわざわざ熱いのが嫌だからといってそんな事をするとは到底思えない。それこそどうかしてる。  つまり、彼女は冷気を操る力の持ち主――だが、操りきれていない部分があるのだろう。  某超能力映画のかませ犬、目からビーム男のようにな。あいつはゴーグルを外せばただの歩く公害だ。  さらに彼女の傍を通り過ぎる人々を観察していてわかった事が在る」 「ほぉ」   ここまで来たら最後まで聞いてやろう。結果は同じだ。 「彼女の傍を通った人間は当然、不思議な顔をする。夏場なのに涼しい。その冷気のする方を見ると厚着の外国人美少女だ。  驚かない方がおかしい。だが、おかしい人間も存在する。考えうるに、そんな事を気にしている暇も無いほど忙しい。  もしくは、彼女について知っている。実際見ていると同じ制服の少年少女はそれが当然とばかりに二人に接していた。  彼女の異様な冷気体質を受け入れられるほどイイヤツらが集まる学校、というだけでは合点がいかない。  超能力が容認されている学校に通っている、とも考えたが、そこはやはり任務、という単語だ。学校と言うより組織なのだろう。  学校には課外授業や部活はあっても任務はないだろう。しかし制服を着ていて学生として普通に下町で学生として居る  という事から、学校のような形態をとっているのではないかと推測した。  で、とりあえずは同じ制服の生徒が来ている方向とは逆方向を目指し、学校をたどろうと考えた。  しかし辿り着いた六堂寺学園、何の変哲も無い学校だった。全く持って何の変哲も無い。  僕は意気消沈しかけた時に気がついた。この学園の存在そのものがおかしい。  というより、超能力者が通っている学校というのが、普通にあるなんて変だろう。  しかもその六堂寺学園。何の変哲も無いが異様で、なにやらどうでもよくなりふわふわと歩いている内に商店街に僕達は  戻ってきていた。あれは幻影か何かではないかと推測する。超能力者なら一般人をそうやってだまくらかしてしまう  事程度朝飯前なはずだ。  しかし学生達が実在する、少なくとも奏詠は実体があったし、君もある。少なくとも生徒たちは幻影じゃない。  ならばその制服の学校が存在するのは確かなのだ。  さらにはこの近隣のどこかに。この推理が成り立つ時点で、その学園に通う生徒のすべてが超能力者であると考えていいだろう。  なぜなら一般的に考えて一般人であるのに親がわざわざそんなよくわからない学校に通わせるか?  もしその学園が未能力者にも超能力を与えてくれるというのなら話はべつかもしれないが。  で、商店街に戻ってきてから先程の件に遭遇したんだ。同じ制服なら誰でもよかったといえば誰でもよかったが、  君の様にクールで物事を達観した視点で捉えていそうな人物は、問い詰めていけば途中でどうでもよくなって  教えてくれそうな気がしたから捕まえたのだ」 「で、どうしたいんだお前は」   俺も奏詠の様に白を切りとおすのが面倒になって俺は諦めた。   こいつの話も半ばから右から左に抜けている。 「どうしたいと思う?」   胸を張ってヒヨコ頭は聞き返してきた。自分で考えろと言わんばかりに。   凄く、うざい。   俺は三度目、この場から立ち去ろうとした。 「ストップストップ!ストップ・ザ・温暖化!」   必死に引き止められる。 「あぁ? 俺は暇じゃないとあれ程…」 「どう見ても暇だろう。おっと嘘だ嘘、君はとても忙しそうだな。悪いが少し時間をくれ。  場所はドコだとまでは聞かん。ウルフマン、君が通っていると思われる超能力機関、もしくはそのような学校は  本当に存在するのかな? 僕はそう確信しているがその機関に通っていると思わしき君の口からはっきりと聞きたい」 「狼牙だ。在る」 「よい名前だ。字はおおかみ、きば、とでも書くのかな? そうだとしたら僕のつけたあだ名は満更外れでもなかった訳だ。  それにしても本当に存在していたわけだ! 超能力機関が! しかしKMRとして是非その存在を証明したいモノなんだが。  関与している当人の証言を得た、だけではなんともな。宇宙人からロズウェル事件の話を聞いたと言っても鼻で笑われる。  何か証明できるモノは無いか?」 「あほかお前。俺がその超能力機関の学校に通っていると認めたとしてもだ、  秘密にされているそれについて教えると思うか?」 「同感だ。僕でも教えない。  まぁ、そこは諦めるとしよう。超能力的な何かでそこらは隠蔽されているだろうからな。どうせ政府もグルだろう」   鋭いと言うべきか、妄想癖の酷いバカというべきか。   普通の人間ならこの黄色い頭の中にプリンでも詰まっているのだろうと考えるだろう。   本来ならば奏詠がしたように記憶消去能力者なんかを呼び出してこの二人の記憶を処理するのだが手はずだが、  面倒だった。大体、この二人が幾ら騒いだところで誰も信じたりはしない。 「じゃあもう気は済んだか?」 「僕の用事は終わりだ。だが情報提供料を受け取れ」 「洗濯板を愛でるくらいなら家に帰って壁を磨いてくらぁ」 「そう言うな。というかそっちはもういい。  君は、迷っているだろう」   ヒヨコ頭は俺に指をつきつける。まるで殺人トリックを言い当てられた犯人のような気分になった。 「迷ってなんかいねぇよ」 「僕は色んな人を観察し、顔筋や瞳の動き、身体の微妙な弛緩具合や発汗、言動から  相手の心情を把握する方程式を編み出した。知りたいかい?」   そんなバカな話が在るか。だが、このヒヨコ頭は大マジらしかった。 「興味ないな」 「それは残念。ともかく、君は何か迷っていると見た。  体格や筋肉のつき具合、歩く時のしなやかな動きからして、狼牙、君は何か武術をしているだろう?  これはまぁあまり根拠の無い勘だが、武術、自身の力について悩んでいるのではないか?  例えば、そうだな…今まであまり負けたことが無かったというのに、つい最近負け続き。どうだ?」   唯の当て推量とは思えない的中率だった。 「それで?」 「この私の連れ、一本槍魁子。さきほどの手さばきを見ての通り、狼牙、君と同じ格闘家なんだ。  それも伝説の男、ブルース・リーが開祖の截拳道。  もしかすると君から見たらただの武術を齧った小娘なのかもしれないが、  なかなかの使い手で、幾人もの強敵を打ち破ってきた。君の相手をするに足る相手だと思うね。  たまには息抜きに普段とは違う相手と手合わせしてみるのも良いと思うが」 「ようやくあたしの出番か、って何か違わなくない? 背後から殴られるかもしれないから護衛に呼ばれたきがするんだけど」 「まあそう言うな。魁子も武道家なら強い相手と戦ってみたいと思わないのか。  彼はきっと強いぞ」 「でもお前がいう事が本当なら、この人は超能力者なんだろ? 武術以前の問題じゃん」   それもそうだ。 「心配するな、そんな卑怯でつまらない事をする人間じゃないさ、狼牙は。  そうだろう?」 「あ? ああ」   そう言われると肯定するしかない。 「まぁ、さっきのの口直しにでも、相手をして貰おうかな」   言うと魁子は首をひねり、腕を伸ばして準備運動を始めた。   彼女は驚くほどに体が柔らかい。とは言っても俺にしてみれば普通だし、格闘技をしている女子と言うのを  俺は余り見ないから珍しいだけだ。実際には、うちの学内でも真山のように体育の授業で教えている  長拳を真面目にやっていればこれくらいは柔軟だろう。   それにしても、奇妙な気分だ。   喧嘩をする時は準備運動なんかしない。これは正確には喧嘩ではないが。   俺も一応それに合わせて準備運動を始める。   女を相手にするのは主義じゃない、が今日は既にやってるし解禁する事にした。   たまにはこういうのも、面白いかもしれない。   それに、意外に――役に立つかもしれない。   截拳道はフットワークが軽い武道だ。   そして、尹派八卦掌もそう言える。   それに対して、程派八卦掌は、雲のように歩き、龍の如く動く。   同じ名前の武術であるのに、全く正反対の武術。   他流試合等をしない俺にとって、ちゃんとした格闘技の使い手と戦う機会は滅多に無い。   喧嘩というのは、センスがあれば勝てる。何をやってもいいし、その場その場で思考しながら戦う。   だが格闘技や武道となると話は別だ。   多くの格闘技はそれぞれ、こう相手が打てばこう、こちらから打てばこう、と理論詰めで構成された  技の集合であり、それを何度も繰り返し練習する事によって条件反射で相手に返す。   そこに思考の余地はない。   俺が偶に他流の人間と戦っても勝てるのは、小さい頃から鍛え上げた八卦掌の技によるものだけではなく、  予知により思考しながら戦う間を作り出せるからだ。 「大方、ブルース・リーとチャック・ノリスといった所だな」   狐狗狸が言う。魁子はため息をついて手を振った。 「あたしが師父? そんな恐れ多いし遠く足元にも及ばないよ。  だいたいこの土手がローマのコロッセオだなんてお粗末すぎるっつーの。  それよりえーっと…ろう、が。準備はいい?」   人前で惜しげもなく怪鳥音を発した時点でこのヒヨコ頭と同類かと思っていたが、  こちらは意外と女の子らしく、少しはにかみながら俺の名前を呼んだ。   俺は腰を落として構えると頷く。魁子も半身でひょこひょこと前後に飛び始める。   映画でもよくみる截拳道の構えだ。 「――ッチャゥッ!」   先に打って出たのは魁子で、初戦の決着は一瞬でついた。   前方に飛ぶと同時に魁子が蹴りを放つ――のが、“視え”た。   俺は反射的に蹴りの軌道の外側に動くと放たれた足を右手で掴み左手で彼女の制服を掴んで地面に引き倒した。 「ひゃぁっ!?」 「っ悪い」   そしてそのまま彼女を元通りに起して立たせた。   俺は一旦離れるとポケットに手を突っ込み、在るものを探った。 「………」   魁子は呆然としている。それはそうだ。   普通はあんな速さで対応できるわけがないのだから。   俺は知らずの内に予知を行っていた。   この予知は一応自分の意思で発動させているらしい。とはいえ格闘時は常に発動させている為に、  その発動は既に無意識に行われている。   その為、予知>カウンターのコンボは条件反射である。   だが――   俺は、学園からちょろまかしてきた首輪を取り出し、首に巻いた。 「犬に首輪とは洒落てるな」 「うっせーやい」 「それつけると超能力的な何かで凄いパワーアップするとか!? 卑怯だぞっ!」   魁子が断固抗議する。 「逆だ。俺のもつPKは未来予知。それも特殊で予言的なモノではなく数秒先の未来が見える。  この力がある限り俺は師父クラスの相手でもない限り負けやしない。多分な。  この首輪は、超能力を使えなくする一種の拘束具だ。これで対等…かどうかはともかく、ズルなしだ」   予知が封じられた時、俺はどうなるのか。   これは、あの男との戦いの再現と云ってもいい。   あの時はそれに気付く前にノされて終わってしまったが、あの男はただの八卦掌使いではなく、  アンチサイキック能力者だったのだろう。   攻撃の初手から接触までは“視えていた”事から、接触する事により力を発動させる事が出来る。   触れずに格闘を行う事はできない。   あの男に勝つ為には、己の能力を封じるしかないのだ。   俺は構え直して、魁子に手招きした。魁子も構える。 「ッチャォッ――!」   魁子はステップと同時に下げた手をバネのように伸ばして腕を伸ばす。拳が俺の顔面に向かう。 「ぐっ…!」   体が即座に反応しない。予知がない為に、テンポがずれるのだ。   ただ、反射神経に物を言わせて後ろに飛びのく。 「ッチャッ、ッチャァッ!」   軽やかな左、右。そして槍の様に伸びる蹴り。   リズムが掴めない。自分が焦っているのがわかる。 「…本当に、さっきと同じ人間を相手にしてるのかって、思うよ」   魁子が、眉を潜めて言う。確かにこのへっぴり腰の動きはそもそも武道家にすら見えないだろう。 「…俺もだよ」   ならば、打って出るか。   俺は踏み込み、指先を折り曲げて(格闘家の手は凶器である。伸ばした指先は危険だ)打ち込む。   魁子は後方にステップして蹴りを放つ。突いた手を守りに回し、足を掴む。そのまま足を引き寄せて  左掌底を顔に打ち込む。その腕に魁子は下から俺の肘に向けて拳を打ち込み跳ね飛ばした。   次の瞬間には捕まれた足を軸に蹴りを放った。掴んでいた手を離し、足を防ごうとするが時既に遅く、  勢いを持った足は俺の顔面を捉えた。魁子は宙で縦にぐるりと回転すると綺麗に着地した。   魁子は手加減をしたのか、俺はそのまま吹っ飛ぶほどの威力はなかった。   しかし、思い通りに動かない体に激しい苛立ちを覚え、そのまま立ちすくんでいると、魁子の追撃が襲う。    「ホォゥ!アチャァッ、ァッ、タッ――」   懐に飛び込んだ魁子は怪鳥音と共に連続で拳や掌を頬や顎、腕、胸へと叩き込み、  最後に蹴りを打ちかました。   俺はそのままの勢いで土手を転がり、川に突っ込んだ。   川の水は冷たかった。熱く火照ったからだが冷やされていく。   水深はそれほどなく、立ち上がった俺の腰あたりまでしかない。   見上げると、魁子が見下ろしている。そして俺に指を突きつけて、云った。 「Don't Think. Feel! 考えちゃ駄目、感じるのよっ!」   俺は一瞬絶句し、彼女の小麦色に焼けた肌をじっと見ていた。 「…ブルマ見せびらかしながら何言ってやがる」   次の瞬間、どこから飛び出したのか頭上を怒声とヌンチャクが通り過ぎ、俺は水中に避難した。 ――――NEXT