4.再会、そして殺し合い 「いたた……」  尻をさすりながら立ち上がりあたりを眺めて少し驚いた。おそらくここは書庫であろう、 大量の本棚が並んでいる。それこそ壁にも天井にも。きっと重量発生の魔法を使って部屋 を効率よく使おうという考えなのだろう。同居人が増えて手狭になってきたことだし今度 私の家でもやってみようと思う。  ここは未だ天空城の内部、私を飛ばしたあの魔導師の気配も近くにある。だから少し置 かれている本の内容に興味を持ち、そっと手を伸ばす。あわよくばこの混乱に乗じて持っ て帰ってしまおうかと思いながら伸ばす手が本の背に触れた瞬間声がした。 「おっと、少し困るんですよね。ここにある本を持って帰られるのは」  聞き覚えのある人を小馬鹿にしたような声、振り向けば先ほど私をここに飛ばした魔導 師が本棚の上に座っていた。 「勇者パーティー魔導師にして二十四時の魔法使いが一人――ヘイ=スト」 「おっと、そんなに睨まないでくださいよ。この無限書庫の本はきっと貴女には読めない でしょうけど貴女の知り合い、夢里皇七郎やお父上――トゥルーシィ=アキオの手に渡る と少し厄介でしてね」  少し驚いた。何故こいつは私のことを知っているのだろう。 「私に知らないことはありませんよ」 「な――ッ!?」  心を読まれた気がした。当の本人はそんな私を見てただにやにやしているだけ。 「冗談ですよ、ただあの人の若い頃にそっくりだと思ったから言ったまでです」 「勇者パーティー唯一の人間でありながら昔から変わらないってのは……案外都市伝説 じゃ無さそうね。若さを保つ秘訣教えてくれるかしら」  冗談半分、残りは割りと本気で。意外とガトーさんが言ってたことを気にしているのか も知れない。  ――自分が若い頃は年をとった時のことなんて考えられないんだよ。  まだ若いのにいつかは年をとるなんて自覚をあまり持ちたくは無い。ついでに少し気に なったので昔の父さんについても聞いてみたくなった。 「あなたが会った時の父はどうだった?」  最凶の魔導師と名高い彼によくそんな質問が出来るものだと我ながら思う。少し感覚が 麻痺してしまっているのかもしれない。魔導師は本棚に腰掛けたまま足をぶらぶら揺らし 目を閉じ少し思い出すような仕草をした。 「そうですね、最低な人間でした。独善的で偽善者で研究者でありながら正気を保とうと して、人に価値観を押し付けて揚げ足を取る。まぁ、魔物根絶派であることは少しは好感 がもてましたがね」  にやにや笑いながらそう答える魔導師を見て私は思わず笑ってしまった。 「最凶の魔導師なんて言っても人間らしい所あるのね」  父のことを語る魔導師が私にはとても人間らしく見えておかしかった。でも彼はそうで は無かったらしい。顔に張り付いたわざとらしい笑みが更に作り物のようになる。 「姫はおもちゃ遊びで忙しいようですし私も少し遊ぶとしましょう。あの人の娘さんで」  顔は変わっていないが先ほどよりも嫌らしい雰囲気が伝わってくる。おそらくは魔力の 質が変わったのだろう、稀代の魔導師殿は魔力の変質ですらお手の物らしい。 「私で満足していただけるか分かりませんがよろしくお願いします、このド変態が」  ヂヂ、ヂッ!  私が中指を立て言い切るその刹那、大気が揺れちょうど彼との中間地点で魔力の衝撃波 がぶつかりあう音がした。 「流石あの人の娘だ、とても綺麗な魔力ですね」 「お褒めに預かり光栄です」  にやにや笑いに微笑を返しながら背負った箱からいくつか試験管を取り出す。  どうやら私の魔力はこの変態魔導師のお気に召したらしい。そうでなければ今私がここ に立っていられるはずが無い。同じ二十四時の魔法使いであるエル=エデンス先生は手加 減されても十秒と持たなかった。 「――唸れ」  液状爆薬を投擲するとマジックミサイルの原理で彼に向かって飛んでいく。避ける様子 も無く笑ったままだった。着弾と同時に白衣が爆風でばたばたとはためき本棚が倒れてい く。爆発に巻き込まれ音を立てて燃えていく本を見ると少し惜しい気持ちが芽生えるが、 死んでしまっては元も子もない。神代まで遡れる本も命があってこそ価値が出るものだ。  遊ぶと言っていたか――。  逃げるとすればそこに付け込むしかない。まともにやったところで弄ばれ嬲られるだけ だろう。やるのはいいがやられるのは嫌だ。 「魔力の節約ですか、なるほどたしかに長期戦を意識するのなら弾は別に用意しておいた 方が良い。しかしやるのならこれくらいの威力で無ければ意味は無いですよ」    ハジマリ 『――原初の焔』  ヘイ=ストがおそらく神代言語で呪文を唱えマントを翻すとどこか別の場所と繋がり、 ゲートから火の柱が噴出し、私のマジックミサイルの数倍の速度でこちらに突っ込んでく る。それをすんでのところで避けて伏せると大きな衝撃が襲ってきた。床の破片が背中を 打つ、魔法銀で出来た白衣のおかげで突き刺さるまでは行かないが息ができなくなるぐら いすごく痛い。触媒無しでこの威力とは末恐ろしい。私は酷い勘違いをしていた。私がこ の男に魔力を節約して逃げられるはずが無い。やるなら死ぬ気で殺しに行かねばならない。 「我は穿つ」 「――唸れ」  転がり爆発地点から逃れながら立ちあがり両手で試験管を投げる。 「二重詠唱ですか、発音も綺麗だ」  動く気配が無い。先ほどの倍の液状爆薬などお構い無しに私が何をするかを見たいよう だ。ならば見せてやろう。 「原初の理!」  着弾すると同時に炸裂する液状爆薬、それとほぼ同時に胸に穴が開き炎はそこに流れ込 んでいく。魔力による炎の誘導、今ヘイ=スト身体の中から焼かれている。 「我落とすは神の怒槌!」  ヘイ=ストの頭上に五つの大きな光球が円状に現れ圧縮しながら徐々に一つになる。一 つになった光球が更に圧縮を続けガラス玉ほどの大きさになった瞬間燃え盛る男に向けて 光の柱が落ちた。  外側は雷によって、内側は火によって丸焦げになっている。口は半開きになりぶすぶす と音を出しながら煙を立てていた。  これで死ぬわけが無い。でもほんの少し足止めが出来るのなら――。 「酷いなあ」  取り出した転移石を落としそうになってしまった。まだ黒こげのはずなのに。 「何故喋れるかって? さて何でだろうねぇ。ヒント、私はヘイ=ストだから。……これ じゃ答えか」  黒焦げのはずの魔導師はにやにやと笑っている。丸焦げで表情も動かせないくせに。笑 っているその雰囲気だけが分かる。背骨がまるごと氷に入れ替えられたような寒気。 「あの人に似て綺麗な魔力だけど戦い方はえげつない、二重詠唱に普通なら死んでる相手 に更に致死量の電撃を流す。でもそういうの私は好きですねえ。でもね、雷って言うのは こういうものを言うんですよ」  お喋りの間に逃げれば良かった、逃げたかった。しかし出来なかった。身体が動いてく れない。こんなところで死ぬ訳にはいかないのに。  正義執行――  どこかで聞いた声、幼くそれでいて尊大なこの声は……。                                   ――神鳴ル剣  一瞬にして全身を襲う電撃、とっさの抵抗魔法も膨大な魔力で無理矢理ぶち破られほと んど意味を為さない、為すわけが無い。これは、この声は―― 「事象龍、暁のトランギドール。いや、この場合は暁のとらんぎどーると発音した方が正 しいでしょうか」 「そういうことだアキコ、世界の根源に触れようというのなら我はお前を殺さなければな るまい」  未だ意識があるのは手加減をされたからか、霞む右目で確認する。  やはりそこにいたのはいつも私の家でぐーたらしている龍っ娘、暁のとらんぎどーる だった。ということは―― 「わたしもいるよー」  ヘイ=ストの後ろから現れるもう一人の龍っ娘、蒼のいんぺらんさ。 「しゃるびると自身は欠席だがな」  自身? 自身とは一体? 「こういうことですよ」  焦げは綺麗さっぱり無くなって、私の攻撃を受ける前と同じ格好でにやにや笑いを浮か べたままヘイ=ストが掌を私に向けて突き出す。 『――シルバーブレス』  掌から吐き出されたのはこれもどこかで感じた魔力の塊、いんぺらんさととらんぎどー るを叱る時に使うしゃるのブレスだ。吐きつけられるそれで私は吹き飛び本棚の裏に転が り三人の視界から消える。  嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ。  あの三人が私を殺そうとするなんて信じられない。  魔力で身体を最低限動かせるレベルまで回復しつつ何度も否定する。  そんな訳が無い、私を……私が……殺される? あの三人に?  何とかこの場から逃げ出そうと這いつくばって移動する。 「アキコちゃーん、隠れてちゃつまらないよー?」  思考が纏まらず足元で水球が精製されるのに気付くのが遅れた。それに視線をやった瞬 間、拳を形作ると顎を狙って飛んでくる。勿論ぼろぼろの私に避けられるはずもなく、 あっけなく殴り飛ばされた。  脳が揺さぶられ視界が定まらない。水球は私の両手首に絡みつき立ち上がらせると吊る したままヘイ=ストの前に連れて行かれる。 「嘘だ……なんで……」  電撃のダメージは思ったより酷く自分のものとは思えないしゃがれた声が出ている。 「事象はどこにもなくてどこにもあるんですよ?」 「そして神は出すぎた人間に罰を与えなければいけない」 「アキコちゃんは神に近付きすぎちゃったんだ」  いつの間にかヘイ=ストがしゃるびるとに変わっている。顎に手を添えられて顔を上げ させられる。こんなの違う、私を動揺させる為の幻に決まっている。そうに決まって―― 「あがっ……あぁぁあああああ!」  電撃が身体を流れ、液体が股を伝う。もう何も考えられない。 「あぅ……ぁ……ああ……」  私が生きて帰るのはこの子達の為だった。この子達が私を殺そうとするのなら帰る理由 は無くなってしまう。  私はどうすればいい、どうすれば……。 「信じることだ」  そっと肩に暖かい手が置かれた。                ■ ■ ■ ■ ■          揺れる地面と機械の音で目を覚ました。  目の前に広がる光景は夢だと思いたかった。  それでも血の匂いと機械音は否が応でも私を現実に引き戻す。 「なんて顔をしてるんだ、たかがモンスターだろう?」  血の海の真ん中で下卑た笑いを浮かべている。  今まで感じたことの無いものが心を襲う。  昏く、重いもの。  私はゆっくりと立ち上がった。                ■ ■ ■ ■ ■          空中に放り出され、本来であれば尻餅をつくような態勢から受身を取って着地出来たの はゆかっちが魔物であると言うことが大きいだろう。ゆかっちと言う種族はそもそも非戦 闘員であり、それゆえ魔法使いや冒険者に飼われ便利に扱われることも間々あるが、彼女 たちもまたエルダーデーモンの血脈である――そうハロウドは主張している――。中には 少し先祖帰りをして戦闘能力を有するものもいなくも無い。少なくとも可愛いだけに特化 したももっちよりはそういう個体が存在する場合が多い。このゆかっちもそういった個体 の一つであるのは想像に難くない。  ももっちやゆかっちといったエルダーデーモンの血脈は未だその生態が謎に包まれてい る。どのようにして繁殖するのか、そもそも生殖行為をするのか、しないのであれば雄型 ももっちと思われていたひろっちの存在意義はなんなのか。あの三人の魔物生態学者を筆 頭に様々な議論が繰り広げられている。  ただ、今分かっているのはゆかっちという種は減少の一途をたどっている事。繁殖数は 分からないまま、ただただ人を治療する行為を続けその命を散らしてゆく。その結果、種 が絶えたとしても彼女たちは幸せであるはずなのだ、彼女たちはそういう風に生まれたの だから。  話を戻せば現在ゆかっちは魔導師ヘイ=ストによって転移魔法を使われた直後になる。 あたりを見回しても誰もいない。 「誰かいますか?」  おそらくは天空城内部なのだろうがここは見た覚えがない。最上階への進路に入ってい なかった――おそらくはあの魔導師が意図的に避けさせた――区域。仕方ないので足音を 立てないよう慎重に進む。ゆかっちの身体が疼いている、きっと天空城は目覚め始めてい る。先ほどは起動していなかった侵入者撃退用の罠があったとしてもなんら不思議ではな い。  ――こういう時ディライトがいれば楽なのだが。  失礼な考えである。ただ、罠の作動音が聞こえてこないということは同じ階にはいない か罠なんてゆかっちのただの思い過ごしなのか、そもそもディライトが着地に失敗して伸 びているかのどれかのはずである。個人的には三つ目を推したいところであった。  というか、それが一番安全かもしれない。下手に動かれてガーゴイルといった厄介な罠 を作動させられるより伸びていてくれた方がこちらも探しやすい。お互いが動き回ってす れ違ってしまうことほど面倒なことは無い。とにかく一刻も早く誰かと合流してディライ トを拾わなければならない、彼女を一人にしておいたら何が起きるか分かったものじゃな かった。  城内を歩き回るうちに開けた場所に出る。舞踏会にでも使われる予定だった大広間だろ うか、華々しくなるはずだったそこは人がいないと寂しくとても寒かった。  さっさと走り抜けてしまおうとすると視界の隅に何かを捉える、つなぎに安全ヘルメッ ト、ディライトはここに飛ばされていたのだ。早いうちに合流することが出来て良かった、 駆け寄ろうとして、空から風を切る音が近づいてくるのに気がついた。  仰ぎ見ると一人の男が降ってくる、天空人だろうか。着地した瞬間床が揺れ、バカンと 音を立ててタイルが割れた。腰に二本の剣をさしているところを見るに剣士だろう。ディ ライトとゆかっちの間に立ちふさがった。 「……んー?」  焦点の合っていない目であたりを見回している男が敵か味方か分からないがまずはディ ライトを起こさなくてはなるまい。動きが緩慢でゆかっちに興味が無い内に脇を通り抜け ようとして、男とばちりと目があった。その刹那、額に強い衝撃が走りそのままのけぞっ て尻餅をついた。  何が起こったのかわからないが、男の手には腰にあったはずの剣が握られている。鞘か らは抜き放たれていないがあの男が衝撃の元であることは明白だった。 「出来ることならしたくないんですよ、でも命令なので……」  ぼんやりした口調で男は鞘に入れたままもう一本の剣を取り出した。 「死なない程度に痛めつけさせてもらいます」 「私だってあなたを相手にしている場合じゃない!」  さっさとディライトをつれてこの城から脱出するのは急務だ。今回は城内への転送で良 かったがいつ空に放り出されるかは分からない。両手のカグツチから炎が上がる。踏み込 んでくる男の内側に対するようにこちらも踏み込んで右からの薙ぎ払いを屈んでかわす。 剣相手のだと背の低さが有利になるのは何度かやって分かっていることだ。懐に入り込ま れ男は左手に持っていた剣を逆手に持ち代えゆかっちを突こうとする。  それよりも早く炎が唸る右手を男の鳩尾めがけて叩き込んだ。ミチッという音とともに 男の身体に深く拳がめり込むのが分かる。しかし男の身体は吹き飛ばず、床にめり込むほ どの踏ん張りでその場に留まっていた。ゆかっちの攻撃で止まっていた左手が再開し背中 を激しく打つ。鞘が無ければ滅多刺しにされているところであろう。  痛みから逃れるように横に転がるとそれを追って真上からの刺突三回ほど回り男から離 れると立ち上がる。ずきずきと背中が痛んだ。  ――人間ならあの打撃で意識が飛ぶはずなのに。  天空人はよほど頑丈に出来ているらしい、ならばそれを超える威力を捻り出せばいいだ けだ。カグツチの炎がさらに力強く揺らめく。  男は先ほどより一層空ろな目に変わっている。違和感と嫌な予感がした、剣を抜くより 早く決着をつけた方が良いと頭の中のより原始的な部分が警鐘を鳴らす。こういう時は大 抵本能が正しい、私の中に流れる血はおそらく私よりも正しい判断をする。男の左右から の二連撃、左方から来る剣をカグツチで弾き飛ばし、男の左手を両手で取ると身体ごと絡 み付きその勢いをして床に叩きつける。ゴキリと音がして左肘の関節を破壊したのを確認 した。うつぶせの男を左手で押さえつけたまま思い切り殴りつけるとその衝撃は背骨を突 き抜け男を中心にして床に円状のヒビを作る。  一瞬びくんと痙攣するとそのまま動かなくなった。  完全に動かなくなったのを確認すると男に背を向けディライトに近寄る。先ほどの戦闘 で大きな音を出したのにも拘らず目を覚まさなかったので少し心配だったが外傷はどうや ら無い様で転移酔いのようだった。 「もう、ディライトったら仕方ないですね」  笑って抱き起こそうとして、ディライトを抱いたままその場から飛びのいた。  一瞬の後、音も無く衝撃が床をえぐった。  それを放ったのは先ほどノックアウトしたはずのあの男。 「ッんだよ! 外れかよ!」  砕いたはずの左肘が問題なく動いている。  背骨も砕いたはずなのに。 「へたくそだな、だから練習しろッつってんだよ」 「うるせー糞が! ならてめえがやれっつんだよ!」  一人で喋っている。否、今なら分かる男のあの違和感。身体を動かしているのは鞘から 抜き放たれたあの剣だ。魔物生態事典第六章[精霊・悪霊種]に分類される意思ある剣、 ザ・ブレイド。一本ですら厄介なのに二本相手には出来る気がしない。それでも―― 「やるしかないか」  むかつくほど安らかな顔で眠っているディライトを見て覚悟を決める。 「おいおい兄弟見たかあの顔」 「見たぜ兄弟、いい魔物だなあ! 侵入者じゃなけりゃ飼いたい位だ!」 「でも侵入者だしな」 「そうだな、殺すしかねえ!」  言いたいことを言ってくれる。誰がお前らにやられるものか。 「俺らは何千年も遊び相手に飢えてたんだ」 「ヒャッハッハッハッハ! 楽しませてくれよちび!」  右の魔剣と左の魔剣が同時に襲い掛かってくる。  天空人を操っている分トリッキーな動きは多くないが先ほどよりも断然早い。 「避けるばかりじゃなくてこの男の腕折ったみたいにこいよ」 「背骨砕くように剣を折ってみろよ!」  と言うものの懐に入れるような速さじゃない。もう少しこの速度に慣れていかなければ ならない。魔剣の剣筋を見極めながらよけることだけに力を注ぐ。集中が乱れれば即どこ かが切り落とされてしまうだろう。  手甲『カグツチ』はなお燃え盛る、かつて対峙したことの無い強敵を相手にして喜んで いるのかもしれない。 「てめーも随分嬉しそうだな」 「そうだろ! 魔物に戦いが嫌いな奴はいねえ!」  私の頬が少し綻んでいることに言われて気付いた。戦いは嫌いだったはずの私もどこか 喜んでいるのだ。嫌悪感と高揚感がない交ぜになる。それでも考える前に身体を動かさな ければなるまい。今頭脳労働は必要ない、ただ速く、迅く。  ――ここだ。  ほんの右の魔剣が少し大振りになった瞬間、左の魔剣を手甲で弾き飛ばし一歩踏み込む。 「奥義――火砲」  踏み込んだ足に体重を移行させながら身体の回転を利用して弾いた魔剣めがけて拳を叩 きつけた。  金属の甲高い音がホールに響き渡る。広いここではそれが反響し聴覚が一瞬麻痺する。 「残念だったな」 「それじゃ折れねえ!」  機械音が響いた。  拳を打ち付けた剣が振動を始める。  血の気が引いて突き出した右腕を引っこめる。 「遅いな」  そこからバックステップに移るまでの時間が妙に長かった。 「遅えよ!」  左の魔剣が私を襲う、とっさに甲殻で覆われた左腕で身体をかばう。  あわよくばそれで止められる。 「止められねーよ!!」  魔剣の声が同時に聞こえる。  魔剣はゆかっちの腕に食い込み。  そのまま。 「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」                ■ ■ ■ ■ ■          アキコの肩に置かれた大きくて暖かな手、それは。 「私の後輩をそんなに苛めないでくれないかね」  王立魔法研究所所長ガトー=フラシュルだった。 「それに君の後輩でもあるじゃないか。……いや、今はヘイ=ストか」  何かを言おうとして口をぱくぱくさせ考え直すようにそう言った。 「君らしくも無い、こんな初歩の幻術に引っかかるとは」  アキコに向け呟きガトーが指を鳴らすと世界が割れた、正確にはヘイ=ストの幻術結界 を打ち破ったのだ。  がらがらと目の前の世界が崩れ、魔法で壊れたはずの本棚もすっかり元通りだった。つ まりアキコはヘイ=ストに会った時からすでに取り込まれていたのだ。 「まるで私の経歴を知っているみたいですねえ」  アキコと会った初期位置から全く変わらず本棚の上でにやにやと笑っている。 「とぼけるな、知らないわけ無いだろう。僕だ、ガトー=フラシュルだ」  未だかつて見たこと無いガトーの顔にアキコは少しおびえを感じた。 「さて、どこのガトーさんですかね。こう見えても僕顔が広いんですよ。魔法研究所の所 長ってだけじゃ思い出せませんねえ」  ガトーを小馬鹿にした態度、それでも怒った風も無くヘイ=ストを見続けている。 「……嘘ですよ、忘れるわけじゃないですか。セ・ン・パ・イ」  ガトーとヘイ=ストとの関係を知らなかったアキコは内心驚いた、そんな話は誰からも 聞いたことが無い。いや、だれも話さなかっただけかもしれない。ガトーの今の顔を見れ ばそれも何となく分かる。 「僕はお前が大嫌いだ。あの時も止められなかった。もう二度と見たくないとさえ思って いた。でもここで会ってしまった、だから僕はお前を――」  殺す。  言葉にはしなかった、それでもそう続けたいことは簡単に分かった。 「ハハハッ! ならやってみて下さいよ! 先輩に私が超えられますか!? 学生の時です ら一度も私に勝てなかったくせに!」 「それはお互い様だろ」  手をかざした瞬間に大気中の魔力がちりちり音を立てる。 『削・極』  ガトーが手を握り締めた瞬間ヘイ=ストがいた空間が本棚の一部ごとどこかに消えた。 まとまりを失った本のページがばらばらと舞う。  「境を曖昧にして消失させるとはまた乱暴な魔法式ですねぇ、魔力が荒いのは相変わらず ですし」    ハジマリ 『――原初の焔』  にやにや笑いながらアキコに見せた幻術の中のものと同じ魔法を使ってくる。それと違 うのはゲートが五つであるということ。 「今更魔力を洗練する気も起きないさ」  噴出する焔の柱がガトーに向かうがその眼前五〇センチのところでなんでもない魔力に 還元され、少しの風がガトーの髭を揺らした。  ガトーが常時纏うマジックキャンセル、媒介も無くやってのけるのは世界広しといえど 数えるほどしかいない。  事象龍が使役するクラスの魔法ですら無効化しつつ、書庫を本棚ごと削っていく。 「まだ当たっていませんが?」 「お前は魔法を使っているのか?」  今目の前で繰り広げられている魔法戦はアキコには信じられない光景だった。本来であ ればお目にかかることが出来ない極大魔法を目の前の二人はほとんど一言で詠唱完了して しまう、彼我の差を改めて実感し―― 「諦めたかね?」  そんなアキコの気持ちに気付いたのか振り向かないままそう聞いてきた。  その質問にはどう答えたものか迷い、ただ首を振った。 「そうか、ならいい。よく見ておくんだ人はここまで出来るようになる」  紙切れの舞う書庫で仁王立ちするガトーの背中はとても大きく映った。 「ヘイ=スト、僕は自分のために魔法を使わないと決めたんだ。この力は人のためにある。 お前のは誰のための力だ」 「あの時言ったはずですよ、自分の力は、自分のためのものです」  砂時計が模された杖を取り出しにやにや笑いながら答える。 「そう答えるだろうと思った」 「埒が明きませんしこれで終わりにしましょう」  砂時計がぐるぐると回転する。 『時の女神イナヴァ――』  それに対抗するようにガトーは空中に指を滑らす、その軌跡は光り輝いて一つの魔法陣 を作り出す。    タイム・コールド 『――時よ凍れ』    カーム・ワールド 『――賢者の時』  ほぼ同時に魔法を繰り出した。  その結果として時が凍った。  ヘイ=ストの詠唱がほんの少し早かったのだろう。  ガトーは動かない、書庫を飛び回っていた本の紙片もぴたりとその動きを止めた。  時間に干渉する魔法、一部の事象龍を除けばヘイ=ストにしか使えない最凶の魔法。無 限書庫内のヘイ=スト以外すべての時を止めた。この空間だけは朽ちることも無く未来永 劫動き出すことは無いだろう。  にやにや笑いながらガトーの頬をぴしゃりと叩く。 「さようならもう二度と会うことも無いでしょう」  ずいっと顔を近づけてつばを吐きかけた。  瞬間、ガツンと衝撃が走った。  長らく忘れていた痛み、止まったはずのガトーが動き、ヘイ=ストの横っ面を殴りつけ たのだ。 「な――」  その種はすぐ割れた、魔力の動きが著しく停滞している。  止めたはずの空間はそれよりも前に魔力の動きが止められていたのだ。  おそらくはガトーの唱えた魔法、一定区域の魔力の運動を落とし魔法を使えなくする範 囲マジックキャンセル。 「今だアキコくん!」 「了解!」  桜模様の眼帯をめくりあげる。その眼窩にあるのは黒い霧を内包したような透明色の結 晶ペリシュ。 「あー! やっぱりヘイ×ガトよねー!」  アキコが唐突におかしなことを叫ぶとその結晶が鈍く光り晶妖精が出てきた。 「何言ってるのヨ、アキコちゃん! ガト×ヘイのへたれ攻めに決まってるでしょ!」  おおよそ晶妖精のイメージとは逆方向のつぎはぎの身体と羽、ぼろぼろのゴスロリ服に 身を包んだ腐食の晶妖精ペリッシュ、彼女にかかればすべてのものは腐ってしまう。  ついでに本人も――カプ厨という意味で――腐ってる。 「ってちょっと本当にガトー様とヘイ様じゃなイ!? むっはー! 何あれ何あれ、外道勇 者なんかじゃなくて俺を見ろよってコト!? きゃー! これは妄想が進むワー!」  それを見るガトーとヘイ=ストの目が痛い。 「世界には卑猥な晶妖精もいるもんですねえ」  あっけにとられて呟くヘイ=ストを尻目にペリッシュのテンションはどんどん上がって いく。そして上がったテンションは外部に漏れ、それに触れた物を腐食させていった。  まずは本、次に本棚、そして壁、床をどろどろと腐らせていく。 「ペリッシュ行けっ!」  アキコがヘイ=ストを指差すと周囲を腐らせながら突進した。  あまりにテンションが上がったのか床が完全に腐り落ち、大穴が開き、突進するペリッ シュを避けると壁に激突し、壁にも穴を開ける。 「まぁそれなりに楽しめたのでよしとしましょう。先輩の面白い魔法も見れましたしね」  ペリッシュの乱入で興が削がれたといった様子で頬を押さえながら立ち上がる。  その時天空城が一際大きく揺れた。 「ふむ、どうやらこの城での全ての演目は終わったようですね。私は帰らせていただきま す。ではまたいつか、会えることを楽しみにしていますよ」 「な――ッ」  世紀の暇人は引っ掻き回すだけ引っ掻き回しペリッシュの開けた穴から外に飛び出した。 にやにや笑いを浮かべ、背中から落ちていくヘイ=スト。 「クソッ、タダで返せるか!」 『槍よ煌け』  詠唱とともにクリスタルのような槍が現れる。それを手に取りヘイ=ストに投げつけた。 落下速度は速く、遠く米粒のようになるヘイ=ストに向かって一直線に飛んでいく。それ がどうなったかアキコの視力では定かでないが、おそらくは命中していることだろう。 「……ふむ」  息をつき穴から乗り出していた身を引っ込めるとガトーは顎に手を当てる。 「まぁどちらでもいいだろう」  それが何か聞き返したところできっと意味の無いことだと分かっていたので、気にしな いようにして、壁に激突し、目を回しているペリッシュを拾い上げ眼窩に押し込んだ。 「なんというか、いつ見ても個性的な晶妖精だ」 「こう見えていい子ですよ」 「私の年になるとどうにもそういう子を見るとショッキングだね。さて、とりあえず上を 目指そう。あの口ぶりではきっと上で何かが起きているはずだ」  ガトーの言葉に頷きすべてがぼろぼろになって無事な本が一つも無い残念書庫から出よ うとした時、先ほどペリッシュが開けた穴から大きな音が響いた                            ■再会、そして殺し合い(終)