魔道商人記 〜序曲 街の賑わい〜 龍の世界に、モチリップ市という街がある。 王国連合の中にあって何故か王政を取らず、金貨玉石を『法王』として見立てた とでも言うべき独自の政治経済の体制を持つ、都市国家のひとつである。 周辺町村を合わせると人口約2万を超える地方中核都市であり、この街から王国 連合諸国や他の国家へと伸びる道から、交通の要となった歴史的な経緯もあり、 古くから宿場町として栄え、現在も主要産業は宿所、貿易、酒場や歓楽街などで あり、数多くの旅人や商人を受け入れている。 反面、交通の要衝地ゆえに、争いも絶えなかった歴史もある。そのため街を取り 巻く防壁は実戦用であり、さながら商業要塞とでも言うべき堅牢さを誇る。 ゆえに実戦経験豊富な戦士団を多数抱える街でもある。 こうした歴史故に、建国時に援助してくれたリバランス王国とは、現在も強固な 友好関係を保っている。 また、諸王国の中では小王国ノストに最も近い形態の都市であり、小王国ノスト とは姉妹都市として友好を深めている。 様々な人々の思惑が交錯するモチリップ市。その街の日常風景を覗いてみると… 「あー…ヒマだ…どうにもヒマだ。  もっとこう、ワンサカと客が来るようなコトは…ねェよなァ」 街は既に陽が中天に昇りかけ、朝と正午と交じり合う時刻だ。人々が午前の仕事 を終え、昼食を求めて街路を歩き始める頃合だ。そんな街の小路地の奥深くに、 魔道古道具屋『路傍庵(ろぼうあん)』という店がある。 ひどく古ぼけた外見と内装の、要はまったく古ぼけた店の中で、やはり古ぼけた カウンターにグッテリと上半身を預けてグチをこぼす男がいる。 彼の名はブレイブ。 これは商人仲間でのあだ名であり、その他にも曰く付きのあだ名という噂だが、 本名は不明だ。 かつては『悪夢の雷嵐公』とも呼ばれた程の雷属性魔道高位者だが、禁呪に手を 出したために魔道大学を追われ、手に職をと思い始めた商業も、モチリップ市の 商工ギルドからうとまれ、町外れで嫌々ながら中古品販売を始めたのだ。 彼がグチをこぼすのには訳がある。それは彼の店の経営状況に強く関係する。 モチリップ市の中央通りからやや外れた所にある商店街のさらに奥にある、通称 『嵐の古道具街』にて『魔道具』と呼ばれる魔法に関係する道具や、超古代発掘 器具という、遺跡に眠る古代の秘宝などを専門に扱う魔道古道具屋『路傍庵』を 開店させたのはいいが、なぜか肝心の魔道具がほとんど売れず、今は日用雑貨を 主に扱っているのである。それが彼には不満なのだ。 彼は黙っていればそれなりの美形なのかもしれないが、目つきが悪すぎるために 誰もそうは思わないし、今日のように不機嫌な時はサイアクである。 「ったく…この街は見る目の無い人間ばっかりだ。  これなんて『エウロワ大森林』で見つけてきたエルフの首飾りだぜ。  これは『狂える森』から冒険者が持ち帰ったって噂の魔族の宝冠だ。  こっちもあっちもお宝ばっかり!それも信じがたい内容の品が!  なのに売れてンのは、どうって事ないナベだの包丁だの日用雑貨ばっかりだ…  生活のためには仕方ないとは言え…ハァ…」 彼は、自称お宝の山をグシャリとかき回して突っ伏し、大きくため息を吐き出す と共に、彼はカウンターの上に無造作に置いてあった古ぼけた『地図』を、指先 でヒョイとつまみあげた。 「いやまァ、確かにまがい物も混ざってはいるンだが。  どう見てもこりゃ『お宝の地図』じゃあ、無ェもんな。  それでも何らかの魔力の付帯は確認済みだから、完全にニセモンマガイモンっ  てワケじゃないンだけどなぁ…  レプリカにしちゃあ、随分とデキが良すぎなのがちょっとな」 彼は『地図』をポーンとテキトウに投げ捨てた。 『地図』はモチリップのある辺りで、魔力を含んだ白い光を発している。 本来、こういったものは『宝の在り処』と連動するのが常なのだが、この地図で は、光点がモチリップ市から動こうともしない。 ブレイブの鑑定では、現在位置を示す魔法だという結論だ。 便利そうに思えるが、そういった地図は既に開発・量産済みなのだ。 「切れ味抜群の包丁だの、けして焦げ付かない鍋だのを売りたくて店を開いた訳  じゃねェのになぁ。誰も見たコトの無い道具がオレの店だけにッ!  あー…ダメだ。独り言が増えてる。イカンな」 実は彼の不満を募らせるもう一つの要素がある。それは… 「ブレイブはお客はんがおらんと、ホンマに不機嫌丸出しやねぇ」 気の抜けた発酵麦酒のような声が、店の奥の方から聞こえてくる。 若い女性の声だ。 「んだよ…商人だったら当たり前だろーがよ」 ブレイブが店の奥に視線を向けると、そこには、いかにも田舎出身の娘といった 服装の女性が立っていた。赤茶けた髪を無理やりターバンでまとめあげ、故郷の 民族衣装なのだろうか、黄色とオレンジを基調とした衣類が、彼女の褐色の肌に マッチしている。 青銀と呼ばれる魔力を秘めた素材で作られた眼鏡の奥には、優しそうな紫色の瞳 が輝いている。ちなみにオッパイは残念級だ。 「熱い豆茶を淹れたで。  そないカリカリせんと、休憩にしよ?」 彼女は豆茶入りのカップをふたつ並べたトレイを持ち、トテトテと歩み寄った。 彼女の名はハンナ・ドッチモーデといい、北方のド田舎から、丁稚奉公で都会に 出てきたのはいいが、都会生活のペースにまーったくついていけずに挫折して、 仕方なく放浪の旅に出た矢先にブレイブに拾われたのだ。 彼女は紫色の瞳をブレイブに向けつつ、何か思いついたように報告を始めた。 「そういえば、2階でお茶淹れてた時に気づいたんやけどね。  なんや入り口の辺りをウロウロし続けとる鎧のオッサンがおったよ。  もしかしてお客はんやったりするんやないのん?」 ハンナは、あまり真剣みや緊張感の感じられないフワフワとした声、良く言えば オットリした口調で話すと、豆茶に息をフウフウと吹き、冷まし始めた。 吐息と共に、やけに長い耳がヒコヒコと上下に動く。 ブレイブは呆れ返った後、とりあえずペチンとハンナのオデコを叩いた。 「ちょ、何で毎度毎度叩くんや。酷いわ〜」 当然な抗議の声があがるが、ブレイブは意に介さない。 「うるせェ。丁稚奉公のデッチの分際で何を言うか。  何でそういうコトをさっさと教えねェんだ」 丁稚呼ばわりされたハンナは、それでもいつもの事だと言う顔でのんびりと事情 を話しだした。 「せやかて、豆茶は温度が一番肝心なんやよ。  温い茶ぁなんて飲みたないわ」 ブレイブはもう一度ペチンとハンナのオデコを叩くと、豆茶をそのままにして、 店の入り口へと足を向けた。 だいたいハンナは、いつもフウフウと冷ましてから飲むというのに、豆茶の温度 も何もあったモンじゃない、とブレイブは文句を漏らし続ける。 店の入り口には、何を考えているのか理解できないが、こんな街中にも関わらず フルプレートメイルで完全重装備を施した男がウロウロと歩き回っていた。 「あ…怪しい」 自分の事を棚に上げ、ブレイブは絶句した。 「いらっしゃいませ〜  お鍋にお釜に包丁に〜  何でもそろっとる路傍庵へようこそ〜」 そんな怪しい鎧男に、ハンナがフルスマイルで接客を始めた。 「ちょ!ハンナお前何を勝手なコトしてんだ!  つーか店の説明、間違ってンぞこらー!」 ブレイブの突っ込みを完全に無視して、ハンナは客へと走りより、何やらフムム と唸りながら話を進めて戻ってきた。 「この人な〜、両替するの忘れててしも〜たみたいで、1モチリンも持っとらん  のやて。で、両替したろ〜思たんやけど、どないしょうね?」 ちなみにモチリンとは、モチリップ市及び周辺町村で主に使用されている通貨で 1000モチリンでボレリア共通金貨1枚に相当する。 さて、その言葉を聞いて、ブレイブはハンナの頭をまたペチペチと叩き始めた。 はた目にはジャレあっているようにしか見えないが… 「痛いて!何やねんな」 「何って…デッチ、お前は確かさ、元々はモーカリアかどっかの割と大手の商会  で働いてたんだろ?この街じゃ両替為替は、市の直轄で行なわれていて、闇で  やったら禁錮100年の刑だって事くらいは、常識のように身についてなきゃ  ならんのじゃないのか?」 「あ〜…そないな話もありましたなぁ〜  でもウチ、エルフの血ぃ混ざってるから、100年くらいなら平気やし…」 ボカリ。ブレイブの拳がハンナの脳天に炸裂した。 「痛いって!何やの!」 「息をするように嘘をつくなよ…  お前のどこにどーやったら、エルフの血が混ざる余地があるってンだ。  エルフは色白が基本だろ。仮にあってもダークエルフとかその辺だろうに。  つか勝手に両替なんぞしたら、俺の店で犯罪行為があったって事になるだろ!  ただでさえ魔道具が大して売れて無ェってのに、さらに商業ギルドからもハブ  られたら、この先この街で商売できねェだろうがよ」 ため息混じりのブレイブ。 しかしハンナは一向にめげずに、むしろ楽しげに話を続ける。 「もうハブられてるようなモンやないの。  こないだかて問屋が売ってくれへんから、財宝発掘の旅に出てたんやろ?  ほら、変な『地図』を拾うて来た時の。  あの『地図』も自信満々の割には、ち〜っとも売れてへんねぇ  ナベカマ包丁の方が、売れ行きええんとちゃうのん?  何でかあんまり儲かってへんけど。あれは不思議やよね」 「そうやって仕入れの旅をしている時にお前を拾ったのが、オレの運の尽きだっ  たのかもしれねェなぁ…  つか、問屋が売ってくれないのは別問題だバカ。  お前の売りたがってた日用雑貨の許可申請がなかなか降りなかった話と、オレ  の偉大な冒険譚を混ぜるなバカ」 「何が冒険譚やの。  子供だましの『地図』を1枚拾っただけやのに〜」 「デッチのくせに!いつか犯す!」 「何やの!ブレイブのアホー!」 永遠に続くかと思われた二人のやり取りだが、これを打ち破った男がいた。 「あー…店長殿、あまり激昂すべきではないな。  私は金銭を両替するか、しかるべき武具を入手さえ出来れば良いのである」 あ…と、二人は顔を見合わせた。二人とも客の事をすっかり失念していたのだ。 鎧男は、あきれ顔で二人を見つめていた。 「スミマセンねぇ、お客さん。  でもウチの店はあいにくと、いや、ウチの店だけじゃないんですけど、両替は  行なってないんですよ。まずは両替所に行ってからって事で、どうかひとつ」 ハンナとのバトルの若干の苛立ちを引きずりながら、ブレイブが応対する。 こんな時刻じゃ、両替屋も閉まってるだろうけどな。 このオッサン。両替出来なかったら、宿にも泊まれないんだろうな。 まったくもってご愁傷様。 ブレイブは声にこそ出さなかったが、男の不運を想った。 鎧男は困惑した表情であったが、何かを思いついたのか、パアっと明るい表情に なった。何かを探しているのか、懐をゴソゴソと探り出す。 「おおそうだ!先程そこの娘と話してたのであるがな。  実は私は『魔法の矢』なる代物を1本所持しておるのである。  しかし我が武勇は剣にて誇るもの。矢などせいぜい護身用にしかならぬ。  これだ、これが『矢』である。  これと貴殿の店で最高の武具と、物々交換というのはどうであるか?」 物々交換…何だか妙な具合になってきた。 両替できなくて困っていたンじゃないのか? ブレイブは、少しだけ身構えた。 鎧男の言い分もわかる。問題は、鎧男が現金を手に入れないでいいのかってコト と、何故そうまでして武具を手に入れなければならないか、だ。 「そンじゃ、その『矢』をちょっと鑑定させて貰います」 ブレイブは鎧男から『矢』を受け取り、愛用している拡大鏡で鑑定し始めた。 『矢』は意外にも、美麗といえるほどの見事な象嵌細工が施されており、けして 安物の外見ではなかった。そして彼を驚かせたのは、どうやら強力な魔力が付与 されているという点であった。もっと詳しく調べてみないと詳細はわからないが 『矢』は他に例を見ないほどの謎の魔力を秘めていた。 そして何よりも、この矢に刻まれた模様は世界地図の一部であり、その図柄は、 何故かブレイブが仕入れた『地図』と類似していたのであった。 簡単に言うならば、「お高い」道具なのだ。 「なあ、本当にこれとウチの武具と交換していいのか?  買取りするにしても、これじゃ数万モチリンは下らないぜ?」 ブレイブは恐る恐る尋ねた。が、鎧男はアッケラカンとして言った。 「先程も申したが、私が『矢』を持っていても仕様がないのである。  剣の方がいかにも便利なものだ。それ。そこのショートソードが良い。  いかにも切れ味が良さそうなのである」 「いや、しかしね…  それに、これはショートソードじゃなくて包丁…」 そんな二人のやり取りを見て、もどかしかったのだろう。 ハンナは素早く指示された品を手にして、包み始めた。 「えろうスンマヘンなぁ。おおきにおおきに。すぐ包みますよってな〜  ついでに『矢』の買取りもいたします〜1000モチリンやわ〜」 パパパパー 先ほどのスローな雰囲気はまるでどこかに消えたような素早さで、ハンナは品物 をクルクルと紙で包んで、鎧男へと手渡してしまった。 「…おい」 ブレイブはハンナの耳をむりやり引っ張り、店の奥の方へと引っ張っていった。 「お前、あれがどんな代物かわかってンのか?」 「わかっとるよ。  ブレイブは、あの『矢』を気に入ったんやろ?」 「ダメだダメだ。  今ウチの在庫にある剣なんぞとは価値が違いすぎる。  楽して儲けるのは最高だが、それにしても酷い。  あと、勝手に鑑定すんな。どう考えても額が違うだろ」 「え…せやかて…  お客はん、もう行ってしまいよったで」 「何!?お客さん!ちょっと待って…  ってもういないか…」 「まあまあ、ブレイブ。儲けたんやし、ええやないの。  って、普段と立場が逆やね。珍しい事もあるもんや。  普段はブレイブが儲け儲けの金の亡者はんで、ウチは天使のようなラブリ〜な  商売人やのにねぇ。これは雨でも降るんやないかねぇ」 「ああ、雨でも降るんじゃねぇかな…  つか、誰が金の亡者だ。ふざけンな。犯すぞ」 「ま〜た乱暴な言葉を使いよって、もう!」 それにしてもこの『矢』… 詳しく調べてみなければわからない。が、かつて魔法国家ミュラスで魔道を学び (そして追放されたのだが…)その時身につけた知識が確かならば、ここに刻ま れた細工は、ある一つ真実を内封している。最近手に入れた『地図』に描かれた 文様を比較していけば真実が見えてくる。 ブレイブは何気なしに、地図上にコトリと『矢』を置いた。 次の瞬間、地図上に5つの光点が輝きだした。 「(この絵柄…残りの『矢』の位置を表しているのか…?)」 光点はさらに光の強さを増し、ある1点を残して消えていった。 そこは、魔州アトエカ=ブイマと呼ばれる、かつての魔族の城塞である。 これだけの魔力を持ち、しかも残り4つも存在する可能性が示唆され、さらには 一つは魔族の城塞に残されている… ブレイブの想像が正しければ、これは超伝説級のお宝の『皆殺しの矢』のありか を示している可能性がある。問題は、なぜこんなトンデモない代物を、どこぞの 鎧男が持ち歩いていたか、という点だが… 「また…お宝探しの時がやってきたのかもしれねェなぁ」 彼は誰に聞かせる訳でもなく、一人ボソリと呟いた。 「それじゃウチ、冒険者ギルドへ登録に行って来るわ」 エプロンを仕舞いながら、ハンナがブレイブの後ろで返事をする。 「いや、余計な事しないでいいから。つか独り言に反応しないでもいいから。  こないだお前に登録をまかせたら、ガチムチ団とかいう超暑苦しい筋肉戦士団  が一緒に旅するとか言い出して、キャンセルするのにえらい苦労したんだぞ」 真後ろを向きながら、ブレイブが抗議の声をあげた。 「何やの。ガチムチ団の皆は結構ええ連中やのに。  まさかオッパイポヨンのおなごはんの方が良いとでも言うんやないやろね?」 カチャリと皿の音を鳴らして、ハンナは昼食をテーブルの上に置く。 今日のメニューは苗床龍の背で育ったリンゴを使ったアップルパイである。 「いや、そりゃあ筋肉マッチョよりは…  そうじゃなくてだな。今回はかなり危ないトコに行かなきゃならねぇかもしれ  ねぇンだよ。ギルドで適当に見つけた程度のヤツじゃ、役に立た無ェよ。  とりあえずアテはあるから、そいつン所に行こうかなとは思ってるけど…」 「ブレイブのアテってのも、アテになるんかねぇ。で、誰やの?」 「ああ、とりあえずはローランド教会のナキムシがいいかな。  あとは『殴り姫』マオ・ルーホァンだ。ちょっと訳アリの知り合いでな。  何でも、ちょうど今この街に滞在してるってウワサだ。  どこぞで用心棒をしてるとか」 「(殴るのはブレイブだけで十分やないの…もう)」 「ほんじゃ、オレちょっと行ってくるから、店番頼むぞ」 「了解や〜。気をつけてな〜」 「ところでデッチ。ちょっと確認してもいいか」 「何や?」 「お前さあ、さっきはテキトーかつ言われるままに商品を選んで包んでたように  見えたけど、まさかウチの店で一番高い包丁を包んだんじゃねぇだろうな?  魔力付与で絶大な切れ味を誇る無敵の包丁『ボーンスラッシャー』がどうにも  見当たらねェんだがなぁ」 「何やのそれ?」 「…こンのバカ女!  あれ1本で20000モチリンはするンだぞ!  ウチの店の2ヶ月分の売り上げに匹敵すンだぞバカ!  つーか、さっきの客は剣を所望してたンじゃねぇのかよ…  何で包丁なんか…」 「そうなんやぁ〜  ま、いつもの事やないの。気にせんわ。  それに、商品を選んだのは鎧のオッサンなんやからね〜」 デッチは悪びれることなくニッコリと笑顔を見せた。 また笑顔で誤魔化された…この女、いつか犯す! ブレイブはグダグダとくだらない事を考えながら、まだ見ぬ仲間を探しに酒場街 『酔いどれ竜の吐息』へと足を運んだ。 その日の午後、ブレイブはイライラしながら街を歩いていた。 マオ・ルーホァンに会いに行ったはいいが、用心棒として雇われているという噂 の酒場が開いてなかったのだ。寝泊りしているという安宿屋にも姿はなく、宿の 管理者から『竜の胃袋』通りにいると聞かされた。 『竜の胃袋』通りは、モチリップの中でも最も多く飲食店の集まった区画であり 大抵の旅人は、この通りで食事を済ますのだという。 自分の情報不足が問題だったのだ。誰が悪いかと言えば完全に自分が悪い。 仕方が無いので、酒場街『酔いどれ竜の吐息』から、街の反対側の『竜の胃袋』 通りに向かって歩き出した。 仕事の時ならば、何となくデッチをイジメてウサを晴らすのが日課であり、それ が彼の密かな趣味でもあるが、今回ばかりはそうもいかなそうだ。 まず手近なところに叩くべきデッチの頭が無い。イライラついでに、因縁をつけ てきた酒場のゴロツキを3人ほど雷撃呪文でぶっ飛ばしたが、スッキリしない。 マオ・ルーホァンとは因縁がある。 かつて魔法国家ミュラスで魔道を学んでいた頃に、武者修行中の彼女となりゆき から対決している。『悪夢の雷嵐公』などと大仰な二つ名で呼ばれた頃の話だ。 知らず、いい気になっていたのだろう。 対決を申し込まれたのも何かの冗談だと思っていたのだ。 だから、軽い電気魔法で驚かせばそれでいいとさえ思っていた。 10歳かそこらのガキと思って、油断しすぎたのだ。 彼女はその頃から、異常な実力を有していた。 彼の得意な雷撃系魔法は、ことごとく彼女の電光石火の俊敏な動きによって回避 され尽くし、禁呪を勝手に改良して編み出した極大雷撃魔法ジゴワットですら、 地面をえぐるように蹴飛ばして塊ごと巻き上げ、それを盾にするという、人間技 とは思えない回避方法で無効にされたのだ。 結局ブレイブは私闘違反、禁呪使用違反、器物破損、入院費滞納などなどの理由 で魔道学校を追放となってしまった。 自分は無謀だったのだろうか。その時から延々と考え続けている事だ。 少なくともこの事件は、彼の人生に大きな影響を与えている。 同じ王国連合内だからであろうか、その悪名はモチリップにまで届いていた。 いわく、雷撃呪文で街をひとつ地図から消した。 いわく、旅のモンクに鉄拳で退治されたが、死霊となって蘇った。 いわく、どこかの街で詐欺商売を働いている。 いわく、彼が悪事を働く時には、晴天でも黒雲が生まれる。 良いウワサはひとつも無い。 「あン時の借りがあるンだ…少しは向こうも負い目が…無ェよなぁ…  でも、マオくらいの実力者じゃないと、今回の冒険は成功するとは思えねェ  魔道大学ン時に読んだ文献が正しければ、それにあの地図が正確ならば『矢』  は、魔州『アトエカ・ブイマ』にある『氷色の塔』の中…  下手をすると、魔王クラスの存在と対決しなきゃなんねぇ…っと」 ドン! 考え事に夢中になりすぎたのか、ブレイブは人だかりに気づかなかった。目の前 にいた男は不機嫌そうにブレイブに怒鳴りつけてきた。 「おい!危ないな。気をつけろよ!」 「あぁ!?こっちだって気が立ってンだ!やるってのかコラ」 そんな二人を見かねて、その隣にいた爺さんがなだめに入ってきた。 「おいおい…何だってこんなに今日は殺気立ってんじゃ。  兄ちゃんも少し落ち着きなされ。よそ見してたのはアンタじゃろうが。  って、何じゃ。ブレイブじゃないか。店はほったらかしでええのか?  ハンナの嬢ちゃんにまかしとったら、赤字経営になるじゃろ。  安く買えるしベッピンじゃから、ワシらはそっちの方が嬉しいがの。  ともあれ、ワシらもアレに夢中になりすぎとったが、お主も悪いんじゃ。  こっちもあっちもケンカじゃ、タマランぞ。謝っとけ」 「ああ、何だ。ワシラ爺さんじゃねェか。  確かにオレのよそ見が悪い。  すまなかッたな。ちょっとイライラしてたンだ。  で、だ。殺気立ってる?あっち?おい、何の事だ?」 「もう少し丁寧に謝れよ…まあいいさ。  アレだ、アレ」 「アレ?」 いつの間にか目の前にできていた、まるでバーゲン会場のような人だかりをかき 分けると、全身鎧に身を包んだ騎士か戦士かといったゴツい雰囲気の男が一人と いかにも華奢な女性が一人。その二人の周りに近づけずに、何十人の見物人が集 まっているようだった。 「何だ。ケンカだってのか?…くそ!よく見えねぇ」 ようやく人だかりを抜けられる、その瞬間だった。 目の前で、まるで雷撃魔法が炸裂したかのような爆音が聞こえた。 「この音…まさか!」 その日の午後、ハンナ・ドッチモーデは居残りで、魔道品商店『路傍庵』の店番 をしていた。彼女の仕事であり、趣味的な勤務をしてもブレイブが気づかない、 気楽な時間でもあった。 店のカウンターはカビ臭く、ある意味で季節を感じられ(夏は酷い臭いなのだ) おそらくこの街で最も自然と程遠い場所であった。 『路傍庵』は、最近は魔道器具がサッパリ売れずに、むしろ彼女の仕入れた包丁 だの鍋だのの方が売れているという始末である。だからと言って儲かっている訳 ではない。『なぜか』『まったく不思議なことに』沢山売ったはずなのに、儲け の額がずいぶんと少ないのだ。 それは単に彼女の商才に問題があるのだが…彼女はそれを感じていないようだ。 むしろ才気溢れる自分をいつまでも丁稚扱いしてデッチ呼ばわりする、ブレイブ の商才こそ無いのだと思っているのだ。 「やっぱブレイブの商才が無いのが問題なんかねぇ。  ウチの考えた調理器具作戦は大当たりやもんね。  せやのに何やの、あの態度は。  あんだけ欲しがってた『矢』やのに。  ウチが包丁と取替えっこしただけで、あんなに怒らはって。  何かにつけて殴るわ怒鳴るわ、あげくに『犯すぞ』だなんて笑かしよるわ。  …本当に犯されたらどないしょ。責任とってくれるんやろか。  子供の名前は何がええやろな。可愛い名前がええなぁ。  マッスルポチョムキンとかがええかもな。  確か美人の姫さんの名前やもんな」 ブレイブのツッコミが入らないと、いつまでも妄想の世界に漬かり込むいつもの 悪いクセを全開にして、ハンナはカウンターにグッタリと寝込んでしまった。 昼寝をしていても問題はないだろう。どうせそんなに客は来やしないのだ。 もし来たら自分のスペシャルトークで高額商品を売りまくって…って…しまえ。 そしたらブレイブかて…グウ…スゥ… 彼女の心地よいまどろみの時間を遮ったのは、モチリップ市内の街道通信士の声 だった。彼らは王国連合内であれば、陸路を通って通信物を運んでくれるのだ。 「すみませーん。お手紙が届いております」 「…う…あうぅ。ハイハイ。いらっしゃいませ」 「お手紙です。代金は既にいただいておりますので、確認のサインを」 「サインですかぁ。ハイハイただいま。  そういえば、ブレイブはこういう時に、何て書いてるんやろ。  あれは本名じゃあれへんようやし。  あ、婚姻届を出す時に、本名がわからんと困るやん。どないしょう」 「結婚なさるのですか?」 「え?えーえへへ。いえいえ。なさりまへん。こっちの話ぃや。  サインはウチの名前でもええのん?」 「かまいませんよ」 ハンナはサラサラと自分の名前を伝票に書きつけ、手紙を受け取った。 「店宛の手紙やん。どれ、中身は何やろね」 開封してみると便箋が数枚封入されていた。専門用語がいっぱいの文面だったが つまりはブレイブと懇意にしている人物からの手紙であり、納戸を整理していて 不要の古道具が出てきたから、引き取りに来て欲しいという内容のようだった。 「何や。こんな仕事ウチでも出来るやん。  どれ、店長不在やしウチが行くとするか。  今日はもう店じまいやー。  金庫持ってー、鍵閉めてー、さあ行きましょかー」 手紙によると、差出人は『竜の胃袋』通りに店を構えている人物のようだ。 ブレイブが今いるのは『酔いどれ竜の吐息』通りだから、会う事もないだろう。 今回は完全に自分の手柄だ!彼女の気分はだんだんと高揚していった。 「やあ、お待ちしてました。ブレイブさんは一緒じゃないんですか?」 目的地につくと、待っていたのは冴えないオッサンが一人だった。 「(…ブレイブ。まさか友達おらへんのやろか。    何もこんなオッサンと懇意にせんでもねぇ)」 まさかそんな事を口に出しては言えない。ハンナは出来る限りの笑顔を取り繕い 先祖秘伝の猫なで声を炸裂させた。 「今日はウチだけなんよ〜。  それで、どれを引き取っていけばええんやろね?」 「あ、えぇと、これです。ブレイブさんのお話では、数万モチリンの価値がある  とか言う事でして、密かに楽しみにしていたのですよ」 そう言ってオッサンの出してきたのは、小汚い石と極東で使われる算盤、そして 『黒い矢』だった。黒い矢は特に異彩を放っていたが、ハンナの目には、これら 全てが小汚いだけのガラクタに見えた。 「この間話をした時は、この宝玉と算盤だけだったんですけどね。  もう少し探してみたら、この『黒い矢』も見つかったんですよ。  どうです?珍しい一品でしょう?  確かに数万モチリンの価値はあるかも…」 オッサンは段々と鼻息が荒くなっていったが、反対にハンナの気持ちは醒めつつ あった。男どもの趣味は本当に理解しがたいものだ、と。 「これが数万モチリンなん?  ウチの店長どうも本気で商才無いみたいやわ。  申し訳無いんやけど、これ全部で500モチリンってとこやね」 「ご…500ですか?そりゃあ話が違いすぎじゃないですか。  ブレイブさんは人を騙したって事ですか!?まったく期待させて!  どうせ不要なものです。500モチリンもいりませんよ。  タダでいいですから引き取っていってください。  あと、ブレイブさんには二度と来るなとお伝えください!」 オッサンは顔を真っ赤にして怒り、バタンと大きな音を立ててドアを閉めた。 「怒らしてしもうた…ま、ええわ。  タダでもろたんなら、ナンボで売っても儲けやしな」 そう言うとハンナは手早く品物を包み、フラフラと風呂敷を下げて歩きだした。 「あんまし長く店を空けとったら、ブレイブに怒られるやもしれんね。  一応早めに店に戻っとく事にしとこうかな」 急いで店に帰ろうとする彼女の目の前には、黒山の人だかりができていた。 バーゲンか何かやろか?のん気にそんな事を考えた彼女であったが、すぐにそれ が間違いだと気づいた。人だかりの向こうから爆弾の破裂音のような、もの凄く 大きな音が聞こえたからだ。 「うっひゃあ!何事なの?  まさかブレイブ、巻き込まれてへんやろね…  むしろ犯人じゃなきゃええけど」 その日の午後、ナキムシことローラローラは、教会の中庭を掃除していた。 これは彼女の日課でもあり、密かな趣味でもある。中庭は教会の中で一番季節を 感じられる場所であり、この街の中で最も緑溢れる場所だからだ。 彼女の暮らす教会は、救世軍ローランド教会という。救世軍とは、名のとおりの 軍組織ではない。元々は、どこぞの酔狂な王が道楽で設立した、戦災孤児救済の ための組織である。酔狂王に言わせれば、貧困と飢餓の救済こそが、世界征服に 向けた最高の侵略行為だと言う。だから『軍』を名乗らせているのだという。 一種の諧謔であろう。 設立時こそ酔狂王の財政支援を受けていた救世軍であったが、次第に自立の道を 歩み、現在では王国連合の大半の国家を巻き込んでの運営を行ない、様々な国に 『教会』を建て、孤児を育てている。 (これは王国連合の加盟国間の連帯感を向上させるため、さしさわりのない福祉  政策として、酔狂王の言うところの救世軍という戦災孤児救済システムを採用  したのだという、うがった見方が無い訳でもない) ローラローラは、そういった戦災孤児の一人であった。彼女は救世軍ローランド 教会の門前に捨てられていたのだと言う。詳しい話はわかっていないが、教会の 司祭に聞くところによると、両親は戦争で亡くなったのではないかという事だ。 両親は彼女に、身の丈ほどもある超巨大な真っ黒い魔女の三角帽子のみを残して いった。彼女自身は、両親がどこかで生きているような気がしてならないのだ。 いつか旅に出て、両親を探し当てたいと彼女は思っている。 もしそれがかなわないのならば、せめて両親の生まれた地を探し当て、父や母が どんな人生を歩んできたのか、それを知りたいと思うからだ。 その鍵こそが、真っ黒の三角帽子なのだ。だから彼女はそれを後生大事にかぶっ ている。両親が居なくとも、彼女は寂しくは無い。ローランド教会こそが彼女の 家であり故郷なのだ。 彼女はこの教会で神学を学び、この街で魔法を学んだ。彼女の住むモチリップ市 は王国連合の交通要衝だからか、様々なものが行きかう。それは魔法も同じだ。 市内には魔法国家ミュラスに本校をかまえる魔道士養成校があった。元々の素質 があったのだろうか。火属性と水属性の魔法は難なく使えるようになった。 特に火属性の魔法は、初心者向けながらも威力の高い『火球』までも操るように なった。同年代の14、5歳の少女達よりも、いくぶんかは覚えが良いようだ。 しかしこれは、あくまでも、一般人としてはという意味である。真に魔力を持つ ものは、14歳にもなれば、軍の戦力を担うほどの破壊力を持つ魔法を行使出来 てもおかしくはない。 彼女は、それを戦闘のために用いようとはしなかった。争いごとは苦手なのだ。 彼女の魔法は教会での炊事、洗濯に存分に生かされている。教会もまた、彼女の 魔力に対して高い評価をしており、普通なら司祭にのみ伝授する二つの『奇跡』 を彼女に伝えた。彼女はそれだけでも十分に幸せだったのだ。 「ふう…だいたいお掃除…終わりかな。  それにしても…今日はいい天気。  こんなに空が青いのは…何年ぶりかしらね。  っと…スソが汚れてる…かな。  お洗濯もしなきゃね」 ギューっと背伸びをしたあと、地味目のローブについた土埃を手でほろいながら 彼女は中庭出口へと向かった。その時、ビョウという音がして風が通り抜けた。 振り向くと、先ほどまで雲ひとつ無く真っ青に晴れ渡った空の端に、妙に黒い雲 がポツリと浮いていた。雷雲だ。『酔いどれ竜の吐息』通りの方角だろうか。 「かみなりぐもか…嫌な雲…  ブレイブさんが…また暴れてなければいいけど…」 独り言をつぶやきながら、あの雲が近づくならもうしばらくは洗濯は出来ないな とボンヤリと考えていた。 「あ…そうだ…お夕飯の食材を買いに行かなきゃ…  雨…降る前に買ってこれる…かな?」 ほんの少しだけあわてて身支度をすませて、彼女は商店街に出かけた。普段から なじみの、食材から日用雑貨まで何でも豊富な商店街『竜の胃袋』通りだ。 「何かいい事…あるといいなぁ」 てくてくと買い物籠をブラ下げて歩くローラ。数微刻ほど歩けば目的地だ。 だが、彼女の目の前には黒山の人だかりができていた。バーゲンか何かかな?と のん気にそんな事を考えた彼女であったが、すぐにそれが間違いだと気づいた。 人だかりの向こうから、破裂音のような、もの凄く大きな音が聞こえたからだ。 「…何?」 その日の午後、マオ・ルーホァンは珍しく外出していた。 彼女の仕事である酒場の用心棒は夜からの仕事であり、普段、日中は寝ているか 修行しかしない。それでも日中に外出したのは、昨夜、お気に入りの服を、半分 ほど酔っ払いに汚されたからだ。残りの半分は、酔っ払いをブチのめした返り血 のために汚してしまったのだ。要は服を洗濯に出すのに外出したのだ。 それにしても昨夜の客は気持ち悪い奴だった。彼女は思い返して身震いした。 おそらくは、どこぞの貴族のボンボンが、お忍びで遊びにでも来てたのだろう。 酒ビンを振り回しては中身を周囲にブチ撒け、酔いすぎては汚物を吐いて周囲に 撒き散らし、かと言ってお大尽では注意しようにも…といった時に彼女の鉄拳が 炸裂したのだ。一番嫌いなタイプなのだ。取り巻きが数名いて、何か因縁を付け ていた気もするが、言い終わる前に全て殴り倒したのでよくわからない。 彼女はあえて路地裏を歩いていた。そこは最も危険を肌で感じられる場所であり この街で最も殺意に溢れる場所だからだ。先ほどから自分を目当てに声をかけて きた男を、通算して10人ほど血祭りにあげている。 それは金が目当てだったり体が目当てだったりするのだろうが、その理由を聞く 前に殴り倒すから、やっぱりよくわからない。一応、殺してはいない。 「まったく修行にならないヨ。  近頃はチンピラもこの程度かネ」 両拳のグラブについた血を拭き取りながら、マオは心底ツマラなそうに嘆く。 彼女が人間相手のストリートファイトで本気になれたのは、14年とちょっとの 人生において数度だけ。そのうちの一回は『悪夢の雷嵐公』との戦いだった。 あの時は心底楽しかった。 この世の人間で、ああまで本気になって、無謀な戦い方をする者は居なかった。 街中で禁術をぶっ放す人間など、彼を除けば数名しかいないだろう。 それとも、よほど自分を恐れたのだろうか。追い詰められた獲物は何をしでかす かわからない。それは臆病者のする事だ。 そんな事を考えながら路地裏の近道を通り抜け、普通の通りを行くよりも遥かに 短い時間で『竜の胃袋』通りにつく。 「これ、洗濯しといてネ」 ポソッと言って洗濯屋『熊洗い屋敷』に血染めの衣を数枚預けて、彼女はしばら く通りを散策した。蒸かし餅を50個と照り焼き骨付竜肉を30本ほど食べた時 に、男から声をかけられた。信じがたい事に、男はこんな街中にもかかわらず、 全身鎧<フルプレートメイル>を着込んでいた。 普通はこんな重たい鎧を着たら、歩くことすらままならない。こいつは強者だ。 彼女の認識がそう告げた。こんな人物と戦えたら、少しは楽しいだろうか。 彼女はボンヤリとそんな事を考えていた。 「貴殿、昨夜は随分と恥をかかせてくれたではないか。  貴殿が昨夜に酒場で半殺しにした相手は、かのフォマルトハウト家の血族で、  我が雇用主たるラジアン・フォマルトハウト様に他ならないのであるぞ。  普通ならばこの私が成敗するところだが、ラジアン様よりじきじきに、貴様を  召抱えたいという伝令が来たのである。  実に5万ガロッポという破格での待遇である。  庶民が手に入る額ではないぞ!  私と一緒にラジアン様の下に行くか。  それとも抗って私に成敗されるか。  今すぐに決めてもらおうじゃないか。  仮に戦うとするならば覚悟しておけ。  我が『ボーンスラッシャー』の最初の餌食は貴様という事になるのだぁ!」 鎧男が好き勝手な事を言い出し、スラリと剣を鞘から引き抜いた。 いや、それは剣ではない。包丁だ。 何故か鎧男は包丁を握り締めていた。 そのあまりの大声に周囲の注目が集まりはじめ、いつの間にか二人を中心にして 黒山の人だかりが出来ている。さて、この男に何と言ったらいいだろうか。 彼女は少しだけ考えた。 ズドォォォォァァァン! 考えたが面倒になったので殴る事にした。 雷が落ちたような爆音の原因は二つ。 まず踏み込み足が地面を強烈に揺らした事。 踏み込みの不足した拳など、何の効果も為さない。 踏み込んだ足を中心にして地面が丸く、ちょうど彼女の身長ほどの範囲で完全に 陥没したが、これはいつもの事だ。 次に、突き出した拳の破壊力で、全身鎧の装甲が完全に破断した事。 鍛えた彼女の拳に、鋼の装甲など意味は無い。 目の前には、鎧を完全に砕かれて茫然自失としてる哀れな男が一人いるだけだ。 「ま…まさか」 「な…殴り姫」 「あの娘があの噂の殴り姫なの?」 「あんな細い体のどこにあんな力が…」 「いや、さっきメチャクチャな量の肉を食ってたぞ」 周囲の人々は好き勝手な事を言っている。 さて、あまりうるさくなっても雇い主の酒場の人に迷惑をかける。 彼女が立ち去ろうとした時だった。 周囲の人々の中に、懐かしい顔を見かけた。 その男は驚きと喜びと心底嫌そうな顔と、様々に混ぜた複雑な表情をしていた。 「ブレイブ!ブレイブじゃないか!  無謀と臆病の区別はついたか?  『悪夢の雷嵐公』なんていう恥ずかしい二つ名は捨てて、  ちゃんとまだワタシのつけた『ブレイブ』を名乗ってるか?」 マオ・ルーホァンは笑顔でそう言った。 第2話に続く <登場人物など>     魔道商人ブレイブ 〜本名は不明。男性。年齢は20代半ばくらい。かつては悪夢の雷嵐公とも呼ばれた程の               魔道高位者だが、職業は商人。モチリップ市の町外れで嫌々ながら中古品販売をしている。   ハンナ・ドッチモーデ 〜田舎から丁稚奉公に出たはいいが、あまりの商才の無さに放逐されてしまい、               冒険の旅にでたら魔道商人に拾われた19歳の女性。多分ブレイブが好き。     マオ・ルーホァン 〜武闘家。通称『殴り姫』酷く口下手で、話したり考えたりするより、殴る事を最優先する女の子。         ナキムシ 〜本名ローラローラ。14歳の泣き虫魔女。 地味目のローブに押し込まれたオッパイは一級品。               火属性と水属性の魔法がそれなりに使えるので、炊事当番が多い。