サイオニクスガーデンの生徒が戦うのは何も『NEXT』だけではない。 『NEXT』は超能力犯罪者の組織として最も大規模であるため必然的に対峙する機会が多いだけであ りそれ以外の超能力犯罪者と対峙する機会も少なからずある。 例を挙げるなら『フェイスイーター』と呼ばれる桐島叉姫などがそうである。 桐島叉鬼はその仇名の通り襲った相手の顔面の肉を喰らう凶行で知られPGと対峙した回数は比較的 多い超能力犯罪者である。 未だ捕縛も殲滅も出来ていないのはガーデンとしては歯痒いところだが言い訳をするなら組織に属 さない犯罪者は比較的実力者が多く対峙する事さえ困難なのだ。 そして今回の捕縛対象も桐島叉鬼同様無所属の犯罪者である。 「という訳だが──やれるか?影宮。単独任務だけど希望するならサポートもつけるけど」 説明を終えガーデン教師、臨彼方は向かいに座る生徒──影宮千春を窺った。 「無論です。サポートも結構です」」 「流石いい返事だ。先生お前のそういうとこ好きだぞ」 「ガーデンに通う生徒として当然の事です」 馴れ馴れしいほどフレンドリーな彼方に対し千春の方はとてもクールだ。 「んー、影宮は相変わらずクールだなぁ。せっかく可愛い顔に生まれたんだからもっと笑った方が モテるぞ」 「・・・説明が終わったのなら失礼します」 「んもー、つれないなぁ」 千春は会議室を出ると後ろ手に戸を閉めた。 (可愛い・・・私が・・・) 一見クールな千春だが中身は年相応の少女である。 表情こそ変わらないものの可愛いと言われればもちろん嬉しい。 静かに廊下を歩く千春の頬はほんのり染まっていた。 時は少し遡り3日前の某所。 台風が過ぎ去った後の様に散乱した部屋の中でに2人の男がいた。 1人はいかにもスネに傷のありそうな風貌の強面の男。 もう1人はハンチング帽を被った少女の様な顔立ちに少女の様に華奢な身体つきの男。 一体どの様にしてこんな状況になったのだろうか。 ハンチング帽の男は強面の男を愉しそうに見下ろし強面の男は恐怖でガタガタと震えながらハンチ ング帽の男を見上げている。 ハンチング帽の男と強面の男の立場が逆ならしっくりくる光景だが実際にはその逆である。 強面の男が恐れる理由は散乱した部屋を見ればすぐに分かった。 肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片 肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片 肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片肉片 ぶつ切り以上挽肉未満の肉片が部屋中に散らばっている。 それらの肉片はつい数分前まで生きていた男の部下達と男が雇った用心棒の成れの果てである。 目の前にいるハンチング帽を被ったこの男がほぼ一瞬でこの惨状を生み出したのだ。 何をしたのか、何をされたのかは分からない。 ただ状況から見てこの男が自分を殺しにきたヒットマンであるというのは分かった。 こんな時のために雇っていたはずの用心棒はすでに肉片へと成り果てている。 男は生き残るために意地もプライドも捨て必死で命乞いをした。 「た、頼む!命だけは助けてくれ!お、俺には女房と娘がいるんだ!!」 「へぇ、そうなんだ。ちなみに娘さんは今何歳?」 「せ、先月5つになったばかりだ!」 「そうかそうか。そりゃ可愛くて可愛くて仕方ないだろうな」 「そうなんだ!だから頼む!命だけは助けてくれ!」 「それは出来ないな。それはそれ、これはこれっていうじゃない。俺がお前を殺すのは決定事項。 今こうして話してるのは命乞いする相手を殺すのが俺の趣味だから」 「そ、そんな!頼むお願いだ!お願いです!殺さないでください!どうか!どうか!どうか!」 「だからそんなに頭下げられたってこっちは喜ぶだけだって。あ、そうだ。じゃあこうしよう。俺 は今からお前を殺した後にお前の女房と娘も殺す」 「なっ!?む、娘と女房は関係ないんだ!俺の仕事も知らない!普通の会社の経営者だと思ってる んだ!」 「そんなの知るか。とにかく娘と女房殺されるのが嫌ならお前は俺を殺すしかない。ついでに言う と俺のストライクゾーンは下は3歳から上は50歳までだから殺す前に当然ヤる事はヤる。どう?これ で少しは頑張ろうって気になった?よーしパパ頑張って殺しちゃうぞーってな?」 「ふ・・・ふざけるんじゃねぇこのドグサレチンポがぁぁぁぁぁ!!!」 恐怖と怒りでブチギレた強面の男は懐から銃を抜き放ちハンチング帽の男に乱射した。 照準もへったくれもない滅茶苦茶な撃ち方だが下手な鉄砲も数撃てば当たるし何より距離が近い。 発射された弾の内何発かはあらぬ方向に飛んでいったがそれ以外は全てハンチング帽の男に当たり そして弾かれた。 強面の男は驚いて声を出そうとしたがすでに五体は肉片となっていたため声は出なかった。 「うーんいいね、最後の足掻きってのは。さて、それじゃこいつの女房と娘を殺しに行くかな。す ぐに会わせて・・・やれないか。どう考えても地獄行きだもんなこいつ」 男はハンチング帽を被り直すと散らばった肉片を踏まない様に部屋を後にした。 男の名は呪井日影。 『影武者の日影』と呼ばれる異能の傭兵で影宮千春の捕縛対象である。 資料によると日影の能力は自身の影を操るというものでその性質は非常に危険で厄介極まりない。 『影武者』と呼ばれる日影の影はライフル弾を弾き返し炎や電撃を防ぎ人間を一瞬で肉塊に変える 事が出来るという。 つまり圧倒的な防御力と圧倒的な攻撃力を併せ持つのだ。 影に関係する能力を持つ者は少なくないが日影はその中でもトップクラスだろう。 そんなのを捕まえろというPGもPGだが確かに野放しにする事も出来ない。 そこで白羽の矢が立ったのが千春である。 影宮千春の持つ能力『影潜伏』ならば日影の『影武者』に対抗出来ると踏んだのだ。 だが千春の能力は千春自身にしか作用せず仲間を守る事は出来ない。 ならばいっそ最初から1人で戦う方がメリットが多いというのが千春の考えである。 無論危険も増すだろうがそれでも忍者の家系でもある千春ならばきっと問題ない。 若干の過信もあるが教師陣も千春の意見に賛同し単独任務が認められた。 そして今日某所からリークされた情報に従い日影が現れるという高層マンションへと千春はやって 来ていた。 詳しい理由は省略するが日影はこのマンションに住むある母子の殺害が目的らしい。 母子の避難はあらかじめしてあるので今この部屋には千春しかいない。 いや、正確には千春もいない。 能力の相性が良いとはいえ万全を期すためすでに影に潜伏しているのだ。 あとは日影が現れるのを待ち隙を見て薬で眠らせるだけだ。 文字にすると簡単だが実際そう上手くいかず十中八九戦闘になるだろう。 影の中で息を潜めながら千春はいくつかの戦闘パターンをイメージしていた。 潜伏してから40分ほどした頃だろうか。 突如として部屋のドアが吹き飛んだ。 「こんにちはー。東京電力でーす」 日影はふざけた事を言いながら土足で部屋に踏み入った。 「すいませーん。どなたかいませんかー?」 日影は黒い外套を靡かせながらズカズカと入り込んでくる。 「おかしいなぁ。買い物に行くような時間でもないのになぁ」 口ぶりからしてどうやら下調べをしていないらしい。 プロとして考えられないがそれだけ自分の力に自信があるという事だろう。たぶん。 「んー。本当にいないみたいだな。ちぇっ、つまんねーの」 日影が腹いせにゴミ箱を蹴っ飛ばす。 その一挙手一投足を千春は影の中から観察していた。 (写真を見た時から思ってたけど本当に女みたいに綺麗な顔ね・・・だけど綺麗なのは顔だけで中身は ドブの様に淀み腐っている・・・ん?あれ?この男まさか・・・影がない!?) 影がない。 そんな馬鹿な事があるだろうか。 影は万物に存在し何時如何なる時も連れ添う家族以上のパートナーのはずだ。 影がないとすればそれは霊的な存在か残像の類としか考えられない。 つまりここにいる日影が偽者という可能性が出てきたのだ。 (影がないという事は分身の様な偽者だろうか・・・いや、実体は確かにある。だとしたら何故影がな いの・・・?) 予想外の事態に千春は焦った。 データによると日影は超能力者ではなく陰陽師であると(このデータには日影が影を外套の様に纏 っているとは記されていなかったようだ)書かれていたしひょっとしたら式神でも遠隔操作してい るのかもしれない。 この日影が本物でないのなら捕縛は出来ないし本物に警戒心を与えてしまう事になる。 まさかリークされた情報が罠だったのだろうか? 信頼出来る筋からの情報なのでその可能性は低いだろうがその僅かな可能性さえ疑ってしまう。 「あーあ、せっかく来たのに無駄足だったぜ。しゃーないから帰ろ」 (帰る!?今この男帰ると言った!無駄足とも!) 無駄足、そして帰る。 この2つのワードが日影を本物と証明する言質となった。 もしこの日影が式神の類ならば無駄足などという言葉も帰るなどという言葉も使わずさっさと消え るはずだ。 相手が本物であると確信すると千春の焦りは消え去り潜伏していた影から素早く飛び出し麻酔銃の 引き金を引いた。 日影はこちらに気付いたが避けるよりも防御するよりも麻酔弾が着弾する方が断然早い。 が、その時妙な事が起こった。 日影の纏う黒い外套の形状が変化し麻酔弾を弾いたのだ。 千春が驚いてる間にも外套は変化し続けよく分からない黒い異形になったところでようやく落ち着 いた。 「呪井日影・・・!!」 「何だそういう事かよ。ムカつくなぁオイ」 千春と対峙しただけで全てを理解したのか日影の顔が不愉快そうに歪んだ。 「で、殺す前に聞いとくけどお前の所属はどこよ?NEXTじゃあなさそうだしPGか?」 「答える義務はないわ」 「ウザ。まぁたぶんPGだろうけどな。俺はそこら中から怨み買ってるけどそれでも俺に喧嘩ふっか けるような馬鹿はそういねぇから」 「大した自信ね」 「当たり前だろ?呪井流陰陽術史上最高の天才であるこの・・・」 千春は日影が喋っている途中で再び引き金を引いた。 だがそれも黒い異形に弾かれる。 「テメェ話の途中に攻撃すんじゃねぇよ。空気読め馬鹿」 「・・・あなたに纏わりついてるその黒いのは何?」 「ムカつく奴には教えてやらねー・・・と思ったけどやっぱ教えてやるよ。これは俺の式神『影武者』 だ。俺の通り名知ってるだろ?あれはこいつの事だ」 あっさりと教えてくれた事に少々拍子抜けした。 思った通りに日影は自己顕示欲が強いタイプの様で聞かれれば聞かれてない事まで喋ってしまう口 の軽い男のようだ。 乗せればもっと情報を引き出せるかもしれない。 「随分あっさり教えてくれるのね。それだけ自信があるって事かしら」 「そうだよ分かってんじゃねぇか。自分の事をベラベラ喋るのはプロ失格ってのが俺の兄ちゃんの 口癖なんだけども俺は兄ちゃんみてぇな二流とは格も才能も違うんだ。俺の影武者は並の能力者が 100人集まったって楽勝なくらい強いんだぜ」 何かスイッチが入ったらしく日影は自慢モードに突入した。 はっきり言って隙だらけというか隙しかなかったが千春には攻撃する事が出来なかった。 忍の家系で育った故かこういう状況でこそ警戒心が強くなるためだ。 いかに日影がプロらしからぬ言動をしていてもひょっとしたらそれは相手を油断させるポーズなの かもしれない。 勝算はあるが勇み足は危険だ。 ここは日影の観察し出方を伺うのがベストである。 ・・・そう思ったのが30分前の事である。 日影はあれからずっと隙だらけのまま喋り続けており未だに終わる気配がない。 こうなると流石の千春も「あれ?こいつ本当に何も考えてないんじゃない?」と思えてきた。 むしろ限界だったしある程度どころか大量の情報も聞く事が出来た。 「だけどまぁ俺には効かなかったけどな。何せ俺の影武者は最強だからな」 「・・・ねぇ、その話まだ続くの?」 「ん?何だ?文句あるのか?」 「あなたがこの状況を理解しているなら分かるはずよ。あなたが部屋のドアを派手に壊したせいで 近隣の住人が警察に連絡を入れてるかもしれないのよ。そうなったら私もあなたも色々面倒な事に なると思うのだけど」 無論嘘である。 警察にはあらかじめ通報があっても最低1時間は来ない様に伝えてある。 あえて嘘を言ったのは状況を進めるためだ。 だが日影の反応は千春の予想を裏切るものだった。 「あぁそれなら心配ないよ。この部屋に来るまでにこのマンションにい人間は全員殺したからな」 予想外の言葉に千春は絶句した。 「こっ、殺した・・・!?」 「まぁ暇だったし」 「そんな理由で人を殺すなんて・・・」 「別にいーじゃん。お前には関係ないだろ」 「・・・・・・・・・」 そうだ。これが彼らにとって普通なのだ。 一般的な犯罪者と異能を持つ者は精神の狂い方のレベルが違う。 優れた力を持つが故に一般的な価値観を見失い当然の様に狂っていきやがてそれが彼らにとって普 通になる。 異能を持たない犯罪者の中にも突出した狂人がいるがそれでも全体の数からすると少ない。 分母の数が同じでも分子の数が違うのだ。 「つーかさ、ぶっちゃけ警察が来たところで俺は別に面倒でもないし全然困らないし。警視庁の特 対課みてーな連中なら話は別だけど警察なんて基本雑魚の集まりだし」 「・・・・・・」 「ん?何か雰囲気変わったな。あ、もしかして俺がマンションの住人皆殺しにしたから?その目つ きからすると正解みたいだな。はは、さすが正義の味方のPGだな」 「・・・そろそろ口を閉じなさい。下衆」 「これだから正義の味方はつまんねぇんだよなぁ。NEXTの奴らだったら笑いながら同意してくれる のにさ」 「口を閉じなさい」 「はいはい。それじゃ軽く殺してやるとするか」 日影は『影武者』の中に完全に埋もれると『影武者』の一部が鞭の様に伸びて千春を薙ぎ払った。 『・・・あれ?』 「どうしたのかしら」 『どうもしねーよ』 鞭は確かに当たったはずだが千春は平然としている。 日影もおかしいと思ったが構わず再度鞭を振る。 先ほど同様鞭は千春の身体を薙いだがやはり千春は平然としている。 『・・・お前何した』 「何もしてない・・・私はただ立っているだけ」 『ふざけやがってッ!』 日影は声を荒げ今度は複数の鞭を振り回す。 部屋の中がまるでミキサーの様にズタズタに破壊されいくがそれでもなお千春は平然と立ち尽くし ている。 全ては千春の読み通り。 いかに影に実体を持たせようと影は影。 例え本当に『影武者』が最強の能力だとしてもそれが影である限り千春には通用しない。 影潜伏能力を保有する千春にとってこの世に存在する全ての影は全くの無害。 人体を引き裂き岩を砕き鋼鉄を両断する『影武者』の攻撃も千春はそよ風ほどにも感じない。 故に日影の敵意も殺意も決して届く事はない。 『死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!』 「いくらやっても無駄よ。あなたの能力じゃ私に傷一つつける事も出来ない」 『お前何上から物言ってるんだよ!俺の影武者は最強なんだよ!!お前みたいな小娘如きにどうこ うされるわけないだろうが!!!』 「口で言って分からないなら身体に教えてあげるわ」 千春は不思議な歩法で一瞬にして日影との間合いを詰めると日影の顔があるだろう位置を思い切り 殴った。 『ぎっ!?』 体重の乗った良いパンチをモロに顔面に喰らった日影は体格が華奢な事もありあっさりと殴り飛ば された。 『影武者』は依然纏ったままだが驚愕の表情を浮かべている事が雰囲気で伝わってくる。 『だ・・・お・・・は・・・な、殴られたのか俺が!?影武者を纏っているのに!?』 「殴るだけじゃない。私はあなたを殺しはしないけれど少なくとも半殺し以上にはするわ」 『雑魚が!誰を半殺しにするって!?』 完全に激昂した日影は影武者をさらに巨大に更に凶悪に変化させる。 その姿は例えるなら影の合成獣(キメラ)とでもいう様な異形である。 『殺してやる!!殺してやる殺してやる殺してやる!!』 影の合成獣は破壊という破壊を行った。 その身から伸ばした影の腕を影の足を影の爪を影の牙を影の角を影の嘴を影の翼を影の剣を影の槍 を影の斧を影の矢を影の鎌を影の槌を影の弾を影の炎を影の雷を影の氷を駆使して破壊という破壊 を行った。 すでに廃墟同然となっていた部屋は更なる破壊活動で廃墟と呼ぶ事さえ出来ない状態へと変わり果 てた。 それでも千春の髪の毛1本斬る事は出来なかった。 が、それは『影武者』の攻撃に限っての話だ。 破壊の影の攻撃は効かずともその攻撃が生んだ破壊による意図しない間接的な攻撃は無効化する事 は出来ないのである。 間接的な攻撃───砕かれ飛び散った数え切れない木片やプラスチックの欠片が千春の肌に小さな 傷をつけていく。 (まずい・・・!) 『殺してやる殺してやる殺してやる殺してやるこr・・・・・・んん!?あはぁっ!なるほどそういう事 か!!』 (気付かれた!!) 『なんだそれならそうと早く言ってくれよ。俺とした事が取り乱しちゃったじゃねーか、ははっ』 日影の声から怒気が消え代わりに千春の顔に焦りの色が浮かぶ。 戦いにおいて精神的アドバンテージは非常に重要でありそれだけで格上の相手を手玉に取る事さえ 珍しくはない。 事実今まで千春がそうだった。 純粋な戦闘力では千春は日影に数段劣っているがそれ故に能力の相性というたった1つにして決定的 な要素だけで日影を手玉に取っていた。 相手が格下であるほど精神的アドバンテージと取られた時のショックは大きいのである。 故にそのアドバンテージがなくなった時状況は急転直下で変わってしまう事を千春は知っていた。 『なぁんだなんだ。ははははは』 すっかり余裕を取り戻した日影は影の触手で鋭く尖った木片を掴む。 『まさかお前も影使いだったとはなぁ。考えてみりゃ影使いの能力者も数こそ少ないけどいるんだ もんな』 「・・・私の能力が分かったところであなたの能力が通用しないのは変わらないわ」 『だからこうして武器なんか持ってるんじゃねーか。影武者は通用しなくても普通の攻撃なら通る んだろ?ん?』 「それはどうかしらね」 『強がるなって。さっき殴られた感じからして肉体的なスペックはお前の方が上みたいだけど所詮 人間レベルだろ。俺の影武者は猛獣だけでなく重機やら戦車やら戦闘機の影まで取り込んでるんだ ぜ?カタログスペックなら現時点じゃ間違いなく世界最高なんだよ』 「・・・・・・わい」 『ん?何か言ったか?』 「あなたは弱い、と言ったのよ」 『・・・・・・は?オイオイ面白い事言うじゃないの。俺が弱いって?そりゃまぁさっきまではテンパっ てたしお前に翻弄されてたけど今の状況を見てみろよ。お前の能力は見破られて対抗策も打たれて あとは死ぬのを待つだけじゃん?まな板の上の鯉って知ってる?』 「何とでも言うといいわ。私は決して訂正しない。あなたは弱い」 「・・・オイオイいくらもうすぐ死ぬからって焼けっぱちになるなよ。そういう奴は殺してもあんま面 白くないんだからさ。もっと見苦しく足掻いてくれないと』 この期に及んでまだ強気な態度を見せる千春を日影は嘲った。 どうせハッタリか負け惜しみだろう。 そう思っていた。 実際それは正解に近く千春は絶望と恐怖に心が負けぬよう言霊を以って己を奮い立たせているのだ が完全にハッタリという訳でもない。 千春の言葉はハッタリであり負け惜しみであり勝利への布石である。 千春に流れる忍の血はどんなに最悪な状況だろうと任務遂行を諦める事を許さないのだ。 「何度でも言う。あなたは弱い。あなたはとても弱い。あなたが私を殺す事は出来ない。何故なら あなたは弱いから。ゆえにあなたは私に勝てない」 『安い挑発だな。でも俺そういうの嫌いじゃないぜ。お望み通り言い値で買ってやるよ!!』 (かかった!) 日影が触手を振るったと同時に千春は自らの影へと潜り日影の攻撃を回避する。 触手は砕けた床を更に砕いたが当然その攻撃は千春には届かない。 『あのガキ・・・!挑発しといて逃げただと!くそ!どこだ!どこにいる!』 影の持ち主がいなくなったのだから当然その影は消える。 日影も影に潜る術は使えるが肝心の影がなくては追跡する事も出来ない。 影の世界とは能力者によって微妙に異なり1つの出入り口しか利用出来ないタイプとどの出入り口で も利用出来るタイプが存在する。 千春の能力は前者であり日影の使える術も同じく前者に分類された。 厳密には日影の術は極めれば後者のタイプへと発展可能なのだが『影武者』という絶対的な力を手 に入れた時から真面目に修行をしていない日影には到底無理な話である。 だが当然「こんな事なら真面目に修行しとけばよかった」などと後悔しないのが呪井日影である。 『くそ!逃がすか!絶対殺してやる!!殺して殺して殺して犯す!!』 『その必要はないわ』 『!?どこだ!どこに隠れてる!』 『私は逃げも隠れもしていないわ。私はあなたのすぐ目の前にいる』 『俺の目の前!?・・・!!ま、まさかお前!!?』       ・・・ 『そう。私はあなたの自慢の影の中にいる』 『い、いつの間に影武者の中に・・・』 『正直、ギリギリの賭けだったわ』 先ほど説明した通り影使いには2種類のタイプがあり後者のタイプである千春は自分の影に潜ってし まうと出入り口が塞がり影の世界から自力で出れなくなってしまう。 だが自分の影と別の影が繋がった状態ならば話が違う。 自分の影が別の影と繋がっているならばそれは別々の影ではなく1つの影なのだ。 ゆえに影に潜り影の形が変わろうとなんら問題はない。 1+1は2ではなく1であり1−1もまた1なのだ。 『あ、あの時か!俺の触手が床を砕いた時消える寸前のお前の影と影武者が繋がったあの時に!!』 『さすが同じ影使い。察しが速いわね。じゃあもう分かるはず。もうあなたの生殺与奪は私が握っ ているという事を』 『く、くぅぅ・・・』 『今なら私はあなたの全身どこにでも麻酔段を撃ち込む事が出来る。もちろんその前に予告通り半 殺しになるまで痛めつけるけど』 『み、認めない・・・俺は認めない・・・!影武者の日影と呼ばれ恐れられるこの俺がたかがPGのガキな んかに!』 『だからさっきから言ってるでしょう。あなたは弱いと』 『あ、ああぁぁあぁあぁぁ・・・嘘だ・・・嘘だ・・・俺は強い・・・弱くない・・・』 『それとさっきから私の事をガキと言っているけどあなたも十分子供よ。見た目も中身もね』 その後日影は半殺しにされた挙句麻酔で眠らされ任務成功の連絡を受けたガーデンの回収版に連行 された。 これから彼がどうなるのかは千春の知るところではないがそれ相応の罰を受けるはずだ。 ガーデンへと戻ってきた千春は任務の詳細を纏めた書類を製作し職員室にいる彼方へと提出した。 「うん、相変わらず完璧な書類だ。これにて任務完了!ご苦労様でした。ゆっくり休めよ」 「はい、そうさせてもらいます」 「お?珍しいな。いつもなら涼しい顔して問題ありませんとか言うのに」 「私だって疲れる時はあります。特に今回は精神的に疲れました」 「まぁこんなんが相手じゃ流石にそうだろうなぁ」 彼方は苦笑して書類に目を落とした。 「AAランクの超能力犯罪者を1人で相手したんだもんな。今言っても意味ないけどやっぱりサポート いた方が良かったんじゃないか?」 「いえ、今回の相手は私しか対応出来なかったと思うので。私が他人も影に潜らせる事が出来れば サポートをつけたのですが」 「気にすんなって。自分の能力に対する不満なんてみんなあるんだから受け入れるしかないよ。俺 だって念力がもう少し強ければって思った事は数え切れないくらいあるし」 「私は先生の本気を見た事がないのでそれについては微妙にコメントしかねます」 「ははっ、俺の本気なんて大したことないって。まったくここは強い子ばっかで先生困っちゃう。 ま、強いおかげで影宮の可愛い顔に傷がつかなかったんだけどね」 「・・・・・・」 「あれ?影宮顔が赤いぞ?ひょっとして照れてる?ははは影宮も年頃の女の子だったって事か」 「・・・実はまだ任務で使った麻酔銃を持っているのですが。それともクナイの方がいいですか」 「すいませんでした調子コキましたもうからかいません」 「分かればいいのです。それでは失礼します」 「あ、影宮」 「・・・まだ何か」 必死で無表情を作りながら職員室を後にしようとする千春を彼方が呼び止めた。 「お前やっぱり笑った方が可愛いと思うぞ」 「おやすみなさい先生」 千春は躊躇いなく麻酔銃のトリガーを引いた。 The end