■東方大陸史■第六章「スペリオル朝暗黒帝国(上)」 「金糸雀の島から黒鷲がやってきた。  かの黒鷲は、その翼に諸侯の旗を瞬く間に収めると  暗黒神の祝福の元、五つ目の翠鳥より帝冠を授かった。  黒鷲の名はヴァンガード。氏をスペリオルといった。」 −−暗黒帝国年代記より−− 暗黒歴2002年。 この年、暗黒帝国皇帝フーセ・ルヒト・サイレンが崩御。 フーセには子供がいなかった上に、フーセは後継者も指名せずに逝ってしまう。 帝国の宰相ダーティアン・ライトは帝都ベアトリスに暗黒世界の全諸侯を集めると 歴史上最大規模の会議を開催した。 選帝会議である。 皇帝候補は主に2人に絞られ、会議は3派に分かれた。 皇后アビゲイル、カストフラン王、ミナーニャ王、トワイライト公等が主張する。 「皇帝の娘である皇女が嫁いでいるカナリア辺境伯ヴァンガード・スペリオルこそ新帝に擁立すべきだ。」 カナン王、トト王、コメット公、デレル公、ルール侯、ネルヴァル公等が主張する。 「女系などもっての他!5代遡るがルヒト・サイレンの血を継いでいるバナジウム公こそ新帝にふさわしい!」 ラマウットス伯、ケムト伯、グラーブ伯、マーストリヒト伯、サラーム伯等は主張する。 「フレスレイド家が中立を宣言してるので私らもそうさせて貰います。それでは滞在費がきついので帰りますね。」 カナリア辺境伯は、中央大陸貴族や北西部貴族等が主に支持し バナジウム公には、中央・南部・西南部の貴族が支持を表明した。 東部貴族達は主家であったフレスレイド家が早々と中立を宣言した為に 皇帝に即位した者に忠誠を誓うと誓紙を提出するのみに留まり、東部に帰った。 スペリオル家 出生がいまいちわからない家系で スリギィ人にみられるサペリア姓を東方大陸風に改めて スペリオルと名乗り始めたのが家名の始まりという説(スリギィ系説)や オルの字に注目し、スペリー・オール(オール人のスペリー)の子孫という意味で スペリオルと名乗り始めたという説(ディオール系説)があるが どちらせにせよ移民なり寝返りなりで東方大陸に来た者である事は間違いないとされる。 歴史上に、その家名が確認できるようになるのは「ダイオールの遺臣が東方大陸へと 出戻ってきた際、遺臣達の代表としてカロリオフ、ナチュラ、スペリオルなる三家のダイオール騎士が 暗黒神の労いを受けた。何故、私の先祖は偉大なる戦いに参加しなかったのだろう・・・ そうすればこの栄誉を私も受けられたかもしれないのに。」という暗黒の国のノルデンベルク伯爵家の記録が もっとも古い記録とされる事から、比較的に新興の家柄と言っていい。 だからこそだろう。カナン王を中心とするバナジウム公擁立派はスペリオルの浅い歴史を嫌い、 会議の推移から僅差でカナリア辺境伯が皇帝に決定する事がわかると カナン王は手勢を率い帝都のカナリア辺境伯擁立派貴族達の公邸を次々と襲撃。武力に訴えた。 この襲撃でカナリア辺境伯擁立派(以下新帝派)の中心人物の一人であった サマデビル・チャーム<トワイライト>公爵が殺され、皇后アビゲイルは幽閉されてしまう。 カナン王に続けとばかりにバナジウム公擁立派(以下旧帝派)諸侯は国元へと戻ると 新帝派貴族の領土へと進軍を開始。暗黒世界各地で戦いの火蓋は切って落とされた。 のちに【鷲鷹之大乱】と称される内乱劇はこうして始まりを告げる。 「勝者とは強い者のことではない…戦場に最後まで立っていた者のことだ」 −−カナリア辺境伯ヴァンガード・スペリオル−− 暗黒歴2003年。 カナン王以下旧帝派諸侯に完全に遅れをとった新帝派カストフラン王、ミナーニャ王は帝都からの脱出に成功。 両者は協議し、カストフラン王フアナ・グラン・フランは大陸西北部の新帝派諸侯を結集した後 カナリア辺境伯を迎え、満を持して旧帝派との戦いに望み、ミナーニャ王スカーレット(4世)・グローデアは海路で ミナーニャ本国へと帰還後、兵を取り纏められ次第に旧帝派諸侯への攻撃を開始するという事に決まり 両王はトワイライト城で別れた。 カストフラン王はトワイライト城を立つと西北部の拠点であったルタル港を目指した。 東方大陸は内陸部には平原が多く、海岸部に山岳部が多いという地理学上ありえない地形が多々ある大陸で この為、トワイライトの北部には山岳部が連なり、海路ではカストフラン本国への連絡がとれなかったのである。 仕方なく使者を先行させ、本国へ軍の供給を命令したがルタル港に着くまでに新帝派諸侯のどれほどが 旧帝派に滅ぼされるのか。それを思うとカストフラン王は気が気ではなかった。 が、それは杞憂に終わった。 「フアナよ。嗚呼、余の頼もしき擁立者よ。余を心配させるとは不忠者め。」 なんとカナリア辺境伯ヴァンガード・スペリオルは既にカナリア諸島を発して カストフランや西北部諸侯の軍勢を擁して、トワイライトのすぐ西にあるアルギニンにまで進出しており カストフラン王は本国軍と容易に合流する事に成功。 ヴァンガードの領地であるカナリア諸島はカストフラン半島の西南に位置するちっぽけな島々だったが 情報に敏い商人達からカナン王の暴挙を知ると、すぐに諸方に書簡を出すとルタルへと向かったという。 ちなみに書簡の内容は実に簡単だった。 「カストフラン王を迎えに行く。軍を率い余の供をせよ。」 カストフラン王はカナリア辺境伯ヴァンガードと合流に成功したが その軍勢は1万程度だった。帝都を中心に新帝派諸侯領に攻め上がっていたカナン王が 手勢だけで4万近いジャンクーダを動員していたのとは対照的であった。 それは仕方がない事で、旧帝派の領地の多くは敵地と隣接していない地域だった為 全力で兵を動員できたが、新帝派のカストフラン王や西北部の海岸線に面した諸侯は スリギィやオフランスやディオールなどの来襲に備えなければならず 必要十分な兵力を国元に残して置かなかければならなかったのである。 だが1万という少なさの理由はもうひとつあった。 当たり前だが、新帝派諸侯の多くは旧帝派諸侯の侵攻を受けている為に合流したくとも出来ず。 また前線でない西方の内陸側に位置している新帝派諸侯等も、前線が滅ぼされれば次は自分の番と 援兵を引き連れ出払ってしまっていた。 だが幸いな事に、そのお陰で旧帝派は余り侵攻が進んでおらず、また旧帝派は纏まりが皆無で 諸侯が好き勝手に攻め入っていた為、各個撃破は十分に可能だった。 ヴァンガードは最寄の前線であった新帝派のピルナ伯爵領へと向かい ピルナ城を包囲していた旧帝派のセンザーク伯爵軍を逆包囲。 センザーク伯爵の救援に現れたフラウン侯爵軍7千機をアタシヤ・ココニール<ハルプ>公爵が手勢2千機で奇襲撃滅。 センザーク伯爵軍降伏。 「勢いを殺すな!」 ピルナ伯爵軍とセンザーク伯爵軍を組み入れるとヴァンガードは旧帝派の拠点となっていたハルプ公爵領を奪回すべく 進撃。 軍を4つに分け、同時多方面攻撃でハルプ城を強襲。激戦となりカリウム伯、シュトーレン伯が戦死したが 辛くも激戦を制し新帝派はハルプ城に入城した。 が次のコーリンの会戦で旧帝派アルベクス・ライトニング<ルテイン>公爵軍に惨敗。 トワイライト公爵に続いて新帝派の中心的人物だったクロセチン公爵を失う打撃を受ける。 初の敗残にも負けずにヴァンガードはカストフラン軍をハルプ城の守備に残し 西から迫っていた旧帝派ハンス公爵率いる2万の軍勢を迎撃。 汚名返上。名誉挽回。 ヴァンガード率いる新帝派軍は敵までもが賞賛する完全勝利をババロフの地で飾った。 屈辱から立ち直った新帝派軍は続くニャルルの戦いでルテイン公爵軍を撃滅。 2つの勝利によって旧帝派の反撃を完全に挫いた。 しかし、戦いはまだまだ混迷を深める。新帝派諸侯を併呑しつつ 旧帝派最大のカナン軍がトワイライト城へと迫っていた。 3万の機体を掻き集めた新帝派軍は、リグサの戦いでカナン軍と激突。 武器弾薬全てを使い尽くし、辛うじて勝利しカナン軍を退けたが 二度目のラトギニアの戦いで敗北。アタシヤ<ハルプ>公爵やリサ<トワイライト>公爵を代表に 捕縛された侯爵1人。伯爵6人が無残にも旧帝派に処刑される。 損害の大きさからカナン軍はラトギニアに駐屯こそしたが、それ以上の進撃をしてこなかったが 旧帝派諸侯はこの勝利に歓喜し、勢いづいていた。 「一杯地に塗れたとて、それがどうした。全てを失ったわけでではない」 窮地に立たされながらも、古書の言葉を引用して自らを奮起させたヴァンガードは 西方から駆けつけたファルコ・トワイライト<ウインド>侯爵の軍と合流し南下。 カナン軍が動けないうちに帝都を解放せんとの考えである。 メーニッツの戦いで旧帝派軍をカストフラン王と挟撃し撃破。 さらに南下し帝都に駐屯するルテイン公爵軍を急襲。 アルベクス・ライトニング<ルテイン>公爵は新帝派へと降伏し、ヴァンガードへの忠誠を誓い 帝都は新帝派のものとなった。 ヴァンガードが帝都へと入城すると、幽閉されていた皇后アビゲイルや新帝派貴族達を解放。 勝利と敗北を繰り返しながらもヴァンガードは着々と皇帝への地位に近づいていた。 次章予定「スペリオル朝暗黒帝国(中)」