7.崩れ落ちる世界  目の前で広がる光景は嘘だと思いたかった。だからグレイシアは幾度と無く目を擦り瞬 きを繰り返したが、それが変わることは無く、そもそも彼自身変わるとは思ってもいなか った。  触手の動きが活発になる。 「あちらさんヤル気満々なんスけど誰が相手にするんですか?」 「君だよ」  ハイドの言葉に三人の学者が異口同音に答え、彼は「おぉう……」と呟きながら目を覆 った。この面子を考慮するに自分がやると分かってはいたが、全くもって予想通り過ぎて 生きるの辛いという状況である。 「彼は私たちが預かるから、ほら早く」  ハイドから眼九郎を下ろさせ、空いた瀬を押すとよろけるように前に出て、触手に絡め とられた。引きつり笑いを浮かべながら唯一自由になる片手を上げる。 「は、ハロー」  苦し紛れの挨拶。ちらりと三人を見れば「いいぞ、未知なる生き物との接触において考 え得る最高の対応だ」なんてほざいている。しかし、ハイドの引きつり笑いもむなしく触 手の締め付けは増していくのだった。 「ぬぐ……ぐ……」  振りほどこうにも怪我で力が入らない。そもそも全快だったとしてもそれが出来るかは 不明であるが。 「自分も加勢します」  不意に圧力から解放される。グレイシアが触手を切り落としたのだ。 「よっしゃ、あっちもこっちも死なない程度にやるか。――リセッタ!」  懐から氷結晶を取り出しながら挨拶なんてせずに最初からこうしていればよかったなど と考えた。  そして、そんなハイドとグレイシアを見ている。正確に言えば彼らが戦っている相手を ――であるが。 「さて、戦いは彼らに任せるとしてだ。私たちは考察に専念することとしよう」 「必要ならハロウドさんも行ってくれますしね」 「彼らが私たちの望んだような働きをしてくれるとは限らないし、その場合は……まぁ仕 方ないとしよう」  魔物から視線を移し、戦っている彼らを見れば先ほど会ったばかりとは思えないほど息 のあった動きを見せている。ハイドは一人で戦うよりは誰かと共に戦う方が向いているの かもしれない。 「あの触手――というよりは羽ですかね、あれは魔力体でしょうか」 「肉を変質させていると考える方が良くないかい、その必要がないだろう。なぜそう思 う?」 「色じゃないか?」  首を捻り色? と鸚鵡返ししてハロウドが羽を中止する。時々刻々と羽が鮮やかな色に 変化していくのがわかるのだが。 「鮮やかな色だね、しかしそれが?」 「魔力の固有色だよハロウド」  トゥルスィの言葉にポンと手を打ち納得の表情を浮かべた。 「体色の変化はそりゃ色んな生き物にありますけどね、ハロウドさんあれに必要だと思い ますか?」  皇七郎が指差した方を見るとちょうどハイドの足を絡め取り床に叩きつける瞬間だった。 体色変化の理由は色々あるが強敵の目から逃れることや労力無く獲物を捕らえることにあ る。 「必要ないな。……ふむ、しかしあれは分類するならどの項目だろうか」 「天空人という――我々からすればとつけておくが――亜人が融合した姿だから亜人種に 含めるべきだと思うがね」 「でも元を辿れば古代人の作ったホムンクルスじゃないですか。亜人に含めるのはどうか と思いますよ」 「カール・カーラ族と同じ、と言うのかね」 「ボクは今のところ亜人、魔人どちらに分類するのも難しいと思いますがね」 「生殖器の有無が気になるなあ、あるのなら亜人だろうし無いならカール・カーラ族のよ うにホムンクルスに分類されるだろう?」 「あれには胸があるようですがね」 「胸の有無は判断材料にならないのはカール・カーラ族のこともあるだろ。彼に聞くのが いいだろうね……ハロウドさんどうしたんですか?」 「いやなに、融合する前の話をしたところであれには関係ないんじゃないだろうか」 「まぁ、そりゃそうですが」 「ではハロウド、君はあれがなんだと思うんだ?」 「――デッド・バッド・エンド」  希少種に分類される魔物、神の汗と唾液から創造された魔神。ハロウドが以前勇者と交 戦しているのを見たことがあるだけの魔物であるが、肌に当たるプレッシャーがそれに酷 似していると彼に訴えていたのだった。 「希少種の魔神ですか……」 「落としどころとしてはそれが一番適切だとは思うがね」  トゥルスィの言葉は正しい。あれは天空人を掛け合わせたものである。しかしこの城の 中にすでに天空人はいなかったし、地上にも天空人はいない。ならば、あれはあれだけで 終わる種だ。 「たしかに、あれが単独で存在する種なら図鑑には希少種として分類するのが適切かもし れませんね」  とりあえずは希少種にぶち込んでおきつつ、分類をしっかりさせておけばあとあと動か すのは他の分類においておくよりは楽だろうという打算的な考えもあった。 「あとは器官がよく分からないな」 「こればかりは外見で判断するわけにもいかないからね、解剖……今のところ一体なのに か。死んでしまったら仕方ないが出来れば生きたまま取っておきたいな」 「とは言いますけどボクらの考えが正しくてあれの後ろが魔力タンクなら器官はあの人型 部分にしかないんじゃないですかね――っと」  触手に掴まれ投げられたグレイシアが皇七郎に向かって飛んでくる。それの手首を取り、 回転させて真っ直ぐ立たせてやると背中を押して再度戦場に送り出した。バリツの無駄遣 いである。 「君はひどい男だな」 「ボクァハロウドさんにだけは言われたくなかったんですけどね」  小さな独り言を耳聡く聞きつけて悪態をつく。長い耳は伊達でないらしい。 「犬も食わない喧嘩はいい」 「何が夫婦喧嘩なんですか、何が」  睨み付ける皇七郎を無視してトゥルスィは続ける。 「あれが魔力タンクだとしても、あの巨体で器官が人型の方のみと断言するのは難しいだ ろう。それにあの目のようなものを無視も出来まい」 「ボクはあれ魔力結晶だと思うんですがね」  ちょうどハイドが背後から攻撃を仕掛け、触手がそれを迎撃するところだった。 「ほら、器官が人型部分だけならああいうことは出来ないだろ」 「皇七郎君の言うとおりあれが魔力結晶なら魔力感知という可能性が高いかな」 「というよりは外部器官か」 「あ、魔神の眼」  遺跡への侵入者を守護者に知らせる働きを持つ浮遊する眼球。魔物にばかりいっていた 注意を他に回して部屋を観察すれば、それがこの部屋のいたるところに存在していること が分かった。 「――もその一部に過ぎないだろう。おそらくはこの城全体があれの内部と考えて差し支 えない」 「理由はなんですか?」 「あれの存在理由を忘れてしまったか?」 「天空城の管理だね、外部に器官を備えているという方向性は間違ってないと思う」 「と言ったところで魔力タンク側に器官があるかないか、あれが魔力結晶か目かは開いて みなければ分からないところではあるが。それよりも私がわからないのはあっちだ」 「あっち――ですか?」  魔力タンクの中央に取り込まれているティルメールをトゥルスィが指差す。 「何故人の形を保っているのか、かな」 「その通りだ、人の形を保っている必要はあるのかね。それこそ不細工だ」 「見る限りでは表情がありますよね」  取り込まれたティルメールは戦いながら表情を変えている。あの姿になってから――短 い旅ではあったが――共にいた時間にこぼした表情を一つとしてハロウドは見ていないが。 「精神の依り代として人の形を残した方が都合が良いということですかね」 「親和性は強くなると思うがね、天空人が人という形にこだわるとは思えないな」  侃々諤々の議論がアーキィと皇七郎の間で交わされる。それを聞きながらハロウドは違 和感を抱えてただハイド達が戦っている魔物を見つめていた。 「だーかーらー、そうなると説明がつきませんよ。ありっちや泥水母のような擬態です か? 女の姿に近付いてきた男を捕まえる? 何のために?」 「――それだ」  ぱちんと指を鳴らすと同時に魔物の触手が空振って床を叩きつけ、天空城を揺らした。 「それってなんですかハロウドさん、指パッチンで地震起こす魔法ですか」 「人の形である理由だよ、皇七郎君の言うとおり擬態で間違いない」 「本当かハロウド、なら擬態だとしてその理由はどうなる」  今ハロウドの中には確信に近い予感がある。こういう時は大抵正解なのも経験則として 知っている。しかしなんとも―― 「悪趣味な話だ、。あれはおそらく嫌がらせだよ、彼に対してのね」 「グレイシアか」 「あの魔導師の考えそうなことだ」  やられたら嫌なことをピンポイントで狙ってくる。彼を呼ぶ際に度々つけられる"最 悪"の二文字でトゥルスィも皇七郎も納得した。 「外見に関して彼が関わっているとなると進化論とかあまり深く考えない方がいいですね」 「そうだな、あれは流れから外れた一体だ」 「となると残るはどんな攻撃をしてくるか――」  その場にいる全員に耳鳴りが走った。その言葉待っていたかというようなタイミングで 魔力で出来た羽が折り重なり、巨大な砲身を前面に展開する。 『対魔龍兵器――白の世界』  それが発した神代言語を聞き取れたのは皇七郎しかいない。眩い極太の光線が発射され 部屋を白く包み込み、ハイドとグレイシアに光線が―― 「あのバカが、良くこんなものを積む」  届く前、完全に無効化された。 「ガトー君! 遅いじゃないか!」  結界師は同等の魔力を光線に直にぶつけ続けることでそれを相殺し続けているのである。 「君が間に合わなければこのまま肉片も残さず死んでいるところだったよ」 「ハロウドさん達が階段を壊してなければもっと早くたどり着けましたよ。それに一度く らい死んだ方がバカも治るんじゃないですか」 「死んでもバカは治らないとすでに証明している人がいるからそいつは無理な相談だね」  会話しながらガトーの魔力放出は泊まらない。吐き出され、光線に変換される魔力の揺 らぎを感じ取り、自身の放出の細かな調節が出来なければ出来ない芸当だ。ガトーに遅れ るようにアキコとディライトが部屋に入ってくる。 「君達はガトーさんと一緒だったか」  それに一番に気付いたのは皇七郎だった。 「アキコ……その背負っているのはもしかして」  エルダー化したゆかっちを指差してわなわな震える。それを遮るようにアキコと皇七郎 の間にぼろぼろのディライトが割って入った。 「あー、その、博士が調べたいのは分かりますけど勘弁してもらっていいですか。ガトー さんの結界で何とかなってるんですけど不安定でしょうがないんですよ」 「なっ――」  反論しようとした時、アーキィの手がそっと皇七郎の肩に触れた。 「やめておこう」 「アーキィさんまでそう言うなら……」  珍しく簡単に引いたのに間に立つディライトの目が涙目で真っ直ぐだったことは無関係 でないだろう。 「えぇい忌々しい! わらわらと湧くな! ここはこの城の主の間だ、図々しく上がりこ むな!」  眩い光線は止まり怒声が部屋に響いた。 「我が騎士はどうした! 早く、早くこいつらを、今度こそ城からはじき出せ!」 「あんたの騎士ならいないわよ」  良く通る声でアキコがその怒声に答え、空気が一瞬凍った。 「な、何をバカなことを……」 「いや、ほんとだって。このおっさんとヤりたい放題ヤって満足したら帰ったよ」 「アキコ君! その言い方は誤解を受けるぞ!」  何かが飛び出そうとしてくる眼帯を押さえ込み、ガトーの突込みを華麗にスルーしてゆ かっちをディライトに預けグレイシアとハイドの脇を抜けてつかつかと近付いていく。 「お、おい危ないぞ……」 「女は度胸、きっと大丈夫だから」  ハイドの制止も聞かず近付く。言葉どおり触手は反応せず、息遣いが聞こえるほどの距 離まで詰め寄った。 「あんたがいいとこ見せようとした騎士は、あんたを騙して、裏切って、おっさんとイ チャイチャして、さっさと逃げたの」  静かな部屋にアキコの声が響いた。 「え、なに。そういう問題なんですかねアーキィさん」 「さあね、私には理解の及ばない世界の話ではあるが、あの反応を見る限りあながち間違 いとは言い切れないようだ」  ほとんどの人間がぽかんとしている中で人型部分の虚ろだった目から涙が一筋零れた。 その身体はティルメールのものであるが今はフォルテシアが完全に支配している。つまり その涙は彼女のものだ。 「――さい」 「え?」 「うるさい、うるさい、うるっさいッ!」  それまでピクリとも動かなかった触手が唸りを上げてアキコを襲う。その速度に避ける こともままならず、身体をくの字に曲げてアキコは軽々と吹き飛んで皇七郎の足元に転が った。 「もういい、死ね、死ね、みんな死んでしまえ!」 『対魔龍兵器――堕天の羽根』  神代言語の詠唱と共に羽をはためかすと部屋中に黒い羽根が舞った。それに即座に反応 したのはガトーだった。 「みんな、この羽根に触れるな! 魂ごと消し飛ぶぞ!」  叫び、ハイドとグレイシアの二人と共に戦闘域から皇七郎達がいるところまで離脱する。 そこも安全とは言いがたいが、少なくとも羽根の発生源よりは舞い落ちる量が少ない。そ れに何より一箇所に纏まっていた方が結界で守りやすいのだ。 「極太の光線に魂殺しの羽根か、広範囲で大雑把な攻撃ばかりだなあ」 「毒ガス撒き散らしとかもあると思いますよ」  落ち着き払ったハロウドの呟きに呆れたような声でガトーが返答する。 「あとはおそらく既存の魔法生物をいくつか生み出せたり、あの後ろの肉塊が大きな口に なったり……そんなことより今の状況何とかしませんか」  ガトーの作った結界には羽根が積もり始めており、いくら結界で守られているとはいえ 下手をすれば羽根で埋まって出られなくなるということすらあり得る。それに何よりも天 空城の揺れが洒落にならなくなってきた。窓の外から瓦礫が崩れ落ちる音が聞こえてきて くる。度重なる揺れと天空城の主の心の揺れによって下層部の崩壊が始まったのだろう、 このままでは羽根で死ななくとも崩壊に巻き込まれてまっ逆さまである。 「じゃあ聞くがガトー、この状況はどうすれば止まるんだい」  結果井上に積もる漆黒の羽根を見ながらトゥルスィが尋ねる。 「あの融合を解除すれば止まる……と思います」 「解除って具体的にはどうやるんですか、そもそも羽根に触手に本体に近づけないじゃな いですか」  怪我を治療するアキコに膝を貸しつつ皇七郎が睨み付ける。 「道は私が結界で作るとして、あれは融合を仲立ちしている魔導器があるのでそれさえ破 壊出来ればあの融合は解除できます」 「で、ガトー君。それはどこにあってどうやって破壊するんだ?」  ハロウドのごもっともな疑問に頭を抱えた。 「ま、まさか何も考えていなかったと?」 「というか、融合体とガッチリくっついてそれだけを破壊するってのは到底……」  それを横で聞いていたディライトが唸る。 「概念的なものだろうがそれだけをピンポイントで壊せるものがあればいいのです。魔法 でそういうの作れないのですか?」  応急処置を終えたアキコと皇七郎が目を合わせて同時に首を振った。 「そんな都合のいい魔法は簡単に作れない。そもそも概念的なものを破壊するって時点で 神代に失われた技術だよ」 「でも博士、神代言語使えるじゃないですか」  わき腹――おそらく折れている――を抑えてアキコが上体を起こすと皇七郎は解放され た足を崩して胡坐をかき、頬杖をついた。 「皇七郎はそういう魔法は使えないんだ」 「違う、使わないんだ」  むくれている原因はおそらくそれだろう。笑って暴露するトゥルスィに殺気の篭った視 線を向ける。皇七郎は神代言語を自在に操れるが、攻撃だけは使えない。理由がどこにあ るかはっきりとはしないがその性質によるものなのだろうというのが他の二人の魔物生態 学者の見解だ。 「今この場においてはどっちも同じことだろう」 「う、うるさいなあ!」  トゥルスィと皇七郎がギャーギャー言い争っている――実際は騒いでいる皇七郎をトゥ ルスィが無視しているだけだが――今も崩落の音が近付いているのが分かる。 「えーと、えーと、あとは、この城は神代のものなのです。そういうことできる道具があ ったり……」 「したとしてもこの状態で探しには行けないわね」  床にはすでに絨毯のように羽根が敷き詰められている。探しに行くのは現実的な話では 無い。ふとそんな騒ぎの中で顎に手を当てハロウドが静かに考え込んでいるのにディライ トが気付いた。 「ハロウドさん何を考えているのです?」 「えー、なんと言ったかな。そう、ディライト君か。さすがあの人の弟子というだけはあ るな、君は本当にいいことを言ってくれた。これで私たちは助かるぞ」  ハロウドの言葉にその場にいた全員がディライトを見た。 「一体どういうことなんスかハロウドさん」 「はっはっは、ハイド君がそんなこと言うのはおかしいね、あれ出したまえよ」 「……あれ?」 「私より若いのにボケているのかい? これは先が思いやられるな。真実の剣、だよ」 「い、嫌ですよ」  マントに手を突っ込まれないように内布を隠す。そしてその単語に反応したのはハイド の他にもう一人いた。 「も、持っているのですか! 何で!?」  ディライトである。 「遺跡調査した時に手に入れたんだ」 「手に入れたって遺跡のあった場所とあなたの所属はどこなのです!」  自慢するかのようなハイドの襟首を掴み、怪我をしていることも忘れてがくがく揺らす。 「エウロワ大森林の方にある遺跡で所属はどこにもしていない、フリー! 揺らすなバ カ!」 「フリー!? じゃあガメたってことじゃないですか! そんなの盗掘と変わらないので す! ああもうこれだからフリーは!」 「てめっ、言わせておけば……フリーの何が悪い!」 「そんな危ないもの個人で所有するなんて信じられないのです! しかるべき機関でちゃ んと保管、監視してもらわなきゃ――」 「はい、ストーップ」  ぱんぱんと手を叩いてハロウドが二人の口論を遮った。 「今回ばかりは見逃してやってくれないかね、彼がガメたおかげで我々は助かるのだから ね。ほら、さっさと出しなさい、死んでそれを持っていても意味無いだろう」 「年下をカツアゲとか……まぁいいですよ、死んだら持っていてもしょうがないのはその 通りですからね。それで、これ誰が使うんですか」  納得いかなそうな顔をしてマントから剣を取り出し、ハロウドに渡しながら尋ねる。 「怪我をしていない人物がいいな。ハイド君、ディライト君、アキコ君は除外か」 「ハロウドさん、私も無理ですよ。結界維持に専念したいですし」  あの魔物までの道を開くという仕事上任せるわけにもいかないだろう。 「あ、ボクも剣なんか振ったこと無いんで」 「大丈夫、皇七郎君は最初から考えに入っていないから」 「なっ――」  力になれないのはしょうがないが最初から考慮にすら入れられてなかったとすれば気分 はまた違う。きーきー言っている皇七郎を無視してトゥルスィを見るが明らかにやる気が 無い。というより「レイピア以外は振らない」という雰囲気を強烈に放っている。そうな れば残っているのは一人しかない。 「グレイシア君、お願いできるかな」  学者という劇物の中に混じり込んだ彼は、一人極限まで薄まっていた。 「自分でいいんですか」  ハロウドが差し出した剣を受け取るか否か逡巡する。 「私たちは助かりたいだけだ。でも君は彼女を助けたいのだろう? それは大きな違いだ。 ガトー君が彼女の融合を解除すれば良いと言った時、彼女が助けられると知ってほっとし たのは見ていたよ」 「見ていたんですか」  顔を赤くして頬をかく。 「それにこれを使うには対象を切るという強い意志が必要だ。だから私は君にかけたい」 「……分かりました」  剣を受け取るその顔にもう迷いは無かった。 「おい、俺の剣使うんだからしくじったら容赦しねえからな」 「何があなたの剣なのですか、あれは本来個人が所有していいものではないのです」 「好きな子助けるなら根性見せなさいよ」 「よし、決まったかな。ならば結界師と呼ばれる力をご覧に入れよう」 「それしか出来ないの間違いじゃないか?」 「皇七郎さんもさっき似たようなこと言われてましたね」 「う、うるさい! やるならさっさとやれ!」  皇七郎の皮肉にカウンターパンチを見事に返し、上機嫌で両手を上げる。そして鼻歌を 響かせながら指揮を始めた。 「久しぶりに見ましたけど相変わらずでかい図体に似合わない繊細な術式ですね」  ガトーの鼻歌、指揮、その動き全てに意味が込められている。 「その癖出来上がるものは繊細なんて言葉とは正反対のものだ。結界に関してのみだった ら二十四時すら凌ぐだろうね」  舞い散る羽根を弾き飛ばしながら結界が展開していく。 「――結」  呟き拳を握って一本道を完成させ、ガトーはグレイシアに向き直った。 「剣を振ることを考えて道はあれの直前までだ。分かっているとは思うが結界から抜けた 瞬間には気を付けてくれよ、弾き飛ばされて魂ごと消滅とか洒落にならないからね」 「はい、大丈夫です」  ガトーに答えるとその道を走り出す。  彼が考えているのはただ一つ、ティルメールを助けること。  結界から抜けた瞬間、ガトーの言ったとおり触手が襲い掛かる。 「――いける!」  ハイドが叫ぶと急加速し触手をすり抜けて真実の剣に手をかける。 「いや、まだだ」  ハロウドが呟くと避けられるのを予期していたのかその次に控えていた触手が四方から 伸びる。  無理か、という思考がよぎった瞬間。 「男にばっか頼んないであんたも女なら根性出しなさーい!」  アキコの声で触手がグレイシアに当たる寸前、動きを止めた。 「苦しいよ……助けて……」  蚊の鳴くような小さい、しかしティルメール自身の声でそう言った。 「大丈夫、今助ける」  止まった触手を蹴りさらに加速する。剣を抜き、鞘を投げ捨てるとすれ違いざまに切り 抜けた。  実体のないものに刃を入れるような妙な感触も振りぬけば無くなり、剣が砕け散って柄 だけが残った。 「やったか――?」  投げ捨てた鞘が床に落ちて乾いた音を鳴らすと光が魔物を包む。それが収まった時、部 屋中にあった羽根は消えて二人の少女だけが残った。 「――ッ! ティル! ティルメール!」  そして一人の少女には一人の青年が駆け寄るがもう一人の少女には誰もいない。当たり 前だろう、フォルテシアは自分一人で舞い上がっていい気になっていただけだったと理解 していた。 「何浸ってんの」  視界に見たこと無い眼帯の女がいた。いや、声だけは覚えている。自覚したくなかった ことを自覚させた女がフォルテシアの前で睨み付けていた。しかもヤンキー座りで。 「あ、アキコさん何やってるのですかー!」 「言ってやらないと気が済まないんだって! わたしゃ酷い男に捕まって悲劇ヅラして回 りを巻き込む女が許せないのー!」  ディライトに引きずられながらアキコが喚く。 「次こそはいい男捕まえんのよー!」  それを見るフォルテシアの心は憑き物が落ちたかのように晴れやかだった。騒ぐアキコ と入れ違いに三人の魔物生態学者と結界師が近付く。 「真石の姫よ、お久しぶりです」 「私ははじめましてだね。魔物生態学者のハロウド=グドバイだ、こんにちは」  ハロウドが差し出した手を取り立ち上がる。 「聞きたいことがあるのだけれどいいかな?」 「……はい」  この城からの脱出方法を聞きたいのだろうと思った。しかし彼らの口から飛び出したの は―― 「天空人というのはそもそも何なのかな、生殖器はあるのかい。あとさっきの状態だと他 にどんな攻撃方法があるのかな」 「精神構造にも興味があるのだがね。一つの身体に二つの精神があるというのはどういう 感じだったんだい」 「二人とも何聞いてるんですか、そんな話じゃないでしょう。あの状態の各部の機能を教 えてくれないか」 「え、あの、その……」  三人に質問攻めにされ、予想もしていなかった事態に答えに窮する。 「ダメですよ、彼女が困っているじゃないですか。姫、こないだのクールな一面も良かっ たですが、今の貴女も可愛らしい。どうですか、今度二人で食事にでも――」  今度こそまともな質問が来るかと思えばガトーが妙に馴れ馴れしい態度で手を取る。す でに質問ですらない。 「うわ、出たよガトーさんの病気」 「あれさえなければ彼もまともなんだがね」 「ハロウドにだけは言われたくないと思うぞ」 「――って違うでしょうが! この城からの出方!」 「なんだハイド君いたのか」 「いたのかじゃないですよ! 崩れる音どんどんでかくなってますよ!」  二人が分離してから揺れはなくなったが、ハイドの言うとおり下からの音は徐々に大き くなっている。揺れが無くなり崩壊を望む城の管理者がいなくなっても始まったものが止 まらないのだろう。 「そういえばそんな状況だったな。ガトー君、彼女たちが分離すれば大丈夫とか言ってい なかったかね」 「……」  目を逸らし答えない。 「ガトー?」 「ガトーさん?」 「言いましたよ! でも原因が取り除かれても止まらないのなら次の手を捜すしかないで すよ!」 「うわ、逆ギレだ。みっともない」 「いいかい、ハイド君、ああいう大人になっちゃダメだよ」 「は、反省はしても後悔はするなと言いますし」 「反省した結果がその手という訳か」  トゥルスィの視線がフォルテシアを握る手に注がれると気まずそうに手を離した。 「んで、ここから下に戻るにはどうすりゃいいんだ」  フォルテシアの待っていた質問をようやくハイドがするとなんとか思考が回復する。 「えっと、中層くらいに大きな樹があるのですが……」  その受け答えを見ながらハロウドは外見はティルメールに似ている割に中身は似ていな いな、と思い、以前に彼女を見た三人は大分印象が変わった、こちらが素だったのかな、 と思ったようだ。実際、今のフォルテシアは気弱そうな印象を受ける。 「よし、場所が分かりましたよ!」 「いや、その場所ならもう知ってる」 「永遠の安らぎの間だったか。彼に案内してもらったしね」 「まぁ二人とも昇降装置があるってことは知らなかったから」  意地の悪い笑顔を向ける二人に少しへこんだハイドへガトーが助け舟を出す。 「酷い人ばっかりですよ」 「あのー、場所がわかったならそろそろ向かわないとまずくないのですかー」  どうにも緊張感のない面々にディライトが声をかける。 「音から考えるとそろそろ中層全部が崩落すると思うのです」  ハロウド達が顔を見合わせ、それぞれが同じことを考えているのが手に取るように分 かった。 「早く言えー!」 「うえぇぇぇ!?」 「こうしちゃいられない、ティル君、嬉しくていちゃいちゃするのもいいがそんなことし ている場合じゃないぞ!」  フォルテシアとは対照的にいちゃついていたティルメールに声をかけると今更のように グレイシアと距離をとる。 「グレイシア君、こないだ教えてもらった永遠の安らぎの間に行けばいいそうだ。頼む」  ガトーの言葉に頷き、距離をとったティルメールを引き寄せていわゆるお姫様抱っこを すると準備を整えた他のものと共に部屋から出て行く。  最後にそこにはハロウドとフォルテシアが残った。 「どうしたんだい?」 「私は……」 「ほら、早く」  視線をあちらこちらに飛ばし、差し伸ばされた手を取ると、グレイシアがしたようにハ ロウドもフォルテシアを抱き上げた。 「お姫様に歩かせるわけには行かないからね」  笑いながら玉座の間を出ると、先に出て行ったはずなのにそこで立ち往生していた。 「何しているんだい?」 「あの岩の聖で階段がぶっ壊れていたのすっかり忘れてましたよ」  皇七郎が不機嫌そうな顔で振り向く。螺旋階段が破壊され、ぽっかりと空いた穴のよう なそこを覗くとハロウドはなんだそういうことかという顔をした。 「上るならともかく下りるのに階段なんて時間がかかってしょうがない、このまま行くぞ」 「まさか――ッ!」  誰かが止めるより早くハロウドはその穴に飛び込んだ。 「きゃああああ!」  絶叫が響き渡る。フォルテシアはハロウドに抱きついていることだろう。 「ま、何か考えがあってのことだろう」  そう呟いてアーキィが飛び降りると他の学者たちもそれに続いた。 「……はっ、ここはどこだ!」 「今更起きたか、おせえよ。俺の背中だ」 「ハイド!? おいてめえ決着つけんぞ!」 「あーはいはい、生きて帰れたらな」 「その前にちゃんと着陸できるかですよ」 「シアなら大丈夫」 「ティルが言うなら出来る気がするな」 「「うるせえ!」」  空中でのろけたり。 「こ、これどうするのですか」 「さぁ、ハロウドさんも何か考えてるみたいだったし、何も無くてもいざとなったらガ トーさんが何とかしてくれるでしょ」 「私は何も出来ないぞ!」 「それ自身満々に言うことじゃないのです」 「ついにディライト嬢にまで突っ込まれるようになってしまった……」  頭を抱えたり。 「バカだな」 「バカですね」 「やっぱりこの人バカなの?」 「バカバカ言うのはやめてくれないか、彼女にバカだと思われるだろう!」 「バカだろ」 「バカでしょう」 「やっぱりバカなんだ……」 「あとで覚えてろ!」  バカバカ言われたりしながら穴の底に近付いていく。 「これでミンチになったら正真正銘のバカだぞハロウド」 「ボク、自分がトマトになるのは嫌ですからね」 「ちゃんと考えているさ」  にやりと笑うと懐から宝石を取り出し、表面を優しく撫でながら小さく唱える。 『――君よ此処に』  宝石が薄く、蒼く輝いて波打つ。宝石に腰掛けるようにして水で出来た体の晶妖精が出 現した。寝惚けたような顔をしてハロウドを見る。 「おはよう、小さな友人。早速で悪いがいいかな」 『おはようございます、大きな友人。いいですよー助けてあげます、大きな友人』  水の妖精は手を合わせ祈る。周囲の空気が乾燥していくと同時に穴の底を水で埋めた。 「飛び込み方を間違えると痛いぞ!」 「でもあれだと深さが足りないですよハロウドさん」 「この高さからの落下だと勢いを殺しきれないで床に激突するな」 「な、なんだと! どうしたんだ小さな友人!」 『ここの水分はちょっと少なすぎてあれが限界ですよー、大きな友人』  少し困った顔でそう答えると自分の言葉で身体がぷるぷる揺れる。 「博士!」  頭上からアキコの声と共に細長い棒が皇七郎に向かって飛んでくる。 「うちの子の角の欠片!」  受け取ったそれは水をたたえたような深い深い蒼色をしていた。 「媒介としてこれ以上のものは無いな」 『――水よ』  それを片手に神代言語を唱えると水かさが大幅に増す。 「皇七郎君それは――」 「ハロウド、水に入るぞ。その子を放すなよ」  アーキィの言葉の直後足から水に突入する。皇七郎が大幅に水かさを増したというのに 底にギリギリ当たらないくらいであった。次々に水音が聞こえてくる。人数分の音を確認 すると水が引いていった。 「アキコ、助かった」 「いえ、私も死ななくて済んだので大丈夫です」 「な、なぁ皇七郎君今のは――」 「こっちです」  落ち着いている暇は無い。崩落の音はもう聞こえないがいあつ再会するかも分からない。 グレイシアの先導に続いて天空城を駆け抜ける。  その途中、誰もいなくなった住居を見るフォルテシアが何かを考えていたのに気付いた のは彼女を抱き上げていたハロウドしかないかった。 「この扉の先が――」  勢いよく扉を開けてグレイシアは固まった。 「――遅かったか」  そこはあの大きな樹が上層部にひっかるようにして残っているだけだった。 「他には――」  その問いに先回りするかのようにフォルテシアは首を振った。 「くそ、どうすりゃいいんだよ!」 「俺状況よく分かってないんだけどもしかしてここから出られない?」  ハイドの背の眼九郎に全員がため息をつく。 「ハイド君これと引き分けだったのかい」 「おいこらおっさん、これってなんだこれって! 喧嘩売ってんのか!」 「やめとけ、あのおっさんは俺より強い」 「ぬぐ……」 「なんだい人に言われただけで諦めてしまうのか」 「ハロウドさんも煽らな――おう?」 「ちょっとこれ持ってるのです」  ディライトが縄の端をハイドに渡してくる。もう片方の端はディライトの腰にしっかり 巻きつけられている。 「は?」  聞き返す間もなくディライトは崩れて何も無い扉の向こうに飛び込んだ。 「はあああああ!?」  落とさないように慌てて強く縄を握り締める。が、落ちていった訳ではなかった。垂れ 下がる木の根に上手に飛び移っていた。 「お、おま、お前何やってんだ!」 「女は度胸なのですよー」  木の根をよじ登り安定した場所で立つとディライトは笑顔で手を振ってくる。それに笑 みを浮かべながらアキコも手を振り返す。 「……あんたもさっきそうだったけど、女の学者ってのは全員ああなのか?」 「知らないわよ、そんなこと言われても。でも考え無しの私と違ってディライトには考え がちゃんとあるみたいよ」  木の根をぴょんぴょん飛び移りながらディライトの目指す先をちょいちょいと指差す。 そこにあったのは―― 「やっぱりなのです、まだ昇降装置のこってるのですよー!」  計算外の樹の成長は昇降装置を飲み込んでいたらしい。木の根に守られるようにしてそ れは残っていた。 「分かったから、あぶねーから飛びはねんのやめろ!」 「何のために縄渡したと思ってるのですかー、落としたら盗掘のこととあわせて化けて出 てやるのです!」  口論しながらディライトが自分に巻いていた縄をちょうどいい高さの木の根に結びつけ ると、それを即興のガイド代わりにして一人一人根を渡っていった。 「それで、ディライトとアキコははこれを使ったことがあるんだったか」  昇降装置を点検し、皇七郎が二人に向き直る。 「はいなのです」 「それで、これの仕組みは?」 「はい?」 「ここが学校でボクが先生なら君の単位は不可だな」 「あうぅ……」  弁解させる暇も与えずばっさり切る。 「アキコは?」 「私も分かりません」 「お前らなぁ……」 「でもディライトがしっかり描いておいた下の昇降装置のスケッチを博士ならきっと役に 立ててくれると信じています」  ちょうどディライトが取り出していたスケッチをひったくる様に受け取ると舐めるよう にそれを見る。 「……ふん、まあ及第点くらいはやれるか」  スケッチと実物を見比べながら装置のある祭壇上を歩く。 「ガトーさん、ここ書き換えてくれる?」 「ほいきた」  皇七郎に言われたとおり術式を書き換えていく。 「何かを調べるときに比較するということは重要だ。サンプルが多ければ多いほど規則性 が掴みやすい。あ、ガトーさんここも」  ハイド、ディライト、アキコがぞろぞろとその後をつけていく。 「しかしサンプルが少ない場合――特に今回のような時には必要なものがある。うーん、 もう少し書き換えるか」 「皇七郎君があんなふうにするなんて珍しいこともあるもんだ」 「彼なりに色々探しているのかもしれないな」  そんな二人の話も聞こえていないようで講義とも独り言ともつかない言葉を吐いていく。 「二つの離れたものを結び付けるには力が必要だ、想像力、脳内の宇宙。それを構築する ために必要なものは知識。学者であり続けるということは知の収集者であり続けるという こと。それは手段と目的を取り違えないことが大事だが、最近はすっかり忘れているもの 達が多い。うん、こんなものか――ってうわぁ! お前ら人の独り言聞いてるんじゃない よ!」 「減るもんじゃないのです」 「うるさい!」  皇七郎のチョップがディライトの安全帽に炸裂する。当たり前だが皇七郎の手の方が赤 くなった。 「ねえおじさん、あなただけじゃなくてあの人も意外と……?」 「あぁ、あと彼じゃなくこっちの男もバカだ」 「失敬な奴だな」  などと話をしていると皇七郎が手招きをする。 「準備が出来ましたよ、ぶつくさ言ってないで上がってきて下さい」  言われるままに祭壇に上がると足元がふわりと光った。 「アキコ達が使ったものと違って下りるだけだからね、魔力の使用量も少ないし、この城 に充満する魔素、精霊力ともいうか、それのおかげで使うのにも日を選ばない。魔法陣の 配列を入れ替えることで転移先の指定を変えることも出来る」 「つまり?」 「転移魔法が簡単に使えるってことさ」  光が強くなっていく。 「ちなみに転移先はどこに指定したんだい?」 「ボクたちをここに飛ばしてくれた人のところですよ」 「もしかして――皇国のあの女狐のところなのか!?」  頷くアーキィたちを見るとどんな時でもした事のない顔をして、唇を真っ青にしてぶる ぶる震え始める。 「か、帰らない! 絶対帰らない!」 「子供じゃないんですから! あと、もう遅いです」 「く……仕方ないか……」  転移が始まる。最初に飛んだのは眼九郎とハイド、次にガトーが飛びディライト、アキ コと続いていく。 「下りないでちゃんと来てくださいよ」 「顔を見たがっていたぞ」  皇七郎とトゥルスィが転移したとき、フォルテシアが祭壇から下りた。ハロウドはきっ と彼女はそうするだろうという予感があり、何も言わずに転移した。 「フォルテシア……」 「ティルメール、分かっているよね、私たちの身体の変化。魔力がすっかり無くなって、 きっと寿命も縮んでいる」  静かにその言葉に頷く。 「貴方みたいに好きな人と一緒にいるのも素敵だと思う。でも、私は真石の姫だから、ま だ此処を目指して落ちてくる命もあるから、どれだけ生きていられるか分からないけど、 私だけは残らないと」 「うん、分かってる」 「ありがとう……。それとグレイシア、貴方にはたくさん迷惑をかけました。ごめんなさ い」  そっと頭を下げる。 「いいんですよ、最後はこうやってお互いに笑えるんですから」  フォルテシアの顔を上げさせ笑顔を送ると転移していった。 「あとは、あなただけね。さようなら、ティルメール」 「いいえ、違います。また会いましょう、お姉さま」 「……うん」  お互いの目には涙がたまっていた。それでも二人は笑顔で別れた。                ■ ■ ■ ■ ■          絃魔館の朝、中庭の魔力が乱れる。 「こんな朝っぱらからなんじゃろね」  店の主人孤伯は酒瓶を抱え、寝転がったまま障子を足で開けると空が裂けて放り出され るかのように人がぼとぼと落ちてきた。久しぶりな顔を見つけ、いいおもちゃを見つけた 子供のような笑顔を見せると立ち上がり縁側に出る。 「ひーふーみー……あれま、学者三人とチンピラ一人を送ったら倍以上に増えて帰ってき たよ。てっきり何人か死ぬかと思ってたんだけどねえ」 「久しぶりに会ったのに酷い言いようですね」  ハロウドが上体を起こす。 「なーに世間一般の学者のステータスを鑑みるとそんなもんさね」 「学者が弱いと思っているのなら――」  ――さあ皆さんご一緒に。  誰かがそう言った気がした。 「「「大間違いだ!」」」  きょとんとした顔を見せた後、孤伯は静かに笑った。                               ■崩れ落ちる世界(終)