ダブル / ジョーカー                  一話:裏             『Dirty deeds done dirt cheap』  皇国南西の都市サウリアにその男は居た。まとわりつく冷気を振り払うように羽付帽子 を取ると、酒場の主に声をかける。 「宿泊したいんだ。俺と、あと十三人」  大口の客に、酒場の、そして宿屋の主は笑顔らしきものを浮かべた。らしきものという のは彼がリザードマンと呼ばれる二足歩行の爬虫類だったからだが、それでも接客業を営 むからには、人に馴染む独特の雰囲気がある。  主は、カウンターに手をかけた男の、紫色の瞳を覗き込んだ。問う言葉は流暢な共通語 だ。 「これはこれは。飯はつけますかね」 「朝は頼む。とりあえず三泊……部屋は足りるだろう」  旅姿に包まれた肉体が、緊張と弛緩の狭間にある雰囲気が、慣れた物言いが、その男が どんな存在かを告げている。戦場と戦場を渡る人間だと。この宿は、そういう手合いの多 く集まる宿だった。だからそんな彼が珍しいわけではない。  だが男は、妙な上品さを纏いながら宿泊について話し合っている。それは意外にいい素 材を使っている帽子が原因だろうか。それとも無造作に肩口まで伸ばしたかのような色あ せた金髪が、実のところ綺麗に整えられているからか。ちぐはぐな男だった。三十には届 いていないだろう青年。しかし妙な落ち着きがある。  細かく折衝する必要もなく、青年側からの注文を全て受け取って、彼らはチェックイン した。宿の状況を全て把握しているかのように丁度いい部屋割りの注文だった。  いきなり何部屋も埋まったので主は上機嫌だった。元々サウリアは観光客や旅人でにぎ わう街ではないが、今年はとくに客足が遠く、あと二日で年が終わるというのに散々なも のだったからだ。  金払いの良さそうな服装というのもある。だがそれよりは、彼の雰囲気に、何か『一端 の男』というものを感じるからかもしれなかった。それは主のダンディズム。それにそう いう男たちは、青年がそうであるように、話が早いというのがいい、というのは主の商売 人としての側面からの意見だ。実際に、眼前の客が名の知れた若き傭兵隊長だと知れば、 彼は得心したに違いない。  三日前にやってきた客などは、若い女二人組などという危なっかしい一行だったが、そ の片方があれこれと異様に煩いので、なおさら安堵する。  実際、宿の主は少々疲れていた。例年を下回るとはいえ、こんな時期に注文の多い客と いうのは困るものだ。しかし、むしろそうでない二人組のもう片方が問題だった。態度に は問題がない。いやむしろ良いのだが……。  そして、今いる客に思いを巡らせる主が、たった今客となった青年の連れを迎えようと 扉を開いた時だった。 「うわっわーーー!」  響く女の声。同時に何かが転がるような音。  主は、三日前からこの手の声だの音をウンザリするほど聞いてきた。三日だ。長いとい えば長いが、たった三日で、これほど望まずに騒ぐ相手にはそうそう出会わない。少なく とも彼の人生ではそうだった。単純に煩い奴なら、職業柄いくらでも見てきたものだが。  聞かなかったことにしたいが、そういうわけにもいかないものだ。彼は慌てて振り返る。 「お客さん、一体……」  主としても、大方階段でこけて転がり落ちたのだろうとは想像していたのだが、まった くその通りだったらしい。ただし、転げ落ちた客が、今しがた客になった彼に受け止めら れているという状況までは思いついていなかったが。  その美しいピンクブロンドの髪は、いくら冒険者装束に身を包んだとしても本来の生活 水準の高さをこれでもかというほどに主張している。もうすぐ大人の女になる、そんな少 女は、己を受け止めた青年を眼を見開いて見ている。  一瞬。  青年の顔に困惑が浮かんだ。考えあぐねる顔。それはまた一瞬で苦笑いに変わった。 「大丈夫ですかプリンセス」  継がれたのはあんまりな台詞だった。言った当人がしまったというような表情を浮かべ、 それもまたすぐに消された。  宿に入ろうとしていた青年の連れの誰かが、鼻で笑った。  だが、当のプリンセスは青年からゆっくり離れると、丁寧にお辞儀をする。 「はい、大丈夫です。どうも失礼いたしました。すみません」  これだから反応に困るのだなぁと考えていたのは宿の主である。この、三日前から宿泊 している客の片方は、非常に礼儀正しい。いやもう片方も礼儀は正しいのだが、何か過剰 な警戒心というか、棘を感じる。女二人旅ではある意味自然なことだが、しかしこのエリ スと名乗る彼女は、朗らかで、人の良さを全面放射している。美しい娘に丁寧に対応され れば、彼も悪い気などするはずもない。ただあの「どっか抜けている」所さえなければ、 だが。  鈍臭いわけではない。今も綺麗に受け止められたのは、そういうことであろう。昨日も、 その前の晩に皿をやたら割ったお詫びにとポンポン薪を切ってくれていた。ただし調子良 く切れる事に気分を良くして小山ができるぐらい切ったのは閉口する。だからやはりそれ は「どっか抜けている」のだ。人当たりはいいし、先に丁寧に謝られるのでどうも文句を 言ったり不快をあからさまにしづらくやりにくい。元々女子供の相手は得意でもない。無 意味に疲れる。それはそれだけ主の人の良さも表していたが。 「気をつけてくださいよ」  大事がないならばそれでいい。主はそれだけ言って息を吐く。 「……なんかバカっぽい姫さんだな」  主の耳へ微かに入ってきた言葉は身も蓋もなかったが、最後に大変気にかかる単語が混 じっている。彼女の態度や、同行者の妙な口煩さや、諸々に、鱗の裏に引っかかるような 感覚を彼は覚えた。だが振り向いて、青年の連れの誰かに今の単語を確認するほど厄介事 好きでもない。こうなってくると、青年の妙な上品さも嫌な予感に変わってくる。主は心 の中でため息をつくだけだった。それぐらいしかできる事はなかった。  主の中で、新たな客の人物像がじわじわと下方修正を受け始めている。あの台詞はない な。  当の青年の方はというと、苦笑を貼り付けたまま「お気をつけを」とか宿の主と似たよ うな当たり障りのない事を言い、謝罪して名乗ったエリス嬢に挨拶をしている。  主が注意を逸らして案内に戻ろうとしたその時、「あ」と小さく声あげて、エリス嬢は 慌てて出て行った。 「すみません、ベルのところに行かないと!」  主以外は「ベル」が何を指しているのかは知らない筈だったが、とりあえず扉の前を退 いて彼女を見送る。  沈黙。 「…………いや、まあ…………まあ」  という無意味で力のない台詞を吐きながら、主は残された彼らを奥の部屋へと案内しよ うと手招きして歩き始めた。  青年は今しがたまで彼女に触れていた両手を何度か閉じ開きする。「ま、いいか」とい う言葉は、口の中だけで消えていき、彼も宿の主に続いた。 「というわけで、あれが対象だ。確認したか」 「あぁ、カッコよかったぜナイト様」  ふてぶてしい巨漢の返答に、青年は肩をすくめる。 「エール・バゥ・リバランス。あれが王女殿下か。まあ確かに可愛かったがよ」  別の男が、身に着けたアクセサリーをジャラジャラと鳴らしながら「やっぱ違うねー」 と笑う。へらへら笑いの視線の先にいた女たちはそれを黙殺した。  とった部屋の一室に青年とその連れが会している。少々狭かったが、仕方がない。 「でもさ、なんでアタシら全員なんだい。年越しが仕事しながらだなんて、数年前のアタ シが聞いたらびっくりだね」  一人が疑問を口にすると、紫眼の青年はニヤッと笑った。それは、先ほどまで貼り付け ていた愛想笑いよりは、はるかに彼に似合った。 「危険だからさ」 「あの姫さんが?」  青年はそれに首肯する。 「覚えている筈だ。一部とはいえ顕現した事象龍を」  事象龍。万物万事に宿る神――――それが現世に介入する為に個体となる時、それは生 物種最上位たる龍の形をとる。彼らには、不完全なものとはいえ過去その一種に遭遇した 経験もあった。『正義』などという仰々しいものを司るそれは、完全な形であればそれこ そ一夜で一国を滅ぼしうるものだったのだろう。 「ま、あの時は俺たちが直接関わる必要はなかったが、今回はそうもいかないんでな。だ から俺は俺で全力で挑んでいるのさ」  楽しそうに笑う青年の表情は、その台詞にふさわしいものではなかったが、それを見る 彼らにとってはいつもの事だった。 「アウラム、だっけ。さっき背負ってた剣だよな?」 「あったな。つーかあの調子ならどっかで失くしそうなもんだがなァ」  もれる笑い。確かに先ほどエリスと名乗ったリバランス王国の王女エール・バゥ・リバ ランスは大剣を背に負っていた。金色がくすんで茶色くなったような剣。 「あれがそうなのか?」 「そうだ、事象龍を呼ぶかもしれない剣……だ」  リバランス王家に伝わる魔剣は割と有名な存在だ。それには謎の双頭龍が彫られてもあ る。とはいえ、事象龍がその剣から呼べるなどという言い伝えは現存しない。  変化は一昨年にとある事象龍の寄り代と化した存在が居た事と、そして先ほど彼らの会 話にあった事象龍が、一つの鎧から変化したことにある。  それまで事象龍は『遍在』していると思われていた。必要によって突如として虚空から 現れるのだと。しかし二例は明らかに事象龍が遍在しえない事を表している。無論その二 例を知る者自体が非常に少ないのだが、それを知りえる者たちは結論した。事象龍は、そ の個体がそれ本体ではないけれども、行動する上での個体としては常時どこかに存在して おり、突然何もない場所から発生するほど都合のいいものではないらしいと。後に『化身 論』と呼ばれるそれは実際20年以上前から存在した説の一つではあるが、実例の観測 によって、それは説ではなく確定した。  化身が存在するということは、行動状態にない事象龍は目立たぬ形で待機状態にあるの ではないか。少なくとも二例のうちの後者はその可能性を強く示唆している。  そして未だに『化身論』を裏づけうる二例は、公の情報とはなっていない。  故に。  彼らは、リバランス王女エール・バゥ・リバランスから、魔剣アウラムの奪取を目的と してやってきたのである。  皇帝の命において、<如何なる仕事でも安易に請け負う>。  かつて彼らは青年に率いられ、皇国の宿敵・王国連合の柱であるファーライト王国に浸 透し、混乱を引き起こし、その奥に隠されたベールを剥ぎ取り帰った。  『賢龍団』を名乗る傭兵団は、もう一つの顔を持つ。  皇国情報保安室『D機関』の実務部隊。。  それはあくまで彼らを束ねる青年と皇国皇帝の繋がりがあればこそではあったが。 「数ヶ月前に俺たちが起こした事件で、今までは遊楽していた王女もさすがに国許へ戻ろ うと急いでいる。そのお陰で捕捉できたわけだが」 「何でここに留まってる?」 「飛龍を待ってるようだ。山脈を越えて帰るルートを選んだのではないかと思う。話題の 国を見ておきたいというのもあるだろうな」  情報を確認し頷きあう。先ほどからへらへら笑っていた男が、相変わらずアクセサリー を鳴らしながら不満そうに口を開いた。 「つうか、なんで正面から接触すんの?」 「また寄り代が必要かもしれん。そこのところだと、リバランス王家に無意味に受け継が れている筈がないと考えるのが妥当だろう?リバランスの血が必要になるかもしれない… …血統主義な奴らもいたしな」  青年の最後の言葉は、殆ど独白だったが、周りの彼らも一々それに触れない。元々青年 はそういうところがある。 「先の予定を考えても、リバランスの人質を得る事には意義がある」 「なら、最初から誘拐しちまえばいいんじゃねえの?」  もっともな提案。青年はその言葉を待ってましたと言わんばかりに頬を歪ませた。 「お前、気づいてないのか。いくら俺たちが隠そうと、どうやったって漏れるものは漏れ る」 「あ?」  ニヤニヤ笑う青年を咎めて他の一人が口を挟んだ。 「つまり他にも気づいてる奴は……あの魔剣を狙ってる奴はいるってこと」 「ああー、だからアイツ、居ねぇのか」  十三人のうち、今この場に欠けている一人の行方と共に納得した部下に青年は満足そう に頷いて。 「俺たちが姿を見せる事は一種の威嚇であり、彼女を守る為の盾でもある。だから護衛に つけた」 「で、その盾が皇都までお届けするってか」  笑みを浮かべあう。 「積極的に来て貰うにこしたことはないが……ま、とにかく彼女が出発するまでには、確 保する必要があるな。連合側に行かれては、現状俺たちでは入れん」  そこまで言って青年は言葉を切った時、また一人がある疑問を口にする。それはある意 味では何の関係もなく、ある意味では最も根本的な問題だった。 「王女は何故身分を偽って侍女一人を共に旅なんてしているのかしら?」  その言葉に視線の集まった青年は、先ほど件の彼女を受け止めた瞬間と同じ、気まずそ うな表情を浮かべる。それは、自信満々か愛想笑いが常の彼らしくない表情だった。 「恋を…………探してるんだとさ」  非常に言いにくそうに放たれた言葉に一同は黙り込み、 (……ああ、バカなんだな)  そして心は一つになった。  具体的な指示を受けた部下たちが出て行った部屋で、青年は一人で立っている。窓の外 を見れば、南方のサウリアといえど寒空が広がり、燃える夕陽など見えない。  記憶を反芻する。宿屋でのチェックインはスムーズに終えた。その後のアレに関しては、 その影響での変化だろうと結論。印象としては悪くないだろうと考え、問題なしと判断す る。指示も終えた。とりあえずここまでは順調。  よって       DEAN DRIVE 「起動、『引力に逆らうモノ』……」  青年の足元で、魔法陣が浮かび上がる。時計のような模様を持ち、白く輝いている。 「セーブ」  呟くと、魔法陣がさらに強く輝いた。  そして青年はすぐ横の窓を、その腕で叩き割った。質の悪い硝子が砕け散り、泥混じり の雪のように散らばっていく。その行動に意味はない。  ただしばらくそのままじっとしていると、誰かが階段を駆け上がってくる音がした。宿 の主だろうか。  部屋の扉が開かれた時、入ってきたのが誰なのか青年は見ていなかった。ただ外を眺め る視線の先には、ゆらりゆらりと降る雪が。 「ロード」  再度魔法陣が輝いた時、窓は何事もなかったかのようにそこにある。  部屋に入ってきた者は誰もいない。  それは、<いともたやすく行われるえげつない行為>。  薄汚れた硝子に僅か映る己の顔を見ながら、青年は頬を吊り上げる。  泥のような笑みだった。  サウリアを雪が覆い始めた。 ●補  一話表に魔法研究所に触れてるのは学者祭がおきてるねぐらいの意味で  特にそれ以上の絡みはないです  正確には学者祭より後かつ亜人傭兵団ゲッコー編の終了後で、神無祭より前に開始か  ドクター的にはまだガトーが帰ってきたのを知らないぐらい  無論商人記より後  エールの設定上の出奔を5年前(56年始)より後、ファーライト動乱(60年)より前と推定  (事件中に出奔する・帰らないのが王族にしては迷惑すぎるため)  というわけで動乱を遅れて知ってから、  恋は見つからなかったけどキナくさくなったので帰らなければならない途上  表はそれより数日から何週間か前  まあ例によってあくまで俺時系列なので深く考えなくていいし勝手に配置しただけだが  地理あわなかったりするし、あくまで  近い時期に他のSSのストーリーとパラレルな関係にある何かが起きていたりする  以上でも以下でもない  『英雄剣を執る者は』及び『未来を掴み続ける時計仕掛け〜』の整理版です