サイオニクスガーデン 神谷狼牙SS     - 狼の誇り - - 後編 一本槍魁子編 下 九月三日 午後六時五十二分 - 神谷道場   俺達は蝉の鳴き声を聞きながら黙って歩き続け、やがて家に着いた。   道場からは光が漏れ、じっちゃんと門下生の声、床板の啼く音が耳に入った。。   下駄箱を見ると狐狗狸が戻った様子はなく、ホテルに戻らなくていいのか、と訪ねると 「ホテルから登校する高校生なんていないだろ」   と、いわれた。   数日前に出会ったばかりの男の家から登校するってのもどうなんだ、と思ったが云わずにおいた。   道場に顔を出してじっちゃんに話を聞くと狐狗狸はホテルに戻るので魁子をよろしく、と云って消えたらしい。   自分勝手なヤツである。俺も人のことは言えないが。   帰宅して時計を見ると既に七時をとうに廻っていた。   九時前まで道場には門下生がいる。   混じって組み手をしても問題は無いだろうが、そんな気分ではなかった。   どちらが云うでもなく、俺達は家着…魁子は例の黄色に黒筋ジャージ、俺はなんの変哲も無い青ジャージで居間にいた。   俺が胡坐をかいて座り、リモコンでテレビをつけると、魁子も隣に座ってテレビを見やった。   チャンネルを回しても特に面白い番組もやっておらず、何か見たいものがあるかと魁子に尋ねても首を横に振った。   すると魁子は思い出したように言った。 「この近くってレンタル屋ないの?」 「ある」 「何か映画借りに行こうよ」 「そうすっか」   テレビを消して立ち上がると俺達は自転車に二人乗りをして(言うまでも無いが俺が運転である)、長い坂を下った。   下っている最中、彼女は俺にしがみつにながら、ずっと腹の底から感情を搾り出すように叫び続けた。      九月三日 午後七時五十分 - レンタルショップ 「思ったとおりだな」 「え? いやぁ、まあね。へへ」   魁子は『ドラゴンへの道』を手にはにかんだ。 「お前らしいな」   魁子は口元を膨らせた。 「なんだよう。あたしだってアクション以外もみるぞ」 「例えば?」   俺はからかって言う。 「え、そ、そりゃあ、ラブロマとかさ」   そう言いながら、魁子は俺にブルース・リーに始まりジャッキーチェン、サモハン・キンポー、ジェット・リーの映画について  延々と説明をした。それぞれの役者や拳捌きについて絶賛しながらも、最後には、 「ま、(ブルース)リー先生には敵わないけど」  と、締めくくった。   その言い草が、まるで己の事を言っているかのようで、可笑しかった。   俺は今、特にこれと云ってみたいものはなかったので、映画の選択は魁子に全て委ねていた。   悩みぬいた末に、彼女は間違いなく何度も見ているであろう『ドラゴンへの道』を選択した。   今からだとそう何本も見る時間もない。   一本見れば十分だろうと思い、レジに足を向けると魁子は立ち止まってちらりと別の棚の列を覗きこんだ。   みると、恋愛モノの類を取り扱っているコーナーらしかった。   入ってみたそうにしているが、自分のキャラではないという思いもあるのだろうか、入り辛そうにしていた。   俺が振り返って様子を窺っている事に気がつくと、 「ごめん」   と舌を出してこちらに駆け寄ってきた。   俺は駆け寄ってきた魁子と向き合い、その両肩を掴むと、ぐるっと無理矢理身体をターンさせて、そのまま恋愛モノコーナーの方へと押していった。 「いいんだってば!」   魁子は言いながら抵抗と言えない程度に抵抗する。   コーナーの棚の前に辿り着くと観念して大人しくなった。   俺も結局は殆どアクション映画しかみない。少なくとも恋愛モノには興味が無い。   見ていてすっきりしない事が多く、苛々してしまうのだ。   が、別に今夜は見てやってもいい、そんな気分だった。   魁子は棚に並んだ映画を物色しながら、同じコーナー内にいるカップルの存在に目をやると、  少し俯いてからちらちらと俺の様子を窺うように視線を配って言った。 「あ、あたしらも…恋人同士に見えてるのかな…?」   近い年齢同士、方や色はアレだがジャージ同士だ。   見えてもそこまでおかしくはない。   普段なら、「何言ってんだ」とバカにして返すだろう。    「かもな」   今はそう答える事にした。   それを聞くと魁子は嬉しそうな顔でぐっと押し黙り、静かに照れながら、映画の物色を再開した。   棚に沿って横にスライドしながら、ずらりと並んだ映画を手に取りジャケットのだけを見ていく。   魁子は唸るばかりでこれとは決めあぐねているらしかった。   別に急がない。見れなきゃ見れないでいい。   今のこの時間を大事にしたかった。    「ごめん、狼牙」 「何だ?」 「狼牙が選んで」   魁子は赤面した顔を上げ辛いのか、俯いたまま言った。 「俺も恋愛映画なんてみないからよくわかんねーぞ」 「いいんだ、なんでも。何か見たいだけだから」   そして、最後に 「…狼牙と」   と小声で付け加えた。   俺は大雑把に棚を見渡しながら、なんたら賞受賞、何々ノミネートだのと手書きのポップがつけられ推奨されている一本の映画を手に取った。   その映画のジャケットの表面には向かい合う男女が幸せそうに微笑みあっている写真が使われていて、  そこには雪を降らせてあったり、裏面には雪の中にいるその男女が映っている事から、その内容が冬であることが窺える。   服装や風景からしても、SFでも中世でもなく、現代が舞台だろう。   夏で暑い今なら涼めるかもしれない。   などとコメントしようものなら興ざめな事くらいはわかるので黙ってそれを手に取った。    「それでいい?」 「ああ」 「知ってるの?」 「内容か? まったく知らん」 「うん。じゃあ行こ」   魁子はそれを確認したかっただけらしく、そこで切ると俺に背を向けてレジにの方へと足を進めた。   俺もそれに続く。   魁子はレジカウンターへ手に持つ『ドラゴンへの道』を置くと、俺に場所を譲った。   俺も手に持っている映画をカウンターに置き、支払いを済ませると、レンタル屋のロゴが入ったレンタル映画の入った袋を  魁子の手が取り去る。そのまま魁子はその手を後ろに回して俺を待った。   そして俺が歩くのに合わせて隣を歩く。   この女の子らしくはしゃぐ姿は彼女の本来の姿なのか、無理をしてそう振舞っているのかはよくわからない。   俺には後者に見えるが、楽し気にして喜んでいるのは嘘ではないだろう。   だから俺もあまり気にしなかった。 「帰りはあたしが運転するよ!」   そう言うとレンタル屋を出ると魁子は予告ナシに映画の入った袋をこちらに放り投げ、自転車の元へ走った。 「かまねーけど、地獄坂はきついぞ」   地獄坂とは行き道で下った長い坂の事である。上りきるまで自転車で走り続けるのはなかなかきつい。   魁子は白い歯を見せて親指を立てた。 「まっかせてよ。あたしだって伊達に鍛えてない事は知ってるだろ?」 「鍛えてる俺が言ってんだがな。まぁ、そんだけ太い足ならいけるか」 「ンだとーっ!! もっぺん言ってみやがれ!」   俺が冗句を飛ばすと魁子は駐輪場から自転車を引き出してきて、俺に前輪をぶつけた。 「いてーなぁ。それじゃあ、その鍛えっぷりを披露してもらおうかね」 「ったく。振り落とされるなよ」 「ジョーダン。ま、振り落とされても受身取るから心配するな」   魁子はむすっと膨れると、自転車に跨った。   「ちゃんとあたしにしがみ付いてろって言いたいんだよ」 「ああ。わかったよ」   俺は苦笑いをして短く答えると、荷台に座って魁子に手を回した。   魁子の身体は鍛えられていて、しっかりと筋肉がついているのがジャージを通してわかる。   だが、やはり女らしくどこか華奢だった。 「じゃあ行くよ」 「おう」   魁子はゆっくり自転車をこぎ始める。   風が徐々に俺達を抑えつける。   軸と二人乗りをすることはよくある。   どちらが運転するかは決まっておらず、どちらがする事もある。   じゃんけんで決める事もあれば、その場のノリで決めることもある。   今日の後ろからの景色は、今までには一度も無い、これからもう二度とない。   焦燥感に襲われながら、俺は通り過ぎる町並みを見ていた。   時間はすぐに流れ流れてゆき、気がつけば上り坂に差し掛かった。 「無理すんなよ」 「バカにすんなよ! だぁーっ!!」   魁子は身を乗り出して思い切り立ちこぎを始めた。   俺は落とされないように、咄嗟に背中にしがみついた。   ジャージに沁みこんだ彼女の体臭が鼻腔をくすぐる。   男勝りな女でも、やはり女らしい甘い匂いがするのだと知った。   この坂はそこまで急ではないが、恐ろしく長い。   一気に上りきることができず、体力を徐々に奪っていく。   魁子も最初は調子よく坂を登っていったが、半ばあたりで力尽き始めた。   自転車は勢いを失い、速度を失っていく。 「うう、ごめん、止まりそう…」 「足を上げろ!」   俺が声を張ると、魁子は背中越しにこちらを見る。 「え!?」 「だから、尻を戻して、ペダルから足を上げろ!」 「尻って! どこみてんだよ!」 「バカ言ってねーで座れ! 足あげろ!」 「も! わけわかんないけどわかったよ!」   魁子は尻をサドルに落とすと、こちらに背中を預けて思い切り開脚した。   誰がそこまでやれと言った。   つっこんでる間に自転車は勢いを失って後ろに戻り始める。 「わーっ! 戻る戻る!」   俺は左手だけを荷台の自分の尻に回して魁子と自身の体重を支えて身体を安定させると、  足を前に思い切り伸ばして、ペダルを漕いだ。    「うおおおおっ!」   自転車はゆっくりと坂を上っていく。 「おおお、すごっ!」 「魁子! 俺の足ごと漕げ!」 「ラジャー!」   俺の靴の上に魁子の足が乗り、力が加わる。   ペダルはどんどん周り、自転車は坂を登っていく。 「おおおおおおーっ!!!」 「うおおおおおーーーっ!!」   魁子は俺が叫ぶのに合わせて、楽しそうに声を張り上げた。      この瞬間だけは、俺と魁子だけが、この世界に存在していた。 九月三日 八時三十二分 - 神谷道場   俺達は坂を登り終えると無性に開放的でおかしな気分になり、二人して無意味に大きな笑い声をあげていた。   自転車から降りると、映画の入った袋を魁子に投げて渡し、俺が自転車を車庫に仕舞う。   魁子は大切そうに映画の入った袋を抱きかかえて、ただいま、と叫び家の中に入る。   俺が後から入って居間に行くと、魁子は買ってもらった玩具の中身が待ちきれない子供の様に、  映画のディスクを見比べていた。   自然な流れで、『ドラゴンへの道』を先に見る事になった。 「ほら、これ」   見てる最中、魁子は突然画面を指差した。ブルース・リーが警戒にギャングを倒し、最後の一人のデブを追い詰めているシーンだった。   何事かと画面に集中して魅入る。   そのデブはブルース・リーに転がされ、立ち上がり様に、床に落ちていたヌンチャクを拾い上げ、  不器用に構える。   そんな男に対し、ブルース・リーは怪鳥音と共にフェイントをかけた。   男は反射的にヌンチャクを振るうが、リーは身を引いてかわしている為に、空振りする。   次の瞬間、リーのヌンチャクが男の頭を叩く。男は気を失った。   俺は、昼間、懲罰室でこいつにされた事を思い出した。 「俺はこのデブの代わりにお前に殴られたのか? 泣けるな…」 「ゴメン…」   軽く言ったつもりが、視線を伏せて本気で凹んでしまった。   凹むくせに何故このシーンを教えた、というかこの映画を選んだんだ、と心の中で突っ込みを入れる。   もしかすると、懺悔したかったのかもしれない。   別にあの時の事についてそこまで気にしていない。凹ませたままでいる理由はない。    「気にしちゃいねえよ」   そう声をかけて、頭をくしゃくしゃを撫ぜてやる。   少しバツが悪そうにしていたが、機嫌は治ったようで、画面に視線をもどした。   喜怒哀楽の激しいヤツである。   見ていて飽きない。   見終わる前に、じっちゃんが道場から戻り、急いで晩飯の支度をする、と云って台所に向かった。   魁子はその後を追って声をかける。    「じっちゃん、あたし手伝うよ」 「お客に仕事なんてさせられんて」 「今日はさ、お客だなんて思わないでよ。迷惑じゃないならあたしにも手伝わせてよ」   このテレビの前の位置からは二人の姿は見えない。   だからじっちゃんがどんな顔をしているのかはわからない。 「…そうかい。なら、手伝ってもらおうかね」   魁子の言葉をじっちゃんがどう受け取ったのかはわからない。   だが、嬉し気にしている事は声色からして間違いないだろうと思った。   魁子は台所から顔を出し、謝罪のジェスチャーをした。 「ごめん、見てていいよ」 「いいや、一人で見てもな。待ってるさ」 「あんがと」   魁子は顔をひっこめて、じっちゃんの手伝いに戻った。   あまり料理をする方ではないのだろう、時々聞こえる悲鳴のような声が、彼女のおぼつかない手元を想像させる。   が、そこを上手く煽てながらじっちゃんは料理を彼女に教えていく。道場主をしているだけある。   元々二人だけで互いに料理にそこまでこだわらないので、うちは一日一品か二品とご飯だけだ。腹を満たすだけの料理。   普段はもう少し早いが、慣れない魁子の手を使ってであっても、小一時間で準備は終わった。   俺はとりあえずその間に箸だけは三セット用意して机上においておいた。    「あはは、美味しくなかったらごめんな」   はにかむ魁子はジャージの上からエプロンという珍妙な姿で、料理の載ったおぼんを手に居間へ戻った。   おぼんお上には、麻婆豆腐と伏せられた三つの茶碗、装飾のない透明なコップが乗っている。   その後ろからやかんと炊飯ジャーを持ったじっちゃんが姿を現す。   魁子が身をかがめた所で、俺がお盆の上に乗った麻婆の皿や茶碗をちゃぶ台の上に乗せていく。   それが終わると三人ちゃぶだいを囲んで座った。   魁子はしゃもじを手に量を聞きながら茶碗に盛っていく。   ようやく食べる準備が終わり、いただきます、と声をそろえて食事を始めた。   映画を再開する。   魁子は食べながらブルース・リーに関する豆知識を添えながら逐一見所について説明する。   じっちゃんも一武道家として有る程度は彼について知っていて映画も見たらしいが、それでも知らない事が多かった。 「知ってる? リー先生の拳速は早すぎてカメラが捉えられないから、撮影の為に拳速落としてんだよ」 「リー先生は、ダンスも、絵も上手なんだよ」 「なんとリー先生は片手の親指と人差し指だけで平然と腕立て伏せをやってのける人だったんだよ!」   俺でもできない事は無いかもしれないが、平然とは無理だろう。   映画も終わり、食事も終わって、俺はくだらないテレビ番組を見ていた。   じっちゃんが一番風呂だった。   魁子に一番風呂を勧めたが、「料理は後片付けまで含めるんだ」と言い張って聞かなかった。   ついでに、これくらいは一人でやらせてくれとじっちゃんを台所から追い出してしまった。   じっちゃんは強引な奉公を受け、苦笑いを浮かべながらも、嬉し気だった。   風呂から上がり寝巻き姿のじっちゃんは俺と魁子に就寝を述べるとそそくさと寝てしまった。   じっちゃんが風呂から上がった後も魁子は台所でなにやらごちゃごちゃとしていたので、先に入るぞ、  と声をかけてからお風呂を先に頂いた。    俺が風呂を上がって居間に戻ると、魁子はまだ見ていないほうの映画のディスクをじっくりと見ていた。   そこには映画のタイトルとキャストなんかが書かれているだけだというのに、  その内容をその脳裏に描いて楽しんでいるように見えた。   俺がその様子を見ていることに気がつくと、いそいそと映画のディスクを仕舞い、立ち上がった。 「ちゃんと、待っててくれな」   ああ、と頷き返して風呂場に行く魁子を見送ると、テレビをつけた。   幾らチャンネルを回しても、相変わらず面白い番組はやっていなかった。 九月三日 午後十時三十分 - 神谷道場 居間   ふと時計を見ると時間は十時半を過ぎていた。   魁子は二十分ほどであがってきた。   バスタオルで髪を拭きながら現れた魁子は、しっとりと頬を上気させ、ジャージを着ていても  全身が火照っている事がわかった。 「早いな、女にしては」 「そうだな。あたし何もしないから、上がった後とか」 「かーちゃんの風呂が長くてな。よくもまあ飽きずに毎日化粧台の前に日に二度も三度も迎えるもんだと思ったよ。  そーいや真弓も遅かったな。あいつも男みてーな癖に」   それを聞いて魁子は少し頷いた。 「………あたしも、少しくらいは女らしくした方がいいのかな。こんなにがさつでさ」   どうやら凹んでいるらしい。   こうまで頻繁に凹まれると俺がどうにも空気を読めてない発言ばかりしている様で、とても心苦しい。 「いいから座れよ、映画見るぞ。電気を消してくれ」   俺はまだ見ていないその恋愛映画のディスクを、機器に入れた。   魁子は今の電気を消すと、俺の隣にあぐらをかいてそれが終わるのを待っていた。   夜、テレビを見るときは部屋の電気を消すのは定石である。   トレーが閉じてディスクが回転を始め、メニュー画面が表示される。    「お前は、思った以上に女の子らしいさ」   俺はスタートを押した。内容より先に、別の映画の予告が始まった。   見なくても雰囲気で、魁子が今どんな表情をしているかわかった。    「深く考えずに選んだからな。ハズレでも文句は受け付けねーぞ」 「わかってる。それに、いいんだよ、内容なんて。なんか、そーいうのを見たかっただけなんだ」   俺もそうだ。だから深く考えずに選んだ。   映画の予告が一通り終わり、配給会社の自己主張が流れて本編が始まる。      冬の朝、男がベッドの上で目覚めるシーンから始まった。   男はある朝会社をサボタージュし、砂浜に向かい、女性と出会う。   意気投合し、二人は仲良くなるが、喧嘩別れをしてしまう。   仲直りをしに彼女の職場へ行くと見知らぬ人間扱いされ、さらには知らぬ男と目の前でいちゃつき出す始末。   男が、友人の家でその事の愚痴を言っていると、友人からある事実を聞かされる。   彼女は、記憶を消したという。   どうも、この映画の中では、記憶を消す、という仕事をしている会社があるらしい。   男はらいせにと、己も彼女の記憶を消す事にした。   別段主役の男女をみていて共感を覚える事はないが、記憶を消していく、という内容がタイムリー過ぎて焦った。   どうにも俺の直感すら、空気の読めない判断をするらしい。よりにもよってこんな映画を選ぶとは思いもしない。   俺は停止するべになのか迷い、魁子の様子を窺ったが、目を丸くして見入っているので、よしておいた。      最初は、消えていく記憶を追体験しながら、せいせいした、と思う。   しかし記憶を追体験していけばいくほど仲が良かった頃を思い出し、次第に、記憶を残しておきたいと考えるようになる。   だが、男の身体は手術中で意識はなく、当然ながら動けないし術者にそれを伝える術はない。   男はただ、記憶の中の彼女を連れて、逃げ始める。   その姿がなんとも悲痛で、胸を打たれるところがあった。   ずずっ、と鼻をすする音が聞こえて俺は魁子を見た。   魁子は目を見開いて口元を歪めながら、無言で涙を流していた。   俺の視線に気付くと、魁子は視線をそらして唇を噛んだ。   涙を止めようとしているのだろう。体が震えている。   こういう時は手でも握ってやるのが男なのだろうか、それとも無粋なのか、判断し兼ねた。   思考を読み取ったのか、俺の手は僅かに動いて畳を突いている魁子の手に指先が触れた。   魁子は積み木が崩れるように俺の肩に雪崩れ込んで額を俺の肩に押し付けた。 「ちょっとだけ…」   そこまでは聞き取れた。だが、その先は何を言ったのか、掠れたその声を正確に聞き取る事ができなかった。   魁子は俺の肩を濡らし続けた。   喉から捻り出す泣き声は、映画の主人公が無駄足掻きを終えた辺りから寝息に変わっていた。   映画の中の彼らが最後に取った手段は、ただその記憶を楽しむ、という手段だった。   まるで今の俺達の様だった。   男の記憶が完全に消えて朝、目覚めるシーンで。俺はまだ終わっていない映画を停止してテレビを切った。   男の記憶が戻るのだろうか、戻らないのだろうか。   この映画を俺一人で見る意味は無い。だからその先がどうなっていようとも俺には関係が無い。   今の俺にできる事は、この映画がハッピーエンドであるようにと祈るだけだった。   俺は魁子を抱き上げた。勿論、客間へと運ぶ為だ。 「あれ…えいがは…?」   魁子はその衝撃で意識が僅かに戻ったらしく、僅かに瞼をあけた。   普段なら飛び起きる筈のこの状況でも虚ろにしている所からして、かなり眠いのだろう。 「寝ろ。俺も寝る。もう限界だろ?」 「んーん………見る…」   と言いつつも、魁子はうつらとしたままだった。 「エンディングを知るのは、俺達がまた出会っちまった時でいいさ」   俺の返答を聞いたか聞かずか、魁子はそのまま瞼を閉じた。   九月四日 午前六時十五分 - 神谷道場 狼牙の部屋 「ッギャーーーーーーー!??!?!?!?!?」   無意識状態から突然に、肋骨が砕け散るような衝撃が俺を襲った。瞬時に眠気が消し飛ぶ。   飛び起きようとしたが、重い一撃は胸の上から動かない。   俺は重い一撃の主、胸の上で正座状態で魁子を投げ飛ばしてりたかったが、呼吸困難と強烈過ぎる痛みで動けない。   「がっ…はっ…! てめ、ころす…き…!」 「殺すだなんて大袈裟だなぁ。ちょっと勢いつきすぎたかもしんないが」   全体重を乗せた飛びこみダブルニーキックに大袈裟も小袈裟もない。   鍛えてない一般人だったら死んでる。   むしろ俺は一瞬くらい死んだかもしれない。 「…ど…け…」   ようやくマジだと気付いたらしい魁子は申し訳なさそうにしながら、腹の上まで移動した。   俺の上からどけよ。 「ごめん、避けるかと思って…」 「避けれるかッ!!」   俺は上半身を起こして首輪を指す。   自宅ベッド上での奇襲なんぞ、予知どころか予測すら出来ない。 「………」 「………」   思い切り身体を起こしすぎて俺の鼻と魁子の鼻が触れた。ぎりぎりそれ以外の箇所は触れていない。   魁子は絶句したまま俺の体の上からゆっくりと降りてベッドの脇に立った。 「あの…ごめん」 「ああ…次、からは勘弁してくれ。で、何が目的で俺を往生させようとしたんだ?」 「いやあ、目ぇ覚めちゃったからさ、一緒に朝練でもどうかなって」 「朝練の相手をまず殺すな」   俺が深いため息をつくと、魁子は俺のジャージの袖を何度も引っ張った。 「もー、ごめんって言ってるだろ。朝練付き合えよう」 「許す。が、俺は胸の痛みが晴れるまで言い続ける。覚悟しろ殺人犯」 「ひっでー…いつまでもうじうじと、男らしくないぞ。じゃあ先に道場で待ってるからな。早くこいよ」   魁子は歯を剥き出して俺を非難すると、俺の部屋から退室し、廊下をばたばたと走っていった。   俺はまだ痛む胸をかばいながら伸びをして道場に向かった。    九月四日 午前七時二十八分 - 通学路>高等部三年A組教室      学園の生徒は寮生が圧倒的に多い。   上手く学園の近くにばかりに超能力者は生まれない。   それでいて全国から発見された未成年超能力者が通っている。なら、寮生が多くなってしまうのは必然と言えるだろう。   さらに、その寮と言うのが学園の敷地内に存在するわけだから、家から通学、むしろ通学をしている生徒がそもそも少ない。   俺はその希少価値の有る自宅通いの一人だ。   だから待ち合わせでもしない限り、登校時に誰かと出会うという事はあまりない。    「狼牙! 早く早く!」 「おい! 引っ張るな! 靴がまだ履けて………」 「………へぇ?」   ………家が近所で無い限りは。   玄関先から俺を見下す真弓と視線がかちあった。   嫌な予感しかしない。 「あっ…ごめにごめん、へへ」     冷ややかな視線を送る真弓の存在に気がつくと、魁子は手を離してはにかんだ。   真弓は別に俺を待ち伏せしていたわけじゃない。   真弓の通学路上に俺の家があるだけだ。今までも、待ち合わせをせずとも玄関先でかちあう事はよくあった。   高一の頃まで一緒に登校していたのだから別におかしな事ではない。。 「…よう、真弓」 「あんた、朝っぱらからよくも…そもそもなんで一緒に玄関から? ど、どういう事!? きっちり説明しなさいよ!」   真弓はづかづかと俺に歩み寄ると胸倉をつかみ上げようとして苦痛に顔を歪め、ゆっくり手を引いた。   先日の作戦時、あの謎の中国人に外された関節が痛むのだろう。   ヒーリングは強力で、致命傷ですら回復させる事が可能な(当然術者の力量、状況による)魔法のごときではあるが、  完全ではない。治りきらない事もあれば、肉体的に完治していても痛みだけが残る事もある。   術者の状態や相性次第で、酷い時は悪化さえする。   真弓も、まだ腕を外された時の痛みが残っているのだろう。 「学校についてからする。手短に必要なことだけ言うぞ。  こいつは他所の学生だが、今日一日は転校生だ。  臨ちゃんに言われてっから学園へ入れることに問題はねえ」    「…ったく、あの教師、普段からテキトーだと思ってたけど、ここまでとはね…!  いいわよ、好きにしなさいよ!」   独りでにキレると真弓はづかづかと歩いて行ってしまった。 「…狼牙の彼女?」   魁子が方眉を顰めて言う。 「いや。ただの幼馴染だ」 「あーあの人が」   魁子が手を打つ。   そうしていると、真弓の怒声がまた響いた。 「あんたら、いつまでイチャついてんのよ!! 早く来なさい!」 「まったく、わけがわからん」   俺は玄関を出てから呟いた。   すると魁子は悪戯顔で俺の脇をつつく。 「狼牙が鈍感なんだよ」   そんなで俺たちは三人で登校した。   安の上、魁子を学園に入れる為に手を繋ぐと散々真弓に助べえ扱いされるハメになった。   上履きの用意を忘れ、魁子ぺたぺたと足音を立てながら、歩いている。   それも相俟ってか、彼女は注目の的だった。見た事がないヤツだらけなんだから仕方がない。   魁子は居心地悪そうに肩をすくめて歩いていた。   教室へ行く為に階段を登っていると、魁子は高等部校舎の二階で立ち止まった。   階段を半ば上がってもついて来ないので振り返って様子を見ると階段を登るかまいかとしている挙動不審な  魁子が口を開いた。 「ど、どこいくんだよ」 「あぁ? 教室だろう」 「そっちは三年だろ? あたしゃ二年だよ」   知っとる。 「俺は三年だ」 「私もよ」 「………」   魁子は手の平を拳で打つと、目の色を変えて大口を開けた。   そう言われると、こいつに三年だとは言った記憶がない。    「あ、あたしゃ二年だー!!」 「落ち着きなさいよ。それがどうしたっていうの?」   取り乱す魁子に、真弓が怪訝な顔で返した。 「えぇーっ…神谷先輩に竜胆先輩…って事だろ…? あたしゃ今までなんて失礼を…」   どうやら思考が上下関係キッチリの体育会系寄りらしい。魁子は甲斐甲斐しく頭を下げ始めた。 「今更気にする事か? いいから早く上がってこいよ」 「だってその、恐れ多い…あたしゃあ先輩に向かってダブルニーキックもとい隕石落としを?」 「後輩相手でも同級生相手でもそれはやるな」   昨日辺りからの自分の行動を思い出してだろうか、頭を抱えて愕然としている。   階段の途中で立ち止まっていると必要以上に目を引いた。   さっさとこいつをなんとか立ち直らせて三年の教室へ連れて行かねばならなかった。   俺は魁子の傍によると、手を握って強引に立たせた。 「今日は三年って事でいいだろう。早く来い。大体今更先輩とか呼ばれても気色悪い」 「気色悪いってどういう事だ! もういいよ、そうだよ、あたしは三年だ。  後で失礼なヤツだとか言うなよ!」 「失礼も今更だ。気にしてねえから教室行くぞ」 「うーっ、うーっ…」   そんなで魁子は無理矢理自分を納得させると、うなだれながらも俺に手を引かれて階段を登った。   俺たちが教室に入る時は、まだクラスメイトは全員揃ってはいなかったが、それでも半分近くは登校している。    魁子は己が奇異の視線を浴びる事を予測してか、照れ三歩先辺りに視線をやりながら教室に足を踏みいれた。  「オーッマイレディ! この穢れた畜生神谷に連れ去られ私はどれほど心配した事か!  何かされてはおりませんか、この獣に。  おい、神谷、貴様さっさとお嬢さんからその手を離せ。汚らわしい」   音も気配も無く唐突に現れた薔薇院は自然に魁子の腰に手を回してエスコートの準備に入る。   魁子を教室に引き入れた今、手を引いている必要はないので俺は手を離した。 「と、突然変なとこさわんな!」   魁子は腰に回された薔薇院の手をひねり上げる。 「おおッ、なんともシャイガー」 「どりゃあっ!!」 「ぐばぁッ」   次の瞬間には薔薇院は視界から消え、壁にめり込む音がした。   姫倉が視野外から飛び膝蹴りをかましたからだ。   魁子でなくとも飛び膝蹴りをかます女はいた事を思い出した。 「わったしの名前は姫倉優! よーろしく!」   蹴りから着地した姫倉は白い歯を見せて魁子を見上げ、手を差し出した。   姫倉は身長が低く、魁子は女子にして身長170と高めなので、見上げている。 「は、はあ。よろしく。あたしは一本槍魁子」   魁子はその小さな手を取り上下に振った。 「おっけー魁子ね。わかんない事はなんでも私に聞くといい」 「あ、ありがとう」 「カミ公、われまた新しい女に手ぇ出したんけ」   登校してきた来真が背後から現れる。 「何言ってんだ。お前と一緒にすんなよ。もっともお前は出しても避けられるが」 「よー言いよるが。姉ちゃん、わしは来真通じゃ」   来真が魁子に手を差し出す。 「よ、よろしく」   俺が止める間もなく魁子は頭を下げながら来真の手に触れた。   火花が散る。 「あばばばばばばばばば」 「久ぶりの女子ん手じゃけぇ、やわいわ。はっは」 「アホか、手ぇさっさと離せっつーの!」   俺は魁子の手首を握ると一気に来真から引き剥がした。   魁子は何が起きたかわからず目を回している。   来真は常に帯電している為に、生身で触れると感電する。   がっはっはと笑うと来真は席に戻った。   どうにも、どいつもこいつもが魁子を初めて見るにしても馴染みすぎている気がして妙な気分だった。 「それはね、神谷」   口に出していたのか、鞍馬が背後から現れて言った。 「なんだ?」 「薔薇院が転校生が来ると言ったような旨のメールをクラス中に振りまいたからよ。  さっきも言ってたし。  まあ、それが本当だった事の方に皆は驚いてるでしょうけど」 「だからそこまで驚いてないってわけか…」   嘘…つーか、先走り過ぎの勝手な思い込みが真になったわけか。   変に混乱させない分、結果的には良かったとみるべきか。 「私にはきてないわ」   真弓が不満気に言う。 「受信拒否にでもしてるんじゃないの?」 「覚えないわよ」 「それはだねハニー、ユーがアドレスを聞いても教えてくれないからさ」   先程壁に突っ込んでおきながらそれを微塵にも感じさせず、薔薇院は現れた。 「思い出したわ」 「これを機にアドレス交換しようじゃあないかビューティーハニー?」 「結構よ」   真弓はふん、と鼻を鳴らすと席に着く。   鞍馬も普通に魁子に挨拶をすると席についた。   魁子の挨拶祭りに付き合っていてもきりがないので、俺も席に足を向けると、魁子も他に声をかけてきたクラスメイトに  適当に挨拶をして俺の後を追ってきた。 「別に俺についてくる必要はないぞ?」   言うと魁子は俺を睨んだ。 「じゃあ誰についてけってんだよ! 」   声を押し殺して言う。 「悪かったよ。じゃあとりあえず俺の隣に座れ」 「そういやあたしの席はどうなるんだろ」   俺は違和感放つ窓際一番後ろに一席だけ設置された席を指した。   ちなみに俺は壁際一番後ろだ。すぐに帰れる、食堂へ走れるという利点を持つ。   つまり魁子の為に用意されたと思われる席とは逆方向である。 「あっちか…遠いな」   魁子はため息をついた。 「とりあえずはこっちに座ってりゃいいさ。軸の席だからな」 「軸が困るじゃん」 「あいつはいつもギリギリなんだよ」 「今日はそうでもないぜ」   扉が開いて、軸が現れる。 「オッス魁子ちゃん」 「オーッス、軸」   二人は元々仲の良い友人同士かの様に手を叩いて挨拶しあう。 「あ、ここは軸の席だったな。退くわ」   魁子が立ち上がろうとすると、軸は手を振った。 「いいっていいって。俺あっち座るから」 「ん〜、じゃあ、あっちの机こっち持ってこようよ。扉を塞ぐから、出入りに邪魔んなるが」 「ま、誰も気にしないって。いいだろ、狼牙」 「俺に聞かれてもな。いいんじゃないか?」 「だな」   軸は頷くと誰も使っていない机を移動し、俺の席の後ろに移動させ、腰を下ろした。 『うあああああああああかい子ちゃあああああああああ――』   すると、唐突に飛島の声が遠くから聞こえてくる。   しかもそれは徐々にこちらへと近づいてくるのがわかる。    「あーもう、アプローチをかけられた事は今までに何度もあるけど、ここまでされると凄いハズイぞ」   魁子は頭を抱えた。   俺も他人に自分の名前を白昼堂々叫ばれたらハズイ。   飛島の声はどんどん接近し、三階の廊下へと到達した。   どんな勢いで駆け上がってきたのか、急ブレーキをかけられて悲鳴をあげるバスケシューズの音が廊下を滑り、  丁度俺たちのいる辺りで停止した。   軸は呆れ顔で耳を塞いだ。 「あのバカ、もうちょい静かに」 「だぁーーーーっ!!!」   扉が開くと同時に飛び込んできた飛島と絡まって、軸は椅子ごと視界から一瞬にして姿を消す。   そして教室窓側の壁に激突した。 『バカとび…』   教室中至る所からため息が漏れた。 九月四日 午前八時三十分 - 高等部三年A組教室 - HR 「で、皆もうご存知だとは思うけど、こちらは今日、学園に体験入学していただく一本槍魁子さんだ。  軽く自己紹介をお願いしていいかな?」   壇上で臨ちゃんから紹介された魁子ははにかみながら一礼した。 「ひゅーっ! かい子ちゃんかわいーっ!」 「(ピクリ)えー…×県△○市にある私立言霊学園から来ました、一本槍魁子です。  所属は截拳道同好会、趣味はブルース・リー、特技はヌンチャク技と截拳道です」 「ヌンチャク技見せてくれー!」 「えーっ。わざわざここで見せるほどのものでもないぞ、嵐…それに危ないし」   魁子は男勝りで大雑把に見えてシャイである。   人前に出るとそれは顕著になる。    「まぁ、折角だしやってみせてよ」   臨が言うと、魁子は渋々頷いた。   なんだで、教室全体がそれを期待している空気だった。 「先生も危ないので、ちょっと下がっててくださいね」   臨ちゃんは魁子から離れる。   魁子は背中側からヌンチャクを取り出すと、両端の昆部を握り、それを良く見せるように前に突き出すと、  恒例のあれを始めた。 「アタッ――」   ヌンチャクが風を切る。   右に、左に、回転しながら上下に。 「アチャウ、ホッ、ヤッホアタッ、ワチャッ、ホァタァッ」      前方の席の奴らの殆どは身を引いていた。   後ろから冷静に見ていると当らないって事はよくわかる。   だがあれは、目の前でやられると倍の射程があるように見える。   実際、回転させていて当らない距離でも、踏み込んで振り下ろせば倍伸びる。   一見、物まね芸にしか見えないこの怪鳥音もその気迫に拍車をかける。 「――チャァーッ、チャッ!」   魁子は最後にヌンチャクの昆の片方を手で握り、片方を脇に挟んで終了した。   魁子が息をふぅっと吐くと、圧倒され言葉を失っていた教室中から拍手と歓声があがった。 「かい子ちゃんかっこいい!! でもかわいいーー!!」 「いいぞ魁子ーー!!」   魁子は照れて頭をかく。 「いやあ、凄まじいね、これは…。映画は見たけど、俺も生で見るのは初めてだ。  かなりの迫力がある。ヌンチャク使いとは相対したくないや、ははは。  それじゃあ、ありがとう一本槍さん。席に戻っていいよ。  みんな、仲良くね」   魁子は注目を浴びながら俺の隣に戻った。    「…で、一応突っ込ませてもらうけど…。  三条、高山、飛島が何故この教室に? 君たちはB組だろう? しかもわざわざ机まで持ち込んで…」   俺の後ろに連なり、軸の隣に飛島、その後ろに三条と高山が座っている。   臨ちゃんは三人に対して素のままで突っ込んだ。   事情は察していても突っ込まざるを得ないだろう、このクラスの担任として。 「だって、かい子ちゃんがこっちにいるから!!」 「イエーーース!」 「ノーだボケェッ!!!」     飛島と嵐の言葉に三条は机を叩いて叫ぶ。 「まあ、仕方ないね。今日は許そう」      臨はそれが当然かのように言い放つ。   三条の意思は全く反映されないらしい。 「許すな! 仕方なくねえ! このバカどもを止めろ!」 「大丈夫、他の先生方には言っておくよ。  今日も一日をエンジョイしてくれたまえ諸君。  それではこれにてHR終了」   臨ちゃんは一限目の授業の為だろう、そそくさと教室から立ち去った。 「諦めろよリンリン」 「そうだぞ凛、俺たちはいつでも一緒だぞ!」   高山と飛島は三条の肩を叩きながらすっげーてきとうに慰めた。 「畜生ーーーーッ!!」   三条は頭を抱えて叫んだ。       高山と飛島が激しくけたたましい事を除いて、授業自体は割りといつも通りだった。   現代文、英語、科学…だが、やはり体育の盛り上がり様は何時もより凄まじかった。   魁子、飛島に三条、高山は全員肉体派だ。   そんなのが四人も、それもその内の一人は学外生となると刺激になって盛り上がる。   飛島には残念な事にバスケではなくドッヂだったが。   近接戦術訓練でも、魁子は中々好成績を残す。截拳道が、型がなく、臨機応変の武術という特性を持つからかもしれない。   色々あってNEXTを離脱し、今はPGの近接戦術指導員として働く唐練未来を相手に二分近く耐え凌いだ。   未来はNEXTの殺し屋として第一線で戦っていたまさに殺しのプロである。   十代後半に見える成熟した身体に対して、実年齢七歳と幼いが、再生能力を強引に活かし実践で磨きぬかれた格闘術は逸品だ。   武闘派の生徒でも流石に能力なしでは、そうは敵わない。   彼女の使う格闘技はサバットに近い物で、その何よりの特徴は靴先に仕込まれたギミックナイフである。   足を伸ばした状態が一番つま先の蹴りなど、余程効果的に打ち込まないと相手にダメージは無い。   彼女の使う格闘術は、素早くつま先で敵の急所を突くというものである。   それを卑怯であるとか非難をするのはお門違いである。   近接戦術訓練はフェアー精神とか武道にのっとった格闘技の時間ではないからだ。   殺そうと自分に襲い掛かる相手と如何に対峙するかの訓練である。   相手はナイフを使う事もあれば銃を使う可能性もある。   そこに卑怯とか正々堂々はない。当然のことだ。   だが、俺たちは殺す術の教育は受けない。   生かし、捕獲する事を目的として任務に当るからだ。   そうなると体術訓練は欠かせない。   当然だが実際には未来は模造のギミックナイフを使っている。   かなりもろく、人体に当るとぼりっと折れる。それですら彼女は寸止めしている。   その未来を相手にして、技術があるとは言え、格闘ならともかく、戦闘は始めての人間が二分持つというのは驚異的な数字といえる。   魁子自身、色々と学ぶ事があったらしく、かなり熱心に未来の話を聞いていた。   が、通常の授業に到っては(特に数学や科学)さっぱりだった様だ。   仕方が無い。魁子は二年なのだから。しっかりと板書はしていたが。      四限目が終了し、昼食の時間となった。   昨日も行ったし、魁子も勝手がわかるだろうと、食堂に行こうかと考えた。   どちらにせよ何か持ってきている訳ではないので、パンを買うにしても食堂に行かねばならない。   席が扉の前の四人は食堂戦争のイニシアチブを取る為にチャイムがなると同時に駆け出した。   俺もそれを追おうと立ち上がると、魁子が俯き加減で俺の袖を引いた。 「どうした?」 「…いや、やっぱなんでもないや」   魁子は結局何も言わず立ち上がり、食堂に走った。   わけがわからなかったが、その後を追った。 「畜生、中房どもが占拠してやがる…」   軸が呟いた。食堂の席の大半は中等生で埋まっていた。   食堂は中等部校舎側にある。基本的には中等部の方が有利だ。 「じゃあパンだな!」 「そうと決まれば…戦じゃー!!」   飛島と高山がパンの販売所の前、激戦地区へと突っ込んだ。 「おい、買い終えたら出口に集合だぞ!」   三条は叫んでから同じように争奪戦に参加した。   高山と飛島が何も考えずに先行し、見兼ねた三条がフォローを入れる。   普段のこいつらの、わかりやすい構図が見えた。   俺たちも互いに見やって頷きあうと、その中に飛び込んだ。   それぞれ目的の物を購入すると、三条の指定通り食堂の外で集まり、屋上へ向かった。   パンを買ったら屋上で食う、というのは言わずとも十八番である。   六人で下らない話に花を咲かせながらパンを食べ、  食べ終えれば校庭に出てバスケをして遊ぶ。   日常の光景だ。   何ら特別な日ではない。   明日もこの日の連続だ。   だから、何も悲しむような事じゃない。    九月四日 午後三時二十分 - 高等部三年A組教室 - HR   臨ちゃんが担当の社会の授業が終わると、ホームルームが始まった。   いつもの連絡事項を言い終えると、さて、と付け加えた。 「一本槍さんの事だけど。みんな、言わなくてもわかっていると思う。  彼女の記憶を、岸峰に消してもらう」   教室全体の空気が濁り始める。皆、覗き見るように魁子へと視線をやった。   だが、臨ちゃんが言うとおり、誰もが理解していた事だ。   これは授業の合間の休みに聞いた話だが、今朝職員室に用事で行ったヤツが言うには、  臨ちゃんは理事長を筆頭に、数人の教師らに魁子の体験入学の事について攻められていたという。   そが臨ちゃんは平然と、俺たちに言ったように「俺に任せてください」と云って  半ば強引にその場を納めてしまったという。   俺にはまだ、何故臨ちゃんが俺たちの悲しみを深めるような事をするのか、解らなかった。 「臨ちゃん、かい子ちゃん一人くらい、記憶を消さなくても大丈夫だろ!?  いいじゃないかよ、かい子ちゃんはこの事誰も言わないだろーし、言っても誰も信じたりしないよ!!」   誰もが心中思っている事を飛島は代弁した。   そして誰もが、例えそうでも、魁子の記憶消去処置が免れ得ない事だとわかっている。   立ち上がって身を乗り出した飛島の肩を三条がぐいっと引いた。   「駄々をこねるな、練。  これはケジメだ。こうなる事をわかっていながら、お前が…俺たちが一本槍と親しくなった事への責任だ。  耐えろ」   三条は淡々と述べる。きつい口調で言ってはいるが、これがこいつの優しさである事はよくわかる。   飛島は肩に置かれた手を振り払うと涙を浮かべて睨み返す。 「凛はつめてーよな、そんな冷静でいてさ…」 「バカヤロー!」 「ぐぇっ」   高山が後ろから飛島の襟首をひっつかんで思いり引きずり落とした。                      “バカ" 「凛はお前の事想って云ってんだ! それくらい鳥頭のアタシんだってわかるぞ!」 「うう〜っ…わがっでるようぞんなごどぐらい…あううう…」 「な、泣くなよ練…アタシだって泣きたぐ……」   涙が伝染し、教室内では他にも泣き始めた生徒もいた。   飛島の子供の様に無邪気な喜怒哀楽は人を惹きつけてしまう。それは善い意味でも、悪い意味でもだ。 「いいんだよ、練也。あたしなんかの為にみんな泣いてくれるなんて、すっごく光栄だし、嬉しいし、  なにやら申し訳ない気持でいっぱいだ。  数時間後にはもうすっかり皆の事なんか忘れちゃってしまうんだけども、それだけであたしがここに来た意味はあるんだから、  別に悔いとかはないや。  みんなと一緒にすごして、楽しかったし。それで十分だよ  それに、あたしは今日、こうなる事をわかって来たんだ。だから、いいんだ」   魁子が自校の制服に着替えた魁子を高等部三年A組は一同揃って校門まで見送った。   その中で、魁子と特に深く関わった俺、軸、飛島、三条、高山は魁子の記憶を消去するポイントまで付き添う事になった。   臨ちゃんは見送った最後、飛島に「大丈夫、友情は超能力に勝る」と言った。   その言葉を最近誰かの口から聞いた気がするが、一体誰が言っていたのだろうか、と道中ずっと思い返していた。   気がつくと一行はあの地獄坂を下っていた。   俺たちが何度も下り登り、そして俺たち二人が、下って、登ったこの坂を。   俺はよほど考え込んでいたのか、一行の最後尾を歩いていた。   隣から指先に指先を絡められてから、隣には魁子が歩いている事に気がついた。   魁子の顔を見ると、一度だけ視線を合わせ、何事もなかったかの様に前を向いて楽しそうに微笑んだ。   そしてそのまま指先を俺に絡ませ続ける。   人差し指から始まり中指、薬指、小指から親指へと移る。   俺も絡ませ返し、指先で軽く押し、引き、愛撫を繰り返した。   魁子もそれに応じて指先を絡めて曲げ、繊細に反応する。   俺たちは長い坂を下りきるまで、その睦みにも似たそれをずっと繰り返していた。   記憶消去の処置ポイントとして選ばれたのは、商店街の裏通りの一角の、人通りが少ない場所だった。 「じゃあ、さよならだな、みんな。折角だし最後に握手くらいしよーぜ」   魁子が手を出すと、軸がまずその手を握った。 「一緒にツーリングとかしたかったが、しゃーないな」 「あたしはバイク乗れないって」 「免許さえ取れば後は慣れだぜ。ま、検討してみるといい。風をぶった切るのはサイコーに気持いいからよ」 「うん。考えとく」 「修理は俺んトコに持ってきたらタダでしてやるから」 「遠いし! でもあんがと」   軸が手を離すと、瞼を泣きはらした飛島が入れ替わりでその手を握った。 「うう…がいごぢゃん……」 「みっともないなぁ、練也は。ずっと泣きっぱなしじゃないか。笑顔で送ってくれよ」 「さっきからぞうじようどしてるんだよお…でもとまんないんだ…」 「わかったよ。じゃあ、ビックリして涙も止まるお呪いをしてやる」 「な゙に゙?」   魁子は握った手を離すと、飛島の一房だけ赤い前髪を掻き分け、少し背伸びをして額に口付けをした。   飛島は瞼をめい一杯広げ、信じられない、といった顔で額に手をやった。   その感触を思い出すように少し撫ぜ、泣き出した。 「ぶえええぇぇぇ…かい子ちゃんがチューしてくれたよう…! 嬉し涙が止まんねーよぉ…!」 「結局泣くんかい!」   魁子に突っ込まれて飛島は高山と入れ替わった。   高山は泣きはらしたあとはあるものの、もう泣いてはいなかった。   手を握り、ぶんぶんと高く振った。 「魁子!アタシはお前がアタシん事忘れても絶対忘れてやんないからな!」 「あはは…そりゃあんがと」 「…ま、またこの町に来なよ。そん時はアタシが空を見せてやるから」 「おー、そりゃ楽しみだな。約束はできないけど、また来るよ」 「おっし! じゃあずっと待ってっからな」 「あんがとね」 「みずくせーぞ!アタシらシンユーだろ!」 「へへ、そうだったな。じゃあまたな」   高山と入れ替わり、三条が魁子の手を握る。 「………」 「………」 「あ、そのだな…截拳道な…」 「うん。截拳道がどったの?」 「………あんまり詳しくは知らなかったんだが、その、カッコイイな。俺も映画とか見てみるわ」 「おう! 凛も截拳道やるといいよ。いい筋肉ついてるし、すぐに強くなるぞ」 「……ただ、あの叫び声と双節昆は勘弁かな」 「んだとおい! あたしと天国のリー先生に喧嘩売ってんのか!」   魁子が睨み、三条はただ同じように見つめ返す。   暫くしてどちらがともなく、吹き出して声を上げて笑い始めた。 「くっくっく…そうだな、俺も截拳道とあの昆捌きには敵う気がしない。ここは大人しく謝っとくぜ」 「へへへ…わかればよろしい」   三条が後ろへと下がり、魁子への道が開かれる。   俺は少し魁子と見つめあってから、その前に出て手を握った。   魁子は俺から目をそらした。 「…じゃあな、魁子」 「……え、うん、ああ、狼牙もな」 「…ああ」   緊張しているのか錯乱しているのか、魁子は変な日本語を返した。 「………」 「………」 「あ、あのさ、狼牙?」 「なんだ?」 「じっちゃんによろしく」 「…ああ」 「………」 「………」 「あのさ…あたしが借りたくて借りたのに、映画返させちゃうな」 「そうだな」 「ごめんな」 「気にするな」 「………」 「………」   また魁子は沈黙した。手を離そうとはせず、ずっと俺の様子を窺いながら言葉を捜しているんだろう。 「あ、そうだ」   魁子はナップザックに手を突っ込んで、何かを取り出して俺に差し出した。   俺が使わなくなって長い間立つ弁当箱だった。 「なんだこれは?」 「べ、弁当だよ」 「そりゃわかる」 「違う、作ったんだ。だけど、木っ端恥ずかしくてさ、美味しくもないだろうし…言い出せなかった」 「いいんだ」   そういえば昨日も晩飯を終えた後も台所でごそごそしていたし、今朝方も出掛け前に何かしていたのを思い出した。   どうやら弁当の準備をしていたらしい。   俺は弁当を受け取って小脇に抱える。   魁子はまだナップザックの中を漁っていた。 「こ、このジャージ、やるよ」   黄色に黒の、例のジャージだった。 「俺には着れねーだろ? 貰ってドーすんだ」 「いいんだよ。あ、あとその、ヌンチャクも一つやるよ。  お気に入りのやつだけど」 「そんなもん貰っていいのか?」 「いい、いいんだよ。もう一本あっからさ、対になってんだ。  あたしとお揃い………なんちゃってな」   魁子はもう、とっくに限界を越えていた。 「あは、あはは。あれ、なんでだ? おっかしいな、濡れてる。泣いてんのかあたし…?」   俺が手を伸ばすと、魁子は拒絶するように弾く。 「だ、だいじょうぶだってば。すぐ、に泣き止むからさ」   俺達は魁子がぼろぼろと涙を流し、それを止めようと必死になっている様を見続けるしかなかった。 「ちくしょ、とまんな、とまんないじゃんか…くそ、止めてくれよ…」   魁子は俺の胸に顔を埋めて涙を隠すと、俺のシャツを握った。 「あ、あたしなんかが、あたしみたいな男女がさあ、泣いたって可愛くない事くらいわかってんだ!!!  だから泣かないって決めてたんだ!!!くそ、止めろよ、止めてよ、止まれよ!!  止めろよ狼牙!!! 全部お前がいけないんだ!! 胸が辛くって苦しくって、どうにもなんないんだよ!!  お前が、お前があたしをじぶん勝手にあそこに連れてかなきゃあこんなならなくてすんだんだぞ!  おまえのせいだ!! 責任とれよお!!! この涙を止めろよおおおおっ!!!」   魁子は喚き散らしながら俺の胸に拳を何度も叩き付けた。   シャツを引いた。   俺にはどうする事も出来なかった。   仄香が誘拐された時、あの時と同じ感情が沸く。   結局幾ら強くなってみせた所で、何も守れやしないんだな、俺には。 「わすれたくないんだ…狼牙のこと…みんなのこと……」   搾り出された声はもう、声が擦れてよく聞き取れなかった。   俺は、魁子の背中に手を回した。 「…はなせよお…今更そんな事したっておそいんだ…」   力の入っていない手が俺の胸を押し返す。   俺は魁子が抵抗できないように、その身体を確りと捕まえた。    「…臨ちゃんがさ、“友情は超能力に勝る”って言ってただろ。  誰かが似たようなことを言ってたが、思い出せなかった。  ずっと考えてたんだ」 「……そんなバカな事がないってのくらいわかってんだろ…?  もう、いいんだよ…もう、離してくれよ…」 「聞けよ。  あいつが言ってたんだ。  “友情は超能力を越える”ってな」   あいつとは、狐狗狸の事だ。 「あいつに出来ても、あたしには、できないだろ…」 「…かもな。でも、それより…もし、それより遥かに…」   それより遥かに強い想いがあれば…。   俺はそれ以上言葉を紡ぐ事が煩わしく、魁子の頭に手を回すと唇を乱暴に奪った。   魁子は瞼をゆっくり閉じた。   瞼は涙をさらに押し出す。   涙の潮い匂いが、鼻についた。   どれくらい時間が経ったのかわからない。   魁子はゆっくり俺から離れた。   「狼牙」 「なんだ」 「あの映画、最後二人はどうなったんだ?」   昨日の夜の会話を覚えていないのだろうか。   魁子は俺に尋ねた。 「男も女も、記憶が元に戻ってヨリを戻してハッピーエンドさ」   勿論出鱈目だ。俺は知らない。 「良かった」   魁子は儚気な笑顔を見せた。   それを聞いてから、魁子は昨夜の事を覚えていないんじゃあなくて、  俺の口からその言葉が聞きたかっただけなんだと悟った。   魁子は岸峰と向き合った。二人は握手を交わす。 「…すまねえな。一本槍、お前らも。俺はこの力があるから必要とされ、信頼を得てる。  学園には絶対服従、だなんて思考ねーけど、臨ちゃんとの信頼を裏切る事はできねえ。  俺がこの仕事に手ぇ抜いたら責めらんのは臨ちゃんだからな。キッチリ消させて貰う」   魁子は首を振る。 「いいんだ、岸峰。ここで見逃して貰ったらあたしも泣き損だ。  どうせこの涙は止まんないし、もう、構わずやってくれよ」   岸峰は頷く。 「お前ら、こっから離れてろ。少なくとも見えない位置まで」   岸峰に言われて俺たちは物陰まで下がり、なり行きを見守った。   岸峰は魁子の背後に立った。 「じゃあ、行くぞ」   魁子は身体を強張らせる。   が、岸峰は動かない。 「岸み…っ!」   数分経ち、魁子が痺れを切らせて振り返ろうとした瞬間に、岸峰の拳が後頭部へと綺麗に決まる。   魁子はその場に倒れた。   岸峰がわざわざ待ったのは同情してではなく、魁子の緊張を解す為だろう。   精神攻撃を受けるとわかって力むと、それに対して無意識に防御をしてしまう。   それによって能力が阻害される事はあまりないが、念のため、というヤツである。   岸峰はその場から離れると、俺たちと同じように物陰に隠れた。   記憶の消去の成否確認の為だ。   暫くして魁子は気がついて立ち上がった。   辺りを見渡してから、涙に気付いて、拳で拭う。 「あ…れ…?」   魁子の瞳から涙は途切れない。 「なんで…あたし泣いて…?  う…な、なんだコレ…病気か…??  う、うっ…うあああああーーーーーーーっ!」   魁子は大声を上げて泣き始めた。 「くそ、くそっ、なんだコレ…」   魁子は傍にあった電柱に握った拳を何度も叩きつける。   岸峰は、俺の肩を叩くと立ち去った。 「ぢぐぢょーっ…!」 「お、おい待て嵐! それじゃあな…俺も戻る」   わけもわからない焦燥感と涙を抑えようと必死な魁子を見るに見兼ねたのだろう。   高山もその場を走り去り、三条もその後を追って消えた。   もう役目は終わった。   俺たちも立ち去るべきだった。   あいつから目を離せなかった。   今出て行って、抱きしめれば、また記憶が戻るんじゃないか、そんな淡い期待、  いや、妄想を抱いていた。   魁子がそうしていると夕日が傾き、路地の向こうから逆光を背負った小さな影が現れた。 「魁子、探したじゃあないか。幾ら待っても約束の場所にこないから…どうした」   現れたのは狐狗狸だった。   魁子は泣き顔をゆっくりそちらへと向ける。 「狐狗狸、お前にあたしになんかした…?」 「一体何をすると言うんだ。それより魁子、あの男は………そうか」 「な、なんだ、あの男って。やっぱり何か心当たりあるんじゃないか…  なんか…わけわかんないのに、哀しくて、哀しくて、涙が止まらないんだ。  胸が押しつぶされそうだよ…」   狐狗狸は一人納得して頷いた。   魁子は狐狗狸にしがみ付く。    「…いいのさ。その涙は、良い涙だ。それは止めなくていいんだ」 「だって…こんなに哀しいんだぞ…あたし、頭おかしくなったんじゃないのか…っ!  なんでか理由を教えろよ!」 「見たまえよ、魁子」   そう云って狐狗狸は後ろを振り返った。   魁子もそちらに顔を向け、一度、眩しげに太陽から目を逸らし、再び顔を上げてじっくりとその赤に魅入った。 「綺麗だろう? あれを見ていたら泣きたくもなるさ」 「うん…綺麗だな、とっても…」 「沈み行く太陽は別れを思い起こさせる。  巨大で、絶大な存在が消え行くのだ。  哀しくもなる。  とても赤く、朱に染まっているだろう?」   狐狗狸が夕日を指差す。魁子は頷いた。 「知っているか、魁子。涙というのは、血液で出来ている。  痛烈に辛く苦しい時、哀しい時に出す涙のことを血の涙と言うだろう。  涙は心の傷口からあふれ出した血なのさ。  あの夕焼けの赤は太陽が別れを惜しむ血の涙だ。  あれが赤く見えれば見えるほど魁子は太陽を愛し、太陽に愛されているのさ。  だが、心配するな。  日が昇らぬ事などありえないのだから。  また太陽は魁子を照らすのさ、いつか必ずな」    「またわけわかんない事言いやがって。  …でも、今はなんとなく、わかる気がする」   魁子は涙を振り払った。もう涙は止まっていた。 「それじゃあ、行こうか、魁子」 「やっと帰るのか?」 「ちょいといい場所をみつけてね。  そこを調べたら帰る。というか、写真を撮りたいだけだがね。  実の所、今回の複雑怪奇旅行の収穫はほぼ零だったんだ。  諸事情でね。だがKMR隊長として手ぶらで帰るわけにはいかない。  徒歩で少しかかるが、まあいいだろう」 「ちゃんと今日帰れるのかよ…」 「大丈夫だ。七時までにはここへ戻る。  じゃあちゃっちゃと言ってぱっぱと帰ろう」   「はいよー」   二人は夕日を背負って消えていった。   俺たちはただ、どうする事もできずにそれを見送った。 九月四日 午後四時五十分 - 商店街 「なぁ、いいじゃん!」 「わ、私達急いでるから…」 「そう言わないでさぁ…」 「や、やめてよ!」 「大丈夫だって、別に悪さするわけじゃなおごぉっ」   飛島はナンパヤンキーの顔面に横から蹴りを入れて飛び上がり、綺麗に着地した。   犠牲者は、商店街で二人の女子高生をナンパしていた三人組の内の一人だ。   むしゃくしゃしていた俺がぶちのめそうと指を鳴らす前に、飛島は地を蹴ったのだった。   ヤンキーは綺麗にすっ飛び、商店街の地面に敷かれたカラフルなタイルと接吻した。 「んだてめらァ!」 「いいから来いよ」   俺は構えもせずに挑発する。 「調子こいてんなァ!」   ヤンキーBの右ブローを相手の内側へ入るように踏み込んで避け、右掌底を顔面にかます。   後ろにのけぞるヤンキーBの放った右を左手で掴み、踏み込んだ右足を相手の右足にひっかけ、次の瞬間、  右手で襟首を掴んで一気に地面へ引きずり倒した。 「順番で行くと次は俺か?」   軸が首を回しながら指を鳴らすと、ヤンキーCはごちゃごちゃと言いながら逃げさった。 「俺、出番なしかよ。いーけどさ」   軸がつまらなさそうに呟くと、女子高生二人は俺達に駆け寄った。 「あ、ありがとーっ! めちゃカッコよかったー!」 「ね、ね、三人とも、今から遊ばない!? いいよね、タカコ」 「うんうん、全然いい、むしろ行こ!」   勝手に盛り上がる女子高生を他所に、俺は魁子とであった時の事を思い出していた。   あいつも助けたというのにさほど感謝されなかった。   別に俺もあいつもこいつらも感謝されたくてするわけじゃない。   助けた、ってのも恩着せがましい言い方だ。   これはちょっとした気遣い程度のことである。   電車で席を譲るとか、たまたま目の前に落ちてた空き缶を拾って傍のごみ箱に捨てるとか、そうった類の事だ。   だからあいつも人助けをした筈なのにやや迷惑がられたからと云ってさして気にしていないだろう。   だが、理不尽だ。   どうでもいい事が、今は苛立ちの原因になった。 「急いでるんじゃなかったのか? 悪いが、俺はむしろこの伸びてる奴らに用がある。  軸、飛島、お前らは好きにしろ」   俺は伸びてるヤンキー二匹を抱えると、後ろの反応も見ずに路地裏へ向かった。 「お、おい狼牙! 待てよ!」 「とつぜんどっかいくなよー!!」   人目につきづらい場所まで移動すると、俺は抱えていた荷物ことヤンキー二匹を地面に放り投げた。 「おい、狼牙、聞いてんのかよ! お前がどシカトして消えたもんだからあの女の子ら怒ってたぜ。  ついでに俺らもごちゃごちゃ言われて面倒だったんだぞ。ほって逃げてきたけどよ」 「悪かったよ」   軸の苦情に返す。二人は俺に追いつくと地面に転がるにヤンキーを覗き込んだ。 「こいつら、どーすんの?」   飛島が小首をかしげる。 「軸、このワッペン、覚えないか」   俺はヤンキーの学ランのすそ辺りに、密かに主張している縫い付けられたワッペンを指差した。   亜賦羅魔通蛇と漢字で描かれている。 「んー………あ!  …亜賦羅魔通蛇(あふらまつだ)の奴らだな、なんでこいつらこんなトコにいるんだ??」   軸は首を傾げる。事情が飲み込めていない飛島はさらに首をかしげた。 「あふらまつだ??? なんだそれ」 「暴走族だよ。隣街の」 「知り合いなのか?」 「いんや、知り合いっつーかなぁ…。  オマエと仲良くなる前、恥ずかしながら、俺と狼牙はちょいと粋がってましてね、その、人様に迷惑かけるような事はしなかったが…。  当時こいつら、この辺りまでハバ効かせてたんだよ。  うちの生徒でも絡まれた奴とか結構いたし、こーなんていうかな、思春期特有の青臭い衝動を晴らすのに、正義の味方ぶって  そいつら狩ってたのよ。俺なんかちょっと喧嘩強い程度だけど狼牙はこの通りだしな、負ける事はなかったし、  学園長の力もあるしな、学園の近所に居る限り、結局あいつらは俺らの詳細をつかめない。好き放題やってたわけ。  気がついたら俺らもその青臭さから卒業し、狩りつくしちまったのか丁度あっちはあっちで、この近所からは姿を消してたんだ」 「地元の奴から聞いたが、最近、こいつらはまたこっちにデバって来てるらしい。」 「まじか、ほとぼり冷めてきて戻ってるのか? そーいや最近あの汚いあいつらの音が耳に入ってきてるような気がしてたんだ」 「で、こいつらどーすんの?」   飛島が伸びてる奴をつつく。 「こうする。おい、起きろ。いつまで寝てんだオイ」   俺は頬をたたいて強引に目覚めさせた。 「んあ…?  てめなにしやがっ――!?」   目覚めたヤンキーAが身体を起こし拳を握ったが腕が伸びる前にその手を弾き、シャツを交差させて首を絞める。 「がっ…!」   Aは首を締め上げる俺の腕を握る。 「俺は二年かそこらか前、お前らを潰して周ってた“火神狩り”だ。恨み晴らしたきゃ仲間連れて××号線沿いの廃工場に来い。  お前らもあっこくらい行った事あんだろ」   Aは目を見開く。俺は少し拘束を緩めた。   ちなみに火神狩りと俺達は名乗ったことなんかない。勝手にそう呼ばれていただけである。 「がは…てめーが…!? マジなら殺してやるぜ…」 「そーいう事は殺せるようになってから言えっつーんだ。  最近お前らのぴーひゃらがまた聞こえるようになって眠れねーんだよ。  お前ら本体ごと破滅させてやるから友達呼んで来いよ」   俺はAの拘束を解いて離れた。AはBを起こして二人してなにやら喚きながら走り去った。 「おい、狼牙…今更暴れんのか? 俺ら、もういい年だぞ」 「魁子がな」 「かい子ちゃんが??」 「あーいうやつらは我慢ならん、と言っていた」 「それが理由か…?」   軸が眉をひそめる。 「ああ」   嘘だ。   そんな事はどうでもいい。   ただ、理由をつけて暴れたかっただけだろう。   若い、と思う。   だが、まだ若いからこんな衝動が内在するに違いない。 「…それなら、俺もやる!」   飛島が拳を握り締めた。 「おい飛島!?」 「飛島、これはスポーツじゃない。喧嘩だ。  変に怪我してバスケに響いても知らねえぞ」 「だいじょうぶだっつーの! ばかにすんな!」 「言うまでも無いが、派手に能力使うなよ」 「あったりまえだ!」 「あーもう。お前ら勝手に…」   軸が額を押さえる。 「これは俺が勝手にやるだけだ。別に付き合う必要はない」 「なーに言ってやがる!! あの廃工場までお前、どうやって行くつもりだよ! 徒歩で行くにしちゃあ時間かかりすぎるぞ!」 「…それもそうだな?」   すっとぼけて見せる。 「行くよ行きますよ、俺も! ったく、大体、俺とお前で“火神狩り”なんだから行くしかねーだろ…」   軸は深いため息をついた。 九月四日 午後五時二十分 - 国道××号線沿い廃工場 「づがれだ〜」 「てか、まじすげえわ、お前」   自転車を投げ出して廃工場の地面にへばる飛島を、軸は半ば呆れ顔で感嘆をもらした。   あれから学校へ戻り、軸はバイクを、飛島は自転車を取りに戻った。   俺は軸のバイクの後ろである。   無茶を承知で三人乗りをやるかという話も出たが、飛島は自転車でもいけると言い張った。   実際飛島は時速約60kmを保持してバイクの後ろを走り続けた。   驚異的な体力である。能力のお陰とはわかっていても、驚かざるを得ない。   俺達は、亜賦羅魔通蛇の連中が既に待ち構えているのではないか、と淡い期待を胸に廃工場へとやってきたが、  誰も居る気配はなく、少し消沈した。   だが、それでも別に構わなかった。 「…ほんとに来るのか?」 「…さあな」   軸の問いへ、曖昧に返す。 「じゃあ俺、走った意味なくね!?」 「こういう場所に来んのもたまにはいいだろ。  大体考えてみりゃ族様もたかだか二、三人の為にのこのこやってきてくれたりはしないだろうさ。  奴さんらもそこまで暇じゃなかろ。  じゃあ、風景を肴に弁当でも食おうぜ」   俺は大丈夫そうな廃材に腰掛けると魁子の手作り弁当を取り出した。 「それはかい子ちゃんがお前に作ってくれたやつだろ! お前がちゃんと食べろ!」 「俺の為かもしれないが、俺に独り占めさせる為でもないさ。お前も食えよ」   弁当箱を開けると、飛島はぐぅと腹を鳴らした。 「走ったから腹へってきた…ほんとに食ってもいいのか?」 「構わん。俺はそんなに腹減ってないし気にするな。適当に突く」 「やったー! かい子ちゃんのおべんとう!!」   飛島は弁当にがっつき始めた。俺と軸も、横から手を伸ばしておかずをほおばる。   魁子の作った弁当は俺んちの冷蔵庫の中身が乏しい所為もあり、形の崩れたたまごやきやほうれん草のおひたし等…  そしてその大半を海苔で覆ったご飯が埋めているなんの面白みの無い内容だった。   それでも、恐らくあまり料理経験がないであろう魁子が作った弁当としてみると十分の出来だった。   この弁当は俺にとって(もしくは、俺達にとって)最も希少価値の高い弁当だった。   魁子が作った食い物を口にする最後の機会だからだ。   その大半は飛島ががっついたが、俺は俺で口にした少量のおかずを、出切るだけ味わって食べた。   飛島もそれをスパイスにしているのだろうか、矢鱈に、うまい、うまいと唸りながら口にかきこんでいた。   弁当を食い終わり、ぼけっとし工場内をいうろついたり、ヌンチャクを振り回したりしていた。   飛島は自分の体を打ってばかりだったが、意外にも軸は筋がよく、なかなか軽快にヌンチャクを振り回していた。   軸の能力は機械性能向上、と能力に名付けられては居るが、その本質は「無機物に掛かる不可を補助する」という物だ。   構造がわからなければ力を使えないらしいが、ヌンチャクなんて見た目どおり単純な形状である。   力を使えば、人一倍巧く扱えてもおかしくない。   することもなくなり、熱も醒めて来た頃に、遠くから無数の轟音が接近しているのに気がつく。   それは地響きにも聞こえる程だった。その音は明らかに改造車の発する汚い音だった。   俺達は亜賦羅魔通蛇だのという名前はすっかり忘れていて、どっかの暴走族が走り回っているのだろうと鼻で哂った。   俺たちがここに来た目的を思い出したのは、その轟音が明らかにこちらへと接近しているから、暴走族達は  この工場を集会にでも使うのだろう、巻き込まれては面倒だと思い、帰路につこうとした時だった。。 「なぁ、どうする?」   軸が尋ねる。 「…わざわざ招待に答えてくれたんだ、丁重におもてなししなきゃな」   このままあいつらを放置すると、そのままの熱で俺達の住む近所まで遠征して来兼ねない。   流石に数が多いが…なんとかなるだろう。   と普段どおり楽観的に構えた。 「けどよ…バカに数が多いぜ…」 「…そうだな。お前らは帰れ。俺の蒔いた種だ。俺が何とかする」 「おことわりだ!! 俺は弁当食べたからな、その分はたらくだけだ」 「ここで帰るわけに行くかよ、相棒。じゃあ、壊されたくないし脱出しやすい位置にバイク隠してくるわ。  飛島、オマエもチャリ隠しとけよ」 「ほーい」   二りは各自の愛車を廃工場の入り口からは少しはなれた茂みに隠す。   軸のドラッグスターもそうだが、飛島のロードバイクもママチャリしかのらない俺からすれば  驚く程高価なものだ。壊されりゃ修理に金がかかる。   もう辺りは暗くなり始めてきていた。   暫くして、廃工場の入り口はバイクやら車の光で昼間より明るくなった。   バイクは俺達を扇状に取り囲んでいく。   角材やバットを背負っているやつらだらけで、ほぼノーへル。ヘルメットをかぶってはいても下品にステッカーや  ペイントで飾られている。   ぱっと見でも軽く五十以上はいる。車に乗っている連中を含めれば人数だけなら百近いかもしれない。   その全員が、それにしてもよくもまあそこまで、と言いたくなるほどに顔を醜くゆがめて俺達を睨みつけている。   煌々とライトを当てられながら少し待つと、二人の男が前に歩み出た。   片方は昼間のヤンキーAだった。 「よう、ご無沙汰」   俺はAに手を上げる。   Aは俺を無視し、隣の男に耳打ちをした。   そいつはガタイもよく、高そうな黒いライダースジャケットに黒いブーツカットのパンツにブーツ、サングラスと明らかに他の連中とは違う風体だった。   髪型もいわゆるヤンキーっぽくはなく、ウェーブのかかったロングヘアーだった。   態度からして亜賦羅魔通蛇の頭だろう。   そいつはヤンキーAの足を蹴って下がらせると、ドスの聞いた声を搾り出した。 「てめぇーら、マジで火神狩りなんだろうな? 幾ら洒落でも今更、違いました、すみません、じゃあすまねえぞ」 「あんまりそのだっさい名前で呼ぶのやめろよ。じんましんが出らぁ。ネーミングセンスってものがねーのか、おたくらにはよ」   そいつは、俺の返答に怒りを見せる事もなく気だるげに首を傾けた。 「どうやらマジらしいな。お前ら、こいつらをしっかりぶっ殺せ、死なねえ程度にな」   雑魚共は雄たけびを上げ、一気にこちらへと突っ込んでくる。 「難しい事させるやつだな…」   族長の言葉を間に受けた飛島が人差し指で頭を軽く突いた。 「おい飛島、ぼけっとすんなよ、来てんぞ!」   軸は傍に放置されている鉄パイプを肩に担いだ。 「その格好、懐かしいな。軸」 「ったくよー、もうこんなもん振り回す事もねーと思ってたのに。んじゃあ俺、先に行くぜ!  っるぉあああああああああああああああっ!!」 「おーっ、俺も行く! うわあああああああああああああああーいっ!!」   軸の後に続き、飛島が思い切り駆け出した。 「るぁああああああああああああああああああっ!!」   俺もすぐさま参戦した。      始まってから三十分ほど経っただろうか。   最初は勢いに乗って結構な人数殴り飛ばした気がしたが、途中からは距離を取って牽制している事が多くなった為に、  あまり相手は数が減ったようには見えない。   相手の数が多すぎるのと、なんだで素人相手だから手加減してやっている事、獲物持ちが多い所為であまり踏み込めない事が要因だ。   踏み込みすぎると、横から容赦なくバットや角材がくる。とは言え、喧嘩中に武器で殴られる事自体は珍しくもないし、  怪我する事くらいは百も承知だ。当然ながら、既に結構殴られてる。   最悪なのは組み付かれる事だ。組み伏せられたら後は、族長の要望どおり、死なない程度に殺される事になる。   有る程度距離をとり、目立とうと調子に乗ってくるヤツを地道に沈めていく。   軸も恐らくそんなものだろう。   飛島は持ち前の身軽さを生かし、ちょろまかと動いて隙を見て飛び蹴りをお見舞いしていた。   こいつが一番族連中を静めているかもしれない。このままだと、ダレるな。一体終わるのに何時間かかるのやら。   そう思ったとき、状況が一変する。   軸が背後から不意打ちを受け、体勢を崩す。そこへ雑魚共が群り、軸はその中に沈んだ。 「飛島ぁっ!!」   軸のいる方を向いたまま叫び、打たれるのを覚悟してそちらの方向へと切り込む。   俺の掛け声で気付いた飛島は、見られていることも忘れ高らかに飛翔して軸の元へ飛び込んだ。   前方に立ちはだかるヤツをただひたすら沈め続け、軸の元へと向かう。   俺が軸の元へと到達した時には、飛島は相手を蹴散らし、牽制していた。   飛島の足元から呻きながら立ち上がる軸は、至る箇所に痣や切り傷を作り、鼻血を出していた。 「大丈夫か」   ヤンキー達の方へと向き直り、声をかける。 「…なんとか、死んじゃいねえ。が…」 「もういい。お前と飛島は戻れ」 「バカ言うなよ、一人でこんな数相手に出来るわけがねえ。オマエも一緒に戻ればいいだろ?」 「なんとかなるさ。主催者が先に帰っちまったら興ざめだろ」 「…まあ、今俺がいてもあまり役に立てないのは事実かもな。応援呼んでくるわ」 「いらねーよ」 「バカ言うな。そうと決まれば退路の確保頼む」 「俺にまかせろ!」   飛島は身体を低くして大地を蹴ると、瞬時にして目的地、の方向に立っている相手の懐へ飛び込んでボディブローを決める。   そのままそいつを盾にしながら近づくヤツの向こう脛を蹴り飛ばし、鳩尾に足を打ち込んで道を切り開いていく。   少しふらつきながら走る軸をフォローしながら群れから抜け、バイクの元まで走りこむ。   軸はバイクに跨るとドラッグスターにエンジンをかけた。小気味のいい三拍子が爆ぜる。   流石にココまでくれば、相手方も隠していたバイクに気がつき、阻止しようとしてくる。   俺は足元の角材を拾いあげると、振り回して牽制する。 「飛島、オマエも行け!」 「バカいうな! 俺は狼牙が引き上げないんなら絶対引かない!」 「なら仕方ないな。軸、こいつを持っててくれ」   俺はヌンチャクを軸に投げた。   軸はそれをキャッチして眉を顰める。 「これ、魁子ちゃんのくれたやつだろ?」 「ああ。大事なもんだ。このどさくさで失くしたら困る。持っててくれ」   軸はヌンチャクを握ると、ベルトに鎖をかけて吊り下げた。 「確かに預かった。それじゃあ、死ぬなよ!」   巧みにバイクを操り、左右から来るバットを避け、止まっているバイクや車の合間を縫って道路に飛び出した。 「逃がすなァ!!」    族長が指示を出すまでも無く、バイクが数台、その後を追った。   軸のバイクの音とそれを追う音は、すぐに聞こえなくなった。   すぐにまた、俺達は囲まれ、対峙し合っていた。 「狼牙ぁ」 「なんだ」 「腹減ってきたし…」 「終わったら來々軒で好きなだけ奢ってやるよ」 「來々んとこの!? ひゃっほう! 俺、ばりばり働くよ!!」 「はりきり過ぎんなよ」 「うううううおおあああーーーっ!!」 「うるおぉぉぉぉぁぁっ!!」   その後俺達は、何も考えずに、敵陣に突っ込んだ。   殴られようが蹴られようがお構いなしでひたすら相手の固まっている方へ突っ込み、殴り、蹴り、引きずり倒す。   そこには武道もない、スポーツもない、ただの汚い喧嘩だった。   殴り、殴られ、蹴り、蹴られ、倒し、倒される。   ピンチになればまるでテレパシーで通じ合っているように察知し、互いのフォローへと向かう。   気がつけば、数は半数近くまで減っていた。 「ぜぇ…」 「っ…がっ…」   が、互いにかなり疲労していた。   終わらせようと思えば、能力を使って突っ込み、とっとと頭のあの男を獲れば済む話ではある。   しかしそれは出来なかった。   ここで妥協すれば、魁子との特訓が全て無意味になってしまう。   俺の中からも、アイツが消えてしまう。   俺はまだ、水に成れていない。   覚悟を決め、拳を握りなおした。   その時だった。   軸のバイクの音が接近し、姿を現した。 「なんだァ? あのチキン、死にに来たのか」 「狼牙っ!飛島ァっ!! 応援呼んできたぞッ!!」   軸の後ろには、黒ずくめの男が座っていた。   黒ずくめの男はバイクから降りると、亜賦羅魔通蛇の停めた工場入り口のど真ん中を封鎖する車の上まで駆け上がった。   黒いガクラン、黒手袋、そしてなにより目立つ、黒い学生帽に黒いアイマスク、という偉く奇妙な服装で、  よくみると男にしては少し華奢な体型をしていた。   俺は少し嫌な予感がした。   その場の視線は全てその黒ずくめに注がれる。 「んだぁテメェ、頭狂ってんのかァ?」   族長がドン引きで啖呵を切る。   黒ずくめは、視線の集中を受けてか、少し恥ずかしそうにしながら始めた。 「えー、こほん。あたしの名前は、カトー。あんたらみたいなのには我慢ならない一人の人間だっ!!  とぅっ!!」   カトーは車から飛び降りると受身を取って転がり、族長の前で綺麗に立ち上がった。   俺は思い出した。レンタル屋で魁子が俺に説明をしたブルース・リーの映画の一つに、グリーンホーネットという作品がある。   それの中でブルース・リーは主役・カトーを演じていた。そのカトーの姿こそ、今そこにいるカトー…  もとい、魁子のしている格好である。 「か、かい子ちゃん!? どうしてここに!?」 「あ、あたしは魁子じゃないやい! 今はカトーだ!  困ってる奴らがいるって聞いて助けに来たただの凄いヒーローだよ」 「うっうー! 助けに来てくれたなんて!! かい子ちゃん、俺のエンジェルッ!」 「エンジェルとかゆーなっ!! きもいわ!!」 「ふぇ…」   飛島はきもがられてがっくり肩を落とした。 「なんだ、覆面キチ外女かよ。素顔がブスじゃなかったら犯してやる」 「お、おか…オマエみたいなヤツ、大嫌いだよ。だから、安心して本気を出せる」 「こいや」 「ティッ、タィッ、タァーィッ!」   いつもとはちがう叫び声で魁子はソバットを連続で放つ。   族長は割りと反射神経もよく、それを身を引いて回避する。   目の前まで延びる魁子の足へと捕まえんと手を伸ばすが、魁子は逆に足でその手を弾いて足を地に着け、バックステップする。   族長は拳を握りなおすと、身をかがめて素早いストレートのワン、ツー放を放った。    「タィッ、ターィッ!!」   一発目は上半身で円を描いて回避し、二発目は左手で弾き、次の瞬間、魁子の身体は回転し、ローリンスソバットが放たれた。   足は族長の顔を捉える。族長は身体をのけぞらせ、体勢を崩した。   勝負はもう決まったも同然だった。   族長は身体を起こし、鼻血を出しながらもパンチを繰り出す。   全て魁子の手が弾き、掛け声と共に拳が顔面を捉える。一度決まれば魁子の拳はラッシュし、最後にソバットを放った。   足の裏は胸を綺麗に打ち、族長は後ろにとんだ。   あっさりと族長が敗北し、ざわめきが起こる。 「かい子ちゃんかっこいいよーっ!! 俺の女神!!」 「だーもう! やめろってば!」   魁子は飛島の方を振り返って叫ぶ。   その後ろでは、族長が鉄パイプを手に立ち上がっていた。   族長は、鉄パイプを魁子に向けて振り下ろす。 「魁子っ!!」 「かい子ちゃんうしろーっ!!」   俺達の声に反応し、魁子は後ろへとハイキックを放ち、丁度足の裏で鉄パイプを受け止めた。   この見事な偶然に族長も息を呑んだ。   が、魁子も 「痛ってーだろーがっ!! タゥッ、おらあッ!!」   受けた足でそのまま回し蹴りを放って族長の手を鉄パイプごと蹴り飛ばすと、一歩踏み込んで、股間を蹴り上げた。   族長は言葉を失い、前傾姿勢をとる。 「ッタァーウッ!!」    最後にサマーソルトキックをかまして魁子は綺麗に体を中で回転させ、着地した。   力を失っている族長の身体は容易に後方へ飛んで無様に転がった。 「ふぅ…」   魁子が一息吐くと、時間が動き出し、族連中は明らかに動揺し始めた。さらにそこへ追い討ちをかけるように、  無数のバイク音が聞こえ始める。   音は徐々に近づいてくる。   よく聞くと、今地元を仕切っている族達のバイクの音だと気付く。   バイクの改造仕方の音によって、大体どこの族か見当がつく。   今近づいているのはあまり汚い改造をされてない力強い音だった。   族連中は愛車の元へ走ると我先にと蜘蛛の子を散らすように逃げてゆく。   接近していたバイクの殆どは、廃工場へ入ることなくそのまま亜賦羅魔通蛇を追いかけてゆく。   その中から数台だけが、静かになった俺達の方までやってきた。   そいつらはヘルメットを脱ぎ、俺の目の前に手を差し出した。 「よう、狼牙。久しぶりじゃねーか」 「おう、久しぶりだな」   俺はその手を握る。   学園とはかかわりの無い、地元のダチらだった。   その内の一人が、地元チームの頭をしている。   懐かしんで幾らか言葉を交わすと、そいつらはヘルメットを装着し、またバイクにまたがった。 「ほんとはもっとだべってたいがよ、あいつらの始末つけてくるわ。  俺らも最近メーワクしてて、どーすっかって話が出てたんだよ。  お前らがムチャしてくれたお陰で楽にカタつきそーだ。  そんじゃ、また飯でも食おうぜ」 「そっちの奢りでな」 「ばか言うんじゃねーよ!」   笑って言い捨てると、そいつらは亜賦羅魔通蛇の後を追って走り去った。   そこには俺達だけが取り残された。 「狼牙も飛島も、無事みたいでよかったよ」 「ま、お陰様でな。それにしても、軸、どーなってんだ?」 「えっとだな…」   軸は、地元チームの頭をやってるダチらに連絡して応援を呼ぼうと思ったはいいものの、  亜賦羅魔通蛇の連中に追われていて、相手を撒くにも街の方へ到着するまで一本道、とどうすこともできず、  走り続けていたらしい。   すると道路沿いを歩く魁子と狐狗狸を発見。   驚きの余り通り過ぎ様にずっこけて道路わきにつっこんだ。   魁子は魁子で、軸が通り過ぎる瞬間、俺が失くさないようにと渡したヌンチャクが腰からさがっているのが目に映り、  記憶を取り戻したらしい。   追ってきた亜賦羅魔通蛇の連中に二人で応戦し、沈めてダチに連絡し、狐狗狸を置いてこちらへ来たという。 「…わざわざそのコスプレをして、か?」 「使う機会あるかなと思って前に買ったんだけど、全然なかったんだ…」   魁子はバツが悪そうに、人差し指をもじもじ動かした。   そりゃあそんなもん着る機会なんてないだろう。   というか、旅行先にそんなもんを持ってきていることに驚く。    「で、軸から話をきいて、これはチャンスだ!と思って…」 「ま、助かった」 「へへへ」 「お前には借り作ってばっかだな」 「いいんだ」 「善くない事もあるぞ」   恨めし気な声に振り向くと、そこにはいつのまにか幽鬼のように狐狗狸が立っていた。 「何が善くないんだ?」 「僕は、良い廃工場があると聞いてココへとやってきたのにだ。  狼牙達の築いた死体の山のお陰でホラーというよりスプラッタになってしまっているじゃあないか。  これじゃあ、写真を撮るにも構図に困るだろう」   確かに、まだ伸びている連中が廃工場のいたるところに残っている。   狐狗狸はふくれっつら言う。 「すまねえな。そうとわかってりゃ遠慮したんだが。写真撮るのに邪魔なヤツは俺らが動かす」 「それにしても、あたしまだ混乱してんだけど」   魁子は額を人差し指で押さえる。 「何がだ?」 「なんで、ていうか、いや、理由はわかってるよ?  狼牙はなんとなく族退治にここを使っただけだし、狐狗狸も心霊スポットの撮影を目的にここに向かってたんだろ?  なんであたしら、同じ所にきたんだ? 偶然にしちゃ出来すぎてないか?」 「事実は小説はより奇なり、という事さ魁子。  僕も狼牙たちがここに来ているとは知らなかったし、狼牙達も知らなかっただろう?  別に誰が仕組んだわけでもない。  ただ、強いて言うなら…」   狐狗狸はありったけの含み笑いをして俺と魁子を見比べた。 「愛の力……じゃあないのか?」   言われて魁子に別れ際にした行為を思い出す。魁子もそうらしく、顔を真っ赤にした。 「お、お、おおまえ見てたのか狐狗狸ぃいいいっ!?」 「おいおいなんの事だ何を見ていたというんだ  僕は魁子の見られていると動揺するような恥ずかしい行為を見たりは一切してないぞ。  さぁて、一体何をしたんだ?」   俺は拳を握った。流石に殴れないが。 「ぐっ…がっ…この…んもーっ、狼牙がイケナイんだぞ!!」 「俺が悪いのは確かだが。あの面を見て、墓穴を掘ったとは思わないか?」   狐狗狸を指差すと、口が裂けそうなほどにやついている。 「な、なんだよ!」   魁子はまだ気づいていないらしかった。 「誰も俺の名前を出してないだろ。  お前は自分で、俺にされた“イケナイ事”が、狐狗狸の言う“見られると動揺する事”だと証言したんだ」 「………!!」   魁子は開いた口が塞がらない。 「面白い話も聞けたし、さっさと写真を撮って帰ろう。早くしないと今日中に帰れなくなる」   カメラを構えて狐狗狸は廃工場の中へと足を向けた。   俺達もそれに続く…が。 「おい、飛島。何立ち止まってんだ」   先頭で動かない飛島の所為で、すぐに俺達も足止めされた。   軸が脇を小突く。   当の飛島は、指を咥えてじっ、と狐狗狸を見ている。 「あい、練也?」 「か、かわいい…」 『はァ??』   飛島と狐狗狸を覗く全員が絶句する。 「こくりちゃーーーーーん!!」 『………』   狐狗狸写真を一通り撮り終え、俺達は町に戻った。   軸が魁子、俺で往復し、飛島は狐狗狸を後ろに乗せて。 『俺のロードは二人乗りする為にあるんじゃない!』   と最初不服そうだった飛島は後ろに狐狗狸が乗るとなると嬉々として二人乗りステップを用意した。   わかりやすいヤツである。   結局、來々軒(クラスメイトの陸 來々の実家で、中華料理屋)へ全員で行き、晩飯を食ってから別れる事になった。   話の流れで俺が全員に奢る事になり、財布の中身が死んだ。   最寄り駅まで魁子と狐狗狸を見送った時は、すでに八時を回っていた。   切符を買い終え、改札口の前で別れを告げる。 「ごぐりぢゃん、またきてね…絶対だよ…」   練也は別れを惜しみ、べそをかいていた。 「そうだね、次来た時は人体実験に付き合ってくれ、練也くん」 「うん! 俺、なんでも付き合うよ! めっちゃ嬉しい!」    「そうかそうか、ありがとう練也くん。開頭して脳に電極を差し込み、脳のどの部分で超能力を使っているのか調べてみよう。  期待していてくれ」 「もうちょっとソフトなのに…」 「冗談さ。しかし実際の所、あまりこの付近には寄れない。今回だってかなり悩んだ。記憶は消えなくてもあまり殴られたくはないからね」 「の割りに当の狼牙を捕まえたり、かなり無茶してるじゃないかよ」   魁子が呆れて嘆息する。 「僕はやると決めたらとことんやるのさ。それに相手は選んでる。  だから、だ。話は戻るが狼牙達がこちらへ来ればいいのさ。  普通に校門から入れるし、誰でも入れる。誰でも入ろうとするかは別にしてな」 「うん。遊びに来いよ。きっとその…楽しいからさ。飛島も軸も。善かったら嵐とか凛も連れて」 「…おれ、絶対いくよ!!」 「うち並に変なのが揃ってるてのがな。面白そうだ」 「そうだな」 「…ま、あたしはまた来るつもりしてるけど…」   そう言って様子を窺う様に、魁子はこちらを見た。 「ああ、来いよ」 「か、勘違いすんなよ。あたしは別に、その…そうそう、じっちゃんに会いに行くんだ」 「そうだな」 「…むっ…」   俺の返答に不満があるのか、魁子は膨れてこちらに背を向けた。 「そんじゃあな!」   吐き捨てるように言う。 「どうした魁子。どうせ当分会えないんだからツンはやめてデレといた方が身の為だぞ」 「ば、バカなに言ってんだ。あたしは別に狼牙となんにもないんだからな! それじゃあ帰るぞ!!」   魁子は振り返ること無く改札口を通った。   狐狗狸は溜息をついて後を追い、改札口を通った。   丁度良くか、魁子達の乗る電車の発車アナウンスが構内に流れた。   魁子は立ち止まった。 「がっ…くそっ…!」      魁子は思い切り足を踏み鳴らした。 「どうするんだ魁子」 「ちょっと待て狐狗狸! 今考えてる最中だ!」   指先でぐるぐるとつむじを巻く。   数秒して何をひらめいたのか、天井を指差した。   「ゆ、ユーフォーだっ!!」 「な、なんだとっ!? どこだっ!!」   魁子が指差すと真に受けた狐狗狸は天井を真剣に見回す。   考えた結果がそれかと突っ込んでやりたかったが、効果は覿面だった様だ。   魁子は狐狗狸を他所に改札口を飛び越えて俺の目の前に着地した。   そして俺のシャツの胸元を鷲掴みにすると強引に引き寄せて、  口付けした。   それはあまりにも強引過ぎて、前歯までもが、ごちん、と硬い接吻をした。   電車の発車を予告する、けたたましいルルルがBGMになり、どこか俺達は滑稽だった。   魁子はシャツを離して少し俺を突き飛ばすと、人差し指を突きつけて素早く口を動かした。  “おかえしだ!”   俺に唇を奪われた事に対する仕返しという事らしかった。   魁子は再び風の様に改札口を飛び越え、狐狗狸の袖を引く。 「おい、狐狗狸、行くぞっ!!」 「ま、待て魁子! U、F、O、つまり未確認飛行物体は何処!?」 「ばーかっ、それはもういいんだよ!! ほら、行くぞ!」 「何がどういう事なんだちっとも良くないぞ、説明したまえ魁子ーっ!?」   事情が飲み込めていない狐狗狸は、魁子に無理引きずられて電車に乗り込んだ。   扉は俺達とあいつらを分断し、遠ざかって行った。 ──────────────────────────────────────────────── 九月七日 午後三時三十分 - 作戦会議室 「それでは、第二回岸谷仄香作戦会議を始めます」   作戦会議室に、真弓の声が響く。 「おう」 「はーい!」 「おっけーよ」 「了解アルー!」 ――――NEXT