魔道商人記 2話 〜冒険の旅〜 あのミュラスでの死闘から、もう何年たっただろうか。 モチリップの街中で、ブレイブは久々にマオに出会った。 彼女は何ひとつ変わってはいなかった。 変わったとするならば、その拳のレベルが易々と全身鎧を粉々にする程に、半端 なく上がっていた事と、さすがに昔よりは大人びた雰囲気になった事くらいか。 ミュラスで戦った頃から計算すると、14、5歳くらいだろうか。屈託無く笑い ながら、巨漢の男を道の端に蹴り飛ばす彼女は、まさに魔人だ。 彼女は「忙しいから帰る」とでも言うかのように、無言できびすを返した。 周囲の人垣がザッと開いていく。 彼女の脅威的な破壊力を目の当たりにして、恐れおののいているのだ。 ここで逃してはいけない。ブレイブは慌てて声をかけた。 「ちょい待てマオ!  実はちょい頼みがあるンだけど」 マオはクルリと起用に顔だけをブレイブの方に向けたが、頼み方が悪かったのだ ろうか。興味なさそうに再び歩きはじめた。 「ちょっと待て!帰るのは話を聞いてからにしてくれ!  あまり大きな声じゃ言えねェけど、儲け話だ。  財宝を入手出来るツテがあるんだが、その場所が悪い。  まだ完全に解読出来てねェが、お宝のある場所は、おそらくはポーニャンド領  の魔州『アトエカ・ブイマ』じゃねェかって感じだ。  人外魔境もいいトコだがモンスターに関しちゃ、お前さえいれば何とかなる。  オレはお宝ゲットで儲けて、お前は魔神や龍と戦える。  どうだろう?協力してもらえ…グフォ!」 話の途中だったが、ブレイブの腹部にマオの拳が軽く突き刺さった。 耐えられずうずくまるブレイブ。 「話が長いヨ」 ポソリとそうつぶやく。 「…うぅ…そうか…そうか?  要は強い化け物と戦えるって事だ」 その一言で、マオの眼に若干ながら光が宿った。 生まれついての戦闘気質のようなものなのだろう。 もう人間相手のバトルには飽き飽きしてきてたとでも言わんばかりだ。 「…ほかにも2、3人は連れて行く予定だ。出発は明日の朝。  つーか、こんな強烈にブン殴りやがって。  頼むから来てくれよな」 ほかにも2、3人。 そう聞いて周りに居た聴衆は一目散に逃げていった。 残ったのはブレイブやマオを含めて数名だけだった。 「は…まぁ、仕方ねェよな。  こんな恐ろしいモンを見せつけられちゃあ。  そこのお嬢サン。アンタはどうだい?  って、お前ナキムシじゃねェか」 その場に残った人の中からブレイブが見つけたのは、地味なローブに地味な帽子 をかぶった少女だった。涙目になりながらも逃げずに立ちすくんでいる。 ナキムシと呼ばれた彼女の名はローラローラ。 教会の買い物を終えた時に、この騒動に巻き込まれたのだ。 マオはローラローラに視線を向けると、何故かニコリと微笑んだ。 その微笑を見て、ローラローラはようやく安堵の表情を浮かべた。 「…ブレイブさんって、本当に悪夢の雷嵐公だったんですね」 ようやく柔和な表情に戻ったローラローラは、そうマオに話しかけた。 「全然違うゾ。  アレはただの臆病者ブレイブだ」 ローラローラの方に歩み寄りつつ、ニヤリと笑ってマオは答えた。 同年代だからだろうか。 マオは随分と饒舌に、ローラローラに話をしている。 それにしても、とローラローラは思う。 ローラローラ自身は、いつかは自分も旅立とうと常に考えていた。 最近は特に、その気持ちが強まってきていた。 自分のルーツを求める旅。父と母の生きた痕跡を求める旅に出たい。 彼女は思わず、旅の目的地を聞いていた。 「…あの…旅…に出るのですか。  その…どこに行くんですか?」 「ブレイブ!どこに行くんだったか!?」 マオに大声で呼ばれたブレイブは、お腹の辺りをさすりながら近づいてきた。 ダメージがまったく抜けていない。 それでいて、恐らくは手加減すらしているのだろう。 「話をちゃんと聞けよな。『アトエカ・ブイマ』だよ。  そこに行くまでには、王国連合各国を周らなきゃならンけどな。  少なくとも、リバランスを抜けてポーニャンドには行くよ」 王国連合各国と聞き、彼女の心は弾んだ。 自分ひとりでは困難な道どりだろう。 だが、一緒に旅をする仲間がいるならば、目的は果たせるかもしれない。 「あの…私…生き別れになった両親を探してるんです。  もう死んじゃったって聞いていますけど…  もしかしたら…もしかしたらまだ…  私も…一緒に行ってもいいんでしょう…か」 その言葉を聞き、マオはニンマリ笑っている。 地味なローブの少女も見たところ14歳ほど。 自分と同年代だ。 友達が増えるかもしれない。 そう考えていた。 反対に、ブレイブは不安を隠せない表情をしていた。 ガキを引き連れての旅路。 しかも女ばっかり2人目だ。 大丈夫なのか。 そう考えていた。 「あー、あのさ。  ナキムシお前、何か特技とかあるか?  教会で仕事してンのは知ってるけどさ。  今回は路傍庵にお使いするのとはワケが違うぜ?」 「あの…一応…魔法を…  火属性と水属性が少しだけ…  でも…炊事とか得意です。  あと、お洗濯も。  それと、その、お裁縫とかも」 炊事洗濯! その言葉を聞いて、ブレイブの表情が明るくなった。 ブレイブも炊事に関して出来るほうだ。 が、面倒くさがりの彼が最も嫌うのが炊事であった。 マオは下手をすると生肉にかぶりつくタイプの人間だ。 デッチはそもそも連れて行く気が無いし、炊事はお世辞にも得意ではない。 味に関しては、やや濃すぎる事の他は、まったく問題ないのだが、ブレイブは それを認めると負けた気になるので認めないのだ。 ただし、毎日残さず食べてはいる。 「炊事洗濯は、旅を続けるには必要なスキルだな。いいだろう。  明日には出発したいから、準備が出来たら正午までに  モチリップ冒険者ギルドの前に来てくれ。待ってるぜ」 ズドンッ! マオは少しイラついた顔で、ブレイブを殴り倒した。 何を偉そうな態度を取ってるのかと、その表情が語っている。 「うぐぅ…お…おね…が…グフッ…」 「ローラ!私はマオだ!ヨロシクな!」 「はい…よろしく…」 ガッチリニッコリと握手をする二人。 旅が始まる前から、かなりブレイブは不安になっていった。 「というワケだから、また明日から留守にするぜ」 しばらく時が過ぎ、日もすっかり暮れた夕食時。 ブレイブの店である魔道品商店『路傍庵』の2階の食堂で晩御飯を食べながら、 ブレイブはハンナにそう告げた。路傍庵は1階が全て商店と倉庫になっていて、 2階がふたりの居住空間となっている。 ふたりが食べている食事は、ハンナの手製料理である。今夜のメニューは、タイ リョウバッタの甘辛佃煮と、ファングスコーピオンのチリソース煮だ。 長い耳をピコピコ動かして嬉しそうに食べていたハンナは、ブレイブの言葉を聞 いた瞬間に、妙に寂しそうな声を出しつつ抗議しだした。 「ふぁたるふあん。はまひはふれへいっれふれひぇうぉ」 「飲み込ンでから話せ。何言ってるかわかンねェから」 「うぐっ…ん…ふわぁ…  なぁ、たまには連れてってくれたってええやん。  結構ウチだって役に立つかもしれへんよ?例えば炊事とか」 「あー、炊事係はもう見つけたから大丈夫だ。  つか、こんなに大量に香辛料を使う料理なんて、旅に出たら無理だろ」 ブレイブは、チリソース煮を頬張りながらそう言った。 ハンナは台所から、追加の香草サラダ・ボレリア風味を持ってきながら、何やら いろいろと考え込んでいた。 「そしたら何やろねぇ…  あ、アイテムの鑑定!これは商人しか出来へんよ?」 「アホか。オレも商人だ。  つーかデッチ、お前まだ鑑定出来るレベルじゃねェだろ」 「ウチの眼鏡には魔力があるんよ。  これでピンチの時にはこう!破壊光線が!」 「魔力があるのは知ってるけど、その眼鏡からは何も出ないぞ。  何のポーズだそれは。だいたい破壊光線って何だよ」 「たあいも無い会話をしながらも、場を和ます雰囲気も必要と思わん?  あ、ソース取ってんか。えっと、そっちの辛いほうの」 「んあ?ほらよ。  いや待て、お前佃煮にソースかけンの?まあいいや。  つーか、別に和ます必要ないから。  いや、あるかな?マオは酷いもンな。  いやいや。無い。無い。いらねェ。  あと食わねェんならサソリ肉よこせ」 「好きなものは最後までとっとくんや。  サソリはあげへんよ。って何やのその手ぇ!  絶対に渡さへんからね。…もう、半分だけやで。ほい。  あと、あれや。ウチも少しは商人としての修行が必要やん。  いつまでも丁稚だなんて言わせへんよ〜」 「ん…ああ、修行な。  確かに必要かもしれねェなぁ。  でも、そうか、でも、んー  …そう、だなぁ…  でもなぁ…危ねェしなぁ…」 「そや!ウチが危のうなったらブレイブが守ってくればええんよ!  これで決まりやねぇ〜っと、ごちそーさん!早速旅の準備を始めんと!  旅に出るの久々やわ。思えばブレイブに会った時以来やね〜」 「勝手に決めンなよ。  ホントしょうがねェヤツだな。  今回の旅は二ヶ月以上はかかると思うから、それなりに準備しとけよ。  オレも準備始めるから、あとの片付け頼ンだぞ」 「はいな〜 ってまたウチが片付け?まあええわ」 テキパキと皿を洗いはじめ、とりあえずガチャリと1枚ほど割りながらも片付け は進む。ハンナがバタバタやってる間、旅の準備を進めながらもブレイブは少し 悩んでいた。確かに今度の旅は人手がいる。しかし、魔州『アトエカ・ブイマ』 は素人が行く場ではない。そこはかつて、魔族が世界征服の拠点としていた要塞 『氷色の塔』を有する恐るべき土地なのだ。そんなところにレベルの低い人間が 行けば、モンスターの餌食になるだけだ。 マオは問題ないだろう。おそらくは魔神でも殴り倒す。魔法使いのナキムシは、 鍛えれば何とかなりそうだが、デッチに戦闘の素質があるとは思えない。 もしかして、自分は彼女を巻き込んだだけではないのか、と。 (…デッチに黙って、明日は冒険者ギルドで代わりの人材を探そうかな) そんな事を考えながら準備しているうちに、ふと手が止まる。『皆殺しの矢』へ の道しるべ、そしてそれを開放するという矢のひとつ『象牙の矢』… 思えばあの全身鎧男がこれを持ち込んでから、事態は急展開している。 よもや本物だとは思いもしなかった。 自分の店ごときに、それほどのお宝が流れてくるなど想定外だ。 「あ、そういえば竜の胃袋通りのツーコーさんから返事来てねェな。  まさかあの人が持ってる矢まで例のお宝…  『黒曜石の矢』って事は無いとは思うけど…  デッチー!ツーコーさんから手紙か何か来てなかったかー?  数万モチリン単位の取引だったンだけどさー!?」 「数万モチリン?そんな大仰な話は知らへんよ〜  タダでガラクタ引き取ったりはしたけどな〜」 「ンなモンには興味ねぇよ。  ていうかマジメに店番しとけよもう!  何でガラクタ引き取ったりしてンだよ…  まあいいや。オレは準備終わったからもう寝るぜ。  お前もさっさと寝とけ」 「ん〜?珍しく優しいやん。  普段なら『犯すぞー』とか言うところやのに」 「お前の中のオレのイメージはどうなってンだ。  いいからさっさと寝とけよ」 「はいはい。  朝食はウチが作っとくからな〜」 モチリップ市の朝は早い。 酒場で飲みすぎた連中が朝ゲロを吐く横で、もう新聞配達が走り回っている。 そんなゲロ地帯『酔いどれ竜の吐息』の奥まで行くと、冒険者ギルドがある。 ブレイブとハンナが到着した時には既に、ローラローラもマオも着いていた。 ローラローラがハンナを見つつ、ブレイブに話しかけた。 「…これで全員ですか?  ええと、そちらの方は…確か…」 「ああ、ウチの店で丁稚奉公してるんだ。  名前はデッチ」 「ちゃうやん!もう、適当なんやから。  はじめまして、ウチはハンナ・ドッチモーデ言います。  あ、ハンナでええからね。よろしゅうな」 的確なツッコミの後、ハンナはニコリと笑って手を差し伸べた。 ローラローラはおずおずとしながらも、彼女と握手をかわす。 「…こちらこそ…よろしくお願いします…ハンナさん。  あの…はじめまして…じゃ…その…」 「宜しく、ネ。ハンナ姉」 ニコニコと自己紹介するハンナとは対照的に、マオとローラローラはかなり緊張 ぎみの様子だ。表情が硬い。それはそうだろうとも思いつつ、ブレイブがハンナ に二人を紹介する。 「あー、そっちのが『殴り姫』マオ・ルーホァン。  で、こっちのが『ナキムシ』ローラローラ。魔女のタマゴって感じだな。  あれ待てよ。ハンナお前、ナキムシのコトは知ってンじゃねぇのか」 「お客さんと旅の仲間じゃ、まったくちゃうやんって話やねぇ。  ローラにマオちゃんやね。仲良うやろうな」 「何か適当だなぁ。ま、デッチだしそんなモンか。  あー、そんじゃ、ちょいギルドで申請してくるから、そこで待ってろ」 そう言うと、ブレイブは事務所の奥に進んでいった。 残った女性陣と言えば、さっきまでの緊張した雰囲気はどこへやら、昨日今日に 会ったばかりとは思えないほどに話に花を咲かせている。 「何だってあンなに早く打ち解けられるンだろうな。まったく…」 さて、世界各国のちょっと大きな街には、だいたい冒険者ギルドと呼ばれる設備 がある。冒険者ギルドには様々な機能や役割があるが、代表的なものが、様々な 仕事の依頼、冒険団の登録と冒険者の斡旋である。特にギルドに登録することに よる王国連合国内での身分証の存在が大きい。 ギルドのカウンターには、いかにも洒落た雰囲気の男が一人いる。ブレイブは、 その男に、ちょっと嫌そうな雰囲気で話しかけた。この男はワザとなのかどうか わからないが、いつもツボを外した仕事をしてくるので、彼は嫌っているのだ。 何故か『ガチムチ団』を押し付けたがっているのもワケがわからない。 「あー、ちょっといいか。  ギルド登録者で、今すぐ旅立てそうな男性の戦士は何人くらいいる?  そうだな、出来るだけ戦闘経験の豊富なのがいい」 今までの経験から、ブレイブはかなりの不信感を持っている。 彼は恐らく今日もガチムチ団を紹介してくるだろう。 「そうですね…少々お待ちを」 そういうと、洒落男は棚からファイルを持ち出した。 「うむ。そうですね。  『ガチムチ団』という戦士団ならいつでも」 「またかよ…何だよこの街のギルド。  いや、結構だ。ほかにはいないのか」 「ほかとなると難しいですね。数日前に『嘆き岩』の撃退令が出て、モチリップ  の冒険者は大半がそちらに向かいましたから」 「そか。まあしょうがない。  それなら、パーティの登録をさせてくれ。  名前は、そうだな…『矢の探索団』で」 「ダサイですね」 「センスはどうでもいいンだよ。  わかればいいンだ。わかれば」 「そうですね。  では『アローシーカー』というのはどうでしょう」 「アンタもセンスあるとは言えねェな」 「まあ、名前は重要ではありませんからね。  『アローシーカー』っと」 「そっちかい。  ホント人の話を聴かねェなアンタ」 「構成は?」 「ええっとな…」 数刻後、ブレイブはようやくギルドから出てきた。信じられないことに、女性陣 はまだ話を続けていた。一体どこにそれほどに話題が転がっているのだろう。 「エビチリ?返り血で味付けだな」 「ウチならそこでサソリの毒をやね」 「…ハーブがいいと思うけど…  極東のワサビっていうのを使ってみたいな…」 「何を物騒な会話をしてンだお前らは。そろそろ出発するぞ。  あー、うん、最初の目的地は『リバランス王国』だ。」 「よっしゃー!気合入れてこかー!」 「おー!」 「…おー」 「不安だ…」 こうして、魔道商人ブレイブの冒険は、ようやく幕を開けたのであった。 モチリップからリバランス王国を目指して最初の日。そろそろ日も暮れかかると いう時間帯になったが、ブレイブ達の旅は順調かというと…まったくそんな事は なかった。彼らは初日にして、いきなり苦難を味わう事となったのだ。 苦難を引き起こした張本人はと言えばブレイブである。旅慣れているはずの彼が 何ゆえに問題を起こしたのかと言えば、答えは単純である。 旅に慣れすぎていたのだ。一人旅に。 「あー、じゃあここでまた休憩、な」 彼は焦っていた。予定の半分も歩けていない。 本来なら日が暮れるまでに、モチリップからリバランス王国へと向かう街道の、 最初の難関である『馬の尻尾の丘』を越えていなければならないのだ。 ブレイブ一人であれば、リバランス王国までは、おおよそ3日でつく。 彼は迂闊にも、今回の旅もそのペースで計算していたのだ。 日中ならば丘を越えるのに何の問題もない。緩やかな坂道が続くだけだ。 しかし、日が暮れるのならば状況は一変する。モンスターの存在である。 怪物の襲来に備えながらの夜営を行うのは、かなりキツい。 結成したての冒険団ならば、なおさらである。 しかし、歩みは遅い。このままでは確実に夜営となるだろう。 「…スミマセン」 ローラローラが半べそをかきながら、地べたにヘタりこんだ。 ブレイブは日頃の商売品探索の事もあり、旅慣れていた。 マオも武者修行の旅を続けていたのと、生来の頑強な肉体のおかげで、まったく 問題なかった。 ハンナもまた、放浪の旅を続けていた時期があった為か、生来の能天気さゆえか まったく徒歩の旅に疲れを見せるそぶりすら無かった。 ローラローラだけは違った。 彼女は確かに魔法使いの素質を見せてはいるが、普通の14歳の少女である。 ずっと街で暮らしてきて、旅に出るのも今日が生まれて初めてだ。 朝から歩き通しだったせいもあり、彼女の体力は完全に疲弊してしまった。 足に出来たマメも潰れてしまい、出血しはじめている。 それがさらに、彼女の歩く速度を奪ってしまっているのだ。 日が暮れ始めた。幸いにして天候は良いままだ。夕日がやけに赤い。 「んー、まあ、しょうがねぇか。  おい、ナキムシ。いつまでもメソメソしてンじゃねぇ。  今日はここで夜営をする事にする。  夜間に丘を越えるのは、自殺行為以外の何ものでもねぇからな。  オレらはこれから食材とマキを探しに行ってくるから、  それ使って食事を作るんだぞ。わかったか?」 「は…はい…」 「あー、あとな。足出せ足。両方な」 「え…えと…足ですか?」 「いいからさっさと出せ」 「は…はいぃ!」 ローラローラは慌てて旅行用の地味な皮ブーツを脱ぐ。 その段階で、白い靴下が血で染まっているのがわかる。 「あ…」 「やっぱ無理させちまってたな。スマン。  ちょい待て。今、薬塗ってやるから。  野生の薬草使って作った自作の塗り薬だけど、効果は保障するぜ。  ミュラスじゃ魔法学のほかにも、きっちり薬学もやってるからな。  それに、古い友達が魔法薬の店をやってて、色々教えてもらったンだ」 ブレイブは背中のザックの中から、小さなガラスビンを取り出した。その中には 濃い緑色の軟膏が入っていた。パキッという音をあげてビンのふたを開け、軟膏 をローラローラの足の裏に塗りつけた。 「…くすぐった!  …あの…じ…自分でやります」 「もうすぐ終わりだから、ガマンしなよ。  ほい、終わりだ。じゃあ包帯は自分で巻いておきな。ほれ」 ブレイブはローラローラに向かってポイと包帯を二つ投げてよこした。 ローラローラは慌ててそれを受け取り、自分の足に巻きつけ始める。 そんなやりとりを見て、ハンナがニヤニヤしながら話しかけてきた。 「ブレイブはやっぱり優しいんやねぇ」 「ニヤニヤしてんなよ。気持ち悪いな。あとは、そうだな」 ブレイブは周囲を見渡した。確かこの辺りに大きな川があったはずだった。 「マオは水汲み。近くに川があるからそっからな。  川にもモンスターがいるけど、お前なら撲殺できるだろ?  ついでに川魚でも獲ってきてくれ」 命令口調で言われたのが腹立たしかったのか、極めて不機嫌な様子でマオが無言 でうなづいた。指をワザとペキポキと鳴らすような仕草も見せる。 「あ、お願いします」 「ん」 「あとは…デッチはマキ拾いしとけ。  ついでだから3日分くらい。  食えそうな食材とかも見つけたら獲ってこい」 「ええけど、ブレイブは?ウチと一緒に行くん?  それならウチが拾い係で、ブレイブが〜」 「ああ?全部お前が持って歩け。ウルセェ。  オレはちょっと散歩に行ってくるからな」 「何やの。ウチらに仕事させといて、自分は散歩かいな」 「そーだよ」 そう言うと、ブレイブはフラリと丘の向こう、森の奥へと歩いていった。 「相変わらず勝手な男やね〜  でもまあええ。いつも通りじゃない方が不安になるわ。  ローラはここにおってや。マオちゃんも気ぃつけてや〜」  何かあったら大きな声を出してぇや。  ウチが絶対に助けに飛んでくるからな〜」 「うん…ハンナさんも…マオちゃんも気をつけてね…」 ハンナは鼻歌を歌いながら森の入り口へとフラフラ歩いていった。 マオは森の反対側の川に向かって駆け足で行ってしまった。 「…あたし…足を引っ張ってるなぁ…  誘われてついてきちゃったけど、レベルが違いすぎたのか…なぁ  ブレイブさん…『悪夢の雷嵐公』なんて名前だったし…  なんだか…実は怖い人だったのかなって思ったけど…  でも…なんか…凄く優しかったな…  ハンナさんも優しいし…マオちゃんも元気づけてくれるし…  もう少し…もっと…一緒に旅したいよ…  でも…こんなんじゃ…もう…」 いつの間にかローラローラの両目から、大粒の涙が零れ落ちていた。 そんなローラローラの姿を遠くから見つめる集団がいた。 低い身長に赤黒い肌。醜悪な顔つき。あまりに粗末な鎧兜に石の槍。 ゴブリンである。 大陸西方にあるゴブリン国家『ゴブタニア王国』に集中して生息するゴブリンは その高い繁殖力ゆえに王国領土内だけでは生活を維持できず、時折こうして数匹 で徒党を組んで、略奪を目的にして人間の生活領域に入り込んでくるのである。 また、稀にではあるが、安価な兵力として他勢力に傭兵として雇われる事もある ようだ。政情不安定な国ゆえに、邪悪な者に乗っ取られているとの噂もある。 ローラローラを見つめる徒党の中に、おそらく略奪品であろう立派な兜をかぶっ ている、一応リーダーらしきゴブリンがいた。 「ゴブブブ…  ようやくゴブにも幸運がめぐってきたゴブ!」 下品な笑い声をあげて、リーダーが調子に乗り始めた。 「ゴブーー!」   「ゴブーー!」  「ゴブーー!」 部下達も気勢をあげはじめる。 「あいつらどう見ても駆け出しの冒険者ゴブ!  ゴブ達でも簡単にやっつけることが出来そうでゴブよ!  しかも美味しそうな少女が2人もいるでゴブ!  男とババァは身包み剥いでポイでゴブ!」    「ゴブーー!」 「ゴブーー!」  「ゴブーー!」 ところが、そんな若いゴブリン達をいさめるように、年かさのゴブリンが止めに 入った。シワだらけの顔をクシャクシャにして語り始めた。 「ゴブブ…お待ちになってゴブされ。  我らが魔王様から命を受けたのは、あくまで街の襲撃でゴブ。  あんな旅人を相手にしても、仕方がないでゴブよ」 しかしリーダゴブリンは、そんな年寄りの言葉に耳を貸そうとはしなかった。 「ゴブブブ!これだから爺さんは困るでゴブ!  30年も生きればゴブリンでも脳が腐るでゴブなぁ  魔王様はニンゲンを殺せばそれで満足でゴブ。  街を襲うのも旅人を襲うのも一緒でゴブー!」 「獲物を目の前にして逃げるなどというのは、ゴブリンの名折れでゴブ!」 「さあ、始まるでゴブよ!」   「行くでゴんブ!」  「ゴンブーー!」     「ゴブーー!」 「ゴブーー!」    「ゴブーー!」 「仕方ないでゴブ。  ワシはワシの部隊を率いて川向こうに行くでゴブよ。  だから丘と川とで挟み撃ちにするでゴブ。  けして無理はしてはイカンでゴブよ」 「ゴーッブッブッブ!相変わらずの心配性でゴブな。  爺さんはゴブリンというよりも、モヤシのエルフのようでゴブ!  まあ、川でも何でも好きにすればいいでゴブ!  戦が始まれば、オレの部隊だけで終わりゴブー!」 「ゴブーー!」    「今日は久々に繁殖でゴブーー!」  「繁殖ゴブーー!」 「やれやれ…」 「お!あったあった!キノコやん。  紫色してうまそうやな〜  ムラサキエノキは最高やよね〜  これは炒め物にすると美味しいんよね〜  あ、こっちにもあったで〜   何やら網みたいで美味そうやね」 森の中でハンナはマキを拾いつつも、食べられそうなキノコを採取していた。 「ほかには無いんかな〜…っと、あれはブレイブかいな。  何も仕事せんと、散歩どころか立ち止まってるやん」 森の切れ目、丘が見える位置にブレイブがジッとしていた。 まるで丘を睨みつけているかのような姿だ。 「ブレイブ〜!仕事しぃや〜」 「シィッ!デッチ!少し静かにしろ!ヤツらに気づかれる」 「ヤツら?何やの?」 「ナキムシが足を痛めたのは、むしろラッキーだったかもしれねぇって事さ。  このまま進んで鉢合わせになってた方が厄介だっただろうからな。  ほれ、見てみろ。ゴブリンの集団だ」 ブレイブが手に持った筒をハンナに手渡す。 『魔式望遠鏡』といって、遠くが良く見えるという魔法筒だ。 「ほっほう…あれがゴブリン。ウチ、はじめて見るわ。  何や。散歩言うて実はモンスターがいないか見てまわってたんやね」 「まあ、そんなトコだ。  そういうワケだから、オレはこれからアイツらをボコってくる。  お前はさっさとナキムシんトコに戻ってろ」 「ウチも戦うよ?」 「あー、ダメだ。ていうかお前、戦闘訓練してねぇだろが。  下手に手ぇだして拉致られても困るしな」 「身代金でも突きつけられるんかね」 「んな甘いモンじゃねェ。アイツらモンスターのくせにちょっと特殊なんだ。  異常に繁殖力が高いから、ヒトの形してりゃ何にでも種付けできんだよ。  まあ、オークよりはマシって気もするけど、五十歩百歩だな」 「という事は?」 「とっつかまったら、犯されて、孕まされんだよ。  わかったら、さっさとナキムシのトコに戻ってろ」 「ふえぇ…ブレイブ、負けんといてね。  ウチは先に行っとるよ」 「ああ、任せとけよ。  って、遠眼鏡返せ!ああ、もうあんなトコまで」 ブレイブはスタコラと駆け足で森から出ていくハンナの姿を確認した後、右腕に 篭手を装着した。篭手の表面は竜の鱗で覆われており、まるで金属のように鈍い 光を放っていた。よく見ると鱗には細かい呪印が刻み込まれている。 ブレイブは右腕をゴブリンの集団の方にかざし、呪文を唱え始めた。 「大規模魔法は久々だな。距離も問題なし。いくか… 『契約に従い、召喚されよ我がしもべ。雷精よ、我が魔力を補え』」 ブレイブが呪文を唱え終わると、篭手の周りが青白く光り始め、次第に光は形を 変え、小さな龍の姿となった。それは時折パキパキという、空気を弾くような音 を立てながら飛び回っている。雷精だ。雷精達はまるでダンスを踊るかのように ブレイブの周りを動きまわり、それはやがて魔法陣を描き始めた。 「スゥ…ハァ…スゥ…よし!  稲妻で空を満たせ!地を覆え!『轟雷』!」 ブレイブが呪文を唱え終えた瞬間、夕焼けの空が一変して暗雲に覆われ、空から 稲妻が落ちた。それはまるで、天に雷龍が現れたかのような激しい稲妻だ。 稲妻は丘の上にのみ連続して落ち続けた。ゴブリン達はその数瞬間で、ほぼ全滅 してしまったほどである。 「な…何が起こったでゴブか…?今の稲妻は一体…  これから総攻撃をかけて、繁殖の宴を開く予定だったゴブのに…」 リーダーゴブリンは、まったく何が起こったか理解できていない。 だが、彼の率いていたゴブリン傭兵団の精鋭100匹が今の稲妻で5匹かそこら へと減らされてしまったという目の前の光景だけは、ゆるがない事実であった。 そんな混乱するリーダーの前に、ブレイブが現れた。 「オレが落としたんだよ。このクソゴブリンどもが。  荷物、特に食い物を全部置いてさっさとどっかに行けよ。  オレがあと5つ数える間にだ。  守れなかったら、またお前らをぶっ飛ばす」 ブレイブは何故かイラついた表情でゴブリン残党の前に姿を現した。 先ほどの攻撃魔法だけで、全滅させる自信があったのだろう。 「ニ…ニンゲン!何を勝手なことを言ってるでゴブ!」 「い〜ちぃ」 ブレイブは右腕を突き出して、指を一本ピンと立てた。 「ゴ…ゴブブン!お前ごときがゴブ達相手に何が…」 「ご」 「ゴ?って」 ブレイブの右手は五本指を開き、パーをゴブリンに向けていた。 「再び来たれ。『轟雷』」 ピシャウ! 空気を切り裂くような轟音が鳴り、ブレイブの右腕から雷精が複数放たれた。 雷はゴブリンリーダーを除く、全てのゴブリンを一瞬で焼き尽くした。 「な…何という魔力でゴブか!  それより、今の数え方はおかしいでゴブ!  1の次は2だというくらいは、ゴブリンとてわかるでゴブよ!  なぜこんな卑怯なニンゲンが、何でこんな所をうろついているでゴブか。  しかも、ゴブリンから略奪するニンゲンなど聞いたことが無いでゴブ!  こうなったら奥の手ゴブ!魔王様から頂戴したモンスターで、  お前なんか吹っ飛ばしてやるでゴブ!川向こうから砲撃してやるでゴブー!  爺さーん!出番ゴブー!」 大慌てで爺さんゴブリンに合図を送るゴブリンリーダー。 しかし、それすらブレイブの予定通りであったのだ。 (…やっぱ別動隊が居たか。気配だけじゃ確信にはならなかったが…  それにしても妙だ。ゴブリンごときがこうまで作戦を練れるとは。  バックに何か知恵のある魔物でもついてるとでも言うのかね) ブレイブは、リーダーの言う川向こうへと目線をずらした。 「あ、そーいやマオがいるじゃん」 その頃川向こうでは。 川の主である超巨大サイズのサーモンを取りにきたリバランスベアを一撃で粉砕 して獲物を奪取したマオが、爺さんゴブリンも一撃で粉砕していた。 右拳に付着した、クマとゴブリンの血を拭き取りながら、いまさらのようにマオ はソレが何なのかを疑問に思っていた。 彼女には、クマもゴブリンも大差無いのであろう。 「ゴ…ゴブブブ…  ここで負けるワケにはいかないゴブゥ…  さあ行け、シェル・ガンナー…砲撃するんじゃ…」 シェル・ガンナーとは、大砲に四足が生えたような外見の異質な甲殻モンスターで 体内に発火器官を持ち、鉱物を取り込んで砲撃できるという、あまり喜ばしくない 生態をもつ生き物である。 ッズドン! 轟音が鳴り響く。しかしそれはシェル・ガンナーのものではない。 マオが、爺さんゴブリンの腹に二撃目を食らわせた音だ。 その一撃で、ついに爺さんゴブリンの命は絶えた。 「カニ?」 本能で美味そうだと判断したマオは、獲物を持って帰る事に決めた。 ッズダンッ!! シェル・ガンナーの硬い甲殻も、マオの拳の前では無いも等しかった。 一瞬で身を貫かれ、哀れシェル・ガンナーは絶命した。 「ほ…砲撃はどうなったでゴブか…?」 「あー、どうもウチの筋肉ダルマがブチ殺したみたいだな。  ホントあいつの拳は異常だよなぁ。  さてと。おい、クズゴブリン。お前の雇い主は誰だ?  何の目的があって、こんな所をウロウロしてンだ?  質問に答えろ」 「冗談じゃないゴブッ!  魔王様のことが知れたら、ゴブは生きていられないゴブよ!  …ゴゴブッ!?」 どうも重要な事を洩らしてしまったようで、リーダーゴブリンは信じがたい速度 で逃げていった。戦闘が終わり、魔力が尽き、魔法で召喚した黒雲が徐々に晴れ ていく。周囲は再びきれいな夕焼け空を取り戻した。 が、ブレイブはどうにも嫌な予感を隠し切れないでいた。どうにもひねくれた彼 には、眩しすぎる夕焼けは、不安を煽る血の色にしか思えなかったからだ。 (…魔王…だと?) ブレイブが略奪したゴブリンの食料(元々は冒険者のものだったのだろう)と、 ハンナが持って帰ったキノコを含む山菜各種、それにマオの獲ってきた超巨大な サイズのサーモンとクマ肉とシェル・ガンナーは、ローラローラの手によって、 瞬く間にご馳走へと姿を変えていった。 火属性の魔法によって鍋やフライパンの火力を自在に操り、水属性の魔法で鍋の 中のゆで汁の対流をコントロールしている。刃物の使い方も一級品である。 モチリップ市内で、飲食店の調理師としてすぐにでも働けるだろう。いや、店を かまえていてもおかしくはないレベルだ。 「う…美味ぇ…  マトモな味付けのメシを食ったのは久々だぜ。  どれもこれも美味しく食ってやる。成仏しろよ」 「これは美味しいわぁ。  ウチの味付けとは方向性が全然ちゃうんやねぇ  ローラちゃん、これならお店も開けるくらいやよ」 「ローラ!美味いぞ!」 口々に絶賛する面々。 大量に作ったはずの料理は、どんどん消えていく。 ところがローラローラの表情は晴れない。 昼間に感じた疑問が、頭の中をグルグルと回り続けているのだ。 自分は彼らと違って、レベルが低すぎるのではないか。 自分は彼らの足手まといになっているのではないか。 マオとハンナがシェル・ガンナーのから揚げを取り合いしている最中に、ローラ はブレイブに思い切って尋ねた。 「…あの…わたし…  この冒険団に居てもいいんですか?  一緒に旅を続けても…いいんですか?」 「あ?何だその質問は。  こんな美味いメシを作れる仲間を切り捨てるバカが、どこにいるってんだ。  クダラねぇ事考えてるヒマがあるんなら、さっさと寝て体力回復させろ。  片付けはデッチにやらせっから」 そう言うと、ブレイブはクマ肉にかぶりついた。照れ隠しなのだろう。 「…はい!わかりました!  あ、でも…片付けも私がやりますね。  そこまでがわたしの仕事ですから!」 安堵したのだろう。 ローラローラの表情は、とても安心感に満ちていた。 「あー。うん。  ようやく一息着いたって感じ…かぁ?  ここから先が、本当の冒険なんだろうなぁ」 気が抜けたのか、珍しくブレイブは笑顔を見せていた。その表情を見てハンナが ニンマリしていたので、彼はとりあえずポコリと殴ることにした。 第3話につづく <登場人物> 魔道商人ブレイブ  〜本名は不明。男性。年齢は20代半ばくらい。かつては悪夢の雷嵐公とも呼ばれた程の            魔道高位者だが、職業は商人。モチリップ市の町外れで嫌々ながら中古品販売をしている。 ハンナ・ドッチモーデ〜田舎から丁稚奉公に出たはいいが、あまりの商才の無さに放逐されてしまい、            冒険の旅にでたら魔道商人に拾われた19歳の女性。多分ブレイブが好き。 マオ・ルーホァン  〜武闘家。通称『殴り姫』酷く口下手で、話したり考えたりするより、殴る事を最優先する女の子。 ナキムシ      〜本名ローラローラ。14歳の泣き虫魔女。 地味目のローブに押し込まれたオッパイは一級品。            火属性と水属性の魔法がそれなりに使えるので、炊事当番が多い。