人魔大戦後SS                『夜の大捜査線』 「南かー……」 「なに、南の街に行くの?」  私のこぼした言葉にガレットさんはセーラー服に向けていた顔を上げる。ちょうど一つ ポーニャンドで大きな依頼を済ませたことで懐にも余裕が出来たし息抜きしようか、とい う話をしていた。それが思わず駄々漏れしていたようだった。 「いいなー、俺外出するにも色々問題あるしなー。こないだは酷い目あったし」  二十五にして皇国の結界を張り続ける所長が自由に動き回るのはおそらく無理なのだろ う。残念なことだと思うが、それはそれで楽しいと思っているらしいのでまぁいいのかも しれない。 「いわゆる『ばかんす』ってやつですか。メンテナンスって結構かかりますよね」  私の着ているセーラー服は遺跡から出たもので、巡り巡って何の因果か今は私の手元に ある。防御力が高くて高性能なのだが、本来なら機関で調査されるようなものな訳で。こ うして何ヶ月かに一度持ち込んで耐久性の確認やら破れた部分の補修やらをしなくてはな らない。 「うん。多分出発には間に合わないと思う」  となると私は着物で行かないといけないことになる。南に? 「かと言って服を買う余裕もないしって顔してるな。まだ十代なんだし色々着てみなよ」 「んー、なんだかこっちの服って合わないんですよ。見た目がとかではなくて気分的に。 でも流石に暑いところにこれで行くのも……」  着物に目を落とす。暑い、絶対暑いに決まっている。 「と! お困りの貴女にいいものが。こないだポーニャンドから通信送ってきた時言った だろ、新しいセーラー服作っておくって」 「はあ……?」  そんな話すっかり忘れてたのでガレットさんに首を傾げるとデスクの棚からセーラー服 によく似た――というより半そでの白セーラー服を取り出す。女物の服がデスクから簡単 に出てくるあたりこの人は変態なのかもしれない。うすうす気付いてはいたけど。 「おりょ、なにゆえゴミ虫を見るような視線」 「そ、そんなことないですよ。これは一体なんですか?」 「うん、刀子のやつ見て作った模造品、ちょっと性能落ちるけど。夏着とか必要かなーと 思ってな」 「もしかしてガレットさんがちくちく作ったんですか」 「夜なべして作った」  この人の情熱は一歩間違えば変態だと思う。                 † † † † 「そしてそれがその変態所長謹製の新装備ね」  乗合馬車にガタガタ揺られながら刀子の新しいセーラー服をじろじろと舐めるように リーニィが見つめる、大体間違っていないので否定できない。 「でも色と袖以外はあまり変わった感じしないね。元々のやつもそんなすごいのには見え なかったけどー」  言いながら服の裾をぺらりとめくるビスカの頭を叩いた。 「な、なにするんですか!」 「え? 今まで着てたのに比べると薄いなーと思って」 「めくる理由にはなってません!」  ぷくーと膨れてそっぽを向く。頬を膨らませてへそを曲げるあたりはまだまだ子供だな と二人は見ていて思った。 「ほら刀子、そんなむくれてないで。私お弁当持ってきたから食べようよ、から揚げ弁当 だ――あーっ!」  馬車がガタンと揺れてリーニィが取り出した弁当はすってんころりんとありえないほど 転がって馬車の外に落ちた。ビスカや刀子とパーティーを組んでからすっかりなりを潜め ていた不幸体質を久しぶりに味わうとすっかりテンションが下がってしまい涙が出てきそ うになった。涙腺はゆるい方である。 「こらー! 安全運行しろー!」  こっちは客だ、などと半泣きでわめくリーニィに御者は青ざめた顔で振り向く。 「なぁ、あんたら冒険者だろ。あれなんとかしてくれよ」  指差す先にはゴブリンの群れ、荷馬車強盗だろう、 「あ、あれが私の弁当の仇……そうだ、あれ退治したら馬車代タダにしてよ。いいでしょ」 「分かった分かった! 早くやってくれ!」 「ビスカ! いくよ! 刀子は他の客守って!」  言うが早いか愛用の真・バトルアックス・Mk2・改を取ると半泣きのまま馬車から降 りて憤りをゴブリンにぶつけている。 「わー、リーニィさんなんか気迫こもってますね」 「から揚げ弁当ダメにされたからじゃないかなー。じゃあお客はよろしくね、昼は本調子 じゃないんだからあんまり無理しちゃダメだよ」  刀子の肩をぽんと叩いてビスカも超重量の七天抜刀を取る。 「ばかんすのつもりなのに戦わないといけないなんて運悪いなあ」 「でも馬車代がタダになったから運はいいんじゃない?」  刀子の呟きに答えて笑いながら馬車を降りていった。モンスターの襲撃がどちらなのか 分からないが、刀子のご機嫌斜めがこのどたばたで曖昧になったのは幸運に入るかもしれ なかった。                 † † † †  馬車に揺られること約十日、ついに目的の街に到着した。じりじりと肌を焼く太陽は皇 都やウォンベリエの夏とは比べ物にならないほどで、ビスカははしゃぎまくり、リーニィ に至ってはテンションが上がりすぎて焼くぞーなんて言っている。 「二人ともはしゃぎすぎですよ」  御者から馬車代を払うどころか銀貨を貰いながら刀子は二人に声をかける。モンスター の襲撃はあの一度に留まらず、何度も追い払うことになり、結局三人は用心棒として雇わ れた。思わぬ臨時収入である。 「ぎらぎらする太陽、波の音、潮の香り! これがはしゃがずにいられるだろうか! い や、ない!」  反語を使ってまで喜びを表すリーニィに苦笑を浮かべつつ、実のところ刀子もわくわく していた。 「じゃあ宿をささっと見つけて観光しよー」  ビスカの提案に頷くと三人はぶらぶら街を歩き始めた。この街は大陸の南に位置し、温 暖な気候により過ごしやすく、農耕が盛んで海産物も豊富である。それらを使用した食事 は食通の舌を唸らせると一部の間では有名であったが、何分場所が場所なので物好き―― 食べることが大好きなバカか死ぬほど暇な貴族――くらいしか来ることはなかった。  しかし、ここ最近温泉が湧いたことも手伝って様々な国の貴族の別荘が軒を連ねはじめ、 それを狙った商人が集まる。また別荘を持たずとも温泉は一般の観光客を引き付ける。そ うしてここウィネギアは人魔大戦以前に起きた大津波でほぼ壊滅に追い込まれたにも関わ らず一躍巨大な観光保養地となった。街が富めば文化レベルもあがる。 「あ、本屋だ。珍しいですね」  刀子がショーウィンドウの前で足を止める。店舗としての本屋が成り立つのは一部の有 識者だけでなく一般層にまで文字が知られているということ。よく街を見回せば学校のよ うなものも見える。 「私が前に来た時はここまで賑やかじゃなかったんだけどね。やっぱり温泉効果かな」 「ほえ? リーニィちゃん来た事あるの?」 「一人でぶらぶらしてた時にね。その時は手持ちがなかったから全然遊べなかったけど ……今回は遊ぶぞー!」  が、そうは問屋が卸さない。 「どこも、高い」  人が沢山来るということは宿を取る。となると安い宿はほとんど押さえられてしまう。 誰も彼も考えることは同じだ。 「残っている宿がこの値段帯となるとあまり長い間いられませんね」 「ぐへぇー、長逗留するつもりだったのにな」  がっくり肩を落としているとガラガラと音を立てながら馬車がやってくる。ひょいと道 の脇に避けると三人の前でぴたりと止まった。近くでよく見ると簡素な作りであるものの 細かな装飾が際立っており、中にいるのは大層な人物なのだろうと見当をつける。が、何 故三人の前で止まったのかはとんと見当がつかない。往来で騒いでいた罪で切り捨て御免 かと刀子が思った時、馬車の戸が開いた。そこから出てきたのは――。 「猫人だ」  高級そうな装飾品を身に付け、指には金の指輪がこれでもかとはめられている。もっこ りした身体はいい物でも食べているのだろうか、太っているとは言わないが大分ふくよか でリーニィは少し悪趣味だと思ったが、ビスカは相変わらずモフりたいようでうずうずし ている。 「リーニィさん、ビスカさん、刀子さんですかニャ?」  突然名前を言われて面食らったが一応頷くと猫人は「よかったですニャ」と胸を撫で下 ろした。 「コノピ様からお話聞いておりますニャ、祖国の復興にお手伝いいただいたようで私から もお礼を申し上げますニャ。この街にお三方がいらっしゃるときいておもてなしの準備を しておきましたニャ。最近宿の値段も上がったしどうでしょう、うちに泊まりませんか ニャ? と言ってもすぐには信用できないかも知れないのでこれをどうぞですニャ」  渡された紙には三人がこの街に来るかもしれないということとお世話してねということ がコノピの肉筆で書かれ肉球スタンプが押してあった。降って湧いた朗報に三人は顔を見 合わせ嬉しそうな顔をする。 「ありがとうございますニャ!」 「ございますニャー」 「ありがとうございま……」  リーニィとビスカの白い目が刀子に突き刺さる。 「あ、ありがとうございます……ニャ」 「いえいえ、こちらこそコノピ様からの言いつけでもありますからニャ。それに復興のお 手伝いをしていただいたとなれば私の恩人でもありますニャ。この程度でお礼と言えるか は分かりませんニャが、喜んでいただけたようでよかったですニャ。あ、そうそう、私は ニャをつけなくてもこちらの言葉、聞き取れますニャ」  刀子パンチがリーニィとビスカを襲ったのは言うまでもない。                 † † † † 「海はいいねえ、オキノテズルモズルにスカシカシパン、ワケノシリンス」  ゴーグルを上げながら海から戻ってくるリーニィは真っ白な身体に泳ぎやすそうな真っ 白な――と言っても買った時はカラフルな色だった――水着、太陽光を反射しまくって色 んな意味でビーチの視線を釘付けにしている。 「あれ、ビスカさんは?」 「置いてきた」  リーニィの指差す方向には浮き輪にはまったままぷかぷか浮かんでいるビスカがいた。 置いてきたというよりは本気で泳ぐリーニィに飽きただけだろう。あれはあれで波に揺ら れて気持ち良さそうだ。 「で、それはいいとして、なにその若い娘にあるまじき格好は」 「えぇ!? 何かおかしいですか!?」 「三つ編みは良しとしよう、でもその水着はないでしょう、その水着は!」  二の腕と太ももまである横縞水着、通称囚人水着。それを刀子は着ていた。 「だ、だって恥ずかしいじゃないですか!」 「それを言うならセーラー服のほうがよっぽど露出度高いわよ!」  全くもってリーニィの言う通りであり、囚人水着など十七歳の娘がするような格好では ない。それに加えて海で泳がず砂浜で砂遊びするでもなくぼーっと海を眺めている。こん なことでいいはずがない。危機感を覚えて刀子をずるずると海の家まで引きずっていく。  貸し出し水着の前であーだこーだと話し合い、結局、ビキニの上にパーカーを羽織る事 で決着がついた。それでも抵抗感はあるようだが。 「あれー刀子ちゃんあの変な水着やめたんだー」  海の家から出るとちょうどビスカが上がってきたところだった。浮き輪を抱えている姿 はまるで大きな子供だが、背が高く足も長いので何だかんだで水着が似合う。 「へ、変……」 「ね? だから言ったでしょ、あの水着変だって」  ビスカの言葉にショックを受けている刀子を肘で小突いて呟く。極東出身であることを 考慮したとしてもあれを変と思わないあたりどうかと思う。文化の違いかもしれないが。 「さて、水着がしっかりしたなら次は砂遊びよ! 私がみっちりしごいてくれるわ!」  そう言うと刀子を砂浜まで引きずって連れて行き、日が暮れるまで砂遊びの何たるかを 説くのだった。それは砂山作りから始まり細かい砂城の作り方から刀子を砂に埋めて女体 砂盛りにまで及んだ。そして日が落ちて猫人の、ニャモストの家に帰り着く頃には刀子は すっかりリーニィの砂遊び論の虜となっていたのだがまた別の話。 「ひゃー、すっかり焼けちゃったー」  真っ赤になった肌をさすりながらニャモスト家の脱衣所でビスカがぼやく。日焼け止め を塗ってはいたのだがその程度でこの街の太陽光を完全に止めることは出来なかったよう だ。 「本当ですねー、これじゃ温泉はいるのも苦労しそう……」  服を脱ぎながらビスカの呟きに頷く刀子。とことこと隣によって腕を比較してみる。 「うわー、二人とも真っ赤だ」  それを見て笑っているリーニィは来た時と変わらず真っ白である。と言ったところで見 えないだけでしっかり日焼けはしているようであるが。 「それにしても大きな屋敷だとは思ってましたけど……温泉そのまま引いてるってすごい ですよね」  脱衣所から出るとそこには露天風呂が三人を待っていた。もわもわと出る湯気が月明か りを拡散させていい雰囲気を作り出している。 「いっちばーん!」  音と水柱を立てながらリーニィが飛び込むとそれに続くようにビスカも飛び込んだ。 「温泉は飛び込むものじゃありません!」  注意するものの二人は全く聞いている様子がない、ちょっぴり憤りを感じながら湯船に つかるとなるほど反応できないことが分かった。温泉に含まれるものが日焼けに染みるの である。敏感になった肌がびりびり痺れる感覚がする。 「くぁー……効くねこれ」  ようやく慣れてきて伸びをしながらリーニィが口を開く。縁に腕をかけながら足をだら しなく伸ばして景色を見る。双子月が夜の空にぽっかりと穴を開けたように優しい光を放 ち、海に月光の道を作っていた。 「なんだか遊びすぎちゃった感じだねー」  温泉のお湯が湧き出る音と波の音を聞きながらビスカが呟いた。丸々一日楽しんだ時は なんだか悪いことをしてしまった気がして仕事をしないといけないような気になってしま う。ニャモストの家に泊まるにあたって流石にタダとはいかずいくらかは払うことにした のだが、それを考えても金は大分余るから当分仕事はしなくていい。なのにそんな心持ち になってしまうのは冒険者の生活が波乱に満ちたものだと言うことを示していた。 「遊び終わったらまた働くんですよねー、楽しみなようなもう少しこのまま平和な生活を 続けていたいような……」 「ま、こんなこと言うのもなんだけど長くは続かないよ。だって私たち冒険者だもん」  飛び込んだまま湯船に浸けていた顔を出してリーニィは言った。トラブルがあるから冒 険者がいるのか、冒険者がいるからトラブルがあるのか。それがどちらかは定かではない が本当に暇な冒険者はそうそういるものではない。だから、この後に起きることも三人に は何となく予感があったのかもしれない。                 † † † †  この街に来て三日目、ここにも慣れて夜の街も見物しようかとなった時のこと、にわか に街が騒がしくなった。具体的にぎゃーぎゃー騒ぐ声が聞こえてきたとかそういう訳では ないが、敢えて言うのであれば――何かが起きそうな雰囲気。それを三人は敏感に感じと り、顔を見合わせ頷いた。  そして。予感どおりその夜に事件は起きたのだった。 「由々しき事態ですニャ」  最初の殺人が起きてから連日でそれは起きていた。夜歩きする者を男も女も関係なく鋭 利な刃物で切り裂いていく切り裂き魔――発生数日にして殺人鬼に与えられた名前――は 街を賑わせた。最初の内は恐怖ではなくある種の退屈しのぎにも似た感情が伴っていたの だろう。しかしそれは事件が続くにつれて薄れてゆき、恐怖だけが残った。昼の喧騒にも 負けないくらい騒がしかったウィネギアの夜は一転して静寂と恐怖が支配するようになっ た。  そして動いたのはリーニィ達が逗留する屋敷のニャモストだった。彼女は他の貴族のよ うに静養地として屋敷を立てたのではない。ここを自宅とし、土地に根付いている。この ままでは街が嫌な方向へ向かっていくと懸念してのことだった。  そして話は先ほどの一言に戻る。それはリーニィ達に向けて発せられた言葉だった。 「まずは酒場が打撃を受けましたニャ、日没から夜明けにかけて人がいないので彼らから の悲鳴が止まりませんニャ」 「そうでしょうねぇ……」 「次に観光関連ですニャ、夜に出歩かなければ良いと言っても物騒なことには変わりませ んニャ。今じゃ宿屋もすっからかんですニャ」 「最近海が空いてると思ったらそういうことだったんだー」 「折角温泉も出て観光地としても軌道に乗ってきたのにこのままだと発展が停滞してしま いますニャ」 「それはいいんだけどさ」  荷物をまとめる手を止めてリーニィが答える。 「それを何で私たちに?」  彼女たちも他の観光客達の例に漏れず帰る私宅をしているところだった。リーニィは遊 びに来たつもりがとんだ災難だという顔を作って見せた。 「分かっているくせにずるいですニャ」  にやりとリーニィの口の端が上がった。 「あなた方に仕事を依頼したいんですニャ」                 † † † †  深夜街を歩く姿が三つある。リーニィ、ビスカ、刀子の三人であった。  ニャモストの依頼は単純明快、その切り裂き魔を捕らえてくれとのことだった。そうい った仕事はこの街の衛兵の仕事であるのだが、近年急激に発展し、大きな事故もあまりな かった為練度は明らかに低いのが問題であった。とはいっても衛兵達にもプライドがある ため、ニャモストの口添えの結果、リーニィ達冒険者との合同捜査ということになった。 「口と図体だけはでかかったねあの衛兵団長」 「面子というのがありますからね、しょうがないでしょう」  昼とは打って変わった様子の刀子がリーニィに返す。 「でもー、結構大きな街だから他に沢山の人が手伝ってくれるのはいいよねー」  たしかにリーニィ達で調べるにはこの街は大きすぎる。と言ったところで住人の出歩き を禁じていれば必然的に三人を狙うのであるが、それでも万が一といことがある。そうい う時のために何人かが巡回しているというのは都合がよかった。 「にしても……ほんと静かだね」  三人の足音と話し声が街に響いていた。事件が起きる前の様子は少ししか知らないが、 全く違っていた。明かりは少なく、人は歩かない。空には双子月が輝いており、月光によ る影が石畳に落ちて三人の後ろに長く伸びている。いかにも何かが起きそうな雰囲気で あった。 「なんだか……寒い?」  そんな訳はない、ウィネギアは常夏といって良いほどの土地である。皇都で雪が降って いようがこの街の人間はお構い無しに半そでを着るし、夜も湿った空気が満ちて連日熱帯 夜だ。しかし、リーニィの言葉どおり三人は汗を掻いていなかった。  その瞬間、絹を裂くような悲鳴が響いた。 「刀子、ビスカ!」  舌打ちをして一番に声の方向に向かって駆け出す。衛兵団は全員男であり、たった今響 いた声は女性のものだった。自分たち以外にも夜歩きをしている人物がいたのだ。 「リーニィちゃん、あっち!」  ビスカの指差す方には他に比べてやけに暗い通り――灯が消えている――でへたり込ん だ女性がいた、その傍に何か大きなものが落ちている。駆け寄って三人はそれがなんだか 理解した。 「遅かったか――」  開きにされた男の死体、リーニィは天を仰いで目を覆った。 「あ、あぁ……」 「落ち着いてください、ここで何を見ましたか?」  刀子の問いにも答えず女はとある方向を凝視し、ゆっくりと腕を持ち上げ、今いる通り より更に暗い路地を指差した。遠くから衛兵が駆けつけてくる音がする。 「刀子、ここはよろしく。私たちはちょっと見てくる」 「あいあいさー」  間の抜けたビスカの返事に多少ずっこけつつリーニィは裏路地に足を踏み入れる。ほん の少し血の臭いがした。どうやら切り裂き魔はこっちに逃げ込んだと考えて差し支えない らしい。二人分の足音が建物の間に反響する。  ――二人分?  リーニィは走りながら首を傾げた。前にいるはずの切り裂き魔の足音が聞こえない。土 地勘のない二人には追いつけないとタカを括っているのだろうか、そうだとすれば犯人は 地元民であろう。しかし思い違いが二つある。 「リーニィちゃん、そっち行き止まり、多分こっち」  一つはビスカが大通りから裏路地に至るまで道を覚えていること。  そしてもう一つは――。 「私から逃げようなんて十年早い! 湧きあがれ――壁」  リーニィの執念だ。  切り裂き魔と思しき影がひょこひょこ歩いているのが見えた瞬間呪文を詠唱し石畳に手 を当てるとその前方に二メートルほどの壁が出現した。 「まだまだ!」  呪文をリピートすることで三枚の壁が出現し四方を囲い込む。 「大盤振る舞い!」  おまけとばかりに詠唱すると、建物に手を当てて路地の両サイドから壁がせり出して上 面も塞ぎ逃げ道を完全になくす。 「ビスカ!」  リーニィが言うより早く、ビスカは巨大なククリナイフ、七天抜刀――その色合いから 別名をバナナソードという――を構えながら走り出していた。 「で、っりゃぁぁぁあああああ!」  掛け声と共にその超重量武器を鞘から解き放つ。突進と遠心力が加わって絶大な破壊力 を生みながら壁を破壊し、中にいるであろう切り裂き魔を峰で打ちつける。  ど派手な音で家に篭っていた人も思わず窓を開けるほどだ。勢い余って反対側の壁も打 ち抜いていた。 「やった!?」  臨戦態勢のまま、もうもうと立ち上がる土埃を掻き分けビスカの元に駆け寄る。 「――え?」  が、そこにいたのはビスカ一人。完全に閉じ込めたはずの切り裂き魔は影も形も無かっ た。 「どういうこと?」 「分かんない、でも手ごたえは全く無かったから……」  閉じ込められる前に逃げ出したということか。 「すごい音しましたけど大丈夫ですか!?」  遅れて刀子が二人の元にやってくる。 「うん、私たちは平気。でもなぁ……」  眉間にしわを寄せながらひらひら手を振ってみせる。 「逃げられたんですか?」 「というよりは消えたって言った方がいいかも」  閉じ込めたのは確実である。壁は前面、側面、後方、上方の順番で展開し、逃げたのな らば視認できる。しかしリーニィもビスカもそんな場面は見ておらず、確実に閉じ込めた ものだと思っていた。また、ほんの少しある死角、切り裂き魔を閉じ込めた箱の四隅にも 潜んでいないのはビスカに駆け寄る時にリーニィが確認した。 「そうですか、となると下ですかね」  三人は石畳に目を落とす。穴などはどこにも開いていない。そもそも石畳を即座に掘っ てその穴に隠れるくらいなら壁を破壊した方が早い。 「となると、使い魔とか極東の――」 「式神ですか。あれは魔力の残留があるはずですし媒介も必要です」 「それに使い魔だったら肉体のこるもんねー……」  三人は頭を抱えた。現時点で言えるのは人で無い可能性が高いということ。 「一夜に一人、今日はもう出ない……か」 「犠牲者が出たのは残念ですけどとりあえず戻りましょう」  依頼一日目の夜は大きな犠牲と小さな進展で終わった。                 † † † † 「犠牲者に共通項はやっぱりないねー」  夜の街を歩きながら月明かりを頼りに事件の概要をビスカが読み上げる。 「強いて言うなら夜に出歩いていた、それくらいですか」 「となると、単に人を殺せるならなんでもいいってこと?」  昨夜と同じく三人の足音と話し声だけが街に響いている。 「かもしれないねー、相当な殺人中毒ってことかなー」 「嫌な中毒ですねそれ」 「まぁ世の中いろんな人がいるし――まぁこれが人かは分からないけど」  三人の中で切り裂き魔はほぼ人外であることが決定されている。普通の人間があの密室 状態から魔力の痕跡も残さず抜け出るのはほぼ無理だと考えて過言ではない。中にはそう いった芸当が出来るものもいるだろうが、そんなことを出来る人間がここまで派手なこと をするとは考えにくい。もっとバレないやり方を選ぶだろう。 「動機はいいよ、私たちは切り裂き魔さえ捕まえられれば良いんだから」 「それはそうですけど、そもそもの正体探るのは重要じゃないですか?」 「そうだよー、攻撃できずに逃げられちゃうんじゃお手上げだよ」 「ま、たしかに――」  不意に襲ってくる寒気、前日悲鳴が聞こえてくる直前に感じたのと同じ感覚。 「また、かな」  違ったのは次に聞こえてきたのが絹を引き裂くような悲鳴ではなく―― 「ケヒャヒャヒャヒャ!」  全身を虫が這い回るような不快感を伴った笑い声だった。  それを発していたものにリーニィとビスカは見覚えがあった。後姿しか見ていなかった が間違えようもない、白手袋にシルクハット、そして黒いマント。今目の前にいるこれこ そが切り裂き魔だと確信した。  合図を送らずとも同時に戦闘態勢を整える。 「ヒュッ――!」  白鞘の刀、霧咲に手をかけて一息吐き出しながらパーティの切り込み役の刀子が薄暗い 路地に飛び込んでいく。赤い瞳が線を引きながら切り裂き魔に迫り、霧咲を鞘に収めたま ま突き出した。 「ヒャヒャヒャ……ヒャッ!?」  切り裂き魔に刀の先が触れた瞬間手首を捻りマントを巻き込む。 「でいっ!」  巻き込んだのを確認するとそのまま切り裂き魔を持ち上げ、路地裏から引きずり出して リーニィとビスカの前の石畳に叩きつけた。そして切り裂き魔の姿が露わになる。 「やっぱり人間じゃなかったか」  白手袋、シルクハット、マント、そして白い顔は仮面だ。身体は存在せずそれらが宙に 浮いているだけの姿。光を嫌がっているのか、暗がりに戻ろうとしている。それを見て刀 子が二つ小瓶を投げ、二人はそれぞれ自分の武器でその小瓶を割ると中から液体が飛び出 し武器を濡らした。 「サンキュー刀子、さーて行くわよ」  小瓶の中身は聖水、刀子が常備しているものである。ビスカはすでに切り裂き魔の目前 に立ち七天抜刀を振るった。 「ヒャ……ケヒャハハハ!」  それを白手袋で受け流し、打ち払うとバランスを崩しすっ転ぶ。切り裂き魔は手をくる りと回転させると医療用のナイフを取り出しビスカに襲い掛かる。 「待てーい!」  その時、飛んできたリーニィの驚異的な命中率を誇るアックスブーメランが切り裂き魔 の手を弾き飛ばすと風切音を立てながらその頭上まで戻っていく。態勢を立て直しビスカ が見上げるとリーニィが斧を空中でキャッチした瞬間であり、次に繰り出す技を理解する と、それから逃れるため即座にその場から離脱する。 「今、必殺の――――大・岩・斬!」  建物の壁から張り出した足場を蹴って切り裂き魔目掛け落ちてくる。地属性戦士である リーニィは大地に引き寄せられるように加速し、その影が交差した。  アックスブーメランによって手を弾き飛ばした瞬間から一秒もかかっていない。  切り裂き魔は縦に両断され――横に裂けた。ついでにリーニィのアンテナもちょっぴり 切れた。 「夢宮流居合術――一閃」  切り裂き魔の背後――リーニィの向かい――からキンッと納刀する音がした。動きは止 まり、分断された四つの身体が宙に浮いている。 「ケヒャヒャヒャヒャ!」  ふわりと身体が宙に浮かび三人の手の届かない高さまでいくと白手袋がコミカルな動き で分断された身体を接着し、マントを翻すとその場から消えた。  茫然としながらそれを眺めていたが逃げられたことに気付くとリーニィは地団太を踏み はじめた。 「に、逃げられたー!」  ――まだ終わらない。                 † † † † 「人ではなかったんですニャ?」  翌日の昼、三人の報告すると顎に手を当ててニャモストは唸った。昨晩、切り裂き魔に 逃げられてからも巡回を続けたが、三人に追い払われた為か人の出歩きもなかった為か、 どちらとは確定できないのだが犠牲者はゼロであった。 「昨日は犠牲者もありませんでしたしそれでよしとしますニャ」  具体的な対策は未だに取れてはいないが、犠牲者が出なかったことは大きい。 「聖水も効果はなかったし……さてどうしようかと」  あの見た目と行動からして悪霊種と判断したのだが、分断された身体を接着したところ を見ると聖水をかけた武器は効果がなかったようだった。 「でも切り裂き魔は魔物――に分類されるんでしょうかニャ」 「そうなるのかなー」 「……あの」  そこまで黙っていた刀子が口を開いた。 「なんですかニャ、刀子さん」 「魔道通信機ありますかね?」 「ありますけど何に使うんですかニャ?」  ニャモストが机の上の呼び鈴を鳴らすとどこで聞いていたのだろうか、数秒もせずにメ イドの一人が魔道通信機を持って部屋に入ってきた。 「専門的なことは専門家に聞こう、ということですね」  机の上に置かれた魔道通信機を操作してどこかにつなぐ。 「はいはい、皇立魔法研究所所長室」  通信機から声が流れてくる。 「もしもし、ガレットさんですか? えぇ、具合はいいですよ。それより聞きたいことが あるんですけど」  繋がった先は皇立魔法研究所の変態所長のようだった。 「以前連続殺人を解決したとか何とか言いましたよね、魔物が犯人だったあれ。今それに 似ている状況が起きてまして」 「なんだ、その話か。だったら今俺より適任な奴がいるからそっちに聞いてくれ」  通話機を放したのか声が少し遠くなり、リコーと呼ぶ声がした。誰だろうと二人が首を 捻っているとそのリコが出る。 「刀子ちゃん? 久しぶりだね、元気にしてた?」 「お久しぶりですリカナディア所長、元気にやってます。今度お会いできればいいんです けれど。と、挨拶は置いておいて以前聞いた事件と似たようなことが起きていまして」  リカナディア所長といえば王立魔物生態研究所のリカナディア=アーキィしかいない。 顔を見合わせて刀子の顔の広さに少し驚く。 「えーと、連続殺人事件だったかな」 「はい、その話です。ただ、今起きている事件が聞いた話とは多少違うのでご意見を伺い たいなと思いまして――」  そう言って刀子が事件の概要を話すと通信機の向こうでふむ、と呟いて黙った。三人に とって街中で殺人を犯す魔物には全く心当たりがないが、専門家にはなにか思うところが あったようだ。 「多分、裏路地の魔物リドル・フリークス――の亜種かな」 「リドル・フリークス?」  三人が同時に疑問の声を上げる。聞いたことのない名前、冒険者のたしなみとして最低 限魔物生態事典は読んでいるがそのような魔物は見たことがなかった。 「うん、リドル・フリークス。聞いたことは……無いよね。今の魔物生態事典には載って ないし」 「今の?」  その言い方に違和感を感じ、刀子は思わず聞き返してしまった。 「そう、第五版以降は載せないようにって決められたの。リドル・フリークスって魔物が 発見されたのは第三版が発行される直前の二二四〇年代、活版印刷が普及して本が一般層 にも浸透し始めた頃で、怪奇小説や推理小説――殺人犯が出てくるような本が読まれるよ うになった結果、人々の心に生まれた不安感や恐怖心に魂の欠片が作用して生まれたとさ れている訳ね。だから、悪霊種に近いんだけど、その存在が認知されればされるほど存在 の力が強固になっていくことも含めて限りなく事象存在に近いものとも言われているの。 だから肉体がそもそも無いから討伐するのはすごく難しい。そういうこともあって発生さ せる要因を出来る限り少なくしようということで載せないようになったんだ」  事象存在といえば人魔大戦期に活躍した勇者や龍の騎士達。彼等その存在を信じられて いる限り消えることは無い。 「じゃあ討伐は無理ということですか」 「難しい、ってだけで出来なくないよ。事実私たちは皇国で出たリドル・フリークスを出 ないようにしたもの。一番楽なのは封殺してもらうことだけど……これはガレットくらい の力が無いと出来ないかな。と思ったけど刀子ちゃんは極東の巫女だったよね、そういう の得意なんじゃない?」 「いえ、私はその、未熟なのでまだそういうのは……」  頬を掻いてその提案を否定する。 「んー、となると少し時間はかかるけどその街の人達の意識から薄れさせていくってのが 効果的かな」 「薄れさせていく……」 「そう、新聞なり何なりで事件は解決したってことにするの、そうすれば不安と恐怖心が ある程度は安らぐからリドルの力が弱まる。それと話を聞く限り明るいところには出ない というか自分からは出られないみたいだから大きな通りは常に明かりを絶やさないように することと出来る限り裏路地にも明かりを配置すること。あとはそっちで出ているのは私 達が討伐した問答無用で魂を引き抜いたりする見たら死ぬ系じゃないから裏路地の入り口 に自警団とか冒険者を配置してどうしても必要ならその人たちに相手をしてもらって、万 が一犠牲者が出たとしても絶対に口外しないようにしてもらうの。それを続けている内に みんなの中から事件が消えて無くなるから。人の噂も七十五日、これがゆっくりでも確実 な方法かな。あとはこれにもう一つ加えるとより効果的なんだけど……」 「もう一つ?」 「そう、その事件よりも大きな事件を起こすの。事件の記憶の上塗りってやつね」 「なるほど、貴重なご意見ありがとうございました」 「いーえ、魔法研究所だけじゃなくて友達連れて私のところにも来てね。それじゃまた」  最後にそう言うとチーンとベルが鳴るような音がして通信が途絶えた。 「と、いうことだそうです」  通信機を置いて刀子が振り向き、一番に反応したのはニャモストだった。 「別の事件で上塗り……ですかニャ」  大きな事件がそれよりも大きな事件で上塗りされることはどこでもよくあることだ。た しかにリーニィ達も以前起きた事件が最近起きた事件によって記憶が薄くなることも多々 ある。しかし問題なのはそうそうタイミングよく事件が起きない、ということだった。 「まぁそのあたりは別にしても明かりを絶やさないこととか裏路地への立ち入りを禁止す ることってのは重要かもしれないね」 「そうなりますニャ、では注意勧告を今日の夕刊に無理に差し込んでもらうことにします ニャ」 「あれ、事件解決の報道はー」  いつの間にか椅子に座っていたビスカが疑問符を浮かべながら尋ねる。 「それはもう少し事件が沈静化したと見られないと難しいでしょうね」 「というと?」 「一日殺人が行われなかっただけで事件解決って報道するには弱いってこと」 「ですニャ」  それを聞いてビスカはゲーッという顔をする。それもそうだ、つまりはあと数日は夜の 巡回を続けなければならないということを意味している。 「申し訳ありませんけど巡回はあと数日お願いしますニャ。その間に色々と準備をしてお きますニャ」  そう言ってニャモストは口角を上げ、にいっと笑った。                 † † † †  魔物生態研究所所長リカナディア=アーキィとの通信から数日間、三人と衛兵団の影の 活躍によって被害者は出ることが無かった。そして、今朝になってようやく事件は解決し たとの記事が掲載される運びとなった。 「と言っても根本的な解決にはならないんだよね、未だに出るんだから」  少しではあるが活気を取り戻した大通りの奥、薄暗い裏路地で斧を振りながらため息を 吐いた。 「でも出現場所が絞られたから随分楽になったと思うよー」  斧の衝撃波で吹き飛んできたリドル・フリークスを七天抜刀の峰で屋根より高く打ち上 げる。こう見えてビスカはウォンベリエ野球部の元マネージャーで、フライ練習では重宝 されていたのだがそれはまた別の話。  ビスカの言う通りリドル・フリークスはその出現場所を絞られた。ここ数日で裏路地に 街頭が急増し、手の回らない場所に関しては立ち入り禁止と衛兵の配置が徹底されたのだ。 これがニャモストの言う準備だったのだろう。 『受けよ怒槌――雷光剣』  刀子が飛び、打ち上げられたリドル・フリークスに霧咲を捻じ込むとパリッと音を立て て光がはじけた。あとには何も残っていない。いつもの如く逃げ出したようだ。 「それに新聞の影響か大分弱体化しましたね」  何度も戦ったため相手にするのが慣れたということもあるが、それでも最初に戦った時 と比べると明らかに弱くなっているのが三人には分かった。  犠牲者が出ないことや連日の報道はもうこの街にはいないのではないかという安心感を 街の人々に植え付け、今朝の新聞の内容は決定的であった。この街に発生した時ほどの力 はもはや残っていないだろう。  リドル・フリークスは神に近い存在なのかもしれないと刀子はふと考える。極東におい て信仰を無くした神は存在の力が希薄になり、この世界への影響力を失い始める。コノハ ナやイワナガといった神は今でも信仰を集め、強大な影響力を持つがその裏で信仰を失い、 今では伝承の中でのみ語られる神もいる。極東で神殺しは人により行われるが、その存在 は人によって作られたものだ。  そこで自分の刀霧咲に目を落とす。神刀の阪神は奪われ夢宮の家は自分一人を残して根 絶やしにされた。まだ神はあそこにいらっしゃるのだろうか。私はあの廃墟をもう一度直 視できるのだろうか。 「刀子! あれ!」  リーニィの声が思考に割り込んで刀子は我に返った。指差す方向を見れば深夜にも関わ らず空が朱に染まっている。その方向は―― 「ニャモストさんの家!」  誰とも無く駆け出し、通りに出るとそこでも大騒ぎになっていた。三人が走ってニャモ ストの屋敷に向かうのを見ると困惑していた人々もその後ろについて走り始め、燃え盛る 屋敷についた頃には大人数になっていた。  その前では消化を支持する衛兵団長とふわふわだった毛が少しちりちりになったニャモ ストが燃える屋敷を虚ろな目で見ていた。 「だ、大丈夫!?」 「あ……えぇ、使用人たちに怪我はありませんし、お三方の荷物も無事ですニャ」  駆け寄ってきた三人に笑顔を向けるがどこか元気が無い。 「火の不始末が原因だそうで……踏んだり蹴ったりしょんぼりですニャ」  ガクリと項垂れ尻尾がしんなりとしている。 「とりあえず消火活動手伝おうよ」 「そうですね」  ニャモストを慰めるのもそこそこに消火活動に加わると、三人についてきた街の人々も それに加わった。  完全に鎮火できたのは夜も明けようかという頃で、敷地が広かったのと海に温泉と水が 豊富だったのも幸いして延焼も無かった。  そしてその日の新聞の一面にはニャモストの屋敷が焼け落ちたことが掲載されたのだっ た。ウィネギアの発展にどの人物よりも貢献してきたニャモストの屋敷が全焼したことは 街の人間にとっては衝撃的であったようである。 「見事にリドル・フリークスもなりを潜めましたニャ」  火災から数日経ったとある高級宿の一室でちりちりになった毛を気にしながらニャモス トがそう言った。 「自分の家に火をかけるなんてよくやるわよね……」  実はあの火災、ニャモスト自身が屋敷に火をかけた盛大な自作自演の事件であった。そ のことを知っているのはニャモストを覗けば屋敷の使用人数名と三人だけだ。リーニィ達 にしたって鎮火したあとに教えられたので焦ったことには変わりない。敵を騙すにはまず 味方からとはよく言ったものだ。 「ニャッハッハ、あの屋敷が全焼した被害額なんて微々たる物ですニャ。むしろ街の皆さ んが寄付してくれたお金のほうが私には嬉しいですニャ」  事実、屋敷が焼け落ちたその日から大量の寄付金がニャモストの元に集まり、現在ニャ モストと共に三人が宿泊しているこの宿もタダだ。こうなってようやくニャモストがこの 街の人間にどれほど信頼されているのかが理解できる。 「といってもこのお金も裏路地に街頭を設置する費用に全部消えるんですけどニャ」  どうやらこういったことが二度と起きないようにこの街から暗がりを完全に無くすつも りのようだ。 「でもなんでそこまでするのー? ポーニャンドの人でしょ?」  寝転がりながらのビスカの質問にニャモストは微笑を浮かべ答える。 「猫人は長生きですからニャ、この街は私にとって人魔大戦終結後から面倒を見てきた子 供のようなものですニャ」 「成長が嬉しい――ということですか」  刀子の言葉に目を細めて嬉しそうな顔をした。 「あのー、いい話で纏めようとしているところ悪いんだけどさ、報酬出んの?」  リーニィのあまりにも地属性斧戦士な発言にニャモストは一瞬目を見開き、声を出して 笑った。それにつられて二人も笑うとどこからかケヒャヒャヒャと笑い声が聞こえた気が した。  しかしそれも遠くないうちに聞こえなくなるだろう。  これから先、闇は駆逐されていくのだから。                    おわり