〜発端〜 既に日は傾いていた。夕焼けすらも落ち込み、公園には灯りが点り始める。 「あーっ、もう。早くしないと校門閉まっちゃうわ!  ほら、タケル!駆け足!」 そんな公園を銀色の雫が流れる。 見事な銀髪の少女は息を切らしながら振り向き、後ろを歩く少年を急かした。 「……尼崎、時間がないのはわざわざ回り道をしたからだ。  買い物の荷物持ちとは聞いていたが、何故映画にまで寄る必要があった?」 「見たいのやってたからに決まってるでしょっ!  良いじゃない、こんな可愛い子連れて映画よ?羨望の的よ?」 「……付き合いきれん」 少年は両手に大荷物を抱えたまま、わざとらしく溜息をついた。 ボサボサ気味の長い髪を結った茶髪の少年。その背中には不似合いな大剣。 帝神学園2年、草薙毅(くさなぎたける)。 その様子を楽しむようにいたずらっぽく微笑う少女。 同じく帝神学園2年、尼崎リュボーフ。 リュボーフは毅の少し先から、にこにこと足を止めたままでいる。 やがて毅がリュボーフの元にたどり着くと、彼女は毅に速度を合わせて肩を並べ歩き始める。 リュボーフの顔は明るい。出掛けてからずっとこの調子で、今日一日毅を振り回していた。 そんな彼女の笑顔を、毅がちらりと見下ろす。 「ん?なぁに、お姉さんの顔に何かついてるー?」 視線に気づいたリュボーフが、5割増しの笑顔で応える。 毅はバツが悪そうに視線を戻すと、小さく毒づいた。 「誰がお姉さんだ、同い年だ。  ……大体、たまの休日に買い物に行くなら友人と行けば良いだろう?」 「あら?来てるじゃない、友達と。それとも何?  タケルにとって私は友達じゃないの?お姉さん悲しいっ、泣いちゃおうかなぁ〜」 リュボーフはわざとらしく両手で目をこすると、演技掛かった声で「えーん」と言ってみせた。 毅がその様子にまた溜息をつくと、彼女はまた楽しそうに笑うのであった。 「あははっ、あんまり溜息つくと幸せ逃げちゃうわよ」 「……尼崎、そんなに面白いか?」 「…また尼崎って言った」 「何?」 リュボーフはぷいと頬を膨らませると、踊るようなステップで毅の前に出た。 そのまま体を弾ませ、彼女は軽やかに歌い始める。 「〜〜〜♪」 流水のように柔かな歌声。 まだ喧騒も収まらぬ公園の中で、鳥や虫のさざめきをも越えて彼女の歌声だけが聞こえてくる。 それはまるで自然さえも彼女の歌声に聞き入っているような、そんな感覚。 彼女の歌だけが、頭の中を支配した。 「…ねぇ、タケル。今日迷惑だった?」 「……あ、え?」 不意に止んだ歌。投げかけられた問いに思考が停止し、思わず妙な声をあげ聞き返す。 「私は“リューバ”。友達はみんなそう呼ぶわ。それなのにいつまで経っても尼崎尼崎…。  今日だってずーっといっつも通りの顔だもん。買い物してても映画見ててもアイス食べても。  ……楽しくなかった?」 不安げな瞳。いつもの気丈に人を振り回す強さは映っていなかった。 初めて見る彼女のそんな目に、毅は言葉に詰まる。 「……いや、そんな事はない。だがずっと考えていた。何故…俺を誘ったのか」 「…はぁー、ここまでされてわかってもらないとホントに泣きそうよ。」 毅の言葉にリュボーフは目を丸くしたあと、額に手をあて大げさに頭を振った。 「……あのね。クラスメイトで、一緒に戦って、ロクに話さない。なんて寂しいでしょ?タケル、いっつも一人だし。  でもまぁ、今日一日一緒に遊んで、お互い楽しかったならもう文句ナシに友達よね」 「…友達?」 「そっ。そして友達はあだ名や名前で呼び合うの。ね、“タケル”?」 そういってリュボーフは今日一番の笑顔を毅に向けた。 日は沈み、公園の外灯だけが彼女を照らす。 そんな粗末な灯りの中。彼女の笑顔は遥かに輝いて見えた。 「……あぁ。今日は楽しかった。礼を言う。あま…、いや、“リューバ”」 毅の顔が、僅かに綻んだ気がした。 「どういたしましてっ、タケルっ」 「へへっ」と気恥ずかしそうに笑うと、彼女は軽いステップでまた毅の先を歩きだす。 毅は少しだけ肩をすくませてその様子を見守る。そしてあとを追うようにまた歩き始める。 両手の荷物が、少しだけ軽くなった気がした。 ステップを踏みながら先を歩くリュボーフは、時折止まり、また歩き出す。 何やらその度に顔を両手で覆っていた。 (…ヤバいヤバいヤバいわ、言わせといてなんだけど破壊力ありすぎっ!“リューバ”って…!  しかもあの無愛想が笑っ……あーもう、しかも笑顔可愛いし!卑怯よ卑怯!  今隣歩けないわ絶対気付かれるもの顔絶対赤いもの!あーでも隣歩きたい…!  いやでもここでバレたら私のお姉さんキャラが!あーでも隣歩きたいー!) 激しい葛藤が行われている他所で、毅なそんなリュボーフを楽しげに眺めている。 自分のキャラの心配をする余裕はあっても自分の姿を客観視する余裕はないようだ。 「……本当に変なヤツだ…」 それでも、嫌いではなかった。 自分の胸中にある感情も、自分を気にして構ってくる少女も。 『―――――――』 不意に、背筋を何かが撫でた。 「―っ、止まれ!リューバ!」 「え?」 言うが早いか、毅は荷物をその場に置き捨てると背中の剣に手をかけて疾走する。 瞬く間にリューバの前に割って入ると、その先の外灯も届かない暗闇を睨みつけた。 呼応するかのように外灯の光の淵に小さな影が浮かび上がった。 「だめだよおにいちゃん……それじゃ、かわいそう」 「…!?」 影は徐々に光の中に姿を見せる。声とともに現れたのは一人の少女。 毅はその姿に目を疑った。 髪は切った形跡など無くだらしなく地面を撫で、服など羽織っているだけのボロ布。 まだ日も沈んだばかりの公園。ホームレスにしてもその姿は異様と言って良い。 普通の少女ではない。 何よりも少女からは毅たちの嗅ぎ慣れた『血の匂い』が漂ってくる。 血を浴びている。それも、ごく近い時間に。 毅の悪寒が強くなる。この少女に。“コレ”に関わってはいけない。 「……どけ、何もしないならこちらも――」 「かわいそう。かわいそう。かわいそうだから――」 途端 少女の影が 灯りの中で異形を成した    タスケテ 「…殺してあげる」 少女の顔が、上弦三日月に割れた。 「っ……!“ムラクモ”ぉ!」 影が伸びる。 4本の影は腕となり、掌となり、指となり、爪を成した。 毅の声に応えて大剣“ムラクモ”は光を帯びる。 刀身に赤い光の亀裂。柄を包んでいた赤い布が空にほどけた。 20の爪が四方から降り注ぐ。 毅は動かない。 爪が、毅頬の皮につぷりと埋まった。 「――っぁあっ!」 咆哮一閃。 あそこまで目前に迫っていた20の爪、4本の腕を毅は一薙ぎでたたき落とした。 「………」 少女が後ずさり、付き従う“異形”はそのさらに後ろへと飛び退いた。 未だ姿さえハッキリと見る事のできない敵を、毅は赤く点った右目で静かに睨みつける。 「タケルっ!」 事を見守るしか出来なかったリュボーフが声をあげ、走り出す。 その声は不安に塗られ、毅の背中へと張り付く。 「……リューバ、援護を頼む」 駆け寄ろうとした足を毅の声が引き止める。 後ろを振り返ることもなく投げかけられた願いには緊張の糸が張っていた。 振り返る余裕すらないと、援護がなければ勝てないと。 いくつもの死線を抜け、今日改めて“信頼”で結ばれた二人の戦士。 今の二人にはその一言で十分すぎた。 「……っ、“ベンザイテン”!」 リュボーフが自らのヨロズの名を口にする。 同時に彼女のとなりには舞子のような女性の姿が浮かび上がった。 その顔は鉄仮面で封じられ、赤い口紅が塗られた小さな唇だけが見えている。 「ベンザイテン!『ヒノモトノウタ』!」 リュボーフがそれだけ言うとベンザイテンが口を開く。 そして彼女たちは同じ歌を紡ぎ始めた。 リュボーフとヨロズの歌は音の波となり毅の背中へと届く。 途端、毅の体は薄く光り始め、毅のムラクモはさらにその赤を強める。 「…おねえちゃんもかわいそう。…でも、“それ”、いいね」 少女が微笑む。本来心休まるはずのもののソレは、酷く暗く見えた。 その瞳はもう一人の獲物を捉え、毅はより一層ムラクモを強く握る。 『ヒノモトノウタ』 それはベンザイテンの歌の一つで、主に味方の戦闘能力上昇の効果を持つ。 元来聞く味方の全てに効果を与えていた歌だったが、今回の対象は毅一人。 その効果は大多数の時に受けるときの比ではなく、毅は自身の一層の強化を感じていた。 だがそれ以上に。尚、それでも。 毅は目の前の少女への得体のしれない恐怖をぬぐいきれない。 先程の攻防。 毅は敵が『確実に仕留めた』という最大の隙を狙ってギリギリまで引きつけて叩き落とした。 少女も人間である事に違いはないだろう。故にその最後に力を抜き、防がれ、距離を取った。 申し分ない対応。そのはず。 (…そう、あれは最大の隙。あいつは確実に『力を抜いた』…。  それなのに…何故こうも俺の腕が痺れる…!?) 毅には自信があった。 先の攻防で四腕を叩き落とし、次の反応をさせる間もなく少女の首を斬り落とす。 それで終わるハズだった。 そしてそれは決して過剰な自信などではない。 それでも、結果出来た事は“自身の存命” これですらギリギリだった。 最大の隙でさえ、生んだ結果はそれだけ。 あと数瞬。早くても遅くても、恐らく毅は串刺しで終わっただろう。 (リューバの援護を受けても勝てる気がしない…。  ………いや、ここで勝つ必要はない。ただ、絶対に負けられない…) 毅は一瞬だけ視線をリューバへ流した。 自分のために歌う少女。 自分の勝利を信じ、背中を向けられる相手。 そして――絶対に守り抜くと決めた戦友。 毅は腕の震えを力づくで抑えこむと、目の前の少女に飛びかかった。 一撃目。 影に苦もなく払われる。 歌の効果か、反動は先程よりも全然ない。 二撃目。 返す刃で斬り払う。 影の二腕目が伸び、剣を受け止める。 三撃目。 その腕ごと強引に剣を引き、少女めがけて突きを放つ。 剣は腕を引き裂くが、途中まで剣が刺さったところを、他の腕が剣ごと掴む。 剣は影の腕を途中まで両断した状態で握り止められた。 他の腕が毅目掛けて降り注ぐ。 強化された動体視力は難なくそれを見分け、剣から手を離すまでもなく紙一重で避ける。 影が攻撃に転じた処でムラクモを再び力任せに引き抜いた。 自由になった身で、影から距離を開けることなく剣戟を繰り返す。 「クスクス……おにいちゃん、いっしょうけんめいだね」 少女が毅に話し掛ける。その間も影の腕は止む事などない。 当然のように無視しながら毅は少女に向けて剣を振り続ける。 「やっぱり…おねえちゃんがいるからだよね?」 少女の顔に、再び亀裂のような笑みが浮かんだ。 ついと流れた視線の先。 そこに居るのは毅ではなく 懸命に歌い続ける、一人の友人。 「…っ!?逃げろ、リューバァァ!」 剣を振る事さえ止め、敵を見る事すら忘れ、毅は振り返り声を張り上げた。 同時に、一本の影が伸びる。 それは毅の叫び声と同時。 振り返った毅の視界。端から伸びる影。茫然と立ちすくむ、少女。 影は ひどく、ゆっくりに見えた。 恐怖に思わず目を瞑った。戦場に立った事もあるのに。 自分の身に降りかかると、どうしても耐えられない。 以前にもあった。そう、初めて聖護院学園と戦った時。 あの時は、そう。 誰かが 「…大丈夫か、リューバ?」 「……タケル?」 ゆっくりと目を開ける。 そうだ。以前も助けてもらった。 それからずっと、ずっと気になって。 今日、声をかけたんだ。 「……お前、が、無事でよかった」 「…タケル、笑ってるの?」 ギリ。 タケルが笑ってる。 でも何で、ムラクモをお腹にあててるの? ギリ。ギリ。 この音、何? 「ま、だ…ちゃ『ギリ』と言ってなか『ギリ』たな…。  リュ『ギリ』バ、あり『ギリ、ギリ』う」 うるさい。 タケルの声が、聞こえない。 「『ギリ』バ……」 ―ずちゃ タケル、後ろから、“赤い”腕出てきたよ…。 ―からん タケル、ムラクモ、落としたよ。ダメだよ…。 「リュー、バ…振り返らずに、まっすぐ、走…れ……」 タケル おなかにあながあいてるよ…。 毅がリュボーフの腕の中へと崩れ落ちる。 腹部には、握りこぶし程の、風穴。 「いやあああああああぁぁぁぁぁっ!」 リュボーフの叫び声が公園に木霊する。 その声が聞こえたのは、ゆっくりとリュボーフに歩み寄る少女だけだった。 「タケル!タケル!いやっ、血が…!  ベンザイテン!歌!謳ってぇ!」 ベンザイテンは応えない。 ベンザイテンの顔にある鉄仮面はその制御化をリュボーフの元に置くための制御装置。 リュボーフが歌わなければ、ベンザイテンは歌えない。 そんな事すら、今の彼女の中にはありはしない。                タスケテ 「クスクス……おにいちゃん、殺してあげられた…」 少女はリュボーフの元まで来ていた。 しかしその声すら彼女の耳には届いていない。 リュボーフは瞬きすらしない毅を、血塗れになるのも厭わず抱きしめる。 「タケル…!目開けてよ…!お願いだから…!」                        タスケテ 「おねえちゃん……おねえちゃんもかわいそう。殺してあげたいけど…。  ……これ、もらうね?」 「…え?」 やっとリュボーフが顔を上げる。 少女は跪くリュボーフを見下ろしたあと、ベンザイテンへと視線を移した。 ―スコン 間抜けな音が聞こえた。 “少女の影”から伸びた腕が、ベンザイテンの制御装置ごと彼女の頭を貫く。 制御装置の鉄仮面が、真っ二つになって地面へと落ちた。 「いただきます…♪」 少女の言葉とともにベンザイテンに異常が起きた。 影の細腕に持ち上げられ、その体はガクガクと大きく震えだす。 その異変はリュボーフも同じだった。 「いやっ…何これ…いやぁ!」 やがてベンザイテンの体に“何か”が伸び始めた。 それはベンザイテンを包み黒く染め上げると、まるで影と同化するように“吸いこまれた”。 「ありがとう…おねえちゃん」 少女が嘲笑う。 ベンザイテンが居なくなると同時、リュボーフはまるで糸が切れた人形のように倒れ込んだ。 その目に光はない。 「いかなくちゃ……ここにはいない……」 少女は先程の事などまるでなかったかのように空を仰ぐ。 夜空には雲すらなく。 見事な上弦の三日月が浮かんでいた。 やがて少女は歩きはじめる。 その方角は―――京都・聖護院学園 影の少女。名を、『久我 天象』といった。