サイオニクスガーデン 神谷狼牙SS     - 狼の誇り - - 後編 一本槍魁子編 上 九月二日 午後六時三十分 - 神谷家道場   俺は偉く久しぶりにうな重という奴を食べていた。   前に食べたのはどれくらい前だろうか。   半年?一年?   ともかく、口の中に広がる甘い蒲焼のタレがこの世の物とは思えない  旨さである。ここは天国か?   いいや、どう考えても現実だ。   …一部非現実的なものが混ざっているが。正確には非日常のものが。 「じっちゃん、ありがとう! いやぁまさかこんなご馳走になっちゃうなんてね!」 「いやぁご老体。全く気を使う必要など無いというのに。礼に宇宙カレーを一年分贈らせて頂こう」   小さなちゃぶ台を囲むように俺、じっちゃん、魁子、狐狗狸が座っていた。   当然、全員が出前のうな重を食っている。 「おい、じっちゃん。金が無い筈なのにどうしてパっとうな重が出てきたんだ?」   俺が眉を顰めて尋ねると、じっちゃんは溜息を付いた。 「そりゃ、おめえ…一年かそこら前からぱったりと仄香ちゃんやら真弓ちゃんが世話焼きに来てくれん様になって、  久々につれてきた女の子ん友達やろが。無下にできるかい。まぁ真弓ちゃんはたまーに来てくれよるが。  そういや聞かんとおったが、おめぇ、仄香ちゃんになんぞ悪さして嫌われたんか?」   仄香がどこでどうしているか。そういった情報はほぼ保護者には開示されない。そもそも保護者…  超能力に理解を示し受け入れている両親と言うのはあまりいない。元々、孤児が多いが。   親がいても、ただ、奇妙な力を持ってしまった子の厄介払いとしてPGに送りつけていたり、  親権放棄したがるような親も珍しくない。ただ、自分に迷惑がかからなければいい。   つまり学園に通う親の大体がPGに興味が無いし、聞かない。そもそも開示しないし、元々そういう機関であると云う  説明をしているからかもしれないが。   じっちゃんにとって仄香はただ唐突にやってこなくなっただけなのだ。   俺も隠すつもりは無いが言いたくはないので言わなかった。 「えっ…狼牙って…実はこう見えて見てのとおり狼…?」   魁子がどんぶりの向こうから警戒した表情で軽く俺を睨む。 「何バカな事言ってやがる。あいつは、色々やってて忙しいだけだ」 「ふふん、君は嘘をつくのが下手だね、狼牙。だがここは君の顔を立てて何も追求しないでいよう。  僕もそれくらいの空気は読める」   狐狗狸が口端を吊り上げ目を細めて俺を見て云う。なんともウザい奴だ。   空気が読めるならそもそも突っ込むな、と云ってやりたかったが妙に感の鋭いこいつの事だ、  経の様に屁理屈を並べ立てて、それがあたかも在るかのように口上を並べ立ててしまいそうなので  機嫌を損ねぬよう黙っておいた。   こいつなら自分がそうと信じてさえいれば白も黒と証明し兼ねない。 「それにしても、本当に泊めてもらっていいの? じっちゃん」   魁子は遠慮せずじっちゃんと呼んでいる。馴染むのが早すぎる。    「お粗末な煎餅布団しか用意できんけどな、そいで良いならわしはええ。  そいより、学校の方はどうなんじゃい、ええ、魁子ちゃん、狐狗狸ちゃん」 「心配無用だよ。うちの学校は課外活動に…まぁ、主に部活なんだが、重きを置いていてね。  部活動に全力を注ぎこむ事の出来る長期休みが少し長く設定されている。  まぁ、あと二三日で帰るさ」   狐狗狸がうなぎを突きながら返す。 「そいやなんでまだこっちに居るんだっけ?」   魁子は狐狗狸に尋ねる。 「調査だ。超能力者が集結しているこの周辺に、何か怪異が起きていないか調べてみたい。  妖怪に例えるなら年中無休で百鬼夜行が行われているような場所だ。特殊な力場なんかが発生している可能性が在る」   俺が池に突っ込んだ後も、何度か組み手を行った。結果は芳しくなかった。   ふとした会話の弾みで俺の家が道場をしている事を話をすると、全く論拠はないが「面白そう」という  二人の意見により、連れてくる事になった。   さらには学園があるという事を俺の口から聞き出し、それで満足したかのように見えていた狐狗狸が、  まだ調査をする為に後二、三日ここに留まると言い出した。   本来なら金持ちらしい狐狗狸が予約した繁華街にあるホテルに泊まる予定だったらしい。   彼女らは既にそこのホテルに一泊していて、必要なら明日以降も宿泊するならばそこに泊まる予定だった。   こいつらがここに泊まる事になったのは「もう暗いから女の子二人で繁華街まで戻るのは危ない」という  じっちゃんの要らぬ気遣いと、狐狗狸の推理の所為だ。   むしろこいつらを襲ったりしたら間違いなく返り討ちに合うだろう。   それこそ相手が超能力者でもない限り。   「狼牙は自宅から通っているのだから、その近隣に超能力組織が存在している筈だ」という正しい推測である。   魁子は当然の疑問として、「そんなの狼牙が登校するのについていけばいいじゃん」と述べた。   しかしそれは、学園長の能力によって不可能に近い。   複雑怪奇な迷路によって道を阻まれているなら、道を知っている人間についていけばいいだけの話だが、  学園付近の道に入ると幻覚によって気付かない内に、自分の意思で別の道へと行く。   俺の後をつけて行くならば辿り着けそうな気もするが、幻覚に魅せられた「道先案内人がいるのに辿り着けない」  という矛盾に対し自らの脳で辻褄を合わせ別の道を行ってしまう様になっているのだろう。   上記は試していないので想像の域を出ないが、恐らくそのような力によって守られているからこそ、  この学園は表舞台に露見しない秘密組織であり続けられるには違いなかった。   狐狗狸は俺の口からそれを聞かずとも、発見できないという事は、原理はわからずとも見つからないように  出来ているのだと合理的に理解していたらしい。   ともかくここからこいつらの宿泊予定のホテルまでは少し距離がある。だから俺の家に泊まった方が  調査へと出掛けるには都合がいい、と言う事だ。   嫌な予感がしてならないので俺は反対したが、じっちゃんの鶴の一言で決定する。   家主は俺ではないのだから仕方がない。   あと、何時帰るかわからないという所から、二人とも荷物を持ち歩いていたって事もある。   魁子は白いナップザック、狐狗狸は何が入っているのかわからないが、やたら重いキャリーバッグを持っていた。 「そんなもんかねぇ」   うな重を口に掻き込みながら、興味なさ気に答える。   そもそもそこまで超常現象だのにそこまで興味の無い魁子にとっては、どうでもいい話なのだろう。   何故、彼女がわざわざその興味がない事を調査するために、狐狗狸の用心棒としてついて来たのかと言えば、  金である。単純明快で解りやすい。   魁子は日給で一万円で狐狗狸に雇われているのである。しかし実質はただの旅行のお供に近い。   護衛というのは岸峰への保険だろう。   狐狗狸が言うには、以前に奏詠と接触した後、彼女によって呼び出された岸峰に殴られたという。   岸峰は他人の記憶を殴ることによって消失させる能力を持つ。つまり奏詠から一般人には秘密と成っている  情報を聞き出した狐狗狸の記憶を消すために岸峰は呼び出された。何故こいつが殴られて記憶を失っていないのかは謎だが。   説明を強引につけるとすれば、精神力の強さである。   超能力は精神の力である。とすれば、腕相撲をした時に腕力の強い方が勝つのが当然であるように、  双方の力がぶつかり合ったとき、基本的には精神力の強い方が勝つ事になる。   一般人が攻撃能力を受けた時には何の対処もできないが、実は精神に働きかける能力というのは、  能力者であろうとなかろうと関係なく、互いの精神力の強さによって力の成否が決まる。   とは言え、少々差がある程度では力に対して抗う事はできない。   そして大抵の場合は、所詮は人間同士、殆どの場合、大差はない。   そういった事は双方の差が顕著な場合のみ起こる。   しかしながら、精神力を数値化するような装置は現在存在せず、科学的に実証された事ではないので、  どれだけ精神力に差があれば、とははっきり言えないらしい。   もしそうだとするなら、狐狗狸の精神力は計り知れない巨大さを持つ事になる。   …実際の所は、岸峰の能力発動ミスとか、その辺りが原因だろう。   狐狗狸曰く、「友情は超能力を越える」だそうだが、そんな事はありえない。 「ごっそさん」   俺は食い終わると立ち上がった。当然ながら、自分の部屋に戻るために。 「おい、待たんかい!」   じっちゃんが引き止める。 「んだよ」 「女の子放っといてどこいきよるんじゃ」 「そりゃあ、部屋に戻る。俺の女じゃないからな。それに俺は一応ここに泊めんのも反対したし」 「皆が飯食い終わったら客間に布団引くから、それくらいお前も手伝えやい」 「ったく面倒くせぇなぁ…」 「あ、大丈夫だよじっちゃん、布団出すくらい軽いからさ」   魁子が手を振って遠慮がちに言う。 「ええ、ええよ。女の子を働かせられるかい。ちゅうわけや、狼牙、ちゃんとおっとれよう」 「あーはいはい」   逆らうのも面倒で、その場に座りなおす。全員が食べ終えた後、重箱をどけて茶を飲みながら少し雑談をした後、  押入れから布団を二つ出して客間に並べる。   じっちゃんに風呂は女性が先だのと言われるが二人は(というより魁子が)夏休みの宿題らしきものを始め、  それを風呂に入る前に済ませたいとの事で俺が一番風呂を頂いた。どちみち俺は長風呂する方ではないし、  先に入った所で誰にも迷惑はかからない。   十五分程して風呂からあがると、魁子はまだ宿題とにらめっこ中で、うんうんと唸っていた。   別にその中に混じる必要は無いので、俺はそのまま部屋に戻りベッドに寝転がった。   一気に押し寄せる倦怠感。肉体も精神も急落下するように脱力していく。   だのに、不思議な事に眠れないのである。   ベッドに身を投げてからどれだけ時間が経ったかわからない。   数分か、数時間か。身体を動かせば疲れて眠くなるだろうか。   ふとそんな風に思い、俺は道場の方へと足を向けた。   夜中だ。当然、道場に明かりはついていない。客間も暗い事からして皆寝てしまったのだろう。   時計を見ていないので何時か解らない。恐らく十二時前後か。   道場に近づくにつれ、奇妙な感覚に襲われる。人の気配がするのだ。   人の気配はどうやら道場の中からしているらしかった。   道場内の気配は、体重移動による床のきしみ具合からして、泥棒が何か物色しているのではなく、  誰かが稽古をしているのだとわかる。まぁ、盗む物なんてないわけだが。   じっちゃっかと思ったが今日は客が来ていた事を思い出す。魁子か。   俺は道場の襖を、ゆっくり開けた。   視界に映ったのは、道場の真ん中で、黄色に黒いラインの入ったジャージを着用し、  やわらかな月光に照らされながら稽古をしている魁子の姿だった。   静かに息をしながら拳を振り、蹴り、その度に汗を弾き飛ばしている。 「…死亡遊戯?」   魁子は驚いて振り返った。少しの沈黙の後、鼻を広げて興奮しながら着物を見せびらかす無邪気な少女の様に、  ジャージの袖をつかんでくるりと廻って虚空に蹴りを放った。 「わっかるかぁ! これ見てすぐそれ言ってくれたの、あんたが初めてだよ!」   ジャージの元ネタであろう映画を言い当てただけだと言うのに、魁子はかなり嬉しそうだった。 「…トレーニング用か?」 「寝巻きだよ」 「…そんなもん寝巻きにしてんのか…」 「いつでも戦えるようにね。まぁ、寝込み襲われる事なんてないんだけど…」   そう云って魁子ははにかんだ。    「ん? そういや風呂に入ってないのか?」 「いんや? 入ったよ?」 「なのに、なんで汗かいてんだ」 「お風呂あがったから、じっちゃんを呼びに道場に入ったんだ。  そしたら、じっちゃんは型?の最中でさ」 「套路(とうろ)だな」   套路というのは、魁子がいう様に武道でいう型のようなもので、姿勢や歩き方、攻撃、広義な意味での技を  複数組み合わせた連続した動きで、練習法であり、流れを身体に身につけるための記憶法でもある。   套路の流れを見るだけで、その人の上達具合も解かる。   格闘ゲームで例えるなら、コンボのパターンである。 「そうそれ。で、ちょっと相手して貰ったんだよ。武道家としてさ、どれくらい相手が強いのかってやっぱり気になるじゃん?」   まぁ、わからなくはないが。 「どうだった?」 「たはは、やっぱり、勝てるわけなかったよ。年期が違いすぎるし、相手にならなかった。  それでも手加減してくれてるのが善くわかったし。優しいね、じっちゃんは」 「甘いのは甘いな」 「甘い?」   魁子が聞き返す。 「生徒にな。あんなんじゃいつまで経っても上達しやしねぇ。  俺がちょっと相手しただけでびびっちまう」 「そりゃあ…狼牙、ちょっと野生的だし。ぱっと見ちょっと怖いよ」   それは心外だ。 「ちょっとショックだな。普通の好青年だってのに」   俺が視線を逸らすと、魁子は悪戯な表情でこちらに指を突きつけた。 「よーく言うよ。普通の好青年は指鳴らしながらヤンキーやっつけないってば」 「何言ってんだ。やったのはお前だろ?」 「そういえばそうだ」   バツが悪そうに魁子が頭をかく。 「で?」 「うん。その後じっちゃんはお風呂に行ってさ。  そのまま練習を…」 「汗をを流した後でか?」 「学校の道場って煩いしさ、静かな道場っていいなって。集中できるし。  うちの学校って広いし、やたらヘンなのが多いからさ、学校閉まるギリギリまでうっさいの。  静かな道場っていいなぁってさ、思って。集中できるじゃん?」   ウチは集まってる人間の都合上変だ。だが、魁子達の通っている学校ってのはもっと変なのかもしれない。   恥じらいもなく雄たけびを上げる女子高生や意味の半ばわからない言語をしゃべりたくる女子高生は、  初めてみたかもしれない。こんなのが集まった学校なんだ、さぞかし変な学校なんだろう。   案外、学園の生徒が普通に入学しても違和感がないんじゃないかと思う程に。   そう考えると、実は良い学校なのかもしれない。 「そ、それよりさ、どうしたの?」   少しの沈黙の後、魁子が取り繕うように言った。 「何がだ?」 「いやね、ほら、なんでこんな時間にわざわざ道場へ? 稽古?」 「なんか、寝れなくてね。一汗かこうかと」   魁子は、ふーん、と言って下唇を軽く噛んだ。そして視線を俺から外し、道場の際へと移動する。   俺に場所を譲ったのだろう。   道場から出るでもなく、壁に背を押し付けてこちらをじっと見ている。   何やら落ち着かない。   彼女は彼女なりに出て行き辛いのかもしれない。   かと言って、こちらから進言すれば出て行けと言っている様なもんだ。   何も考えずにこの状況を作り出した自分が悪い。   じっとしていても仕方がない。   俺は真ん中まで移動すると、足を地面に這わせ、腰をゆっくりと落とし、套路を始めた。   ゆっくりとすべるように滑らかに動く。   龍の如く優雅に。流れる雲のように。    「狼牙」   魁子が突然口を開いた。 「なんだ?」   俺は套路を続けたまま、そちらを向くでもなく返答する。 「わたしもさぁ、やっていいだろうか?」 「意外だな。ジークンドー一筋だと思ってたよ」 「こういう技って秘密なんだっけ?」 「確かに、套路は師弟であっても秘密とか聞くけどな。  それは本場の話だ。別にいいぜ」   道場の床板の中心には八卦掌の根本原理を表す八卦の陣が描かれている。   俺達はそれと向かい合うように立った。 「まあ、ゆっくりやるから、それにあわせて鏡写しで動いてくれ」 「オッケー」   二人で円を描くように舞いながら時に混じり合い、時に跳ねる。   静寂に身を包まれ、この世界には俺とコイツしか存在していないかのような錯覚に襲われる。   八卦掌が初めてなはずの魁子の動きは、うちの門下生の大半より筋が良かった。   有る程度進んだ所で、俺は動きを止めた。目交いを邪魔されたかのような不快感。   当然ながら魁子は眉を顰めた。 「どったん?」 「いや…」   ここから身体を反転させて幾つか技を出すのが俺の套路のパターンだ。   しかしそれをやると当然、魁子とは背中合わせになるわけで、俺の姿は見えない。   パターン、か。 「そうか」 「何が!?」 「いや、なんでもねえよ」   俺は勝手に、納得してしまった。   そして、対面しても見える別の技に変えて動きを再開させる。   魁子も恐る恐る動きを再開させた。   俺は己の型に囚われすぎていたらしい。   自分では柔軟だと思っていた思考こそ凝固して枷になっていたのだ。   今までに足りなかったものが、八卦掌とは関わりの無いこいつから感じ取れる。   不思議なものだった。    「狼牙」   套路を一通り終えてから魁子は口を開いた。 「なんだ?」   ゆったりした動きであった筈ではあるが、互いに汗をかいていた。   魁子の肌ははまるで露に濡れたようにしっとりとしていて艶やかに見える。 「狼牙は、八卦掌の動きを使う時、練習の時も誰かと相対してる時も、何を考えてる?」 「ああ? そうだな、気が抜けてる時は晩飯の事とか宿題やってねえわ、とか考えてるな。  集中してる時は、敵の動きを思い描いてどう相手を倒すか考えてるな」 「あんまし喧嘩で負けた事ないっしょ、狼牙」 「ないな…ここんとこは負け続きだが」   俺の返答を聞くと魁子は腕を組みなおして、一つ咳払いをした。 「“――あなたは、勝つ方法ばかり知りたがって、負け方を学ぼうとはしない。  でも負け方を知り、死に方を知った時、初めて怖いものがなくなる。  だから明日になったら、あなたは勝とう等という野心を捨てて、どうして死ぬのかを考えるのです”」 「なんだ? 格言か?」 「米ドラマの台詞なんだけどね。ブルース・リーの言葉。  狼牙は勝つことが当たり前すぎて負けるのが下手なんだよ」 「言われてみるとそうかもしれないな。確かに勝つことしか頭にない」 「“心を空にし、いかなる型も形態も捨てて、水の様になりなさい。  水をコップに注げばコップになる。ボトルに注げばボトルになる。ティーポットに注げば、ティーポットになる。  水は流れる事も、砕くことも出来る。  水になれ、友よ”」 「それは流石に知ってるな」 「一番有名な言葉だからね。“勝つ”っていう型にはまっちゃうと心は囚われるんだ。  囚われちゃだめなんだ。完全に自由に、水の様に。」       そう言って魁子は指とてのひらを波の様に動かして水の流れを表現する。 「話の流れからお察しだとは思うけど、截拳道には型……その、套路ってのがないんだ。  型に囚われない戦い方。套路をやってる人が弱いなんて言うつもりはさらさらないけどね。  套路のない截拳道やってれば世界一強いってわけじゃないし。截拳道こそ世界最強の格闘技ってとこは譲らないけど。  どの格闘技だって最初から套路の練習に入らないわけで。  まぁ、その、狼牙は歴が長いし、基礎も出来てるわけだから、型にはまらない戦術で戦う事はそこまで問題じゃないと思うけど、  いかにその、超能力を使って戦いのテンポをとってしまう癖を抜くか、っていうのが問題だね」   魁子は、人差し指を顎に当ててうーん、と唸った。 「生まれた時から何をするにも使ってたからな。反射的にやっちまう。約十八年間だ。  赤ん坊の頃を抜いて少なく見積もっても十六年近く。難儀なもんだな」 「そういやあたしも怪鳥音が癖になってるや」   そう云って魁子は舌を出した。 「あれ、やんねーと戦えないのか?」 「無理ではないけど、練習の時にでもやるからね。もはや一体というか。  狐狗狸が言うように、リー先生は実践なんかでは叫んでないって事は知ってるんだけどね」 「じゃあなんでだ?」 「…それを知る前に叫びながら練習してたから…」   魁子はバツが悪そうに頭を掻く。 「で、でもさあ! こう、叫んだ方が気合入るんだよね…!」   取り繕うように手をぱたぱたと振る。   一体何に対して言い訳をしてるんだ。 「まあ、それはあながち間違っちゃいない。気合を入れる動作として掛け声を取り入れてる武術だって色々あるしな。  剣道だって無暗矢鱈に叫んでるわけじゃない」   俺が言うと魁子はぱっと顔を明るくして俺の手を握った。   魁子の手は武道家らしく硬くはあるが、やはり男とは違う柔らかさを持っていた。 「そう! そうなんだよ! わかってくれる!? 狼牙が凄くいいやつに見えてきた!」   それが要因でいいやつに認定されるのも微妙な話だ。 「じゃあ今までどう思われてたんだ、俺は」 「狼少年?」 「俺はいつから嘘つきになったよ…」 「いやあ、なんとなく…」   俺は魁子と会話しながら、この約十八年間かけて培った足かせをどうやって外すかを思案していた。   行動の全てに予知を使うというこの型はちょっとやそっとでは壊すことができない。   破壊するにはただ、余地を使わずに何度も繰り返し打たれ、打つ練習を行うしかない。     ただその癖を抜くだけならば長期間使わずにいればいいだけだ。   しかし俺には時間が無い。   誰が決めた事でもないというのに、俺は近日中にあの男と再戦すると確信していた。   次はどうやって戦うか、どうやって勝つのか…   だめだな、どうしても勝ちに拘ってしまう。負ける為にやる意味はないのだから仕方がない。   この思考自体も、十八年間かけて築き上げたモノだ。   これを崩す事がいかに大変か、考えるだけで、ため息が出る。   が、久々に、面白そうな事に直面している事に気がついた。   小さい頃、難度の高い技を必死に繰り出そうと練習した。   出来ない事への苛立ちと新鮮さへの興奮。   それを久々に思い出していた。   胸が高鳴っている。 「魁子、お前ってアホか?」   魁子は一瞬あっけに取られた顔をした後、凄い剣幕で俺の胸倉を掴んだ。 「行き成り何言い出すんだ! 前言撤回! サイテーな野郎だ!」 「悪い悪い、言い方が悪かった。でもよ、他になんて言やいいか思いつかなくてね」 「どういう事だよ!?」   俺はなんと言えば伝わるか思考した。   が、思いつかないのでそのまま伝える事にした。 「そうだな、修行とか特訓とか好きか?」 「修行? 特訓? 例えば?」 「それはやらないが、滝に打たれるとか、一日百万回、正拳突きをするとか、そういう類のだ」 「好きだよ!」   魁子は打って変わって瞳を輝かせた。 「午前中は授業だし、部活出来るのは学校閉まる八時までだし、家に帰っても一応練習はするけど、できる事が限られてるし。  休みの日するにしても、友萌…後輩の体力が持たないから、そこで中断しちゃうんだ。  一度でいいから二十四時間リー師父と截拳道の事だけ考えて生活してみたいよ」 「そりゃあ、普通はやんねーし、“普通の”女子にはきついだろうな」   普通の、を強調して言うと魁子は少しむっとした。 「アタシはふつーじゃないんかい…で、やんの?」   そう云って、期待感を募らせた悪戯な笑みを浮かべる。   予想通り、期待通りのアホだ、こいつは。   俺は口端を吊り上げた。 「ああ。付き合え」      俺が拳を向けると、魁子はウィンクを返して拳を突き返す。 「で、なにすんの?」 「お前は俺にひたすら截拳道をけしかけろ。寸止めはいらん。  が、それだと俺が根を上げる前にお前が拳なりを痛めるだろうから、  サポーターつけたり、そうだな、ヌンチャク使ってもいいぞ」 「ひゃっほう!ヌンチャク解禁!? …狼牙、死ぬ気?」   魁子は心配しているのか興奮しているのかどちらとを取れる微妙な表情を作った。 「殺す気で来い。でも金的と目潰しは勘弁してくれ。あと、ブルース・リーがよくやる倒れた所に飛び乗って黄昏る技も。  あれは本気で死ぬ」 「やだなあ、流石にそこまで…やった覚えがあるな、不良相手に…」   こいつはよく殺人罪で捕まらないもんだな。 「あと、お前も流石に女だ。フツーじゃないにしても、な。  体力が切れたら言えよ」 「馬鹿にすんな。あたしだって伊達に鍛えちゃいないんだ。狼牙がへばるまで餌食にしてやるよ」 「頼もしいな」   こうして二人の馬鹿は、夜通し殴りあった。   正確に言うと俺が殴られ続けたに近い。   相手には殺す気で来いと言ったが、俺は寸止めだ。   しかし截拳道の拳も蹴りもかなり早い。予知能力を使わなくても俺は元々動体視力がいいので動きは捉えられるものの、  やはりテンポがつかめず、回避の動作が遅れる。稀に回避できても、次の一撃を喰らう。   魁子は体力で根を上げたりはしなかったが、俺が所々血を流し、こぶを作り始めると手加減をし始め、  やめよう、と言い出した。   学校に行けばヒーリング能力者に癒してもらえるから大丈夫だと伝えて強引に進めた。   何時間が経過したかわならない、痛みと眠気、疲労で感覚が麻痺していく。   一体今何をしてるんだったか…意識が途絶え途絶えになってゆく。   魁子も相当疲れているらしく、隈のできた目をしている。   最初威勢の良かったヌンチャクも握っていられないらしくどこかに落とし、拳速も大分落ちてきた。   そこから数発拳を放った所で、魁子は拳の動きにつられるようにそのまま俺の胸に倒れこんだ。   俺は魁子の体重を支えることが出来ず、そのまま仰向けに倒れた。   全身に衝撃が走ったのは認識したが、痛みはあまりなかった。   身体を起こす事もでにずに俺はそのまま意識を失った。 九月三日 午前六時 - 神谷家道場 「狼牙おまえ何女の子に悪さしとるんじゃ!」   俺はじっちゃんの声で意識が戻った。   悪さなんてしてねえと言いたかったが疲労と寝不足による頭痛、なにより全身に走る激痛でぴくりとしか動けなかった。   魁子が俺に覆いかぶさっているのも、それに拍車をかけている。   魁子もその声で目が覚めたらしく、うすらと目を開いた。 「うきゃあ!?」   魁子は己の置かれた状況に気がつくと、飛び上がって俺と距離をとった。 「あたし、何にもしてないよ!? いや、したかな!?」   寝起きという事もあってか、魁子は錯乱している。   俺はなんとか痛みを堪えて身体を起こす。 「がっ…徹夜で悪さするアホなんているかよ…」 「若さ余って悪さしようとしたからしこたま殴られたんとちゃうんかい?」 「なわけねえ。それでもここまでやる女は相当だぞ」 「まるでアタシが暴力女みたいに言いやがって! やってくれって言うからやったんだぞ!」   魁子が抗議する。   じっちゃんはそれを聞いて額に手を当て頭痛を労わる様な仕草をした。 「かぁっ…! 情けない! 孫がまさか婦女子にド突かれて喜ぶドえむとはっ! 天国におる母親に申し訳がたたん!」 「てめえの娘を勝手に殺すな! 生きとるわ! 俺はどえむじゃねえし喜んでもいねえ!」 「ああ? そうじゃったかのう」   じじいは顎に手を当てて天井を見上げる。 「それにしても酷い面じゃのう。母親にナマ言うてお仕置きされた時以来じゃあないか?」   じじいめ、古傷をえぐりやがって。 「いらん事言うんじゃねーよ」      俺が顔を背けると、じじいはなにやら嬉しそうに、ふん、と鼻を鳴らした。 「じゃあ、ちと早いが朝飯にするか。いつもの組み手もその様じゃあ無理じゃろ。  魁子ちゃん、居間の棚の上に救急箱置いとるからのう、ちょいとその馬鹿、手当てしてやってくれんか?」 「へ? う、うん」   突然じっちゃんに言われて魁子はきょとんとした顔をして返す。 「手当てなんてしなくたって、学校に行くんだからよ」   暗にヒーリングをかけて貰うんだから必要ないという意味をこめて、   じっちゃんの背中に声をかけるが、聞かずに母屋の方へと戻ってゆく。   俺が立ち上がると魁子も後ろに続き、二人して母屋へと戻る。   俺がちゃぶ台の前にどっかりとあぐらをかいて座ると、魁子はいそいそと棚の上の救急箱に手を伸ばす。 「別にいいって。学校に行って治療してもらえばすぐに治るんだ、普通の手当てをする事にさして意味はねえよ」 「んしょ…」   魁子は聞いているのかいないのか、救急箱を取ると俺の前に正座し、救急箱の中を物色し始める。 「意味無いにしてもその面のまま表歩くつもりかー? 何事かと思われるよ、みっともない」   魁子は消毒液を綿に染み込ませると、俺の顔に手を伸ばした。   俺は顔を引いて避ける。 「…いいつってんだろ」   魁子は少しむっとした表情をした。 「子供か、あんたは。  それにねえ、頼まれたにせよ、それはあたしの作った傷なんだ。居た堪れないの。わかる?  それともなに、傷口に染みたりすんのが痛くて嫌派?」 「ぐっ…」   なんとなく心に痛い所を言われ、俺は押し黙った。   俺が観念したとわかると、魁子は俺の顔のあざや傷を消毒し始めた。   実を言うと、顔も身体も今だ動くたびに激痛が走る。顔だって喋る所か視線を動かすだけで痛む。   消毒液は沁みるが、その痛みに対して反応するともっと痛い。   動かなくても動こうとする筋肉の動きだけで痛い。   なんと哀れな、と自分でも思う。   魁子は消毒をし終えると軟膏を手にとって塗り始める。   消毒液は綿に染ませて拭くだけだったわけで接触がソフトだったが、軟膏は肌に粘着して皮膚を引っ張る。   やばい位痛かった。   俺は耐えられず、魁子が指先の軟膏を補充するために容器へと手を伸ばした上へ重ねるように手を伸ばした。 「それは本当に勘弁してくれ…痛すぎて頭痛がしてきた…」 「そ、そっか。それはごめん」   俺がゆっくり手を引こうとする、その前に硝子戸ががらがらと音を立てて開いた。   居間と台所は繋がっている。じっちゃんは朝食の用意をしてる、となれば見ずとも扉を開けた人物は一人しかいなかった。 「ほほう…仲むつまじい事だ。一夜の間に偉く親しい間柄へと進展したようだな?」   ヒヨコ頭…狐狗狸のにやつく顔がみなくてもわかる。立ち上がってぶっとばしてやりたい所だが俺は立ち上がるどころか、  顔すらまともに動かせない。   魁子は顔を真っ赤にして狐狗狸の方を向くと必死に手を振った。 「ば、ばか言うな! あたしはそんなんじゃあないってば!」 「いつまで経っても客間に戻ってこないので先に寝てしまったんだが、朝起きてもいない所か布団に入った形跡すらない。  まさかと思ったらまさかそうとはな。  いやいや言うな言うな、男と女が夜通しやる事と言ったら一つしかない。言わずとも純真無垢なオボコ娘の僕にだってわかる。  それにしても先を越されてしまったようだ。興味があるから後で話を聞かせてくれ。  やはり痛かったのか? 見たところ狼牙の方が痛そうだが。偉く激しくやらかしたものだ。  狼牙、君のほうからも感想を聞かせてくれ。土産話にするから。  麻衣や零に話したら悔しがるかな? それとも赤飯でも炊いてくれるだろうか?」 「なっ、なっななななあああーっ!」      魁子はさらに顔を真っ赤に染めて言葉すら失っている。   俺は俺で怒りを通して呆れ果てて言葉を発する気力も無い。 「狐狗狸、は、話したりしたら絶対殺すからな!! 絶対何も言うな!! 大体何にもしてないんだからな!?  ちょっと狼牙が相手してほしいっていうから組み手しあってただけだ!」 「何々、オトコにせがまれて、表四十八裏四十八、合計九十六手の組み手を組んず解れず夜通しやっていたのか?  狼牙、お前は見た目にそぐわずというか見た目通りと言うか、呆れたタフガイだな。  魁子はこう見えて恋愛ごとには奥手な乙女なんだぞ。少しは配慮してやるのがオトコってもんなんじゃあないのかな?」   絶望的なほどのウザさに疲労を通り越して俺は意識を失いそうだった。 「ぎっ!! おま、おま、狐狗狸ぃぃぃっ!!」 「おっと、立たんでいい、そのまま続けたまえよ。その居た堪れない傷跡に包帯でも巻いてやれ」 「くっ…うっ…」   怒りと恥辱の頂点を高速で行き来させるという珍妙な顔技を見せながら魁子は俺の顔にガーゼを当てて包帯を巻き始めた。   器用なやつだ。 「だが、真面目な話、流元師父は二人がいい仲になって道場を継いでくれたらば、と思ってはいらっしゃると思うぞ。  狼牙、君のご両親はこの道場について、むしろ格闘技に興味が無いと見える。実際この道場を継いでいないわけだからな。  それに反し幼少期から格闘技を学ぶ孫に、格闘技好きの――種目は違うが――そんな義孫娘ができたならばな、  と思っていらっしゃるだろう。嫁の目処にしていた幼馴染二人も最近素っ気無いというのか、  理由はともあれ道場にはあまり顔を出してくれぬようになってしまって少なからず消沈していらっしゃっただろうからな。  どうだ、お付き合いを考えてみては?」   魁子も、怒りを通り越して疲れたらしい。瞼を閉じて口元を引きつらせている。   ちなみに包帯は既に巻き終えてただ座っている。 「もう、頼むからさあ…やめろよ狐狗狸…だいたい、あたしらの住んでるとことここ遠いし…」 「愛情に距離なんて関係あるものか。文通したまえよ」   何時まで続くんだこれ。そろそろ止めないと魁子が可哀想なので、痛みを堪えて口を動かした。 「…おい、一宿一飯の礼がこれか? 少しでも恩義を感じてるなら口を噤んでろヒヨコ頭」 「一宿一飯の礼を返しているんじゃないか、流元師父に対して」   こいつに口で勝とうと言うのが間違いだったと痛感させられた。   俺が明日首吊ったりしたら間違いなくコイツの所為だ。少なくとも遺書にはそう書いてやる。 「心配するな魁子。これは僕たちの間だけの秘密にする。さっきのはちょっとした冗談だ」 「お前が言うと冗談にならないんだよ…」 「なんじゃ、大丈夫か二人とも。疲れとるんなら気にせんと横になっとったらええぞ。  狼牙、お前も考えて練習に付き合って貰えやい。相手は女の子やぞ、もしなんかあったら…」   お盆に味噌汁と漬物、ご飯を人数分乗せて現れたじっちゃんは死にかけている俺たちを見て云った。 「頼むから、今だけは俺をそっとしといてくれじっちゃん…」   俺はじっちゃんの小言に耐え切れそうに無く、声を絞り出すように言った。 「そ、そうか…」   じっちゃんがちゃぶ台にそれぞれを並べてゆく。狐狗狸もそれを手伝う。   俺たち二人はただ消沈していた。   朝食を終えて、俺は学校へ、狐狗狸たちは探索へと出かける為に家を出た。   が、またコイツである。 「魁子、今日からは別行動だ。帰る日には連絡を入れよう。ではな」   人差し指と中指をそろえて手首を傾け、立ち去ろうとする狐狗狸の肩を、魁子はがっちり捕まえた。    「マテや。どうしてそうなるんだ? あたしは狐狗狸の護衛に来たはずじゃないか。別行動取るって、あたしは何もする事がないぞ」   当然の主張だ。 「あるだろう。魁子にしか出来ないことが。例えば『夜通し組み手の相手をする』といった類の事だ。  おっと先程のように烈火するのはよせ。真面目に言っているんだ。そんなバカな真似、誰に出来る?  それに今日からする予定の事は本当に面白みの無い事だぞ。昨日までの半ば観光とは違って。  ダウンジングしてみたり、機械を使って延々と数値を計測って記録したり。ちなみに後者が主だ」 「でも今から狼牙は学校に行くんだぞ? あたしなんか入れないように出来てるんじゃないのか?」 「狼牙は怪我の治療をしに学校に行くだけなんだろう? 終わってから合流すれば良いだけの話じゃないか」   俺は切羽詰っているのか、狐狗狸の云う事に一理ある気がしてきた。   確かに手伝って貰った方が助かるのだ。   他のやつに手伝わせるとなると一々事情を説明しなくてはならない。それは億劫で面倒だ。   そこまで考えた後、じっちゃんの「女の子に無理をさせるな」という言葉が脳裏を過ぎる。   それに女に頼らなければならないというのも、情けなさ極まる。   今更かもしれないが。 「ま、そこまでしてもらう義理もねえさ。昨日ので十分助かった。」 「う、うん」   俺が言うと、魁子は頷く。 「そうか、私的には残念だが仕方ない」 「やっぱりお前の私的な感情かよ…」   俺が軽く睨むと、狐狗狸はまっすぐ俺を見返した。   目交せて気がつく。こいつの瞳には異様な眼力があり、俺はそれに射抜かれて視線を外せなくなった。    「いいや、僕は僕なりに、君に対して友情を抱いている。  だから非常に大きな、君にとっては大きな、君の抱えるその問題を、解決に導いてやりたいと思っている。  僕が考えうるに、その一番の近道と言うのがこの魁子と共に特訓する事だと私は考える。  君の知り合いに、彼女に代わる、格闘センスと愛すべき一種の馬鹿さを持つ人物がいるならば話は別だ」   学園も変人が多い。いるような気がしなくもないが、手伝ってくれて頼むのが億劫だ。   だからこっから先は一人でいいと俺は思った。 「お気遣いありがとよ。俺もそう思わなくは無いが、じっちゃんに女の扱いについてもっと考えろと云われたばかりだ。  これ以上、馬鹿に付き合わせるのもな。すったら俺は学校へ行く。じゃあな」   俺は二人に背を向けて学校の方角へ歩き始める。 「あっ…」   魁子が、戸惑った声を出す。   こちらに来るか、狐狗狸といくのか迷っているのだろう。   俺はお構いナシに、手をひらひらと振って歩き続ける。 「そうか、残念だ。また機会があれば会おう」 「んがーっ!! 待てよ狼牙っ!」   魁子は叫ぶと俺を追ってきた。俺は振り返る。 「んだよ?」   魁子は俺をしっかりと見ると、拳を俺に突き出した。 「男だとか女だとか、くだんない事を理由にして、あたしに遠慮なんかすんな。  狐狗狸の所為で変に意識しちゃうけど、あたしらは拳を交えた宿敵“とも”同士だろ?  どうがんばってもあと二日で帰る事になるんだ、最後まで付き合ってやる」   俺は思わず笑った。 「お前も相当なアホだな」   突き出された拳に拳で返す。 「狼牙には負けるよ。  というわけだから狐狗狸――あれ?」   狐狗狸はと云うと、既に姿を消していた。   俺たちに気を使ったのか、調査欲求に耐え切れなくなったのか。   どのみち用事があれば魁子は携帯電話で呼び出せる。ほうっておく事にした。   そのまま俺たちは学校に向かう。   俺は効果的な修練を如何にして行うか思慮を巡らせ続けていた。   気がつくともうすぐ校門が見える所まで来ていた。   隣を歩いている魁子が突然踵を返し、元来た道を戻り始めた。 「おい、魁子、どこへ行くんだ」   俺が言うのも何処吹く風で、魁子は足をとどめる事無く学園とは正反対の方向へと歩いてゆく。   肩を掴んで揺すってもそれをするりと抜けてそのまま歩き続ける。   校門から遠ざかって学園が見えなくなったところで、ようやく魁子は俺に反応した。 「あれ? どうしたの?」 「どうしたもなにも…」   これが学園から関係者以外を遠ざける業か。   実際目の当たりにしたのは初めてだが、これなら確かに他人は入れないだろう。   が、こういうものには無意味に反発したくなる。   俺は、魁子の手を握った。魁子は驚いて手を引く。 「な、何するんだ!?」 「お前を学園内に入れる」 「はあ!? そんなの無理に…ってあれ、あたしら、学園に向かってるんじゃなかったっけ?」   魁子は首を傾げる。   俺は頷く。 「ああ。向かっていた。が、お前が元来た道を戻り始めて、幾ら呼び止めても反応が無い。  で、今ここに至る」    [本当か…? そういえば狐狗狸と一緒に、学園の制服を着てる生徒の来る道を辿ってた時もこんなだった気がする。  いつのまにか別のことを考えてて、気がついたら来た道を戻ってたり関係ない場所を歩いてる」 「おいそれと一般人、敵組織に侵入されても困るしな。流石学園長か。  それは置いておいて、学園にお前を入れるぞ、なんとしても」 「えぇ!? 無理だろ!! 今、自分で見たとおりじゃないか」 「手を繋いで歩いたらいけるかもしらん」   魁子が訝しげにする。 「えぇ、本当か…? 別にあたしは学園に入る必要ないんだからさ、別にそんな事をする必要ないだろ?」 「ないな。ただなんとなく反抗したくなっただけだ。よし、善は急げだ」   俺はこういう事が一度気になるととことんやらないと気がすまない性格だ。   魁子の手をとって再び歩き始める。 「なんでそうなるんだよ…」   魁子はそう言いながらも諦めがついたのか、俺に手を引かれて歩き出す。   ちなみに今日は日曜日だ。元々寮生が多いという事もあって、この早朝から登校している生徒は殆どいない。   流石に平日だと誤解を生むのでやれないが。学園関係者でなければ、精々「おアツいねえ」と思われるだけですむ。   手を繋いだまま歩き、学園が近づいてゆく。   有る程度歩いた所で、魁子はやはり踵を返して歩き始めた。   それも、手を掴んでいる俺ごと、物凄い力でそちらへと引っ張ってゆく。   声をかけても引っ張り返しても動じず、そのまま来た道を戻ってきてしまった。   しばらく歩いた所で、魁子は正気に戻ってきょとんとした顔で俺を見返した。 「…あ。どうだった? ここにいいるって事はだめだったみたいだけど」 「まあ、当然か。それくらいでつれて入れたら簡単すぎる。次はお前を抱えて入る」   俺は魁子を抱えあげた。魁子は手足をばたばたと動かして抵抗する。 「も、もういいだろ! こんな恥ずかしい真似できるか! はーなーせー!」 「暴れんな! あとそうだな、あと二回挑戦して駄目だったら諦める。それまで付き合ってくれ」   魁子は暴れるのを止めてため息をついた。 「なんで狼牙にお姫様抱っこなんかされなきゃならんのだろう…」 「なら背負う方がいいか? それとも肩車か?」 「このままでいいです…」   こうして二度目の挑戦が始まった。   とりあえず結果を先に言うと、駄目だった。   校門には有る程度近づけたものの、魁子は俺から飛び降りて結局元来た道を戻ってしまった。 「ほら、無理だって」 「らしいな。でもあと一回ある」 「往生際の悪い…」   魁子は呆れて言った。   どうやら、学園関係者以外があそこに近づくと、脳は幻覚を見て、肉体は可能な限りその場から立ち去ろうとするらしい。   となると、恐らく、意識を失わせれば連れてはいることも可能だろう。   が、流石にそれをやったら誘拐犯だ。それ以前に人としてどうか。   ここは一つ、知恵で学園長を出し抜きたい。   しかし、超能力に抗う事なんて可能なのか?   と、そこまで考えて、例外について思い出す。   猫神狐狗狸。   やつは岸峰の超能力に抗い、記憶を消されなかった。   精神的に相手を上回っていればもしや、超能力に抗うことも可能ではあるのかもしれない、が。   魁子が学園長の精神力を上回っていないのは、二度の挑戦の結果をみれば明らかである。   だが、そこにしか付入る隙はない。   そこでひらめく。   他者からかけられる幻覚より強い自己暗示をかける事が出来たなら、それに抗うことも可能かもしれない。   無我夢中になって何かに集中していると、他人から声をかけられても気がつかない。それと同じように。   最後に試してみるとするか。 「魁子、俺が手を握って歩くから、目を瞑って、そうだなブルース・リーを相手に組み手のイメージトレーニングでもしててくれ」 「…わかった。これで本当に最後だぞ?」 「ああ、三度目の正直だ」   俺は魁子の手を握り、彼女が瞼をしっかりと閉じたこと確認すると歩き始めた。   最初は、歩き歩き辛そうにしていたが、一度集中し始めると、ちゃんと前を見ているかのようにしっかり歩き始めた。   校門が見える。そのまま歩き続ける。魁子もそのまま前に進み続けた。 「おい、魁子」 「………」 「魁子! もういいぞ!」 「っは!? あれ? 今まであたし、リー師父と…」   魁子はそこまで言って周囲を見渡して、瞳を丸くした。 「おおっ、成功!?」 「ああ」   俺は見事、学園長を出し抜き魁子を学園に連れ込んだ。   実は大変なことをしでかしてしまったのではないかと思ったが、やっちまった後なので遅い。 「あのさあ、素朴な疑問なんだけど、なんであたしは入ってこれたんだ? 目を瞑ってたから?」 「学園長の精神攻撃よりお前のブルース・リーへの想いが勝ったって事だ。  誰でもできる事じゃない。  ただ目を瞑っていても、学園長の力が及んだ時点で目を開いて学校から離れていくだろうな」 「じゃあなんで目を瞑る必要が?」 「単純に言うとその方が集中しやすいって事だな。視覚イメージに惑わされずらくなる。  幻覚ってのは目でなく脳に直接働きかけるから関係ないような気もするが、  目を開いてると、視界に入る景色の所為でああ、これだけ歩いた、もうすぐ学園か、って嫌でも考えてしまう。  その時点で幻覚に付入られる隙が出来るわけだ。  まあ、目を瞑ってもそれは考えちまうもんだが、そこはお前のブルース・リーへの想いと集中力の賜物だ。  さて、ヒーリングの使えるやつは、と…」   俺はやる事をやって満足すると、寮に向かう。 「あ、あ、ちょっと待てよ狼牙。あたしがここに入るのって実は凄いやばいんじゃない?  こう、命を狙われたりとか…」   魁子は不安げにあたりを見回す。 「一応、俺らはどちらかと言うなら“正義の味方”に属する組織だ。記憶を消されたりはするかもしれないが、  命をどうこうとかって事は在りえないな」   魁子はそれを聞くと、虚空を見つめて唇を撫ぜた。 「…忘れちゃうのか…それはそれでやだな」 「じゃあ、ヒーリングしてくれる後輩に会いに寮に向かうぞ」 「え? あたし、もう外に出たほうが良いんじゃない?」 「が、中へ入れたのにはもう一つ訳がある。学内にある施設を使って特訓する」 「その前につまみだされると思うんだけど」 「考えてある」   俺たちは寮に向かうと、魁子を脇の茂みに隠れさせて俺は中に入った。   そしてロビーで適当に見覚えの有る女子を捕まえると、ある女子に言伝を頼んだ。   俺の顔は相当に酷いミイラ状態なので、女子生徒は物凄く怯えていたが、気にしている余裕は無い。   言伝を頼んだ女子が女子寮の方へと消えてから少し経つと、どたばたと騒がしく音を立てて一人の女子が駆け出してきた。 「チッス、神谷先輩!」 「おう、誘木」   呼び出したのは紺色のひっつめ長髪に明るく暖かい光を湛えた瞳に犬歯の如き八重歯を覗かせる少女、  中等部二年、誘木華竜、治癒能力者。   話したことはないが、以前に騒ぎを起こしていたので名前を知っていた。   正直、呼んでくるかは不明だったが、やってきた。手には紙袋を持っている。   中々話のわかるやつの様だ。   それにしてもまるで知り合いの様に一直線で俺の元に来るとは。感のイイやつだ。 「悪いな、誘木。他に頼めるヤツがいなかった」   治癒能力者は他にもいるが、変態教師・西東には頼めないし、他にも能力の制約やら、性格の問題で頼みづらいのが多い。    「お任せ下さいよ! 怪我くらいちゃっちゃのぱっぱっと」   誘木が俺の胸に触れると、心臓がぼんやりと熱を持ち、ゆっくりと強く脈を打ち始めた。   脈を打ち、体中を駆け巡る血流を感じる。血になったようなその疑似体験を終えて体内一週旅行を終えると、  誘木は手を離した。   気がつくと痛みがひいていた。   俺は顔の包帯を取ると、丸めてゴミ箱に放り投げる。   包帯はゴミ箱のふちに命中し、床を転がった。    「先輩、不調みたいですね」 「ちょっとギヤが噛み合わなくてね。油でも注すかな」 「油を差した後のならし運転が大切ですよ。大丈夫、先輩が注してるのは良い潤滑油です。  すぐに馴染んで、以前より増した力を引き出せるようになります。  何故なら、先輩は答え“Answer”を既に出しているからです。  ギヤの選択は間違っていません。少し歪なでっぱりがあるだけです。  普通は物凄く研磨に時を要しますが、先輩は他の誰もが思いつかない方法ですぐに削り取ってしまうでしょう」   誘木はまるで呪い師のような事を言う。 「予知か? お前は治癒能力者だと聞いていたが」 「広義では予知と呼べるのかもしれません。ですが、多分違います。ただ、そんな気がしただけですよ。  はい、頼まれた制服です」   俺は誘木から差し出された紙袋を受け取る。   それにしても初めて話す相手、しかも男によくもまあ制服を軽々と差し出すもんだ。 「用途は聞かないのか?」   誘木は八重歯を見せてにやりと笑う。 「先輩は変な人だけど、変態じゃないって事くらいはわかりますよ」 「俺たちは初めて言葉を交す気がしたんだが。俺は言伝を頼んだだけなのにどうして変態じゃないとわかるんだ?」 「今日は素敵な人と出会う、そんな気がしてたんです。素敵な人が変態なわけないでしょ」   まるでそれが当たり前と言わんばかりだ。   しかし、妙に納得してしまう。   それにしても、真っ向から素敵な人と言われると、流石の俺でも恥ずい。 「そうだな。とにかく恩に着る」 「一つ貸しですね」   そう言って誘木はウインクしてみせた。 「ちゃっかりしてんな。まあ、そういう事だ。何かあったら高三A組に来い。  制服はまた返す。それじゃあな、慣らし運転してくる」 「それじゃあ」   俺は誘木に別れを告げ、魁子の元へと向かった。   魁子は俺をみつけるなり、駆け寄ってきた。 「ちょっと、遅いよ! 誰かに見つかりやしないかとひやひやしたんだぞ!」 「悪い悪い。ほら、これに着替えてくれ。他校の制服だとすぐにばれるだろうが、うちの制服ならごまかしもきく…  かもな」   俺は紙袋を差し出す。   効果があるのかはあまり自信はないが、やらんよりましだ。 「どっちだよ! てかどこで着替えろって…まさかここでか!?」 「おい、あんまり騒ぐなよ。みつかっちまう。そこらに隠れて着替えてくれ。」 「はぁ…最後まで付き合うって言っちゃった時点であたしの負けか…覗いたら殺すぞ!」   魁子は俺を指差すと茂みに入っていった。   俺は周囲に気配を配りながら着替え終わるのを待っていた。    「はぁ…なんかコスプレしてるみたいでハズイ。あと全体的に小さくて、  中がすぐに見えるんだけど…」   魁子は恥じらいながら、スカートを抑えて出てきた。   確かに、ピッチピチだ。 「まあ、中二の子に借りたからな。――誰だ」   気配を感じて振り返ると、そこに居たのは―― 「オー! これはこれは眩しい小麦肌のマドモアゼル!  健康的でしなやかなボディ…制服の上からでもその引き締まる美しい筋肉が用意に想像できる。  私のサイオニクスガーデン・全女子生徒録に記録がないようだが、転入生かな?  ならばまさに運命的な出会いをした訳だ私たちは!  私がこの校内を隅から隅まで、ついでに恋の伊呂波を教えて差し上げ」   そこまで言って薔薇院十王輝は崩れ落ちた。   俺が手刀を首筋に叩き込んだからだ。 「な、なんだこの人…」 「同じクラスのヤツだ。あまり気にするな。とりあえず縛って猿轡でもかませて裏に捨てよう」 「そこまでしなくても…」 「そこまでしても何事も無かったかのように出てくるやつなんだよ。  本当なら焼却炉に突っ込んでやりたい所だ。しかし、何もないな」   猿轡と縄をどこから調達するか考えていると、魁子が丁度良い麻縄と猿轡を差し出した。 「何でこんなもん持ってんだ?」 「この紙袋に入ってたよ。狼牙がいれたんじゃないの?」   誘木の仕業に違いない。なんともよく出来た後輩だ。 「違うが、まああるのだからよしとして…」   俺は薔薇院をしばると寮の裏に捨てた。 「じゃあ、ようやく、だな」 「うん。早く始めよう」   俺は頷いて校舎内に入ると、ある部屋を目指した。   到着して俺が扉に手をかけると、魁子はその部屋にかかったプレートをみて、眉をひそめた。 「懲罰…室?」 「とりあえず中に入ってから説明する」   俺は中に入ると、電気をつけた。   懲罰室の中は夏だと言うのに、ひんやりとしている。   コンクリの壁にパイプベッド、僅かに光のこぼれる小さな窓。そのまま設置されたトイレ。 「…なんか、牢屋みたいなんだけど」   魁子は中を見回して率直な感想を述べる。 「あながち間違っていない。超能力を使って問題を起こした生徒のぶちこまれる部屋だ。  この部屋には超能力の発動そのものを制限する特殊な力場が働いていて、当然ながら力が使えない。  それだけじゃない、沈静効果が働きかけるようにもなってる。  違反者は俺が昨日からつけてるこの超能力の行使を抑制する首輪をつけられた後、さらにここへぶちこまれる」 「なんだかおっそろしいね。うちでもそりゃあ自宅謹慎とかはあるけど、牢屋にはぶちこまれないな…」 「そりゃあな。普通はそうだ。  だが、こうしておかないとどうしようもない。  荒れてるガキ程もってるポテンシャル以上に力を引き出して乱用したりもするからな。  表に出せば、死人が出る。誰かがやらにゃならん事だ」 「ずっと入れられてる子とかかわいそうじゃない?」 「そりゃあな。だが仕方ない。  とは言っても、ここの先生方だって無能じゃない、そういう子供のケアに長けてる」 「そっか」 「ここなら音は漏れないし、人も滅多に寄り付かない。正直盲点だったが、鍛錬にはもっとも向いている場所だ」   魁子はそれを聴くと、少し身を引いて身構えた。 「…変な事すんなよ?」   そんなとこに連れ込まれたらそう思われても仕方ないか…。 「するわけがねえ。万が一そん時ぁ俺に目潰し決めて金的かまして倒してから飛び乗って踏みしめろよ。  あと、ここは外からしか鍵をかけられん。つまり外側から鍵をかけない限りいつでも出れる。  それにさっきも言った通り沈静効果もある部屋だ」   魁子ははにかんで頭に手をあてた。 「そうだよね、ごめんごめん」 「じゃあ始めるぞ。やる事は朝と同じだ」   俺が身構えると、魁子は不安げな表情を作る。 「やるとは言ったものの、またこう、ぼっこぼこにしちゃうのはなんか気が引けるんだけど…」 「安心しろ、お陰さまで有る程度は対応出来るようになった。  まあ、元々動体視力も反射神経もいい方だ。とりあえず無理矢理に動きを合わせれる」 「おっけー、それを聴いて安心したよ。手加減なしだ!」   魁子はにやりと笑うと、ヌンチャクを背中から取り出して両端を握った。 「ホォォォォーーーーッ!! ぅアッチャウッチャウッ!! アタタッチャーーッ!!」   振り回されるヌンチャクがびゅうびゅう風を斬り、舞う。   昨晩より格段にヌンチャク捌きが良い。   やはり、怪鳥音がある所為だろうか。    「…無意味に体痛めるのもなんだしな、俺も何か使うかな」   俺が言うと魁子はヌンチャクをくるくると回してから綺麗に昆の部分を握って俺のほうに投げてよこした。   それを俺は右手でキャッチする。 「お前はいいのか?」   俺が尋ねると、魁子は当然の様に二本目のヌンチャクを背中側から抜いた。 「何本あるんだ…?」 「やだなあ、二本だけだよ。秘儀・ダブルヌンチャクをやる機会があるかもしれないしね」   ねえよ。   俺は心の中で突っ込んだ。 「それにしてもこれを渡されて俺には動かせるのか疑問だぞ」   そういって俺は映画で見た記憶を頼りに、昆の片方を手に持ち、もう片方を脇に挟んだ。 「アチャッ!」   怪鳥音と友に魁子が動く。俺は咄嗟にヌンチャクを振るが上手く翻らず、昆は俺の額を打つ。   しかし、怪鳥音はフェイントで、魁子はヌンチャクは動かしてはおらず、上半身だけをタイミング良く動かしただけだった。   次の瞬間魁子のヌンチャクが動き、隙だらけの俺の頭を思い切り打った。 「ぐがっ!?」      瞬間的に割れたんじゃないかというような衝撃が頭蓋骨に響いた。 「ってぇなおおい! 何しやがる!」   俺が即座に抗議すると、魁子は申し訳なさそうにあたまを掻いた。 「ごめん、つい…一度やってみたかったんだ…」   何故やってみたかったのかはわからないが、やられたほうはたまったもんじゃない。 「こんなもんすぐに使いこなせるわけねーだろ。そういう所は手加減しろよ…」 「そうだよね、初心者には難しいよね。悪かったよ…ヌンチャクなしでやろう」 「いや」   魁子がヌンチャクを仕舞おうとするのを静止する。   初心者には難しい、という響きが俺の中の何かをくすぐった。 「やってやる。手加減もいらん」 「狼牙って、すぐアツくなっちゃうタイプだろ?」 「アツくなんてなってねえよ」 「よーし、後悔するなよ。先生がみっちりしごいてやる」   魁子が不敵な笑みをうかべてヌンチャクを構える。   俺も見よう見真似で構えた。 「いいぜ。来いよ」 「ッチャ―――!」 九月三日 午後四時十二分 - 懲罰室 「はぁ…っは……」   二人は互いに疲労が限界に達し、魁子は既にパイプベッドに倒れこんでいる。   俺は壁にもたれかかって座っていた。   最初は面白がって振り回していたヌンチャクも、床に転がっている。   それにしても魁子のヌンチャク捌きはブルース・リーの映画で見るそれに近く、高速で左へ右へと移り俺に襲い掛かった。   俺はヌンチャクを手にしている事も忘れてただ回避し続けていた。   体が動き始め、少し余裕が出てきてからヌンチャクを使い始めた。   最初は受けるだけで精一杯だったが徐々に振り回す余裕が出てくる。   使っていて気がついたのは、ヌンチャクをただの色物武器としか見ていなかったが、攻守両方に使え、  ただ振り回しているだけでも牽制になる、万能武器だという事だ。   さらには思ったより射程も長い。鎖につながれていて曲がる、という特性から相手の防御を通り越して打撃を与える事も可能。   それでいて小型で携帯可能という優れものである。   使いこなせなければ色物だが使いこなせば大いに役立つ。   流石に携帯するかどうかは迷うが。   懲罰室に入ったのが八時前で、今はさて何時か、この部屋には時計がないのでわからない。   僅かに差し込む光が赤くなってきた事から夕方前だろう。   昼飯を食べていないので腹も減った。   喉が渇く。軽く脱水症状を起こしているかもしれない。   この部屋で倒れてしまっても、次に助けがくるのは次に違反者が出た時である。   飯を食って水分を取らねばならん、が、今すぐには動けそうに無かった。 「…落ち着いたら、食堂に行くか」   スパッツも丸見え、ヘソも脇も見えているが疲れすぎて気にしていない魁子に声をかける。 「…うん…ちょと寝ていい?」   疲労と睡眠不足で相当眠いはずだ。俺も眠かったが、眠らないようになんとか意識を保っている。 「いいぞ」   荒い呼吸で答える。   昨晩から少しの休憩を除き、動きっぱなしである。   こいつはよく倒れないもんだ。相当鍛えてるらしい。   呼吸が静かになっていき、荒い呼吸が寝息に変わってゆく。   が、五分経つかどうかというところで魁子は飛び起きた。 「なんだ? もういいのか」 「お腹減って寝れない…」   「じゃあ、食堂行くか…」 「いく…けど、肩貸して…」 「いいぜ」   魁子の傍によって肩を回して引き上げる。   汗でぐっしょりしている制服が俺の腕に密着する。   魁子はそれに合わせて何とかふんばり、立ち上がった。      「う〜、あんま打たれてないはずなのに、全身ピリピリするぞ」 「悪いな、つき合わせて」 「いいって、あたし自身の特訓にもなってるからね」   そう言い親指を立てているが、手がプルプル震えていて力無い。   俺は魁子を引きずる様にして懲罰室を後にした。 「あーっ! いやがったな、狼牙!」   そう言って廊下の向こうから駆けて来たのは軸…クラスメイトの井伏軸。   魁子はただ何も言わず、心配気に俺を見る。   俺は安心させる為にうなずいた。   軸にはばれても問題はない。   俺の前で停止した軸は、思ったより魁子の存在について驚きを見せなかった。 「その子が噂の…誘拐した小麦肌の美少女か?」 「ブッ」   魁子は自分の呼ばれ方にだろう、噴出した。   そんな伝わり方をしてるとは………犯人は一人しかいない。   間違いなく薔薇院だ。 「俺、お前のこと見損なったよ…まさか女の子に酷い事をするなんてよ!」   既視感。   つい最近そんな事を言われた気がする。   んなわけねえ!と叫び返したいが気力が無い。 「で、どう聞いたんだ? 薔薇院から」 「俺は絶対嘘だと思ってたのによ…! こんなふらふらになるまで――!  って、どうして薔薇院なんだ? 飛島から聞いたぞ」   軸がきょとんとした顔で尋ね返す。   飛島とは、同学年の飛島練也の事だ。   今はクラスが違うが、高二までは同じクラスで、俺と軸は特に一緒に絡んでいた。   クラスがかわり、少し絡みは減ったがつるむ事は良くある。 「こいつをつれてる所を見られたのが、アイツだけだからだ。  クソ、まさかあいつ、言いふらして廻ってんのか? まずったな…が、腹が減ってる。今はそっちが先だ」     俺は軸を手で押しのけて食堂へと向かう。   軸は俺の隣、魁子の反対側を歩きながら魁子を興味津々にちらちらと見る。 「な、なんだ、どういう事か教えろよ」   「あとで話す。飯を食わないと俺とこいつ…魁子が死ぬ」 「そ、そっか。わかったよ」   軸は渋々と黙る。   俺たち三人は食堂に辿りつくと、魁子は少し元気が出たのか自立して俺に回した腕を外した。 「もうなんとか大丈夫そうだよ、あんがと」   そしてそのままよろよろと食券販売機の前に立つ。   学園の食堂は、日曜日でも開いている。料理のできない(しない)寮生の為だ。   この時間帯は流石に殆ど生徒はおらず、がらんとしている。 「なんかヘンだなあ。お腹は減ってるのに、食欲がないっていうか…」 「無理に食う必要も無いけどな」   魁子は指先を顎にあてて悩む。 「うーん、素うどんでも食べておこうかな。二百円か」   魁子は財布をポケットから取り出して、中を物色する。   俺は先に小銭入れから百円玉を二枚取り出して販売機につっこんだ。 「あれ? 狼牙先に買うの?」 「いや、付き合ってもらってるからな、ささやかなお礼だ」 「いいのに、でもごっそさん」   魁子が素うどんのボタンを押すと、食券がひらりと出てきた。 「狼牙、お前、付き合ってって…!」   軸が予想通りの反応をする。 「違うっつーの。つかそこだけに反応するなよ…大体二百円で付き合ってやる女なんていんのか?」 「なんだ、違うのかよ。仲良さ気にしてるくせに。意味わかんねえ、さっきから」   軸が不満そうに膨れる。 「飯でも食いながら説明するわ…色々あってよ」 「おっけーわかった」   食券を手に取った魁子は販売機の脇に移動し、俺に前を譲る。   俺はポケットから千円札をつっこむと、カレー、ラーメン、餃子、炒飯のボタンを押した。   自販機からそれぞれの食券が飛び出す。最後にちゃりんと音を立てて落ちてきたつり銭をつり銭受けから取り出す。 「相変わらず食うなぁ」 「欠食児童なんだよ」   軸の突っ込みに返す。   俺たちは食事を受け取って長机の端の席に座る。俺は魁子の対面に座り、俺の隣に軸が座る。    「いただきま――」 「いたいた、この誘拐犯! 薔薇院が『マイハニーを奪われた』って騒いでた………」   箸を持ち、食おうとした瞬間、背後から現れた飛島は軸のとなりに座り、ラーメンをだん、と置いてこちらを見るなり、  固まった。   正確には魁子を見ている。   軸はそんな飛島に食って掛かる。 「お前な、薔薇院が言ってた事なんか真に受けて俺に連絡寄越したのかよ。  わざわざバイク飛ばして学校に来た俺が馬鹿みたいじゃねーか」 「………」 「おい、飛島?」   軸が呼びかけても飛島は魁子をじっと見たまま動かない。   魁子はどうして良いのかわからずに、苦笑いを浮かべる。 「……か、かわいい…」 『はぁ?』   飛島の唐突な発言に三人の声が揃う。   魁子は顔を真っ赤にしている。 「お、おまえこの子に何をした! 返答次第では――ぐぇ」   軸を越えて身を乗り出し、俺の制服の襟首に掴みかかった飛島の頭に肘を落とす。 「落ち着け馬鹿とび。今から説明するところだ。とりあえず黙ってろ」 「きゅう…」   俺はラーメンをすすりながら、説明を始めた。 「まずだ」 「ほう」「うんうん」 「昨日商店街の辺りを歩いてたらだ」 「ほうほう」「うんうん」 「地元の高校のヤツだろうな」 「ほほお」「うんうん」 「女に絡んでるアホがいたから、軽く注意してやろうと思ったんだが」 「ほーう」「うんうん」 「コイツがそのアホを完膚なきまでに叩きのめした」 「おい! あたしだってちゃんと手加減したぞ! 大体、狼牙だって叩きのめす気満々だったじゃん!」   今まで黙っていた魁子が、急に口を開いた。ちなみに「ほう」は軸、「うんうん」は飛島だる。   魁子は手がしびれるのか、おぼつかない手で箸を握り、俺を睨みながらうどんを啜っている。   すかさずそこで飛島が軸を越えて身を乗り出し、机をバン、と叩いた。 「そうだぞ! お前と一緒にすんなワン公!! で、君、なんて言うの?」   飛島は態度を急変させて魁子の顔を見る。 「え、えっと一本槍魁子だよ。いっぽん、にほん、の一本に、突く槍、さきがけって字で、かい、子はまんま子」   こいつの勢いに若干引き気味で魁子は答える。 「俺は飛島練也! よろしくね、一本槍かい子ちゃん! いい名前だね! こう、い、一本槍…な感じがっ!!」   ※飛島脳では魁が漢字変換できない。   馬鹿だ…と口にはせずとも馬鹿本人を除いて満場一致の意見だったに違いない。 「は、はは、ありがとう、えーっと…」 「練也! レンレンって呼んでもいいよ、かい子ちゃんだけ特別に!  それにしても、かい子ちゃんはめちゃ優しいね、女の子なのに不良に立ち向かうなんて…。  かわいいだけでなく、かっこよくて、優しいなんて!!  あれ? 手ぇどうしたの?」   魁子のおぼつかない手の箸捌きについていっているのだろう。   あまり可愛い可愛いと連呼されるのに慣れて居ないのか、視線をそらして赤面している。 「え、えっと、狼牙との特訓でさ」 「ナニーッ!? この犬畜生! かい子ちゃんに何しやがった!! 逝け、いっぺん死んでじごくいけ!  あっ、かい子ちゃん、食べ辛いなら俺、食べさせてあげよっギャッ」 「うるせえ馬鹿とびがっ!! 狼牙、続きを話してくれ…」   目の前で暴れる飛島にヘッドロックをかまして強引に黙らせる。   よくやった、軸。 「で、こいつの連れに激しく絡まれて、結果的にこいつとその連れをうちに泊める事になったんだ」 「一つ屋根のし――グェ」   反応した飛島を即座に軸が絞めて黙らせる。 「で、丁度いい手合わせ相手でな、魁子が。截拳道使いなんだよ」 「じーくんどうって、ブルースリーの!? かい子ちゃんやっぱすゲェッ…」   軸がすかさず飛島を黙らせる。 「で、なんで懲罰室から出てきたんだ?」 「俺は今、能力を使わずに戦えるように特訓してる。それだけの話だ」 「ああ、だから首輪に懲罰室か。それにしても、そこまでする必要あんの?  お前は小さい頃から八卦掌を習ってきて、あんだけ強いんだし。能力使わなくても強いんじゃねーの?」 「そりゃあ、八卦掌の技術だけで言えばな。が、俺は八卦掌を含む行動のほぼ全てに予知を使ってきた。  動く時の予備動作なんだ。コイツが使えないとなると、本動作のテンポがつかめなくてピヨる。  俺は今何気ないように飯を食ってるように見えるだろうが、実は結構神経を使ってる。  これすらも今の俺にとっては特訓だ」 「それなら魚頭とか」   魚頭呂望。戦闘機械である。 「あいつの拳速は予知使って避けるのがやっとだ。それに手加減できねえだろ、あいつは。流石に死ぬ。  そもそも、特訓だのに付き合きあったりするようなヤツじゃない」 「それもそうか」 「相手が魁子だったってのも、丁度間が良かったってのもある。  フットワークの軽い截拳道の使い手。さらに有る程度以上の技術がある。  そしてバカ」 「バカはよけいだーっ!」   魁子がつばを飛ばす。   口に含んでいたうどんまで飛び散っている。 「おい、汚ねえよ!」 「お前かい子ちゃんにぎっぎぶぎぶじくぎぶじくじくぎぶぎぶ」   飛島は軸に締められて死にかけながら必死に軸の腕を叩いている。 「だいたい、アンタのバカにあたしが付き合ってるんじゃないか。  叫んだら食欲出てきた。からあげくれ」   くれと言いながら俺の答えを聞かずに魁子は箸でからあげをとって口にいれた。 「っ…ぶはー…おい軸、ちょっとは手加減しろよ! 死ぬとこだったぞ!  あっ、かい子ちゃんはからあげ食べててもかわいいね」 「んげほっ、げほっ! あんましかわいいかわいい連呼すんなよ!  からあげ鼻にまわっただろ!  あーもう。あたしももうちょっと何か食べるわ」   魁子は食べ終えたうどんのどんぶりを残し、食券販売機に向かった。   狭い範囲での話しだが、俺たち三人は取り残される。 「う〜ん、後姿もかわいい…」   飛島はアホ面で魁子をじっと見つめている。 「おい狼牙、聞いていいのかわからねーけど、これってかなり不味くないか?  そもそも一般人をこの中に入れられるなんて話聞いた事ねえ」   軸が声を潜めて言う。   俺はチャーハンを食いながら返す。 「ちょっとしたコツがあんのさ。まずいんだろうが、入れちまったもんは仕方ねえ。  まあ、出れないなんて事ぁないだろうさ。あとは教師にみつからなきゃあ問題ない」 「うーん、食券買ってる姿すらかわいい…」 「あの子はドコの子なんだ? 地元のガッコー?」 「いや、詳しくは知らん。確か言霊学園とか言ったかな」 「あー…うちに負けず劣らず変人の多い学校だと聞いた事があるぞ、そこ。  だから入れたのか…」   軸は一人納得したように顎に手を当てる。 「まあ、誰でも入れるわけじゃねえのは間違いないさ」 「うーーん…注文上がるのを待ってる姿すらかわいい…」 「うるせえよバカとび」 「うぜえよバカとび」   俺と軸の声が見事に重なる。 「なんだよお、かわいもんは仕方ないじゃないかよう」 「そういうのはな、心ん中で勝手にやれよ! 誰も邪魔しねえからさ!」   軸が俺の云わんとすることを一時一句違わず告げる。 「そうは言ってもよう…あっ、ほら帰って来るとこもかわいい!」   飛島は飯をトレーに乗せてやってくる魁子を指差して言う。   こいつは学ばないヤツだった。前から。   魁子が席に戻ると、まとわりつくようにその周囲をうろちょろし始めた。 「おおっ、ラーメンライス? 定番だね! うちのラーメンは結構美味しいから正解だよ。  かい子ちゃんはこってり派? あっさり派? 俺はこってりが好きなんだけど」   魁子は口元を引きつらせてドン引きしている。 「あ、あっさり派かなあ」 「くぅーっ、やっぱ女の子だなあ、かわいいなぁ。  ここのはこってり系だから食べ切れなかったら無理せず残して大丈夫だよ。俺食うし!」 「あ、あははは、それはありがとう。でも、残さず食べるから大丈夫だよ。  それより自分のラーメン食べないと伸びちまうぞ」 「俺の事気にしてくれて…やさしい…」   飛島は感激して泣いていた。そして軽々と机を飛び越えると自分の席に戻った。   常人ではありえない跳躍力を目にした魁子は開いた口がふさがらない。   飛島は身体強化能力を持ち、特に足回りへの強化力が半端ない。   魁子が驚くのも仕方が無いといえる。   彼女が目にした事のある力は唯一俺の能力だけである。   予知なんぞ見た目じゃわからないし、俺のは特にそう先を見通せるわけじゃない。   はっきり言えば地味だ。    「なーんか見てたら俺も腹減ってきた。らーめんでも食お」   三人が黙々と飯を食っていると、軸も立ち上がって自分の飯を調達しに行った。   こうして四人は黙々と箸を動かし続ける。   俺はからあげから餃子に至るまで全て食い終わり、皆がどれだけ食い終わっているのかと視線をやった。   軸は普通に食い終わっていて、飛島は汁をすすっていた。 「………」   魁子は、食べ終わってはいたが、箸を持ったまま寝ていた。   ずっと俺に付き合っている所為で疲労もあって眠いはずだ。   起こすのも気が引け、そのままにしておいた。   それにしても、腹が満たされた所為か、至福の表情である。   軸も飛島もやがて魁子が眠っていることに気がつく。 「…か、かい子ちゃん寝てる…かわいい…」   う、うぜえ。   と、軸も思ったに違いない。   見ていると魁子の口端からは涎が漏れ始めた。   涎は糸を引き、机の上に落下する。   が、バカはそれより先に動いた。 「ハッ!!」   飛島は机の上に身を乗り出し、涎が机に落ちるぎりぎりの所を、れんげで受けた。   呆れるほど的確で正確な動きだった。   魁子は何かを感じたのか、目を覚まして涎を手の甲で拭う。   そして目の前まで身体を伸ばしている飛島を見た。 「な、ななななんだよ!」   怪訝な顔を向けられて飛島は笑顔で返す。 「涎がおちそうだったから!」 「そ、そんなもの掬うなああっ!! ばっちいだろっ!!」 「で、でも、勿体無いし!?」   飛島は半泣き顔で返す。 「勿体もクソもあるかぁ! さっさと捨てやがれー!」 「だ、だってこの中にはかい子ちゃん成分が含まれてんのに! 俺には捨てるなんて!」   ミクロサイズの魁子がれんげの中にうようよしている様を想像する。   んなあほな。 「じゃああたしが捨てるわい! トゥース!!」 「あーーーっ!」   魁子は飛島かられんげを奪うと、奇妙な掛け声と共に、食器返却棚の方へと投げる。   れんげはくるくると回転しながら飛び、返却棚を越えてその向こう、食器洗浄機の中にぽちゃんと音を立てて入った。 「おー、ナイスシュート」   軸が拍手を送る。   飛島はおもちゃを取り上げられた子供の様にしょぼくれている。 「えう…」 「はぁ…すっかり目が覚めたよ。そうだ狼牙、これからどうしようか」   魁子は食器を乗せたトレーを持って返却棚の方へ歩き始める。   俺たちもトレーを持ってそれに続く。 「バスケしようぜ!」   復活した飛島が言う。 「バスケ馬鹿が。それより、お前はもう体力持たねえだろ。帰って休むか…」 「そだねえ、ずっと動いてるし、ちょっと休まないと…」 「そんな時は拙僧にお任せあれ」 『うおっ!!』   突如、背後からぬらりと人影が姿を現す。   俺たちが振り向くと、そこには三味線を肩からさげたはげ頭、同級生の座等 悟理(ざとう さとり)が立っていた。   その長身も拝みたくなるようなありがたいハゲ頭も、三味線も目立つが、目を隠すように巻いている鉢巻も特徴的な男である。   そして何故か下駄。   こいつは飄々としていてつかみどころの無い。盲目だというが、見えているような動き、発言をする。本当か怪しいもんだ。   持つ能力は、疲労回復。効能は名前の通り。 「だ、誰?」   魁子はまた変人かと云わんばかりに尋ねる。 「初めまして、お嬢さん。拙僧の名は座等悟理。美ハゲとか美しハゲとか呼んでいただけますかな」   そう言って三味線の玄を撥で弾く。   ビン、と小気味のいい音が響く。 「呼びづらいし…あたしは一本槍魁子だよ。なんかしらんがよろしく」 「おお、こちらこ何卒よろしくお願いしますよ」 「おいエロハゲ、かい子ちゃんに指一本でも触れたら許さないぞ!」   飛島が魁子の前に立ちはだかって吼える。 「おいおい、私が何をすると言うんだ。誰も説明してくれないから自ら語るが、拙僧の持つ能力は疲労を回復させるというものでね、  言葉通りの効果がある。ついでに按摩、もといマッサージなぞして差し上げること出来ますが、いかがかな?」 「マッサージかあ、いいねぇ…。お願いしようかな。狼牙もしてもらいなよ」   俺は顰め面で手を振った。 「結構だ」 「こちらからも願い下げだよ犬畜生」   ハゲは平然と言ってのける。 「チッ」   いけすかないというか、学園で特にこいつとは肌が合わない。 「では、按摩室へご案内しましょう」 「だめだよかい子ちゃん! こいつはとんでもないエロはげなんだよ! よしたほうがいい!」   飛島が必死に訴えかける。 「もー、練也は大袈裟なんだ、さっきからさあ。あたしすっげえ疲れてるから邪魔するなよう」 「うぐっ…ぞんなあ…」   飛島は目いっぱいに涙をためて訴えかける。魁子は申し訳なさそうにしながらも訴えに耳を貸さなかった。   俺たちはトレーを返却口に返すと、からからと下駄を鳴らして歩く悟理の後について按摩室へと行く。   保健室があるというのに何故按摩室等という部屋が存在するのかは謎である。   が、少なくともこいつも保険医西東から嫌われているだろう。     それにこいつなら誰なと教師を騙くらかして按摩室を手に入れることくらい容易な気がした。 「こちらが按摩室でござい。しかしお邪魔なお前さん方もついてくるとは」   そう云って俺たちを一瞥する。見えてるとしか思えない。   鉢巻の向こうから見通すってのも変だが。 「お前とかい子ちゃんを二人きりにできるわけないだろ! エロ坊主!」 「なんだなんだ、まるで私が変質者か何かのように。  皆が声を出すのは私の按摩の腕が良いから自然と出るのであって、私が破廉恥な事をしているからではないんだぞ」 「う〜! 信用できん!」 「信用のするしないは今から見ればわかるさ。本当は男には足を踏み入れてもらいたくはないが、追い払っても入ってくるつもりだろう。  さあ、どうぞ魁子さん、とその他」   俺たちは仕方なしで部屋に案内される。   中は少し薄暗く、入ってすぐ段差があった。   段差の上は、畳になっている。   何故か部屋の中心には囲炉裏がある。他は座布団や枕、箪笥が一つあるだけで何もない。 「さぁ、上がってうつぶせになって下さいな、魁子さん」 「はーい、じゃあお邪魔します」      悟理は下駄を脱ぐと畳の上に上がって手招きする。   俺たちも靴を脱いいで畳の上に上がった。   魁子はうつぶせに寝転がって腕を組み、頭を上に乗せる。   俺たちは部屋の隅にあぐらをかいて座った。   畳の目が足に食い込む。よく見ると部屋はよく掃除されていて、畳の上には埃一つ落ちていない。   悟理は魁子の脇に座り、肩甲骨の辺りに手を置いた。 「本当ならねえ、すこおし脱いでもらって、地肌にやる方がよおく効くんだけれど、  今は野蛮な連中がいるからね、刺激が強すぎるので服の上から失礼致します」 「あはは…じゃあ、よろしくお願いします」 「はあい、よろしくされました」   言うと、悟理はぐい、と親指で背骨辺りを押した。 「はぅん…」 「よいお声で」   親指は背中を伝って下がってゆく。 「ぁん、あぁ、んんんっ」   その度に、魁子は呻く。 「これはまた、偉く疲れが溜まっておりますなあ。こちらや、こちらなんぞも…さぞかし効くのでは?」 「あん、んはっ、あぁあんっあっ」 「ほうれ、ほうれ、こちらなんぞもさぞ…」 「んやっ、ん、もうちょっ、んぃあっ」 「ほおう、こんな所も? えらく敏感でいらっしゃるわ ほれ、ほぅれ」   延々とこれが繰り返される。   隣を見ると軸も飛島も股間を必死に押さえて、見てはならないものを見るように、目を逸らしつつ覗き見ていた。   確かに声だけ聞くとAV顔負けかもしれない。   このハゲの声がまた艶やかでよく通るのである。   ハゲの声芸と魁子の喘ぎ声を聞き始めて十数分が経った。 「さぁて、男どもが哀れなのでそろそろ〆に入りましょうかね。  ほぅら、このへんがええのんか」 「んはあーっ!」      魁子は叫んだ後、ぐったりと伏して荒く呼吸を繰り返した。   しばらく沈黙が続き、落ち着いてから魁子は身体を起こした。   まだ余韻があるのか、ぼうっとした顔をしている。 「あはぁ〜…すっげー効いた…気持ちよすぎて何が起こってんのかよくわかんなかったよ」 「ほほ、それは光栄ですよ。さあて、仕上げと行きましょうか。手を出して下さいな」 「こう?」 「そう、そう」   嬉しげに悟理は魁子の手を取ると、再び按摩を始める。 「んんっ、やはぁっ!」   こうしてまた手、足と同じことが繰り返され、ようやくマッサージは終わった。 「いやあ、ほんとありがとう。なんか、身体、取り替えたみたいに軽くなったや」   魁子の按摩が終わり、俺たちは按摩室の外に出て、悟理に見送られていた。   これから按摩室の掃除をするらしい。 「お役に立てて拙僧、恐悦至極。これで今晩はぐっすり眠れましょうぞ」   悟理がにこやかに微笑む。   少し菩薩に見えなくも無い。 「でもなんかね、ゲンキになると無性に体が動かしたこうなるんだよね」 「じゃあバスケしようぜ!」 「その話、乗ったあ!!」 『!?』   俺たちが振り返ると、そこには隣のクラスの高山嵐と、嵐に腕をひっぱられて眉を顰めている三条凛が立っていた。   今は隣のクラスではあるが、今までに同じクラスになった事も任務を共にしたこともあるので、二人とも有る程度なじみがある。 「嵐、凛!」   飛島が嬉しそうに振り返る。こいつが今一番良くつるむのがこの二人らしい。 「やっぱ、お前らはわかってくれるよな! こいつら、全然わかってくれねえの、馬鹿馬鹿って言ってさあ」   飛島は嵐に訴えかける。   だが、代わりに答えたのは凛だった。 「お前がバカなのはよくわかってる。あと、お前らのらに俺を含むなよ。俺はどちらかというとそいつら側だ」   凛は顎で俺達を指す。 「うう、ひでえよお…」 「あ、悟理じゃん!アタシにもたまにはまっさージしておくれ!」   泣く飛島を尻目に嵐が身を乗り出すと、悟理は煙たそうな顔をして首を振った。 「あたしゃァ男に按摩してやる趣味はねえのよ」 「女だっつーの!」 「さぁてどうだかねえ、あたしゃあ目が見えんからね、声を聞いたばかしではどちらとも言えん」   さも目が見えないとでも言わんばかりに悟理はあさっての方向を向く。 「ほらあ! 胸あんだろーが!」   恥じらいも無く嵐は悟理の手をとって胸に押し当てた。   悟理は感触を確かめるように手を動かす。 「おおや、魁子さんは胸が大きいねえ」 「あたしはこっちだ!」 「へぇ、こちらですか」   魁子が叫ぶと悟理は手を魁子の胸へと一直線に伸ばす。   その手を魁子は拳を落として弾いた。 「さわんな!! 練也が言ってたのはこの事か!」   悟理はさも痛そうに弾かれた手をさする。 「うへぇ、こいつは手厳しい」 「はあもう…あのさ、あたしは別にバスケしてもいいんだけど…狼牙、どうしよう?」   魁子がこちらを見上げる。俺はうなずき返した。 「俺も別に構わないぜ。バスケは攻防あって走り回れる。俺の特訓にも無意味じゃないしな」   嵐は魁子の顔を覗き込む。 「おお!? 誰かと思えばロンロンの彼女だったのか!? 中等部にしてはおっきいな!?」   どこから突っ込むか迷う。   魁子を中等部だと勘違いしたのは、誘木から借りて着せた制服が中等部のものだからだろう。 「か、彼女とかそんなんじゃないってば!! ちなみに高二だし…」 「そーだぞ! 魁子ちゃんがこんなやつの彼女なわけないだろ!」 「へ? でも中等部の制服じゃん? それに高二で見覚えないぞ、この子」 「そりゃあそうさ、魁子ちゃんは…」   飛島は俺の説明をさらにはしょった説明とはいえない解説を得意気な顔をして凛と嵐に話す。   凛はほとんど理解できていない様子だったが、嵐は納得したらしい。   常識人と変人の違いがはっきり出ている。   が、とりあえず魁子は学外生であるということは伝わったらしい。   嵐は気にしていない様子だったが、凛は大丈夫なのか、とでも言いたげだった。   そこで深く追求はしない所が凛らしい。 「じゃあ、バスケしよー!」 「おー!!」   嵐と飛島が飛ぶように体育館の方へと駆けて行くのを、俺たちも追った。     俺たちは体育館の端に設置されているバスケットゴールを占領して遊び始めた。   能力は一般人の魁子がいるので勿論ナシである。   能力無しとなれば、魁子はなかなかに強かった。   身のかわし方がなんとも華麗で、体育くらいでしかバスケをやらないと言う事でドリブルが最初はそこまで上手くはなかったが  思い出すように慣れ、シュートをよく放った。あまり成功率は高くなかったが。   バスケ馬鹿・飛島は開始直後は異様なまでに魁子に気を使ってプレイしていた。   味方になれば自分がシュートを打てば良い位置で魁子にパスを回し、敵方に廻ればわざとボールを奪われるという醜態をさらした。   彼なりの気遣いではあったが、やはりそこは魁子は武道家である。   手加減されて嬉しいとはちびとも思わない。   魁子はきりのいい所で飛島を呼び止めて一喝した。 「あたしをひ弱な女だと思ってナメてるのか! あたしの事を一人間として認めるなら手加減なんてするな!」   飛島は大いにショックを受けて半泣きだったが、魁子が拳を突き出してウインクすると、表情を一変させて拳を突き返して、  いつもの笑顔に戻った。   シュートを決めたときは手を叩きあう程に仲良くなっていた。   仲良く、といえば嵐は男勝りな女同士というのか、すぐに打ち解けてしまった。   凛は相変わらずと言うのか、誰に対してもああである。   気がつくと閉門時間も近く、体育館の閉館時間も来た。   それに気がついたのは、体育館の扉を開けた担任の臨彼方が俺たちに声をかけた時だった。 「おーい、もう閉めるぞー。ゲンキがいいのは非常に良い事だけど…」   俺たちを何気なく見回し、魁子の所で視線と言葉を止めた。   やばい、と飛島、嵐ですら気がついたらしく、知らぬ風を装って、臨の視界から魁子を遮る様に動く。 「へいよー、ボール片付けてすぐ帰るし!」 「う、うん、ちょっと熱中しすぎた!」 「先生も若い頃は、ここでこうやってバスケしたよ」   遅すぎる。臨にはとっくにバレている。   臨は何を追及するでもなくゆっくりとこちらに近づいてきて、床に転がるボールを持つと、片手でひょいと投げた。   ボールは美しい軌跡を描き、ゴールの淵に接触してくるくると廻りながら、その中心に入った。   臨はサイコキネシス能力者だが、その力を使ったのかどうかはわからない。   落下してゆくボールは床を突く。パァン、というその音が呪いのように俺たちを縛り、誰も動くことが出来なかった。   が、とりえず魁子を連れてきたのは俺だ。   咎めがあるにしても俺一人で背負うべきだ、という事くらいはわかる。   俺はゆっくりと魁子の前に立ち、臨から魁子を守るように立ちはだかった。   別に臨が魁子に何をするわけでもないのはわかっていたが。 「大丈夫だよ」   臨がこちらを見下ろして言う。が、その視線は決して威圧的ではない。   俺は頷いた。 「わかってるさ」   俺は返す。   臨は魁子の前にたった。   魁子は臨が何か言う前に頭を下げた。 「ご、ごめんなさい! えっと、その、入るつもりは無くて…」 「いいさ。それに君が自分で入ったわけじゃないだろう? ねぇ、神谷」   俺の態度からか、臨は誰が犯人か見抜いたらしい。   薔薇院が騒いでいた事を耳にした可能性もある。 「ああ。俺が入れた」 「まったく、学園長の力を出し抜くなんてね、驚いたよ。この子を目の前にしても信じがたい。  出来ればその知恵を任務とかで活かしてくれりゃあ…」   臨は頭をかく。 「みんな、別に叱ったりしないし、何時もみたいにしててくれよ。こうピリピリしてちゃ自己紹介も出来ない。  僕の名前は臨彼方。社会と超能力の使い方について生徒達に教えている。君の名前は?」 「あ、あたしは私立言霊学園の生徒で、高二の一本槍魁子と言います」   魁子は恐る恐る答える。 「…そうか、あそこの…なんとなく、君がここへ入れた理由がわかった気がするよ」 「うう、俺がバスケじようなんて言うがらいげないんだ」   飛島ががっくりとうなだれる。涙どころか鼻水もたらしている。   臨がその肩を優しく叩いて起こす。 「大丈夫さ、先生に任せてくれ。  一本槍さん、君、学校は?」 「授業はまだです。うちは特殊なんで、夏休みが少し長いんです」 「明日もここにこれるかい?」   臨の言葉に誰もが耳を疑った。 「え!? は、はい、あたしは構やしないですけど…」 「よし! じゃあ、明日はサイオニクスガーデン一日体験入学してもらおう」 「へ、へえ!?」 「当然、授業を受けてもらうから、筆記用具とノートくらいは用意しておいてくれ。一冊で十分だろう。  制服、それサイズあってないね。高校生用のを持ってこよう。サイズはMで大丈夫だね?」    「は、はい」 「じゃあ、正門前で待っててね」   臨は、本当に全く誰を咎める事無く立ち去った。   俺達の誰一人も言葉を発さず、あの常に口を開いている飛島も嵐も口を貝の様に閉ざし、誰からというわけでなく、  体育館の出入り口に向かって歩き始めた。   俺達の存在が、そして学園の存在が明るみに出ることは許されない。   一般人の混乱を招くからだ。   他にも理由は存在するが、一番大きな理由はそこだ。   秘密を守る為に、それを、その片鱗を知ってしまった一般人は記憶を消される。   魁子も狐狗狸の話を聞いて、それくらいは理解しているだろう。   俺達が個人の判断でそれを見逃すことは――基本的にはありえないが、可能ではある。   俺達は所詮学生だ。大丈夫だと判断すれば見逃すことも可能だ。   麻生のような生真面目な性格の持ち主ならば別として。   が、教師となれば話は別だ。 例外は許されない。でなければ、ここで教師を務めることはできない。   生徒のちょっとした悪さを見逃してやるのとは訳が違う。   魁子の記憶は間違いなく、消されるのだ。   俺にとっては数日間、こいつらにとっては数時間だけの話ではあるが、焦燥感を抱かせるには十分親しくなりすぎていた。   誰もが暗い顔をして校舎の正門へと足を進める。   顕著だったのは、やはり飛島と嵐、特に飛島である。   ずっとしゃくりを繰り返し、鼻水をすすっている。   俯いているので見えないが、見なくとも涙で顔がくしゃくしゃなのはわかる。   正門に辿り居つくと、程なくして臨が制服が入っていると思われる紙袋を手に現れた。 「おまたせ」   それを魁子に手渡した。そして飛島を見やって苦笑いをした。    「じゃあ、みんな、解散。はやく帰るように。寮生は寮へ。神谷は、責任を持ってちゃんと一本槍さんを宿泊地まで送れよ。  明日遅刻すんなよー」   それだけを言い残すと、臨は姿を消した。   暫くの間、誰も動かなかった。   飛島の嗚咽がやけに鮮明に聞こえる。   沈黙を破ったのは、魁子だった。   突然悪戯な笑顔を作ると、飛島の背中を強く叩いた。   飛島はしゃくりを止めて驚いた顔をして魁子を見る。 「なぁんて顔してんだよ、練也!嵐もさ!」 「ゔゔゔ…だっでがいごぢゃん…」 「明日、授業あんだぞ。遊びつかれたからって遅刻すんなよ。じゃあ狼牙、帰ろーぜ」  「そうだな」   魁子は俺の手を取ると、機嫌良さそうに、ぶんぶん振りながら歩いた。   俺はただ黙って手を引かれていた。 ―――NEXT